まのさば Restart 作:雪うさぎ
それから。
シェリーちゃんとハンナちゃんが帰った後も、僕は言いつけ通り医務室で大人しく過ごしていた。
途中で目を覚ましたメルルちゃんが話し相手になってくれて。この牢屋敷を少し回った時に見たものについて教えてくれたけれど。
「……本当に、一人で大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫だよ」
「でも……」
「メルルちゃんも、ずっと僕の傍にいたんでしょ?だから僕だけじゃなくて、他の人とも話してきた方がいいと思う」
「…………」
随分と渋ってはいたものの、最後には僕の言葉に押されるようにして。
「……何かあったら、絶対呼んでくださいね?」
「うん。約束する」
「絶対ですよ?」
何度も念を押していたものの、ようやくメルルちゃんは医務室から出ていって。それからは本当に誰も来なかった。
「…………」
しんと静まり返った医務室。先ほどまで誰かが傍にいたせいだろうか。
1人になった途端、部屋が急に広くなってしまったような気がする。壁に掛けられた時計の針が進む音まで聞こえてきて。
「……暇だなぁ」
ぽつりと呟いた。
ハンナちゃんからは勝手に出歩かないようにと釘を刺されているし、メルルちゃんにも絶対安静だと言われている。
かといって眠ろうにも、あれだけ長い時間寝ていたせいか、もう眠気はほとんど残っていなかった。
「…………」
ぼんやりと天井を見つめる。
ヒロちゃんのこと。ゴクチョーのこと。魔女と呼ばれたこと。考え始めれば、不安になることなんて幾らでもあって。
それでも考えたところで答えが出るはずもない。
(それでも……やっぱり暇だなぁ)
そんなことを思った、その時だった。
――こんこん。
「……?」
控えめなノックの音が、静かな部屋に響いて。
「は、はい!」
反射的に返事をする。
誰だろう。シェリーちゃんたちが戻ってきたのだろうか。そう思いながら扉へ目を向けると。
「失礼するよ」
落ち着いた声と共に、ゆっくりと扉が開いた。
「…………」
現れた少女を見た瞬間。
思わず、その姿に目を奪われてしまう。
騎士を思わせる、軍装風の衣服。
すらりとした高い背丈に、カモシカのように細く長い手足。その佇まいには無駄なところが一つもなく、ただ立っているだけなのに絵画の中から抜け出してきたように様になっていた。
短く切り揃えられた亜麻色の髪。整った顔立ちはどこか中性的で。琥珀色の瞳には、凛とした強さと不思議な優しさが同居していた。
(……綺麗な人)
女の子だということは分かる。
けれども可愛いというより、格好いいという言葉の方がずっと似合う人だった。
ただ――。
(……あれ?)
不思議と何処かで見たことがあるような。そんな気もする。
「……えっと」
どう声をかけるべきか少し迷って。
「初めまして……だよね?」
ひとまずそう声をかけると、少女は一瞬だけ目を丸くした後。ふっと穏やかな微笑みを向けてくる
「……ああ。そうだね。きちんと話をするのは、これが初めてだ」
「?」
「地下の廊下では一度顔を合わせているんだけどね。けれども……あの時は自己紹介どころではなかったから」
「あ……」
そう言われて、ようやく思い出す。看守に連れられて歩いていた時。動転してあまり気が回っていなかったけど、この人も確かに他の女の子たちと一緒にいたような気がする。
「そうだ。まだエマ君には名乗っていなかったね」
少女は芝居の一幕のように、優雅な仕草で胸元へ軽く手を添えた。
「私の名前は蓮見レイア。すっかり元気になったようで良かったよ」
「……レイアさん」
「ああ」
「僕の名前は桜羽エマ!よろしくね、レイアさん!」
「こちらこそ。よろしくね。エマ君」
にこり。柔らかな笑みを向けられる。
「…………」
レイアさん。その名前を頭の中でもう一度繰り返して。
「……あっ!」
思わず声を上げてしまった。
「どうしたんだい?」
「レイアさんって……もしかして!」
シェリーちゃんから聞いた話を思い出す。
僕が気を失った後。ヒロちゃんへ襲いかかろうとした看守の前へ立ち塞がってくれた人の名前。
「僕たちを……助けてくれたんだよね?」
「…………」
そう問いかけると、レイアさんは僅かに目を細めた。けれども否定の言葉はなくて。
「その……本当にありがとう!」
思わず身体を起こす。
「僕が倒れた後も、ヒロちゃんを守ってくれたって聞いて……だから――」
「おっと」
けれど。最後まで言い切るより早く、レイアさんが僕へ向けて片手を上げた。
「……お礼はいらないよ」
「え?」
「当然のことをしただけだからね」
さらりと。本当に何でもないことのように言って。レイアさんは僅かに首を傾けた。
「それに――エマ君のような可憐な少女を守るのは、当然の行いだろう?」
「…………」
そんな言葉を甘い声で告げられて。
一瞬。何を言われたのか分からなかった。
「……え?」
「ふふ」
「か、可憐って……」
じわり。僅かに頬が熱くなってしまう。
「そ、そんなこと……」
「おや。照れているのかい?」
「て、照れてない!」
「そうか。それなら私の勘違いかな」
そう言いながらも。こちらを見つめるレイアさんの口元には、楽しそうな笑みが浮かんでいて。
(絶対分かって言ってる……!)
