TS憑依ゼンゼ 作:TS好き
それからしばらくの間、屋敷ではゼンゼの話をする人間が増えた。
本人が何か派手なことをしたというより、周囲が勝手に話を膨らませていった結果だった。魔法の授業では、一度教えたことを翌日には当然のように使っているし、髪へ魔力を通す方法も、誰かに教わったわけではなく自分で試して形にしたうえ、失敗しても騒がず、黙々と別のやり方を探している。そういう話だけを並べれば、確かに天才らしく聞こえるのだろう。
実際には、未来の自分が何をしているのか知っているから、ある程度の方向性が分かっているだけだった。
本人としては、むしろ楽をしているつもりだった。
未来を知っているなら、そこから逆算したほうが早い。魔法使いとして強くなるなら魔力操作は必要だし、髪を武器にするなら髪へ魔力を通す技術も必要になる。なら、幼いうちから鍛えればいい。それだけの、単純な話だ。
ところが、その単純な考え方が周囲からすると妙に異常だったらしい。
ある日の午後、魔法教師が屋敷へ来ると、いつもの書斎ではなく庭へ案内された。
「今日は外でやるんですか?」
「はい。ゼンゼ様の魔力操作もかなり安定してきましたので、そろそろ実際の魔法へ移ろうかと」
「分かった」
庭の中央には、いくつかの木製の的が置かれていた。どうやら攻撃魔法の練習用らしい。
原作を知っている身としては、いよいよ魔法使いらしくなってきたなと思う。
「まずは小さな魔法からです。威力を出す必要はありません。魔力を術式へ変換する感覚を覚えてください」
「うん」
教師は簡単な術式を見せてくれた。
魔力を集める。形を作る。発動する。
すると、小さな光が飛び、的へ当たる。
「同じようにやってみてください」
ゼンゼは頭の中で魔法の構造を整理した。なるほど、こういう感じか。魔力を集め、イメージを固定し、術式を組み、最後に発動させる。そう理解してから、教師の見本をなぞるように魔力を流した。
すると、小さな光が指先から飛び出し、的へ当たった。
成功。
「……」
教師が黙った。
「できた?」
「……はい」
「じゃあ次」
「少々お待ちください」
教師が妙に真剣な顔をしている。
「何?」
「もう一度、今の魔法を使ってください」
「分かった」
同じように発動する。
今度も成功した。
教師は的を見たまま、しばらく言葉を失っていた。
「……やはり」
「何が?」
「術式の構築が、最初からほとんど完成しています」
「そうなの?」
「はい」
教師は困ったように笑う。
「普通は、魔法を初めて使う場合、術式を維持するだけでもかなり苦労します。ですが、ゼンゼ様は魔力の流れに一切の無駄がありません」
「そう」
また褒められた。
別に悪い気はしないけれど、どう反応すればいいのか分からない。
「もう少し強くしていい?」
「……はい。ただし、出力には気を付けてください」
魔力を増やし、術式を維持したまま発動させる。
今度はさっきより大きな光が飛び、木製の的がわずかに揺れた。
教師は少し目を見開いた。
「今の出力で止めてください」
「分かった」
「それ以上はまだ危険です」
「そんなに?」
「はい」
なるほど。
この身体では、まだ魔力総量が少ないらしい。
まあ、それは当然か。子供なんだから、いくら才能があっても身体そのものの成長には限界がある。なら、今は基礎を積む時期だ。無理に強力な魔法を使う必要はない。
そう考えていると、教師がこちらを見ながら言った。
「ゼンゼ様」
「何?」
「魔法は、威力だけがすべてではありません」
「知ってる」
「……そうですか」
また微妙な顔をされた。
何でだ。こっちは普通に話しているだけなのに。
その日の授業は、基本的な攻撃魔法を何度か使って終わった。
部屋へ戻る途中、廊下で家族と会う。
「今日も魔法だったのか?」
「うん」
「どうだった?」
「普通」
「またそれか」
笑われる。
「先生から聞いたぞ。かなり上達が早いそうじゃないか」
「そうみたい」
「自分のことなのに他人事だな」
「そう?」
「そうだよ」
そんなことを言われても困る。
未来を知っている側からすれば、ゼンゼが魔法の才能を持っていることなんて最初から分かっている。今さら「私って天才なのかも」なんて思うほうがおかしい。
むしろ問題なのは、原作より強くなれるかどうかだ。
原作のゼンゼは一級魔法使いで、それだけでも十分すぎるほど強い。だが、この世界にはさらに上がいる。フリーレン、ゼーリエ、南の勇者、大魔族。そこまで考えると、今の実力なんてまだ子供のお遊びに過ぎない。
だから鍛える。
ただそれだけだ。
