0.1%の積み重ね   作:仮面のカルメン

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第4話 才能のない男

 

第4話 才能のない男

 

 馬車の旅は、その後も大きな問題なく続いた。

 

 朝になれば出発し、昼には村や宿場町へ立ち寄る。

 

 夜になれば安宿へ入り、翌日に備えて眠る。

 

 景色は少しずつ変わっていった。

 

 広い草原は減り、道の両側には背の高い木が増えた。遠くに見えていた山々も、日を追うごとに近づいてくる。

 

 空気も港町より冷たい。

 

 旅の後半には緩やかな坂道が続き、馬車を引く獣たちの歩みも遅くなった。

 

 フクリは揺れる車内で、窓の外を眺めていた。

 

 心源流の道場まで、あと半日ほど。

 

 10日間という時間は、始まる前には長く感じた。

 

 だが、同乗者と話し、町へ立ち寄り、次の念能力の設計を考えているうちに過ぎてしまった。

 

「そろそろだな」

 

 向かいへ座ったバルガが、拳を握りながら言った。

 

「楽しそうですね」

 

「当然だ。やっと戦える」

 

「追い返されるかもしれませんよ」

 

「それを確かめに行くんだろうが」

 

「大怪我はしないでくださいね」

 

「俺の心配か?」

 

「帰りの馬車で、隣に重傷者がいると落ち着かないので」

 

「お前は素直じゃないな」

 

「本音ですよ」

 

 バルガは声を上げて笑った。

 

 この10日で何度か話したが、その考え方は最後までよく分からなかった。

 

 勝てるか分からない相手へ挑む。

 

 怪我をしても、負けても、それすら楽しむ。

 

 フクリにはできない。

 

 だが、嫌いな人間ではなかった。

 

 単純で、裏表がない。

 

 自分が戦いたいから戦う。

 

 誰かへ同じ生き方を強制するわけでもない。

 

 少なくとも、酒に酔って周囲へ迷惑をかける人間よりは付き合いやすかった。

 

「お前は入門試験か」

 

 バルガが尋ねる。

 

「受けさせてもらえれば」

 

「落ちたらどうする」

 

「別の道場を探します」

 

「悔しくないのか?」

 

「まだ受けてもいないので」

 

「落ちた後の話だ」

 

「武術の才能がないことは知ってますからね」

 

 悔しくないとは言わない。

 

 海を渡り、馬車で10日もかけて来た。

 

 その場で追い返されれば、何も感じないはずがない。

 

 それでも、入れなければ終わりではない。

 

 武術を教える道場はほかにもある。

 

 旅の時間も5年間ある。

 

 心源流へ入ることが目的ではない。

 

 次の念能力を作る時、その基準となる身体を少しでも高めることが目的だった。

 

「お前は、もっと悔しがった方が強くなるぞ」

 

「そういうものですか?」

 

「俺は負けるたびに、次は絶対に勝つと思ってきた」

 

「それで今から道場破りですか」

 

「ああ」

 

「何回くらい負けたんです?」

 

「数えてない」

 

「かなり多そうですね」

 

「喧嘩を売ってるのか?」

 

「少し興味があっただけです」

 

 バルガは拳を鳴らした。

 

 冗談だと分かっているため、フクリも逃げなかった。

 

 この男と自分では、強さを求める理由が違う。

 

 だが、負けても続けるという点だけは似ているのかもしれない。

 

     ◇

 

 昼を少し過ぎた頃、馬車は山間の村へ到着した。

 

 ロウ村。

 

 心源流の道場に最も近い村だと聞いている。

 

 家は50軒ほど。

 

 宿。

 

 食堂。

 

 雑貨店。

 

 旅人向けの店もいくつか並んでいる。

 

 新しくできた心源流が有名になったことで、見学者や入門希望者が増え、村も少しずつ賑わい始めたらしい。

 

 御者が荷物を下ろしながら言った。

 

「道場は北の山だ。歩いて2時間ほどかかる」

 

「馬車は出てないんですか?」

 

 フクリが尋ねる。

 

「途中から道が狭くなる。歩いた方が早い」

 

「荷物を全部持って登るのか」

 

 別の乗客が嫌そうな顔をした。

 

