まのさば Restart 作:雪うさぎ
シェリーちゃんに手を引かれながら、玄関ホールを抜ける。
「こっちです、エマさん!」
「わ、分かったから! そんなに引っ張らなくても!」
「善は急げです!」
「外に出るだけだよね!?」
相変わらず元気いっぱいなシェリーちゃんに半ば引きずられるようにして、僕は屋敷の大きな扉へと向かって。
重厚な取っ手に手をかけた。
「ん……っ」
立て付けが悪いのか、思っていた以上に開きにくい。
それでも身体全体で押し込むように力を込めると、大きな異音を響かせながら扉が開いていき。
その瞬間。
「……わ」
冷たい空気が、ふわりと頬を撫でた。
屋敷の中に淀んでいた空気とは違う。澄み切った、少しだけ冷たい風。思わず目を細めながら、外へと踏み出して。
「…………」
その場で思わず立ち止まってしまう。
目の前には――想像していたものとは、まるで違う光景が広がっていた。
「……すごい」
どうやら、この牢屋敷は小高い丘の上に建てられているらしい。
少し先から大地が緩やかに下っていて。遥か向こうに見える城壁まで、どこまでも新緑の森が続いている。
風に揺れる木々の葉が陽光を反射し、さざ波のように煌めいていた。その合間には、ところどころ色鮮やかな花畑が点在していて。
淡い黄色。深い紅。柔らかな紫。
色とりどりの花弁が風に揺れるたび、まるで宝石を散りばめたように光っていた。
「…………」
牢屋敷の中にいた時には想像もできなかった。
冷たい石造りの地下。薄暗い廊下。巨大な看守。魔女だと告げられた僕たち。
そんな今までの光景とは、あまりにもかけ離れていて。まるで別世界の中に迷い込んでしまったかのように思えた。
「……すごく綺麗」
「ええ!」
思わず漏れた言葉に、シェリーちゃんが嬉しそうに振り返る。
「本当に綺麗な景色ですよねっ!」
「うん……」
「ですからエマさんに、どうしても見せたいなって思ったんです!」
「僕に?」
「はい!」
大きく頷いて。
シェリーちゃんは両手を背中の後ろで組むと、くるりと身体を回した。
「昨日、ハンナさんと一緒に色々見て回ったんですけど。ここ以外にも本当に綺麗なところが沢山あったんですよ!」
「お花がいっぱい咲いてる場所とか!小さな川とか……あとは湖もありました!」
「湖?」
「はい!私の一番のおすすめです!」
シェリーちゃんが、びしっと人差し指を立てる。
「水がとっても綺麗で、底まで見えるんですよ!お魚さんも泳いでます!」
「……魚までいるんだね」
「ですから!」
そこで一度、言葉を切って。シェリーちゃんは僕の方へ向き直り、本当に綺麗な笑顔を浮かべた。
「この牢屋敷という場所も……きっと悪いところばかりじゃないんだと思います!」
「…………」
明るい声だった。いつものように元気で、弾むような声。
けれども。今の言葉だけは、どこか優しい響きを帯びていた。
「勿論。閉じ込められてるのは、とっても嫌ですけどね!」
「でも……嫌なところばっかり見てたら、すぐに疲れちゃいますから!」
シェリーちゃんが、いつものように明るく笑う。
「綺麗なものがあるなら、ちゃんと綺麗だって思った方がお得です!」
「……そっか」
あまりにもシェリーちゃんらしい言葉に、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んだ。
「シェリーちゃんって、そういうところ本当に前向きだよね」
「名探偵ですから!」
「それ名探偵と関係あるのかな……?」
「もちろんあります!」
「あるんだ……」
よく分からない。でも。
「…………」
もう一度、遠くの景色を見る。
知らない場所。何が起こるのかも分からない場所。怖いことだって、きっと沢山あると思う。
それでも。
(……綺麗だな)
今だけは。
