第9話 待つ才能
『転生(死にたくないよ)』の設計を完成させた翌日、フクリは何枚もの紙を机の上へ並べた。
最初に書いた、欲しいものをすべて詰め込んだ設計。
条件を一つずつ削り、必要メモリを下げていった途中の案。
最後に、転生後の名前を「フクリ」へ固定する制約を加え、九百メモリぴったりに収めた完成版。
そして、『容量判定(メモリー・ジャッジ)』によって表示された現在のメモリ状況。
フクリはそれらを順番に読み返した。
間違いがないことを確認し、紙を一つの封筒へ入れる。
表には、仕事の記録とだけ書いた。
宿の引き出しに鍵はない。
誰かに見られる可能性が絶対にないとは言えなかった。
地面へ埋めることも考えた。
村の家へ持ち帰ることも考えた。
内容をすべて覚え、紙を燃やしてしまう方法もある。
だが、地面へ埋めれば湿気や虫で傷む可能性がある。村へ持ち帰れば、両親が偶然見つけるかもしれない。処分すれば、細かな条件を忘れた時に確認できない。
結局、宿にいる間は引き出しの奥へ隠し、部屋を長く空ける時だけ持ち歩くことにした。
「二十二歳三か月」
フクリは封筒をしまいながら呟いた。
現在、十七歳と六か月。
あと四年九か月。
そこまで使用可能メモリを貯める。
途中で新しい能力は作らない。
小さな便利能力も。
工事現場で役立つ能力も。
危険を避ける能力も。
すべて我慢する。
千メモリまで貯め、最低保持量の百を残したうえで、九百メモリを『転生』へ使用する。
目標は明確だった。
必要量も分かっている。
いつ頃届くかも分かっている。
あとは待つだけ。
言葉にすれば、ひどく簡単だった。
◇
最初の一週間、フクリは毎晩『容量判定』を使った。
紙へ現在の状況を表示させる。
現在使用可能メモリ。
現在作成可能メモリ。
転生までの不足量。
予想到達年齢。
一日経てば、メモリは〇・一%増える。
だが、数字の変化は僅かだった。
昨日より少し増えている。
予想到達時期も、ほんの僅かに近づいている。
それでも、毎日確認するほどの変化ではない。
十日ほど経った頃、フクリは紙に浮かぶ数字を眺めながら、自分で呆れた。
「意味ないな、これ」
何度確認しても、増える速度は変わらない。
見ていれば早くなるわけではない。
忘れていても止まらない。
それどころか『容量判定』を使うために、僅かとはいえオーラと紙を消費している。
数字を毎日見れば、増え方の遅さばかりが気になった。
あと何日。
あと何メモリ。
そんなことばかり考えれば、四年九か月という時間が余計に長く感じられる。
フクリは毎日確認するのをやめた。
一週間に一度。
それもすぐに一か月に一度となった。
増加を忘れてしまうくらいがちょうどいい。
確認しなくても増える。
何もしなくても積み重なる。
そのために作った能力だった。
◇
工事現場での生活は変わらなかった。
朝、宿を出る。
同じ現場で働くダイゴたちと合流する。
資材を運び、道具を渡し、足場の周囲を片づける。
仕事が終われば食事を取り、宿へ戻る。
疲れている日は、扉と窓を確認してから絶へ入る。
身体を静かな休息状態へ置き、翌日に備える。
同じことの繰り返しだった。
念能力者らしい華やかな生活ではない。
魔獣を倒すこともない。
賞金首を追うこともない。
天空闘技場へ挑むこともない。
昼間は、普通の作業員として汗を流す。
夜は念の基礎を少しだけ練習する。
そして眠っている間にも、メモリは増える。
フクリは、その生活を気に入っていた。
何も起きない。
誰にも狙われない。
働いた分だけ給料が出る。
休めば疲れが回復する。
危険の多い世界では、平穏そのものが価値だった。
◇
現場では、念を使っていることを隠し続けた。
薄い纏で身体を守り、普通の人間より少し疲れにくい程度へ抑える。
重い資材を持てたとしても、一人では運ばない。
二人で持てと言われれば、素直に人を呼ぶ。
目立つほどの力を見せる理由はない。
誰かに強いと思われれば、より危険な仕事を任される可能性がある。
頼られる。
期待される。
面倒事を押しつけられる。
フクリにとっては、どれも望んでいないことだった。
少し仕事のできる若者。
慎重で、無茶をしない。
その程度でいい。
「フクリ、これくらいなら大丈夫だろ」
ある日、若い作業員が足場を見上げながら言った。