「宿へ預ければいい。入門できるかも分からんのに、全部持っていく必要はないだろ」

 

 もっともだった。

 

 フクリも村の宿へ向かい、部屋を取った。

 

 着替えや旅道具は置いていく。

 

 持っていくのは、金。

 

 水。

 

 少量の食べ物。

 

 父からもらった杖。

 

 身分を示す書類。

 

 念能力の設計書を入れた木箱は、少し迷った末に荷物の奥へ隠した。

 

 宿の鍵が絶対に安全だとは思わない。

 

 だが、道場へ持っていき、誰かの前で落とす方が困る。

 

 能力の条件は頭へ入っている。

 

 最悪、設計書を失っても書き直せる。

 

「行くぞ、フクリ」

 

 宿の外からバルガの声が聞こえた。

 

「一緒に行くんですか?」

 

「目的地は同じだろ」

 

「入門希望者と道場破りが並んで行くのは、印象が悪くないですか?」

 

「俺の仲間だと思われるのが嫌か?」

 

「はい」

 

「正直だな!」

 

 結局、2人で山道へ向かうことになった。

 

     ◇

 

 道場へ続く道は、きれいに整備されていた。

 

 最初は緩やかな坂。

 

 途中から石段へ変わる。

 

 周囲には高い木々が立ち並び、村の音はすぐに聞こえなくなった。

 

 鳥の声。

 

 風で揺れる葉。

 

 時々、山の奥から響く獣の鳴き声。

 

 フクリは杖を使いながら、一定の速さで登った。

 

 工事現場で身体を使ってきたため、歩くことには慣れている。

 

 だが山道は平地と違う。

 

 普段使わない筋肉へ負担がかかる。

 

 1時間も経つ頃には、呼吸が少し重くなっていた。

 

 バルガは平然としている。

 

「遅いぞ」

 

「先に行ってください」

 

「道場破りが先に着いたら、お前の入門試験が後回しになるかもしれんぞ」

 

「それは嫌ですね」

 

「なら急げ」

 

「嫌がらせですか?」

 

「応援だ」

 

「雑だな」

 

 フクリは少し歩調を上げた。

 

 身体の周囲へ留めている力を、ほんの僅かに厚くする。

 

 自分が扱っている力の正式な名前は知らない。

 

 身体から漏れ出す何か。

 

 それを周囲へ留めれば、疲れにくくなる。

 

 完全に閉じれば、気配が薄くなる。

 

 長年試し続け、そうした扱い方を身につけた。

 

 だが、体系的な知識はない。

 

 どこまで正しいのかも分からない。

 

 心源流が本当にその力を扱う場所なら、ようやく答えを知ることができるかもしれなかった。

 

     ◇

 

 石段を登り切ると、大きな木造の門が見えた。

 

 看板には、太い文字で心源流と書かれている。

 

 門の先には広い庭。

 

 その奥には、想像していたより大きな道場が建っていた。

 

 できて数年の新しい流派。

 

 小さな建物を想像していた。

 

 だが、母屋。

 

 稽古場。

 

 弟子たちの宿舎らしい建物。

 

 倉庫。

 

 複数の建物が並んでいる。

 

 庭では、20人ほどの弟子が稽古をしていた。

 

 全員が同じ動きをしているわけではない。

 

 拳を打ち込む者。

 

 木剣を振る者。

 

 地面へ座り、目を閉じる者。

 

 重い石を運ぶ者。

 

 2人1組で組手を行う者。

 

 新しい流派と聞いていたが、すでに多くの弟子がいる。

 

「思ったより大きいな」

 

 フクリが言う。

 

「有名になれば、金も人も集まる」

 

 バルガは門の前で拳を鳴らした。

 

「さて、誰が相手だ」

 

「着いてすぐやるんですか?」

 

「そのために来た」

 

「受付くらいした方がいいですよ」

 

「道場破りに受付があるのか?」

 

「礼儀は必要でしょう」

 

「お前は入門希望者だからな。先に行け」

 

「一緒に来たと思われたくないので、少し離れていてください」

 

「まだ言うか」

 

 フクリが門をくぐろうとした時、庭で稽古していた弟子の1人がこちらへ気づいた。

 

