0.1%の積み重ね   作:仮面のカルメン

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第2話 押し出す男

 

第2話 押し出す男

 

 天空闘技場での初日を終えた翌朝。

 

 フクリは日の出とともに目を覚ました。

 

 身体を起こし、両腕を伸ばす。

 

 昨日の試合でつかまれた腕に、僅かな重さが残っていた。

 

 怪我ではない。

 

 筋肉と関節が、普段とは違う負荷を受けた結果だ。

 

「痛いところは?」

 

 向かいの寝台から、ビスケが尋ねた。

 

 すでに起きている。

 

 髪も整え終わっていた。

 

「右腕が少し重いです」

 

「見せて」

 

「自分で分かりますよ」

 

「いいから」

 

 ビスケはフクリの腕を取り、肩から手首まで触れていく。

 

 腫れ。

 

 熱。

 

 関節の動き。

 

 念を使わず、身体の状態だけを確かめている。

 

「大きな問題はないわね」

 

「そう言ったでしょう」

 

「フクリの自己判断は信用できないの」

 

「どうしてです?」

 

「痛くても、動けるなら大丈夫って言うから」

 

「動けるなら試合はできます」

 

「そういうところよ」

 

 ビスケは腕を離した。

 

「今日は試合を減らしなさい」

 

「何試合まで?」

 

「2試合」

 

「昨日は4試合できました」

 

「昨日の疲れが残ってるから2試合」

 

「3試合では?」

 

「2試合」

 

「分かりました」

 

 交渉の余地はなさそうだった。

 

     ◇

 

 朝食を終えた後、フクリは天空闘技場へ向かった。

 

 昨日の試合結果により、最初の階層から大きく上へ進んでいる。

 

 まだ低階層ではある。

 

 それでも、昨日の最初の相手より明らかに身体を鍛えた者が増えていた。

 

 廊下を歩くだけでも分かる。

 

 拳の傷。

 

 足音。

 

 姿勢。

 

 相手を見る目。

 

 賞金目当ての喧嘩自慢だけではない。

 

 何年も武術を学び、自分の力を試すために来ている者たちだ。

 

「今日の相手、見ておく?」

 

 ビスケが試合表を指した。

 

 フクリの名前の横に、対戦相手の名前が書かれている。

 

 ガラン。

 

 年齢は32歳。

 

 身長と体重以外の情報はない。

 

「見ても分からないですね」

 

「過去の試合を探せば映像があるかもしれないわ」

 

「そこまでします?」

 

「相手を調べるのも実戦よ」

 

「初見の相手へ対応する修行にならないのでは?」

 

 ビスケは少し考えた。

 

「それもそうね」

 

「今回は見ずに行きます」

 

「あとで泣いても知らないわよ」

 

「負けたくらいでは泣きません」

 

「怪我したら?」

 

「痛ければ泣くかもしれません」

 

「子供ね」

 

「痛みと年齢は関係ないでしょう」

 

     ◇

 

 試合場へ入る。

 

 昨日より観客が多い。

 

 フクリの試合を目当てに来た者ではない。

 

 同じ試合場で、この後に人気選手の試合があるらしい。

 

 フクリはリングへ上がった。

 

 対戦相手のガランは、フクリより少し背が低かった。

 

 しかし横幅がある。

 

 首が太い。

 

 両脚も、地面へ根を張ったように太かった。

 

 構えを見る。

 

 腰が低い。

 

 足幅が広い。

 

 昨日の4人目と似ている。

 

「押し出しを使うらしいな」

 

 ガランが言った。

 

「もう知られているんですか?」

 

「昨日4試合とも、それで勝ったんだろ」

 

「最後は少し殴りました」

 

「最後も押し出した」

 

「そうですね」

 

 情報が回るのが早い。

 

 天空闘技場には、試合結果だけでなく戦い方まで記録されている。

 

 階層が上がるほど、対策されるのが普通なのだろう。

 

「俺は動かんぞ」

 

 ガランは腰をさらに落とした。

 

「動かないと、攻撃できないのでは?」

 

「近づいてきたお前をつかむ」

 

「なるほど」

 