足場の一部が、僅かに傾いていた。
固定具も一か所だけ緩んでいる。
今すぐ崩れるようには見えない。
だが、複数人が乗り、重い資材を運べばどうなるか分からなかった。
「直してから登った方がいい」
フクリが答えると、若い作業員は不満そうな顔をした。
「時間がかかるぞ」
「落ちるよりはいいだろ」
「これくらいじゃ落ちないって」
「じゃあ、先に登って」
若い作業員は黙った。
自分でも登りたくないらしい。
「ダイゴさんに言ってくる」
「告げ口するのかよ」
「事故が起きた後で、黙ってた責任を押しつけられる方が嫌だから」
相手が何を言おうと、フクリは気にしなかった。
ダイゴと現場監督が確認した結果、固定具の一つに亀裂が見つかった。
その日の作業は一時中断され、足場は組み直された。
「よく見つけたな」
ダイゴが言った。
「見れば分かります」
「見ても気づかない奴が多いんだよ」
「それは見てないだけでしょう」
「だから、お前は他人に厳しいんだって」
ダイゴは笑った。
フクリも、自分が優しい性格ではないことを知っている。
注意すれば防げる危険を放置する人間には厳しい。
面倒だからと確認を省く者にも腹が立つ。
その結果、自分まで巻き込まれる可能性があるからだ。
他人の失敗へ寛容でいることと、危険を見逃すことは違う。
◇
だからといって、すべての揉め事へ首を突っ込むわけではない。
別の現場で、作業員同士の喧嘩が起きたことがあった。
二人とも前夜の酒が残っていたらしい。
最初は口論だった。
やがて肩を押し合い、一人が相手を殴った。
周囲の人間が止めようと近づく。
フクリは少し離れた場所から様子を見ていた。
一人の手には、金属製の工具が握られている。
興奮している。
誰へ振り回すか分からない。
念を使えば、取り押さえられるかもしれない。
だが、能力を隠したまま安全に止められる保証はない。
工具で殴られる可能性もある。
フクリは現場監督を呼びに走った。
戻った時には、数人の作業員によって二人は取り押さえられていた。
「お前も止めろよ」
後で一人の作業員に言われた。
「工具を持っていたので嫌です」
「仲間だろ」
「仲間でも殴られたくない」
「冷たい奴だな」
「監督は呼びました」
自分にできる範囲では動いた。
それ以上を求められても困る。
誰かが殺されそうなら、もう少し踏み込んだかもしれない。
だが、酔った大人同士の喧嘩で、自分まで怪我をするつもりはなかった。
自分の力で守れるものは守る。
力が及ばない。
あるいは危険が大きすぎるなら、手を引く。
その線引きを曖昧にすれば、いつか自分の命まで差し出すことになる。
◇
十八歳になった。
『容量判定』を作ってから半年が過ぎていた。
二百メモリを投入したことで、複利の元となる使用可能メモリは一度大きく減った。
当然、増加速度も落ちている。
本来なら、能力②を作らずに待った方が早く千へ届いた。
数字だけを見れば、予定を前倒ししたことは効率の悪い選択だった。
それでもフクリは後悔していなかった。
必要なメモリ量が見える。
現在値が分かる。
能力を作った後の残量も分かる。
上限へ届く時期も予測できる。
手探りだった能力設計が、計画へ変わった。
ただし、新しい問題も生まれた。
作りたい能力の必要量が見えるようになったことで、以前より誘惑が強くなったのだ。
◇
ある夜。
フクリは紙へ一つの能力を書いた。
「一日に一度、自分へ向かってくる致命的な危険を、発生する十秒前に頭痛として知らせる」
判定する。
必要メモリ:二四〇
高い。
だが、作れない数字ではない。
現在の使用可能メモリから二百四十を使っても、最低保持量の百は残せる。
もちろん『転生』の完成は大きく遅れる。
それでも、今の人生で死ぬ危険を減らせるなら、作る価値があるように思えた。
『転生』は、死んだ後の保険。
こちらは、死ぬ前に危険を避ける能力。
順番としては、むしろこちらを先に作るべきではないか。
フクリは設計を調整した。
対象を事故と攻撃だけに限定する。
病気は除外。
毒も除外。
すでに自分が認識している危険には反応しない。
通知方法は、短い頭痛のみ。
判定。
必要メモリ:一九八
「作れるな」
声が漏れた。
工事現場では、落下物や足場の事故が起きる。
