第10話 2年ぶりの帰郷
心源流を出発してから、フクリがジャポンへ到着するまで約1か月かかった。
山間の道場からロウ村へ下り、乗合馬車で10日。
港町で飛行船の出発を待ち、海を越える。
来た時と同じ道を、今度は反対方向へ進んでいく。
2年前は、見るものすべてが新しかった。
飛行船の広さ。
窓の外に広がる海。
初めて話す外国の人々。
何を食べても、どこを歩いても、ジャポンとの違いを探していた。
だが、帰りの飛行船では少し違う。
窓の外へ広がる海を眺めながら、フクリは心源流で過ごした2年間を振り返っていた。
立つことから始めた。
歩くことに何週間もかかった。
拳の握り方を直され、受け身を失敗し、組手では何度も地面へ転がされた。
今でも門弟の中で強い方ではない。
ロドにはほとんど勝てない。
ビスケに至っては、まともな勝負にもならなかった。
それでも、2年前の自分とは違う。
飛行船が揺れれば、以前は壁や寝台へ手をついて身体を支えていた。
今は足裏で揺れを受け流し、何かへつかまらなくても立っていられる。
歩く時も、余計な力を使わなくなった。
荷物の重さを腰と脚へ分散させるため、長く歩いても疲れにくい。
小さな変化ばかりだった。
だが、その小さな変化が身体全体へ積み重なっている。
「悪くないな」
フクリは船室の通路を歩きながら呟いた。
武術の才能は低い。
覚える速度も遅い。
それでも、2年分の時間が消えたわけではない。
何度も繰り返したものは、確かに身体へ残っていた。
◇
飛行船での生活は、来た時より穏やかだった。
大きな嵐もない。
乗客同士の揉め事も起きない。
フクリは朝と夕方に、船室の隅で簡単な型を行った。
大きく拳を振れば周囲の迷惑になる。
そのため、姿勢と重心の移動だけを確かめる。
立つ。
片足へ体重を移す。
もう片方の足を前へ運ぶ。
腰を回す。
拳を出す直前で止める。
最初は船の揺れに合わせるだけで精いっぱいだった。
だが、数日もすれば、船体が傾く力を利用して身体を動かせるようになった。
「兄ちゃん、踊りの練習か?」
同室の商人に聞かれた。
「武術です」
「攻撃してないぞ」
「狭いので」
「それで強くなるのか?」
「多分」
「多分なのか」
「師匠に見られたら、かなり直されると思います」
デスロもビスケもいない。
自分だけで型を繰り返せば、知らないうちに変な癖が戻るかもしれない。
そのため、複雑な動きは行わなかった。
教わったことの中から、確実に覚えているものだけを反復する。
以前の自己流とは違う。
分からないことを、分かったつもりで進めない。
それも心源流で覚えたことだった。
◇
夜は絶へ入り、身体を休めた。
心源流で正式な名称と仕組みを学んだことで、以前よりも自分の状態を理解できるようになっている。
オーラを閉じる。
肉体を静かな休息状態へ置く。
ただし、絶へ入れば外からの攻撃には弱くなる。
相部屋で使う時は、周囲の人間が眠っていることを確かめ、荷物も身体の近くへ置いた。
安全ばかり考えて旅を楽しめなくなるつもりはない。
それでも、できる確認を省く理由もなかった。
眠る前には、『容量判定(メモリー・ジャッジ)』で現在のメモリを調べた。
紙へ表示された数字は、2年前より大きくなっている。
しかし、まだ1000には遠い。
『0.1%の積み重ね(複利)』は、使用可能メモリを毎日0.1%ずつ増やしている。
最初は僅かだった増加量も、元になる数字が大きくなるほど増えていく。
今は、作成直後より目に見えて速度が上がっていた。
あと約3年。
予定どおり進めば、心源流での修行を終える頃に1000へ到達する。
フクリは紙へ、新しい能力の設計案を書いた。
仮設計
『力は全てを凌駕する』
* 能力を発動した時点の身体能力を100と定める。
* 以後、7日ごとに身体能力を1%ずつ複利式で上昇させる。
* 上昇には7日間を使い、肉体を徐々に変化へ適応させる。
* 筋力だけでなく、骨、腱、関節、内臓、反応速度、持久力を連動して強化する。
* 皮膚も身体の成長に合わせて硬質化する。
* 硬質化によって、触覚や柔軟性を失わないよう調整する。
* 寿命を延ばす効果は持たない。
