TS憑依ゼンゼ 作:TS好き
馬車が聖都シュトラールへ近づくにつれ、窓の外を流れていく景色が少しずつ変わっていった。
これまで通ってきた街道沿いには小さな町や農村が多くあり、そこにも人の姿はあったが、聖都へ続く道には、それらに比べて明らかに多くの人間が行き交っている。商人らしい馬車だけでなく、魔法使いと思しきローブ姿の者や、武装した冒険者らしき一団まで混じっており、目的地がこの大陸でも有数の大都市であることを嫌でも実感させられる。
窓から顔を出す必要もない。
少し視線を上げれば、遠くに巨大な城壁が見えていた。
その向こうには、いくつもの尖塔が空へ向かって伸びている。白い石を基調とした建物が多く、街全体が周囲の景色から一段高い場所にあるようにも見えた。
「見えてきたな」
向かいに座っていた家族が窓の外を見ながら言う。
「うん」
ゼンゼも窓へ目を向けた。
聖都シュトラール。
原作でも名前だけなら何度も聞いた場所だ。
ただ、実際に見るのは当然初めてだった。
大陸魔法協会の本部が置かれている場所。
多くの魔法使いが集まり、魔法に関する様々な情報や技術が行き交う場所でもある。
重要なのは、その一点だった。
魔法使いが多い。
つまり、新しい知識を得られる可能性が高い。
それだけでも来る価値はある。
馬車が城門へ近づくと、門の前に立っていた兵士が手を上げた。
御者が馬車を止め、いくつかの確認を受ける。
家族が身分を示すと、兵士はすぐに通行を許可した。
再び馬車が動き出す。
城門を抜けた瞬間、窓の外から聞こえてくる音が一気に増えた。
商人の呼び声。
馬車の車輪が石畳を叩く音。
行き交う人々の話し声。
露店から漂ってくる食べ物の匂い。
屋敷で過ごしていた頃とは、何もかもが違う。
「どうだ?」
家族がこちらを見る。
「人が多い」
「それだけ?」
「うん」
「……まあ、ゼンゼらしいか」
何となく笑われた。
ゼンゼは気にせず窓の外へ視線を戻した。
魔法使いも多い。
見れば分かる。
ローブを着ている人間だけではない。腰に杖を差している者や、魔導具らしきものを身につけている者もいる。
屋敷にいた頃は、魔法使いと言えば教師と、何度か訪れた研究者くらいだった。
ここでは、それが普通に歩いている。
それだけで少し興味が湧いた。
馬車はしばらく大通りを進み、やがて一軒の宿へ入った。
今回の滞在中に使う宿らしい。
部屋へ案内されると、荷物が運び込まれていく。
荷物の整理には、ほとんど興味がなかった。
魔法書。
研究用の道具。
髪を手入れするための道具。
それだけ確認すれば十分だった。
特に魔法書は慎重に確認する。
聖都で新しい本を買うつもりだったので、持ってきた本は最低限にしてある。
荷物を置いたところで、家族が声をかけてきた。
「今日はもう休むか?」
「協会へ行くんじゃないの?」
「今日は到着したばかりだからな。明日からだ」
「そう」
少し残念だった。
せっかく聖都まで来たのだから、すぐにでも魔法に関する資料を見たい。
ただ、無理に急ぐ必要もない。
ここには数日滞在する予定なのだから、明日になれば行ける。
そう考えていると、部屋へ使用人が入ってきた。
「ゼンゼ様、お髪を整えましょうか?」
「お願い」
椅子へ座る。
使用人がゼンゼの髪を丁寧に梳かしていく。
足元まで伸びた髪は、屋敷にいた頃よりさらに長くなっている。
ここまで長いと、普通に生活するだけでもかなり邪魔になる。
それでも切る気はない。
むしろ、この長さに慣れておく必要がある。
髪を武器として扱う以上、長さそのものが重要な要素になるからだ。
使用人が髪の状態を確認しながら、少しだけ苦笑した。
「これだけ長いと、旅をするのも大変ですね」
「そう?」
「はい。毎日のお手入れだけでも時間がかかりますから」
「慣れれば平気」
「ゼンゼ様は本当にそうおっしゃいますね」
ゼンゼは返事をしなかった。
髪へ意識を向ける。
表面には何も変化を出さず、ほんの少しだけ魔力を流す。
