TS憑依ゼンゼ 作:TS好き
翌日から、魔法の授業の内容が少し変わった。昨日の結果を受けて魔法教師が基礎訓練の量を増やしたらしく、朝食を終えて書斎へ向かうと、机の上には昨日より多くの教材が並べられており、魔力操作の練習用らしい小さな魔道具まで用意されていた。
「今日は少し難しいことをしてみましょう」
教師がそう言いながら魔道具を机の中央へ置く。
「これ、何?」
「魔力を一定量だけ流し続けるための道具です。力を入れすぎれば壊れますし、弱すぎれば反応しません。まずは一定の出力を保ってください」
なるほど、と思う。要するに魔力操作の精度を見るための道具らしい。原作で似たような訓練をしていたかどうかは覚えていないが、そもそもゼンゼの幼少期なんてほとんど描かれていないのだから、ここから先については原作知識に頼るより、自分で試していくしかない。
魔道具へ手を置き、昨日覚えた感覚を思い出しながら魔力を流していく。最初は少し強くなってしまったので弱め、今度は逆に弱くなりすぎたので少し戻し、そこから細かく調整を続けると、魔道具の光が一定の明るさで落ち着いた。
しばらくその状態を維持してから、手を離す。
「できてた?」
「はい」
「じゃあ次は?」
そう尋ねると、教師は少し困ったような顔をした。今日の予定では、この訓練を何度か繰り返して魔力の出力を安定させるつもりだったのだろう。
「次……ですか」
「うん」
「本来なら、今日はこれを何度か繰り返す予定だったのですが」
「もう分かったからいい」
教師の眉がわずかに動いた。
「……分かった、とは?」
「魔力を一定にすればいいんでしょ?」
「そうですが」
「じゃあできる」
実際にできる。難しくはない。魔力そのものを細かく動かすには多少の慣れが必要だが、感覚さえ掴んでしまえば調整できるし、何よりこちらには未来のゼンゼについての知識がある。漫画やアニメで魔法を使っている姿を何度も見てきたせいか、どういう方向へ魔力を動かせばいいのかというイメージが普通の子供より作りやすい。
教師はしばらく黙っていたが、やがて別の魔道具を取り出した。
「では、こちらを試してみましょう」
今度のものは先ほどより少し大きい。
「何?」
「魔力の流れを可視化する道具です。操作の精度だけではなく、どれだけ魔力を無駄なく扱えているかも確認できます」
「へえ」
面白そうだったので、素直に手を置く。魔力を流すと魔道具の内部へ細い光が走り、複雑に絡み合うように見えた光が、やがて一本の流れへまとまっていく。
教師が黙ってそれを見つめている。
「……ほとんど無駄がありませんね」
「そう?」
「はい。昨日よりも明らかに精度が上がっています」
昨日より上がったのは当然だ。昨日覚えたばかりなのだから、少し練習すれば上達する。少なくとも自分にとってはそれくらいの感覚だったが、わざわざ口にするとまた妙なことになりそうなので黙っておく。
教師は魔道具を見つめたまま、しばらく考え込んでいたが、やがてこちらへ顔を向けた。
「ゼンゼ様は、昨日の授業が終わってから何か練習されましたか?」
「した」
「何を?」
「魔力操作」
「どのくらいでしょうか?」
「寝る前まで」
教師の顔が固まった。
そんなに驚くことかと思う。魔法を覚えたばかりなら、普通はもう少し練習したくなるものじゃないのか。少なくとも自分はそうだったし、昨日の夜には魔力操作の練習だけでなく、髪へ魔力を通した場合にどうなるのかまで試していたから、実際にはかなり遅い時間まで色々と試していたことになる。
「……そうですか」
教師は何かを諦めたように息を吐いた。
「では、今日は次へ進みましょう」
「分かった」
