四騎伝 ―異世界騎士譚―   作:えぐぢー

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第1話 食卓

視界の隅で、何かが光っていることに気づいた。

 

足元だった。見たこともない幾何学模様が、淡い光を纏って床に浮かび上がっている。

 

まばゆい光が、その中心から溢れ出した。音もなく、痛みもなく、ただ体の重みだけが消えていく感覚があった。俺の意識は、そのままふっと途切れた。

 

――そのわずか数分前まで、俺はいつもと同じ放課後を過ごしていたはずだった。

 

放課後の教室に、夕陽が長く差し込んでいた。

 

「峰人、先に行ってるぞ」

 

野球部の仲間が、鞄を肩にかけながら教室を出ていく。

 

「おう、すぐ行く」

 

そう返しながらも、鞄を持つ手が、なぜか重かった。

 

準決勝、九回裏。打てば、勝てた。それなのに、いざバッターボックスに立った途端、足が竦んだ。球場を包む大歓声が、やけに遠くから聞こえた。じっとりと汗ばんだ掌が、バットのグリップを滑りそうになる。球筋は、最後まで目で追えていたはずだった。それでも、押し寄せる緊張と恐怖に飲まれるようにして、三振した。

 

あの日から、練習に向かう足取りが、少しだけ重くなった気がする。

 

誰もいなくなった教室でひとり、荷物をまとめる。いつも通り部活に向かう――はずだった。

 

鞄の口を閉じようとした手が、ふと止まる。

 

「……あれ?」

 

足元に、さっきと同じ光が滲んでいた。

 

***

 

顔がある。

 

目を開けた俺の、すぐ目の前に。

 

青い肌。人間には決してない色。至近距離で覗き込むように見つめてくるその顔に、俺は思わず息を呑んだ。夢か、と疑う余裕すらなかった。

 

「――おや、お目覚めですか」

 

「うわっ!?」

 

驚きのあまり体が仰け反り、座っていた椅子ごと、そのまま床に転げ落ちた。

 

ガンッ、という鈍い音が机に響いた。その振動に引きずられるように、机を囲んでいた残りの三人が、次々と目を覚ましていく。

 

「……っ、な、なんだよ、ここ……」

 

短く刈り込んだ髪の男子が、真っ先に身を起こした。声はぶっきらぼうで、少しかすれている。周囲を見渡す目つきには、戸惑いよりも先に警戒の色があった。

 

「え、え……? わたし、さっきまで……」

 

長い髪の女子は、状況を飲み込めないまま、自分の両腕をそっと抱くようにして周囲を見渡す。おっとりとした口調に、育ちの良さがにじんでいた。

 

「ちょっと、状況が全然わからないんだけど!?」

 

一番はきはきとした声を上げたのは、もう一人の女子だった。三人の中でただひとり、真っ先に部屋の出入り口や壁の様子にまで目を走らせている。床に転がる俺と、目の前に立つ青い肌の人物を、素早く交互に見据えた。

 

三人とも状況を掴めていないのは、俺と同じらしい。それだけが、わずかな救いだった。

 

ふと、自分の格好が目に入った。

 

制服のままだった。見慣れた紺のブレザーに、他の三人もそれぞれ見覚えのない、別々の制服姿だった。

 

着慣れたはずの服装が、この石造りの部屋では、ひどく場違いに見えた。

 

青い肌の男は静かに手を差し伸べ、椅子に座り直す俺を助け起こした。指先が、思いのほか冷たい。

 

改めて見ると、青い肌には似つかわしくない、体に沿った黒いスーツのようなものを纏っている。

 

「まずは、自己紹介といきましょうか」

 

そう言うと、男は自らの胸に手を当てた。

 

「私は、魔王軍幹部ARZ(アーズ)のシヴァと申します」

 

四人は顔を見合わせた。異世界。魔王軍。誰の顔にも、追いつけない戸惑いが浮かんでいた。それでも、はきはきした声の少女が代表するように、恐る恐る口を開いた。

 

「……碓氷椎花(うすいしいか)

 

久龍、守(くりゅうまもる)

 

