0.1%の積み重ね   作:仮面のカルメン

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第5話 念の目覚め

 

第5話 念の目覚め

 

 翌朝、フクリは目を覚ますと同時に両手を見た。

 

 当然、何も見えない。

 

 昨日の夜、身体の表面を流れていた温かい何か。皮膚のすぐ外側から、少しずつ漏れ出していた感覚。

 

 あれが本当にオーラだったのか。それとも、五年間探し続けたせいで生まれた錯覚だったのか。

 

 確認しなければならない。

 

 布団の上で身体を起こし、目を閉じる。昨夜と同じように背筋を伸ばし、肩から余計な力を抜いた。

 

 呼吸を小さくする。

 

 自分の身体を意識しすぎず、周囲の音へ耳を澄ませる。母が台所で朝食を作る音。工房の扉を開ける父の足音。窓の外で鳴く鳥。

 

 そして、自分の呼吸。

 

 五分。

 

 十分。

 

 何も感じない。

 

「……駄目か」

 

 目を開ける。

 

 昨夜の感覚は戻ってこなかった。

 

 少し落胆したが、まだ一度試しただけだ。五年間何も起きなかったことを考えれば、一日で答えを出す方がおかしい。

 

「フクリー! 起きてるなら顔を洗ってきなさい!」

 

「はーい!」

 

 母の声に返事をし、布団から立ち上がった。

 

 今すぐ森へ行きたかった。

 

 朝食も学校も休んで、昨夜と同じ場所へ座りたかった。

 

 だが、急いだところで感覚が戻るとは限らない。それに突然生活を変えれば、父と母に怪しまれる。

 

 何より、念を覚えるために日常を壊すつもりはなかった。

 

 念は幸せに生きるための手段だ。

 

 念を優先するあまり、今ある幸せを捨ててしまえば意味がない。

 

     ◇

 

 その日、学校で何を習ったのか、ほとんど頭に入らなかった。

 

 教師が黒板へ文字を書いている間も、フクリは右手の表面へ意識を向けていた。

 

 手のひら。

 

 指先。

 

 手の甲。

 

 何かが流れていないか探る。

 

「フクリ」

 

 名前を呼ばれ、慌てて顔を上げた。

 

「今説明したところを読んでみろ」

 

「……どこですか?」

 

 教室に笑い声が起きた。

 

 教師は呆れたように教科書を指差す。

 

「ここだ。今日は随分と上の空だな」

 

「すみません」

 

 立ち上がって文章を読む。

 

 読み終えて座ると、隣の席の友達が小声で話しかけてきた。

 

「昨日の夜、森にいた?」

 

「なんで?」

 

「家の窓から帰ってくるのが見えた。誕生日なのに何してたんだよ」

 

「ちょっと散歩」

 

「夜の森を?」

 

「考え事をするときは静かな方がいいから」

 

「お前、時々じいちゃんみたいなこと言うよな」

 

 友達は不思議そうな顔をした後、すぐに授業へ戻った。

 

 フクリも教科書へ視線を落とす。

 

 前世の記憶が戻ってから五年。子供らしく振る舞うことには慣れたつもりだったが、時々こうして言葉や態度に前世の感覚が出てしまう。

 

 それでも、両親や友人に正体を疑われたことはない。

 

 六歳までのフクリも、前世の会社員も、どちらも自分だ。

 

 人格が入れ替わったわけではない。六歳の子供に三十年分の記憶と考え方が加わっただけだった。

 

 だから今でも虫取りは楽しいし、母に褒められれば嬉しい。友達と遊べば夢中になる。

 

 ただ、以前より少しだけ考えることが増えた。

 

 そして今、その大半を念が占めていた。

 

     ◇

 

 放課後、友達の誘いを断り、フクリはまっすぐ家へ帰った。

 

「今日は遊びに行かないの?」

 

 洗濯物を取り込んでいた母が尋ねる。

 

「昨日遊びすぎて疲れたから」

 

「体調が悪いんじゃないでしょうね」

 

「大丈夫。父さんの手伝いする」

 

 工房へ入ると、父は大きな食卓を作っていた。何枚もの板を並べ、表面を確かめている。

 

「何をすればいい?」

 

「珍しいな。誕生日の次の日くらい遊びに行くと思ってたぞ」

 