そこから始まったのは、魔力を身体の一部へ集める訓練だった。指先、腕、肩、足と順番に魔力を流し、それぞれ一定時間維持する。昨日の訓練よりは難しいらしいが、実際にやってみると、それほど苦労することもなかった。身体の中を流れる魔力を意識しながら一か所へ集め、維持したまま別の場所へ移すという作業を繰り返していく。
教師から指示されるたびにその通り動かしていると、やがて教師が腕を組んだままこちらを見つめた。
「……不思議ですね」
「何が?」
「ゼンゼ様は、魔力を扱うときにほとんど迷いがありません」
「そう?」
「はい。普通は、自分の中にある魔力をどのように動かせばいいのか考えながら操作するものです。ですが、ゼンゼ様の場合は、最初から魔力の動かし方を知っているように見えます」
ギクリとした。
これは少しまずい。
原作知識を持っていることは誰にも言えないし、そもそも漫画やアニメを見ていたから魔力操作が上手くできるなんて説明したところで信じてもらえるはずもない。
「感覚でやってるだけ」
そう答えると、教師はしばらくこちらを見ていた。
「感覚、ですか」
「うん」
「……なるほど」
絶対に納得していない。
ただ、それ以上追及されなかったのは助かった。
その後も授業は順調に進み、魔力操作から魔力の集中、簡単な身体強化、そして魔法の基本構造へと内容が広がっていった。知識として知っているものも多かったが、実際に自分の身体で魔法を扱うとなると話は別で、術式を組み立てて魔力を流し、最後にイメージを固定するという一連の作業は、原作を読んでいるだけでは身につかない。ここについては実際に何度も練習する必要がある。
だからこそ、専門家から教えてもらえる環境はありがたかった。
この世界で生きていくなら、魔法は間違いなく重要な武器になる。魔物や魔族が普通に存在する世界なのだから、最低限自分の身を守れる程度には強くなっておきたいし、できることなら将来的に一級魔法使いになるゼンゼ以上の力を持っておきたい。
そんなことを考えているうちに授業の時間が終わった。
「今日はここまでにしましょう」
「もう終わり?」
「はい」
「まだできるけど」
「……それは分かっています」
教師は少し疲れた顔をしている。
どうやら相当困らせてしまったらしい。こちらとしては別に嫌がらせをしているわけでもなく、単純にまだ練習できると思ったから言っただけなのだが、教師からすれば予定していた授業を全部消化する前に次々と先へ進める必要が出てきているのだから、疲れるのも当然かもしれない。
「明日は?」
「明日は簡単な攻撃魔法を教えます」
「分かった」
それだけ答えて立ち上がる。
書斎を出て廊下へ向かうと、使用人が待っていた。
「お疲れ様でした、ゼンゼ様」
「うん」
そのまま部屋へ戻る。途中ですれ違う使用人たちは皆こちらへ軽く頭を下げるので、最初こそ少し違和感があったものの、最近ではもう気にならなくなっていた。
部屋へ戻り、扉を閉める。
今日は誰も来ない。
なら、やることは一つだ。
髪の研究をする。
椅子へ座り、背中から流れている長い髪を前へ持ってくる。一本を指でつまみ、昨日と同じように魔力を流していくと、昨日よりもはっきりとした変化が感じられた。
髪が少し硬くなっている。
魔力操作そのものが上達しているのだろう。
なら、もう少し試してみる。
髪一本へ流す魔力を少しずつ増やしていく。急激に増やせば髪がどうなるのか分からないので、慎重に調整しながら魔力を込めていくと、指先へ伝わる感触が少しずつ変わっていった。さらに魔力を込めたところで、妙な感覚があった。
髪が硬くなっただけではない。
流した魔力が、そのまま髪の中へ残っている。
そこで魔力を止めてみる。
硬さは変わらない。
なるほど。
これなら、常に魔力を流し続けなくても、ある程度の強化状態を維持できるらしい。
これは使える。
