第13話 守るための戦い
護衛任務の当日。
フクリとビスケは、日の出前に心源流を出発した。
山道を下り、ロウ村へ向かう。
空はまだ薄暗く、木々の間には朝靄が残っていた。
フクリは父からもらった杖を右手に持ち、肩には最低限の荷物を背負っている。
ビスケはいつもの道着姿だった。
武器は持っていない。
本人にとっては、拳だけで十分なのだろう。
「緊張してる?」
ビスケが尋ねた。
「少し」
「昨日は平気そうだったのに」
「実際に出発すると違いますね」
「怖い?」
「人と戦うのは、あまり経験がないので」
道場での組手とは違う。
相手は手加減してくれない。
降参したからといって、攻撃を止める保証もない。
こちらが殺すつもりでなくても、相手が刃物を使う可能性は高い。
「私がいるんだから大丈夫だわさ」
「手を出さないよう言われてるでしょう」
「危なくなったら助ける」
「どの程度で危ないと判断します?」
「腕を1本失いそうになったら」
「遅いですね」
「じゃあ、指3本」
「変わってませんよ」
ビスケは楽しそうに笑った。
不安が消えたわけではない。
だが、隣に彼女がいることで多少は気が楽になる。
今のビスケは、フクリより遥かに強い。
並の野盗程度なら、何人いても負けないだろう。
だからこそ、今回はフクリが中心となる。
絶対に助けが来ない状況ではない。
失敗すれば守ってもらえる。
その環境で経験を積ませることが、デスロの目的なのだろう。
◇
ロウ村の入口には、3台の荷馬車が停まっていた。
依頼人は、近隣の町へ衣服や薬を運ぶ商人だった。
名前はモルド。
年齢は40歳ほど。
丸い眼鏡をかけ、腹の出た小柄な男だ。
「あなた方が心源流の?」
モルドはフクリとビスケを見比べた。
「はい。フクリです」
「ビスケだわさ」
「2人だけですか?」
モルドの視線が、ビスケの身体へ向く。
17歳の少女。
以前より筋肉がついているとはいえ、旅慣れた護衛には見えない。
「心配ですか?」
フクリが尋ねる。
「いえ。しかし、最近この辺りに出る野盗は、10人以上いるという話でして」
「増える可能性は?」
「分かりません。以前は5人程度だったそうですが、別の集団と合流したという噂もあります」
「武器は?」
「剣や弓を持っている者もいると」
思っていたより多い。
フクリはビスケを見る。
彼女は特に驚いていなかった。
「俺が対応できなくなったら、お願いします」
「簡単に頼らないでよ」
「10人以上なら、最初から頼ってもよくないですか?」
「師範は、あんたが中心だって言ったわさ」
「中心と、1人で全部倒すのは違いますよ」
フクリは現実的な分担を考えていた。
自分が野盗の注意を引く。
馬車や商人を守る。
ビスケには、逃げ道を塞ぐ者や弓を持つ相手を担当してもらう。
「何かあれば、俺が前へ出ます」
フクリはモルドへ言った。
「ビスケさんは馬車の近くに」
「私の方が強いのに?」
「だからです。あなたが馬車を守れば、護衛対象が危険になる可能性は低い」
「フクリは?」
「逃げ回ります」
「格好悪いわさ」
「目的は荷物を町まで運ぶことでしょう」
野盗を全滅させる必要はない。
戦闘を長引かせる必要もない。
相手が退けば、それで終わりだ。
フクリは御者たちにも説明した。
「襲われた場合、馬車を止めてください。勝手に走らせると、道から落ちる可能性があります」
「逃げた方がよくないか?」
「相手が徒歩だけなら、それでもいいです。ただ、前を塞がれていた場合は危険です」
「では、どうすれば?」
「俺かビスケさんが指示します。それまでは馬と荷物を動かさないでください」
商人たちは不安そうだった。
当然だろう。
護衛として現れたのが、若い男と少女だけなのだから。
それでも心源流の名前は信用されている。
最後には全員が頷いた。
◇
村を出てから、しばらくは何事も起きなかった。
道は山の間を通っている。
右側には斜面。
左側には深い谷。
荷馬車が2台並べるほどの幅はない。