「手伝いたい日もあるよ」

 

「じゃあ、その木くずを集めてくれ」

 

 箒を持ち、床を掃く。

 

 単純な作業だった。頭を使わなくていい分、身体の感覚を探ることに集中できる。

 

 箒を握る手。

 

 床を踏む足。

 

 木くずが擦れる音。

 

 昨夜は力を抜き、気配を小さくしようとした時に温かさを感じた。

 

 ならば、身体を動かしながらでは難しいのかもしれない。

 

 フクリは少しずつ動きを静かにした。

 

 箒を床へ強く押しつけず、木くずを撫でるように集める。足を持ち上げすぎず、音を立てないように歩く。

 

「どうした?」

 

 父に声をかけられた。

 

「何が?」

 

「いや。今日はやけに静かに掃くなと思ってな」

 

「丁寧にやってるだけ」

 

「時間がかかりすぎるのも丁寧とは言わんぞ」

 

「はい」

 

 少し速度を上げる。

 

 まだ何も感じない。

 

 昨日と同じ状態を再現しようと意識しすぎているのかもしれない。

 

 オーラを感じたい。

 

 もう一度確かめたい。

 

 その焦りが、身体に余計な力を入れていた。

 

「フクリ」

 

 父が作業を続けたまま言った。

 

「そんなに考えながら掃除すると疲れるぞ」

 

「分かる?」

 

「顔を見ればな」

 

 フクリは自分の頬へ触れた。

 

「難しい顔してた?」

 

「木くずと戦ってるような顔だった」

 

「戦ってないよ」

 

「なら、もう少し力を抜け」

 

 父は板へ鉋をかける。

 

 薄い木片が、柔らかな音を立てながら削れていく。

 

「力を入れすぎると、鉋は引っかかる。抜きすぎると削れない。道具が一番動きやすいところを探すんだ」

 

「どうやって?」

 

「何度もやる」

 

「結局それなんだ」

 

「それ以外に何がある」

 

 父は当然のように言った。

 

 フクリは箒を握り直す。

 

 昨夜とまったく同じ状態に戻ろうとする必要はない。

 

 同じ場所。

 

 同じ姿勢。

 

 同じ呼吸。

 

 条件を揃えたところで、自分の心まで同じにはならない。

 

 何度も試し、その中から感覚を探す。

 

 それしかないのだ。

 

     ◇

 

 夜になると、フクリは森へ向かった。

 

 両親には少しだけ散歩をすると伝えてある。森の奥へは行かず、家から声が届く範囲にいる約束だった。

 

 昨日と同じ木の根元へ座る。

 

 背筋を伸ばし、目を閉じる。

 

 再現しようとしない。

 

 ただ静かにする。

 

 呼吸を小さくし、身体の力を抜く。聞こえてくる音を一つずつ受け入れる。

 

 虫。

 

 川。

 

 葉。

 

 風。

 

 そして自分。

 

 三十分ほど経った頃、首筋に僅かな温かさを感じた。

 

「……」

 

 声を出さない。

 

 意識を向けすぎない。

 

 だが、今度は分かっていた。

 

 体温とは違う。

 

 風でもない。

 

 首の後ろから肩へ、薄い何かが流れている。

 

 それは決して強いものではなかった。気を抜けば、すぐに見失ってしまいそうなほど弱い。

 

 それでも確かに存在した。

 

 フクリは目を閉じたまま、感覚を広げる。

 

 肩。

 

 背中。

 

 腕。

 

 頭。

 

 全身から同じものが流れ出している。

 

 身体の表面に薄い膜があるのではない。内側から外側へ、絶えず何かが漏れている。

 

 今まで自分は、オーラを身体の中で探していた。

 

 だが、すでに外へ流れ出していたのだ。

 

 感じ取れていなかっただけで、五年前も、昨日も、今日も。

 

 ずっと。

 

 嬉しさが込み上げてくる。

 

 同時に集中が乱れ、感覚が薄くなった。

 

「待て」

 

 小さく呟き、もう一度呼吸を整える。

 

 完全には消えていない。

 

 今度は追いかけるのではなく、流れを眺めるように意識する。

 

 すると温かさが戻った。

 

 フクリはゆっくり目を開けた。

 

 何も見えない。

 

 夜の森。

 

 自分の身体。

 

