第4話 五年間 前編
人生設計を決めた翌日から、俺は念を身につける方法を探し始めた。
念が存在することは知っている。
人間なら誰でも生命エネルギーを持っていることも、身体から流れ出すオーラを操る技術だということも覚えていた。纏、絶、練、発という四大行。水見式による系統判別。精孔を無理やり開く方法があることも知っている。
だが、それだけだった。
漫画を読んでいた俺は、念について知っていた。しかし、教え方までは知らなかった。
ウイングがゴンとキルアへ何を説明したかは覚えている。けれど、それを六歳の子供が一人で再現できるほど細かく記憶しているわけではない。
そもそも、オーラがどんな感覚なのかすら分からない。
目に見えないものを、見たことがあるという知識だけを頼りに探す。
考えてみれば、かなり無茶な話だった。
それでも諦めるという選択肢はなかった。
この世界に念は絶対に存在する。
そこだけは間違いない。
だから、できないのは念が存在しないからではない。
俺の方法が間違っているだけだ。
◇
最初に始めたのは瞑想だった。
夜、父と母が眠ったあと、布団の上で胡坐をかく。背筋を伸ばし、目を閉じて呼吸を整える。
身体の中にあるはずのオーラを感じようとする。
吸って。
吐いて。
吸って。
吐いて。
十分ほど続けたところで足が痺れた。
「……痛い」
姿勢を崩して足を伸ばす。まだ六歳の身体に長時間の座禅はつらかった。
その日は、それで終わった。
翌日も座った。
その翌日も座った。
一週間経っても、何も感じなかった。
一か月経っても、結果は同じだった。
身体の中に何かが流れているような感覚はない。温かくもなければ、身体の周りに膜があるようにも感じない。
ただ座って、足を痺れさせているだけだった。
「やり方が違うのか?」
小さな声で呟く。
漫画の中では、念を知らない人間も無意識にオーラを放出していると言っていたはずだ。なら、自分の身体からも出ているはずなのに、まるで分からない。
俺は方法を変えた。
呼吸に意識を集中する。
身体の中心に力が集まる様子を想像する。
頭の先から足の先まで順番に意識を向けてみる。
父の工房から薄い紙をもらい、手のひらの上へ置いて動かないか試したこともある。
当然、紙は動かなかった。
水を入れた器へ手をかざし、何か変化が起きないか観察したこともある。
水面には、俺の情けない顔が映るだけだった。
◇
「フクリ、最近は夜更かししてるのか?」
ある朝、父に聞かれた。
眠気を隠しきれず、食卓で何度もあくびをしていたからだ。
「ちょっとだけ」
「何をしてるんだ?」
「考え事」
「六歳が夜中に何を考えるんだ」
父は笑っていたが、母は心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「ちゃんと寝ないと大きくなれないわよ」
「今日は早く寝る」
「今日だけじゃなくて、毎日早く寝なさい」
「うん」
返事をしながら、少し反省した。
念を覚える前に身体を壊したら意味がない。無理をして眠らずに修行するのは、俺の目的と反対だった。
死なないために強くなる。
強くなるために体調を崩す。
そんな馬鹿なことはしたくない。
それからは睡眠時間を削るのをやめた。夜の修行は短くし、朝少しだけ早く起きることにした。
本当は朝早く起きるのも嫌だった。
暖かい布団から出るたびに、今日は休もうと思った。
「一日くらい、いいだろ」
何度もそう考えた。
実際、雨の音を聞きながら二度寝した日もある。寒さに負けて、布団から出なかった日もある。
俺は努力が好きな人間ではない。
前世でもそうだった。
決めたことを一日も欠かさず続けられるような、立派な性格ではなかった。
ただ、三日休んでも、四日目にはまた座った。
一週間怠けても、それで全部を投げ出すことはしなかった。
完璧に続ける必要はない。
やめなければいい。
俺は、そう考えることにした。
◇
七歳になった。
一年間続けても、念の手掛かりは何一つなかった。
それでも、念がないとは思わなかった。
俺は存在を知っている。
知らない人間なら、一年も成果が出なければ諦めるだろう。見えない力など最初から存在しなかったのだと考えるはずだ。
だが、俺にはそれができない。
念能力者がいることを知っている。
オーラで身体を強化できることも、人を操る能力や物を具現化する能力が存在することも知っている。
答えがあると分かっている問題なのだ。
解き方が分からないからといって、答えそのものを疑う理由はなかった。
そこで俺は、瞑想以外の方法も試し始めた。
村の大人から、呼吸法について書かれた古い本を借りた。内容は健康法に近いもので、念とは関係なさそうだったが、何もしないよりはましだと思った。