野盗が襲うなら、待ち伏せに向いている場所だった。
フクリは先頭の荷馬車より少し前を歩く。
ビスケは最後尾。
念能力者が相手である可能性も考え、フクリは凝を使いながら周囲を確認した。
目へオーラを集める。
木々。
岩。
斜面。
不自然なオーラは見えない。
だが、凝だけに頼るつもりはなかった。
念を使えない野盗なら、オーラを隠す必要もない。
枝の折れ方。
土の跡。
鳥の動き。
心源流で学んだ追跡と隠密の知識を使い、周囲を観察する。
昼前。
フクリは道の端に、浅い靴跡を見つけた。
1人分ではない。
同じ場所を何人かが通っている。
しかも、足跡は山道から森へ続いていた。
「止まってください」
フクリが片手を上げる。
荷馬車が止まった。
最後尾のビスケが近づいてくる。
「何かあった?」
「足跡があります」
ビスケが地面を見る。
「古くないわね」
「人数は?」
「少なくとも8人。重い物を持ってる人もいる」
「武器かもしれませんね」
足跡は森へ入り、道の先へ回り込んでいる。
野盗なら、すでにこちらの存在へ気づいている可能性が高い。
「戻る?」
ビスケが尋ねた。
「相手の位置が分からないまま方向を変える方が危ないです」
後ろにも別の集団がいるかもしれない。
荷馬車は動きが遅い。
追われれば不利だ。
「この先に広い場所はあります?」
フクリはモルドへ尋ねた。
「少し進めば、古い休憩所があります。今は使われていませんが、道は広いです」
「そこまで進みましょう」
「襲われませんか?」
「今の道幅で襲われるよりはいいです」
谷側へ押されれば、馬車ごと落ちる危険がある。
広い場所なら、戦うにしても逃げるにしても選択肢が増える。
「ビスケさん」
「分かってるわさ」
彼女は最後尾へ戻った。
フクリは先頭を進む。
歩く速度は変えない。
こちらが気づいたと相手へ悟らせないためだ。
◇
休憩所へ着いた。
道の横へ平らな土地が広がり、壊れかけた小屋が1つ建っている。
荷馬車3台を円を描くように停める。
馬を内側へ入れる。
商人と御者も、馬車の間へ移動させた。
「何があっても、ここから出ないでください」
「武器を持っている者もいます」
御者の1人が短剣を見せた。
「自分や近くの人を守るためだけに使ってください。追いかけないように」
「分かった」
フクリは杖を握った。
野盗がこちらを避けてくれれば、それが一番いい。
だが、そうはならなかった。
木々の間から、人影が現れる。
1人。
2人。
次々に出てくる。
全部で12人。
剣。
槍。
弓。
斧。
武器もばらばらだった。
先頭にいるのは、左目に傷のある大柄な男。
「賢いじゃねえか」
男が言った。
「狭い道じゃなく、広いところで待ってるとはな」
「通してもらえませんか?」
フクリが尋ねる。
男は笑った。
「荷物と金を置いていけばな」
「それでは護衛の意味がないので」
「なら死ぬか?」
「できれば避けたいですね」
フクリは人数と配置を確認する。
正面に7人。
左右の森に2人ずつ。
後ろに弓を持った男が1人。
12人全員が一般人とは限らない。
だが、オーラの扱いを知っている様子はない。
念能力者はいない可能性が高い。
「そっちの女は何だ?」
野盗の視線がビスケへ向く。
「俺と同じ護衛です」
「冗談だろ」
「自分から確かめない方がいいですよ」
「強いのか?」
「少なくとも俺よりは」
ビスケが不満そうにフクリを見る。
「少なくとも、って何よ」
「比較できる相手が俺しかいないので」
「もっと強そうに紹介しなさいよ!」
野盗たちが笑う。
緊張感のない会話に見えたのだろう。
だが、フクリは相手の足元と手元を見続けていた。
最初に動く者。
弓を引く者。
商人へ向かう者。
全員を同時に相手にする必要はない。
「最後に聞きます」
フクリは言った。
「何も取らずに帰る気はありませんか?」
「ねえよ」
傷のある男が剣を抜いた。
「では、仕方ないですね」
◇
弓を持った男が動いた。
矢をつがえる。
