0.1%の積み重ね   作:仮面のカルメン

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第3話 威圧感の消える男

 

第3話 威圧感の消える男

 

 天空闘技場へ来てから、2か月が過ぎようとしていた。

 

 フクリは70階を超え、80階へ近づいている。

 

 試合の回数は多くない。

 

 1日に1試合。

 

 多くても2試合。

 

 相手の戦い方を確認し、試合後には必ず反省する。

 

 怪我や疲労が残れば、何日か休む。

 

 勝てるうちに連戦し、急いで上へ進む選手も多い。

 

 だが、フクリは変わらなかった。

 

 目標は190階。

 

 最短で到達することではない。

 

 様々な相手と戦い、自分に足りない経験を積むことが目的だった。

 

 その日も、フクリは試合を終えて控室へ戻った。

 

「押し出しだけに頼りすぎ」

 

 待っていたビスケが、開口一番に言った。

 

「今日は蹴りも使いましたよ」

 

「相手の足を動かすために軽く蹴っただけでしょ」

 

「十分効果がありました」

 

「勝ったからって、全部正しかったことにはならないわ」

 

「師範と同じことを言いますね」

 

「5年間も聞いていたら覚えるわよ」

 

 ビスケは紙へ試合内容を書き込む。

 

 今日の相手は、リングの中央へ低く構える武術家だった。

 

 フクリの押し出しを警戒し、ほとんど動こうとしない。

 

 そのためフクリは足への蹴りを混ぜ、相手が構えを変えた瞬間に横から押し出した。

 

「相手が蹴りを無視していたら?」

 

「もう少し強く蹴りました」

 

「どれくらい?」

 

「怪我をしない程度に」

 

「それが曖昧なのよ」

 

 ビスケはフクリの足を軽く蹴った。

 

「痛いです」

 

「今のくらい?」

 

「もう少し弱く」

 

「弱すぎるわ」

 

「力加減は難しいですね」

 

 『力は全てを凌駕する』によって、身体能力は7日ごとに1%ずつ上昇している。

 

 能力を開発してから、すでに10回以上の成長を終えた。

 

 発動時と比べれば、身体性能は1割以上高い。

 

 筋力。

 

 反応。

 

 速度。

 

 持久力。

 

 すべてが同じように上がっている。

 

 だが、技術の感覚は自分で修正しなければならない。

 

 以前ならちょうどよかった力で押すと、相手が予想以上に動く。

 

 軽く蹴ったつもりでも、相手が大きく体勢を崩す。

 

 毎週のように変わる身体へ、自分の武術を合わせ続ける必要があった。

 

「今日の身体性能は?」

 

 ビスケが尋ねた。

 

「さっき成長が完了して、112.6825です」

 

「本当に細かいわね」

 

「『容量判定』に表示されるので」

 

「約12.7%強くなったってことね」

 

「そうなります」

 

「普通なら、何年もかけて得る成長よ」

 

「楽でいいですね」

 

「その言い方、やっぱり腹が立つわ」

 

 ビスケは呆れながらも、毎週の計測を欠かさなかった。

 

 石を持ち上げる回数。

 

 走る速さ。

 

 跳べる距離。

 

 踏み込み。

 

 拳の威力。

 

 能力の数字だけではなく、実際にどのような変化が出ているか記録する。

 

 フクリ本人より熱心なくらいだった。

 

「明日も計測します?」

 

 フクリが尋ねる。

 

 ビスケの筆が止まった。

 

「明日は無理」

 

「予定があるんですか?」

 

「前に話したでしょ」

 

 ビスケは紙を畳んだ。

 

「しばらく天空闘技場を離れるって」

 

「もう行くんですね」

 

「うん」

 

「何時に?」

 

「明日の朝」

 

「急ですね」

 

「前から準備してたわ」

 

「俺には何も言わずに?」

 

「行くとは言ってたでしょ」

 

 行き先は秘密。

 

 目的も秘密。

 

 期間は2、3か月程度。

 

