TS憑依ゼンゼ 作:TS好き
翌朝、目を覚ました俺は、昨日借りてきた本を机の上へ並べた。
聖都シュトラールへ来ての数日は、大陸魔法協会の資料室を見て回るだけで終わったが、そこで得られたものは思っていた以上に大きかった。屋敷にいた頃も魔法について学んできたが、協会にはそれとは比較にならないほど多くの資料が集められている。これまで知識としてしか知らなかった術式について、別の研究者が異なる方法で説明しているものまであり、一つの魔法を理解するためにも複数の資料を読み比べる必要があった。
それだけに、ここへ来た意味は十分にある。
椅子へ腰を下ろし、昨日見つけた魔力循環に関する資料を開いた。
髪へ魔力を蓄える術式そのものは、すでに実用できるところまで来ている。蓄えた魔力を必要なときに取り出すこともできるし、髪の内部で魔力を循環させることで術式の安定性を保つこともできるようになった。
今の課題は、その先だった。
蓄えられる魔力量を増やすことだけを考えるなら、術式を複雑にすればいいというものでもない。構造が複雑になればなるほど、維持するための負担が増えるし、髪一本にかかる魔力の負荷が大きくなれば、戦闘中に術式が崩れる危険も高くなる。
必要なのは、より多く蓄えることではなく、必要なときに必要な量だけ取り出せる仕組みだった。
そこまで考えて、本を閉じた。
「……やっぱり、分けたほうがいいな」
髪そのものに大量の魔力を詰め込むのではなく、一本一本を小さな魔力の貯蔵場所として扱い、それらを必要に応じて連結する。
一本なら小さい。
十本なら、それなりになる。
百本なら、さらに増える。
しかも、すべてを常時つなげておく必要はない。戦闘前に必要な髪へ魔力を配分しておき、使うときだけ循環を切り替えれば、無駄な消費も抑えられる。
昨日までの研究を土台にするなら、その方向が一番現実的だった。
紙へ簡単な図を書きながら、術式の構造を組み直していく。
こうして考えている時間は嫌いではない。
魔法には正解が一つしかないわけではないからだ。
同じ結果を出すためにも複数の方法があり、その中から自分の身体や魔力に合ったものを探していく必要がある。原作で知っている魔法をそのまま真似するだけではなく、自分の知識とこの世界で得た知識を組み合わせれば、まだ知らない魔法を作ることもできる。
それを考えると、聖都で過ごす時間はかなり有意義なものになりそうだった。
ただし、俺は一つだけ決めていた。
研究だけに時間を使うつもりはない。
ここへ来た目的は、魔法を学ぶことだけではない。外の魔法使いを知り、自分の実力がどの程度なのかを確かめることも、その中には含まれている。
だから、午後からは訓練場へ向かった。
それからの日々は、思っていた以上に早く過ぎていった。
朝は魔法理論の勉強をし、資料室で必要な文献を探し、午後は実技の訓練を行う。時間が空けば髪の術式を改良し、夜にはその日の結果を記録する。
最初のうちは、聖都で暮らすことそのものにも慣れる必要があった。
屋敷とは違って人が多く、魔法使いの姿を街中で見かけることも珍しくない。大陸魔法協会へ出入りする人間も多く、研究者や魔法使い同士が議論している姿を見る機会も増えた。
そうした環境に身を置いているうちに、俺の魔法に対する考え方も少しずつ変わっていった。
以前は、未来のゼンゼが使っている魔法を基準にしていた。
だから、そこへ追いつくことばかり考えていた。
けれど、研究を続けていると、それだけでは足りないことに気づく。
未来の自分がどれだけ強くても、そこへ至るまでの過程をすべて知っているわけではない。
なら、自分自身で積み上げるしかない。
その考えに変わってからは、訓練の内容も少しずつ変わった。
単純に魔力を増やすだけではなく、少ない魔力でどれだけ効率よく魔法を使えるかを意識するようになった。髪を動かすときも一本ずつ力任せに動かすのではなく、複数の髪を一つのまとまりとして制御し、必要な瞬間だけ個別に操作する。
攻撃するときは速度を優先し、防御するときは髪同士を重ねて強度を上げる。
探知に使う髪には別の術式を組み込み、周囲の魔力の変化を拾いやすくする。
髪へ蓄えた魔力についても、必要なときに一部だけを取り出せるよう術式を調整した。
そうして一つずつ改良していくうちに、以前なら難しかったことが少しずつ当たり前になっていった。
季節が一つ変わり、また一つ変わる。
気がつけば、聖都へ来たばかりの頃に比べて、身体も魔力も大きく成長していた。
そして、さらに時間が流れた。
その頃には、俺はもう資料室の職員にも顔を覚えられていた。
「今日は何を探しているんですか?」
「結界魔法の資料」
「また研究ですか?」
「うん」
「本当に好きですね」
「勉強になるから」
そう答えると、職員は苦笑しながら棚を案内してくれた。
こうしたやり取りも珍しくなくなっていた。
俺自身は特別なことをしているつもりはなかったが、周囲から見れば、幼い頃から魔法研究を続けている変わった魔法使いだったらしい。