この能力があれば、死ぬ可能性を減らせるかもしれない。
安全第一の自分に合っている。
メモリを使う正当な理由もある。
何時間も紙を見つめた。
作るべきか。
待つべきか。
頭の中では、二つの考えが何度も入れ替わった。
最終的に、フクリは紙を引き出しへしまった。
「今は作らない」
一日に一度しか使えない。
二度目の危険には反応しない。
致命的な危険の判定も完全ではない。
十秒前に頭痛が来ても、逃げられるとは限らない。
何より、能力があるから安全だと思い込み、自分で危険を確認しなくなる可能性がある。
便利な能力は、人間を助ける。
だが同時に、人間の注意力を弱くすることもある。
今は自分で確認する。
本当に必要だと判断した時に作ればいい。
少なくとも『転生』を完成させるまでは、メモリへ手をつけない。
フクリはもう一度、自分へ言い聞かせた。
◇
十八歳の冬。
父が工房で腰を痛めた。
命に関わる怪我ではない。
重い木材を持ち上げた時に、無理な姿勢になったらしい。
数週間休めば治ると、村の医者は言った。
それでも母から知らせを受けたフクリは、仕事を休み、すぐに村へ戻った。
家へ入ると、父は布団へ横になっていた。
「大げさだ。少し痛めただけだ」
「動けないのに?」
「ゆっくりなら動ける」
「じゃあ立ってみて」
「今は休んでるところだ」
「動けないんじゃないか」
「相変わらず厳しいな」
父は苦笑した。
フクリは数日間、工房の注文を整理した。
急ぎでない仕事は、事情を説明して延期してもらう。
簡単な修理は、自分ができる範囲で引き受ける。
父ほどの腕はない。
それでも子供の頃から手伝ってきたため、小さな棚や椅子の修理くらいならできた。
母の畑も手伝った。
家事もする。
薬を用意し、父が勝手に動こうとすれば止める。
「仕事はいいのか?」
父が尋ねた。
「休みをもらった」
「給料が減るぞ」
「貯金があるから大丈夫」
「俺のせいで使わせるのは悪いな」
「仲良くなった人には親身になる性格なんだよ」
「父親は、仲良くなった人に入るのか?」
「一応」
「一応か」
父は笑った。
フクリは他人には厳しい。
力が及ばないことには手を出さない。
だが、家族や仲良くなった人間には親身になる。
自分にできることなら、面倒でも動く。
父の腰を治す能力を作ろうとはしなかった。
考えなかったわけではない。
父だけに使える。
一度きり。
腰の怪我だけを対象にする。
条件を限定すれば、少ないメモリで作れるかもしれない。
だが医者は、休めば治ると言っている。
命の危険もない。
能力を作る必要はない。
何でも念で解決する癖をつければ、いつか判断を誤る。
数週間後、父はゆっくり仕事へ戻った。
重い物を持とうとするたび、フクリと母から注意された。
◇
十九歳。
二十歳。
時間は過ぎていった。
フクリの念の基礎も、少しずつ成長した。
纏は、日常生活で使う程度なら安定した。
薄く身体を覆いながら仕事をしても、以前ほど乱れない。
だが、熟練した念能力者と比べれば弱いだろう。
強い攻撃を防げるほど厚くない。
長時間の戦闘にも耐えられない。
練も多少は上達した。
以前より多くのオーラを生み出せる。
それでも、才能のある者のような爆発的な量ではない。
凝。
流。
堅。
硬。
前世の知識を頼りに、一人で応用技も試した。
目へオーラを集める。
身体の一部へ多く配分する。
攻撃と防御のため、オーラを移動させる。
一つを意識すれば、別の部分が薄くなる。
移動も遅い。
実戦で使える水準とは思えなかった。
六歳から修行を始め、十年以上。
それでも達人にはなれない。
時間をかければ誰でも天才へ追いつけるほど、世界は甘くない。
フクリの才能は、ゴンより下だった。
身体能力。
戦闘感覚。
オーラ操作。
どれも普通。
長く続けたからといって、簡単に極められるものではない。
だが、絶だけは違った。
◇
絶へ入る速度は、年々短くなった。
以前は目を閉じ、呼吸を整え、意識を集中する必要があった。
今では、絶へ入ろうと思った瞬間に近い速度で、全身の精孔を閉じられる。
立った状態でも。
歩いていても。
軽い作業をしていても。
静止している時ほど完璧ではないが、オーラを抑え続けることができる。
もちろん、絶だけで姿が消えるわけではない。