 目に映るものは昨日までと同じだ。

 

 しかし、感覚だけは確実に違っていた。

 

「オーラだ」

 

 今度は断言できた。

 

 五年間探し続けたものが、ようやく見つかった。

 

     ◇

 

 その日から、フクリはオーラを感じる練習へ切り替えた。

 

 最初は静かに座った時しか分からなかった。

 

 立ち上がれば消える。

 

 歩けば見失う。

 

 話しかけられれば、それまで感じていたものがすべて分からなくなる。

 

 それでも一度答えを見つけてしまえば、以前とは違った。

 

 どこを探せばいいのか分かる。

 

 どんな感覚なのか知っている。

 

 一度目は五年かかった。

 

 二度目は一日。

 

 三度目は数時間。

 

 繰り返すほど、感覚を取り戻す時間が短くなっていった。

 

 数週間後には、目を閉じれば十分ほどで感じられるようになった。

 

 一か月後には、身体を動かしていなければ目を開けたままでも分かる。

 

 だが、まだオーラを見ることはできなかった。

 

 念能力者は、目にオーラを集中させる凝によって、他人のオーラを視認できる。

 

 しかし今のフクリには、その方法が分からない。

 

 そもそも、オーラを意識して動かすことすらできていなかった。

 

 感じるだけ。

 

 身体から流れ出すものを、ただ観察するだけ。

 

 それでも、大きな進歩だった。

 

「最近、また楽しそうだな」

 

 夕食の席で父が言った。

 

「そう?」

 

「ああ。少し前まで難しい顔ばかりしてたからな」

 

「掃除の時も木くずと戦ってたものね」

 

 母まで笑いながら言う。

 

「もう戦ってないよ」

 

「修行が上手くいったのか?」

 

 父に聞かれ、フクリは少しだけ迷った。

 

「手掛かりが見つかった」

 

「そうか」

 

 父は詳しく尋ねなかった。

 

 何の修行なのか。

 

 何を目指しているのか。

 

 息子が話さないなら、無理に聞くつもりはないらしい。

 

「危ないことはしてないだろうな」

 

「座ってるだけ」

 

「ならいい」

 

 母は納得していないようだったが、元気なら構わないと判断したらしい。

 

「遅くまでやらないこと。森へ行くなら奥まで入らないこと」

 

「分かってる」

 

 五年間、父と母はフクリの奇妙な修行を見守ってくれていた。

 

 止められたこともある。

 

 叱られたこともある。

 

 だが、それは危険なことをした時だけだった。

 

 何をしているのか分からなくても、フクリが真剣なら尊重してくれた。

 

 だからこそ、念の存在を簡単には話せなかった。

 

 念を知らない人間へ、無闇に教えていいものではない。

 

 それに、念能力者がどれだけ危険か知っているからこそ、両親をその世界へ巻き込みたくなかった。

 

 今はまだ、自分一人で進む。

 

 いつか守れるだけの力を身につけてから、必要なら話せばいい。

 

     ◇

 

 問題は、ここからだった。

 

 オーラを感じられるようにはなった。

 

 だが、念を使えるようになったわけではない。

 

 身体から漏れ出すオーラを留めるのが纏。

 

 流れを閉じるのが絶。

 

 大量のオーラを生み出すのが練。

 

 そして自分固有の能力が発。

 

 知識としては覚えている。

 

 しかし、具体的にどうすればいいのか分からない。

 

「留める、か」

 

 ある夜、フクリは布団の上で自分のオーラを感じながら考えた。

 

 オーラは身体の外へ流れている。

 

 なら、その流れを身体の周囲へ留めればいい。

 

 言葉にすれば簡単だ。

 

 だが、川の流れを手でつかむようなものだった。

 

 オーラへ意識を向ける。

 

 外へ行くな。

 

 身体の近くに残れ。

 

 そう念じてみる。

 

 何も変わらない。

 

 身体へ押し戻す様子を想像する。

 

 変わらない。

 

 薄い布で身体を包むように考える。

 

 少しだけ温かさが強くなった気がした。

 

「……今のか?」

 

 意識を強めると、感覚が消えた。

 

 もう一度。

 

 今度は力を入れすぎず、流れ出すオーラが身体の表面へ沿う様子を想像する。

 

 温かさが僅かに広がった。

 

 気のせいかもしれない。

 