フクリが声を出すより先に、ビスケが地面を蹴った。
姿が消える。
次の瞬間には、弓の男の横へ立っていた。
「危ないから、これは預かるわさ」
弓を取り上げる。
男が反応する前に、その腹へ拳を軽く当てた。
身体が折れ、地面へ倒れる。
野盗たちの笑い声が止まった。
「今、何をした?」
傷の男が呟く。
「俺も聞きたいですね」
フクリには動きの途中までしか見えなかった。
だが、相手の注意が完全にビスケへ向いた。
今が動く時だった。
フクリは正面へ踏み込む。
最も近い槍使い。
槍の穂先ではなく、柄の中央へ杖を当てる。
横へ押す。
軌道を逸らし、そのまま相手の手首を打つ。
「ぐっ!」
槍が落ちた。
フクリは相手の胸へ肩を当てる。
殴るのではない。
重心を崩し、身体全体で押す。
男が後ろへ倒れた。
次の野盗が剣を振る。
避ける。
刀身が服の端を切った。
「危なっ」
予想より速い。
道場の門弟ほどではない。
だが、実戦へ慣れている。
フクリは距離を取った。
相手が追う。
剣を大きく振り上げる。
その瞬間、フクリは横へ回り込んだ。
振り下ろされた剣が地面へ当たる。
手首を杖で打つ。
剣が落ちる。
脚を払う。
男が倒れた。
2人。
どちらも致命傷ではない。
まだ動ける可能性はあるが、すぐには立てない。
◇
「囲め!」
傷の男が叫ぶ。
正面の野盗たちが広がる。
1人ずつなら対応できる。
だが、複数が同時に来れば難しい。
右から斧。
左から短剣。
正面に剣。
フクリは後ろへ下がった。
馬車との距離が縮まる。
これ以上下がれば、商人たちの近くへ敵を連れていくことになる。
「フクリ!」
ビスケの声が聞こえる。
助けを求めるか。
まだ早い。
フクリは絶へ入った。
オーラを閉じる。
正面から見ていた野盗たちの目が、一瞬だけ迷った。
フクリの存在が消えたわけではない。
姿は見えている。
だが、直前まで感じていた圧力が突然なくなる。
その僅かな違和感で、攻撃の呼吸がずれた。
フクリは右へ飛ぶ。
斧と剣が空を切る。
絶を解く。
すぐに練へ移ろうとする。
だが、切り替えが遅れた。
「遅い!」
短剣の男が追ってくる。
刃が肩へ向かう。
避けきれない。
フクリは左腕へオーラを集めた。
流。
まだ不完全。
刃が服を裂き、皮膚へ浅く入る。
「っ!」
痛い。
血が出る。
だが、腕は動く。
フクリは杖の先端を相手の腹へ押し当てた。
力を集中する。
打ち抜かない。
相手の進む勢いを利用し、身体を横へ押し出す。
男は数歩よろめき、そのまま地面へ転がった。
「怪我してるじゃない!」
ビスケが怒鳴った。
「浅いです!」
「手を出す?」
「まだ大丈夫!」
答えながら、フクリは肩の傷を確認する。
出血は多くない。
戦える。
◇
残る野盗は8人。
ビスケが倒した者を含めれば、実際に動けるのは7人ほど。
だが、相手もフクリとビスケが普通の護衛ではないと理解した。
勢いが落ちている。
「女を先にやれ!」
傷の男が命令する。
「嫌よ」
ビスケが答えた。
3人が彼女へ向かう。
結果は一瞬だった。
腕を取る。
足を払う。
腹へ手のひらを当てる。
3人とも、大きな怪我をすることなく地面へ倒れた。
ビスケは本当に手を出さないつもりだったのか。
すでに十分戦っている。
「弓を持っていたから仕方ないわさ」
誰に説明するでもなく言った。
「ほかの2人は?」
「一緒に来たから」
「それなら俺の相手もお願いします」
「駄目」
やはり駄目らしい。
◇
フクリの前には、傷の男を含めて4人が残った。
相手の顔に、最初の余裕はない。
「化け物か、あの女」
「聞こえてるわさ」
ビスケが睨む。
男たちが一歩下がった。
「逃げるなら追いませんよ」
フクリは言った。
「荷物は諦めてください」
「ふざけるな」
傷の男は剣を握り直した。
ほかの3人は、少し迷っている。
ここで指揮を崩せば、戦闘を終わらせられる。
フクリは傷の男へ向かって走った。
正面から。
「来やがったな!」
剣が振られる。