呼吸。
足音。
匂い。
服が擦れる音。
視線。
そうしたものまでは消えない。
だからフクリは、念を覚える前から続けてきた気配を薄くする訓練もやめなかった。
枝を踏まない。
足を強く地面へ置かない。
呼吸を乱さない。
相手を見つめすぎない。
周囲の音へ自分の音を混ぜる。
五年間積み重ねた身体技術。
念による絶。
その二つが重なることで、フクリの存在感は異常なほど小さくなっていった。
◇
ある休日。
村の森で絶の修行をしていた時、一人の狩人が近くを通りかかった。
フクリは木の陰に立っていた。
完全に隠れていたわけではない。
身体の半分ほどは、道から見える位置にある。
ただ絶へ入り、視線を外し、呼吸と音を小さくしていた。
狩人はフクリへ気づかず、そのまま数歩先まで進んだ。
フクリが絶を解く。
「こんにちは」
「うわっ!」
狩人は肩を跳ねさせ、勢いよく振り返った。
「いつからそこにいた!」
「さっきから」
「声をかけろよ! 心臓が止まるかと思ったぞ!」
「修行してたので」
「何の修行だ、それ」
「静かにする修行」
「静かすぎるわ!」
狩人は胸を押さえながら文句を言い、そのまま森の奥へ歩いていった。
フクリは小さな手応えを感じた。
念能力者へ通じるかは分からない。
熟練者なら、僅かな違和感から気づくかもしれない。
円を使われれば、見つかる可能性も高い。
それでも、一般人の感覚からは、かなり存在を消せるようになっていた。
絶だけなら。
それだけに限れば。
フクリは達人級と呼ばれる領域へ近づきつつあった。
だが、それを戦闘の強さとは考えなかった。
絶の最中に攻撃を受ければ弱い。
見つかった後に戦う能力もない。
得意なのは、戦うことではない。
戦いが始まる前に消えること。
それでよかった。
◇
二十歳のある夜。
フクリは久しぶりに、遊び半分で『容量判定』を使った。
紙へ書いたのは、前世で知っている能力だった。
「巨大な観音像を具現化し、祈りの動作を終えた後、使用者の意思に従って超高速の掌打を放つ」
ネテロの百式観音。
もちろん、本物の能力を調べられるわけではない。
『容量判定』の対象は、フクリが自分で作る能力だけ。
同じような能力を、自分が作る場合の必要量を調べるだけだった。
判定する。
しばらくして、紙へ文字が現れた。
判定不能:必要な身体能力、祈りの速度、具現化対象の構造、攻撃回数、射程、威力、発動制約が不明確です。
「そりゃそうか」
フクリは笑った。
百式観音は、文章だけ真似して作れる能力ではない。
ネテロの長い修行。
祈り。
感謝。
身体能力。
狂気にも近い年月。
それらが一つになって成立している。
能力だけを真似しても、同じものにはならない。
次に、自分の最初の能力を書いた。
「自身の念能力用メモリの九十%を使用し、残った百メモリを一日〇・一%ずつ複利で増加させる。上限は本来の最大量である千メモリ。百メモリ未満まで使用した場合、能力は永久に消滅する」
判定。
必要メモリ:九〇〇
「やっぱり九百か」
当然の結果だった。
自分で九百メモリを使って作った能力なのだから。
それでも、数字として改めて見ると重い。
十一歳の自分は、よくこの能力を作ったものだと思う。
念を覚えたばかり。
戦闘能力もない。
メモリの正確な量すら分からない。
その状態で、持っている容量の九割を差し出した。
「怖いもの知らずだったのか、考えなしだったのか」
どちらでもない。
怖かった。
何度も迷った。
それでも必要だと思い、作った。
その時の自分がいたからこそ、今の自分は能力を設計できている。
◇
二十一歳になった。
『転生』を作れる予想到達年齢まで、残り一年ほど。
使用可能メモリは上限へ近づいていた。
一日に増える量も、最初とは比べものにならない。
百メモリの頃は、一日〇・一。
今では、一日一メモリ近く増える。
複利の効果が、ようやく目に見える形で現れていた。
フクリは月に一度だけ、現在値を確認した。
現在使用可能メモリ。
不足量。
到達予定日。
少しずつ。
確実に近づいていく。
この頃になると、新しい能力を作りたい誘惑よりも、上限へ届く瞬間を見たい気持ちの方が強くなっていた。
あと少し。
ここまで待った。
今さら使う理由はない。
それでも油断はしなかった。
事故。
