第6話 0.1%の積み重ね
朝日が差し込む頃、フクリの机には何枚もの紙が散らばっていた。
書いては消し、消しては書く。その繰り返しで、最初は真っ白だった紙も、今では細かな文字と線で埋め尽くされている。
能力の名前は決まっていた。
『0.1%の積み重ね(複利)』
問題は、その中身だった。
毎日少しずつ何かが増える。
長く生きれば生きるほど、大きな力になる。
それが能力の中心になる。
しかし、ただオーラ量を増やすだけでは駄目だった。
オーラ量が増えれば身体能力や戦闘力は上がるかもしれない。だが、フクリが欲しいのは単純な力ではない。
将来、必要になった時に必要な能力を作れる自由。
攻撃。
防御。
回復。
逃走。
探索。
その時々に応じて、自分の選択肢を増やせる力。
だから増やすものは、オーラではなく、念能力を作るための容量にする。
前世で読んだ漫画の中では、念能力には個人ごとのメモリがあると表現されていた。
もちろん、それが本当に数字として存在するのかは分からない。
だがフクリには、自分の中に能力を収めるための余白があるように感じられた。
形のない空間。
何かを作れば、その分だけ埋まる場所。
他人と比べる方法はない。
それでも、自分の中にあるその空間が、普通より広いのではないかという感覚はあった。
能力の条件を考えている時だけ、不思議なほど多くの構造が頭へ浮かぶ。
これほど大きな能力を作ろうとしているのに、最初から不可能だとは感じなかった。
フクリは紙の中央へ、一つ目の条件を書いた。
・自分が持つ念能力用メモリの九十%を、この能力の成立に使用する。
書いた文字を、しばらく見つめる。
「九十%……」
あまりにも大きい。
今後、ほかの能力を作るために使える容量の大半を、最初の一つだけで失うことになる。
能力が失敗した場合、取り返しがつかない可能性もある。
だが、代償が大きくなければ、毎日自動で容量を増やすような能力は成立しないだろう。
何もしなくても増える。
しかも複利で。
そんな都合のいい能力には、それ相応の初期投資が必要だ。
フクリは次の条件を書く。
・残った十%を、基準となる百メモリと定義する。
自分の元々の全容量を千メモリと考える。
その九割、九百メモリを能力そのものへ使用する。
残るのは百メモリ。
そこから始める。
つまり能力を作った直後のフクリは、ほとんど新しい能力を作れない状態になる。
戦闘用の能力も持てない。
治療能力も、逃走能力も作れない。
念を身につけた直後なのに、自分から可能性の大半を手放す。
「普通なら、やらないよな」
小さく呟く。
だが、フクリは普通の能力者と同じ速度で強くなるつもりはなかった。
今すぐの強さを捨てて、未来の可能性を買う。
その考え方は、前世の投資と同じだった。
もっとも、株なら失敗しても金を失うだけだ。
今回は、自分の念能力そのものを賭ける。
比べものにならないほど重い。
◇
「フクリ、起きてるの?」
扉の外から母の声が聞こえた。
フクリは慌てて紙を重ね、机の引き出しへ入れた。
「起きてる!」
「朝ご飯よ。今日は随分早いのね」
「ちょっと考え事してた」
「また?」
扉が少し開き、母が顔を覗かせた。
机の上には消しゴムのかすや使い終えた紙が残っている。母はそれを見て眉を上げた。
「勉強?」
「まあ、そんな感じ」
「寝てないんじゃないでしょうね」
「少しは寝たよ」
完全な嘘ではない。
夜明け前に、机へ突っ伏したまま僅かに眠っていた。
母は疑わしそうに目を細める。
「今日は早く寝ること」
「分かった」
「本当に?」
「本当に」
母が部屋を出た後、フクリは小さく息を吐いた。
念能力のことを説明するつもりはない。
両親を信用していないわけではなかった。
むしろ逆だ。
大切だからこそ、知らない方がいいと思っている。
念の世界は危険だ。
知ることで巻き込まれる可能性もある。
自分が十分に強くなるまでは、家族に余計な心配をかけたくなかった。
◇
朝食を終え、学校へ向かう。
その日も授業を受け、友達と話し、帰宅後は父の仕事を手伝った。
日常は何も変わらない。
それでもフクリの頭の中では、能力の設計が続いていた。
増加率はどの程度にするか。
一日一%では大きすぎる。
百メモリから始めた場合、一年もあれば桁違いに増えてしまう。そんな能力が成立するとは思えない。
一日〇・一%。
それなら一年で約一・四倍。
短期間では大きな違いにならない。
だが数年、数十年と積み重なれば、確実に差が広がる。
派手ではない。
すぐには役に立たない。
だからこそ、成立する可能性がある。
帰宅後、フクリは紙へ書き加えた。