朝、森の入り口まで歩き、木々の間で深く呼吸する。
息を吸いながら腕を上げ、吐きながら下ろす。
ゆっくりと身体を動かす。
最初の数日は、少し大人になったような気がして楽しかった。
だが一か月もすると飽きた。
「これ、意味あるのか?」
自分で始めたことなのに、毎朝そう思った。
効果は分からない。オーラも感じない。
それでも完全にはやめず、瞑想の前に数回だけ呼吸法を行うようにした。
次に試したのは、身体を疲れさせたあとの瞑想だった。
漫画では極限状態で何かに目覚める展開が多い。念も、疲労によって感覚が鋭くなれば見つかるかもしれないと思ったのだ。
村の外周を走り、息が上がった状態で座る。
結果、呼吸が苦しくて集中できなかった。
腕立て伏せをしてから座る。
腕が痛いだけだった。
父の仕事を手伝い、重い木材を運んだあとに座る。
そのまま寝た。
失敗ばかりだった。
◇
「何かの修行をしているのか?」
父に見つかったのは、夕方の森で片足立ちをしていた時だった。
木の枝へ両腕を伸ばし、目を閉じたまま身体の感覚へ意識を集中していた。旅人から「武術家は片足で何時間も立つ」と聞き、試していたのだ。
父の声に驚き、バランスを崩して尻から地面へ落ちた。
「痛っ」
「何やってるんだ、お前は」
「ちょっと練習」
「何の?」
「身体を強くする練習」
嘘ではなかった。
父は腕を組み、座り込んだ俺を見下ろした。
「強くなりたいのか?」
「うん」
「どうしてだ?」
少し迷った。
この世界が危険だから。
念能力を覚えなければならないから。
父と母を守りたいから。
どれも本当だったが、六歳の子供が説明するには不自然すぎる。
「怪我したくないから」
結局、そう答えた。
父は一瞬だけ意外そうな顔をしたあと、大きく笑った。
「強くなったら怪我をしないと思ってるのか?」
「違うの?」
「強い奴ほど、危ないことをするから怪我が増える」
「じゃあ、強くならない方がいい?」
「そうは言ってない」
父は近くの切り株へ腰を下ろした。
「身体を鍛えるのは悪くない。ただ、無茶はするな。強くなるために身体を壊したら意味がないだろ」
以前、俺が考えたことと同じだった。
「父さんも、強いの?」
「村の中じゃ力持ちな方だな」
「戦える?」
「喧嘩なら、母さんに勝てたことはない」
「聞こえてるわよ!」
森の入り口から母の声が飛んできた。
父は肩をすくめ、俺は思わず笑った。
その日から、父は俺の修行を止めなかった。
ただし、危険なことをしていないか時々確認するようになった。
俺が森で走っていれば、靴が壊れていないかを見る。
木へ登ろうとすれば、高すぎる場所へ行くなと注意する。
冬の川へ入ろうとした時だけは、本気で怒られた。
冷たい水に打たれれば精神が研ぎ澄まされるのではないかと思ったのだが、家へ連れ戻され、母にも叱られた。
「風邪を引いたらどうするの!」
「でも、修行で……」
「病気になる修行なんてやめなさい!」
「はい」
反論できなかった。
その夜、少し熱が出た。
母は呆れながらも、濡らした布を額へ置いてくれた。父は薬草を煎じ、苦い薬を飲ませてきた。
布団の中で丸まりながら、俺は思った。
やはり無理な修行は効率が悪い。
安全に強くなる方法を探す。
その考えは、この頃から少しずつ俺の中へ根付いていった。
◇
八歳になった頃、村へ武術を教える旅の男がやって来た。
村人たちが護身術を習うため、集会所を貸してほしいと頼んだらしい。子供も見学していいと聞き、俺は誰より早く集会所へ向かった。
男は四十歳ほどで、腕や首が太く、立っているだけで強そうに見えた。
「力だけでは人には勝てない」
男は集まった村人たちへそう言った。
「呼吸、姿勢、重心。この三つを整えれば、自分より大きな相手にも対抗できる」
呼吸という言葉を聞いた瞬間、俺は期待した。
もしかすると、この人は念を知っているのではないか。
表向きは武術家だが、実は念能力者かもしれない。
男の動きを食い入るように見る。
歩き方。
構え。
拳の握り方。
相手の腕を取り、身体を崩す方法。
どれも俺には新鮮だった。
だが、オーラらしきものは見えない。
念能力者でない人間にオーラは見えないのだから、見えなくて当然なのだが、当時の俺はそこまで考えが回らなかった。
稽古が終わったあと、思い切って男へ話しかけた。
「あの」
「なんだ、坊主」
「身体から出る力って、知ってますか?」
「身体から出る力?」
「こう、目に見えない力みたいな」
男は少し考えたあと、俺の腹を指で軽く突いた。
「気のことか?」
「気?」
「呼吸を整え、腹へ意識を集める。そうすれば、全身の力を一つにできる」