髪の内部に組み込んである術式が反応する。
蓄えていた魔力が微かに循環した。
問題ない。
これまで研究してきた術式は、旅の途中でも維持できている。
髪一本一本に蓄えられる魔力量はまだ少ない。
だからこそ、現在は容量を増やすことよりも、安定性を優先している。
無理に大量の魔力を詰め込めば髪そのものが耐えられなくなるし、術式が崩れれば蓄えた魔力も失われる。
現状では、一度に使える量を増やすより、必要なときに確実に取り出せることのほうが重要だった。
それに、髪は一本だけではない。
数がある。
一本あたりの容量が小さくても、数が増えれば話は変わる。
今はまだ実験段階だが、将来的には戦闘前にある程度の魔力を髪へ蓄えておき、それを必要なときだけ取り出せるようにする。
そうなれば、実質的な魔力の余裕が増える。
それだけでも、十分に価値のある研究だった。
翌朝。
朝食を終えると、すぐに出発することになった。
向かう先は、大陸魔法協会。
馬車から降りる。
目の前には、大きな建物があった。
屋敷の書斎とは比べものにならない。
建物そのものが巨大で、周囲にも多くの人間が行き交っている。
魔法使いの姿も多い。
ゼンゼは自然と建物を見上げた。
ここに、どれだけの魔法が集まっているのだろう。
少しだけ胸が高鳴った。
家族が隣に並ぶ。
「行こうか」
「うん」
建物の中へ入る。
受付を済ませ、案内された部屋で待っていると、一人の魔法使いが現れた。
年齢は分からない。
見た目だけでは判断しづらいのが魔法使いというものだ。
「お待たせしました」
「こちらこそ、急に伺って申し訳ありません」
「いえ。事前に話は聞いております」
魔法使いがゼンゼを見る。
「この子がゼンゼさんですね」
「はい」
「魔法の才能があると聞いています」
またその話か。
「まだ弱いよ」
「……そうですか」
魔法使いは少しだけ困ったように笑った。
どうやら屋敷の教師と同じ反応をするらしい。
「今日は、いくつか確認させてもらいます」
「何を?」
「魔力操作と魔法の基礎。それから、今後どのような教育を受けるべきかについてです」
「分かった」
案内された部屋には、簡単な測定用の魔導具が用意されていた。
まずは魔力操作。
言われた通りに魔力を集める。
循環させる。
身体の外へ出す。
維持する。
特に問題はない。
次に、簡単な攻撃魔法。
術式を組み、発動する。
小さな光が飛び、的へ当たった。
「……安定していますね」
「そう?」
「はい。魔力操作については、かなり習熟しているようです」
次に、別の魔導具が用意される。
「これは?」
「魔力の性質を確認するものです」
「分かった」
魔力を流す。
魔導具が淡く反応した。
細かな数値について説明される。
ゼンゼには少し難しい。
ただ、少なくとも現時点で突出した魔力量を持っているわけではないことだけは分かった。
当然だ。
身体がまだ子供なのだから、そこまで多いわけがない。
重要なのは総量よりも扱い方。
今のゼンゼには、それが分かっている。
測定が一通り終わると、魔法使いが椅子へ座り直した。
「ゼンゼさん」
「何?」
「将来的に、魔法使いとして活動するつもりですか?」
「そのつもり」
「では、いずれ資格を取得することになります」
「資格?」
「はい」
そこで初めて、制度について詳しく説明された。
魔法使いにはいくつかの級位が存在する。
一般的には段階を踏んでいく。
ただし、必ずしも全員が同じ道を進むわけではない。
実力が認められれば、上位の試験を受けることもできるらしい。
ゼンゼは黙って話を聞いた。
資格そのものに強い興味があるわけではない。
ただ、魔法使いとして活動するなら必要になる。
それなら取っておいたほうがいい。
「ゼンゼさんなら、通常より早い段階で試験を受けることも可能かもしれません」
「そうなんだ」
「ただ、今すぐという話ではありません。年齢や実力、本人の意思なども関係しますから」
「分かった」