 だが以前のフクリなら、その小さな変化さえ感じ取れなかった。

 

 何度も繰り返す。

 

 一晩で成功するとは思っていない。

 

 五年かけて入口へ辿り着いたのだ。

 

 ここから先も同じように積み重ねればいい。

 

     ◇

 

 纏らしき感覚を維持できるようになるまで、さらに三か月かかった。

 

 最初は数秒。

 

 その後は十秒。

 

 三十秒。

 

 一分。

 

 ただし、オーラが本当に身体の周りへ留まっているのか、確認する方法はない。

 

 念能力者の師匠がいれば、一目で判断してくれるだろう。

 

 しかしフクリには、自分の感覚しかなかった。

 

 それでも、成功している時は身体が少し温かくなり、疲労が和らぐように感じた。

 

 父の仕事を手伝った後も、以前より身体が軽い。

 

 朝起きた時の調子もいい。

 

 少なくとも、何かは変わっている。

 

 ある日、木材を運んでいた父が足を止めた。

 

「お前、少し力がついたか?」

 

「そうかな」

 

「前はそれを持つとふらついてただろ」

 

 フクリは自分が抱えている木材を見る。

 

 確かに、以前より軽く感じる。

 

 身体が成長しただけかもしれない。

 

 だが、オーラを身体へ纏わせている時の方が、明らかに運びやすかった。

 

「修行の成果じゃない?」

 

「そうかもしれんな」

 

 父は感心したように頷く。

 

「ただ、重い物を持てるようになったからって無理するなよ」

 

「分かってる」

 

 力が増えたといっても、普通の十一歳より少し強い程度だ。

 

 ゴンやキルアのように、子供の身体で大人を圧倒できるわけではない。

 

 フクリ自身も、それをよく理解していた。

 

 オーラを覚えたからといって、自分が急に強者になったわけではない。

 

 念を知らない大人との喧嘩でさえ、勝てる保証はなかった。

 

 それでも、ようやく最初の一歩を踏み出したのだ。

 

     ◇

 

 次に試したのは絶だった。

 

 身体から流れ出すオーラを止める。

 

 フクリが最も身につけたい技術。

 

 これまで五年間、気配を小さくする練習を続けてきた。

 

 呼吸を抑え、音を消し、周囲へ溶け込む。

 

 念を知らない状態で、絶の外側だけを練習していたようなものだ。

 

 オーラを感じられるようになった今なら、本当の絶へ近づけるかもしれない。

 

 森の中で静かに座り、自分から流れ出すオーラを感じる。

 

 首。

 

 肩。

 

 背中。

 

 腕。

 

 全身から薄く漏れ出している。

 

 その流れを閉じる。

 

 止まれと念じても止まらない。

 

 身体の中へ押し戻そうとしても、反応はない。

 

 ならば、外へ出る力を弱くする。

 

 気配を小さくする時の感覚。

 

 自分の存在を薄くする。

 

 周囲へ向けていた意識を、自分の内側へ引き戻す。

 

 すると、肩の周りに感じていた温かさが僅かに薄くなった。

 

「……」

 

 フクリは動かなかった。

 

 集中を保つ。

 

 もっと小さく。

 

 もっと静かに。

 

 外へ広がろうとするものを、身体の中へ収める。

 

 一瞬だけ。

 

 全身の温かさが消えた。

 

 同時に、夜の冷たい空気が皮膚へ直接触れた。

 

「寒っ」

 

 思わず身体を震わせた瞬間、オーラが再び流れ出した。

 

 温かさが戻る。

 

 ほんの一瞬だった。

 

 だが、成功した。

 

 絶。

 

 完全なものではない。

 

 数秒すら維持できない。

 

 それでも間違いなく、オーラの流れを閉じた。

 

 フクリは両腕を抱えながら笑った。

 

「これなら、できる」

 

 纏よりも感覚が分かりやすかった。

 

 これまで積み重ねてきた修行が、ようやく念の技術とつながったのだ。

 

     ◇

 

 絶の練習は、フクリの予想以上に進んだ。

 

 最初は一瞬。

 

 数日後には三秒。

 

 一か月後には十秒。

 

 纏を覚える時よりも明らかに早い。

 

 もちろん、ゴンやキルアと比べれば遅いだろう。

 