その言葉に胸が高鳴った。
「それ、教えてください!」
「いいぞ。ただし一日や二日では身につかん」
「何年かかってもいいです」
男は目を丸くし、それから楽しそうに笑った。
「変わった子供だな」
それから三か月、俺は男から基本的な姿勢と呼吸を教わった。
足を肩幅へ開き、腰を落とす。
腹へ意識を集中し、息を吐きながら拳を出す。
何度も繰り返す。
男は熱心に教えてくれた。
俺も真面目に覚えた。
だが、念ではなかった。
三か月経っても、オーラは感じない。
男の言う「気」は、身体の使い方や意識の持ち方を説明するための言葉だった。
期待していただけに、少し落ち込んだ。
旅立つ前日、男は俺へ言った。
「お前は身体の才能は普通だな」
子供相手とは思えないほど正直だった。
「やっぱり?」
「ああ。身体が特別柔らかいわけでもない。動きを覚えるのも早くない。力も同じ年頃の子供と大して変わらん」
「そうですか」
「落ち込むな。普通というだけだ」
男は俺の額を軽く小突いた。
「ただ、考えるのは好きらしいな。同じ動きを教えても、お前は理由ばかり聞いてくる」
「理由が分からないと、合ってるか分からないから」
「それが長所になるか、面倒な性格になるかは、お前次第だ」
男は笑い、翌朝には村を去っていった。
俺はその背中を見送りながら、自分の身体に特別な才能がないことを初めてはっきり理解した。
ゴンやキルアのような天才ではない。
少し教わっただけで急激に成長することもない。
分かっていたつもりだった。
だが、他人から言われると少しだけ苦しかった。
◇
八歳の冬。
念を探し始めて、二年が過ぎた。
成果はなかった。
呼吸法。
瞑想。
武術。
体力づくり。
いくつもの方法を試した。
それでもオーラの存在すら感じられない。
寒い夜、俺は布団の上へ座り、いつものように目を閉じていた。
外では雪が降っている。
父と母はすでに眠っていた。
呼吸を整える。
身体の中心へ意識を向ける。
何もない。
腕へ意識を向ける。
何もない。
皮膚の外側へ意識を広げる。
何もない。
しばらくして、目を開けた。
「……もう今日はいいか」
布団へ横になる。
明日も早い。
続きは明日にすればいい。
そのまま眠ろうとしたが、胸の奥に小さな苛立ちが残った。
二年。
毎日ではない。
休んだ日もある。
怠けた日もある。
それでも、同じ年頃の子供よりはずっと多くの時間を使ってきた。
なのに何も変わらない。
「本当に、俺にもできるのか?」
念が存在することは知っている。
だが、全員が自力で覚えられるとは限らない。
師匠がいなければ、一生辿り着けない可能性だってある。
才能がない人間は、どれだけ続けても駄目なのかもしれない。
初めて、そう考えた。
やめたい。
明日から普通の子供へ戻りたい。
友達と遊び、父の仕事を手伝い、夜は何も考えず眠りたい。
まだ八歳なのだ。
こんなことを続けなくてもいいのではないか。
念を覚えなくても、この村で静かに暮らせば危険には遭わないかもしれない。
そんな考えが、次々と浮かんでくる。
俺は努力が好きではない。
できるなら簡単な方へ流されたい。
だから、一度やめる理由を考え始めると、いくらでも思いついた。
布団を頭まで被る。
「……今日は寝よう」
そう言って、目を閉じた。
翌朝、いつもより遅く起きた。
修行はしなかった。
その翌日もしなかった。
三日目もしなかった。
一週間、何もしなかった。
学校へ行き、友達と遊び、父の仕事を手伝う。
夜になれば布団へ入り、そのまま眠る。
久しぶりに楽だった。
もう続けなくてもいい。
そう思うと、心が軽くなった。
だが同時に、胸のどこかへ小さな不安が残った。
このまま何十年も普通に暮らせるのか。
もし念能力者が村へ来たら。
もし魔獣が現れたら。
もし父や母が危険な目に遭ったら。
その時、俺は何もできない。
知っていたのに。
この世界に力があることを知っていたのに。
何もしなかった自分を、きっと後悔する。
一週間目の夜。
俺は布団の上で起き上がった。
「……面倒くさいな」
本音だった。
もう寝たかった。
明日からでもいいと思った。
それでも胡坐をかき、目を閉じた。
呼吸を整える。
何も感じない。
やはり何も変わらない。
それでも、その日は十分だけ続けた。
次の日は十五分。
その次の日は、また休んだ。
完璧には戻れなかった。
ただ、やめることもしなかった。
念は存在する。
俺が辿り着けていないだけだ。
答えがあることを知っている。
それだけが、俺をもう一度座らせた。
九歳の誕生日を迎える頃には、修行を始めて三年が過ぎていた。
まだ、オーラの気配すら感じられなかった。