* 身体の老化を止める効果も持たない。
* 成長に上限は設けない。
* 病気や怪我を直接治療する能力ではない。
* 食事や睡眠を必要としなくなる能力ではない。
まだ決まっていない条件も多い。
身体能力が上がれば、必要な食事量も増えるのか。
身体が強くなり続けた時、体重や大きさはどうなるのか。
筋肉を増やすのか。
それとも、同じ大きさのまま密度や性能を上げるのか。
皮膚を硬くするほど、注射や治療が難しくならないか。
内臓が頑丈になっても、老化は通常どおり進む。
高い身体能力を得た頃に寿命が尽きれば、能力を十分に活用できない。
だが、寿命を延ばす機能まで加えれば、必要メモリが大幅に増える可能性が高い。
転生能力がある以上、今の肉体へ永遠に留まる必要はない。
寿命を延ばす能力は、別に作ればいい。
1つの能力へ何でも詰め込まない。
必要な役割だけへ絞る。
フクリはその方針で設計を続けていた。
◇
ジャポンの海岸線が見えたのは、出発から約1か月後だった。
甲板へ出たフクリは、遠くの大地を眺めた。
心源流へ向かう時に見た景色と同じ。
だが、胸へ浮かぶ感情は違っていた。
「帰ってきたな」
まだ村までは遠い。
飛行船を降り、乗合馬車を乗り継がなければならない。
それでも、同じ国の空気へ戻ったと思うだけで気持ちが緩んだ。
発着場へ降りる。
周囲から聞こえる話し方も、食べ物の匂いも、2年前まで当たり前だったものだ。
外国での暮らしに不満があったわけではない。
心源流で出される食事も美味しかった。
ビスケから渡される量は多すぎたが。
それでも、慣れたものへ戻ってくると安心する。
フクリは村への道を急がず進んだ。
約束どおり帰ってきた。
あとは、自分の顔を両親へ見せればいい。
◇
村へ着いたのは、夕方だった。
山の向こうへ日が沈み始めている。
見慣れた家々。
畑。
森。
子供の頃に何度も歩いた道。
大きく変わった場所はない。
それでも、道端の木が少し伸びている。
新しい家が1軒建っている。
以前は空き地だった場所で、知らない子供たちが遊んでいる。
2年という時間は短い。
だが、何も変わらないほど短くはなかった。
「フクリ?」
畑の近くにいた女性が声を上げた。
近所に住む知人だった。
「帰ってきたのか!」
「はい。今日着きました」
「母さんたちには知らせたのか?」
「帰る時期を書いた手紙は送りました。正確な日は伝えてません」
「急いで行ってやれ。母さん、飛行船が着く時期になってから、毎日そわそわしてたぞ」
「やっぱりですか」
「帰ったって、先に知らせてやろうか?」
「自分で行きます」
フクリは歩調を少し速めた。
走るほどではない。
だが、自然と足が前へ出る。
以前より軽い。
正しく歩く修行を2年間続けた成果が、こんなところでも現れていた。
◇
家の前へ着く。
工房から、木を削る音が聞こえた。
台所の煙突から煙が上がっている。
フクリは扉の前で一度立ち止まった。
2年。
手紙は何度か送った。
心源流という武術道場へ入り、元気に暮らしている。
細かな修行内容や念については書いていない。
それでも、両親が心配していることは分かっていた。
扉を開ける。
「ただいま」
台所から何かが落ちる音がした。
すぐに母が姿を現す。
手には布巾。
表情は驚いたまま固まっていた。
「フクリ?」
「うん」
「本当に?」
「手紙に書いたでしょう」
母は早足で近づき、そのままフクリを抱きしめた。
「急に帰ってこないでよ!」
「帰る時期は知らせたよ」
「今日だとは聞いてない!」
「飛行船が遅れる可能性もあったから」
「それでも、近くまで来たら手紙を出せたでしょう」
「手紙より先に着くと思って」
「そういう問題じゃないの!」
怒られながらも、母の声は少し震えていた。
フクリも両腕を上げ、母の背へ回す。
2年前より小さく感じた。
自分の身体が少し大きくなったからか。
母が歳を取ったからか。
おそらく、その両方だった。
「元気そうでよかった」
母が言う。
「母さんも」
「少し痩せた?」
「身体は締まったと思う」
「食べてるの?」
「毎日かなり食べさせられてるよ」
「誰に?」