 20歳ほどの青年。

 

 短い髪。

 

 道着の袖を肘までまくっている。

 

「何の用ですか?」

 

「入門について話を聞きたいんですが」

 

 フクリが答える。

 

「そちらの人は?」

 

「道場破りだ」

 

 バルガが胸を張る。

 

 青年は驚かなかった。

 

 慣れているらしい。

 

「またですか」

 

「またとは何だ」

 

「今月で6人目です」

 

「多いですね」

 

 フクリが言うと、青年は疲れた顔で頷いた。

 

「話題になってから増えました」

 

「師範はいるか?」

 

 バルガが尋ねる。

 

「います。ただ、すぐに戦えるとは限りません」

 

「誰でもいい。強い奴を出せ」

 

「そう言う人は多いんですけどね」

 

 青年は困ったように頭をかいた。

 

「とりあえず、2人ともこちらへ」

 

「俺も?」

 

 フクリが聞く。

 

「入門希望者も、まず師範と話してもらいます」

 

 案内され、2人は庭の端を歩いた。

 

 稽古していた弟子たちが、時々こちらを見る。

 

 特にバルガへ向けられる視線は冷たい。

 

 毎月何人も道場破りが来るなら、歓迎されないのは当然だろう。

 

 フクリは、少し距離を取って歩いた。

 

「分かりやすく離れるな」

 

 バルガが小声で言った。

 

「知り合って10日だけですから」

 

「十分仲間だろ」

 

「旅の同乗者です」

 

     ◇

 

 案内されたのは、道場の奥にある小さな部屋だった。

 

 広い稽古場ではない。

 

 床には畳。

 

 壁には何本かの木剣と棒が掛けられている。

 

 部屋の中央には、1人の男が座っていた。

 

 年齢は50歳前後。

 

 身体は大きくない。

 

 筋肉も、バルガほど目立たない。

 

 髪には白いものが混じっている。

 

 深い皺のある顔。

 

 一見すれば、どこにでもいる中年の男に見えた。

 

 だが、座っているだけなのに隙がなかった。

 

 肩に力は入っていない。

 

 呼吸も静か。

 

 それでも、どの方向から近づいても気づかれるような感覚がある。

 

 この男が師範デスロ。

 

 フクリは直感した。

 

 その隣には、小柄な少女が座っていた。

 

 金色の髪を高い位置でまとめている。

 

 整った顔立ち。

 

 年齢は13歳ほど。

 

 少女は菓子らしいものを口へ入れながら、面白くなさそうにこちらを見た。

 

「また道場破り?」

 

 少女が言う。

 

「そうだ」

 

 バルガが答える。

 

「今度こそ強いといいわね、だわさ」

 

 語尾が妙だった。

 

 だが、それよりフクリは少女の顔を見ていた。

 

 見覚えがある。

 

 原作で知っている姿より幼い。

 

 それでも、特徴は残っている。

 

 ビスケット=クルーガー。

 

 ビスケ。

 

 前世で知っている人物が、目の前にいた。

 

 フクリはすぐに視線を外した。

 

 見つめすぎれば不自然だ。

 

 この時代のビスケが心源流にいることは知らなかった。

 

 13歳。

 

 原作の頃より50年以上若い。

 

 口調も、知っているものとは違う。

 

 身体もまだ小さい。

 

 だが、すでに普通の少女ではないことは、座り方だけでも分かった。

 

「そっちの地味な方は?」

 

 ビスケがフクリを指した。

 

「入門希望者です」

 

 案内してきた青年が答える。

 

「弱そうだわさ」

 

 初対面の少女から、迷いなく言われた。

 

「そうですね」

 

 フクリが答えると、ビスケが眉を寄せた。

 

「否定しないの?」

 

「弱いので」

 

「張り合いがないわさ」

 

 ビスケは菓子をもう1つ口へ入れた。

 

     ◇

 

「名前を聞こう」

 

 中央に座る男が口を開いた。

 

 声は低い。

 

 大きくないのに、部屋の空気が変わった。

 

「バルガだ。拳闘を15年やっている。心源流へ勝負を挑みに来た」

 

