TS憑依ゼンゼ 作:TS好き
屋敷から聖都シュトラールへ戻ると、まず手に入れた魔法書の内容を一通り写すことにした。
原本そのものを持っているとはいえ、古い本だけに紙はかなり傷んでいるし、何度も開いているうちに綴じている部分が崩れる可能性もある。魔法の研究に使うなら、内容を別の紙へ移しておいたほうがいい。
机の上へ本を開き、術式を一つずつ書き写していく。
髪を乾かす魔法。
絡まりを解く魔法。
髪の流れを整える魔法。
髪の状態を調べる魔法。
どれも戦闘には関係がないように見えるが、術式そのものを見ていると、それぞれに共通している部分があることに気づいた。
髪へ魔力を流す。
髪の状態を読み取る。
必要な部分だけへ魔力を作用させる。
そして、変化させたあとに魔力を抜く。
無駄が少ない。
戦闘用の魔法と比べれば消費する魔力もごくわずかで、術式も驚くほど単純にまとめられている。
だからこそ、参考になる。
これまで髪へ使ってきた術式は、基本的に「強くする」「動かす」「魔力を蓄える」といった目的に合わせて組み立てていた。そのため、髪そのものを細かく調整するという発想はあまりなかった。
けれど、この魔法書は違う。
髪を一つの素材として捉え、その状態を把握したうえで必要な処理だけを行っている。
なら、これを戦闘用の術式へ取り入れることができるかもしれない。
例えば、髪を硬化させるときに全体へ同じだけ魔力を流すのではなく、状態を確認して必要な部分だけ強化する。
傷んでいる部分があれば、そこへ余計な負荷をかけない。
魔力の通りが悪い部分には流し方を変える。
そうすれば、同じ魔力量でも今までより効率よく髪を強化できる可能性がある。
新しい紙を取り出し、思いついたことを書き留めていく。
研究することは増えた。
ただ、それで困ることはない。
むしろ、やることがなくなるほうが困る。
その日のうちに簡単な実験まで終え、翌日には協会の訓練施設へ向かった。
いつものように広い訓練場へ入り、足元まで伸びた髪を背中からゆっくりと広げる。
以前なら、髪を傷めないように動かすだけでも少し気を使っていたが、今では状態を確認しながら魔力を流せる。
一本。
次に二本。
さらに十本。
それぞれの髪へ魔力を通し、状態を確認する。
魔力の通りが悪いところはない。
絡まりもない。
傷んでいる部分もほとんどない。
なら、強化する。
髪へ魔力を流し、硬度を上げる。
木製の標的へ向かって伸ばす。
先端が深く突き刺さった。
以前と比べて、ほんの少しだけ抵抗が減っている。
髪を引き戻し、もう一度同じことを試した。
今度は魔力の量を少し減らす。
それでも、先ほどとほとんど変わらない結果が出た。
「……使える」
大きな変化ではない。
けれど、こういう小さな差が積み重なれば、長い目で見たときにはかなり違ってくる。
その日の訓練は、髪の状態を確認しながら魔法を使う練習へ切り替えた。
攻撃する。
状態を確認する。
魔力を調整する。
再び攻撃する。
単純な繰り返しだったが、以前よりも魔力の無駄が少なくなっていくのが分かった。
その訓練を続けていたある日のことだった。
訓練場を出ようとしたところで、協会の職員から声をかけられた。
「ゼンゼさん、少しよろしいですか?」
「何?」
「三級魔法使いとして、協会から依頼を受けてみる気はありませんか?」
足を止める。
以前にも掲示板でいくつか仕事を見かけていたが、自分から受けようとはしていなかった。
研究を優先していたからだ。
「どんな仕事?」
「街道沿いの小さな村から依頼が来ています。井戸の水に妙な濁りが出るようになったらしく、簡単な調査をお願いしたいそうです」
「魔物?」
「今のところ、その可能性は低いと考えられています。周辺の魔力反応にも異常はないようです。ただ、原因が分からないので、魔法使いに確認してほしいとのことです」
戦闘になる可能性は低そうだった。
それなら問題ない。
むしろ、実際の現場を見る機会としては悪くない。
「受ける」
「ありがとうございます。それでは詳しい資料を――」
職員から依頼書を受け取る。
村の名前。
場所。
依頼内容。
最後に、報酬。
金額は大したものではない。
けれど、今回の目的は金ではない。
実際の魔法使いがどんな仕事をしているのか知ることができる。
それだけでも十分だった。
数日後。
協会から用意された馬車に乗り、依頼先の村へ向かっていた。
聖都を離れるのは久しぶりだった。
窓の外を流れていく景色を眺めながら、依頼書をもう一度読み返す。
井戸の水が濁るようになったのは十日ほど前。
雨は少なく、近くで工事なども行われていない。
魔力反応に異常なし。
村人の話では、味や匂いにも大きな変化はないらしい。
魔法による汚染というより、何か別の原因がある可能性が高そうだった。
村へ到着すると、村長らしい男性が出迎えてくれた。
「協会から来てくださった魔法使いの方ですか?」
「そう」
「ありがとうございます。本当に助かります」
簡単に挨拶を交わしたあと、すぐに井戸へ案内される。
石造りの井戸だった。
縁へ近づき、中を覗き込む。
水面は少し濁っている。
魔力を流す。
水そのものに魔力が溜まっているわけではない。
周囲の地面にも大きな異常はない。
なら、井戸そのものではなく、水が流れ込んでいる場所に原因がある。
「少し周りを見てくる」
「分かりました。ただ、森の近くにはあまり――」
「危ない?」
「最近、夜になると妙な音が聞こえるんです」
村長を見る。
「どんな音?」
