TS憑依ゼンゼ 作:TS好き
三級魔法使いの資格を得てから、しばらくの間、聖都シュトラールに滞在していた。
協会から利用を許可された訓練施設は、以前まで使っていた場所よりも広く、魔法を試すにはかなり都合がよかった。特に髪を使った魔法では、足元まで伸びた髪を十分に広げられるだけの空間があるかどうかで、できることが大きく変わる。
最初の頃は、訓練場の広さを利用して髪を動かすだけでも面白かった。
十本、二十本と数を増やし、それぞれに異なる役割を与えながら同時に動かしていく。攻撃用の髪を前方へ伸ばす一方で、別の髪を周囲の探知へ回し、さらに後方には防御用の髪を残しておく。以前なら、それだけのことでも頭の中で一つずつ命令を組み立てる必要があったが、今ではある程度まとまった単位で制御できるようになっていた。
ただ、そればかりを続けても大きな変化はない。
三級魔法使いの試験を経験したことで、自分の魔法に何が足りないのかを以前より具体的に考えられるようになっていた。
髪を強くする。
速く動かす。
同時に扱える本数を増やす。
そうした技術は、これまでにも積み重ねてきた。
けれど、それだけでは戦い方そのものが広がらない。
だから最近は、髪以外の魔法にも目を向けていた。
身体強化もその一つだった。
魔力を身体へ巡らせ、筋力や反応速度を一時的に引き上げる。単純な魔法ではあるものの、魔力の流れを少し変えるだけで身体への負担が変わるため、実際に使いこなすには細かな調整が必要だった。
それでも、髪の操作で培ってきた魔力制御は思った以上に役立った。
以前なら魔力を全身へ均等に流そうとしていたところを、今では必要な場所へ必要なだけ回せる。
走るときは脚へ。
攻撃するときは腕へ。
避けるときは身体の中心へ。
ほんのわずかな差だったが、実際に動いてみると違いが分かる。
魔法は、強い魔力を持っているだけでは足りない。
どう使うかのほうが重要な場面も多い。
そのことを、三級試験を受けてから改めて実感していた。
そんな日々を送っているうちに、聖都へ来てからの時間もかなり長くなっていた。
資料室の職員にも顔を覚えられ、訓練場の管理をしている魔法使いとも自然に言葉を交わすようになった。以前なら、知らない人間と必要以上に話すことは避けていたかもしれないが、魔法使い同士の会話には知らない知識が混ざっていることも多い。
だから、聞けるものは聞くようになった。
ある日も、訓練を終えて資料室へ向かっていると、廊下の掲示板に貼られた紙が目に入った。
協会所属の魔法使いが地方へ向かう際の護衛募集。
簡単な魔法道具の調査。
街道周辺で発生した魔力異常の確認。
三級魔法使いでも参加できる仕事がいくつか並んでいる。
紙を眺めたあと、そのまま通り過ぎた。
仕事を探していたわけではない。
ただ、以前よりも自分が関われることが増えたのだと分かっただけで十分だった。
研究だけを続ける生活も悪くない。
けれど、実際に外へ出なければ分からないこともある。
そう考えるようになったのは、三級試験を経験したからかもしれない。
そんなことを考えていた数日後、迎えに来た家族と一緒に聖都を離れることになった。
理由は単純だった。
屋敷へ一度戻るためだ。
長期間聖都に滞在していたこともあり、必要な荷物を入れ替える必要があったし、家族からも一度戻ってこないかと声をかけられていた。
少し環境を変えるのは悪くないと思っていた。
研究ばかりしていると、気づかないうちに視野が狭くなる。
屋敷へ戻るまでの道中にも、何か得られるものがあるかもしれない。
そう考えて馬車に乗った。
聖都を離れて数日。
街道沿いの小さな町へ立ち寄ったときのことだった。
昼食を取るために立ち寄った店の前で、何人かの人間が集まっている。
どうやら揉め事が起きているらしい。
「だから、これ以上は無理なんだって!」
「そんなこと言われても困るんですよ!」
声を聞きながら近づくと、店の前で若い女性と中年の男性が言い争っていた。
何があったのか気になって眺めていると、こちらに気づいた女性が目を向ける。
「魔法使いの方ですか?」
「そうだけど」
「お願いがあります!」