・保有している使用可能メモリは、一日につき〇・一%増加する。
・増加は複利式とする。
元が百なら、翌日は百・一。
その次の日は、百・一に対して〇・一%。
毎日増える量も、ほんの僅かずつ大きくなる。
フクリは簡単な計算を紙へ書いていった。
一年後。
二年後。
五年後。
十年後。
正確な小数までは計算できないが、大まかな増え方は分かる。
十年待てば、最初の百メモリは大きく育つ。
ただし、無限に増えるような能力は危険だった。
念の制約としても成立しにくい。
それに、無限に容量を持てるようになれば、能力を作りすぎて自分自身が壊れる可能性もある。
どれほど設計の才能があっても、能力を増やし続ければ管理できなくなる。
上限は必要だった。
フクリは迷った末、紙へ書く。
・使用可能メモリの上限は千メモリとする。
元々の自分が持っていた全容量。
それ以上は増えない。
九百を差し出し、百から始め、時間をかけて元の千へ戻す。
増やす能力というより、失った容量を長い年月で回収する能力に近い。
その方が制約として自然だった。
「これなら、通るかもしれない」
誰に許可を求めるわけでもない。
それでも念能力には、本人の納得が必要だ。
自分でも都合が良すぎると感じる能力は、おそらく形にならない。
九割を最初に失う。
長い時間を必要とする。
上限は元々の容量まで。
少しずつ、能力の輪郭が整っていく。
◇
次に考えたのは、増えたメモリの使い方だった。
自由に新しい念能力へ使用できる。
それがこの能力の最大の価値になる。
しかし、すべて使えてしまうと問題がある。
例えば百メモリしかない時に、百すべてを別の能力へ使用したらどうなるのか。
元となる容量がなくなる。
複利で増やす種が消える。
能力そのものを維持できなくなるかもしれない。
何より、フクリ自身が怖かった。
人間は、追い詰められると合理的な判断ができなくなる。
命の危険にさらされれば、将来のことなど考えず、すべてのメモリを戦闘能力へ使いたくなる可能性がある。
今の自分は慎重だ。
だが、十年後も百年後も同じとは限らない。
だから、今の自分が未来の自分を縛る。
絶対に使えない最低額を決める。
フクリは紙へ書いた。
・常に百メモリ以上を保持しなければならない。
だが、これだけでは弱い。
守らなかった場合の罰が必要になる。
百メモリを残さなければならないと決めても、緊急時には破ってしまうかもしれない。
破れない制約にする。
もし百メモリ未満まで使った場合、この能力を失う。
そうすれば、再びメモリが増えることはない。
九百メモリを使って作った能力が、永遠に消える。
残ったわずかな能力だけで、その後を生きなければならない。
フクリは手を止めた。
重い。
あまりにも重い罰だった。
だが、それくらいでなければ、毎日自動で増える能力は成立しない。
それにこの制約は、未来の自分を守るためでもある。
百メモリを最後の安全装置として残す。
どんな状況でも、すべてを賭けない。
自分の人生を、一度の戦いへ差し出さない。
フクリの考え方に合っていた。
最後の条件を書く。
・保有メモリが百未満になった瞬間、『0.1%の積み重ね(複利)』は永久に消滅する。
書き終えた後、しばらく紙を見つめる。
能力の全体像が完成した。
念能力①
『0.1%の積み重ね(複利)』
* 自身が本来持つ念能力用メモリの九十%を、能力の作成と維持に使用する。
* 残った十%を百メモリとして扱う。
* 使用可能なメモリは、一日ごとに〇・一%増加する。
* 増加は、その時点の保有メモリを基準とした複利式で行われる。
* 増加したメモリは、新たな念能力の作成に自由に使用できる。
* 保有できるメモリの上限は千メモリとし、本来の最大容量を超えることはできない。
* 常に百メモリ以上を保持しなければならない。
* 保有メモリが百未満になった瞬間、この能力は永久に消滅し、以後メモリは増加しない。
何度読んでも、危険な能力だった。
今の自分が持つ可能性の九割を差し出す。
その見返りは、一日〇・一%。
最初のうちは、一日に〇・一メモリしか増えない。
一か月待っても、僅かな増加。
一年待っても、すぐに強力な能力を作れるわけではない。
もし途中で死ねば、九百メモリを無駄にしただけで終わる。
普通の念能力者なら、まず選ばないだろう。
だが、フクリにとっては理想的だった。
自分は戦闘の天才ではない。
短期間で成長する才能もない。
ならば、時間を味方につける。
長く生きれば生きるほど有利になる。
死なないことを最優先にする自分だからこそ、使える能力だった。
◇