それなら問題ない。
今は資格よりも魔法のほうが重要だ。
自分が将来どのような順番で級位を取ることになるのかは、この時点ではまだ決まっていない。
原作にも、そこまで詳しい情報があるわけではない。
だから、今から未来を決めつける必要もない。
必要になったときに取ればいい。
「ところで」
魔法使いがゼンゼの髪を見る。
「その髪は……やはり魔法に使っているのですか?」
「うん」
「少し見せてもらっても?」
「いいよ」
ゼンゼは髪を一本持ち上げた。
魔力を流す。
髪の内部に蓄えた魔力を少量だけ取り出し、通常の魔力と混ぜる。
そのまま先端へ集める。
髪が僅かに震えた。
「……なるほど」
魔法使いが興味深そうに観察している。
「髪そのものへ魔力を蓄えているのですか?」
「そう」
「これは、いつから?」
「少し前から」
「かなり珍しい研究ですね」
「まだ試してるだけ」
「それでもです」
魔法使いはしばらく髪を見ていた。
「魔力を蓄える媒体として髪を使う場合、容量に限界があります。一本ごとの容量もかなり少ないでしょう」
「そうだね」
「ですが……数が多い」
「うん」
「なるほど」
魔法使いは何かに気づいたようだった。
ゼンゼが何を考えているのかまで、完全に理解されたわけではないだろう。
それでも、研究の方向性くらいは伝わったらしい。
「面白い発想です」
「ありがとう」
「この研究は、誰かに教わったのですか?」
「自分で考えた」
「……そうですか」
また同じ反応だった。
ゼンゼは少しだけ首を傾げる。
別に大したことではない。
魔法について考えて、試して、失敗したら直す。
それだけだ。
魔法使いは少し考えたあと、机の上に一枚の書類を置いた。
「もしよければ、協会の資料室を利用してみませんか?」
「いいの?」
「閲覧できる範囲には限りがありますが、一般公開されている資料もかなりあります」
「行く」
即答だった。
魔法使いが笑った。
「やはり、そこには興味があるのですね」
「本があるなら」
「……なるほど」
その日の午後。
ゼンゼは大陸魔法協会の資料室にいた。
棚には大量の本が並んでいる。
魔法史。
術式理論。
魔導具。
魔力操作。
魔法薬。
属性魔法。
結界。
探知。
補助魔法。
見たことのない本がいくらでもある。
ゼンゼは一冊を手に取った。
ページを開く。
難しい。
やっぱり難しい。
けれど、以前とは違う。
これまで一年以上かけて魔法を学んできたことで、理解できる範囲は確実に増えている。
分からない部分がある。
それでも、何が分からないのかは分かる。
これは大きな違いだった。
本を読み進める。
すると、ある術式の説明で手が止まった。
魔力の循環効率を高めるための術式。
髪へ組み込んでいる術式とは少し違う。
ただ、考え方は応用できそうだった。
本を閉じる。
頭の中で組み合わせる。
今使っている蓄積術式。
魔力循環。
術式の固定。
それぞれを一つにまとめる。
もし成功すれば、髪へ魔力を蓄えるだけではなく、蓄えた魔力を循環させながら必要なときだけ取り出せる。
そうなれば、術式そのものの安定性も上げられるかもしれない。
「……試してみたい」
思わず口に出していた。
すぐに実験できる場所を探す。
資料室では当然できない。
なら、宿へ戻ってからだ。
本を借りる手続きを済ませる。
外へ出ると、夕方の聖都は朝よりもさらに人が増えていた。
大通りには明かりが灯り始めている。
ゼンゼは足元まで伸びた髪を一度だけ確認した。
長い。
扱うのは大変だ。
でも、この髪がある。
今の段階では、それで十分だった。
まだ魔力は少ない。
まだ魔法も弱い。
資格も持っていない。
魔法使いとして見れば、まだ何者でもない。
それでも、時間はある。
知識もある。
そして、研究できる環境もある。
だったら焦る必要はない。
一つずつ積み重ねればいい。
宿へ戻ったら、今日見つけた術式を試す。
明日はまた別の資料を読む。
そうやって少しずつ強くなればいい。