この景色を、ただ綺麗だと思っていてもいいのかもしれない。
「じゃあ。今度は……おすすめの湖に行ってみようか」
「はい!」
シェリーちゃんが勢いよく手を上げる。
「ご案内します!」
「よろしく頼むよ。名探偵さん」
「お任せください!」
そうして。
僕たちは他愛もない話をしながら、湖を目指して歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そういえばエマさんって、好きな探偵は誰ですか?」
「何だか唐突じゃない?」
「歩いてるだけだと暇じゃないですか」
「景色を楽しむんじゃなかったっけ?」
「ちなみにエマさんが他の探偵の名前を挙げたら、ちょっと嫉妬しちゃうかもです!」
「理不尽すぎないかな!?」
「ちなみに私が好きな探偵はコロンボさんですかね!」
「僕には答えさせないのに、自分は答えるんだ!?」
そんなことを話しながらも、森の中を歩いていく。
牢屋敷から少し離れただけなのに、景色は随分と変わっていた。
背の高い木々が頭上を覆い。枝葉の隙間から差し込む木漏れ日が、柔らかな斑模様を地面へ落としている。
風が吹くたび、さわさわと葉が揺れた。
「……そうだね。探偵じゃないけど、僕はポアロの相棒のヘイスティングズさんとかが好きかな」
「探偵じゃないんですか?」
「うん。すごい探偵って、ちょっと変わってたりすることが多いでしょ?そんな人の傍にずっといて、時には邪険にされながらも支えてる姿が好きなんだ」
「……なるほど。確かに!いつだって探偵の傍には、その推理を支えてくれる優秀な助手がいるものです。そんな2人の関係性を交えながら、推理が構築されている様子は最高に面白いものです!」
その言葉に思わず顔を近づけてしまう。
「そ、そうだよね!探偵モノは探偵だけじゃなくて、その周りのドラマも最高というか――」
「つまりエマさんは私みたいな名探偵の隣に立ち、その働きを献身的に支えたいって事ですよね!?」
「え……ちがっ。あくまで一般論というか」
「わぁ……!とっても嬉しいです!私って元の学校では遠巻きに見られるばかりだったので、助手さんなんて初めてです!」
「ぜ、絶対……絶対に大切にしますから、末永くよろしくお願いします!」
「な、なんか……勝手に凄く重たい契約を結ばされた気がする……」
なんだか少し大変な会話がありながらも、僕たちは取り留めもない会話をしながら森の中を進んでいた。
けれども。
「…………」
木々の向こう。少し開けた場所を、1人の少女が歩いているのが見えた。
黒い髪。見覚えのある後ろ姿。
「……あ」
心臓が大きく跳ねて。
「ヒロちゃん……!」
考えるより先に、足が動いていた。
無事だった。昨日話には聞いてはいたけれど。こうして自分の目で、ちゃんと歩いている姿を見るのは初めてのことで。
「ヒロちゃ――」
「待ってください」
「え?」
声をかけようとしたが。突然、腕を掴まれた。
身体が前へ行くのを止められる。
「シェリーちゃん?」
「…………」
返事はない。代わりに。シェリーちゃんが僕より一歩前に出た。
「……?」
その横顔を見て、思わず目を瞬く。
さっきまでの明るい笑顔が消えていた。琥珀色の瞳が細められ、真っ直ぐにヒロちゃんへ向けられる。
それは。まるで。
(……ヒロちゃんに襲われるのを警戒してるみたいな)
何かあれば、すぐに間へ入れるように。僕を庇えるような位置にいるようで。
あたかも危険人物に相対しているかのようだった。
(……そんな訳ないのに)
胸の奥に、少しだけ複雑なものが浮かぶ。
もちろん。理由は分かっている。
この前、ヒロちゃんは看守へ攻撃しようとして。止めようとした僕まで危険な目に遭った。
だからシェリーちゃんが警戒するのも、きっと当然なのだと思う。だがーーそれでも囚人の少女たちにまで危害を加える理由などないはずで