 それだけしか聞いていない。

 

「本当に教えないんですか?」

 

「教えない」

 

「危険な場所では?」

 

「フクリよりは危険じゃないわ」

 

「俺は規則のある試合をしてるだけですよ」

 

「相手に怪我させたくないって考えて、毎回ぎりぎりになる人がよく言うわね」

 

「最近は余裕があります」

 

「身体能力が上がったからでしょ」

 

「それも実力です」

 

 ビスケは少し笑った。

 

「そうね」

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 ビスケの荷物は、すでにまとめられていた。

 

 着替え。

 

 旅道具。

 

 宝石を見るための小さな器具。

 

 心源流を出た時より、荷物が少し増えている。

 

 天空闘技場の周辺で買った物らしい。

 

「本当に2、3か月で戻ります?」

 

 フクリが尋ねる。

 

「そのつもり」

 

「予定が延びたら?」

 

「手紙を出すわ」

 

「送る場所は、この宿で」

 

「分かってる」

 

 ビスケは荷物を肩へかけた。

 

「試合は続けるのよ」

 

「はい」

 

「無理に連戦しない」

 

「はい」

 

「押し出しだけに頼らない」

 

「はい」

 

「毎週、身体能力を記録する」

 

「面倒ですね」

 

「返事は?」

 

「やります」

 

「絶の修行も」

 

「続けますよ」

 

「知らない相手に能力を話さない」

 

「そこは言われなくても」

 

「変な念能力者に声をかけられても、ついていかない」

 

「子供ではないんですが」

 

「心配なのよ!」

 

 言った後、ビスケが一瞬固まった。

 

 フクリも少し黙る。

 

「……心配してくれてるんですね」

 

「同じ旅をしてるんだから当然でしょ」

 

「ありがとうございます」

 

「何、その素直な返事」

 

「お礼を言っただけです」

 

「調子が狂うわ」

 

 ビスケは顔を背けた。

 

「では、行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

「戻ってきた時、100階へ着いてなかったら笑うから」

 

「2、3か月あれば行けると思います」

 

「油断しないで」

 

「はい」

 

 ビスケは扉へ向かう。

 

 その手が取っ手へ触れる直前、フクリが呼び止めた。

 

「ビスケさん」

 

「何?」

 

「気をつけて」

 

 ビスケは少しだけ目を細めた。

 

「フクリもね」

 

 扉が閉まる。

 

 部屋が急に静かになった。

 

     ◇

 

「広いな」

 

 フクリは宿の部屋を見回した。

 

 大きさは昨日までと同じ。

 

 荷物が1人分なくなっただけだ。

 

 それなのに、妙に広く感じる。

 

 机の上には、ビスケが残した記録用の紙。

 

 試合ごとの評価。

 

 身体能力の変化。

 

 悪かった点。

 

 良かった点。

 

 文字は細かく、量も多い。

 

「自分でやるか」

 

 試合の反省。

 

 毎週の計測。

 

 修行。

 

 どれも1人でできる。

 

 心源流へ来る前は、すべて1人で行っていた。

 

 5年間。

 

 ビスケが隣にいる生活へ慣れすぎただけだ。

 

     ◇

 

 ビスケがいなくなってからも、試合は続いた。

 

 最初の数日は、特に変わらなかった。

 

 朝に修行。

 

 昼に試合。

 

 夜に反省。

 

 だが、試合を終えて控室へ戻るたび、違和感があった。

 

「今日は何点ですか」

 

 そう聞きそうになり、誰もいないことへ気づく。

 

 宿へ戻り、机に座る。

 

 自分で試合内容を書く。

 

 悪かった点。

 

 攻撃のタイミング。

 

 足運び。

 

 力加減。

 

 それなりに書ける。

 

 だが、ビスケほど細かくは見られない。

 

 自分が気づいていない失敗は、自分の記録には残らなかった。

 

「映像を見た方がいいな」

 

 フクリは天空闘技場の記録映像を借りることにした。

 

