第12話 旅立ちの日
ジャポンへ帰ってきてから、1か月が過ぎた。
長かったようで、あっという間だった。
ウイングは父の作業場へ毎日のように通い、木工を教わっていた。
母とはすっかり仲良くなり、食事の時間になると真っ先に台所へ向かう。
ビスケも最初は遠慮していたが、今では母と並んで料理を作ることが当たり前になっていた。
家の中には、笑い声が絶えない。
旅を始めてから、こんなに長く同じ場所で過ごしたのは久しぶりだった。
◇
出発の前日。
荷造りもほとんど終わり、夕食を終えた頃だった。
「少し、お話があります」
ビスケが静かに口を開いた。
居間には父、母、フクリ、ウイングがいる。
普段なら真っ先に話すのはフクリだった。
しかし今日は違う。
ビスケ自身が話したいと言ったのだ。
「改まってどうしたの?」
母が微笑む。
ビスケは一度フクリを見て、小さく頷いた。
「私とフクリは、お付き合いすることになりました」
一瞬だけ部屋が静かになる。
そして次の瞬間。
「やっぱり!」
母が勢いよく立ち上がった。
「やっぱりって……」
ビスケが驚く。
「気付いてたのよ!」
「いつからですか?」
フクリが尋ねる。
「買い物から帰ってきた日!」
やはり、隠せていなかった。
「ビスケちゃん、顔真っ赤だったもの」
「お母さん!」
ビスケが慌てる。
「フクリはいつもどおりだったけど」
「俺は普段どおりです」
「そこが逆に怪しかったのよ」
母は楽しそうに笑う。
「だから、まだ言わないでって頼んだじゃない」
「ちゃんと約束は守ったでしょう?」
「それは……そうですけど」
ビスケは少し照れながら俯いた。
◇
父は静かに湯飲みを置いた。
「そうか」
短い返事だった。
フクリは少し身構える。
「反対ですか?」
「いや」
父は首を横へ振る。
「ビスケさんなら安心だ」
「安心?」
「旅は危険だ」
父はフクリを見る。
「昔から、お前は無茶をする」
「そこまででは」
「自分では気付いてないだけだ」
確かに、転生できるという安心感があるせいで、危険を恐れなくなっている部分はある。
「そんなお前の隣に、ちゃんと止めてくれる人がいる」
父はビスケへ頭を下げた。
「息子を頼みます」
「こちらこそ」
ビスケも丁寧に頭を下げる。
「私も何度も助けられています」
「そうか」
父はそれ以上何も言わなかった。
だが、その表情は穏やかだった。
◇
「ええぇぇぇっ!」
今まで黙っていたウイングが立ち上がる。
「本当にですか!?」
「今言ったでしょう」
ビスケが答える。
「全然気付きませんでした!」
「そうなの?」
母が驚く。
「はい!」
ウイングは真剣な顔で頷いた。
「仲は良いと思っていましたけど、恋人だとは思っていませんでした!」
「分かりやすくはなかったですね」
フクリが言う。
「はい!」
「俺たち、普段どおりでしたから」
「そうなんです!」
ウイングは納得したように手を叩く。
「だから気付かなかったんですね!」
「気付いてたのは、お母さんだけよ」
ビスケが苦笑した。
「女の勘ってやつね」
母は胸を張る。
「すごいですね」
ウイングは素直に感心していた。
◇
翌朝。
いよいよ出発の日。
荷物は馬車へ積み終わっている。
母は何度も保存食を追加しようとする。
「もう入りません」
フクリが言う。
「まだ少ないわ」
「十分です」
「途中で困ったらどうするの」
「ビスケさんが何とかします」
「人任せにしない!」
ビスケがすぐにツッコミを入れる。
「冗談です」
「笑えないわよ」
それでも、母は少し安心したように笑った。
「前は一人で帰っていったのに」
荷物を見つめながら呟く。
「今回は違うわね」
「はい」
フクリも頷く。
「一人じゃありません」
◇
父が作業場から小さな箱を持ってきた。
「フクリ」
「はい」
「開けてみろ」
中には、小さな木彫りの根付が入っていた。
丸い石を模した意匠で、丁寧に磨かれている。
「新しく作った」
「ありがとうございます」
「旅の守りだ」
父らしい贈り物だった。
「ビスケさんにも」
もう一つ箱が差し出される。
中には同じ形の根付。
こちらは水晶を模した透明な木材で作られていた。
「綺麗……」
ビスケが思わず声を漏らす。
「宝石好きだと聞いた」
父が言う。
「本物ではないが」
「十分です」
ビスケは大切そうに握り締めた。
「ありがとうございます」
「大事にします」
父は照れ隠しのように咳払いをした。
◇
村の入口。
馬車が待っている。
「それじゃあ」
フクリが頭を下げる。
「また2年後に帰ります」
「元気でね」
母が笑顔で手を振る。
「今度はもっと早く手紙を書きなさい」
「努力します」
「努力じゃなくて約束」
「……約束します」
母は満足そうに頷いた。
「ビスケちゃん」
「はい」
「この子、たまに無茶するから」
「分かっています」
「ちゃんと止めてね」
「任せてください」
ビスケは力強く答えた。
その返事を聞き、母は安心したように笑う。
◇
馬車がゆっくり動き出す。
村が少しずつ遠ざかっていく。
フクリは後ろを振り返った。
父は大きく手を振ることはしない。
ただ、静かに立って見送っている。
母は両手を大きく振り続けていた。
「また帰りましょう」
ビスケが隣で言う。
「はい」
「今度は2年後」
「その時も一緒ですか?」
ビスケは少し笑う。
「当たり前でしょ」
「恋人ですから」
「そういうこと」
照れながらも否定しなかった。
◇
馬車が山道へ入る。
故郷は木々に隠れ、やがて見えなくなった。
しばらく静かに景色を眺めていたビスケが口を開く。
「次は仕事ね」
「鉱石ですか」
「ええ」
「久しぶりですね」
「恋人になったからって遊んでばかりはいられないわ」
「もちろんです」
フクリは笑った。
「ビスケさんの仕事は、俺の仕事でもあります」
「相棒だから?」
「恋人だからです」
ビスケは一瞬固まり、すぐに顔を赤くした。
「そういうこと、さらっと言うのやめなさい」
「本当のことです」
「……慣れないわ」
「そのうち慣れます」
「無理よ」
そう言いながらも、ビスケはどこか嬉しそうだった。
こうして3人は再び旅へ出る。
次なる目的地は、世界でも有数の鉱石産地。
ストーンハンター、ビスケット=クルーガーの本来の仕事が、ここから本格的に始まろうとしていた。