「道場の先輩に」
「女の人?」
「15歳の女の子」
母が少し離れ、フクリの顔を見た。
「どんな関係?」
「先輩と後輩」
「本当に?」
「何を疑ってるの」
そこへ工房から父が入ってきた。
「騒がしいぞ」
父の視線がフクリへ向く。
数秒、何も言わなかった。
「帰ったか」
「ただいま」
「遅い」
「約束どおり2年だよ」
「飛行船が着く予定から3日遅い」
「風の影響で少し遅れた」
「手紙くらい出せ」
「母さんにも言われた」
父は近づき、フクリの肩をつかんだ。
以前より強い手応えを確かめるように、何度か押す。
「身体が変わったな」
「分かる?」
「少しな。立ち方も違う」
「父さんも分かるんだ」
「木を扱う仕事を何年していると思ってる。物の重心くらいは見る」
武術家ではない。
それでも職人として、物の形や支え方を見る目がある。
「強くなったのか?」
「少しは」
「危険なことは?」
「組手はしてる」
「怪我は?」
「小さいものなら」
「大きな怪我は?」
「ないよ」
「ならいい」
父はそれだけ言い、フクリの肩を軽く叩いた。
「腹は減ってるか?」
「かなり」
「母さん、飯を増やしてやれ」
「もう作ってます」
母は最初から、フクリの分も用意していたらしい。
正確な到着日は知らない。
それでも、そろそろ帰ると分かってから毎日多めに作っていたのだろう。
◇
夕食には、フクリの好きな料理が並んだ。
甘い卵焼き。
煮物。
焼いた魚。
畑で採れた野菜。
外国で食べた料理ほど珍しくない。
強い香辛料も使われていない。
それでも、どれよりも落ち着く味だった。
「美味しい」
「向こうの食事は不味かった?」
母が尋ねる。
「美味しいよ。肉も多いし」
「なら、そっちの方がいいんじゃない?」
「そういうことじゃないでしょう」
「ふうん」
母は少し嬉しそうだった。
「道場はどうだ」
父が尋ねる。
「厳しい」
「やめたいか?」
「面倒な日はある」
「それは仕事と同じだな」
「でも、今のところは続けるつもり」
「何年だ」
「あと3年」
「その後は?」
「まだ決めてない」
1000メモリへ到達した後、新しい能力を作る。
そこまでは決まっている。
心源流に残るのか。
別の場所へ旅を続けるのか。
ビスケとどのような関係になっているのか。
今は何も分からない。
「一緒に修行している人は?」
母が尋ねる。
「何人もいるよ」
「仲のいい人はいる?」
「ロドという先輩には色々教えてもらってる。師範はデスロ。厳しいけど、ちゃんと見てくれる」
「15歳の女の子は?」
「そこに戻るの?」
「名前を聞いてないもの」
「ビスケ」
「可愛い名前ね」
「本人も見た目は可愛いよ」
「見た目は?」
「性格はかなり厳しい」
「毎日食べさせてくれるんでしょう」
「俺の食べる量へ文句を言って、勝手に肉を追加する」
「いい子じゃない」
「組手では容赦なく殴ってくるよ」
「元気な子ね」
評価が甘い。
「その子も3年後までいるの?」
「多分」
「なら、お土産を持っていかないと」
「どうして?」
「息子がお世話になってるから」
「殴られてるけど」
「鍛えてもらってるんでしょう」
否定はできなかった。
◇
食後、フクリは持ってきた土産を取り出した。
父には、大陸で使われている木工用の小さな刃物。
母には、色鮮やかな布と香辛料。
「高かったんじゃないの?」
母が布を広げる。
「大丈夫。旅費には余裕がある」
「無駄遣いしてない?」
「土産くらいはいいでしょう」
「自分の物は?」
「杖の先へ金具を付けた」
父が反応した。
「杖を見せろ」
フクリは荷物から、父にもらった杖を取り出した。
黒い金具が付いた先端。
握る位置には、2年間使った跡が残っている。
父は受け取り、全体を確認した。
「少し削れたな」
「修行にも使ったから」
「喧嘩には使うなと言ったはずだ」
「喧嘩じゃない。棒の扱いを習う時に使った」
「人を殴ったか?」
「練習用の木人は」
「人は?」
「組手で軽く」
父はフクリを見る。
「壊すなよ」
「相手を?」
「杖をだ」
「そっち?」
「相手の方が強いんだろ」
「まあ、そうだけど」
父は杖を工房へ持っていき、傷んだ部分を軽く手入れしてくれた。