「フクリです。ジャポンから来ました。武術を学べる場所を探しています」

 

 デスロは、まずバルガを見た。

 

 顔。

 

 肩。

 

 拳。

 

 足。

 

 全身へ視線を動かす。

 

 それだけで、バルガの表情が僅かに硬くなった。

 

「お前は右拳を3度壊しているな」

 

「なぜ分かる」

 

「握り方が歪んでいる。腰も右へ逃げる癖がある」

 

 バルガが自分の拳を見る。

 

「それでも戦うか?」

 

「当然だ」

 

「なら後で相手を用意する」

 

「お前じゃないのか?」

 

「私が出る必要があれば出る」

 

 デスロの声には、挑発も自信もなかった。

 

 事実を述べているだけ。

 

 それが逆に、バルガの闘志を刺激したようだった。

 

「面白い」

 

 バルガが笑う。

 

 デスロは次に、フクリへ視線を向けた。

 

 目が合う。

 

 その瞬間、身体の表面だけではなく、内側まで見られているような感覚を覚えた。

 

 フクリは反射的に、身体から漏れる力を閉じそうになった。

 

 だが止める。

 

 急に気配を消せば、かえって不自然だ。

 

 普段どおり。

 

 身体の周囲へ力を薄く留める。

 

 隠そうとせず、乱さない。

 

 デスロはしばらく黙っていた。

 

「武術経験は?」

 

「自己流で10年以上です」

 

 ビスケが菓子を噴きそうになった。

 

「嘘でしょ?」

 

「本当です」

 

「その立ち方で10年?」

 

「才能がないので」

 

「才能がないっていう問題じゃないわさ。何をしてたら、10年やってそんなに弱そうになるのよ」

 

「身体を鍛えたり、呼吸や足音を消す練習をしたりです」

 

「足音?」

 

「危険な獣や人に見つかりにくくするためです」

 

 ビスケが呆れた顔をする。

 

「武術の修行じゃないわさ」

 

「だから強くなれてないんでしょうね」

 

「じゃあ何で10年って言ったのよ」

 

「身体を鍛え始めてから10年以上なので」

 

「紛らわしいわさ」

 

「すみません」

 

 デスロは、フクリの身体を見たまま尋ねた。

 

「呼吸や足音以外には、何をした」

 

 フクリは少し考えた。

 

 どこまで話すべきか。

 

 力の存在を最初から知っていたとは言えない。

 

 その扱い方の名前も知らないことにする。

 

 実際、この世界で誰からも教わってはいない。

 

「続けているうちに、身体から何かが漏れているような感覚に気づきました」

 

 部屋の空気が僅かに変わった。

 

 ビスケが菓子を持ったまま止まる。

 

「何かって?」

 

「説明しづらいです。熱とも空気とも違う。身体の内側から出て、周りに広がっている感じです」

 

「それをどうしたの?」

 

「外へ出ないよう、身体の周りに留めようとしました。完全に閉じると、気配が薄くなることにも気づきました」

 

「誰かに教わった?」

 

「いいえ」

 

「言葉は?」

 

「何の言葉です?」

 

「その力や、使い方の名前」

 

「知りません」

 

 ビスケはデスロを見る。

 

 案内してきた青年も、先ほどまでより真剣な表情になっていた。

 

 デスロだけは表情を変えない。

 

「いつ気づいた」

 

「11歳の頃です」

 

 念へ目覚めた年齢。

 

 そこだけは正直に答える。

 

「それ以前は?」

 

「呼吸を整えたり、動かずに座ったり、気配を消す真似をしていました」

 

「何年間だ」

 

「5年ほどです」

 

 ビスケが目を丸くした。

 

「5年も?」

 

「はい」

 

「誰にも教わらず、同じことを5年続けたの?」

 

「ほかに方法を知らなかったので」

 

「普通は途中でやめるわさ」

 

「何かある気がしたので」

 

 前世の知識があった。

 

 本当は、確実にあると知っていた。

 

 だが、それは言えない。

 

 長く続けるうちに、何かを感じた。

 

 その程度なら、不自然ではないはずだった。

 

「見せてみろ」

 

 デスロが言った。

 

「何をですか?」

 

