TS憑依ゼンゼ 作:TS好き
宿へ戻った俺は、夕食を終えるとすぐに部屋へ戻った。
今日借りてきた本を机の上へ置き、その隣へ自分で作った術式の簡単な記録を並べる。屋敷で研究していた頃から使っている記録帳で、髪へ魔力を蓄える方法や、魔力を循環させるための術式、髪そのものの強化について、試したことを思いつくたびに書き残してきた。
成功した方法だけではなく、失敗したものも記録してある。
どの程度の魔力を流したら髪が耐えられなくなったのか、術式を複雑にしすぎた場合にどこから崩れるのか、一本の髪にどれだけ魔力を蓄えられるのか。そういった細かな情報は、その場では役に立たなくても、後になって別の研究へ繋がることがある。
今日見つけた術式も、その一つだった。
本を開き、該当するページをもう一度確認する。
魔力を循環させることで、術式を維持するために必要な魔力の一部を再利用する。簡単に言えばそういう仕組みだが、実際の術式はそれほど単純ではない。魔力を循環させる経路が少しでも乱れれば、術式そのものが不安定になり、場合によっては蓄えていた魔力まで一気に失う可能性がある。
記録帳へ視線を落とした。
今使っている蓄積術式は、魔力を髪の内部へ固定することを優先している。そのため、一度蓄えた魔力を維持するには、ごく僅かとはいえ術式そのものへ魔力を流し続ける必要があった。
これを循環型へ変えられれば、その負担を減らせるかもしれない。
「……やってみるか」
椅子から立ち上がり、髪を一本だけ手に取る。
足元まで伸びた髪の中から、なるべく傷んでいない一本を選び、指先へ巻きつける。まずはこれまで使っていた術式を組み、その上へ今日見つけた循環の考え方を重ねていく。
魔力を流す。
固定する。
循環させる。
そこで、術式の一部が崩れた。
「……駄目か」
髪から魔力が抜けていく。
失敗した原因はすぐに分かった。
蓄積術式と循環術式を別々に組んだせいで、二つの術式が同じ魔力を取り合っている。これでは安定するはずがない。
なら、最初から一つの術式として組み直す必要がある。
椅子へ戻り、記録帳へ原因を書き込んだ。
こういう作業は嫌いではない。
失敗しても、何が原因なのか分かれば次へ進める。逆に、何の問題もなく成功してしまうと、どうして成功したのか分からないまま先へ進んでしまうこともある。
魔法は、そういう意味では面白かった。
俺はもう一度、髪を一本選ぶ。
今度は蓄積を目的とした術式と、循環させるための経路を最初から一つにまとめる。魔力が一定量まで蓄えられたところで循環を開始し、それ以上は外へ逃がさず内部で回すようにする。
魔力を流す。
術式を組む。
少しずつ魔力が髪の内部へ沈んでいく。
前回よりも慎重に流れを確認しながら、循環する経路を作っていくと、今度は術式が崩れなかった。
髪の中に残った魔力が、ほんの僅かに動いている。
外から魔力を送り続けているわけではない。
それでも術式が消えず、内部に蓄えた魔力がゆっくりと循環している。
「……できた」
思わず声が漏れた。
大した量ではない。
今までの蓄積術式と比べても、蓄えられる魔力量が増えたわけではない。それどころか、術式そのものが複雑になった分だけ、一度に扱える魔力は少なくなっている。
けれど、安定している。
そこが大きかった。
髪へ蓄えた魔力が勝手に失われず、外部から魔力を送り続けなくても維持できるのであれば、戦闘中に使う魔力を別の用途へ回せる。
一本だけでは意味がない。
でも、これを何十本、何百本と増やしていけばどうなるのか。
俺は足元へ落ちている髪を見た。
一本。
二本。
それだけではない。
髪は大量にある。
その全てを魔力の貯蔵に使う必要はないとしても、攻撃用、防御用、魔法媒体用、そして魔力の蓄積用と役割を分ければ、かなり自由度の高い戦い方ができる。
もちろん、今の自分にはまだそこまでの魔力も制御能力もない。
だからこそ、今から少しずつ準備していけばいい。
記録帳へ新しい項目を書き加える。
循環型魔力蓄積術式。
その下へ、現時点で分かっている問題点を並べていく。
一本あたりの蓄積量。
術式の維持に必要な魔力。
複数本を同時に制御した場合の負担。
さらに、蓄えた魔力を外部へ取り出す際の効率。
最後の項目を書いたところで、俺は筆を止めた。
ここが一番重要かもしれない。
蓄えるだけなら、今の術式でもできる。
問題は、必要な瞬間に必要な量を取り出せるかどうかだ。
例えば、髪を高速で動かすために一気に魔力を使いたいとき、蓄積した魔力をそのまま流せるなら大きな意味がある。しかし、取り出すのに時間がかかるなら、戦闘中には使いにくい。
だったら、取り出すための経路も最初から組み込むべきだ。
そう考えたところで、時計を見る。
いつの間にかかなり遅い時間になっていた。
さすがに今日はここまでにしたほうがいい。
明日はまた協会へ行く予定がある。
俺は記録帳を閉じ、術式を組み込んだ髪を傷つけないようにまとめてから、ベッドへ入った。
