0.1%の積み重ね   作:仮面のカルメン

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第7話 積み重なる時間

 

第7話 積み重なる時間

 

 ウイングがビスケの正式な弟子になってから、3人の生活には新しい形ができた。

 

 朝は心源流の修行。

 

 昼はフクリの試合。

 

 夕方は身体能力の測定と、ウイングの復習。

 

 夜は試合の反省か、念についての講義。

 

 予定だけを見れば忙しい。

 

 だが、実際に最も忙しそうなのはビスケだった。

 

「ウイング、肩!」

 

「はい!」

 

「フクリ、踏み込みが強すぎ!」

 

「俺もですか?」

 

「身体能力が上がった分、前へ出すぎてる!」

 

「今はウイングの修行では?」

 

「見ていて気になったの!」

 

 修練室の中央ではウイングが型を繰り返し、その横でフクリも自分の足運びを修正していた。

 

 正式な弟子はウイングだけ。

 

 しかし、ビスケから見ればフクリも放っておけないらしい。

 

「師匠」

 

 ウイングが尋ねる。

 

「フクリさんも弟子なんですか?」

 

「違うわ」

 

「では、なぜ同じように指導を?」

 

「目の前で変な動きをされると気になるのよ」

 

「善意ですか?」

 

「違う!」

 

 否定が早かった。

 

 フクリは何も言わず、踏み込みをやり直す。

 

 身体能力が上がること自体は嬉しい。

 

 だが、以前と同じ感覚で動けば、予定より深く入りすぎる。

 

 押す力も強くなる。

 

 毎週1%。

 

 一度の変化は小さい。

 

 それでも積み重なれば、無視できない差になる。

 

「もう一度」

 

 ビスケが言う。

 

 フクリは右足を踏み出した。

 

 今度は力を抑えない。

 

 代わりに、床へ力を伝える時間を短くする。

 

 一瞬だけ踏む。

 

 必要な距離へ進んだところで、余計な力を抜く。

 

「今の方がいい」

 

「弱くするのではなく、短く使う」

 

「そう。身体能力が上がるたび、全部弱くしていたら意味がないでしょ」

 

「なるほど」

 

「フクリさん」

 

 ウイングが言う。

 

「今の説明、覚えておいてください」

 

「どうして俺が?」

 

「後で僕にも分かるように説明してほしいので」

 

「師匠本人がいるでしょう」

 

「ビスケ師匠は『見れば分かる』と言うことがあります」

 

「ウイング!」

 

「すみません!」

 

 事実ではあった。

 

     ◇

 

 天空闘技場での試合も、以前とは少しずつ変わっていた。

 

 150階を超えると、フクリの戦い方を知らない者の方が少ない。

 

 押し出し。

 

 重心操作。

 

 威圧感が増したり消えたりする、正体不明の技術。

 

 相手を真上へ浮かせ、空中で回転させる技。

 

 過去の映像を見れば、対策を考えることはできる。

 

 リングの中央から動かない。

 

 足を床へ強く固定する。

 

 フクリへ身体を触れさせない。

 

 上へ浮かされないよう、踏ん張りすぎない。

 

 選手たちは、それぞれの方法で対抗してきた。

 

 だが、フクリも同じ場所へ留まってはいない。

 

 場外へ運ぶことだけを考えなくなった。

 

 相手の重心を崩し、望んだ方向へ力を流す。

 

 前。

 

 後ろ。

 

 左右。

 

 そして上。

 

 最初は相手の力が偏るのを待っていた。

 

 今は、自分の攻撃で偏りを作る。

 

 顔へ拳を出せば、相手は上半身を引く。

 

 脚を狙えば、体重が反対側へ移る。

 

 押す動きを見せれば、相手は前へ踏ん張る。

 

 その反応を利用し、最初に見せた攻撃とは別の方向へ崩す。

 

 押し出しは、最後の結果にすぎなかった。

 

     ◇

 

 160階までに行われた試合の多くは、短時間では終わらなかった。

 

