申し訳ないです。
第一章 能力の獲得
第13話 旅立ち
旅へ出ると決めてからの一か月は、思っていたより早く過ぎた。
フクリは工事現場の監督へ、仕事を辞めることを伝えた。
「旅に出る?」
監督は眉を寄せた。
「はい。ジャポンの外を見て回ろうと思っています」
「急な話だな」
「すみません」
「いや、辞めるなら仕方ない。だが、何か月か前には決めていたんだろ?」
「一応」
「なら、もう少し早く言え」
「そこは本当にすみません」
フクリは素直に頭を下げた。
能力③を完成させるまでは、本当に旅へ出るか決めきれていなかった。だが、職場からすればフクリの事情など関係ない。
幸い、出発までの一か月を引き継ぎに使うことで、揉めることなく辞められることになった。
長く働いた現場だった。
十六歳から六年以上。
特別な仕事ではない。
資材を運び、穴を掘り、足場を組む。暑い日も、寒い日も働いた。
仕事へ行きたくない朝は、数え切れないほどあった。
それでも給料を貯めたから、今こうして旅へ出られる。
念能力だけでは、飛行船の切符は買えない。
食事も、宿も、旅の道具も手に入らない。
地味な労働もまた、今の自分へつながる積み重ねだった。
◇
最後の出勤日。
仕事を終えると、同僚たちが簡単な送別の席を用意してくれた。
豪華なものではない。
安い酒と、少し多めの料理が並んでいるだけだった。
「お前がいなくなったら、誰が足場の亀裂を見つけるんだよ」
一人が言った。
「自分たちで確認してください」
「最後まで厳しいな」
「俺がいなくても事故は待ってくれませんよ」
「分かった、分かった」
笑い声が起きる。
フクリは酒を少しだけ口にした。
長く働いた相手ではあるが、全員と親しかったわけではない。名前しか知らない者もいる。
それでも、同じ場所で汗を流した時間は本物だった。
「旅先で困ったら戻ってこい」
監督が言った。
「また雇ってくれますか?」
「真面目に働くならな」
「仕事へ行きたくない日は多いですよ」
「それでも来てただろ」
「給料が必要だったので」
「理由は何でもいい。働く奴は働く奴だ」
フクリは少しだけ笑った。
「ありがとうございます」
戻るかどうかは分からない。
五年後、自分がどこで何をしているのかも分からない。
それでも帰れる場所が、村以外にも一つある。
そう思うと、悪い気はしなかった。
◇
仕事を辞めた後、フクリは宿を引き払った。
荷物は少ない。
母が縫った衣服。
父が作った小さな木箱。
地図。
薬。
水筒。
簡単な工具。
予備の靴。
そして、何年もかけて貯めた旅費。
金は複数に分けた。
財布。
衣服の内側。
荷物の底。
父が作った木箱には、念能力の設計書を入れてある。
すべてを盗まれても、旅が終わらないようにした。
荷物を背負い、長く暮らした部屋を見回す。
薄い壁。
歪んだ机。
何度も眠った布団。
『容量判定』と『転生』を作った場所。
特別に良い部屋ではなかった。
それでも、いざ離れるとなると少し寂しい。
「世話になったな」
誰もいない部屋へ言い、扉を閉めた。
◇
出発の前日。
フクリは村へ帰った。
家では、すでに旅の荷物がいくつも用意されていた。
「多くない?」
床に並ぶ袋を見て言うと、母は当然のように答えた。
「必要な物だけよ」
「俺が持ってきた荷物より多いんだけど」
「食べ物は途中で減るでしょう」
「飛行船には食堂もあるよ」
「口に合わなかったらどうするの」
「数日くらい我慢する」
「二十日分は入れておいたわ」
「重いよ」
「なら、食べれば軽くなるでしょう」
理屈としては間違っていない。
フクリは一つずつ確認し、本当に必要な物だけを選んだ。
母は不満そうだったが、最終的には荷物へ収まる量まで減らしてくれた。
父からは、短い木製の棒を渡された。
「何これ?」
「杖だ」
「まだ杖を使う歳じゃないよ」
「歩くためじゃない。道の確認に使え」
父は棒の先を指した。
「草むら。泥。穴。知らない道では、足を置く前に確かめろ」
武器ではない。
だが、旅には役立つ。
護身用の木刀などを渡されるより、フクリにはずっと合っていた。
「ありがとう」
「喧嘩には使うなよ」
「するつもりはない」
「襲われたら?」
「逃げる」
「ならいい」
父は満足そうに頷いた。
◇
最後の夕食は、普段とほとんど変わらなかった。
少し料理が多い。
フクリの好物が並んでいる。
それくらいだ。
父はいつものように酒を飲み、母は食事が足りているか何度も尋ねた。
旅の話ばかりをすることもなかった。
村の畑。
父の仕事。
知人の結婚。
近所で生まれた子供。
フクリがいなくなった後も続いていく日常の話をした。
その方がよかった。
別れを特別なものにしすぎれば、出発しづらくなる。
食事を終えた後、フクリは自分の部屋へ戻った。
壁には、六歳の誕生日に父からもらった虫取り網が掛けられている。
旅には持っていかない。
役に立たないし、壊したくもなかった。