なんだか少し恥ずかしかった。
「で、でも!」
けれども誤魔化されてはいけない。そう思いながらも、僕は改めてレイアさんの方へと身体を向ける。
「それでも僕は、ちゃんとお礼を言いたいんだ」
「…………」
「だってレイアさんがいなかったら、ヒロちゃんまで怪我をしてたかもしれないし……もしかしたら、もっと大変なことになってたかもしれないから」
だから。ありがとう。
そう、もう一度伝えようとした。その瞬間。
「――なるほどね」
「え?」
レイアさんが一歩。こちらへ近づいてきた。
「…………」
もう一歩。気づけば、ベッドの直ぐ傍まで来ていて。
(ち、近い……)
反射的に身体を引こうとしたけれど、背中はすぐにベッドの背凭れへ当たってしまい。
「……っ」
白く細い指先が、そっと僕の頬に触れた。
「れ、レイアさん……?」
「そんなに御礼をしたいなら――」
指先が頬を撫で。そのまま、ゆっくりと下へ滑っていき。
「…………っ」
触れるか触れないかほどの軽さで、すっと唇がなぞられて。
「それじゃあ……君が元気になったら」
低い。囁くような声が耳元に落とされた。
「その時に、たっぷりと感謝を伝えてもらおうかな?」
「――――っ」
どくん。心臓が変な音を立てる。
(な、なに……これ)
ぞわぞわとした感覚が背中を走る。なんだか顔が、さっきよりもずっと熱かった。
「……」
何か言わなければ。そう思うのに、言葉が出てこなくて。
結局。
「……う、うん」
それだけを小さな声で返して、深く俯いてしまった。
「ふふ。楽しみにしているよ」
「……っ」
楽しげな声が耳元で響き、そっと指が唇から離れていく。何故かその指先を目で追いそうになってしまって。
「……っ!」
慌ててブンブンと首を振った。
「おや」
「な、なんでもないよ!」
「そうかい?」
「そう!」
そんな僕をレイアさんは、少し微笑ましそうな表情をしていて。なんだか、とても調子が狂ってしまう。
けれど。
「……さて」
次に口を開いた瞬間には。
先ほどまでの悪戯っぽさが消え、凛とした表情へと変わっていて。さっきまでとは打って変わった真面目な声で、ふっと話題を変える。
「実は今日は、君の様子を見に来ただけではないんだ」
「その……エマ君はほとんど丸一日眠っていただろう?」
「うん」
「その間に、この牢屋敷で生活する上での決まりについて、いくつか説明があったんだ」
「あ……」
そういえば。僕はまだ、この場所のことを殆ど知らなかった。
「だから、お見舞いも兼ねてね。今のうちに私から説明しておこうと思ったんだ」
「えっと……ありがとう!」
「どういたしまして」
そう言って。レイアさんは軍服のポケットへ手を入れた。取り出したのは――。
「……スマホ?」
一見すると、普通のスマートフォンだった。ただし見覚えのない機種で、背面には奇妙な紋章のようなものが刻まれている。
「これは?」
「私たち全員に支給された端末だよ」
レイアさんが画面を操作すると、幾つもの項目が表示された。
「牢屋敷に収容されている人についての簡単な情報。それから施設の案内や生活規則、あとは1日の時間割なんかがまとめられている」
「へぇ……」
思わず画面を覗き込む。
そこには確かに。
起床時間。食事。自由時間。入浴可能な時間帯。夜間の消灯時刻や外出禁止時刻。そして看守が屋敷内を巡回する時間についてまで、細かく記されていた。
「随分いっぱいあるんだね……」
「全部を一度に覚える必要はないよ。端末はエマ君の分も用意されているから、後でゆっくり確認するといい」
「うん」
レイアさんが画面を指で送っていく。
「生活する上で特に注意するべきなのは……そうだね」
その後。少し考えてから。幾つかの項目を僕へと見せてきた。
「まず……私たちが着ている衣服についてかな」
「……この変な服のこと?」
「ああ。毎日新しい衣服が支給されることになっている。着終わったものは、シャワールーム内にある、地下へ繋がるダストシュートへ捨てる決まりだ」
「捨てちゃうの?」
「そうらしい。洗濯して再利用するわけではないみたいだね」
「もったいない気もするけど……」
「私もそう思うよ。ただ理由までは書かれていない」