 相手もフクリの狙いを知っている。

 

 触れられた瞬間に負けるわけではない。

 

 だが、体勢を崩されることは避けたい。

 

 慎重な試合が増えた。

 

 フクリは焦らなかった。

 

 相手が動かなければ、自分から軽い打撃を使う。

 

 受ければ重心が変わる。

 

 避ければ足の位置が変わる。

 

 反撃へ出れば、動きの途中に隙が生まれる。

 

 時間をかけ、一つずつ崩す条件を作った。

 

 観客からは地味だと言われることもあった。

 

 派手な殴り合いを期待する者から、野次も飛んだ。

 

 それでも、フクリは自分のやり方を変えなかった。

 

「もっと強く殴れば早く終わるのに」

 

 ある試合後、ウイングが言った。

 

「そうですね」

 

「では、どうして使わないんです?」

 

「早く終わらせることが目的ではないからです」

 

「勝つことが目的では?」

 

「勝つことと、相手を壊すことは違います」

 

「でも、相手も本気で攻撃しています」

 

「必要なら打ちますよ」

 

 フクリは拳を握った。

 

「ただ、押し出せる相手を殴り倒す必要はありません」

 

「余裕があるからですか?」

 

「今は、少しだけ」

 

 身体能力が上がり、以前より選択肢が増えていた。

 

 力が足りなかった頃は、相手を崩せる瞬間を待つしかない。

 

 今は多少不利な姿勢からでも、自分の力で流れを変えられる。

 

 余裕があるから、手段を選べる。

 

「強くなることは、選べることなんですね」

 

 ウイングが呟いた。

 

「そうかもしれません」

 

「フクリの場合は、戦わないことを選びそうね」

 

 ビスケが横から言う。

 

「選べるなら、それが一番です」

 

「天空闘技場へ来てる人の言葉じゃないわ」

 

「経験が欲しいだけですから」

 

「本当に武術家らしくない」

 

「デスロ師範は、目的を果たせば武術家だと言いました」

 

「便利なところだけ覚えてるわね」

 

     ◇

 

 ウイングの修行も進んでいた。

 

 ビスケはまだ、念の正体をすべて教えていない。

 

 だが、纏へつながる呼吸。

 

 身体の内側へ意識を向ける方法。

 

 自分の生命力が、肉体だけでは終わっていないこと。

 

 危険のない範囲で、少しずつ準備を進めている。

 

「目を閉じて」

 

 ビスケが言う。

 

 ウイングは修練室の中央へ座った。

 

「身体の輪郭を意識するの」

 

「輪郭?」

 

「皮膚の内側ではなく、外側まで」

 

 ウイングの眉間に力が入る。

 

「力まない」

 

「はい」

 

「返事もしなくていい」

 

 ウイングは黙った。

 

 ビスケが背後へ回り、ウイングの肩へ手を置く。

 

「呼吸を止めない。何かを無理に出そうとしない。ただ、自分の中に何があるか探す」

 

 まだ精孔を開く段階ではない。

 

 無理に目覚めさせるつもりもない。

 

 ウイング自身が、ゆっくりと存在へ気づくように導いている。

 

 フクリは少し離れた場所から見ていた。

 

「羨ましい?」

 

 ビスケが振り返らず尋ねた。

 

「少し」

 

「正しく教わりたかった?」

 

「かなり」

 

 絶対に念があると知った状態で、5年もかかった。

 

 何を探せばいいか分からない。

 

 自分の感覚が正しいかも分からない。

 

 何度も失敗し、偶然に近い形で目覚めた。

 

「でも、独学だったから今の能力を作れた部分もあります」

 

「どうして?」

 

「普通の教え方を知らなかったので、普通ではない考え方ができたのかもしれません」

 

「危険な考え方もね」

 

「成立したので問題ありません」

 

「結果で全部正当化しない」

 

 ウイングが目を閉じたまま、僅かに笑った。

 

「集中しなさい」

 

「はい」

 

「返事はいらないって言ったでしょ!」

 

 集中は途切れた。

 

