第9話 5年という時間
心源流へ入門してから、2年が過ぎた。
その頃には、フクリもようやく道場の生活へ慣れていた。
朝は誰よりも早く起きる。
立つ。
走る。
型を繰り返す。
組手を行う。
夜は念の基礎を学び、絶の鍛錬を欠かさない。
毎日同じことの繰り返し。
だが、その繰り返しが少しずつ身体を変えていた。
◇
「組手を始めろ」
デスロの合図で、フクリはロドと向かい合う。
入門当初は、一瞬で終わっていた相手。
今でも勝てる相手ではない。
それでも。
以前とは違う。
ロドの拳が飛ぶ。
半歩だけ身体をずらす。
避けた。
続けて蹴り。
受ける。
衝撃は大きい。
腕が痺れる。
それでも崩れない。
「おっ」
ロドが少し驚いた。
「今日は少し違うな」
「ありがとうございます」
「まだ余裕あるぞ」
その直後。
足払い。
身体が浮く。
受け身。
地面へ転がる。
勝負は終わった。
「負けました」
「前なら最初の3秒で終わってた」
「今日は15秒くらいでしたね」
「その考え方、本当に変わってるな」
ロドは苦笑した。
◇
組手を見ていたデスロが言う。
「技術はまだ未熟だ」
「はい」
「判断も遅い」
「はい」
「だが、崩れなくなった」
フクリは頭を下げた。
「ありがとうございます」
「褒めてはいない」
「知ってます」
デスロは少しだけ口元を緩めた。
この2年間で、表情の変化が少し分かるようになっていた。
他人から見れば無表情。
だが、フクリには僅かな違いが見える。
機嫌が悪い時。
考えている時。
少しだけ満足している時。
今は最後だった。
◇
「フクリ!」
昼休み。
庭からビスケの声が聞こえる。
「来なさい!」
「何です?」
「組手するわさ」
「昼ご飯食べてからで」
「食べながら動けばいい」
「無理でしょう」
「じゃあ5分だけ」
「5分でも嫌です」
結局、引っ張られて庭へ連れていかれた。
この頃には、ビスケは15歳になっていた。
以前より身長も伸び、身体つきも引き締まっている。
それでも、まだ筋肉質な姿ではない。
「今日は何をするんです?」
「避けるだけ」
「攻撃は?」
「しちゃ駄目」
「受けるのも?」
「駄目」
「じゃあ逃げるだけですね」
「違う!」
ビスケが一歩踏み込む。
拳。
蹴り。
肘。
次々に攻撃が飛んでくる。
フクリは避け続けた。
受けない。
反撃もしない。
ただ避ける。
30秒。
1分。
以前なら考えられない時間だった。
「そこ!」
ビスケの足払い。
避ける。
その瞬間、拳が頬をかすめた。
「終わり」
ビスケが笑う。
「惜しかったわさ」
「今のは読めません」
「だから練習するの」
以前は何も見えなかった。
今は違う。
避けられる攻撃が増えている。
もちろん、ビスケは本気ではない。
それでも成長は感じていた。
◇
「最近、少し楽しくなってきました」
修行の帰り道。
フクリが言うと、ビスケは驚いた顔をした。
「武術が?」
「はい」
「やっと?」
「立って歩いてるだけの頃よりは」
「あれは地獄だったわさ」
「本当に」
2人で少し笑った。
以前なら考えられないことだった。
最初は顔を合わせれば口論。
今でも言い合いは多い。
だが、お互いのことは理解し始めている。
「フクリ」
「何です?」
「前より少しだけ、悔しそうな顔するようになった」
「そうですか?」
「うん」
「多分」
フクリは少し考えた。
「勝てそうな気がしてきたからですかね」
「誰に?」
「昨日の自分です」
ビスケは呆れたように笑った。
「やっぱり変わってるわさ」
◇
その年の冬。
フクリは2年ぶりにジャポンへ帰ることになった。
約束どおり、2年に1度の帰省である。
道場から港まで10日。
船で約20日。
さらに陸路を進み、ようやく故郷へ着く。
往復で約2か月。
滞在は1か月。
旅費は、働いて貯めていた金から支払った。
「本当に帰るの?」
出発の日。
ビスケが聞いた。
「約束してますから」
「また戻ってくる?」
「戻りますよ」
「どうして?」
「まだ5年終わってません」
「そうじゃなくて」
ビスケは少し言いにくそうに続ける。
「途中で嫌になったりしない?」
フクリは少し驚いた。
「心配してくれてるんですか?」
「違う!」
いつもの返事だった。
「帰ってこなかったら、絶で勝てないままだから」
「それだけです?」
「それだけ」
「なら安心してください」
フクリは笑う。
「戻ってきます」
「約束よ」
「はい」
◇
港へ向かう馬車の中。
フクリは窓の外を眺めていた。
2年間。
武術は少しずつ身についてきた。
念の基礎も安定した。
絶はさらに磨かれた。
だが、使用可能メモリはまだ1000へ届かない。
あと3年。
その時、新しい能力を作る。
身体能力を永続的に積み重ねる能力。
今も設計だけは少しずつ頭の中で修正していた。
発動した瞬間の身体能力を100とする。
そこから7日に1%ずつ上昇。
身体を7日かけて慣らす。
皮膚も少しずつ硬くなる。
寿命は伸びない。
上限もない。
能力そのものは、ほぼ完成している。
だが、まだ作らない。
メモリ1000になるまで待つ。
それがフクリの決めたルールだった。
◇
港へ着く直前。
フクリはふと思った。
「この2年間、一度も家族へ手紙を書いてないな」
忙しかったわけではない。
ただ、毎日が充実しすぎていた。
ジャポンを出た時は、不安ばかりだった。
今は違う。
帰る場所があり。
また戻ってくる場所もある。
心源流は、少しずつ自分の居場所になり始めていた。
そして。
この帰省が終われば、残り3年。
フクリの人生は、さらに大きく動き始めることになる。