第3話 10日間の道 前編
翌朝。
フクリは空が明るくなり始める前に宿を出た。
昨日まで持っていた旅用の杖がないため、歩いていると片手が妙に軽く感じる。
まず向かうのはゴルド武具店。
心源流へ向かう乗合馬車が出るまで、まだ少し時間がある。
店へ着くと、主人はすでに戸を開けていた。
「早いな」
「馬車に遅れたくないので」
「昨日は道に迷ったらしいじゃないか」
「誰から聞いたんです?」
「ニコが来た。旅人を案内して200ジェニー稼いだと自慢していたぞ」
「町中に言い回ってそうですね」
「今日は迷わず来られたな」
「同じ道なら覚えています」
店主は笑いながら、作業台の下からフクリの杖を取り出した。
杖の先には、黒い金具が取り付けられている。
金具は先端を保護するだけでなく、杖全体の重心が少し前へ寄るよう調整されていた。
フクリは受け取り、周囲へ当てないよう小さく振る。
以前より僅かに重い。
だが、嫌な重さではない。
先端の位置を感じやすく、どこまで届くのか分かりやすくなっている。
「いいですね」
「作った父親も、悪くない腕をしている」
「木工職人です」
「武器職人じゃないのが惜しいな。芯が真っすぐで、握る位置もよく考えられてる」
「道の穴を確かめるための杖ですけどね」
「道具は使う者次第だ。杖にもなるし、棒にもなる」
フクリは杖の柄を撫でた。
父には喧嘩へ使うなと言われている。
それを金具まで付けて武術へ使おうとしているのだから、少しだけ後ろめたい。
もっとも、誰かを殴るためではない。
身体の使い方を学ぶためだ。
説明すれば、たぶん許してくれる。
少し文句は言われるだろうが。
「壊すなよ」
「なるべく」
「そこは壊さないと言え」
「武術に使うなら、絶対とは言えないでしょう」
「変なところで正直だな」
店主へ料金の残りを払い、フクリは杖を持って店を出た。
◇
乗合馬車は町の東門近くに停まっていた。
幌を張った大型の車体。
前には、普通の馬より一回り大きな獣が2頭つながれている。
馬に似ているが、脚は太く、頭部には短い角があった。
長距離移動用に飼育された種類らしい。
御者が名簿を確認する。
「フクリ。心源流近くのロウ村までだな」
「はい」
「途中で3つの町と4つの村に寄る。順調なら10日。雨で道が悪くなれば、12日くらいだ」
「分かりました」
「荷物は後ろへ固定しろ。金目の物は自分で持て。なくしても責任は取らん」
「自分で持ちます」
馬車には、すでに10人ほどの乗客が座っていた。
大きな荷箱を抱えた商人。
幼い子供を連れた夫婦。
薬草の匂いが染みついた老婆。
腰へ剣を下げた若い男。
太い腕を露出させた武術家らしい男。
心源流へ向かう者ばかりではないようだ。
フクリは空いている場所へ座り、杖を膝の横へ置いた。
「それ、武器か?」
向かいに座っていた武術家風の男が尋ねた。
「旅用の杖です」
「先に金具が付いてるぞ」
「昨日付けてもらいました」
「なら武器だろ」
「武術を習ったことがないので、今はまだ杖です」
男は一瞬黙り、声を上げて笑った。
「面白い言い方するな。心源流へ行くのか?」
「そのつもりです」
「俺もだ」
「入門希望ですか?」
「道場破り」
フクリは男の顔を見た。
冗談を言っている様子ではない。
年齢は30歳前後。
体格はよく、両拳には古い傷がいくつもある。
「本当に?」
「何だ。その反応は」
「同じ馬車に、いきなり道場破りがいると思わなかったので」
「今の心源流には、俺みたいなのが各地から集まってる」
「勝てそうですか?」
「分からん」
「分からないのに挑むんです?」
「分からないから面白いんだろ」
男は当然のように答えた。
フクリには、あまり理解できない考え方だった。
勝てると分かっている相手だけを選ぶのも格好が悪い。
だが、勝てるか分からない相手へ自分から挑むのも怖い。
武術家というものは、強い相手を見れば戦ってみたくなるらしい。
「あなたは、何のために戦うんです?」
「自分がどこまで通じるか知るためだ」
「負けたら?」
「鍛え直す」
「大怪我したら?」
「治す」
「死んだら?」
「そこまでだ」
迷いのない返事だった。
フクリは自分の中にある『転生(死にたくないよ)』を意識した。
自分なら、死んでも次がある。
だが、それでも同じ答えは出せない。
転生できるからといって、死を試したいとは思わなかった。
ただ、以前ほど男の考えを否定する気にもならない。
命の使い方は人それぞれだ。
この男にとっては、強さを確かめることが人生を楽しむ方法なのだろう。
「お前は入門希望か?」
「見てから決めます」
「弱そうだな」
「弱いですよ」
「そこは否定しないのか」
「否定しても強くならないので」
男はまた笑った。
「俺はバルガだ」
「フクリです」
「入門試験で落ちるなよ。道場破りの前にいなくなったら面白くない」