「…………」
ここまで露骨に態度にまで出す理由が分からなかった。
そんなシェリーちゃんの剣呑な空気と、僕が困惑する気配に気付いたのだろう。
ヒロちゃんが足を止めて。ゆっくりと此方を振り返った。
「…………」
「…………」
赤い瞳と目が合う。
その瞳が僕を認めた瞬間。ヒロちゃんの顔は一瞬だけ強張った。
「……エマ」
「ヒロちゃん……」
一歩。今度こそ近づこうとしたけれど。
シェリーちゃんの手は僕の腕を掴んだまま離さなかった。その様子を見たヒロちゃんは、何かを察したようで。
「……安心して欲しい。あくまで私の意識下だけではあるが、今の私は正常だと思っている」
静かに口を開いた。
「暴れるつもりもないし、君たちを襲うつもりもない」
シェリーちゃんの眉が僅かに動く。
「こんな人気のない場所を、一人で歩いている姿を見た直後では……正直、まだ信用はできませんね」
「シェリーちゃん……いくら看守さんを襲ったからって。ヒロちゃんは、もう罰を受けたあとなんだよ!」
「いや。そういう意味では……まぁ後で説明するので、今は静かにしてください」
シェリーちゃんの声は普段と変わらず丁寧だった。それなのに、言葉の端には隠しきれない警戒心が滲んでいて。思わず口を噤んでしまう。
「先ほどの答えからみるに……聞きたい事は分かっていますよね?」
「…………」
明らかに理不尽な物言いのはずなのに、ヒロちゃんは何故か言い返すことなくて。
少しだけ視線を落として。自分がいる森を見回す。
「ああ……これか。これは単に私が牢屋敷の中にいては、周囲の者に悪影響を及ぼしてしまうと思ったからここにいるだけだ」
「…………」
シェリーちゃんが僅かに目を細めた。
「確かに……その言葉が真実であるなら、この状況は不自然ではありませんね」
「とはいえ。こんな広い森の中で『偶然』、エマさんを連れた私と会う理由としては……少々出来すぎている気がしますけど」
「その事については偶然という他ないな。ただ1つ弁明させてもらうとしたら、もし私が本当に『その気』だった場合……絶対に先に見つかるような愚は犯さなかっただろう」
「ちょ、ちょっと待って!」
矢継ぎ早に行きかう言葉に耐えきれず、思わず僕は2人の間へ割って入った。
「2人とも、ちょっと待ってよ!」
「エマさん?」
シェリーちゃんが振り返る。ヒロちゃんも僕を見る。
「確かにヒロちゃんは、この前ちょっと暴走しちゃったけど……!」
「ちょっとでしたか?」
「うっ……」
言われてみれば全然ちょっとではないけど。
「で、でも!」
気を取り直す。
「ヒロちゃんは悪い子じゃない!ちょっと正義感が強すぎるというか……真面目すぎるところはあるけどーー」
自分で言っていて、弁護になっているのか少し不安になる。
「本当はすごく優しい女の子なんだよ!」
「エマ」
「だから。そんなに警戒しなくても――」
「エマ」
そう言葉を続けていると、もう一度。今度は少し強い声で名前を呼ばれた。
「……?」
言葉を止める。ヒロちゃんが僕を見ていた。
「…………」
何とも言えない顔だった。苦しそうで。何かを言いたいのに、それを言っていいのか迷っているような。そんな複雑な表情。
しばらく僕を見つめていたヒロちゃんは、やがて静かに口を開いた。
「……こんな場所ではあるが。まずは感謝を言わせて欲しい」
「君の献身が無ければ、あの時の私は間違いなく死んでいた」
深々と頭を下げられる。
「君が間に入ってくれたから、私は今こうして生きている」
「本当にありがとう」
そして真っ直ぐに。僕を見つめながら。感謝の言葉を告げられた。
「……ヒロちゃん」
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
「本来なら懲罰房から解放されて、すぐ君のところへ向かうのが筋だった」
