東の海。
青く広がる海面を、一隻の軍艦がゆっくりと進んでいた。船の側面を波が撫でるたび、白い飛沫が弾ける。甲板を吹き抜ける潮風が、海兵たちの制服を揺らしていた。遠くからは、ピィピィと、鳥の鳴き声が聞こえてくる。穏やかな海。雲一つない青空。東の海らしい、平和な光景だった。
その甲板の上で──
「腹が減ったのう……」
海軍中将、モンキー・D・ガープが腹をさすっていた。軍艦の食料が底を尽きかけていた。ガープが一人で食料食い尽くしていたからだ。このままではフーシャ村まで持たない。仕方なく、航路上にあった島へと立ち寄ることになった。やがて島が見えてくる。
「到着したな! よぉ〜し、お前達、食糧を調達してこい!」
「えぇ〜〜ッ!!」
部下たちから一斉に声が上がる。
「ほとんどガープ中将が食べたんですから、一緒に来てくださいよ!!」
「えぇ〜ッ!?」
ガープは驚いたように目を見開く。
「いいよ。」
「軽っ!!」
こうしてガープは、数人の部下を引き連れて島へと降り立った。
「それにしても、のどかな島ですね」
海兵の一人が周囲を見渡す。木々の葉が風に揺れている。遠くでは鳥がピィピィと鳴いていた。海岸からはザァザァと波の音が聞こえる。
「そうじゃのう」
ガープも辺りを見渡す。
「東の海が平和だという証───ッ!?」
その瞬間、ガープの足が止まった。
「ガープ中将?」
足を止めたガープへと部下が声をかけるが返事がない。ガープはただ、じっと前方を見つめている。
「どうしました?」
「……静かにせい」
「え?」
ガープの表情から、先ほどまでの笑みが消えていた。その様子に海兵達の頭には疑問符が浮かぶ。
「何か……おかしい」
海兵たちが顔を見合わせる。
「何もないですよ?」
「いや──」
ガープは目を細める。
「──何かいる」
その瞬間だった。ズシン、と空気が重くなった。
「……っ」
海兵の一人が息を呑む。
「な、なんだ……これ……」
海兵達の身体が震える。呼吸が苦しい。まるで巨大な何かに、頭上から押さえつけられているようだった。
「ガープ中将……!」
そしてガープを含めた海兵達を、更に強烈な圧力が襲う。。
「ぐっ……!」
「な、なんなんだ……!!」
海兵たちが次々と膝をつく。ガープだけは立っていた。しかし、その顔には、焦りが浮かんでいた。
「……覇気」
ガープが呟く。
「しかも……覇王色じゃと?ワシ達だけに向けられているのか…!?」
ありえない。この島には海賊の姿などない。ましてや最弱の海と称される東の海に、これほど強烈な覇気を持つ者がいるなど聞いたこともない。
「警戒せい!」
ガープが叫ぶ。
「敵がいるぞ!」
「は、はい!」
ガープの呼びかけに反応し、海兵たちが武器を構える。だが──
「……え?」
──一人が倒れた。
「おい!」
ガープが振り返る。すると一人、また一人と、海兵たちが次々と意識を失っていく。
「…………」
ガープは拳を握った。
「ワシには効かんが……」
周囲を見渡す。
「この覇気……いったいどこから出ておる?」
ガープは目を閉じた。意識を集中する。見聞色の覇気で島全体に広がる気配を探る。
「……そこか」
ガープが雑木林の方を向く。一歩。また一歩。木々の間を抜けていく。身体に当たる枝など気にも留めず歩いていく。どれほど歩いただろうか、ようやく木々が途切れた。視界が開けると、そこには青い海が広がっていた。
波が砂浜を撫でている。カモメが一羽、空を飛んでいく。その海岸に、小さなゆりかごが置かれていた。
「……?」
ガープが立ち止まる。
「なんじゃ、こりゃ……」
ゆりかごは、ひどく古びていた。ところどころ傷がつき、潮風に晒された跡がある。しかし、その中には、一人の赤ん坊がいた。
「…………」
泣いていない。眠ってもいない。ただ静かに、青空を見上げている。ガープはゆっくりと近づいた。
「お前……」
赤ん坊がガープの方へ顔を向ける。その瞳を見た瞬間。ガープの足が止まった。
「……ッ」
背筋に、冷たいものが走る。この覇気、間違いない。この赤ん坊からだ。
「まさか……」
ガープは赤ん坊を見つめる。
「この覇気を出しておったのは……お前なのか?」
赤ん坊は答えない。まだ言葉すら話せない。それでも、ガープをじっと見つめている。
「…………」
ガープはしばらく黙っていた。そして、ゆっくりとゆりかごへ手を伸ばす。赤ん坊の小さな手に触れる。その瞬間。ギュッ、と赤ん坊がガープの指を握った。
「……」
ガープが目を見開く。先ほどまで放たれていた覇気が、嘘のように消えた。鳥の鳴き声が戻ってくる。波の音も、穏やかに響いている。ガープは赤ん坊を見つめる。
「……ハッハッハッハッ!!」
突然、豪快な笑い声が海岸に響き渡った。
「とんでもねぇ拾い物をしちまったのう!!」
ガープは赤ん坊を抱き上げる。腕の中に収まる、小さな身体。だがこの小さな命が持つ力は、もし使い方を間違えれば、世界の均衡を崩し、世界そのものを揺るがす。ガープはそのことを、本能的に理解した。
「……お前、こんなところに一人でいたのか」
赤ん坊の顔を見る。返事の代わりに、小さな手がガープの胸元を掴んだ。
「そうか」
ガープは笑う。
「寂しかったんじゃな」
そして赤ん坊を抱きしめる。
「もう大丈夫じゃ」
潮風が二人の間を通り抜ける。ガープは海を見つめた。
「ワシが連れて帰ってやる」
その言葉に、赤ん坊が小さく瞬きをする。
「今日からお前は──」
ガープは少しだけ考え込んだ。
そして、ニヤリと笑った。
「──ワシの孫じゃ!!」
この日。後に世界から『海軍の怪物』と呼ばれる赤子は
海軍の英雄、モンキー・D・ガープに拾われた。