「お前が気配を消す時にやっていることだ」

 

「分かりました」

 

 フクリは少し迷った。

 

 これは唯一、自信のある技術だ。

 

 どこまで見せるべきか。

 

 下手に隠せば、不自然になる。

 

 ここで学ぶつもりなら、基礎の実力を正確に見せた方がいい。

 

 フクリは周囲を確認した。

 

 道場内。

 

 敵意のある者はいない。

 

 気配を消しても、突然攻撃されることはないだろう。

 

 そう判断し、全身から漏れる力を閉じた。

 

     ◇

 

 オーラが消える。

 

 フクリ自身は、その正式な名前を口にしない。

 

 全身の精孔を閉じる。

 

 呼吸を小さくする。

 

 視線を散らす。

 

 身体の力を抜き、存在を部屋の背景へ混ぜる。

 

 デスロの視線は、変わらずフクリへ向いている。

 

 ビスケも見ている。

 

 数秒。

 

 10秒。

 

 部屋にいる全員が黙っていた。

 

 やがてデスロが言った。

 

「戻していい」

 

 フクリは閉じていた力を解放し、再び身体の周囲へ薄く留める。

 

 デスロは目を閉じた。

 

 何かを考えている。

 

「今のは、絶だわさ」

 

 ビスケが言った。

 

 フクリは、初めて聞いたように彼女を見る。

 

「絶?」

 

「身体から出るオーラを閉じる技術よ」

 

「オーラ」

 

「それも知らないの?」

 

「名前は知りませんでした」

 

「じゃあ本当に、何も知らずにやってたの?」

 

「そうなりますね」

 

 ビスケは信じられないものを見るようにフクリを見た。

 

「気持ち悪いわさ」

 

「悪口ですか?」

 

「半分は褒めてるの。絶だけ、ほかと釣り合ってないわさ」

 

「そんなにですか」

 

「身体の周りにオーラを留める方は雑。立ち方は素人。身体も大して鍛えられてない。それなのに絶だけは、あたしより上手いかもしれない」

 

 ビスケは悔しそうに言った。

 

 13歳とはいえ、すでにかなりの実力者なのだろう。

 

 そのビスケが認めるなら、長年続けた修行は無駄ではなかった。

 

「身体の周りへオーラを留める技術は纏という」

 

 デスロが言った。

 

「お前はそれも偶然身につけている」

 

「纏」

 

「オーラを増やすことは?」

 

「身体の内側から多く出そうとすることならできます」

 

「それは練だ。ただし、お前の練はひどい」

 

「そこまで分かりますか」

 

「見れば分かる」

 

 デスロは淡々と続けた。

 

「お前は、偶然オーラを自覚した。そこから独学で纏と絶に似た技術へ辿り着いた。だが、体系的な知識がない。正しい訓練も受けていない」

 

「そうだと思います」

 

「偶然念へ目覚めた者としては珍しい。だが、天才ではない」

 

「はい」

 

「むしろ遅い。オーラを感じるまで5年。そこから10年以上経っても、纏は不安定。練も力任せだ」

 

 厳しいが、予想どおりだった。

 

 フクリは黙って聞く。

 

「ただし、絶だけは本物だ」

 

 デスロが続ける。

 

「才能で身につけたものではない。同じことを長く繰り返し、1つの技術だけを深くした結果だろう」

 

「見つからないために覚えた技術ですけどね」

 

 フクリが言うと、デスロの口元が僅かに動いた。

 

 笑ったのかもしれない。

 

「目的は問わん。身につけたものが残っているなら、それは無駄ではない」

 

 ビスケが不満そうに口を挟む。

 

「でも、武術の才能はないわさ」

 

「ああ」

 

 デスロは即答した。

 

 少しくらい否定してほしかった。

 

「身体能力も並。反応も並。動きを見て覚える能力も高くない。戦闘感覚も、今のところ感じない」

 

「全部ないですね」

 

「そうだな」

 

「入門は無理ですか?」

 

「なぜ武術を学びたい」

 

 デスロが尋ねた。

 

 フクリは少し考えた。

 

 個人として最強になりたい。

 

 誰にも邪魔されず、楽しく生きたい。

 