 以前、ビスケが対戦相手を調べるために使おうとしていたものだ。

 

 試合を別の角度から見直す。

 

 自分では避けたつもりだった攻撃が、実際には相手の失敗で外れている。

 

 重心を崩したと思っていた場面も、相手が足を滑らせただけ。

 

 逆に、自分では失敗だと思った動きが、相手の攻撃を誘うために役立っていることもあった。

 

「ビスケさんの言ってたとおりだな」

 

 映像を見ることも修行になる。

 

 本人が戻った時に言えば、得意そうな顔をするだろう。

 

     ◇

 

 階層が上がるにつれ、押し出しだけで勝つことは難しくなった。

 

 リングの端を避ける。

 

 重心を低くする。

 

 自分から場外を背負わない。

 

 フクリの過去の試合を見た相手は、必ず対策を用意してくる。

 

 ある試合では、対戦相手が開始直後から床へ両手をついた。

 

 四つ足の獣のような構え。

 

 重心が極端に低い。

 

「押してみろよ」

 

 男が笑う。

 

「難しそうですね」

 

 フクリは素直に答えた。

 

 肩で押すこともできない。

 

 腰へ入ろうとすれば、下から足を取られる。

 

 フクリは距離を取った。

 

 男は低い姿勢のまま追ってくる。

 

 足を狙う。

 

 フクリが避ける。

 

 さらに追う。

 

 リングの中央で、低い姿勢の男と距離を取り続ける奇妙な試合になった。

 

 観客から野次が飛ぶ。

 

「戦え!」

 

「逃げるな!」

 

「押し出すんじゃなかったのか!」

 

 フクリは気にしなかった。

 

 観客を楽しませるために来たわけではない。

 

 勝てる形を探す。

 

 相手の腕が伸びる。

 

 足首をつかもうとする。

 

 フクリは足を引かず、前へ出した。

 

 相手の腕を踏むのではない。

 

 腕の外側へ足を置き、逃げ道を塞ぐ。

 

 同時に身体を沈め、男の肩を上から押す。

 

「重っ!」

 

 男は低い。

 

 だが、低いからこそ上からの力には弱い。

 

 フクリは体重をかけた。

 

 相手が押し潰されまいと、身体を起こす。

 

 その瞬間。

 

 フクリは力を抜いた。

 

 急に抵抗を失った男の身体が浮く。

 

 胸へ肩を入れる。

 

 横へ運ぶ。

 

 男は低い姿勢へ戻ろうとしたが、足が追いつかない。

 

 リングの端。

 

 場外。

 

「勝者、フクリ!」

 

 観客から、遅れて歓声が起こった。

 

     ◇

 

「今のなら、何点ですかね」

 

 試合後、フクリは1人で呟いた。

 

 ビスケなら。

 

 最初に逃げすぎ。

 

 観客の声を気にしていない点は良い。

 

 相手の姿勢を起こす判断は良い。

 

 最後の押し出しは80点。

 

 おそらく、そんな評価をする。

 

「75点くらいかな」

 

 自分で紙へ書いた。

 

 少し甘いかもしれない。

 

     ◇

 

 ビスケが旅立ってから、1か月半。

 

 フクリは100階へ到達した。

 

 低階層までとは扱いが変わる。

 

 個人用の部屋。

 

 賞金。

 

 試合までの期間。

 

 選手として正式に扱われ始めた感覚があった。

 

「100階到達、おめでとうございます」

 

 受付の女性が鍵を渡す。

 

「次回からはこちらの部屋をご利用ください」

 

「ありがとうございます」

 

「試合は、これまでより間隔が空く場合があります」

 

「問題ありません」

 

「過去の試合内容から、対戦相手を選定します」

 

「押し出しへ強い人を選ばれそうですね」

 

「さあ、どうでしょう」

 

 受付の女性は笑って答えなかった。

 

     ◇

 

 100階の個室は、これまで泊まっていた宿より広かった。

 

 寝台。

 