 だが、フクリにとって初めて、自分の得意なものが見つかった。

 

 身体能力は普通。

 

 オーラを動かす感覚も鈍い。

 

 纏の維持にも時間がかかった。

 

 それでも絶だけは、他の技術より自然に理解できた。

 

 五年間続けてきた気配を消す練習。

 

 危険から逃げるために考え続けたこと。

 

 それらすべてが無駄ではなかった。

 

 ただし、絶を使っている間は無防備になる。

 

 オーラによる防御がなくなり、寒さや疲労も感じやすい。念能力者から攻撃を受ければ、簡単に命を失うだろう。

 

 だからこそ、使う場所を選ばなければならない。

 

 見つかる前に使う。

 

 戦闘中には使わない。

 

 逃げるために使う。

 

 フクリは自分の中でルールを決めた。

 

 念を覚えた直後から、すでに使い方よりも危険性を考えていた。

 

     ◇

 

 念を感じ始めてから半年が過ぎた頃、フクリは水見式を行うことにした。

 

 念能力を作るなら、自分の系統を知る必要がある。

 

 強化系。

 

 変化系。

 

 放出系。

 

 具現化系。

 

 操作系。

 

 特質系。

 

 どの系統に属するかによって、得意な能力は変わる。

 

 前世の記憶では、グラスへ水を入れ、その上に葉を浮かべる。そして両手でグラスを囲み、練を行う。

 

 だが、フクリは練を使えない。

 

 纏と絶を僅かに使えるだけだ。

 

 オーラを強く生み出す方法は、まだ分かっていなかった。

 

「できるか分からないけど、試すだけ試すか」

 

 母が使っていない透明な器を借り、水を満たす。森で採ってきた小さな葉を一枚浮かべた。

 

 場所は自分の部屋。

 

 父と母が眠った後だった。

 

 器の前へ座り、両手を近づける。

 

 オーラを感じる。

 

 まずは纏。

 

 身体から流れ出すオーラを、周囲へ留める。

 

 そこから、できる限り量を増やそうと意識する。

 

 力を込める。

 

 身体の奥からオーラを押し出す。

 

「……っ」

 

 額に汗が浮かぶ。

 

 だが、器の水には何も起こらない。

 

 水量は変わらない。

 

 色も変わらない。

 

 葉も動かない。

 

 味を確かめても、ただの水だった。

 

「やっぱり、練ができないと無理か」

 

 諦めて手を離そうとした時だった。

 

 水面に浮かんでいた葉が、ゆっくり沈み始めた。

 

「え?」

 

 葉は水を吸っていない。

 

 形も変わっていない。

 

 それなのに、水面から少しずつ沈んでいく。

 

 器の中央を通り、底へ到達する。

 

 フクリは身を乗り出した。

 

 しばらく見ていると、今度は底に沈んだ葉が浮き上がった。

 

 水面まで戻り、そのまま止まる。

 

「操作系……?」

 

 葉が動くなら、操作系の反応に思える。

 

 しかし原作で覚えている水見式では、操作系は葉が動く反応だったはずだ。

 

 ならば自分は操作系なのか。

 

 もう一度、両手を器へ近づける。

 

 オーラを込める。

 

 今度は葉が沈まない。

 

 代わりに、水の中へ小さな泡が現れた。

 

 器の底から浮かび、次々と水面へ上がっていく。

 

 フクリは顔をしかめた。

 

「何だ、これ」

 

 水が増えたわけではない。

 

 色も味も変わっていない。

 

 葉が動く時もあれば、泡が出る時もある。

 

 原作で覚えているどの系統とも一致しない。

 

 つまり。

 

「特質系か」

 

 特質系。

 

 他の五系統に分類できない、特殊な能力を持つ者。

 

 フクリは器の中を見つめた。

 

 驚きはあった。

 

 だが、特質系だからといって喜ぶ気にはならなかった。

 

 特質系は珍しい。

 

 特殊な能力を作れる可能性がある。

 

 しかし、珍しいことと強いことは同じではない。

 

 系統が特別でも、自分の身体能力や戦闘の才能が上がるわけではない。

 

「転生したから、なのか?」

 

 前世の記憶を持ち、別の世界から生まれ変わった。

 

 その魂の在り方が、念の系統へ影響した可能性はある。

 

 確かめる方法はない。

 