「場外へ投げるのは、俺の方だ」

 

 審判が片手を上げる。

 

「始め!」

 

     ◇

 

 ガランは宣言どおり動かなかった。

 

 リングの中央へ立ち、フクリを待っている。

 

 体重は両脚へ均等に乗っている。

 

 重心も低い。

 

 正面から押しても動かないだろう。

 

 フクリは周囲を歩いた。

 

 ガランは足を動かさず、上体だけでフクリを追う。

 

 背後へ回らせるつもりもないらしい。

 

「来ないのか?」

 

「どうしようか考えています」

 

「試合中だぞ」

 

「だから考えてるんです」

 

 観客席から笑い声が聞こえた。

 

 ガランは苛立った様子を見せない。

 

 待つことにも慣れている。

 

 相手の得意な形へ入らなければ試合は進まない。

 

 だが、自分の得意な押し出しが使えないからといって、何もしないわけにもいかなかった。

 

 フクリは少しずつ距離を詰めた。

 

 ガランの手が届く直前で止まる。

 

 右拳を出す。

 

 顔ではなく、胸。

 

 ガランは左腕で受けた。

 

 身体は動かない。

 

 続けて左の蹴り。

 

 太腿へ軽く当てる。

 

 これも動かない。

 

「そんな攻撃で倒せるか」

 

「倒すつもりはありません」

 

「なら何をしてる」

 

「確認です」

 

 硬い。

 

 単純な筋力も高いが、受け方が上手い。

 

 攻撃の衝撃を足元へ逃がしている。

 

 心源流でフクリが5年かけて覚えたものと似た身体の使い方だ。

 

 ただ押すだけでは通じない。

 

     ◇

 

 フクリはもう一度、右拳を出した。

 

 ガランが受ける。

 

 今度は、その腕を軽くつかんだ。

 

「捕まえたぞ」

 

 ガランの右手がフクリの肩をつかむ。

 

 強い。

 

 指が食い込む。

 

 そのまま身体を引き寄せられた。

 

 距離が消える。

 

 ガランの額がフクリの顔へ向かってきた。

 

 頭突き。

 

 フクリは首を横へ曲げる。

 

 額が耳の横を通過した。

 

 だが肩はつかまれたまま。

 

 腰へ腕を回される。

 

「軽いな!」

 

 ガランが身体を持ち上げた。

 

 足が地面から離れる。

 

 昨日の組み技使いより力が強い。

 

 フクリは抵抗せず、身体から力を抜いた。

 

「またそれか!」

 

 ガランはすでに昨日の試合も見ている。

 

 空中で回って着地する動きまで対策していた。

 

 フクリの身体を、自分の胸へ密着させる。

 

 回転する空間がない。

 

 そのまま場外へ運ばれる。

 

 リングの端が近づいた。

 

 このままでは負ける。

 

 フクリはガランの顔を見る。

 

 目。

 

 呼吸。

 

 力の入っている方向。

 

 ガランは前へ運ぶことだけへ集中している。

 

 なら、横への変化には遅れる。

 

 フクリは絶へ入った。

 

 オーラが消える。

 

 ガランの腕の力が、一瞬だけ緩んだ。

 

 フクリの身体が突然軽くなったように感じたのだろう。

 

 その瞬間、フクリは膝を上げた。

 

 ガランの腹を蹴るのではない。

 

 腕と身体の間へ膝を差し込む。

 

 僅かな隙間を作る。

 

 身体を下へ滑らせた。

 

 足がリングへ触れる。

 

 絶を解く。

 

 すぐに纏へ戻る。

 

 昨日より切り替えは速かった。

 

 ガランが再びつかもうとする。

 

 フクリは腕を払わず、内側へ入った。

 

 左肩を胸へ当てる。

 

「同じ手は効かん!」

 

 ガランが踏ん張る。

 

「同じではありません」

 

 押す方向は前ではない。

 

 ガランはフクリを運ぶため、右足を半歩前へ出している。

 

 両脚へ均等だった重心が崩れていた。

 

 フクリは右足を、ガランの右踵の外側へ置いた。

 

 逃げ道を塞ぐ。

 