金具の取り付け方については、何度か感心したように頷いている。
「悪くない職人だ」
「ゴルド武具店の店主」
「今度会ったら、礼を言っておけ」
「分かった」
◇
帰郷してからの1か月、フクリは家族と過ごした。
父の工房を手伝う。
母の畑へ行く。
村の知人へ顔を見せる。
それだけではない。
心源流で覚えた修行も毎日続けた。
朝。
森へ入り、立ち方と型を確認する。
誰もいない場所で拳を振る。
足運び。
受け身。
杖の扱い。
道場ほど長い時間は使わない。
帰省は家族と過ごすためのものだ。
それでも、1か月すべて休めば身体が鈍る。
「帰ってきても修行か」
ある朝、父が森までついてきた。
「少しだけね」
「見せてみろ」
「父さんに?」
「どれくらい変わったか見たい」
フクリは木の前へ立った。
拳を当てるつもりはない。
構え。
足運び。
踏み込み。
拳を木の幹の手前で止める。
以前なら、腕だけで拳を出していただろう。
今は脚から腰、肩、腕へ力をつなげる。
まだ完成には遠い。
それでも、身体全体が1つの動きになり始めている。
「どう?」
父は腕を組んで考えた。
「動きは良くなった」
「分かる?」
「ああ」
「強そうになった?」
「それは分からん」
「そこが大事なんだけど」
「相手を殴るところを見てないからな」
もっともだった。
「ただ、前より転びにくそうだ」
「最初に教えられたのも、そこだよ」
「立つところか?」
「3か月くらい、ほとんど立って歩いてるだけだった」
「良い師匠だな」
「どうして?」
「土台から直してる」
父は工房でも、椅子や棚の足を最初に確認する。
装飾が美しくても、土台が悪ければ長く使えない。
「木工と同じ?」
「大体の物は同じだ」
「念能力も同じかもしれないな」
「何だ、それ」
「何でもない」
フクリは笑って誤魔化した。
◇
森での修行を終えた後、フクリは久しぶりに『容量判定』を使った。
紙へ、設計中の能力を書く。
以前より細かな条件を追加している。
『力は全てを凌駕する』設計案
* 発動時の身体能力を100として固定する。
* 以後、7日ごとに現在値を基準として1%上昇させる。
* 上昇は7日間へ均等に分散し、急激な肉体変化を起こさない。
* 強化対象は、生命活動と戦闘行動に必要な身体機能全般。
* 筋力、瞬発力、持久力、反応速度、骨、腱、関節、内臓、感覚器官を連動させる。
* 体格や体重を不必要に増加させず、同じ肉体の性能を高める。
* 皮膚の硬質化は、外部からの衝撃や切創への抵抗力を高める形で行う。
* 皮膚の柔軟性、触覚、発汗など、必要な機能を失わない。
* 成長に必要な栄養や休息は、通常の食事と睡眠から補う。
* 栄養不足の場合は、成長を一時停止する。
* 肉体を損傷してまで成長を続けない。
* 寿命や老化速度には影響しない。
* 上限は存在しない。
『容量判定』を発動する。
紙へ文字が浮かんだ。
設計判定:成立可能
推定必要メモリ:712
「高いな」
想定していたのは500前後だった。
大きく超えている。
上限なし。
複利式。
身体機能全体の連動強化。
皮膚の硬質化。
これだけの機能を持たせれば、当然なのかもしれない。
だが712メモリを使えば、残るのは288。
最低保持量の100を除けば、自由に使えるのは188。
精神を守る能力へ200メモリ使う予定だったため、少し足りない。
「削る必要があるな」
強化対象を減らすか。
上昇速度を下げるか。
皮膚の硬質化を別能力へ分けるか。
上限を設定するか。
どれも能力の価値へ大きく関わる。
フクリはすぐには決めなかった。
まだ3年ある。
身体について学ぶ時間もある。
心源流へ戻り、デスロや道場の蔵書から知識を得れば、無駄な設計を減らせるかもしれない。
能力を弱くするのではなく、同じ効果を少ないメモリで成立させる。
そこが設計者としての腕だった。
◇
帰省の終わりが近づくにつれ、母の口数が少しずつ増えた。
「着替えは足りる?」
「向こうにもあるよ」
「薬は?」
「道場にも医務室がある」
「お金は?」
「残ってる」
「飛行船の切符は?」
「もう買った」
「次は、いつ帰るの?」
