TS憑依ゼンゼ 作:TS好き
それから一年ほどが経った。
この一年で、魔法に関してはかなり多くのことができるようになっていた。魔力の扱いに困ることはほとんどなくなり、身体の成長に合わせて魔力の総量も少しずつ増えている。そのため、簡単な攻撃魔法なら発動まで数秒もかからず、魔力を身体へ巡らせて身体能力を底上げすることも、今では意識すれば自然にできる程度には身についていた。
最初の頃は、魔力を一定の速度で流すだけでも集中しなければならなかった。それが今では、歩きながら魔力を身体へ巡らせることもできるし、魔法を使うために必要な魔力を瞬時に集めることもできる。少なくとも、魔力操作という基礎だけを見れば、同年代の子供と比べてかなり先を進んでいるだろう。
もっとも、本人としては、それほど大したことをしているつもりはなかった。
未来の自分がどんな魔法を使うのかを知っている以上、何を身につければいいのかは最初からある程度分かっている。必要なものを順番に練習しているだけなのだから、むしろ遠回りをしていない分だけ楽をしているくらいの感覚だった。
そして、この一年で一番力を入れてきた髪の魔法も、それなりに形になってきている。
足下まで届く長い髪の一本へ魔力を通して硬度を高め、数本を束ねて同時に操る。離れた場所から魔法を発動させたり、髪の内部へ簡単な術式を固定したりすることもできるようになった。
もちろん、まだ大したものではない。
少なくとも、原作で知っているゼンゼの髪とは比べものにならない。将来的には岩石を切断し、防御魔法すら破るほどの強度になることを考えれば、今の段階で満足する理由はなかった。
それでも、研究そのものは楽しかった。
魔法というものは、知れば知るほど面白い。同じ魔力を使っていても、術式の組み方や術者が抱くイメージによって結果が変わるし、ほんの少し魔力の流し方を変えるだけでも威力や速度が変化する。髪の角度や動かす速度を調整するだけでも攻撃の性質は変わるし、術式をあらかじめ固定しておけば、発動時に必要となる魔力を抑えることもできる。
だったら、もっと効率化できる。
そう考えるのは自然なことだった。
朝食を終えた俺は、いつものように書斎へ向かった。扉を開けると、魔法教師がすでに机の前で待っている。
「おはようございます、ゼンゼ様」
「おはよう」
机の上には数冊の本が積まれていた。
「今日は何をするの?」
「魔法理論の確認をしてから、実技へ移ります」
「分かった」
椅子へ座り、本を開く。
以前なら、読むだけで疲れていたような難しい内容も、今ではある程度理解できるようになっていた。魔力の循環、術式の固定、魔法の発動条件、魔力によって引き起こされる現象。書かれている内容を追いながら読み進めていると、その中でも特に気になる一文に目が止まった。
魔法は術者のイメージによって、その性質を大きく変化させる。
原作でも何度か描かれていたことだ。
魔法にはイメージが重要になる。
なら、髪に対するイメージをもっと明確にすればいい。
硬い。鋭い。速い。切れる。
そうした性質を強く意識し、そのイメージを魔力へ乗せる。
今までは単純に「髪を硬くする」という考え方で強化していた。だからこそ、強度を上げるにも限界がある。
だったら、髪そのものを別のものとして認識するのではなく、髪に別の性質を持たせればいい。
剣。槍。刃。糸。鞭。
それぞれ異なる性質を持っているが、髪の形を変えなくても、その性質だけを魔法によって近づけられるのなら、戦い方はもっと広がる。
そこまで考えてから本を閉じた。
「先生」
「はい」
「髪に別の性質を持たせることってできる?」
「性質、ですか?」
「例えば、髪を剣みたいにする」
「物理的に、でしょうか?」
「魔法で」
教師は少し考えるように顎へ手を当てた。