原作のゼンゼも髪へ魔法を掛けているのだから、考え方そのものはそこまで間違っていないはずだ。ただ、こちらは幼い頃から試せる。なら、今のうちに色々と試しておいたほうがいい。
今度は一本だけではなく、複数の髪へ同時に魔力を流してみる。
十本程度なら、何とかなる。
ただし、一本ずつ意識していると集中力の消耗が大きい。五本、六本、七本と増やしていったところで、それ以上は意識が追いつかなくなり、髪から魔力が抜けていった。
同時に扱える数には限界があるらしい。
でも、これなら練習すれば増やせそうだ。
次は発想を変えて、髪を束ねてから魔力を流してみる。一本ずつではなく、一つの塊として扱えばかなり簡単に魔力を行き渡らせることができた。ただ、そのぶん一本一本を細かく強化した場合より効果は弱い。
当然といえば当然だ。
細かく制御したほうが強いなら、攻撃するときは髪を細かく分け、防御するときは全体をまとめて強化すればいい。使い方次第では、それなりに便利な武器になりそうだった。
そんなことを考えながら試していると、扉が叩かれた。
慌てて魔力を止める。
「ゼンゼ、入っていい?」
家族の声だ。
「どうぞ」
扉が開き、入ってきた人物はこちらを見るなり、少し不思議そうな顔をした。
「何してるの?」
「髪」
「……髪?」
「魔力を通してる」
普通に答えると、相手は黙ったままこちらの髪を見る。
「魔力を?」
「うん」
「髪に?」
「うん」
しばらくしてから、ようやく視線がこちらへ戻ってきた。
「……何のために?」
「強くするため」
それ以外に何があるんだ、と思う。
未来では実際に武器として使っているのだから、今から強化しておいて何も問題はないはずだ。
「そんなことを考えていたのか」
「うん」
相手は少し困ったように笑った。
「ゼンゼは本当に変わった子だな」
まあ、そうだろう。
中身が別人なのだから当然だ。
ただ、そんなことを言えるはずもない。
「そう?」
「そうだよ」
それだけ言うと、相手は部屋を出ていった。
……まあ、いいか。
気にせず髪の研究を続ける。
その日の夜には、昨日よりも魔力を扱う精度が上がっていたし、髪へ魔力を残す方法についても多少の感覚を掴めていた。
そして翌日、魔法教師が屋敷へやってくると、こちらを見るなりすぐに気付いた。
「ゼンゼ様、髪に何かしましたね?」
「分かる?」
「分かります」
教師は真剣な顔でこちらの髪を観察している。
「魔力の痕跡が残っています。しかも、ただ魔力を流しただけではありませんね」
「強化した」
「……やはり」
教師は何か納得したように頷いた。
「どうやって?」
「魔力を流しただけ」
「それだけですか?」
「うん」
教師が額へ手を当てる。
またこの反応だ。
何がそんなにおかしいのか、こちらにはよく分からない。
「ゼンゼ様」
「何?」
「昨日、髪へ魔力を通したことについては、誰かに教わりましたか?」
「教わってない」
「では、なぜ?」
「必要だと思ったから」
教師は黙った。
少ししてから、ゆっくり息を吐く。
「……なるほど」
何がなるほどなのかは分からないが、それ以上聞かれなかったので気にしないことにした。
ただ、その日から教師の態度は少し変わった。
今までは魔力操作や魔法の基礎を教えることが中心だったのに、魔法理論について以前より詳しく説明するようになった。魔力の性質、魔法の構築、魔法を物質へ付与する方法、魔力を長時間維持する方法など、こちらが興味を示したものについてはかなり細かく教えてくれる。
ありがたい。
特に付与魔法については、髪の強化に直結する。だったら覚えるしかない。
授業が終わったあとも、気になったことを質問する。
「髪に魔法を掛ける場合、どうすればもっと強くできる?」
「それは……」
教師は少し考えてから答えた。