 腰を回す。

 

 肩で押す。

 

 ガランの身体が横へ傾いた。

 

「くっ!」

 

 倒れない。

 

 左足を踏み直そうとする。

 

 その前に、フクリは胸から肩を離した。

 

 急に支えを失い、ガランの身体が前へ揺れる。

 

 そこへ背中から両手を当てた。

 

 押す。

 

 大きな身体が2歩進む。

 

 3歩目。

 

 片足がリングの外へ出た。

 

 ガランは身体を捻って戻ろうとする。

 

 フクリは最後に腰を押した。

 

 ガランが場外へ落ちた。

 

「勝者、フクリ!」

 

     ◇

 

 大きな歓声は起きなかった。

 

 代わりに、観客席から感心したような声が漏れる。

 

「また押し出した」

 

「対策されてたのに」

 

「力じゃないな」

 

「足を見てる」

 

 昨日より、フクリの戦い方を理解する者が増えている。

 

 派手な攻撃はない。

 

 相手を気絶させることもない。

 

 だが、何をしているか分かる者には面白いらしい。

 

 フクリはリングを降りた。

 

 今度はすぐにガランへ近づかなかった。

 

 審判が間へ入り、相手が立ち上がるのを確認する。

 

 それから声をかけた。

 

「怪我はありませんか?」

 

「昨日より待ったな」

 

「注意されたので」

 

「女にか?」

 

 ガランが観客席のビスケを見る。

 

「はい」

 

「頭が上がらないらしいな」

 

「武術では勝てませんから」

 

「武術以外では?」

 

「それも、あまり」

 

 ガランは笑った。

 

「完敗だな」

 

「試合は俺が勝ちましたよ」

 

「そっちじゃない」

 

 何の話かよく分からなかった。

 

     ◇

 

「70点」

 

 控室へ戻ると、ビスケが言った。

 

「昨日より高いですね」

 

「対策された後に勝ったから」

 

「絶を使いました」

 

「使うこと自体は悪くないわ」

 

「切り替えは?」

 

「昨日より速かった。でもまだ遅い」

 

「厳しいですね」

 

「あと、つかまれる前に避けられた」

 

「相手の力を知りたかったので」

 

「試合で試す必要はないでしょ」

 

「触れないと分からないこともあります」

 

「持ち上げられて場外ぎりぎりまで運ばれたけど?」

 

「勝ちました」

 

「結果だけで返すようになったわね」

 

「ビスケさんの真似です」

 

「そんなこと言わないわよ」

 

 かなり言っていた気がする。

 

     ◇

 

 2試合目の相手は、長身の女だった。

 

 名はリーダ。

 

 腕と脚が長い。

 

 開始前から、小刻みに身体を動かしている。

 

 速度を使う相手。

 

 フクリが最も苦手とする型だった。

 

「押し出せるかしら」

 

 リーダが笑う。

 

「できれば」

 

「触れられたらね」

 

 試合が始まる。

 

 言葉どおり速かった。

 

 正面にいたはずなのに、次の瞬間には横へいる。

 

 拳が飛ぶ。

 

 フクリは腕で受けた。

 

 すぐに背後へ回られる。

 

 振り返る前に、背中を蹴られた。

 

 前へよろめく。

 

 場外までの距離はまだある。

 

 だが、このまま追われれば押し出されるのは自分だ。

 

 フクリはリングの中央へ戻ろうとした。

 

 リーダが先回りする。

 

「遅いわね」

 

「よく言われます」

 

 右から蹴り。

 

 避ける。

 

 左拳。

 

 肩へ受ける。

 

 さらに足払い。

 

 跳ぶ。

 

 着地した瞬間に掌底が来る。

 

 腹へ当たった。

 

「っ!」

 

 呼吸が止まる。

 

 後ろへ下がる。

 

 リーダは追撃しない。

 

「硬い」

 

「鍛えましたから」

 

「でも、いつまで耐えられる?」

 

 速さでは勝てない。

 

 反応も追いついていない。

 

 現在の身体性能は103.0301。

 

 3%上がっていても、元の速度差が大きければ意味は薄い。

 