「可能ではあります。ただ、魔力による強化と術式による性質変化を組み合わせる必要があります。対象となる物質が元々持っている性質から大きく離れるほど、魔力の消費も増えるでしょう」
「じゃあ、髪を剣にするより、髪を刃として扱うほうが効率がいい?」
「……そうなりますね」
なるほど。
だったら、それでいい。
髪を剣へ変える必要なんてない。髪は髪のまま、それでも切れるようにすればいい。それだけで十分だ。
原作のゼンゼが使う髪も、おそらく似たようなものなのだろう。髪という性質そのものを変えるのではなく、魔法によって異常な強度と攻撃力を持たせている。
なら、そこへ別の術式を加えればいい。
例えば、先端だけを極端に強化する。髪の内部に魔力を循環させて、常時強化された状態を維持する。複数の髪を束ねて一本の槍のように扱い、さらに髪そのものを魔法陣として利用すれば、そこから術式を展開することもできるかもしれない。
考えれば考えるほど、髪という媒体は便利だった。
問題は、髪が長すぎることくらいだ。
足下まで届く髪は、子供の身体には明らかに長い。普通なら動くたびに邪魔になるし、手入れにも時間がかかる。朝になれば使用人が時間をかけて髪を梳かし、絡まりを解き、傷んだ部分を確認してから整えていく。
実際、手入れはかなり面倒だった。
それでも、切るつもりはない。
長いほうがいい。
魔法の射程を考えれば当然だし、髪を複数方向へ展開するなら、その長さ自体が武器になる。それに、原作のゼンゼは足下まで届くほどの髪を自在に操って戦っている。今のうちから長い髪を扱うことに慣れておけば、将来的にも困らないだろう。
魔法教師との授業が終わると、俺はそのまま庭へ出た。
足下まで伸びた髪が背中から流れ、歩くたびに少し遅れて揺れる。使用人に整えてもらったばかりなので絡まりもなく、魔力を通せば一本一本の位置や動きまで意識できる状態になっていた。
庭には、いつものように木製の的が並んでいる。
「今日は何をしますか?」
「髪の練習」
「いつもですね」
「うん」
教師が苦笑する。
俺は気にせず髪へ魔力を流した。
一房、二房、さらに数を増やしていく。
最初の頃は十本を扱うだけでも難しかったが、今ではそれほど苦労しない。足下まで伸びた髪は一本一本の動きを確認するだけでも十分な訓練になるし、複数を同時に操ることで魔力操作の精度も鍛えられる。
右へ。
左へ。
上へ、後ろへ。
それぞれ別の方向へ意識を向けると、髪が一斉に浮かび上がり、背中から左右へ広がった。
見た目だけなら、かなり異様だろう。
けれど、俺自身はもうすっかり慣れている。
「かなり上達しましたね」
「まだ遅い」
「そうでしょうか?」
「もっと速くできる」
原作で見た戦闘を思い出す。
髪が一瞬で伸び、相手を貫く。
あの速度を再現するには、今の操作では足りない。
髪を動かすたびに一本ずつ頭の中で命令していては、どうしても反応が遅れる。なら、最初からある程度の役割を決めておけばいい。
右側の髪は右へ。
左側は左へ。
前方は攻撃。
後方は防御。
大まかな役割を先に決めておき、必要になったときだけ個別に修正する。
それなら、一本ずつ考える必要はない。
試してみる。
髪が一斉に動いた。
足下まである長い髪が左右から前方へ回り込み、そのまま木製の的へ向かって一気に伸びていく。数本が的へ深く突き刺さったが、残りは途中で軌道が乱れ、狙いから外れた。
失敗。
けれど、原因は分かる。
髪全体を一つの命令として処理したせいで、途中から細かい制御が追いつかなかったのだ。
なら、二段階にすればいい。
最初に大まかな方向だけを指定し、その後で個別に軌道を修正する。
もう一度、同じ動きを試す。
今度は、十数本の髪がほぼ同時に飛び出し、そのすべてが木製の的へ突き刺さった。
木が軋む。
「……」
教師が黙った。
「どうしたの?」
「いえ」
「何か変?」
「……いえ、何でもありません」