そんなことを考えながら歩いていると、家族が突然こちらを見た。
「ゼンゼ」
「何?」
「将来、何になりたい?」
難しい質問だった。
未来では一級魔法使いになる。それは知っている。けれど、今の自分がそれをそのまま口にしてしまえば、周囲が勝手に期待するかもしれない。
少し考えてから答える。
「強い魔法使い」
結局、それだけだった。
家族は少し驚いた顔をして、それから笑う。
「そうか」
何となく満足そうだった。
たぶん、「自分の力を高めることだけを考えている」とでも思われたのだろう。
実際は、死にたくないだけなのだが。
翌日から、魔法の授業に一つ新しい項目が加わった。
魔法理論だ。
教師が用意した本を読む。文字は普通に読める。異世界の言語なのに読めるのは、憑依した影響なのか、それとも元からゼンゼが知っていたのかは分からない。まあ、読めるなら問題ない。
本をめくる。
魔法の基礎理論。属性。術式。魔力の性質。魔法の歴史。
知識として知っていることも多いが、細かい部分までは分からない。むしろ、こうして学べるのはありがたかった。原作では描かれていない部分を知ることができるのだから、少し楽しくもある。
そこで教師へ質問してみる。
「魔法を物に固定することってできる?」
「できます」
「髪にも?」
「理論上は」
「どうやるの?」
教師は説明してくれた。
物質へ魔力を浸透させ、一定の術式を固定する。ただし、物質との相性がある。金属、木、布、石、それぞれ魔力の保持能力が違う。髪の場合は魔力を保持できるが、非常に不安定だから、普通は魔法の媒体として使わない。
なるほど。
なら、逆に研究する価値がある。
普通の魔法使いが使わないなら、自分だけの武器になる。
「試していい?」
「構いませんが、まずは私が見ているところで」
「分かった」
髪を一本切る。
教師が驚いた。
「ゼンゼ様、自分で髪を?」
「一本だけ」
切った髪を机の上へ置き、魔力を流して術式を固定する。ところが、これが思ったより難しい。髪が細いせいで魔力が逃げやすいし、何度やってもすぐに薄れてしまう。
一本目は失敗。
二本目も失敗。
三本目で、ようやく少しだけ残った。
「できた」
小さな魔力が髪の中に残っている。
教師が慎重に確認する。
「……本当に固定していますね」
「うん」
「ですが、これではすぐに消えてしまいます」
「なら、消えないようにする」
「それが難しいのです」
「じゃあ、考える」
髪を見ながら考える。
魔力を逃がさないようにするだけでは駄目だ。完全に閉じ込めてしまえば、今度は術式が動かなくなる。なら、閉じ込めるのではなく、循環させればいいのではないか。髪の中を魔力が回り続けるようにして、一本の中に小さな流れを作る。それなら、外部から魔力を送り続けなくても維持できるかもしれない。
試す。
失敗。
また失敗。
今度は少しだけ成功した。
髪の一本が淡く光る。
教師が目を見開いた。
「……」
「これなら?」
「……理論としては可能ですが」
「できた」
「はい」
教師は何とも言えない顔をしている。
たぶん、また「この子は何を考えているんだ」と思っているのだろう。
でも、自分としては普通に実験しているだけだ。
原作の知識があるからこそ、髪を武器にする方向性は最初から分かっている。なら、そこへ自分なりの改良を加えるだけでいい。
ただ、ここで一つ問題が出た。
髪に固定した術式は、魔力が少ないうちは維持できる。けれど、強くすると髪そのものが耐えられない。
つまり、魔法を強くするには、髪自体を強化する必要があるということだ。
最初から分かっていたことではある。なら、やるしかない。
髪の強化と魔法の固定。
この二つを同時に研究する。
毎日少しずつ、それを繰り返していく。
数週間が過ぎる頃には、一本の髪を普通の髪よりかなり硬くできるようになっていた。さらに、魔力を通すことで一時的に硬度を上げることもできるし、簡単な術式なら髪へ固定できる。
まだ武器として使えるほどではない。
けれど、確実に進歩している。
ある日、庭で試験をしていたときだった。
木製の的へ向かって、強化した髪を伸ばしてみる。狙いを定めて魔力を流すと、髪が一気に伸び、先端が的へ突き刺さった。木が少し削れる。
成功。
思わず口元が緩む。
これならいける。
まだ遅いし、威力も足りないし、射程も短い。だが、方向性は合っている。
教師が少し離れた場所で見ていた。
「……ゼンゼ様」
「何?」
「今の魔法は、いつ考えたのですか?」
「昨日」
「昨日……」
教師が頭を抱える。
まただ。最近、教師がよく頭を抱える。