突然だった。
少しだけ眉を寄せる。
「何?」
「店の裏にある倉庫の扉が開かなくなってしまって……。魔法で固められているみたいなんです」
男性が横から口を挟む。
「昨日から開かないんだ。鍵を壊すわけにもいかないし、誰か魔法使いに頼めないかと思っていたところでな」
「魔法で固められてる?」
「たぶん、そうです」
店の裏へ回った。
倉庫の扉を見る。
普通の木製の扉だったが、確かに魔力が残っている。
ただ、妙な感じがした。
敵意のある魔法ではない。
扉を壊さないように固定するための魔法に近い。
扉へ手を触れる。
魔力の流れを探る。
術式そのものは単純だった。
ただ、発動条件が少し変わっている。
「これ、閉めるための魔法じゃない」
「え?」
「何かを固定するために使ったんだと思う」
「じゃあ、開けられますか?」
「たぶん」
魔力を流した。
術式の構造を確認し、固定されている部分だけを外していく。
無理に壊す必要はない。
術式が何をしているのか分かれば、その逆をすればいい。
しばらくして、扉から魔力が抜けた。
手を離す。
「開けてみて」
男性が恐る恐る取っ手を引いた。
今度は簡単に開いた。
「おお……」
「助かりました!」
女性が嬉しそうに頭を下げる。
「大したことじゃない」
「それでも助かったんです。本当にありがとうございます」
そこで、倉庫の中へ視線を向けた。
大量の道具が置かれている。
布。
櫛。
鋏。
瓶。
それから、髪を整えるための道具らしきものがいくつも並んでいた。
「何の店?」
「私たちは髪を整える仕事をしています」
女性が答える。
「この町では、祖母の代からずっと美容師をしているんです。昔から魔法を使って髪を整える家系でして」
「魔法で?」
「はい」
女性は少し嬉しそうに頷いた。
「髪を乾かしたり、絡まりを解いたり、傷んだ部分を整えたり……普通の道具だけでは難しいことを、魔法で補助するんです」
その言葉を聞いて、倉庫の中をもう一度見た。
髪。
魔法。
整える。
どれも自分に関係がある。
「どんな魔法?」
「簡単なものですよ。代々受け継いできた魔法で、髪を整えたり、まとまりやすくしたりするものです」
「本は?」
「本?」
「その魔法が書いてある本」
女性は少し驚いた顔をした。
「ありますけど……」
「見たい」
「そんなに興味があるんですか?」
「うん」
女性は困ったように笑った。
「少し変わった魔法ですよ?」
「だから見たい」
そう言うと、女性は倉庫の奥へ入っていった。
しばらくして戻ってきた手には、古びた一冊の本があった。
「これです」
表紙には何も書かれていない。
かなり古い本らしく、端の部分は擦れていた。
受け取ってページを開く。
最初に書かれていたのは、髪を乾かすための魔法。
次は絡まった髪を解く魔法。
その次は、髪の流れを整える魔法。
さらに、髪の傷んだ部分を見つけやすくする魔法まである。
どれも戦闘には使えない。
少なくとも、直接的な攻撃力はない。
でも――。
面白い。
ページをめくる手を止めなかった。
髪を対象とした魔法。
これまで研究してきたのは、髪を武器や魔力の媒体として扱う方法だった。
けれど、この本に書かれている魔法は逆だった。
髪そのものを理解し、その性質に合わせて魔法を使っている。
髪を硬くする。
髪を動かす。
髪へ魔力を蓄える。
そうした研究とは方向が違う。
だからこそ、参考になる。
「この本、譲ってもらえる?」
「え?」
「お金なら払う」
「いえ、お金はいいです」
女性は少し考えてから、本をこちらへ差し出した。
「もしよければ、持っていってください」
「いいの?」
「ええ。実はもう、私たちも全部は使っていないんです。昔の魔法を記録しただけの本ですし、あなたがそんなに興味を持ってくれるなら、そのほうが祖母も喜ぶと思います」
「ありがとう」
本を受け取る。
薄い本だった。
内容も、戦闘魔法の研究書と比べれば簡単なものが多い。
それでも、価値はある。
これまで知らなかった、髪に対する魔法の考え方が詰まっている。
特に気になったのは、髪の状態を魔力で読み取る方法だった。
一本一本の状態を細かく調べる。
どこが傷んでいるのか。