     ◇

 

 数週間後。

 

 フクリは170階へ到達した。

 

 特別な一戦があったわけではない。

 

 勝ち。

 

 休み。

 

 修行。

 

 また試合。

 

 その繰り返しの先に、いつの間にか到達していた。

 

「もっと喜ばないの?」

 

 受付から戻ったフクリへ、ビスケが尋ねる。

 

「目標は190階なので」

 

「170階も十分すごいわよ」

 

「そうですか?」

 

「心源流へ入った頃のフクリなら、最初の試合で負けてた」

 

「それは間違いないですね」

 

 5年前。

 

 正しく立つことすらできなかった。

 

 今は相手の重心を読み、崩す方向を選べる。

 

 自分より重い相手を浮かせることもある。

 

 武術の才能が生まれたわけではない。

 

 覚える速度も、ビスケやウイングより遅い。

 

 それでも、できることは確実に増えていた。

 

「少しは嬉しいです」

 

「少し?」

 

「かなりと言った方がいいですか?」

 

「言わせても意味ないわ」

 

「以前も同じことを言いましたね」

 

 ビスケは一瞬考えた後、笑った。

 

「覚えてたの?」

 

「5年前の話くらいは」

 

「私が何て言ったかも?」

 

「武術を少し面白いと言った時です」

 

「そうだったわね」

 

「今は、かなり面白いと思っていますよ」

 

 ビスケの目が僅かに開く。

 

「本当に?」

 

「はい」

 

「能力設計とどっちが?」

 

「能力設計です」

 

「そこは武術って言いなさいよ!」

 

「聞かれたので正直に」

 

 評価は変わらなかったらしい。

 

     ◇

 

 170階から180階までも、時間をかけて進んだ。

 

 勝つ試合ばかりではない。

 

 一度、判定で敗れた。

 

 相手はリングの中央を守り続け、最後までフクリへ身体を触れさせなかった。

 

 フクリも大きな攻撃を受けてはいない。

 

 しかし、有効な攻撃を当てた数で負けた。

 

 場外へ出さなければ勝てない。

 

 そんな考えへ、知らないうちに寄りかかっていた。

 

「完敗ですね」

 

 試合後、フクリは言った。

 

「怪我もないし、場外にも落ちてないのに?」

 

 ウイングが不思議そうに尋ねる。

 

「自分の勝ち方だけを考えて、相手が何を狙っているか見ていませんでした」

 

 相手はフクリを倒すつもりもなかった。

 

 押し出されず。

 

 必要な攻撃だけ当て。

 

 時間を使って判定で勝つ。

 

 最初から、その戦い方だった。

 

「次なら勝てる?」

 

「同じ相手と同じ条件なら、対策はできます」

 

「では、悔しくありませんか?」

 

「悔しいですよ」

 

「そう見えません」

 

「勝ち方を教えてもらえたので、得もしました」

 

 ウイングが首を傾げる。

 

「負けて得をした?」

 

「次に同じ方法を使う相手が来ても、対処できます」

 

「相手が教えるつもりで戦ったわけではありません」

 

「それでも、教わったことには変わりません」

 

 ビスケが満足そうに頷いた。

 

「その考え方は悪くないわ」

 

「珍しく褒めましたね」

 

「ただし、同じ負け方をしたら怒る」

 

「厳しいですね」

 

「学んだんでしょ?」

 

「はい」

 

     ◇

 

 次の試合から、フクリは勝ち方を1つに絞らなくなった。

 

 場外。

 

 転倒。

 

 有効打。

 

 相手の棄権。

 

 すべて使う。

 

 重心操作は、押し出すためだけの技術ではない。

 

 相手の拳を外へ流す。

 

 踏み込みを浅くさせる。

 

 蹴りの軸を崩す。

 

 身体の向きを変え、攻撃できない位置へ移動させる。

 

 小さな崩しを重ねることで、試合全体を自分の流れへ持っていく。

 

 派手に相手が浮く試合は減った。

 

 必要がなければ使わない。

 