「対象となる物質そのものの性質を理解する必要があります。髪なら、柔軟性を維持しながら硬度を高める必要があるでしょう」
「なるほど」
「また、魔力を一方向へ流すのではなく、内部へ均等に行き渡らせることも重要です」
覚えておこう。
その日の夜、教わったことを試してみる。髪の一本を手に取り、魔力を流す。ただ強くすることだけを考えるのではなく、髪の内部へ均等に魔力を行き渡らせることを意識すると、昨日までとは明らかに感触が違った。
硬い。
指で触っても、普通の髪とは思えないほどしっかりしている。それでも、まだまだ足りない。これで岩を切れるわけでもなければ、防御魔法を破れるわけでもない。未来のゼンゼはもっと強いのだから、ここから先は長い時間をかけて鍛えていく必要がある。
少しずつでいい。
毎日続けて、何年もかけて強くすればいい。
そう考えると、幼少期から始められるというのはかなり大きなアドバンテージだった。原作の未来を知っている以上、ゼンゼがどんな魔法使いになるのかも、その強さがどの程度なのかも分かっている。なら、その未来を一つの目標にすればいい。
ただし、同じ未来になる必要はない。
もっと強くなれるなら、そちらを目指す。もっと便利な魔法があるなら覚える。危険を避けられるなら避ける。原作を知っているからといって、わざわざ原作と同じ道を歩く必要なんてない。
それが今の自分にとって、一番大きな強みだった。
そんな生活が数日続くと、屋敷の中でも少しずつ噂が広がり始めた。
ゼンゼ様は一日中、魔法のことを考えているらしい。
誰に言われるでもなく、自分で髪へ魔法を掛けているらしい。
魔法教師が教えたばかりの技術を、その日のうちに自分なりに改良しているらしい。
家族の間でも似たような話がされるようになった。
――あの子には、やはり特別な才能がある。
――将来はきっと大魔法使いになる。
――ゼーリエ様の目に留まるかもしれない。
そんな期待が少しずつ膨らんでいく一方で、当の本人はそのことをまったく知らない。部屋の中で髪を弄りながら、もっと効率よく魔力を通せないか、髪を魔法の杖みたいな媒体として使えないか、攻撃や防御だけでなく探知や拘束にも利用できないか、といったことを好き勝手に考えているだけだった。
その中で、一つだけ後になって大きな意味を持つ発想が生まれる。
髪を単なる武器として扱うのではなく、魔法そのものを発動するための媒体として利用する。
原作のゼンゼが使っている髪魔法とは少し違う方向性だが、まだ幼い今の段階では具体的な形すら決まっていない。それでも、髪を伸ばして操るだけではなく、髪そのものへ魔法を組み込み、そこから別の魔法を発動できるようになれば、戦い方の幅はかなり広がるはずだった。
もっとも、その可能性を最初に思いついた本人は、それを特別な発見だとは考えていない。
使えそうだから試してみる。
ただ、それだけだった。
だからこそ、後になって周囲がこの研究の存在を知ったとき、勘違いはさらに酷くなる。
幼いゼンゼは、自分の才能を誇示しない。褒められても特に喜ばないし、誰かに見せるために鍛錬しているわけでもない。ただ、自分が必要だと思ったことを黙々と続けている。
それを見た人間たちは、勝手に意味を付け加えていく。
慢心しない。
才能をひけらかさない。
幼い頃から自分の限界を理解し、それを超えるために鍛錬を続けている。
そう解釈されていった。
実際には、本人はそんな大層なことなど考えていない。
ただ、死にたくないから強くなろうとしているだけであり、せっかく知識があるのだから利用できるものは全部利用しておこう、と考えているだけだ。
そして、そんな本人の知らないところで、屋敷の中では少しずつ一つの呼び方が定着していった。
――天才。
幼いゼンゼに向けられるその評価は、本人の意思とは関係なく、少しずつ大きくなっていった。