 身体能力が成長するまで待つことはできない。

 

 今ある技術で対応する必要がある。

 

     ◇

 

 フクリは構えを少し下げた。

 

 相手を目だけで追うのをやめる。

 

 肩。

 

 腰。

 

 足。

 

 全体を見る。

 

 リーダが右へ動く。

 

 追わない。

 

 リングの中央を維持する。

 

 押し出しを狙わず、まず自分が場外へ出ないことを優先する。

 

「来ないの?」

 

「来てください」

 

「さっきまで押し出そうとしてたのに」

 

「追いつけないので」

 

 リーダが笑った。

 

 踏み込んでくる。

 

 右拳。

 

 避けない。

 

 フクリは左腕へオーラを集めて受けた。

 

 衝撃。

 

 腕が痺れる。

 

 同時に、右手でリーダの袖をつかむ。

 

「捕まえた」

 

「遅いわ」

 

 リーダが腕を引く。

 

 フクリの手が外れる。

 

 だが、一瞬だけ速度が落ちた。

 

 フクリは前へ出る。

 

 肩が触れる直前。

 

 リーダは横へ逃げた。

 

 押し出しは失敗。

 

 だが、目的はそれだけではない。

 

 リングの中央からリーダを外へ動かす。

 

 速い相手も、場外際では動ける方向が減る。

 

 フクリは少しずつ追い込んでいった。

 

     ◇

 

 リーダも意図へ気づいた。

 

 中央へ戻ろうとする。

 

 フクリが道を塞ぐ。

 

「押し出すだけじゃないのね」

 

「押し出すために、位置を取っています」

 

「正直に言っていいの?」

 

「分かっているでしょう」

 

「そうね」

 

 リーダが一気に速度を上げた。

 

 フクリの左へ回る。

 

 中央への道が開く。

 

 フクリは追った。

 

 その瞬間。

 

 リーダが急停止した。

 

 追ってきたフクリの勢いを利用し、腕を取る。

 

 身体を捻る。

 

 投げ。

 

 景色が回る。

 

 リングの外が見えた。

 

 このまま落ちる。

 

 フクリは空中で絶へ入った。

 

 防御のためではない。

 

 身体から余計なオーラを消し、動きを僅かに軽くする。

 

 腰を捻る。

 

 足を伸ばす。

 

 リングの縁へ片足だけが触れた。

 

 着地。

 

 しかし体勢は崩れている。

 

 リーダが押しに来る。

 

 フクリは絶を解いた。

 

 纏へ戻す。

 

 両腕を胸の前で交差させる。

 

 掌底を受けた。

 

 身体が後ろへ動く。

 

 踵の半分が場外へ出た。

 

「終わり!」

 

 リーダがさらに押す。

 

 力比べでは負けない。

 

 だが、真正面から押し返せば相手の腕や肩を傷める可能性がある。

 

 一瞬、迷った。

 

 その迷いをリーダは見逃さなかった。

 

「手加減してる場合?」

 

 さらに力が入る。

 

 フクリの足が滑った。

 

 場外へ落ちる直前。

 

 ビスケの言葉が頭へ浮かんだ。

 

 相手が受けなければ危ないと思う程度には打ちなさい。

 

 怪我をさせないことと。

 

 相手を脅威として扱わないことは違う。

 

 フクリは右腕へオーラを集めた。

 

 掌底を、リーダの肩へ打つ。

 

 骨を壊さない。

 

 だが、受けなければ体勢を崩すだけの力。

 

 リーダが反射的に腕を上げた。

 

 防御。

 

 押す力が弱まる。

 

 フクリは前へ踏み込んだ。

 

 場外から足を戻す。

 

 そのままリーダの腕の内側へ入り、肩と腰を当てる。

 

 重心を上へ浮かす。

 

 横へ運ぶ。

 

 リーダの身体が場外へ流れた。

 

 着地しようと足を伸ばす。

 

 届かない。

 

 場外。

 

「勝者、フクリ!」

 

     ◇

 

 フクリはリングの上で息を吐いた。

 

 危なかった。

 

 あと一瞬迷っていれば負けていた。

 