翌朝。
目を覚ますと、まず髪の状態を確認した。
昨夜の術式は残っている。
魔力も消えていない。
成功だ。
それだけ確認すると、少しだけ気分が良くなった。
朝食を終えたあと、昨日案内してくれた魔法使いと合流し、再び大陸魔法協会へ向かう。
昨日と同じ資料室へ入ると、今日は最初から読む本を決めていた。
魔力の保存と魔導具について書かれた研究書だ。
髪へ魔力を蓄える研究をしている以上、魔導具に使われている魔力保存の技術は参考になるかもしれない。
本を開いて読み始める。
魔導具の場合、術式そのものを器へ固定し、外部から供給された魔力を一定量保存しておく方法が一般的らしい。物質によって魔力との相性があり、保存効率にも差が出る。
そこまで読んで、俺は少し考えた。
髪も物質だ。
しかも、魔力を通すこと自体はすでにできている。
なら、魔導具の理論をそのまま応用できなくても、参考にはなる。
ページをめくる。
保存効率を高めるための術式。
魔力の漏出を防ぐ方法。
術式を長期間維持するための工夫。
どれも今の研究に使えそうだった。
そのまましばらく読み進めていると、向かいの席から声がした。
「熱心ですね」
顔を上げる。
昨日とは別の魔法使いだった。
年齢は俺よりかなり上に見える。灰色の髪を後ろでまとめ、何冊かの本を抱えている。
「何が?」
「その本です。魔導具の保存術式に関する研究書でしょう?」
「うん」
「子供が読むには、かなり難しいと思いますが」
「そう?」
「そうですよ」
俺は本へ視線を戻した。
「分からないところもある」
「それでも読んでいるのですか?」
「分かるところがあるから」
魔法使いは少し黙った。
「なるほど」
それだけ言うと、自分の席へ戻っていった。
俺は特に気にせず読書を続けた。
ただ、しばらくしてから、その魔法使いが再びこちらへ近づいてきた。
「一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
「魔導具に興味があるのですか?」
「魔力を保存する方法に興味がある」
「……なるほど」
「髪へ応用したいから」
魔法使いの目が髪へ向いた。
「あなたの髪に?」
「うん」
「それは、あなたが研究しているのですか?」
「そう」
魔法使いは少し驚いたようだったが、すぐに表情を戻した。
「もしよければ、魔導具の保存術式について知っている範囲で説明しましょうか?」
「お願い」
その人は俺の向かいへ座った。
そして、魔導具へ魔力を保存する場合の基本的な考え方から説明を始めた。
話を聞いていくうちに、いくつか気になる点が出てくる。
魔導具は基本的に、術式そのものを器へ固定する。
その器が魔力を受け止め、内部へ保存する。
ただし、保存した魔力をそのまま放置すると少しずつ漏れ出してしまうため、魔力の流れを制御するための術式が必要になる。
俺が昨夜作った循環型の術式と、考え方が似ていた。
「つまり、保存するだけなら器の性能が重要だけど、長く維持するなら術式のほうが重要になる?」
「その通りです」
「なら、髪そのものの魔力保持能力を上げるより、術式で補ったほうが効率がいい?」
「一概には言えませんが、その考え方は間違っていません」
なるほど。
髪そのものを変える必要はない。
魔法で補えばいい。
それなら、今まで研究してきた髪の強化術式とも組み合わせられる。
硬度を高める。
魔力を蓄える。
魔力を循環させる。
必要なときに取り出す。
さらに、髪の先端から術式を展開する。
それぞれ別々に考えていたものが、少しずつ一つの形へまとまり始めていた。
俺は手元の紙へ簡単な図を書き始めた。
一本の髪を中心にして、内部へ三つの術式を組み込む。
一つは強化。
一つは蓄積。
もう一つは循環。
そこへ魔法を発動するための経路を加える。
問題は複雑すぎることだった。
術式を増やせば増やすほど、髪そのものにかかる負担も大きくなる。
全部を一つにまとめるのは難しい。
だったら、役割ごとに髪を分ければいい。
全部の髪へ全部の術式を入れる必要はない。
攻撃用の髪。
魔力を蓄える髪。
魔法を発動する髪。
探知用。
防御用。
そうすれば、一つ一つの術式を単純にできる。
「……これなら」
呟きながら図を書き直す。
魔法使いが隣から覗き込んだ。
「かなり面白い構想ですね」
「まだ考えてるだけ」
「それでも、よく考えられています」
「そう?」
「はい」
俺は少し考えてから、紙を見つめた。
髪を武器にするだけなら、原作の知識だけでもある程度は再現できる。
でも、それだけでは面白くない。
自分が知っている未来をそのままなぞるだけでは、結局は原作のゼンゼと同じになる。
それなら、自分が持っている知識を使って、そこから先へ進めばいい。
未来を変えたいわけではない。
ただ、強くなりたい。
生き残るために必要だから。
それだけだ。
昼を過ぎても、俺は資料室を出なかった。