そこで一度画面を切り替える。
「……それから自由時間について」
「さっきシェリーちゃんからは、屋敷の中や外を自由に歩けるって聞いたな」
「その認識で問題ないよ。立ち入りを禁止されている場所を除けば、基本的に何処へ行っても構わない」
「本当に自由なんだね」
「ああ。ただし、例外が二つある」
「例外?」
「集団での抗議活動。それから――脱走の準備だ」
「……っ」
その言葉に、僅かに身体が強張った。
「それらが発覚した場合、その場で懲罰房へ送られる」
「懲罰房……」
どうしてもヒロちゃんのことを思い出してしまう。
レイアさんはそんな僕の反応に気づいたのか。僅かに声を柔らかくしてくれて。
「もっとも、規則を守って普通に過ごしていれば問題はないよ」
「……うん」
「あとは――」
そこで。レイアさんの指が止まった。
「エマ君には、あまり関係のない話だとは思うけれど」
「?」
先ほどまでよりも僅かに低い声。
「看守への反抗や……暴力行為」
「これについては発覚した時点で――即座に処刑の対象になるようだ」
「……え?」
一瞬。意味が理解できなかった。
処刑。けれど。その言葉が意味するものを理解した途端。
「……っ!」
血の気が引く。
「じゃあ……!」
思わずレイアさんの腕を掴んだ。
「ヒロちゃんは!?」
「…………」
「ヒロちゃん、看守を殴っちゃったよね!?だったら処刑されちゃうんじゃ……!」
「エマ君」
「っ」
レイアさんの声は落ち着いていて。
震える僕の手を包みこむように、そっと大きな掌が重ねられる。
「大丈夫だ」
「……え?」
「ヒロ君が処刑されることはない」
「……」
その一言に。
張り詰めていたものが、僅かに緩んでいく。
「……本当?」
「ああ」
レイアさんははっきりと頷いた。
「確かにヒロ君は……本来であれば処刑されるはずだった」
「……っ」
「けれど――ヒロ君が看守を攻撃したのは、この規則が私達に周知される前だった」
「……」
「そして、もう一つ」
琥珀色の瞳が僕へ向けられる。
「看守がヒロ君を処刑しようと攻撃した時に……エマ君が間へ入って致命傷を負ったことが、牢屋敷側にとっても想定外の事態であったこと」
「……つまり処刑よりも負傷者対応や状況整理を優先するべき事態となってしまった」
「……!」
「これらの二点を考慮して。今回に限っては処刑を取りやめ、懲罰房行きとして処理するという話になったんだ」
その言葉に全身から力が抜けるのが分かった。
「……よかった」
心の底から安堵が湧いて、思わず呟いてしまうも。
「ただし」
「……?」
「次はない」
その様子を見てか、レイアさんの声音が少しだけ厳しくなった。
「次に同じことをすれば、一切の例外なく処刑する。そう明言された」
「…………」
「だから、ヒロ君が戻ってきたら。私からも釘を刺しておくつもりだ」
「……うん」
少し怖い。
ヒロちゃんは、また同じことをしてしまわないだろうか。
そんな不安が胸の奥へ残る。
けれど。少なくとも、明日にはちゃんと戻ってくる。そのことだけは確かで。
「……」
ほっと息を吐く僕を見て。レイアさんも僅かに表情を和らげた。
「君は本当に、ヒロ君のことが大切なんだね」
「……うん」
ほとんど考える間もなく答えていた。
「とっても大切な人なんだ」
「……そうか」
レイアさんはそれ以上、何も聞かなかった。ただ少しだけ考えるように目を伏せた後、再び端末へ視線を戻す。
「他には――」
それからも。
レイアさんはいろいろなことを教えてくれた。
食事が用意される場所。自由時間が終わる時刻。夜間には原則として自分の監房へ戻らなければならないこと。
屋敷内には看守が定期的に巡回していること。禁止区域へ無断で立ち入れば懲罰の対象になること。
「なるほど……」
話を聞きながら、僕も一つずつ頭へ入れていく。
そして。
画面を下へ送っていった、その時。
「……?」
一番下に。
妙な項目があることに気づいた。
――『魔女裁判規則』
「…………」
その文字を見た瞬間。
胸の奥に、嫌なものが広がった。
「魔女……裁判?」
ぽつりと読み上げる。すると。
「…………」
レイアさんの指が、僅かに止まった。