 リーダは場外で立ち上がり、肩を回している。

 

 痛そうな様子はない。

 

 審判が確認した後、フクリは近づいた。

 

「肩は大丈夫ですか?」

 

「平気よ」

 

「強く打ちすぎたかと思って」

 

「あれで?」

 

「俺としては、かなり」

 

 リーダは呆れた後、声を上げて笑った。

 

「もっと本気で打ちなさいよ」

 

「怪我をさせたくないので」

 

「馬鹿ね」

 

「よく言われます」

 

「でも、最後はちゃんと打った」

 

「打たないと負けていたので」

 

「それでいいのよ」

 

 リーダはフクリの胸を指で軽く突いた。

 

「手加減されて負けた方が、よっぽど腹が立つわ」

 

 そう言って去っていった。

 

     ◇

 

 試合後。

 

 ビスケはすぐに点数を言わなかった。

 

 フクリの前へ立ち、じっと顔を見る。

 

「何です?」

 

「分かった?」

 

「何を?」

 

「相手を傷つけないのと、相手を軽く見るのは違うってこと」

 

 フクリは少し考えた。

 

「軽く見ていたつもりはありません」

 

「でも、攻撃を当てることを避けてた」

 

「怪我をさせるかもしれないので」

 

「相手は、それも含めてリングへ上がってるの」

 

「だから怪我をさせてもいい?」

 

「違う」

 

 ビスケはフクリの胸へ指を立てた。

 

「力を制御して、本気で戦うの」

 

「難しいですね」

 

「押す力は調整できるでしょ」

 

「はい」

 

「殴る力も同じよ」

 

 全力で殴るか。

 

 まったく殴らないか。

 

 その2つしかないわけではない。

 

 相手に防御させるための攻撃。

 

 体勢を崩すための攻撃。

 

 動きを止めるための攻撃。

 

 目的に応じて強さを変える。

 

 それも技術だった。

 

「今日の評価は?」

 

 フクリが尋ねる。

 

「75点」

 

「上がりましたね」

 

「最後に攻撃できたから」

 

「もっと高くてもよくないですか?」

 

「危うく負けたから減点」

 

「勝ったのに?」

 

「結果だけで評価しないの」

 

「ビスケさんも言うようになりましたね」

 

「誰の真似よ」

 

「師範です」

 

 ビスケは少し嫌そうな顔をした。

 

     ◇

 

 ビスケとの約束どおり、その日の試合は2試合で終えた。

 

 午後は修行場を借り、打撃の力加減を練習する。

 

 天空闘技場には、選手用の訓練設備も用意されていた。

 

 砂を詰めた袋。

 

 木人。

 

 重り。

 

 広い床。

 

 フクリは木人の肩へ拳を当てた。

 

「強すぎ」

 

 後ろからビスケが言う。

 

「まだ当ててませんよ」

 

「構えで分かる」

 

「そんなに?」

 

「全身へ力が入ってる」

 

 フクリは肩から力を抜いた。

 

「今度は弱すぎ」

 

「まだ打ってません」

 

「気持ちが逃げてる」

 

「気持ちまで分かるんですか?」

 

「長く見てるもの」

 

 拳を出す。

 

 木人へ当たる。

 

 軽い音。

 

「弱い」

 

 もう一度。

 

 少し強く。

 

「今度は腕だけ」

 

 足。

 

 腰。

 

 肩。

 

 拳。

 

 力をつなげる。

 

 ただし、最後まで打ち抜かない。

 

 接触の瞬間に力を止める。

 

 木人が僅かに揺れた。

 

「今の」

 

 ビスケが言う。

 

「これくらいですか?」

 

「試合なら、相手が無視できない強さ」

 

「骨は?」

 

「普通に受ければ折れない」

 

「受けなかったら?」

 

「痛い」

 

「怪我は?」

 

「当たりどころによる」

 

「安全ではないですね」

 

「戦いなんだから、完全に安全にはできないわ」

 

 それは分かっている。

 

 天空闘技場へ来た時点で、危険を完全に避けることはできない。

 

 だからこそ。

 

 危険をなくすのではなく、扱える範囲へ抑える必要がある。

 