 机。

 

 浴室。

 

 修行できる小さな空間もある。

 

「ビスケさんが戻ったら、宿を引き払ってもいいな」

 

 1人で使うには十分すぎる。

 

 ビスケが戻ってきても、もう1つ寝台を入れれば問題ない。

 

 フクリは荷物を整理し、すぐに修行場へ向かった。

 

 100階へ着いたからといって、休むつもりはない。

 

 立つ。

 

 歩く。

 

 拳。

 

 足運び。

 

 流。

 

 絶。

 

 心源流で覚えた基礎を繰り返す。

 

     ◇

 

 修行場の隅に、1人の少年がいた。

 

 年齢は10代前半ほど。

 

 黒い髪。

 

 真面目そうな顔。

 

 身体は細いが、立ち方には武術を習っている者の癖がある。

 

 少年は木人へ拳を打ち込んでいた。

 

 だが、肩へ力が入りすぎている。

 

 拳が当たるたび、身体の軸が少しずつ前へ崩れる。

 

 フクリは少し離れた場所で、自分の修行を始めた。

 

 少年へ教えるつもりはない。

 

 頼まれてもいないのに口を出すのは失礼だ。

 

 正しく立つ。

 

 拳を出す。

 

 絶へ入る。

 

 数歩移動。

 

 纏へ戻る。

 

 練。

 

 流。

 

 動きながら切り替える。

 

 ビスケに指摘された部分を繰り返す。

 

 しばらくして、少年の拳の音が止まった。

 

 視線を感じる。

 

 フクリは修行を続けた。

 

 練でオーラ量を増やす。

 

 部屋の空気が僅かに重くなる。

 

 念を知らない者には、オーラは見えない。

 

 だが、何も感じないわけではない。

 

 強い者を前にした時のような威圧感。

 

 近づきにくさ。

 

 理由の分からない不安。

 

 そうした形で感じることがある。

 

 次にフクリは絶へ入った。

 

 威圧感が消える。

 

 そこにいるのは、目立たない普通の男。

 

 再び纏へ戻る。

 

 僅かに存在感が増す。

 

 練。

 

 強い圧力。

 

 絶。

 

 何もない。

 

 少年の視線が、さらに強くなった。

 

     ◇

 

「何か?」

 

 フクリが声をかける。

 

 少年は驚いたように姿勢を正した。

 

「すみません。見ていました」

 

「構いませんよ」

 

「あの」

 

「はい」

 

「時々、ものすごく強そうに見えるんです」

 

 フクリは答えなかった。

 

「でも、次の瞬間には……」

 

 少年は言葉を探す。

 

「失礼かもしれませんが、普通の人に見えます」

 

「失礼ですね」

 

「す、すみません!」

 

「冗談です」

 

 少年は真剣だった。

 

「気のせいでは?」

 

「違います」

 

「どうして、そう思うんです?」

 

「近づいてはいけないような感じがする時があります」

 

 少年は自分の胸へ手を当てた。

 

「身体が重くなるというか。息がしづらくなるというか」

 

「それが急になくなる?」

 

「はい」

 

 念そのものは見えていない。

 

 だが、練による威圧感の変化へ気づいている。

 

 感覚が鋭い。

 

「武術を習っているんですか?」

 

 フクリが尋ねた。

 

「少しだけです」

 

「どこで?」

 

「いくつかの道場を回っています。でも、まだ正式な師匠はいません」

 

「そうですか」

 

「あなたは?」

 

「心源流で5年間修行しました」

 

 少年の目が大きく開いた。

 

「心源流?」

 

「知っています?」

 

「はい。最近、有名になっている流派ですよね」

 

「まだ新しい流派ですけどね」

 

「ネテロ会長と関係があるとも聞きました」

 

「多少は」

 

 少年はフクリの立ち方を見る。

 

 先ほどまで以上に真剣な目だった。

 

「お願いします」

 

 突然、深く頭を下げた。

 

「何をです?」

 