 次の能力を作る時、基準となる身体能力を高くしたい。

 

 すべて本当だ。

 

 だが、念能力の設計について話すつもりはない。

 

「自分の人生を、自分で守れるようになりたいからです」

 

「誰かを倒すためではない?」

 

「できれば、戦わずに済ませたいです」

 

「武術家として名を残す気は?」

 

「ありません」

 

「大会へ出たい?」

 

「興味はないです」

 

「なら、なぜ心源流でなければならない」

 

「ここでなければならないとは思ってません」

 

 ビスケが眉を上げた。

 

「よく師範の前で言えるわね、だわさ」

 

「見学して、合わなければ別の場所へ行くつもりでした」

 

「失礼な奴だわさ」

 

「嘘を言うよりいいでしょう」

 

 デスロは怒らなかった。

 

「正しい」

 

 短く答える。

 

「流派へ入ることが目的になれば、学ぶべきものを見失う。心源流が合わなければ、別の場所へ行けばいい」

 

「では、見学は?」

 

「その前に試す」

 

「入門試験ですか?」

 

「ああ」

 

     ◇

 

 デスロは立ち上がった。

 

 座っている時には大きく見えなかった。

 

 立っても身長はフクリと大きく変わらない。

 

 だが、身体を起こす動きがあまりにも滑らかだった。

 

 手を床へつかない。

 

 勢いも使わない。

 

 気づいた時には立っている。

 

「何をするんです?」

 

「簡単だ」

 

 デスロは壁へ掛けてあった木剣を1本取り、フクリへ投げた。

 

 フクリは慌てて受け取る。

 

「剣は使えません」

 

「知っている」

 

「では、何を?」

 

「ビスケ」

 

 呼ばれた少女が立ち上がる。

 

「何よ」

 

「相手をしろ」

 

 ビスケがフクリを見た。

 

 そして、あからさまに嫌そうな顔をする。

 

「この人と?」

 

「ああ」

 

「弱すぎて試験にならないわさ」

 

「だから、お前が相手をする」

 

「意味が分からない」

 

「すぐ分かる」

 

 デスロは部屋の外へ歩き始めた。

 

「試験は、ビスケから1本取ることですか?」

 

 フクリが尋ねる。

 

「違う」

 

「では、何をすれば合格です?」

 

 デスロは振り返らなかった。

 

「自分で考えろ」

 

 最も困る答えだった。

 

     ◇

 

 庭の稽古場へ出る。

 

 弟子たちが動きを止め、こちらを見た。

 

 道場破りのバルガ。

 

 入門希望者のフクリ。

 

 そして、木剣を持つビスケ。

 

 何かが始まると分かり、人が集まってくる。

 

「俺の勝負が先じゃないのか?」

 

 バルガが不満そうに言った。

 

「見ていろ」

 

 デスロが答える。

 

「その後、お前の相手も用意する」

 

 フクリとビスケは庭の中央へ立った。

 

 フクリは木剣を両手で持つ。

 

 構え方は知らない。

 

 前世の映画や漫画で見た形を真似る。

 

 それだけで、ビスケが顔をしかめた。

 

「ひどい構えだわさ」

 

「俺もそう思います」

 

「剣先が揺れてる」

 

「重いので」

 

「それ、練習用の軽いやつよ?」

 

「普段使わない筋肉が疲れてます」

 

「本当に10年何してたのよ」

 

 周囲から小さな笑い声が起きる。

 

 腹は立たなかった。

 

 事実だからだ。

 

 だが、このまま何もできずに終わるのは嫌だった。

 

 試験の合格条件は、自分で考えろと言われた。

 

 ビスケに勝つことではない。

 

 そんなことは不可能だ。

 

 1本取る。

 

 触れる。

 

 一定時間立っている。

 

 攻撃を避ける。

 

 何を見られているのか分からない。

 

「始めろ」

 

 デスロが言った。

 

     ◇

 

 ビスケの姿が消えた。

 

 そう見えた。

 

 次の瞬間、フクリの手から木剣がなくなっている。

 

 地面へ落ちる音がした。

 

 手首に軽い痺れ。

 

 ビスケは最初とほとんど同じ場所へ立っていた。

 