フクリは杖で受けない。
剣の側面へ軽く触れ、軌道を外へ流す。
身体を沈める。
相手の懐へ入る。
肩を胸へ当てる。
足を相手の後ろへ置く。
押す。
傷の男の身体が浮いた。
そのまま地面へ倒れる。
だが、男は剣を離さなかった。
倒れながら刃を横へ振る。
フクリは上体を引く。
刃先が頬をかすめた。
痛みと熱。
皮膚が切れた。
「フクリ!」
「大丈夫です!」
傷の男が立ち上がろうとする。
フクリは杖で剣を押さえた。
相手の手から離す。
次に、杖の先端を喉の手前へ止めた。
「終わりです」
「殺せ」
「嫌です」
「なら、どけ」
「それも嫌です」
傷の男がフクリを睨む。
フクリは杖を動かさない。
「ほかの人は、もう戦う気がありますか?」
残った野盗たちへ尋ねる。
誰も動かなかった。
ビスケの足元には、仲間が何人も倒れている。
戦っても勝てない。
ようやく理解したらしい。
「武器を置いて、怪我人を連れて帰ってください」
「俺たちを見逃すのか?」
「追い払うのが仕事なので」
「また襲うかもしれんぞ」
「その時は、次の護衛に捕まるかもしれませんね」
「甘いな」
「そうかもしれません」
フクリは杖を引いた。
完全に無防備にはならない。
男の手が剣へ伸びれば、すぐ止められる位置にいる。
傷の男はゆっくり立ち上がった。
フクリを睨み続ける。
だが、再び剣を取ろうとはしなかった。
「行くぞ」
仲間へ声をかける。
動ける者たちが、倒れた者を支える。
弓や剣の一部は置いていった。
野盗たちは森の中へ消えていく。
◇
しばらくしても、戻ってくる気配はなかった。
フクリは肩の力を抜いた。
「終わった」
その瞬間、脚が僅かに震えた。
戦っている間は気づかなかった。
緊張が解けたらしい。
ビスケが近づき、フクリの頬をつかんだ。
「痛いです」
「怪我してる!」
「頬と肩だけです」
「肩を見せて」
服をずらし、傷を確認される。
短剣が浅く入っただけだ。
縫うほどではない。
「流が遅いわさ」
「分かってます」
「絶から戻るのも遅い」
「それも分かってます」
「剣を持った相手に近づきすぎ」
「押し出すには近づく必要があったので」
「杖があるでしょ!」
「殴って骨を折るかもしれない」
「自分が切られたら意味ないわさ!」
ビスケは本気で怒っていた。
「でも、守れましたよ」
「結果の話じゃない!」
「結果は大事でしょう」
「次も同じようにできるとは限らないの!」
その言葉に、フクリは黙った。
今回の傷は浅い。
だが、少しずれていれば肩の筋肉や血管を傷つけた可能性がある。
頬の剣も、目に入っていれば失明していた。
相手を傷つけないことへ意識を向けすぎて、自分の危険を増やした。
「……そうですね」
「簡単に認めないでよ」
「反論できないので」
ビスケはまだ怒っている。
それでも手つきは優しく、傷へ薬を塗ってくれた。
「染みます」
「我慢して」
「痛い」
「戦ってる時は平気そうだったでしょ」
「今は戦ってないので」
「弱いわさ」
「痛みに強くなる修行はしてませんから」
◇
モルドたちが馬車の間から出てきた。
「助かりました」
深く頭を下げる。
「荷物も馬も無事です」
「よかったです」
「お2人とも、あれほど強いとは」
「強いのはビスケさんです」
フクリは傷のある肩を押さえた。
「俺は切られてますから」
「でも、4人を相手にしていたでしょう」
「相手が念を使えなかったので」
「念?」
モルドが首を傾げる。
「何でもありません」
不用意だった。
一般人の前で、念の話をする必要はない。
フクリは話を変える。
「野盗が戻ってくる前に進みましょう」
「すぐ出発できます」
武器を拾う。
弓。
剣。
槍。
そのまま置けば、野盗が戻って回収するかもしれない。
荷馬車へ積み、町の警備へ渡すことになった。
◇
夕方。
一行は無事に目的の町へ到着した。
モルドは約束していた報酬へ、追加分を上乗せしようとした。
「必要ありません」
フクリは断った。
「しかし、怪我までしていただいた」