     ◇

 

 それから3週間。

 

 フクリは試合を重ねた。

 

 1日に1試合から3試合。

 

 疲れが残れば休む。

 

 怪我をすれば治す。

 

 勝てるからといって、無理に連戦はしない。

 

 対戦相手も、少しずつ強くなっていく。

 

 押し出しを警戒して、中央から動かない者。

 

 逆に、自分からフクリを場外へ押し出そうとする者。

 

 遠距離から蹴りだけを放つ者。

 

 リングへ這うように低く構え、足を狙う者。

 

 押し出される前に、倒し切ろうと全力で攻める者。

 

 戦い方は1人ずつ違った。

 

 同じ勝ち方は、何度も通じない。

 

 フクリも少しずつ変わった。

 

 拳を使う。

 

 蹴りを使う。

 

 杖が許可された試合では、相手の武器や足元を狙う。

 

 攻撃そのものではなく、攻撃への反応を利用して重心を崩す。

 

 それでも最後は、できるだけ場外を狙った。

 

 観客からは、いつしか呼び名がついた。

 

「押し出す男だ!」

 

「今日も殴らずに落とすぞ!」

 

「いや、最近は少し殴る!」

 

 派手な人気選手ではない。

 

 だが、独特な戦い方を面白がる者は少しずつ増えていった。

 

     ◇

 

 能力を開発してから28日目。

 

 4回目の成長が完了した。

 

 現在身体性能:104.060401

 

 発動時から約4.06%上昇。

 

 まだ劇的な変化ではない。

 

 それでも、ビスケは気づいた。

 

「踏み込みが少し強くなってる」

 

「1%上がりましたから」

 

「先週までと同じつもりで動くと、少し前へ出すぎてるわ」

 

「自分でも感じます」

 

「今日の試合、リングから落ちそうになったでしょ」

 

「避けた時ですね」

 

「能力に身体が慣れるまで、意識して動きなさい」

 

「7日かけて身体を慣らす能力では?」

 

「肉体が壊れないように慣らしてるだけで、技術まで勝手に調整してくれるわけじゃないでしょ」

 

「確かに」

 

 筋力。

 

 速度。

 

 反応。

 

 持久力。

 

 身体全体は連動して成長している。

 

 だが、フクリの感覚や武術の癖まで自動で最適化されるわけではない。

 

 強くなった身体を使いこなすのは、自分の仕事だ。

 

     ◇

 

 能力開発から35日目。

 

 身体性能は105.10100501。

 

 約5.1%上昇。

 

 押し出す力が少しずつ増えている。

 

 同じ感覚で押しただけなのに、相手が想定より遠くへ動くことがあった。

 

 フクリは力を弱めるのではなく、接触時間を短くした。

 

 長く押し続けず。

 

 一瞬だけ力を伝える。

 

 相手の身体を壊さず、重心だけを動かす。

 

 能力の成長によって、以前より細かな制御が必要になっていた。

 

     ◇

 

 試合を始めてから約1か月。

 

 フクリは50階を超えた。

 

 上昇速度は速い方ではない。

 

 1日に何試合も続ければ、もっと早く進める。

 

 だが、フクリは急がなかった。

 

 目標は1年以内に190階。

 

 まだ十分に時間がある。

 

 ビスケも、最初は早く進めようとしていたが、今ではフクリのやり方を認めていた。

 

「明日は休みね」

 

 宿で反省会を終えた後、ビスケが言った。

 

「怪我はありませんよ」

 

「身体じゃなくて、頭を休ませるの」

 

「頭?」

 

「毎日、試合と反省と修行ばかりでしょ」

 

「目的がそれなので」

 

「街へ出るわよ」

 

「買い物ですか?」

 

「宝石店を見たいの」

 

「やはりビスケさんの目的では?」

 

「付き合いなさい」

 

「嫌です」

 

「どうして!」

 

「長いでしょう」

 

「何が?」

 

「店を見る時間が」

 

 ビスケは宝石を選ぶ時、何時間でも悩む。

 

 買わなくても、石の色や形を見続ける。

 

「試合を見るより短いわよ」

 