「終わり?」

 

 ビスケが言った。

 

 速い。

 

 見えなかった。

 

 オーラを使ったのか。

 

 純粋な身体能力か。

 

 それすら判断できない。

 

 フクリは地面の木剣を拾った。

 

「もう1回お願いします」

 

「何回やっても同じだわさ」

 

「そうかもしれません」

 

「なら諦めたら?」

 

「試験が終わったとは言われてないので」

 

 ビスケはデスロを見る。

 

 デスロは何も言わない。

 

「仕方ないわね」

 

 ビスケが再び構えた。

 

 今度は見る。

 

 目へオーラを集める。

 

 先ほど名前を教えられた技術ではない。

 

 だが、フクリは独学で似たことを試していた。

 

 ただし苦手だ。

 

 目へ集中すれば、身体の周りに留めたオーラが薄くなる。

 

 それでも相手を見るためには必要だった。

 

「始め」

 

 ビスケが動く。

 

 今度は僅かに見えた。

 

 右。

 

 そう思った時には、木剣が飛ばされていた。

 

「遅いわさ」

 

「少し見えました」

 

「見えても反応できてないじゃない」

 

「次は動きます」

 

「次もあるの?」

 

 デスロは止めなかった。

 

     ◇

 

 3回目。

 

 4回目。

 

 5回目。

 

 すべて一瞬で木剣を落とされた。

 

 防ぐこともできない。

 

 避けることもできない。

 

 ビスケは手加減している。

 

 本気なら、フクリの手首ごと折ることもできるだろう。

 

 それでも、少しずつ分かってきた。

 

 毎回、同じ攻撃ではない。

 

 右。

 

 左。

 

 上。

 

 下。

 

 フクリの構えを見て、最も簡単に木剣を落とせる場所へ攻撃している。

 

 なら、攻撃を当てることを考えるべきではない。

 

 構えを変える。

 

 木剣を落とされにくい持ち方を探す。

 

 ビスケの動きを見る。

 

 今できるのは、それだけだ。

 

「何回やるつもり?」

 

「試験が終わるまで」

 

「師範」

 

 ビスケがデスロを見る。

 

「まだだ」

 

「いつまで?」

 

「お前が決めろ」

 

「私が?」

 

「相手をするのはお前だ」

 

 ビスケは面倒そうに息を吐いた。

 

「じゃあ、あと1回で終わりだわさ」

 

「分かりました」

 

 最後の1回。

 

 フクリは木剣を拾った。

 

 勝つことはできない。

 

 木剣も守れないかもしれない。

 

 それでも、何かを見せなければならない。

 

 先ほど絶と呼ばれた技術を使うか。

 

 一瞬だけ存在感を消し、ビスケの判断を遅らせる。

 

 だが、オーラを閉じれば防御力がなくなる。

 

 攻撃を受ければ危険だ。

 

 それ以前に、ビスケほどの相手へ通じるかも分からない。

 

 通じなかったとしても。

 

 今の自分に、最も得意なものはそれしかない。

 

「始め」

 

 デスロの声。

 

 フクリは全身のオーラを閉じた。

 

     ◇

 

 呼吸を消す。

 

 力を抜く。

 

 それまで木剣を構えていた存在が、一瞬だけ薄くなる。

 

 ビスケの目が僅かに見開かれた。

 

 その瞬間、フクリは前ではなく横へ飛んだ。

 

 攻撃するためではない。

 

 距離を取るため。

 

 ビスケの初撃が空を切る。

 

 初めて避けた。

 

 だが、喜ぶ暇はなかった。

 

 次の瞬間には、ビスケが目の前にいる。

 

 フクリはオーラを閉じた状態を解き、木剣を両手で握り直した。

 

 守る。

 

 木剣へ衝撃が走る。

 

 手が痺れる。

 

 握りが外れそうになる。

 

 それでも離さなかった。

 

 ビスケの眉が動く。

 

「へえ」

 

 さらに力が加わった。

 

 耐えられない。

 

 フクリは木剣を守ることをやめ、自分から手を離した。

 

 木剣が地面へ落ちる。

 

 その間に2歩下がった。

 

 ビスケの次の攻撃は来なかった。

 