 念を教えてくれる師匠もいない。

 

 ただ、水見式の反応が普通ではないことだけは分かった。

 

     ◇

 

 その夜、フクリは眠らずに考え続けた。

 

 特質系。

 

 自分に向いている能力は何か。

 

 攻撃能力。

 

 防御能力。

 

 回復能力。

 

 逃走能力。

 

 思いつくものはいくつもある。

 

 炎を出せれば強い。

 

 雷を操れれば便利だ。

 

 瞬間移動ができれば、危険から逃げられる。

 

 傷を治せれば、死ぬ可能性を減らせる。

 

 だが、どれも簡単に作れるとは思えなかった。

 

 念能力には、本人の適性や思い入れ、修行、制約が必要になる。

 

 強力な能力ほど、多くのオーラと才能を求められる。

 

 自分には戦闘の才能がない。

 

 身体能力も普通。

 

 オーラの扱いも上手くない。

 

 ならば、戦闘能力を作ったところで、天才には勝てない。

 

 ゴンやキルアのような人間と同じ道を進んでも、追いつけない。

 

「俺にあるものは何だ?」

 

 自分へ問いかける。

 

 前世の知識。

 

 転生した記憶。

 

 特質系。

 

 そして、五年間続けても壊れなかった目的。

 

 死なないこと。

 

 楽に生きること。

 

 未来の自分を助けること。

 

 身体を鍛えて勝てないなら、能力の作り方で勝つ。

 

 今すぐ強くなる必要はない。

 

 一年後。

 

 十年後。

 

 百年後。

 

 長く生きれば生きるほど、自分が有利になる能力。

 

 努力を続けなくても、時間だけで少しずつ育つ能力。

 

 寝ていても。

 

 働いていても。

 

 遊んでいても。

 

 何もしなくても、毎日僅かに増えていく。

 

 フクリの頭の中に、一つの形が生まれ始めた。

 

 まだ曖昧だった。

 

 実現できるかも分からない。

 

 それでも、その発想は他のどの能力より、自分に合っているように思えた。

 

「毎日、少しずつ」

 

 前世で好きだった考え方。

 

 小さな増加を、時間によって大きくする。

 

 積み重ねるほど、増える量も大きくなる。

 

「複利……」

 

 その言葉を口にした瞬間、頭の中でいくつもの条件がつながった。

 

 自分が元々持っている、念能力を作るための容量。

 

 その大半を最初に差し出す。

 

 残った容量を種にして、毎日僅かに増やしていく。

 

 増えた分を使って、新しい能力を作る。

 

 ただし無限には増えない。

 

 最低限の容量を残さなければ、能力そのものを失う。

 

 大きな代償。

 

 明確な上限。

 

 長い時間。

 

 派手さはない。

 

 今すぐ戦えるようにもならない。

 

 だが、成功すれば未来の選択肢が増え続ける。

 

 フクリは暗い部屋の中で、静かに笑った。

 

 念を感じるまで五年かかった。

 

 纏も練も、才能があるとは思えない。

 

 だが能力を考えている今だけは、頭の中に次々と条件が浮かんでくる。

 

 何を代償にすれば成立するか。

 

 どこへ上限を置けば暴走しないか。

 

 何を禁止すれば、能力の効果を高められるか。

 

 戦い方は分からない。

 

 身体の動かし方も上手くない。

 

 それでも、能力の形だけは不思議なほど鮮明に見えた。

 

 フクリはまだ知らなかった。

 

 自分の才能が、戦闘にも修行にも向いていない代わりに。

 

 念能力を設計することだけに、異常なほど偏っているということを。

 

 そして、生まれつき持っていた念のメモリが、普通の人間より遥かに多いということを。

 

 その二つがなければ、これから作ろうとしている能力は、構想の段階で終わっていただろう。

 

 フクリは紙を一枚取り出した。

 

 上部へ、考えたばかりの名前を書く。

 

 『0.1%の積み重ね(複利)』

 

 五年間探し続けた念。

 

 その念によって作る、最初の能力。

 

 今すぐ強くなるためではない。

 

 未来の自分が、誰にも邪魔されずに生きるための能力。

 

 フクリは紙に条件を書き始めた。

 

 夜が明けるまで。

 

 何度も消し。

 

 何度も書き直しながら。

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