第2話 六歳の記憶
六歳の誕生日から数日が過ぎた。
父にもらった虫取り網は、毎日のようにフクリの肩へ掛けられていた。
今日も朝食を食べ終えると、友達と森へ向かう約束をして家を飛び出す。
「行ってきます!」
「暗くなる前には帰ってきなさいよ!」
「はーい!」
母の声に返事をしながら走り出す。
夏の日差しは暖かく、村の子供たちは今日も元気いっぱいだった。
「今日は絶対あのカブトムシ捕まえるぞ!」
「昨日逃げられたやつ?」
「そう!」
森へ入り、木を一本一本見て回る。
クヌギの木。
倒れた丸太。
腐りかけた切り株。
夢中になって探しているうちに、いつの間にか友達とは少し離れてしまっていた。
「……あれ?」
辺りを見回す。
友達の姿は見えない。
少し森の奥まで来てしまったらしい。
「まあ、戻ればいいか。」
そう思って歩き出した、その時だった。
ズキン——。
「っ……!」
頭の奥に、今まで感じたことのない激痛が走った。
思わず膝をつく。
「いた……っ!」
息が詰まる。
視界が揺れる。
耳鳴りがする。
頭の中へ、何かが流れ込んできた。
知らない街。
見上げるほど高い建物。
鉄でできた乗り物。
見たこともない文字。
パソコン。
スマートフォン。
会社。
満員電車。
漫画。
株価チャート。
数字。
数字。
数字。
そして——
白い光。
「……あ。」
全部、繋がった。
俺は、思い出した。
前世のことを。
会社員として生きた三十年余り。
漫画が好きだったこと。
株が好きだったこと。
積み重ねることが好きだったこと。
そして交通事故で死んだこと。
全部。
全部思い出した。
どれくらい時間が経ったのか分からない。
気付けば、森の中で座り込んでいた。
「……転生、したのか。」
自然と口から言葉が漏れる。
驚きはあった。
でも、不思議と混乱は少なかった。
今の俺は、前世の俺になったわけじゃない。
六年間ここで生きてきたフクリの記憶も、ちゃんと残っている。
父と母。
友達。
村で過ごした日々。
全部、本物だった。
だから俺は、
前世の俺でもあり、フクリでもある。
その両方だった。
「……帰ろう。」
虫取り網を拾い上げ、ゆっくりと家へ向かう。
さっきまで夢中で探していたカブトムシのことなど、すっかり頭から消えていた。
◇
「ただいま。」
「あら、おかえり。今日は早かったのね。」
母は夕飯の支度をしながら振り返った。
「どうしたの? 元気ない?」
「少し疲れただけ。」
「熱でもあるの?」
母は心配そうに額へ手を当てる。
その温もりを感じた瞬間、胸の奥が少し熱くなった。
この人は、俺を六年間育ててくれた母だ。
血の繋がりなんて関係ない。
俺にとっては、本当の母親だった。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。」
自然と笑顔になる。
心配をかけたくなかった。
◇
その夜。
眠れなかった。
前世の記憶を一つずつ整理していく。
そして、ある漫画のことを思い出した。
「……HUNTER×HUNTER。」
その名前を思い浮かべた瞬間、心臓が大きく脈打つ。
まさか。
いや、そんなはずは。
頭の中で、この世界の記憶を思い返す。
ジャポンという国。
聞いたことのある地名。
どこか現代とは違う文化。
偶然だろうか。
それとも——。
「確認しよう。」
焦っても意味はない。
思い込みで動けば痛い目を見る。
まずは情報を集める。
それから判断すればいい。
俺はそういう人間だった。
◇
翌日から、フクリは今まで以上に周囲の話へ耳を傾けるようになった。
旅人が来れば話を聞く。
父の客との会話を聞く。
本があれば読む。
少しずつ。
本当に少しずつ。
世界のことを知っていった。
ある日、父へ何気なく聞いてみた。
「父さん。」
「ん?」
「ハンターって知ってる?」
「ああ。」
父は木を削りながら頷いた。
「珍しい仕事らしいな。」
「らしい?」
「この辺じゃ見ないからな。旅人から聞いた話しか知らん。」
フクリの鼓動が少し速くなる。
「じゃあ、ネテロって人は?」
父は手を止め、少し考えた。
「いや、聞いたことないな。」
「そうなんだ。」
母も首を傾げる。
「旅人のお友達?」
「そんな感じ。」
やっぱり違うのか。
まだ会長じゃないから一般人は知らない――などと、この時のフクリは思いつきもしない。
前世の知識と、この世界の記憶が混ざっているだけかもしれない。
そう自分を納得させた。
◇
それから数か月後。
村へやって来た商人が、一枚の世界地図を広げていた。
興味本位で覗き込んだフクリは、その場で息を呑む。
「……。」
見覚えがある。
この形。
この大陸。
間違いない。
心臓の鼓動が一気に速くなる。
ここは——。
HUNTER×HUNTERの世界だ。
しかも、まだゴンが生まれるよりずっと昔。
未来の知識はあっても、歴史を変えられるほど詳しいわけじゃない。
それでも、一つだけ確信したことがあった。
「俺は、死なない。」
英雄になるつもりはない。
世界を救うつもりもない。
ただ。
父と母と、平和な毎日を守れるくらいには強くなりたい。
そして何より。
俺自身が、生き続けたい。
それが、フクリがこの世界で初めて決めた人生の目標だった。