 その代わり、試合中にフクリが触れるたび、相手の姿勢が僅かにずれる。

 

 踏み込みたい方向へ踏み込めない。

 

 打ちたい拳が届かない。

 

 気づけば、リングの端へ追い込まれている。

 

 観客から見れば地味だった。

 

 対戦相手からすれば、非常に戦いにくかった。

 

「最近、嫌な戦い方になったわね」

 

 ビスケが言う。

 

「褒めています?」

 

「かなり」

 

「ありがとうございます」

 

「相手が自分の身体を自由に使えなくなってる」

 

「全部を止めてはいません」

 

「少しずつ邪魔してるのよね」

 

「楽なので」

 

「やっぱり理由はそこなのね」

 

 相手の攻撃をすべて避けるより。

 

 攻撃しにくい姿勢を作る方が楽だ。

 

 力で押し切るより。

 

 相手の力を別方向へ流す方が楽だ。

 

 フクリの武術は、本人の性格に合わせるように形を変えていた。

 

     ◇

 

 身体能力も、試合と同じように積み重なっている。

 

 心源流で『力は全てを凌駕する』を開発してから、約10か月。

 

 成長回数は40回を超えた。

 

 発動時の身体性能100に対し、現在はおよそ150。

 

 約1.5倍。

 

 数字だけなら、大きな変化だった。

 

 心源流を出た頃と比べ、力も速度も反応も持久力も上がっている。

 

 だが、毎週少しずつ増えたため、本人には急激な変化として感じられない。

 

「この石、前よりかなり軽いです」

 

 測定用の石を持ちながら、フクリが言う。

 

「前と同じ重さだから当然ね」

 

「もう測定に向いていないのでは?」

 

「回数を増やす」

 

「時間がかかります」

 

「重い物を探す?」

 

「運ぶのが面倒です」

 

「じゃあ回数」

 

 楽な方法を探した結果、測定時間だけが長くなった。

 

 ウイングは記録係として数を数えている。

 

「98、99、100……」

 

「まだ続けます?」

 

「限界まで」

 

「明日、試合ですよ」

 

「今の身体なら、この程度は明日まで残らないわ」

 

「能力を便利に使われてる気がします」

 

「誰のために測ってると思ってるの?」

 

「ビスケさんが楽しんでいるようにも見えます」

 

「気のせいよ」

 

 楽しんでいた。

 

     ◇

 

 測定を終えた後、ウイングは記録用紙へ最後の数字を書き込んだ。

 

「これで終わりですか?」

 

「今日はここまで」

 

 ビスケが答える。

 

「帰ったら、朝にやった足運びを復習しておきなさい。ただし30分まで」

 

「もっとやってはいけませんか?」

 

「駄目。疲れた状態で続けると、また肩へ力が入るわ」

 

「分かりました」

 

 ウイングは記録用紙をビスケへ渡した。

 

「明日も日の出前ですよね」

 

「遅れたら置いていくわよ」

 

「はい!」

 

「声が大きい!」

 

「すみません!」

 

 ウイングはフクリとビスケへ頭を下げ、部屋を出ていった。

 

 扉が閉まり、足音が廊下の向こうへ遠ざかる。

 

 部屋にはフクリとビスケだけが残った。

 

 ビスケは先ほどまでの記録へ目を落としたまま、しばらく何も言わなかった。

 

「どうしました?」

 

 フクリが尋ねる。

 

「少し考えてたの」

 

「ウイングの修行について?」

 

「違うわ」

 

 ビスケは記録用紙を机へ置いた。

 

「私の念能力」

 

 フクリは向かいの椅子へ座った。

 

「そろそろ本格的に考えるんですか?」

 

「ええ。もうすぐ20歳になるから」

 

 以前から決めていた時期だった。

 

 身体の成長がある程度落ち着くまでは、変身する姿を決めない。

 

 その間に、自分が本当に何を望んでいるのか考える。

 

「どういう能力にしたいか、決まりました?」

 

「まだ完全には」

 