網を手に取り、柄を軽く撫でる。
あの日から十六年。
前世の記憶を取り戻し、念を探し始めた。
五年かけて念へ目覚めた。
三つの能力を作った。
それでも、自分はまだ大したことを成し遂げていない。
個人最強。
誰にも人生を邪魔されない力。
その目標から見れば、ようやく準備が終わっただけだ。
フクリは虫取り網を元の場所へ戻した。
「行ってくる」
次に手に取るのは、二年後だ。
◇
翌朝。
まだ日が昇りきる前に家を出た。
飛行船の発着場がある町までは、乗合馬車で数日かかる。
村の入り口には、父と母だけでなく、何人かの知人も見送りに来ていた。
「随分遠くまで行くらしいな」
「土産を忘れるなよ」
「変な女に騙されるんじゃないぞ」
「そこは心配してないです」
「少しは心配しろ!」
笑い声が起きる。
フクリも笑いながら、一人ずつ挨拶をした。
最後に、父と母の前へ立つ。
「二年後ね」
母が言った。
「うん」
「手紙も」
「出せる場所から出す」
「食事は」
「食べる」
「病気になったら」
「医者へ行く」
「知らない人は」
「簡単には信用しない」
「でも、少しくらいは信用しろ」
父が口を挟む。
「どっちなんだよ」
「相手を見て決めろ」
「一番難しいやつだな」
父は笑い、フクリの肩を軽く叩いた。
「生きて帰れ」
「分かってる」
母は何かを言おうとして、言葉を止めた。
代わりにフクリを抱きしめる。
子供の頃以来かもしれない。
「絶対に帰ってきて」
「帰ってくる」
今回は、できる限りとは言わなかった。
帰る。
そのために慎重に生きる。
約束を守ることを、自分が旅を続ける理由の一つにする。
母の腕が離れる。
フクリは二人の顔を見た。
この景色を覚えておく。
『転生』が発動する遠い未来まで。
何度生まれ変わったとしても。
自分が最初に家族として生きた二人のことを、忘れない。
「行ってきます」
「ああ」
「行ってらっしゃい」
フクリは荷物を背負い、村を出た。
◇
発着場の町へ到着したのは、それから四日後だった。
目の前には、巨大な飛行船が停まっている。
フクリがこれまで見たどの建物よりも大きい。
人と荷物を大量に乗せ、海を越えて別の大陸へ向かう船。
前世では飛行機に乗ったことがある。
それでも、巨大な船体が空へ浮かぶ光景は別物だった。
受付で切符と身分証を見せる。
荷物を調べられる。
危険物はない。
念能力の設計書も、ただの紙にしか見えない。
問題なく乗船を許可された。
客室は安い相部屋だった。
豪華さはない。
だが、横になって眠れるだけで十分だ。
荷物を置き、甲板へ向かう。
出発を知らせる音が鳴った。
船体が僅かに揺れる。
地面が、ゆっくり遠ざかっていく。
「……飛んだ」
知識としては知っている。
この世界に飛行船があることも。
それでも実際に乗ると、胸が高鳴った。
町が小さくなる。
山が低くなる。
やがて、ジャポンの海岸線が見えた。
その向こうには海が広がっている。
目的地まで、およそ一か月。
帰る時にも一か月。
次に家族へ会えるのは二年後。
寂しさはある。
不安もある。
だが、それ以上に、これから何を見るのか楽しみだった。
できれば努力はしたくない。
危険なことも嫌いだ。
簡単な方へ流されたい。
そんな自分が、海の向こうへ向かっている。
念を覚えるまで五年もかかった。
強くなる才能もない。
それでも、途中でやめなかった。
少しずつ。
できる範囲で。
必要な時には待ちながら。
その積み重ねが、自分をここまで運んだ。
◇
フクリは甲板の端へ立ち、遠ざかるジャポンを眺めた。
ここが、人の命を紙切れより軽く扱うこともある世界だということを、フクリは知っている。
だからこそ、安全に強くなる。
命を大切にする。
守れるものは守る。
守れないものへ無謀に手を伸ばさない。
いつか、誰にも人生を邪魔されないだけの力を手に入れる。
それは誰かへ誇るためではない。
世界を支配するためでもない。
ただ、楽しく生きるため。
父と母のもとへ、何度でも帰るため。
「まずは五年」
使用可能メモリが再び千へ届くまで。
旅をする。
念を学ぶ。
武術を学ぶ。
世界を見る。
フクリは海の先へ視線を向けた。
その先に、何が待っているのかは分からない。
心源流という名も。
デスロという師範も。
十三歳のビスケも。
すでにハンター協会会長となっている、六十歳のネテロも。
今のフクリは、まだ何も知らなかった。
飛行船は速度を上げ、ジャポンの海岸線が少しずつ霞んでいく。
フクリの最初の二十二年。
三つの念能力を手に入れるまでの、長い準備期間。
それは、ここで終わる。
そして。
誰にも知られない一人の特質系能力者が、初めて世界へ踏み出した。
第一章 能力の獲得 完
これで1章完です。
年齢の計算が間違えているので修正しますが
2章が出来ているので先に2章にいきます。
修正遅くなったらすいません。
計算むずいよーー!