設計は完成した。
だが、どうやって能力として成立させるのか。
そこが次の問題だった。
念能力は、紙へ条件を書くだけで完成するものではない。
強い思い。
明確なイメージ。
修行。
誓約。
それらを自分のオーラへ刻み込む必要がある。
フクリは毎晩、自分のメモリを意識するようになった。
目には見えない。
触れることもできない。
それでも、能力を考える時に感じる内側の余白へ意識を向ける。
広い空間。
まだ何も置かれていない倉庫。
そこへ、巨大な装置を一つ作る。
九割の空間を使い、毎日ほんの僅かに新しい余白を生み出す装置。
何度もイメージする。
朝。
夜。
瞑想中。
絶の練習中。
紙に書いた条件を、一つずつ心の中で読み上げる。
「本来のメモリの九十%を使用する」
「残りを百とする」
「一日〇・一%」
「複利式」
「上限は千」
「百未満になれば消滅」
何度も。
何度も。
言葉だけでなく、意味まで自分へ刻み込む。
九割を失う覚悟。
長い時間を待つ覚悟。
決して百を割らない覚悟。
能力を考えることは得意だった。
しかし、能力を実際に形にすることは初めてだった。
纏も絶もまだ未熟。
練はほとんどできない。
発に挑むには早すぎる。
普通の師匠がいれば、止められていただろう。
まず基礎を鍛えろ。
能力を作るのは数年後にしろ。
そう言われたはずだ。
だがフクリには、待てない理由があった。
この能力は、早く作るほど得をする。
一日早く始めれば、一日分多く積み重なる。
十一歳の今作るのと、二十歳で作るのでは、その後の成長に大きな差が出る。
基礎を完成させてからでは遅い。
完成していない今だからこそ、未来へ投資する。
◇
能力の設計を始めてから一か月が過ぎた。
何も起きない。
紙に条件を書き、毎晩イメージしても、内側の感覚は変わらなかった。
九十%を使うと決めても、自分のメモリが減った様子はない。
当然だった。
決意しただけで能力が完成するなら、念能力者は誰も苦労しない。
フクリは方法を変えた。
オーラを練る。
まだ練と呼べるほどのものではない。身体の奥から、普段より多くのオーラを押し出そうとするだけだ。
そのオーラを、自分が設計した能力へ流し込む。
毎晩、限界まで続ける。
数分もすれば息が上がり、全身から汗が出た。
オーラを使い切ったのか、単に力んで疲れているだけなのかも分からない。
それでも続ける。
ただし、倒れるまではやらない。
頭痛がすればやめる。
吐き気がすれば休む。
翌日に疲れが残れば、その日は行わない。
無理をしない。
死なないための能力を作るのに、修行で死ぬわけにはいかない。
◇
「最近、食べる量が増えたな」
夕食の席で父が言った。
フクリは三杯目のご飯を口へ運んでいた。
「お腹が空くんだ」
「成長期なんじゃない?」
母は嬉しそうに、おかずを追加してくれる。
「修行のせいか?」
父が尋ねる。
「多分」
「身体を壊すほどやってないだろうな」
「そこまではしてない」
「なら食え。身体を使うなら、その分食べないとな」
父は自分の焼き魚を半分、フクリの皿へ置いた。
「父さんの分は?」
「昼に食べすぎた」
「嘘だ」
「子供が気にするな」
フクリは魚を見つめる。
家は裕福ではない。
父の仕事が少ない時期には、食事が質素になることもある。
それでも両親は、フクリが何かへ取り組んでいると知って、できる範囲で支えてくれていた。
「ありがとう」
「礼を言うくらいなら、残すなよ」
「残さない」
その日、フクリは普段よりゆっくりと魚を食べた。
自分一人の人生ではない。
父と母が育ててくれた身体だ。
だからこそ、無駄にはできない。
◇
さらに二か月が過ぎた。
能力は完成しなかった。
念を感じた時と同じだった。
答えはある。
だが、辿り着く方法が分からない。
焦りが生まれる。
設計に間違いがあるのか。
九十%という代償では足りないのか。
一日〇・一%でも効果が大きすぎるのか。
そもそも、メモリを増やすという考え自体が不可能なのか。
フクリは何度も紙を読み直した。
条件を減らすべきか。
増加率を〇・〇一%に下げるべきか。
上限をもっと低くするべきか。
だが、変更しようとすると違和感があった。
能力の形は間違っていない。
設計は完成している。
足りないのは、実現するための力か。
それとも覚悟か。
九十%を使う。
言葉ではそう決めている。
だが心のどこかで、本当に失うことを恐れているのではないか。
能力が完成した瞬間、自分の可能性の大半が消える。
その後何年も、まともな能力を作れない。
もし危険が起きても、絶と僅かな纏だけで逃げるしかない。