ただ、俺にとってはそれ以上に大きな変化があった。
以前ほど、原作の知識だけを頼りにしなくなったことだ。
もちろん、未来を知っていることは今でも大きな武器になっている。
ゼンゼが将来どのような魔法使いになるのかを知っているからこそ、自分が目指す方向を決めやすい。
けれど、実際に魔法を学び続ければ、原作に描かれていなかったことも少しずつ分かってくる。
魔法使いが使う術式には、細かな流派や研究者ごとの違いがある。
同じような魔法でも、魔力の扱い方や術式の構築方法によって効率が変わる。
そして、それを知れば知るほど、未来を知っているだけでは足りないということも分かってくる。
だから俺は、今まで以上に勉強した。
戦闘訓練も続けた。
髪の操作だけではなく、一般的な魔法使いとして必要になる技術も身につけていった。
やがて、魔法教師からも一つの評価を受けるようになった。
「もう、私から教えられることはかなり少なくなりましたね」
「そう?」
「ええ。少なくとも、以前のように基礎を教える必要はありません」
「じゃあ、まだ教えられることはある?」
「もちろんあります。ただ、それはもう授業というより、研究の相談に近いでしょう」
その言葉を聞いて、俺は少しだけ考えた。
確かに、昔とは違う。
教えてもらったことを覚えるだけではなく、自分で調べて、自分で試して、必要なら別の方法を探すことが当たり前になっている。
それなら、そろそろ次の段階へ進んでもいいのかもしれない。
そんなことを考えていた頃、大陸魔法協会から一つの話を持ちかけられた。
「魔法使い試験を受けてみる気はありませんか?」
協会の担当者からそう言われたのは、ある日の午後だった。
「魔法使い試験?」
「魔法使いとしての資格試験です」
俺は黙って相手を見る。
資格については、以前から話に出ていた。
けれど、これまでは特に必要性を感じていなかった。魔法を学ぶことが目的だったし、資格がなくても研究そのものには困らなかったからだ。
しかし、今は少し事情が違う。
自分がどこまで通用するのかを知りたい。
それに、正式な魔法使いとして活動できるようになれば、今よりも研究の幅を広げられる可能性がある。
「どの試験?」
「三級です」
その答えを聞いて、少し考えた。
一般的な魔法使いなら、もっと下の段階から順番に資格を取っていくのが普通らしい。
ただ、俺にはすでに十分な実力があると判断されているらしく、今回は三級試験を受ける資格があると説明された。
「いきなり三級?」
「はい。もちろん、受験を強制するつもりはありません。ただ、現在の実力なら挑戦する価値はあると思います」
俺は少し考えたあと、頷いた。
「受ける」
「よろしいのですか?」
「うん」
せっかくの機会だ。
それに、ここ数年で身につけたものがどこまで通用するのか確かめてみたい。
試験に向けて、最後の調整が始まった。
訓練の内容は以前より実戦を意識したものになる。
複数の相手を想定した魔法操作。
防御と攻撃の切り替え。
探知魔法を使いながらの戦闘。
魔力を無駄にしないための術式選択。
そして、髪を使った戦闘。
足元まで伸びた髪は、今では完全に俺の戦い方の中心になっている。
何本もの髪が同時に動き、一本が攻撃している間に別の髪が周囲を探り、さらに別の髪が防御へ回る。
蓄えていた魔力も必要に応じて取り出せる。
以前よりも魔法の切り替えは速くなり、髪そのものの速度も大きく向上していた。
それでも、試験を前にして油断するつもりはなかった。
相手がどんな魔法を使うのかは分からない。
試験でどのような状況を用意されるのかも、すべて把握しているわけではない。
原作の知識にも、当然限界がある。
なら、できる準備をしておく。
それだけだった。
そして、試験の日が来た。
朝早く、宿を出た。
足元まで伸びた髪を整え、必要な道具を確認する。
魔力も問題ない。
術式も安定している。
忘れ物もない。
協会へ向かう道を歩きながら、周囲を見渡す。
数年前に初めて歩いた聖都の街並みは、今ではすっかり見慣れたものになっていた。
けれど、今日だけは少し違って見える。
これまで俺は、魔法を学ぶためにこの街で過ごしてきた。
今日は、その成果を試す日だ。
協会の建物へ入る。
受付を済ませ、案内された場所へ向かうと、すでに何人かの受験者が集まっていた。
年齢も、容姿も、使う魔法も違う。
その中には、明らかに自分より経験がありそうな魔法使いもいる。
周囲を見ながら、静かに息を吐いた。
別に勝負をしに来たわけではない。
ただ、自分がどこまで通用するのか確かめに来ただけだ。
それでも、試験である以上、合格するつもりではいる。
受付の職員が受験者へ声をかける。
「それでは、これより三級魔法使い資格試験を開始します。受験者は指示に従ってください」
周囲の空気が変わった。
俺も気持ちを切り替える。
足元まで伸びた髪が、わずかに揺れる。
その一本へ魔力を通した。
準備はできている。
ここから先は、実力で進むしかない。