昼食を簡単に済ませ、また本を読む。
今度は魔法の発動速度について書かれた研究書を探す。
髪を武器として使うなら、威力だけではなく速度も必要になる。
原作で知っているゼンゼの戦い方を考えれば、それは当然だった。
髪がどれだけ強くても、相手に避けられるなら意味がない。
だったら、発動速度を上げる。
魔力を髪へ送る。
術式を構築する。
髪を動かす。
この三つを別々に行うのではなく、一部を事前に準備しておけばいい。
昨夜考えていた魔力蓄積術式も、そのために使える。
普段から髪の内部へ一定量の魔力を蓄え、術式も固定しておく。
戦闘時には必要な分だけ取り出し、最後の部分だけをその場で組み立てる。
そうすれば、最初から魔力を集めるより速い。
問題は、常に魔力を蓄えていることで、髪を使っていないときにも術式が維持されることだ。
それによる負担がどれくらいになるのかは、まだ分からない。
なら、試す。
それしかない。
俺は新しい本を一冊借りることにした。
今日だけでかなりの量を読んだ。
全部理解できたわけではない。
それでも、昨日まで知らなかったことをいくつも知ることができた。
聖都へ来て正解だった。
協会を出ると、夕方の街には昨日とは違う景色が広がっていた。
店先に並ぶ魔導具を眺めながら歩いていると、ふと足が止まる。
小さな店の窓に、魔力を保存するための魔石が並んでいた。
俺はしばらくそれを見つめる。
魔石そのものには興味がある。
髪の研究に使える可能性もある。
ただ、今すぐ買う必要はない。
まだ分からないことが多すぎる。
まずは自分の術式を完成させる。
それから、必要なものを買えばいい。
「ゼンゼ、どうした?」
少し前を歩いていた家族が振り返る。
「何でもない」
「そうか?」
「うん」
再び歩き出す。
宿へ戻る途中、足元まで伸びた髪が石畳へ触れそうになった。
俺は無意識に魔力を流し、髪を少しだけ持ち上げる。
長い髪が背中から浮かび上がり、そのまま地面へ触れない位置で揺れた。
以前なら、これだけでも意識を集中する必要があった。
今ではほとんど無意識にできる。
一年という時間は、それなりに大きい。
魔力操作も、髪の操作も、少しずつ身体へ馴染んできている。
だからこそ、次の段階へ進める。
宿へ戻ると、俺は夕食の前に部屋へ入り、借りてきた本を机へ並べた。
今日一日で増えた知識を整理する。
魔力の保存。
循環。
発動速度。
術式の固定。
髪の強化。
どれも別々の技術に見える。
けれど、組み合わせれば一つの戦闘体系になる。
俺は紙へ簡単な構想を書いた。
髪を魔力の貯蔵庫として使う。
必要なときに蓄積した魔力を取り出す。
髪そのものを魔力の通路として使い、先端から術式を発動する。
攻撃するときは硬度と速度を上げ、防御するときは複数の髪を束ねる。
さらに、髪の一部を探知や補助へ回す。
一本一本が違う役割を持つ。
それを全体として操る。
そこまで考えたところで、俺は筆を止めた。
かなり先の話になる。
今の自分には、まだできないことが多い。
魔力も足りない。
制御能力も足りない。
術式の知識だって不足している。
それでも、方向は見え始めている。
「……面白い」
小さく呟く。
魔法を学ぶ前は、ただ強くなればいいと思っていた。
けれど、実際に魔法を学んでみると、強くなる方法そのものがいくらでもあることに気づく。
威力を上げる。
速度を上げる。
消費を減らす。
射程を伸ばす。
発動を速くする。
相手に合わせて性質を変える。
どれを優先するかで、同じ魔法でも全く違うものになる。
俺は紙の端へ新しい項目を書き加えた。
戦闘用術式の体系化。
まだ名前だけだ。
具体的な形すら決まっていない。
でも、これから研究していく価値はある。
明日は、魔力の保存についてもっと調べよう。
その次は、術式の発動速度。
それから、髪を複数の役割に分けた場合の制御方法。
やることはいくらでもある。
そう考えていると、部屋の外から夕食を知らせる声が聞こえた。
「ゼンゼ様、お食事の準備ができました」
「分かった」
俺は机の上を片付け、本を閉じた。
研究は逃げない。
今日はここまででいい。
明日になれば、また続きができる。
部屋を出る前に、足元まで伸びた髪へ一度だけ魔力を流した。
昨夜組み込んだ循環型の術式は、今日一日を通して安定している。
まだ小さな成果だ。
けれど、こういう小さな積み重ねが、いつか大きな差になる。
少なくとも俺は、そう信じている。
聖都シュトラールへ来て、まだ一日目。
魔法使いとしては、俺はまだ何者でもない。
資格もなく、名も知られていない。
ただの子供だ。
それでも、誰よりも先の未来を知っている。
その知識をどう使うのかは、自分次第だ。
だから今は、目の前の研究を続ける。
遠い未来のことを考えすぎる必要はない。
今日より少しだけ強くなる。
昨日より少しだけ多く知る。
それを繰り返していけばいい。
そうして聖都での1日が終わった。