病気。
犯罪。
上限へ届く前に死ねば、『転生』を作れない。
働く時は以前より慎重になった。
食事。
睡眠。
体調。
少しでも異常を感じれば休む。
周囲からは、健康を気にしすぎだと笑われることもあった。
フクリは気にしなかった。
もうすぐ、死への最後の保険が完成する。
その直前に無理をする方が馬鹿らしい。
◇
二十一歳の冬。
ダイゴが工事現場を辞めることになった。
怪我をしたわけではない。
故郷へ戻り、親戚の店を手伝うらしい。
「お前には世話になったな」
最後の仕事を終えた後、ダイゴが言った。
「俺の方が教えてもらったと思いますけど」
「最初はな。途中からは、お前に危ない場所を指摘される方が多かった」
「見落としが多いからですよ」
「最後まで厳しいな」
ダイゴは笑った。
「お前、ずっと工事を続けるのか?」
「分かりません」
「木工もできるんだろ?」
「少しだけです」
「何か、やりたいことはないのか?」
フクリは少し考えた。
誰にも人生を邪魔されない力。
個人として最強になること。
ただし、それを誰かへ見せびらかしたいわけではない。
支配したいわけでもない。
権力も名声もいらない。
能力を設計し、長い時間をかけて、自分の安全を脅かすものがなくなる場所まで行く。
そんなことを説明するつもりはなかった。
「楽しく暮らしたいです」
「それだけか?」
「難しいですよ、それ」
ダイゴは少し驚いた後、ゆっくり頷いた。
「確かにな」
好きな人と過ごす。
美味しいものを食べる。
危険に怯えない。
自分の時間を、自分の意思で使う。
そのために、誰にも邪魔されない力が欲しい。
力そのものが目的ではなかった。
◇
二十二歳。
予想到達年齢まで、残り三か月。
フクリは村へ帰る回数を増やした。
父も母も、以前より歳を取っている。
父の髪には、白いものが混じり始めた。
母も、重い物を運ぶ時にはフクリを呼ぶようになった。
子供の頃は、二人がずっと同じ姿でいるように思っていた。
だが、時間は誰に対しても進む。
自分のメモリだけではない。
「最近、よく帰ってくるわね」
母が嬉しそうに言った。
「仕事が落ち着いてるから」
「町で何かあったんじゃないでしょうね」
「何もないよ」
「本当?」
「本当」
『転生』を作る日が近づいている。
そのことは言えない。
能力が完成しても、今の人生を捨てるつもりはない。
むしろ、今の人生を長く大切にするための能力だ。
それでも、自分の中で大きな区切りが近づいていることは分かった。
だから家族と過ごしたかった。
食卓を囲む。
父の工房を手伝う。
母の畑へ付き合う。
子供の頃と同じような日々。
フクリは、その一つ一つを以前より大切に感じていた。
◇
二十二歳と二か月。
あと一か月。
宿へ戻ったフクリは、『容量判定』を使った。
紙へ数字が浮かぶ。
現在使用可能メモリ:九七一
最低保持メモリ:一〇〇
転生に必要なメモリ:九〇〇
不足メモリ:二九
まだ足りない。
九百を使い、百を残すには、千メモリ必要だ。
残り二十九。
現在の増加量なら、予定どおり一か月ほど。
フクリは紙を畳んだ。
「そこまでは、生きる」
当然のことを、声に出した。
あと一か月だけ生きればいいわけではない。
その後も長く生きる。
だが、今は目の前の区切りへ集中する。
無理をしない。
危険な作業は避ける。
睡眠を取る。
体調を崩さない。
普通に暮らす。
それだけでいい。
窓の外には、町の灯りが見えた。
その上には星が広がっている。
フクリはしばらく眺めた後、部屋の灯りを消した。
周囲の安全を確かめ、絶へ入る。
布団へ横になる。
身体の疲労が、ゆっくりと抜けていく。
眠っている間にも、メモリは増える。
明日も。
その次の日も。
一日〇・一%ずつ。
待つことは、何もしないことではない。
欲しいものが目の前にあっても、必要な時まで手を伸ばさないこと。
焦り。
不安。
誘惑。
それらを抱えたまま、日常を続けること。
フクリは努力の天才ではない。
戦闘の天才でもない。
本当は我慢強い人間ですらなかった。
能力②も、予定より早く我慢できずに作った。
それでも、待つ理由を見失わない限り、何度でも立ち止まることができた。
そして間もなく。
長く待ち続けた千メモリが、ようやく彼の手へ届こうとしていた。