「依頼を受けた時点で、ある程度は想定しています」
「それでも」
「では、心源流へ次に依頼する時、少し多めに払ってください」
自分だけが追加報酬を受け取るより、道場の信用へつなげた方がいい。
モルドは何度も礼を言い、最後には納得した。
宿へ入る。
フクリは部屋の椅子へ座った。
肩と頬の傷が、じわじわと痛む。
ビスケが包帯を巻き直している。
「きついです」
「緩めたらずれるわさ」
「もう少しだけ」
「駄目」
傷の手当てに関しては、普段以上に厳しかった。
「今日は助かりました」
フクリが言う。
「何が?」
「弓と、ほかの人たち」
「師範に頼まれたから」
「それだけです?」
「それだけだわさ」
包帯を結ぶ力が少し強くなる。
「痛いです」
「うるさい」
◇
「人を殺さずに済んだのは、よかったと思います」
フクリが続ける。
「相手が弱かったからよ」
「はい」
「念能力者がいたら、そんな余裕はなかった」
「分かっています」
「相手がもっと多くても」
「はい」
「商人を人質にされたら?」
「難しかったでしょうね」
「なら、次はどうするの?」
ビスケの問いに、フクリは考える。
相手を傷つけない。
殺さない。
理想としては正しい。
だが、それだけにこだわれば守るべき者を危険へさらす。
「最初に、何を守るか決めます」
フクリは答えた。
「自分。ビスケさん。依頼人。その次に、襲ってきた相手」
「私は自分で守れるわさ」
「それでも順番には入れます」
「……そう」
「余裕があれば殺さない。余裕がなければ、守る方を優先します」
「できる?」
「やるしかないでしょう」
実際に人を殺す場面になれば、動けないかもしれない。
迷うかもしれない。
後悔もするだろう。
だが、相手を殺したくないからと、家族や仲間を見捨てるつもりはない。
「冷たいわね」
ビスケが言う。
「前も似たようなことを言われました」
「でも、その方が安心する」
「どうして?」
「誰でも助けるって言う人より、本当に守る相手を決めてる人の方が信用できるから」
フクリは少し驚いた。
ビスケの両親について、詳しい話を聞いたことはない。
ただ、家族から届く手紙を見たことがなかった。
帰省する様子もない。
「ビスケさんの両親は?」
自然に尋ねた。
ビスケの手が止まった。
「いないわ」
語尾から「だわさ」が消えていた。
声も低い。
「亡くなったんですか?」
「うん」
「すみません」
「どうして謝るの?」
「聞いてほしくないことだったかもしれないので」
「別に、隠してないわさ」
いつもの口調へ戻る。
だが、表情は少し硬かった。
「かなり前よ。心源流へ来る前」
「そうですか」
「可哀想だと思った?」
「少し」
「いらない」
「分かりました」
フクリはそれ以上聞かなかった。
話したくなれば、本人から話すだろう。
◇
翌日。
心源流へ戻る道で、ビスケが尋ねた。
「フクリのお父さんとお母さんって、どんな人?」
「普通の人ですよ」
「普通って?」
「父は木工職人。母は畑仕事をしています」
「念は?」
「使えません」
「武術も?」
「父は少し身体が丈夫なくらいです」
「フクリが旅へ出るの、反対しなかった?」
「母は反対しました。父も心配はしてましたね」
「それでも行かせたの?」
「最後は」
「優しい?」
「普通だと思います」
「だから、その普通が分からないの」
ビスケは少し不満そうだった。
フクリは考える。
「帰れば食事を作ってくれる。怪我をしてないか聞かれる。必要以上に荷物を持たされる。帰る時は、必ず見送ってくれます」
「……そう」
「ビスケさんの話もしてますよ」
「何て?」
「厳しい先輩。食事をたくさん食べさせる。見た目は可愛い」
「最後だけでいいわさ」
「母は、いい子だと思ってます」
「会ったことないのに?」
「髪飾りを使っていると手紙に書いたら、喜んでました」
ビスケは髪へ触れた。
今日も花の髪飾りを付けている。
「いつか会ってみたい?」
フクリが尋ねる。