「試合は長くても数分です」

 

「じゃあ、明日は朝からね」

 

「俺の返事を聞きました?」

 

「聞いたうえで決めたわ」

 

 相変わらず決定権はなかった。

 

     ◇

 

 翌日。

 

 ビスケに連れられ、フクリは街の宝石店を回った。

 

 1軒目。

 

 2軒目。

 

 3軒目。

 

 予想どおり長い。

 

「これと、こっちならどっち?」

 

 ビスケが2つの宝石を見せる。

 

 青い石と、緑の石。

 

「青ですかね」

 

「理由は?」

 

「色が分かりやすいので」

 

「全然分かってない」

 

「なら、なぜ聞いたんです?」

 

「フクリの好みを聞いたの」

 

「では青です」

 

「私には?」

 

「どちらも似合うと思います」

 

「適当」

 

「本当にそう思ってますよ」

 

 ビスケは宝石を光へ透かした。

 

 武術や念を見ている時とは違う表情。

 

 純粋に楽しそうだった。

 

 両親を亡くし。

 

 13歳から心源流で修行し。

 

 誰よりも強さを求めてきた。

 

 それでも、ビスケは武術だけの人間ではない。

 

 可愛いもの。

 

 美しいもの。

 

 宝石。

 

 美容。

 

 そうしたものも、彼女の大切な一部だった。

 

「どうしました?」

 

 ビスケが尋ねる。

 

「何が?」

 

「さっきから見てる」

 

「楽しそうだなと思って」

 

「悪い?」

 

「いいえ」

 

「退屈じゃない?」

 

「少し」

 

「そこは嘘でも楽しいって言いなさいよ」

 

「宝石より、楽しそうなビスケさんを見ている方が面白いです」

 

 口にした後、ビスケの動きが止まった。

 

「……何、それ」

 

「そのままです」

 

「急に変なこと言わないで」

 

「本当のことなので」

 

 ビスケは顔を少し背けた。

 

 耳が赤くなっている。

 

「次の店へ行くわよ」

 

「まだ行くんですか?」

 

「行く!」

 

 歩く速度が急に速くなった。

 

     ◇

 

 夕方。

 

 2人は天空闘技場近くの食堂へ入った。

 

 ビスケは結局、青い宝石の付いた髪飾りを買っていた。

 

「青にしたんですね」

 

「フクリが選んだからじゃないわよ」

 

「聞いてません」

 

「言っておいただけ」

 

 食事をしながら、ビスケは何度か髪飾りへ触れていた。

 

 気に入ったらしい。

 

「フクリ」

 

「はい」

 

「少し先になるけど、私、しばらく天空闘技場を離れるかもしれない」

 

 突然の話だった。

 

「どれくらいです?」

 

「2、3か月くらい」

 

「行き先は?」

 

「秘密」

 

「前に言っていた予定ですか?」

 

「そう」

 

 ビスケは詳しく話さない。

 

 フクリも無理には聞かなかった。

 

「分かりました」

 

「それだけ?」

 

「いつ出るんです?」

 

「まだ決まってない。フクリが100階へ着く頃には行くと思う」

 

「試合の反省は?」

 

「自分でやりなさい」

 

「身体能力の計測は?」

 

「自分でもできるでしょ」

 

「寂しくなりますね」

 

 深い意味はなく言った。

 

 毎日一緒にいた相手がいなくなる。

 

 不便にもなる。

 

 話し相手も減る。

 

 だから、そう口にした。

 

 ビスケは一瞬だけ黙った。

 

「……そう」

 

「はい」

 

「まだ行ってないわよ」

 

「予定の話です」

 

「分かってる」

 

 ビスケは髪飾りへ触れながら、少しだけ笑った。

 

「すぐ戻るわ」

 

「待ってます」

 

 この時、フクリは本当に2、3か月で戻ると思っていた。

 

 ビスケ自身も、そう考えていた。

 

 だが。

 

 予定は大きく延びる。

 

 彼女が天空闘技場へ戻るのは、それから約6か月後。

 

 そして、ビスケがいない間。

 

 フクリは100階で、1人の少年と出会うことになる。

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