どこに余計な魔力が残っているのか。
どこへ魔力を流せば髪全体の状態が整うのか。
その考え方は、戦闘用の魔法へ応用できる可能性がある。
髪は長い。
しかも、一本一本へ魔力を通している。
なら、髪の状態を正確に把握できれば、魔法の効率も上げられる。
「……これ、研究に使える」
「研究?」
「うん」
女性は不思議そうな顔をした。
「美容の魔法がですか?」
「髪を使う魔法を研究してるから」
「なるほど……」
納得したような、していないような表情だった。
でも、それ以上は聞いてこなかった。
「本当にありがとうございました」
「こっちこそ」
本を抱える。
こうして、三級魔法使いになってから初めて手に入れた新しい魔法書は、思いがけない場所からやってきた。
帰りの馬車の中で、早速その本を開いた。
最初から読み直す。
髪を整える魔法。
絡まりを解く魔法。
髪を乾かす魔法。
髪の状態を見る魔法。
どれも単純だ。
でも、単純だからこそ術式が分かりやすい。
途中から、自分の髪を一本だけ指先へ取った。
魔力を流す。
本に書かれていた術式を組み立てる。
髪の状態を読み取る。
……分かる。
自分では見えない部分まで、魔力を通して感覚的に把握できる。
髪の根元。
途中。
先端。
それぞれの状態が少しずつ違う。
「これは使えるな」
思わず呟いた。
今まで、髪を一本ずつ武器として扱うことばかり考えていた。
けれど、武器として使うなら、その状態を管理する必要がある。
傷んだ髪は切れ味が落ちる。
魔力の通りが悪ければ術式の効率も下がる。
なら、戦闘前に髪の状態を確認できればいい。
さらに、傷んだ部分を整えることができれば、長期間髪を伸ばし続けても性能を維持できる。
何より、この魔法なら日常的にも使える。
毎朝、使用人に時間をかけて髪を整えてもらう必要もなくなるかもしれない。
そこまで考えて、古い本を少しだけ見つめた。
戦闘とは関係のない魔法だ。
それでも、こういう魔法を知っておくのは悪くない。
魔法というものは、戦うためだけにあるわけではない。
原作でも、魔法にはくだらないものから実用的なものまでいくらでも存在していた。
むしろ、こうした一見すると役に立たなそうな魔法の中に、思わぬ使い道があるのかもしれない。
本を閉じた。
聖都へ戻ったら、まずこの魔法を研究してみよう。
それから、自分の髪へどこまで応用できるのかを試す。
攻撃魔法を強くすることも必要だ。
身体強化も必要だ。
けれど、それだけではない。
こういう小さな魔法を一つずつ集めていけば、いつか大きな差になるかもしれない。
馬車の窓から外を見る。
夕暮れの街道を、馬車がゆっくりと進んでいる。
足元まで伸びた髪が揺れる。
その一本を指先で持ち上げた。
そして、さっき覚えたばかりの魔法を使う。
絡まりを解く魔法。
魔力が髪を通り、絡んでいた部分が自然にほどけていく。
簡単だった。
けれど、便利だ。
「……これ、かなり使えるな」
今まで髪の手入れにかかっていた時間を考えれば、それだけでも十分な価値がある。
それに、この術式を研究すれば、髪へ魔力を通すときの抵抗を減らす方法も見つかるかもしれない。
そうなれば、戦闘用の術式にも応用できる。
また研究することが増えた。
それが少しだけ嬉しかった。
三級魔法使いになってから、目標は変わっていない。
一級魔法使いになる。
その先に、原作で知っている未来がある。
ただ、その未来へ進むために必要なのは、強い魔法を覚えることだけではないらしい。
知らない魔法を知る。
知らない人間と出会う。
自分とは違う魔法の使い方を見る。
そうした経験も、きっと無駄にはならない。
膝の上に置いた古い魔法書へ目を落とした。
戦うための魔法ではない。
それでも、今日の自分にとっては十分に価値のある魔法だった。
聖都へ戻ったら、まずこの本を写しておこう。
そして、少しだけ改良する。
髪を整える魔法。
髪の状態を見る魔法。
髪の絡まりを解く魔法。
そこへ、これまで研究してきた術式を組み合わせれば、もっと便利なものが作れるかもしれない。
そう考えているうちに、馬車はゆっくりと夕暮れの街道を進んでいった。