ビスケはすぐには答えなかった。
「……機会があれば」
「次に帰る時、一緒に来ます?」
「どうして私が?」
「会ってみたいなら」
「でも、家族の帰省でしょ」
「1人増えても問題ないです」
「迷惑じゃない?」
「母は喜ぶと思います。父は少し警戒するかもしれません」
「何でよ」
「息子を毎日殴ってる女性なので」
「修行でしょ!」
「説明すれば分かります」
「先にちゃんと説明しておきなさいよ!」
ビスケは怒っていた。
だが、一緒に行くこと自体は断らなかった。
◇
心源流へ戻ると、デスロが門の前で待っていた。
フクリの頬と肩の包帯を見る。
「怪我をしたか」
「浅いです」
「何人いた」
「12人です」
「ビスケは?」
「弓を持った人と、その近くにいた2人。それから、危なくなりそうな人を何人か」
「何人だ」
「……合計8人くらい?」
ビスケが答える。
ほとんど彼女が倒している。
フクリが中心という話は、少し怪しかった。
「フクリが相手にしたのは?」
「4人です」
「殺したか」
「全員、生きています」
「護衛対象は?」
「怪我もありません」
「荷物は?」
「無事です」
デスロは頷いた。
「なら成功だ」
「傷については?」
「生きている」
「評価が軽いですね」
「自分で失敗を理解しているか?」
「相手を傷つけないことへこだわりすぎました」
「なら、私から言うことはない」
「次は、もう少し上手くやります」
「次が同じ状況とは限らん」
「では、その時に考えます」
デスロの口元が僅かに動いた。
「少しは武術家らしくなったな」
「正面から戦ってませんけど」
「武術家は、正面から殴り合う者の名前ではない」
「では、何です?」
「己の身体と技術で、目的を果たす者だ」
フクリは少し考えた。
今回の目的は、商人と荷物を町まで届けること。
それは達成した。
「なら、俺も少しは武術家ですか?」
「少しだけだ」
「そこそこでは?」
「まだ少しだ」
厳しかった。
◇
護衛任務を終えてから、さらに3か月が過ぎた。
フクリは18歳になったビスケと、最後の修行期間を過ごした。
ビスケの語尾から「だわさ」が消えることが増えていた。
完全になくなったわけではない。
怒った時や気を抜いた時には、今でも出る。
だが普段は、以前より落ち着いた話し方になっている。
身体もさらに成長した。
肩。
腕。
脚。
武術家として理想的な筋肉。
本人は相変わらず嫌そうだった。
「見ないで」
組手後、ビスケが腕を隠す。
「見てませんよ」
「見た」
「組手で相手を見ないのは無理でしょう」
「筋肉を見たでしょ」
「攻撃が来る位置を見てました」
「本当に?」
「何を疑ってるんです?」
「大きくなったと思ってる」
「前よりは」
「やっぱり!」
「事実を言っただけでしょう」
機嫌を悪くする。
だが、食事を減らすことはなくなった。
20歳になったら、自分の姿を変える念能力を作る。
その目標ができたからだろう。
◇
そして。
心源流へ入門してから、5年。
フクリが27歳と3か月になった日の夜。
『容量判定(メモリー・ジャッジ)』を使った紙へ、待ち続けた数字が浮かんだ。
現在使用可能メモリ:1000
上限。
これ以上は増えない。
5年前、『転生(死にたくないよ)』を作った後に残った100メモリ。
そこから毎日0.1%ずつ。
飛行船の中でも。
立つ修行をしている時も。
ビスケに地面へ転がされている時も。
家族のもとへ帰っている時も。
時間は止まらず積み重なった。
「ようやくか」
フクリは設計書を取り出した。
何度も書き直した能力。
最終的な推定必要メモリは672。
性能を落とさず。
無駄を削り。
長い時間をかけて完成させた設計。
今なら作れる。
だが、その前に。
「何してるの?」
背後から声がした。
振り返る。
部屋の入口にビスケが立っていた。
視線は机の上の紙。
そして、表示された数字へ向いている。
「1000メモリ?」
フクリはすぐに紙を伏せなかった。
もう遅い。