「落ちたら、外から見てます」
「それでも来るのか」
「面白いものが見られると言われたので」
「それは俺のことかもしれんな」
「違うと思います」
「即答するな!」
バルガの大声に、馬車の中から笑いが起きた。
◇
御者が鞭を鳴らす。
角のある馬たちが歩き始めた。
石畳の振動が車輪を通して伝わる。
馬車は町の門を抜け、広い街道へ出た。
港町の建物が、ゆっくり遠ざかっていく。
飛行船とは違い、景色が近い。
畑で働く人。
道端を歩く旅人。
小さな祠。
荷物を積んだ馬車。
同じ道を進む者たちの顔まで見える。
フクリは、窓代わりに開いた幌の隙間から外を眺めた。
知らない土地を、自分が進んでいる。
飛行船では、目的地まで運ばれている感覚の方が強かった。
馬車は速度が遅い。
揺れも大きい。
だが、その分だけ土地の変化を感じられた。
◇
昼を過ぎた頃。
隣へ座っていた商人が、フクリとバルガの会話へ加わった。
「心源流は、やめておいた方がいいぞ」
「どうしてです?」
フクリが尋ねる。
「新しすぎる。武術は、何代もかけて技を磨くものだ。できて数年の流派に、何が分かる」
商人は50歳ほど。
武術家には見えない。
だが、心源流については何か思うところがあるらしい。
「弟子が道場破りを倒してると聞きましたけど」
「噂だろう」
「実際、俺の知人が負けている」
バルガが口を挟んだ。
「お前の知人が弱かっただけかもしれん」
「だから俺が確かめに行く」
「そういう連中が流派を有名にするんだ。騒がれるほど人が集まり、実力以上に持ち上げられる」
商人は心源流を嫌っているようだった。
「何かされたんですか?」
「息子が入門試験に落ちた」
理由が分かった。
「それで嫌いなんですね」
「嫌いとは言っていない」
「褒めてはいませんね」
「息子は5年、別の道場で修行した。それを、あの師範は一目見ただけで追い返した」
「理由は?」
「知らん。息子も話したがらない」
店主から聞いたデスロの人物像を思い出す。
弟子を見れば、最初に何が向いていないかを言う。
商人の息子も、何か厳しいことを言われたのかもしれない。
「それでも息子さんは、また武術を?」
「続けている」
「なら、追い返されても無駄にはなってないんじゃないですか」
「お前は簡単に言うな」
「すみません」
仲良くもない相手へ、余計なことを言った。
フクリは素直に引いた。
商人は少し不満そうだったが、それ以上怒ることはなかった。
「ただな」
商人が続ける。
「心源流を見て、武術を始める若者が増えたのは事実だ。新しい流派だからこそ、今までの決まりに縛られないとも聞く」
「嫌いなのか認めてるのか、どっちなんです?」
バルガが笑う。
「息子を落としたのは気に入らん。だが、実力まで否定する気はない」
商人はそっぽを向いた。
息子を落とされたことは腹立たしい。
それでも心源流が弱いとは思っていない。
複雑な親心らしい。
◇
夕方。
馬車は街道沿いの小さな宿場町へ到着した。
最初の夜は、ここで過ごす。
御者から翌朝の日の出前に出発すると告げられ、乗客たちはそれぞれ宿へ向かった。
フクリは馬車と契約している宿へ入り、相部屋の寝台を確保した。
荷物を置いた後、そのまま町へ出る。
長く座っていたため、身体を動かしたかった。
宿場町は港町より小さい。
それでも、ジャポンの村とは違う。
通りの中央には細い水路が流れ、人々は石造りの橋を渡っている。
水路の横には店が並び、夕食を求める旅人で混雑していた。
フクリは湯気の立つ大鍋を見つけた。
中には、白く細い麺と、見慣れない緑色の野菜が入っている。
「1杯ください」
昨日の辛い料理に続き、知らないものを選んだ。
受け取った汁を飲む。
酸っぱい。
次に甘い。
最後に僅かな辛さが残る。
「味が忙しいな」
「不味いか?」
店主が尋ねる。
「面白いです」
「褒めてるのか、それ」
「多分」
店主は笑った。
フクリも麺をすすりながら笑う。
昨日も今日も、知らない味ばかりだった。
旅へ出なければ、一生食べることはなかったかもしれない。
失敗して不味い料理を選ぶ日もあるだろう。
それも含めて悪くない。
◇
食事を終え、宿へ戻ったフクリは、紙と筆記具を取り出した。
書くのは旅の記録ではない。
次に作る念能力の設計案だった。
能力を発動した瞬間の身体能力を100とする。
7日ごとに1%上昇。
7日間かけ、身体を新しい強さへ慣らす。
上限なし。
寿命を伸ばす効果は持たせない。
皮膚を硬質化する。
大枠は決まっている。
だが、まだ曖昧な部分が多い。
フクリは紙へ最初の疑問を書いた。
身体能力とは何か。
筋力。
速度。
反応速度。
持久力。
骨の強度。
腱。
内臓。
感覚器官。
回復力。
すべてを含めるなら、必要メモリは大きくなる。