「僕を弟子にしてください」

 

 フクリはすぐに答えた。

 

「嫌です」

 

「え?」

 

「俺は師匠になれるほど強くありません」

 

「でも、100階へ来ている」

 

「天空闘技場では、まだ上があります」

 

「心源流で5年間も修行している」

 

「武術の才能がないので、そこそこの実力です」

 

「才能がない?」

 

「はい」

 

 少年は信じられないようにフクリを見る。

 

「でも、あの威圧感は」

 

「気のせいでしょう」

 

「違います」

 

「仮に違ったとしても、それと武術の才能は別です」

 

 念について話すつもりはない。

 

 少年が気づいているのは、力の正体ではない。

 

 威圧感の変化だけだ。

 

「お願いします!」

 

 少年はもう一度頭を下げた。

 

「弟子にはできません」

 

「なぜですか?」

 

「人へ教えられるほど完成していないからです」

 

「では、基礎だけでも」

 

「基礎?」

 

「立ち方や歩き方です」

 

 少年はフクリの動きを見ていたらしい。

 

「僕の拳は、肩へ力が入りすぎていますよね」

 

 自分でも気づいていた。

 

「はい」

 

「軸も前へ崩れています」

 

「分かっているなら、直せるのでは?」

 

「どう直せばいいか分かりません」

 

 フクリは5年前の自分を思い出した。

 

 立つ。

 

 歩く。

 

 力を抜く。

 

 言葉では分かる。

 

 身体では分からない。

 

 ビスケは、なぜできないのか理解できなかった。

 

 フクリは逆だ。

 

 できない感覚を知っている。

 

「名前は?」

 

 フクリが尋ねた。

 

「ウイングです」

 

 やはり。

 

 前世で知っている名前。

 

 ゴンとキルアへ念を教えた、心源流の師範代。

 

 その本人が、まだ少年の姿で目の前にいる。

 

 心源流へ弟子入りする前。

 

 ビスケの正式な弟子になる前のウイング。

 

 まさか、自分から声をかけてくるとは思わなかった。

 

「ウイング」

 

「はい」

 

「俺はあなたの師匠にはなりません」

 

 少年の顔が曇る。

 

「ただし」

 

 フクリは続けた。

 

「俺の連れが戻ってくるまで、一緒に基礎修行をするくらいなら構いません」

 

「一緒に?」

 

「俺も修行中ですから」

 

「教えてくれるのでは?」

 

「教えられるところは教えます。でも、師弟ではありません」

 

 自分より才能のある者を、自分の弟子にするつもりはない。

 

 何より、念まで正式に教える資格があるとは思えなかった。

 

「それでもいいです!」

 

 ウイングは顔を上げた。

 

「よろしくお願いします、師匠!」

 

「師匠ではありません」

 

「フクリ先生!」

 

「先生でもありません」

 

「では、何と呼べば?」

 

「フクリでいいです」

 

「年上を呼び捨てにはできません」

 

「面倒ですね」

 

 フクリは少し考えた。

 

「フクリさんで」

 

「はい、フクリさん!」

 

 返事が大きい。

 

     ◇

 

「では、最初に」

 

 フクリはウイングの前へ立った。

 

「拳は打ちません」

 

「何をするんです?」

 

「立ちます」

 

「立つ?」

 

「はい」

 

「どれくらい?」

 

「俺は3か月かかりました」

 

 ウイングの顔が引きつった。

 

「3か月も?」

 

「ビスケさんは3日です」

 

「ビスケさん?」

 

「俺より遥かに強い人です」

 

「その方が、フクリさんの師匠ですか?」

 

「先輩です」

 

「戻ってくるんですよね」

 

「予定では、あと1、2か月くらいで」

 

 フクリはまだ、ビスケが予定どおり戻ると思っていた。

 

「それまでに、立つところくらいは終わるかもしれませんね」

 

「頑張ります」

 

「頑張りすぎなくていいです」

 

「え?」

 

「必要な分だけ続けてください」

 