ビスケは数字を見ている。
長年隠してきた秘密。
その一部へ、ついに手が届いた。
「説明して」
ビスケの表情は真剣だった。
「偶然できた念能力なんて、やっぱり嘘だったのね」
フクリは少し黙った後、椅子を引いた。
「長い話になりますよ」
「聞く」
「誰にも言わないと約束できますか?」
「内容による、とは言わない」
ビスケはフクリの向かいへ座った。
「フクリが話したくないことなら、誰にも言わない」
5年間。
修行。
帰省。
組手。
能力設計。
少しずつ積み重なった信頼。
すべてを話すつもりはない。
前世の記憶も。
この世界の未来も。
まだ隠しておく。
だが、念能力については。
そろそろ話してもいいのかもしれなかった。
フクリは机の上へ、3枚の設計書を並べた。
『0.1%の積み重ね(複利)』。
『容量判定(メモリー・ジャッジ)』。
『転生(死にたくないよ)』。
「これが、今の俺の念能力です」
ビスケが最初の紙を手に取る。
文字を読む。
表情が変わる。
「毎日、メモリが増える?」
「はい」
「上限1000?」
「はい」
「それで、今1000になった」
「そうです」
ビスケは次の紙へ手を伸ばした。
そして。
最後に『転生(死にたくないよ)』の設計書を読んだ瞬間。
彼女の手が止まった。
「……転生?」
「死んだ後、記憶と念能力と性別を持ったまま生まれ変わる能力です」
「名前もフクリになる?」
「それが制約です」
「どうして、こんな能力を」
「死にたくなかったので」
ビスケが顔を上げる。
驚き。
戸惑い。
そして、僅かな怒り。
「こんな大事なこと、5年も黙ってたの?」
「大事だから黙っていました」
「私にも?」
「あなたにも」
ビスケは何かを言い返そうとして、言葉を止めた。
念能力の情報は命に関わる。
そのことは彼女も理解している。
簡単に話せなかった理由も分かる。
それでも、感情では納得できないのだろう。
「今、話した理由は?」
「信用してもいいと思ったからです」
フクリは答えた。
ビスケの目が僅かに揺れる。
「全部?」
「能力については」
「ほかにも隠してるの?」
「あります」
「そこは正直なのね」
「全部を話すとは言ってませんから」
ビスケは呆れたように息を吐いた。
だが、設計書を返そうとはしなかった。
「次に作る能力は?」
「これです」
フクリは、最後の設計書を差し出した。
発動した瞬間の身体能力を100とする。
7日ごとに1%。
複利式。
上限なし。
身体全体を連動させ、少しずつ強くする。
ビスケは時間をかけて読み終えた。
「672メモリ」
「最終的には、それで成立しました」
「今から作るの?」
「そのつもりです」
「残りは328」
「100は必ず残します」
「残り228で、精神を守る能力を作る」
「予定では」
ビスケは設計書を机へ置いた。
「本当に、何十年も先を見てるのね」
「長く生きるつもりなので」
「転生までして?」
「はい」
「私が先に死んでも?」
フクリは返事に詰まった。
ビスケが死ぬ。
自分は転生する。
記憶も能力も持ち越す。
それでも、彼女は次の人生へついてこない。
これまで深く考えていなかった。
転生は自分1人の能力だ。
「それは……」
「考えてなかった?」
「はい」
ビスケは少し寂しそうに笑った。
「自分のことばっかりね」
「否定できません」
「別に責めてない」
ビスケは立ち上がった。
「能力を作るんでしょ」
「見ていきます?」
「いいの?」
「ここまで話したので」
「じゃあ見る」
フクリは設計書へ手を置いた。
5年間の修行で作った身体。
才能は低い。
達人には届かない。
それでも、5年前より高くなった基準値100。
ここから先。
7日ごとに1%ずつ。
この身体は、時間を味方につけて成長し続ける。
フクリは深く息を吸った。
「発動します」
念能力を形へ変える。
積み重ねてきた672メモリが、1つの設計へ流れ込んでいく。
身体の奥で。
新しい力が、静かに完成しようとしていた。