「木を叩くような音です。一定の間隔で、ずっと続くんですよ」
「分かった」
それなら、ついでに見ておこう。
村の外へ出る。
足元まで伸びた髪をまとめ、必要以上に地面へ触れないよう魔力で軽く持ち上げる。
探知の術式を使う。
周囲へ広がった髪から、地面や木々の魔力を拾っていく。
しばらく歩いていると、微かな違和感を感じた。
魔力そのものではない。
地面の下に、何か空洞がある。
立ち止まり、髪の一本を地面へ伸ばした。
先端から探知の魔法を流す。
土の下へ魔力が入り、内部の形が少しずつ分かってくる。
空洞。
しかも、井戸へ向かって伸びている。
「これか」
地面へ手を置き、周囲を調べる。
少し離れた場所で、地面がわずかに沈んでいた。
そこを掘る代わりに、髪を数本地面へ差し込む。
土を押し分け、内部の状態を探る。
すると、地下を流れる細い水路が見つかった。
水路の一部が崩れている。
その土が水へ混ざり、村の井戸へ流れ込んでいるらしい。
魔法が原因ではなかった。
単純な地盤の問題だ。
村へ戻って事情を説明すると、村人たちは驚いていた。
「魔法じゃなかったんですか?」
「うん。地下の水路が崩れてる」
「では、どうすれば……」
「そこを直せばいい」
示した場所を確認し、村人たちは土木作業の準備を始めた。
原因を見つけただけで、修理そのものは村人たちに任せる。
魔法使いだからといって、何でも魔法で解決する必要はない。
むしろ、魔法を使わないほうが簡単なこともある。
修理が始まるまでの間、村の中を歩いていた。
すると、道端に座っていた老婆がこちらを見ていることに気づいた。
「お嬢ちゃん、魔法使いかい?」
「そう」
「髪がずいぶん長いねぇ」
「よく言われる」
老婆は髪を眺めたあと、少し笑った。
「その長さじゃ、手入れも大変だろう」
「最近は魔法を使ってる」
「ほう」
少しだけ髪を持ち上げる。
「絡まりを解く魔法とか」
「そんなものまであるのかい」
「ある」
そう答えると、老婆は面白そうに笑った。
「魔法ってのは便利だねぇ」
「便利だよ」
それだけ話して、その場を離れた。
依頼そのものは、その日のうちに終わった。
協会へ報告書を提出すると、担当者は内容を確認してから頷いた。
「なるほど。魔力異常ではなく、地下水路の崩落ですか」
「うん」
「探知魔法をかなり細かく使ったようですね」
「必要だったから」
「三級になったばかりとは思えないほど、実地での判断が落ち着いていますね」
そう言われても、特に返す言葉はなかった。
分かる範囲を調べただけだ。
ただ、今回の依頼で一つ分かったことがある。
実戦や訓練場だけでは得られない経験がある。
現場では、魔物と戦うことよりも、何が起きているのかを調べることのほうが重要な場合もある。
探知。
観察。
状況判断。
必要なら、戦わずに解決する。
こうした能力も、魔法使いとして活動するなら必要になる。
その日から、協会の依頼を時々受けるようになった。
毎回遠くへ行くわけではない。
魔法道具の状態を確認したり、結界の一部を調べたり、街道周辺の魔力反応を確認したりと、内容は様々だった。
戦闘になることもあったが、ほとんどは短時間で終わる。
だから、研究の時間を大きく削られることもなかった。
むしろ、外へ出るたびに新しい発見があった。
村によって使われている魔法が違う。
同じような結界でも術式の組み方が違う。
魔法使いによって魔力の扱い方も違う。
それらを見ていると、協会の資料室で本を読むだけでは分からないことが少しずつ見えてくる。
依頼を終えるたびに、覚えている範囲で記録を残した。
その中には、髪とは関係のない魔法も多かった。
けれど、それでいい。
これまで、髪を強くすることばかり考えていた。
今は少し違う。
髪を中心にした戦い方は変えない。
ただ、その周りに使えるものを増やしていく。
探知魔法。
身体強化。
防御魔法。
補助魔法。
そして、日常で使える小さな魔法。
それらを一つずつ身につけていけばいい。
そうして何度か依頼をこなした頃、一冊の新しい記録帳を作った。
表紙には簡単に名前を書いた。
――使える魔法。
その中へ、今まで覚えた魔法を一つずつ書いていく。
髪に関する魔法。
身体を強化する魔法。
周囲を探る魔法。
簡単な結界。
いくつかの攻撃魔法。
防御用の魔法。
まだ多くはない。
けれど、最初の頃と比べればかなり増えている。
ページの最後に、一つだけ書き加えた。
――魔法は、強いものだけを覚える必要はない。
書き終えてから、その言葉をしばらく眺める。
原作を知っているからこそ、強力な魔法へ目が向きやすい。
けれど、この世界には名前すら知らない魔法がいくらでもある。
それなら、焦る必要はない。
知らないものを見つけたら覚える。
使えそうなら試す。
必要なければ、そのまま覚えておくだけでもいい。
そうやって魔法を増やしていけばいい。
窓の外を見る。
聖都の街並みは、もうすっかり見慣れていた。
三級魔法使いになってから、生活は少し変わった。
けれど、目指している場所は変わらない。
まだ一級には遠い。
そのために必要な経験も、実力も足りない。
だから、今はただ積み重ねる。
研究を続け、依頼を受け、知らない魔法を覚え、必要なものを自分の戦い方へ取り入れていく。
その先で、いつか一級魔法使いを目指す。
記録帳を閉じた。
明日も依頼が入っている。
今度は、少し遠い町らしい。
どんな魔法使いと出会うのか。
どんな魔法を知ることになるのか。
まだ分からない。
ただ、知らないものを知る機会があるなら、断る理由はなかった。