「小さい姿になる能力ですよね」

 

「それだけじゃ、もったいないと思って」

 

「ほかにも入れる?」

 

「美容」

 

 迷いのない即答だった。

 

「身体を整える。肌を綺麗にする。髪も。疲れを取ることもできたら最高ね」

 

「戦闘には、ほとんど関係ありませんね」

 

「大事よ!」

 

「ビスケさんにとっては」

 

「誰にとっても大事なの!」

 

 ビスケが机を軽く叩いた。

 

 少し声が大きい。

 

「ウイングが戻ってきますよ」

 

「誰のせいよ!」

 

 フクリは紙を1枚取り出した。

 

「整理しましょう」

 

 中央に、ビスケが望む効果を書いていく。

 

 身体を小さく変化させる。

 

 本来の身体能力は維持する。

 

 元の姿へ自由に戻れる。

 

 美容と疲労回復を行う。

 

 肉体の調子を整える。

 

「かなり多いですね」

 

「フクリに言われたくないわ」

 

「俺は能力を分けています」

 

「使えるメモリが増えるからでしょ」

 

「それはそうですね」

 

 普通の念能力者は、一度使った容量が戻らない。

 

 必要な効果を1つの能力へまとめなければならない場合もある。

 

「変身後は何歳くらいにします?」

 

「12歳くらい」

 

「心源流へ来る前ですね」

 

「筋肉が目立ち始める前の姿がいいの」

 

「強さは維持する?」

 

「当然よ」

 

「大きい身体の力を、小さい身体へ収めることになります」

 

「難しい?」

 

「かなり」

 

 体格が変わる。

 

 骨格も。

 

 筋肉量も。

 

 それでも身体能力は失わない。

 

 単純な外見変化では済まない。

 

「制約が必要でしょうね」

 

「どんな?」

 

「変身時間を限定する」

 

「嫌。ずっと小さい姿でいたい時もあるもの」

 

「元の姿へ戻るまで、一定時間が必要になる」

 

「不便ね」

 

「制約なので」

 

「ほかは?」

 

 フクリは考えた。

 

「変身後の年齢へ、精神や口調が少し引っ張られる」

 

 ビスケの眉が寄った。

 

「どういうこと?」

 

「12歳の姿なら、12歳頃の話し方や感情が出やすくなる」

 

「嫌なんだけど」

 

「制約は不便な方が効果があります」

 

「ほかにして」

 

「変身中は美容への興味が強くなる」

 

「今と変わらないわ」

 

「制約になりませんね」

 

 ビスケがフクリを睨む。

 

「面白がってるでしょ」

 

「少しだけ」

 

「やっぱり」

 

「でも、年齢に精神が引かれるのは、能力としても自然です」

 

「小さい身体になれば、昔の癖が出る?」

 

「はい。人格そのものが変わるほどではなく、言葉遣いや感情表現が少し幼くなる程度です」

 

「……昔の言葉遣いって?」

 

 フクリは少し考えるふりをした。

 

「『だわさ』でしょうか」

 

「言ってない」

 

「13歳の頃は、かなり言っていました」

 

「忘れたわ」

 

「俺は覚えています」

 

「忘れなさい」

 

「無理ですね」

 

 ビスケは本気で嫌そうな顔をした。

 

「変身するたびに出るの?」

 

「常にではなく、気を抜いた時や感情的になった時に出る程度ならどうです?」

 

「それでも嫌」

 

「可愛いと思いますよ」

 

「……本当に?」

 

「はい」

 

 ビスケは一瞬黙った。

 

 すぐに顔を背ける。

 

「能力の話をしてるのよ」

 

「俺もそのつもりです」

 

「なら、変なことを挟まないで」

 

「聞かれたので」

 

 ビスケは何か言い返そうとしたが、諦めたように息を吐いた。

 

「ほかの制約よりはましかもしれないわね」

 

「受け入れるんですか?」

 

「たまに出るだけなら」

 

「では書きます」

 

「楽しそうね」

 

「能力設計は好きなので」

 