「2年後」
「また2年?」
「約束どおり」
母は分かっている。
それでも聞かずにはいられないらしい。
「途中で帰ってきてもいいのよ」
「何かあれば帰る」
「何もなくても」
「修行の区切りがついたらね」
「3年後には終わるんでしょう?」
「今の予定では」
「なら、その後はジャポンへ戻る?」
「まだ分からない」
母の表情が少し曇る。
「世界を回ると言ったから、別の国にも行くかもしれない」
「危ない場所は?」
「わざわざ戦場へは行かないよ」
「道場にいた方が安全じゃない?」
「母さんがそれを言うんだ」
「帰ってきてほしいけど、危険な旅をするよりはいいもの」
最初は道場へ入ることにも不安を感じていた。
今は、少なくとも居場所と師匠がいることに安心しているらしい。
「大丈夫。まずは心源流で残り3年修行する」
「ビスケちゃんもいる?」
「いると思う」
「お土産を渡してね」
母は、小さな包みを差し出した。
「何これ?」
「髪飾り」
「どうして髪飾り?」
「女の子でしょう」
「好みが分からないよ」
「だから、選べるように何種類か入れてる」
「重くはないけど……」
「いつもお世話になってますって言うのよ」
「母親からですって?」
「そう」
ビスケがどんな反応をするのか、まったく想像できなかった。
馬鹿にされるか。
喜ぶか。
両方かもしれない。
◇
出発の日。
2年前と同じように、父と母が村の入口まで見送りに来た。
今回は近所の人々までは来ていない。
大きな旅立ちではなく、修行先へ戻るだけだと皆が理解している。
「2年後だな」
父が言う。
「うん」
「今度は到着が遅れたら、途中から手紙を出せ」
「分かった」
「怪我をするなとは言わん」
以前とは少し違う言葉だった。
「怪我をしても、治して帰れ」
「努力します」
「死ぬな」
「それは絶対に避ける」
『転生』がある。
それでも、今の人生で帰りたい。
次の人生では意味がない。
「母さん」
フクリが声をかける。
母は、すでに少し涙ぐんでいた。
「2年前より、安心してるんじゃなかったの?」
「安心してても寂しいのは別でしょう」
「そうだね」
「ちゃんと食べて」
「ビスケにも言われてる」
「なら大丈夫ね」
「信用されてるな、ビスケ」
「会ったことないけど、いい子でしょう」
「かなり口は悪いよ」
「あなたも人のことを言えないでしょう」
反論できなかった。
母がフクリを抱きしめる。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
今度は、最初の旅立ちほど不安ではなかった。
行き先を知っている。
帰る道も知っている。
待っている人もいる。
◇
心源流へ戻るまで、再び約1か月。
海を渡り、港から馬車へ乗る。
同じ道を進む。
だが、行きよりも時間が短く感じた。
ロウ村へ到着したフクリは、そのまま山道を登った。
荷物は多い。
父が手入れした杖。
母からの土産。
ジャポンの食べ物。
それでも、2年前に初めて登った時より足取りは軽い。
石段の先に、心源流の門が見えた。
庭では門弟たちが稽古している。
懐かしい声。
木剣がぶつかる音。
フクリが門をくぐると、最初に気づいたのはロドだった。
「帰ってきたか」
「ただいま戻りました」
「太ったか?」
「母に食べさせられました」
「ビスケが怒るぞ」
「どうして?」
「帰省中も鍛えろと言ってたからな」
「鍛えてましたよ」
「なら、本人へ説明しろ」
ロドが庭の奥を指す。
そこにはビスケが立っていた。
2か月前より、ほんの少し身長が伸びているように見える。
腕を組み、こちらを睨んでいた。
「遅いわさ」
「予定どおりですよ」
「2か月と少し経ってる」
「往復2か月に、滞在1か月です」
「3か月じゃない!」
フクリは一瞬止まった。
計算が合わない。
「……そうですね」
「何で今気づくのよ!」
実際には、道場から港までの移動や飛行船の待ち時間もある。
予定より少し長くなっていた。
「手紙は出したでしょう」
「届いたのは昨日!」
「郵便が遅れたんですね」
「帰ってくる方が早いなら意味ないわさ!」
ビスケは怒っている。
だが、口元は少し緩んでいた。