絶対に何か思っている。
けれど、聞かないほうがいい。こういうときに余計なことを聞くと、また「素晴らしい才能です」だの「普通はこんなことできません」だのと言われる気がする。
だから、そのまま練習を続けた。
昼過ぎまで髪の操作を繰り返し、昼食を挟んでから再び庭へ戻る。夕方になってようやく部屋へ戻った頃には、身体よりも頭のほうが疲れていた。
ベッドへ横になると、足下まで伸びた髪が枕の横へ広がる。
原作知識を持っているというのは、やっぱり大きい。
普通なら手探りで進まなければならないところを、俺はある程度ゴールを知っている。その分だけ、無駄な試行錯誤を減らせる。
ただ、そのせいで一つ困ることもあった。
知っているからこそ、今の自分が弱く感じるのだ。
原作のゼンゼなら、もっと強い。
もちろん、今の自分はまだ子供なのだから仕方がない。それでも、魔力も少なく、使える魔法も限られていて、戦闘経験もない。仮に今、魔族と遭遇したとしても、まともに戦うという選択肢は取れないだろう。
逃げるしかない。
それが今の自分の実力だ。
フリーレンたちが生きている今の時代なら、魔族の脅威が完全に消えているわけではないとはいえ、人間が暮らす場所の多くは比較的安全だ。それでも、未来を知っているからこそ、魔族という存在がどれほど危険なのかは分かっている。
だったら、強くならない理由はない。
それに、ゼンゼは将来、一級魔法使いになる。
その後、ゼーリエの弟子になる。
原作を知っている以上、その未来だけは分かっている。
ただ、今の自分にはまだ関係のない話だ。
ゼーリエと出会うのはもっと先。一級魔法使いになった頃の話なのだから、幼い今から気にする必要はない。
もちろん、ゼーリエがどんな人物なのかも、魔法使いとしてどれほど強いのかも知っている。
だからこそ、余計なことはしないほうがいい。
下手に原作の流れを大きく変えてしまえば、未来の知識そのものが役に立たなくなる可能性もある。
必要なときに、必要なことをする。
それでいい。
そう考えて目を閉じた。
翌朝、目を覚ますと、枕元に一通の手紙が置かれていた。
家族からだった。
内容は簡単なものだったが、その一文を読んだところで少しだけ意識が覚めた。
――近いうちに、聖都シュトラールへ行く。
聖都シュトラール。
大陸魔法協会の本部が置かれている場所だ。
もちろん、ゼーリエに会いに行くわけではない。今回の目的は、魔法使いとしての教育を受けるためらしい。今の屋敷だけで学ぶのではなく、外の魔法使いと交流する機会を増やし、将来について考えるためだと書かれていた。
協会本部がある場所へ行けるのなら、悪い話ではない。
魔法書もあるだろうし、研究資料もあるだろう。魔法使いが集まる場所なら、これまで知らなかった術式を知る機会もあるかもしれない。
何より、魔法使いとして生きていくなら、大陸魔法協会という組織について知っておくのも悪くない。
「分かった」
そう答えると、家族が少し意外そうな顔をした。
「楽しみではないのか?」
「本が買えるなら」
「……そうか」
また苦笑された。
どうやら俺は、家族から見てもかなり変わっているらしい。
それから、聖都シュトラールへ向かうための準備が始まった。
衣服に魔法書、護衛、必要な道具。そして、髪の手入れに必要なものまで揃えられていく。
特に最後の準備には時間がかかった。
足下まで届く髪は、子供が一人で手入れするには長すぎる。専用の櫛や髪油まで用意され、使用人からは旅先でも毎日きちんと手入れするよう念を押された。
「ゼンゼ様、旅先だからといって髪の手入れを怠ってはいけませんよ」
「面倒」
「それは分かりますが、絡まってからではもっと大変です」
「……分かった」
一瞬だけ、切ってしまえば楽なのではないかと思った。
けれど、それはすぐに却下した。