そんなに変なことをしているつもりはないのだが。
教師はしばらく黙ってから、こちらを見た。
「ゼンゼ様は、将来どのような魔法使いになりたいのですか?」
「強い魔法使い」
「それだけですか?」
「うん」
即答する。
教師は何かを考えるように目を細めたあと、それ以上は聞かなかった。
ただ、その日の夜、教師はゼンゼの家族へ一つの報告をした。
この子は、普通の魔法使いとは違う。魔法を覚える速度が速いだけではない。自分で問題を見つけ、自分で方法を考え、失敗すれば別の方法を試す。教えられたことを覚えるのではなく、教えられていないことまで勝手に研究している。そして何より、本人にそれを特別なことだと思っている様子がない。
家族はその話を聞いて、少しだけ黙った。
「……ゼンゼは、何を考えているんでしょうね」
「私にも分かりません」
教師は苦笑した。
「ですが、あの子は間違いなく才能があります」
その言葉は、翌日には家族の中で確信へ変わっていた。
そして、さらに数日後。
屋敷へ一人の客が訪れた。
魔法使いだ。
その人物は、ゼンゼの魔力を確認するために招かれたらしい。本人は何も知らされていなかった。いつものように朝食を食べ、魔法の授業を受け、昼から髪の研究をしていただけだ。
だから、その日の夕方に家族から突然呼び出されたときも、何か新しい魔法の教材でも買ってもらえるのかと思っていた。
「ゼンゼ、少し話がある」
「何?」
「今日、客人が来ている」
「誰?」
「魔法使いだ」
「ふうん」
「お前に会いたいそうだ」
「なんで?」
家族が少し困ったように笑う。
「お前の才能に興味があるらしい」
……面倒なことになってきたな。
できれば、あまり目立ちたくない。
原作知識がある以上、自分が目立つことにメリットはあまりない。特に、幼少期から「天才魔法使い」として知られるのは、かなり面倒だ。
でも、断る理由もない。
「分かった」
そう答えて、客間へ向かう。
扉を開けると、そこには一人の魔法使いが座っていた。こちらを見ると、少し驚いたように目を見開く。
「この子が?」
「そうです」
「……本当に幼いな」
まあ、そうだろう。
今は子供だから。
魔法使いは立ち上がった。
「初めまして、ゼンゼ」
「初めまして」
「いくつかな?」
「分からない」
家族が少し驚いた顔をする。
しまった。
年齢くらい知っておけ、という話だったが、正確には本当に分からない。憑依した時点で年齢を教えられていないのだから、仕方がない。
「……そうか」
魔法使いは少し考えたあと、こちらを見た。
「では、魔法を見せてもらえるかな?」
「何を?」
「何でもいい」
なら、髪でいいか。
髪を一本持ち上げる。魔力を流し、強化し、伸ばして、目の前の木製の机へ向ける。寸前で止めると、客人は黙ったまま髪の先を見つめた。
「……」
魔法使いが静かに口を開く。
「これは……」
「髪」
「見れば分かる」
「そう」
会話が終わった。
客人はしばらく髪を見つめていたが、やがて小さく頷く。
「……面白い魔法だ」
「まだ弱いけど」
「自覚しているのか」
「うん」
今のままでは弱い。将来のゼンゼを知っているからこそ、それはよく分かる。岩を切れる程度まで鍛えないと意味がないし、防御魔法も破れるようにしなければならない。
ユーベル対策は……まあ、どうしようもない。
あれは相性が悪すぎる。
そもそも、「布や髪は切れるもの」という理屈で何でも切る相手に、髪を武器にして戦うのはどう考えても分が悪い。今のうちから別の対処法を考えておく必要があるだろう。
そんなことを考えていると、客人がこちらを見ていた。
「何を考えている?」
「ユーベルに会ったらどうしようかなって」
「……誰だ?」
しまった。
まだ生まれてすらいないかもしれない名前を、うっかり口に出してしまった。
「知らない」
「……?」
客人は不思議そうな顔をした。家族もこちらを見る。
まずい。
「思いついただけ」
それで押し通す。
幸い、客人は深く追及しなかった。
ただ、その後も色々と質問された。魔法について、髪について、将来について。そこでこちらは、できるだけ短く答えるようにした。
それが結果として、客人には別の印象を与えてしまう。
幼いのに余計なことを喋らない。自分の魔法を冷静に評価している。才能を誇示しない。そして、まだ誰も知らない名前を突然口にした。
本人としては単なる失言だった。
しかし客人は、そこに別の意味を見出してしまった。
――この子は、自分が思っている以上に多くのことを考えている。
実際には、未来の知識があるだけだった。