本当に、それでいいのか。
「怖いに決まってる」
夜の森で、フクリは一人呟いた。
怖くないはずがない。
失敗すれば終わりだ。
九百メモリを使って、何も得られない可能性もある。
能力が途中で壊れるかもしれない。
自分の理解が間違っているかもしれない。
未来へ投資する。
聞こえはいい。
だが実際にやろうとしているのは、今持っているほぼすべてを、確実ではない未来へ差し出すことだ。
前世の自分なら、そんな投資はしなかっただろう。
危険すぎる。
分散もできない。
失敗した時の逃げ道もない。
「それでも」
フクリは目を閉じた。
普通に戦闘能力を作る方が安全かもしれない。
小さな強化能力。
逃げるための能力。
今すぐ使えるものを複数作る。
その方が、十一歳の自分には役立つ。
だが、それではいつか限界が来る。
才能のある者には追いつけない。
強い能力者に目をつけられれば、逃げ続けるしかない。
長い人生を、自分より強い者に怯えながら生きることになる。
フクリが欲しいのは、一時的な安全ではない。
何十年後。
何百年後。
誰にも人生を邪魔されないだけの力。
そこへ辿り着くためには、今の九割を差し出すしかない。
「やる」
声に出した。
「俺は、これを作る」
恐怖が消えたわけではない。
それでも決めた。
怖くても進む。
後悔する可能性ごと受け入れる。
それが誓約になる。
◇
その夜、フクリはいつもの木の根元へ座った。
月は雲に隠れ、森の中は暗い。
目を閉じる。
纏を行い、身体から流れ出すオーラを留める。
そこから、できる限りオーラを強める。
練。
まだ未熟な、形だけの練。
全身が熱くなる。
呼吸が荒くなる。
そのオーラを、自分の内側にあるメモリへ向ける。
見えない空間。
念能力を収めるための場所。
千の容量。
そのうち九百を、巨大な一つの能力へ変える。
フクリは心の中で、条件を読み上げた。
自分のメモリの九十%を使う。
残る十%を百とする。
一日〇・一%。
複利。
上限は千。
百を下回れば、永久消滅。
何度も繰り返す。
身体の熱が増していく。
頭が痛い。
胸が苦しい。
それでも、危険なほどではない。
もう少し。
もう少しだけ。
突然、身体の奥で何かが動いた。
「……っ!」
広い空間が、一気に狭くなる感覚。
今まで自由に広がっていた余白の大半が、巨大な何かに埋め尽くされる。
恐怖が走る。
本当に失われている。
止めようと思えば、今なら止められるかもしれない。
フクリは歯を食いしばった。
止めない。
これは自分で決めたことだ。
九割の余白が、形を変える。
何もなかった空間へ、一つの仕組みが刻まれていく。
毎日。
〇・一%。
複利。
時間と共に、失った余白を取り戻す仕組み。
オーラが急激に減っていく。
身体を覆っていた温かさが薄れ、寒さが押し寄せる。
意識が遠のきそうになる。
フクリは絶へ切り替えた。
外へ流れ出すオーラを閉じ、残った力を身体の内側へ留める。
長年練習してきた絶だけが、今のフクリを支えた。
数秒。
数十秒。
どれほど時間が経ったか分からない。
やがて、身体の内側で最後の何かが噛み合った。
音はしなかった。
光も出なかった。
世界が変わったわけでもない。
ただ、フクリには分かった。
能力が完成した。
「……できた」
声がかすれた。
全身から力が抜け、木の根元へ背中を預ける。
メモリの感覚へ意識を向ける。
広かった余白は、ほとんど残っていない。
使用できるのは僅か百メモリ。
その奥に、巨大な能力が存在している。
そして、今この瞬間から。
時間と共に、少しずつ増えていく。
目に見える変化はない。
今すぐ強くなったわけでもない。
戦える技が増えたわけでもない。
むしろ、能力を作る前より不自由になった。
それでもフクリは笑った。
「やっと、始まった」
念を探すのに五年。
最初の能力を作るのに、さらに半年以上。
長かった。
だが、これからは時間そのものが味方になる。
眠っている間も。
学校にいる間も。
父の仕事を手伝っている間も。
何もしなくても。
一日〇・一%ずつ、未来の可能性が積み重なっていく。
フクリは夜空を見上げた。
雲の隙間から月が見える。
能力が完成した喜びよりも、強い安心感があった。
今の自分は弱い。
おそらく、普通の念能力者には到底勝てない。
だが焦る必要はない。
十年後。
二十年後。
五十年後。
生き続ける限り、少しずつ選択肢は増えていく。
才能の差を、時間で埋める。
いつか追い越す。
そのための最初の種を、ようやく植えたのだ。
十一歳と六か月。
フクリは初めての念能力、
『0.1%の積み重ね(複利)』
を完成させた。