「戻ってこないと思いました?」
「思ってない」
「心配した?」
「してない!」
「では、どうして怒ってるんです?」
「絶で勝負する相手がいなくて退屈だったの!」
相変わらずだった。
フクリは荷物から、小さな包みを取り出す。
「母からです」
「何?」
「髪飾り」
「どうして?」
「いつも息子がお世話になっています、だそうです」
ビスケの動きが止まった。
「お母さんに、あたしの話をしたの?」
「少しだけ」
「何て?」
「食事の量へ文句を言って、勝手に肉を追加する15歳の女の子」
「ほかに言い方があるでしょ!」
「見た目は可愛いとも言いました」
ビスケの顔が赤くなった。
「そ、それは当然だわさ」
包みを受け取る。
中には数種類の髪飾り。
花。
小さな宝石。
ジャポンらしい模様。
ビスケは1つずつ見ながら、先ほどまでの怒りを忘れたように目を輝かせた。
「これ、可愛い」
「母へ手紙を書けば喜びますよ」
「あんたが書きなさい」
「ビスケさんが喜んだと?」
「……ちゃんと、ありがとうって書いて」
「分かりました」
ビスケは小さな花の髪飾りを選び、その場で髪へ付けた。
「どう?」
「似合ってます」
「本当に?」
「はい」
「適当に言ってない?」
「見た目は可愛いと言ったでしょう」
「見た目は、を付けるな!」
拳が飛んできた。
フクリは半歩横へ動く。
拳が頬の横を通り過ぎた。
ビスケの目が僅かに開く。
「避けた?」
「帰省中も修行してましたから」
「今のは手加減したわさ」
「知ってます」
「もう1回!」
「荷物を置いてからで」
「今!」
2年前と変わらない。
それでも、以前より少しだけ攻撃が見える。
身体も動く。
フクリは荷物を地面へ置き、構えた。
「髪飾り、壊さないでくださいね」
「誰のせいよ!」
◇
庭の端では、デスロが2人を見ていた。
フクリが攻撃を避ける。
ビスケが追う。
すぐに捕まり、地面へ転がされる。
それでもフクリは立ち上がる。
2年前なら、最初の一撃で終わっていた。
今は何度か動ける。
才能の差は大きい。
縮まってはいない。
だがフクリは、フクリの速度で前へ進んでいた。
「戻ったか」
組手が終わった後、デスロが声をかけた。
「はい」
「身体は鈍ったか?」
「少しは」
「なら、明日から取り戻せ」
「今日からでは?」
「今日は家族の土産を配れ」
フクリは少し驚いた。
デスロが、そんなことを言うとは思わなかった。
「師範にもあります」
「何だ」
「ジャポンの酒です」
「修行は明後日からでもいい」
「急に甘くなりましたね」
デスロは土産を受け取り、無言で道場の奥へ戻った。
ビスケが隣で呟く。
「師範、あのお酒好きなのよ」
「知ってたら、もう1本買いました」
「次の帰省で買ってくれば?」
「2年後ですね」
「……また行くの?」
「約束なので」
ビスケは少し不満そうな顔をした。
だが、今度は戻ってくるかとは聞かなかった。
戻ってくることを、もう疑っていないのだろう。
◇
その夜。
フクリは久しぶりに道場の宿舎で布団へ入った。
両親の家は、帰る場所。
心源流も、いつの間にか戻る場所になっていた。
どちらか一方を選ぶ必要はない。
ジャポンへ帰り。
また大陸へ戻る。
それを繰り返しながら、時間は進んでいく。
使用可能メモリが1000へ届くまで、あと約3年。
武術の修行も残り3年。
能力設計は、まだ完成していない。
『力は全てを凌駕する』の推定必要メモリは712。
目標の500前後へ収めるには、大きな修正が必要だった。
だが、焦ることはない。
この2年で、立つことすら満足にできなかった自分が、ビスケの拳を1度避けられるようになった。
能力設計も同じだ。
一度で完成させる必要はない。
無駄を探す。
削る。
試す。
また考える。
少しずつ、理想の形へ近づければいい。
フクリは絶へ入り、目を閉じた。
明日から、再び修行が始まる。
武術。
念。
能力設計。
そして、ビスケとの騒がしい日々。
心源流で過ごす残り3年は、最初の2年よりも速く進むことになる。
フクリの身体も。
ビスケの身体も。
2人の関係も。
少しずつ。
だが、確実に変わり始めていた。