「遅くなってすまない」
その言葉と共に赤い瞳が僅かに揺れて。
「そ、そんな!」
思わず大きな声が出ていた。
「別に謝らなくていいよ!ヒロちゃんが無事でーー」
「その上で言わせて欲しいのだが、君は二度と私に近づくべきではない」
「……え?」
一瞬。何を言われたのか、理解できなかった。
ついさっきまで。僕が助けたことに感謝してくれて。遅くなったことにまで謝ってくれていたのに。
「なん、で……」
掠れた声が漏れる。それでもヒロちゃんは答えなかった。
ただ。苦しそうに眉を寄せながら、僕から視線を逸らしていて。
「待って……いかないで」
一歩。反射的に足を踏み出した。
「ヒロちゃん、待ってよ!」
そのまま駆け寄ろうとして――。
「っ……!?」
直後。全身が柔らかな感触に包まれた。
「シェリーちゃん!?」
後ろから抱き締めるようにして、身体を押さえ込まれている。
「離して!」
「駄目です」
「どうして……!」
身を捩る。けれども、びくともしない。
「どうして邪魔するの……シェリーちゃん!」
「…………」
「ヒロちゃんが……!」
もう一度身体を前へ押し出そうとする。だけど。
僕より遥かに力の強いシェリーちゃんに完全に身体を抑え込まれていて、足を踏み出すことすらできなかった。
「離してよ!」
「駄目です!」
「なんで!?」
「今は駄目なんです!」
普段の明るい声ではなかった。
強く。けれども怒鳴っているわけでもない、ただ僕を必死に押し留める声。
「シェリーちゃん……!」
何か理由があるのは分かる。それでも。どうしても納得できなくて。視線だけをヒロちゃんへ向けた。
「ヒロちゃん!」
「…………」
ヒロちゃんは、その場から動かなかった。
俯いたまま。こちらを見ることすらしない。
「どうして……?」
胸の奥が締めつけられる。
「僕……何かした?」
「…………」
「嫌なことしたなら謝るから……」
「違う」
小さな声だった。
「じゃあ、なんで……!」
「…………」
返事はない。
代わりに。僕を抱き止めたまま、シェリーちゃんがヒロちゃんへ視線を向ける。
「エマさんは私が抑えておきます」
「シェリーちゃん!?」
「なので――早く此処から立ち去ってください」
「何言ってるの!?」
思わず叫んだ。
「そんな勝手な――!」
けれど。
「…………」
ヒロちゃんは何も言い返さなくて。ほんの少しだけ。苦しそうに顔を歪めて。
「ありがとう」
「……ぇ」
ぽつり。そんな声が聞こえて。
地面を蹴る音とともに、木々の向こうへ黒い髪が遠ざかり始めた。
「待って!」
必死に手を伸ばす。
「ヒロちゃん!」
もう一度。声の限りに名前を呼ぶ。
「…………」
返事はなかった。ただ葉擦れの音だけが、静かな森の中へ広がっていって。
「……ヒロちゃん」
伸ばした手を、ゆっくりと下ろした。
「…………」
分からなかった。
どうして。何がいけなかったのか。何故ヒロちゃんが、あんなことを言ったのか。何故シェリーちゃんまで、それを止めようとしなかったのか。
「……シェリーちゃん」
「…………」
「離して」
「……まだ駄目です」
「もう追いかけないから……」
「…………」
少しだけ迷うような沈黙の後。それでもシェリーちゃんの腕は僕から離れなかった。
「……ごめんなさい」
そんな小さな声だけが耳元で落ちて。
「…………」
しばらくしてようやく腕を緩めたものの、シェリーちゃんは僕の手を離そうとはしてくれなくて。僕はシェリーちゃんにと手を繋いだまま、来た道を戻ることになった。
せっかく向かっていた湖を見ることもなく。
森を抜け。高台を上り。牢屋敷へと戻っていく。
「…………」
何度振り返っても。
ヒロちゃんの姿は、もう何処にもなくて。
(……どうして)
そんな答えの出ない言葉だけが。胸の奥で何度も何度も繰り返されていたのだった。