 フクリは紙へ条件を加えた。

 

 小さい姿へ変身中、気を抜いた時や感情が強く動いた時には、その年齢当時の口調や振る舞いが現れる。

 

「絶対、誰にも言わないでよ」

 

「能力が完成するまでは」

 

「完成した後も!」

 

「実際に出たら隠せませんよ」

 

「出さないから大丈夫」

 

「制約を自分の意思で完全に抑えられたら、制約にならないのでは?」

 

「もう嫌になってきた」

 

 ビスケは机へ額をつけた。

 

     ◇

 

 しばらくして、フクリは設計書の一番下へ、新しい一文を書いた。

 

 本来の身体を否定するためではなく、自分が望む姿を選べるようにする。

 

 ビスケが顔を上げる。

 

「それ、能力の条件?」

 

「違います。設計の目的です」

 

「必要?」

 

「俺は必要だと思います」

 

「どうして?」

 

 フクリは少し考えてから答えた。

 

「今の身体が嫌だから消す、という能力にしない方がいいと思うからです」

 

 ビスケは黙った。

 

「今の身体は、何年も修行した結果でしょう」

 

「筋肉ばかり増えた結果よ」

 

「その筋肉で、俺を何度も助けてくれました」

 

「それと可愛いかどうかは別」

 

「はい。だから、小さい姿も選べるようにする」

 

 今の姿を失くすのではない。

 

 必要な時に戻れる。

 

 どちらか一方だけを本当の自分と決めなくていい。

 

「大きい姿を嫌い続けないと使えない能力には、しない方がいいです」

 

「……そうね」

 

「この一文は残します?」

 

 ビスケは設計書をしばらく見つめた。

 

「残しておいて」

 

「分かりました」

 

 フクリは消さなかった。

 

     ◇

 

「ところで」

 

 ビスケが尋ねる。

 

「フクリは、どっちの姿がいい?」

 

「どっちとは?」

 

「大きい私と、小さい私」

 

「まだ小さい姿を見ていません」

 

「想像で」

 

「強い方が便利では?」

 

「そういう意味じゃない!」

 

「では、どういう意味です?」

 

「もういい!」

 

 ビスケは設計書を取り上げた。

 

「今日は終わり!」

 

「まだ名前を決めてませんよ」

 

「それは自分で考える」

 

「相談は?」

 

「名前くらい1人で決められるわ」

 

「少し残念です」

 

「どうして?」

 

「能力名を考えるのも好きなので」

 

「フクリに任せたら、変な名前になりそう」

 

「『小さくなりたいよ』とか」

 

「絶対に嫌!」

 

「分かりやすいですよ」

 

「自分の能力と同じにしないで!」

 

 大きな声が部屋へ響いた。

 

 今度こそウイングが戻ってくるかもしれない。

 

 2人は少し黙り、扉の外へ耳を澄ませた。

 

 足音は聞こえない。

 

 ビスケは小さく息を吐く。

 

「この話は、ウイングにはまだ内緒よ」

 

「分かっています」

 

「念能力を作ると決めたことも?」

 

「はい。完成するまでは2人だけの秘密です」

 

「ならいいわ」

 

 ビスケは設計書を大切そうに畳んだ。

 

 まだ名前もない。

 

 条件も完成していない。

 

 それでも、長い間ぼんやりとしていた願いは、初めて具体的な形を持ち始めていた。

 

     ◇

 

 フクリは180階へ近づいていた。

 

 ウイングは正式な弟子として、心源流の基礎を積み上げている。

 

 ビスケは、初めて自分の念能力を具体的に考え始めた。

 

 時間は止まらない。

 

 身体能力も。

 

 メモリも。

 

 武術も。

 

 人との関係も。

 

 目に見えないほど小さな変化を繰り返しながら、確実に先へ進んでいく。

 

 天空闘技場へ来てから、もうすぐ1年。

 

 目標の190階まで、あと僅か。

 

 そして。

 

 ビスケが20歳になる日も、少しずつ近づいていた。

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