「何で離したの?」

 

「守れないと思ったので」

 

「試験中なのに?」

 

「木剣を守って手を壊すよりいいでしょう」

 

「勝つ気がないわさ」

 

「勝てない相手に、勝てるふりをしても意味がないです」

 

 ビスケは不満そうにフクリを見る。

 

 だが、最初のような退屈そうな顔ではなかった。

 

     ◇

 

「そこまで」

 

 デスロが言った。

 

 フクリは木剣を拾い、元の場所へ戻す。

 

「不合格ですか?」

 

「何を見られていたと思う」

 

 また質問だった。

 

 フクリは試験を振り返る。

 

 技術。

 

 身体能力。

 

 才能。

 

 それを見るだけなら、1回で十分だった。

 

 何度も続けさせた理由。

 

「自分で考えられるか」

 

 フクリが答える。

 

「それから?」

 

「できないことを認められるか」

 

「ほかには」

 

「……やめ時を判断できるか」

 

 最後に木剣を手放した。

 

 守れない物を守ろうとして、手を壊す必要はない。

 

 試験で勝つことより、自分の身体の方が大切だ。

 

「半分正解だ」

 

 デスロが言った。

 

「残り半分は?」

 

「明日から考えろ」

 

 フクリは一瞬、意味を理解できなかった。

 

「明日から?」

 

「入門を認める」

 

 周囲の弟子たちから、小さなどよめきが起きた。

 

 ビスケも驚いた顔をする。

 

「本気?」

 

「ああ」

 

「才能ないわよ、この人」

 

「見れば分かる」

 

「5年鍛えても、大して強くならないかもしれないわさ」

 

「それも分かっている」

 

「じゃあ、何で?」

 

 デスロはフクリを見る。

 

「才能がある者は、どの道場でもある程度は強くなる」

 

 静かな声だった。

 

「心源流が必要なのは、才能が足りない者だ」

 

 フクリは何も言わなかった。

 

「ただし、楽な修行はない」

 

「努力は、あまり好きじゃないんですが」

 

 周囲が静かになった。

 

 ビスケが呆れた顔をする。

 

「入門を認められた直後に言うこと?」

 

「できれば楽な方がいいので」

 

「なら帰ればいいわさ」

 

「楽な方法がないなら、必要な分はやります」

 

 デスロは僅かに笑った。

 

「それでいい」

 

 努力を好きになる必要はない。

 

 苦しむことを楽しむ必要もない。

 

 必要だからやる。

 

 フクリには、その方が合っていた。

 

     ◇

 

「俺の勝負は?」

 

 バルガが声を上げた。

 

「忘れられてないか?」

 

「忘れてはいない」

 

 デスロは庭の弟子たちを見回した。

 

「ビスケ」

 

「また私?」

 

「相手をしろ」

 

 バルガの顔が引きつった。

 

「その子供が?」

 

「誰が子供だわさ!」

 

 ビスケが一瞬でバルガの前へ移動した。

 

 先ほどフクリへ向けていたものとは比べものにならない圧力が広がる。

 

 バルガの表情から笑みが消えた。

 

「なるほど」

 

 拳を構える。

 

「面白い」

 

 フクリは庭の端へ下がった。

 

 入門を認められた。

 

 それだけでも頭が追いついていない。

 

 目の前には13歳のビスケ。

 

 師範デスロ。

 

 そして、店主が言っていた「面白いもの」は、おそらくまだ別にある。

 

 ビスケとバルガの勝負が始まろうとした時。

 

 道場の奥から、ゆっくりと1人の男が歩いてきた。

 

 背は高い。

 

 黒い髪。

 

 鍛え上げられた身体。

 

 見た目は、まだ老人とは呼べない。

 

 だが、その顔には見覚えがあった。

 

 前世で何度も見た。

 

 年齢も、姿も違う。

 

 それでも、見間違えるはずがない。

 

「ほう」

 

 男は庭を見渡し、楽しそうに笑った。

 

「今日は、面白そうな客が多いのう」

 

 アイザック=ネテロ。

 

 60歳。

 

 現在のハンター協会会長。

 

 会うつもりのなかった人物が、そこにいた。

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