長いほうが魔法には使いやすい。射程を伸ばせるし、複数方向へ展開することもできる。それに、原作のゼンゼは足元まで届くほどの髪を使って戦っているのだから、今のうちから長い髪を扱うことに慣れておいたほうがいい。
それに、最近は長い髪そのものを利用する新しい研究も進めていた。
髪へ魔法を固定するだけではなく、魔力そのものを蓄えておく。
外部から魔力を流さなくても、必要なときに取り出せるようにするのだ。
一本の髪に蓄えられる魔力量はごくわずかだが、髪は大量にある。すべての髪へ同じ術式を組み込むことができれば、戦闘前からかなりの魔力を用意できる可能性がある。
もちろん、まだ実験段階だ。
一本へ蓄えられる量も少ないし、術式を維持するための魔力も必要になる。髪の本数を増やせば増やすほど負担が大きくなるため、単純に全部へ術式を組み込めばいいという話でもない。
それでも、試す価値はある。
少なくとも、俺が知っている原作にはこんな使い方をするゼンゼはいなかった。
なら、自分で考えるしかない。
聖都へ向かう当日。
馬車へ乗り込む前に、屋敷を一度振り返った。
ここで過ごした一年は、思っていた以上に濃かった。
魔法を覚え、髪を強化し、魔法理論を学びながら自分なりの研究も進めてきた。その結果、周囲からはいつの間にか「天才」と呼ばれるようになっている。
けれど、本人としては、いまだにそれが自分の評価としてしっくりこない。
未来を知っている。
だから、普通なら知らないはずの答えを最初から知っている。
それを利用している以上、本当の意味で自分が天才なのかどうかは分からない。
ただ、この世界で生きていくなら、強いほうがいい。
だったら、強くなる。
それだけだった。
馬車が動き出す。
座席に腰を下ろすと、足下まで伸びた髪が背中から滑り、座席の横へ流れた。馬車が揺れるたびに髪も少しずつ動くため、魔力を通して位置を固定する。
その感覚を確かめながら、俺は先日から研究している魔力蓄積の術式について考えを巡らせた。
一本に蓄えられる魔力量は、まだごくわずかだ。しかも、髪の本数が増えれば、それだけ術式を維持するための負担も大きくなる。すべての髪へ同じ術式を組み込んでしまえば、蓄えられる魔力以上に維持コストが膨らむ可能性もある。
なら、用途ごとに髪を分けたほうがいい。
攻撃に使う髪。
防御に回す髪。
魔力を蓄えるための髪。
術式を発動させるための媒体として使う髪。
最初から役割を決めておけば、必要な場所へ必要なだけ魔力を回せる。戦闘中にすべてを同時に動かすより、そのほうが効率もいいはずだ。
さらに、蓄えた魔力をそのまま使うのではなく、一度髪の内部で循環させてから必要な術式へ送り込めるようにすれば、発動時の負担も減らせるかもしれない。
まだ仮説の段階だが、試してみる価値は十分にある。
聖都に着いたら、協会の資料も探してみよう。
魔力を物質へ保存する研究があるなら参考になるし、もし似たような研究がなければ、それはそれで面白い。
「何を考えている?」
向かいに座っていた家族が、こちらを見ていた。
「髪」
「……またか」
「うん」
家族が小さく笑う。
「本当に好きなんだな」
「別に」
髪が好きなわけではない。
武器として便利だから研究しているだけだ。
けれど、それをいちいち説明するのも面倒だったので、そのまま黙っておく。
馬車はゆっくりと聖都シュトラールへ向かって進んでいく。
その先には、大陸魔法協会の本部がある。
そこで何が待っているのかは、まだ分からない。
ただ、ゼーリエと出会うのはまだずっと先の話だ。
一級魔法使いになった、その時まで。
今は目の前にある魔法だけを考えていればいい。
足下まで届く髪を指先で弄りながら、先ほど考えた術式の改良方法を頭の中で組み立てていく。
聖都へ着くまでには、今の研究をもう一段階進めたい。
そんなことを考えながら、俺は揺れる馬車の中で静かに目を閉じた。