 ウイングは不思議そうな顔をした。

 

 努力を美徳にするつもりはない。

 

 苦しめば強くなるとも思わない。

 

 ただし、できるまで繰り返す必要はある。

 

「まず、普通に立ってください」

 

 ウイングが姿勢を作る。

 

 足幅。

 

 膝。

 

 腰。

 

 肩。

 

 5年前の自分より、すでに形がいい。

 

「右肩が上がっています」

 

 ウイングが下げる。

 

「下げすぎです」

 

 少し戻す。

 

「腰が引けました」

 

「こうですか?」

 

「前へ出すぎです」

 

 修正するたび、別の部分が崩れる。

 

 フクリは小さく笑った。

 

「何か?」

 

「いえ」

 

 ビスケも、こんな気持ちだったのかもしれない。

 

 違う点が1つある。

 

 フクリは、なぜウイングができないのか理解できた。

 

 自分が何度も同じ場所で失敗したからだ。

 

「急がなくていいです」

 

「はい」

 

「最初から全部直そうとしない」

 

「はい」

 

「今日は足裏だけにしましょう」

 

「足裏?」

 

「体重が、どこへ乗っているか分かります?」

 

 ウイングは目を閉じた。

 

「踵です」

 

「では、少し前へ」

 

 小さな修正。

 

 ビスケなら一瞬で直していただろう。

 

 フクリは時間をかける。

 

 何度も試す。

 

 本人へ感覚を確かめさせる。

 

 そうして2人の最初の修行は始まった。

 

     ◇

 

 夜。

 

 フクリは100階の個室へ戻った。

 

 ビスケのいない部屋。

 

 机へ座り、今日の記録をつける。

 

 試合。

 

 身体能力。

 

 そしてウイングの修行。

 

「心源流に入る前のウイングか」

 

 前世で知っている未来。

 

 ウイングは、いずれ心源流の師範代になる。

 

 ゴンとキルアへ念を教える。

 

 その師匠は、ビスケ。

 

 今はまだ、2人は出会っていない。

 

 自分が間へ入ることで、未来が少し変わった。

 

 だが、最終的にビスケの弟子となるなら、知っている未来へ近づく。

 

「俺が弟子にするより、ビスケさんの方がいいな」

 

 才能。

 

 実力。

 

 念の知識。

 

 どれもビスケが上だ。

 

 ただ、ビスケが正式に弟子を取るかは分からない。

 

 戻ってきた時に話し合えばいい。

 

     ◇

 

 フクリは『容量判定(メモリー・ジャッジ)』を使った。

 

 現在身体性能:112.6825

 

 次回成長まで:あと7日

 

 今日、12回目の成長が完了した。

 

 発動時から約12.68%上昇。

 

 そして、使用可能メモリも少しずつ増えている。

 

 まだ1000までは遠い。

 

 焦る必要はない。

 

 天空闘技場で試合を続ける。

 

 ウイングと基礎を繰り返す。

 

 ビスケの帰りを待つ。

 

 時間はすべてを積み上げてくれる。

 

 ただ。

 

 明日から1つだけ注意が必要だった。

 

 ウイングは、フクリの威圧感が強くなったり、完全になくなったりすることへ気づいている。

 

 念は見えていない。

 

 名前も知らない。

 

 それでも、感覚は鋭い。

 

 練。

 

 纏。

 

 絶。

 

 修行中に何度も切り替えれば、さらに疑問を持つだろう。

 

「念を教えるわけにはいかないな」

 

 少なくとも、ビスケへ相談するまでは。

 

 フクリは紙を畳み、絶へ入った。

 

 威圧感が消える。

 

 部屋は静かになる。

 

 だが翌日。

 

 ウイングは、最初の質問をすることになる。

 

 なぜフクリは、強そうに見える時と。

 

 まるで存在まで薄くなったように見える時があるのか。

 

 その答えを誤魔化すため。

 

 フクリは、心源流の表向きの教えである「燃」を使うことになる。

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