「レイアさん?」
「……ああ」
ほんの一瞬だけ。その琥珀色の瞳から、いつもの余裕が消えたように見えた。
けれど。
「それについては――今のところ詳しいことは分かっていない」
「そうなの?」
「ああ。項目自体は存在するけれど、内容のほとんどが閲覧できないようになっている」
「…………」
嫌な予感しかしない。
今より遥か昔、中世頃に行なわれていた悪名高き代物であることは知っている。けれども、あまり詳しい知識は知らなくて。
「まあ」
そんな僕の不安を察したのか。レイアさんは、そっと端末の画面を消した。
「今は分からないことを考えすぎても仕方がない」
「……うん」
「少なくとも今日のところは、君が身体を休めることの方が重要だよ」
「…………」
確かに。ハンナちゃんにも同じ事を言われたが、ついさっきまで死にかけていた人間が考えることではないのかもしれない。
「それじゃあ、今日の講義はこのくらいにしておこうかな」
「講義だったんだ」
「ふふ。随分真面目な先生だっただろう?」
「レイアさんが?」
「もちろん」
そう言って、レイアさんは端末をポケットへ戻した。そして。
ベッドから立ち上がる。
「……あ」
もう帰ってしまうのだろうか。そんな事を思ってしまった僕の顔を見て。
「どうしたんだい?」
「ううん。何でもないよ」
「そう?」
「うん」
レイアさんは少しだけ笑顔を浮かべた後。また、あの穏やかな笑みを浮かべた。
「もし何か困ったことがあったら、遠慮なく私を頼るといい」
「レイアさんを?」
「ああ」
「……迷惑じゃない?」
「まさか」
即答だった。
「人に頼られるのは嫌いじゃないんだ」
「…………」
「それに、この状況だ。自分一人で抱え込んでいても良いことはない」
優しい声。
「怖いことでも。分からないことでも。困ったことでも。何でも構わないよ」
「……うん」
その言葉が。不思議なくらい安心できて。
「ありがとう、レイアさん」
「どういたしまして」
そう言ってレイアさんは、今度こそ踵を返そうとして。
「ああ、そうだ」
「?」
表情を少しだけ悪戯気なものへと変えた。
「さっきの約束」
「とっても楽しみにしているからね」
「……っ」
その甘い低い声に、また少しだけ頬が熱くなってしまう。
「だから今日は、ゆっくり休むんだよ」
「う、うん……」
「良い子だ」
そう言って。レイアさんは何故か此方へと身を屈めてきた。
「……?」
何をするのだろう。そう思っている間にも。整った顔が、どんどん近づいてきて。
「れ、レイアさ――」
「――――っ!?」
おでこへ。柔らかな感触が触れる。
ほんの一瞬。だけだったけど。
「…………」
頭の中が真っ白になってしまう。
ゆっくりと顔を離したレイアさんは、何事もなかったかのように微笑んでいて。
「おやすみ、エマ君」
「…………っ」
遅れて。一気に顔へ熱が集まった。
「~~~~っ!」
反射的に両手で顔を覆う。
「……!ふふっ!」
「み、見ないで……!」
「それは難しいな」
「なんで!?」
「とっても可愛らしいからね」
「~~っ!」
余計に顔が熱くなる。
隠しているつもりなのに。きっと耳まで真っ赤でバレバレなのだろう。
そんな僕を。レイアさんは悪戯が成功した子供のような笑みで眺めていて。
「それじゃあ、また後で」
「……ま、またね……」
どうにかそれだけ返した。
軽やかな足音が扉へ向かい、扉の開く音がした。
最後にもう一度だけ振り返る気配がしたが、もう見る余裕などなくて。幸いにも扉はそのまま閉まり、レイアさんは今度こそ医務室を後にした。
「…………」
再び部屋に静けさが戻る。
「…………」
しばらく両手で覆ったまま動けなかった。
恐る恐る片手を離して。さっき口づけられた場所へ、そっと触れる。
「…………っ」
当然。
もう何も残っていないはずなのに。そこだけが妙に熱いような気がして。
「……レイアさんって」
ぽつり。
誰もいない部屋で呟く。
「なんだか……すごい悪い人かも」
結局。
顔の熱は、しばらく引いてくれなくて。恥ずかしさを誤魔化すように布団の中で何度も身悶えているうちに、いつの間にか僕は再び眠りへ落ちていたのだった。