逆に筋力だけを増やせば、身体の別の部分が耐えられない。
強くなった腕で殴り、骨が折れる。
脚力だけが上がり、腱が切れる。
反応速度へ身体が追いつかず、自分から壁へ激突する。
そんな能力では意味がない。
全身を均等に強くする必要がある。
だが、均等とは何を基準にするのか。
筋力が1%増えた時、骨の耐久力も1%で足りるのか。
内臓が必要とする能力は、筋力と同じ比率なのか。
フクリには、人体の専門知識がなかった。
「武術だけじゃ足りないな」
身体について学ぶ必要がある。
心源流で、どこまで教えてもらえるかは分からない。
医学。
解剖。
食事。
身体の回復。
能力設計のために、そうした知識も必要になる。
フクリは紙へ書き足した。
能力完成前に、人体の構造を学ぶ。
5年。
長いようで、やることを並べれば短い。
◇
次に、能力名を考える。
『力は全てを凌駕する』
意味は気に入っている。
どれほど巧妙な能力も。
どれほど優れた技術も。
最終的には、それを上回る圧倒的な身体能力で押し切れる。
単純だ。
単純だからこそ強い。
だが、今のフクリには、その名前は少し大げさにも感じた。
武術の才能はない。
戦闘経験もほとんどない。
そんな自分が「力は全てを凌駕する」と名付ける。
少し恥ずかしい。
「能力が強くなるのは何十年も先だから、いいか」
今の自分が名前に見合っていなくても構わない。
時間が追いつけばいい。
7日に1%。
1年で約52回。
単純に考えれば、1年後には現在よりかなり強くなる。
10年。
50年。
100年。
複利なら、いずれ常識的な身体能力を遥かに超える。
ただし、まだ複利式にするかは決めていない。
毎回、発動時点の100に対して1%を加算するのか。
成長した身体へ、さらに1%を掛け続けるのか。
後者なら伸び方は大きい。
その分、必要メモリも増えるはずだ。
フクリは迷わず書いた。
成長は複利式。
時間を味方にする能力なのだ。
ここだけは譲るつもりがなかった。
◇
紙を眺めていると、部屋の扉が開いた。
入ってきたのはバルガだった。
「何を書いてる?」
フクリは紙を裏返した。
「日記です」
「隠すのが早すぎるだろ」
「日記を見せる趣味はありません」
「俺の悪口か?」
「今日会ったばかりなのに、日記へ書くほど興味ないですよ」
「お前、たまに言葉が刺さるな」
「すみません」
「謝ればいいってもんじゃないぞ」
文句を言いながらも、バルガは笑っていた。
フクリの向かいの寝台へ腰を下ろす。
「心源流へ入ったら、何を学びたい?」
「身体の使い方です」
「技じゃないのか?」
「技を覚えても、身体が扱えなければ意味がないでしょう」
「分かってるじゃないか」
「自己流を10年以上続けても、大して強くなれなかったので」
バルガの笑みが止まった。
「10年?」
「念を……」
言いかけて止める。
「身体を鍛え始めてからです」
「その割に、武術家の身体には見えんな」
「才能がないんですよ」
「それでも続けるのか?」
「今より少しは強くなれるので」
バルガは少し考え、寝台へ背を預けた。
「俺には分からんな」
「何がです?」
「才能がないと分かってることを、10年も続ける気持ちだ」
「途中でやめる理由がなかっただけです」
「強くなれないなら、別の道を選ぶだろ」
「武術家になることが目的じゃありませんから」
戦って名を上げたいわけではない。
自分の人生を守るために、必要な分だけ強くなりたい。
その先は、念能力と時間で補う。
もちろん、それをバルガへ説明するつもりはなかった。
「お前、心源流に合うかもしれんな」
「さっき弱そうって言ってませんでした?」
「弱いことと、合うことは別だ」
「そういうものですか」
「知らん。俺は入門する気ないからな」
「無責任ですね」
「道場破りに責任を求めるな」
その通りだった。
◇
バルガが眠った後。
フクリは紙を小さく折り、木箱へしまった。
能力案はまだ未完成。
今『容量判定(メモリー・ジャッジ)』へかけても、判定不能になるだろう。
焦る必要はない。
使用可能メモリが1000へ戻るまで約5年。
その間に学べばいい。
武術。
人体。
念の基礎。
精神。
必要な知識を集め、無駄な機能を削る。
500メモリ前後に収める。
残りのメモリで、精神を守る能力も作る予定だ。
フクリは扉と窓を確認し、絶へ入った。
身体からオーラが消える。
馬車の揺れで溜まった疲れが、静かに抜けていく。
明日も朝から移動だ。
目的地までは、あと9日。
心源流がどんな場所なのか。
入門試験で何を見られるのか。
店主が言った「面白いもの」が何なのか。
まだ何も分からない。
だが、分からないことを以前ほど嫌だとは思わなかった。
答えは山の上にある。
そこまで行けば、自分の目で確かめられる。
フクリは僅かな期待を抱きながら、眠りへ落ちていった。