ぶっきらぼうに名乗った久龍に続き、長い髪の女子が小さく頭を下げる。

 

天場柚乃(そらばゆの)、です」

 

最後に、俺も小さく名乗った。

 

鳳利峰人(ほうりみねと)……です」

 

シヴァは満足そうに頷いた。その満足が、歓迎から来るものなのか、それとも別の何かから来るものなのか、俺にはまだわからなかった。

 

シヴァは軽く手を上げた。

 

「では、まずは召し上がってください。皆様には、これからのことを考える上でも、まず体力をつけていただきたいので」

 

言葉と同時に、扉の奥から数人の従者が姿を現した。シヴァと同じ青い肌をした者もいれば、角や牙といった異相を持つ者もいる。彼らは無言のまま机の上に次々と料理を並べていく。見る間に、机の上は色とりどりの皿で埋め尽くされていった。

 

湯気とともに、見たこともない香辛料の匂いが鼻をかすめる。白身の魚を使った料理が多かった。椎花も柚乃も、しばらく箸を持ち上げようとはしなかった。

 

シヴァの微笑みが、俺には妙に引っかかった。丁寧すぎる。優しすぎる。まるで、値踏みされているのを気づかれないための微笑みだ。これは、もてなしなんかじゃない。

 

シヴァは食事が並べられたのを見届けると、静かに言葉を続けた。

 

「先に言っておきますが、皆様を傷つけるつもりは、私にはありません」

 

その言葉に、四人の間に僅かな安堵と、それ以上の警戒が入り混じる。安心しろと言われて、素直に安心できるほど、状況は単純じゃなかった。

 

「ここは、皆様の元いた世界とは異なる世界です。詳しいことは追い追い説明しますが、まずは――」

 

「異なる世界って、どういうことですか!?」

 

真っ先に食いついたのは椎花だった。

 

「じゃあ、俺たちどうやって帰ればいいんだよ」

 

続けて久龍が身を乗り出す。

 

「わたしたち、殺されたりしないですよね……?」

 

柚乃が不安げに、こぼすように言う。

 

「あの、俺たちは、これから一体……」

 

俺も、遅れて言葉を挟もうとした。聞きたいことは山ほどあるのに、いざとなると何から聞けばいいのか、自分でもよくわかっていなかった。

 

矢継ぎ早に飛んでくる問いに、シヴァの笑みが、僅かに深くなった。

 

「――質問はごもっともですが、私にも準備がありますので。また後ほど」

 

そう言うと、シヴァは音もなく席を立ち、部屋を後にした。

 

残されたのは、四人と、湯気を立てる料理だけだった。

 

「……なんなんだよ、あいつ」

 

久龍が吐き捨てるように言い、それでも空腹には勝てないのか、料理に手を伸ばす。

 

「食べていいのかな、これ……」

 

柚乃がおそるおそる箸のようなものを手に取る。

 

「今更でしょ。それより、これからどうするか話し合わないと」

 

椎花が、努めて冷静にそう言った。

 

俺はしばらく黙って料理を見つめていたが、ふと思い出したように呟いた。

 

「……異世界って、ファイアスレイバーみたいだな」

 

「あ、あのゲーム? わたしもやったことあります」

 

柚乃が小さく反応する。

 

「異世界に行く話なんて、あれくらいしかないもんな」

 

久龍が話しながら、料理を頬張る。

 

「――でも、あれってフィクションだよね。まさか本当に、こんなことになるなんて」

 

椎花が、料理をつつきながら小さく笑った。乾いた、それでいてどこか強がりの滲む笑いだった。

 

「まあいいけどさ。それより――」

 

久龍が箸を置き、四人の顔を順に見渡した。

 

「帰れんのかよ。俺たち」

 

柚乃が箸を置いた。椎花は自分の膝の上で手を握り込んだまま、答えを探すように黙り込む。久龍は何も言わず、ただ天井を見上げていた。

 

「……とりあえずさ」

 

沈黙を破ったのは、椎花だった。

 

「お互いのこと、もうちょっと知っといた方がいいんじゃない? この状況で、いきなり信用しろって言われても無理があるし。でも、何も知らないよりはマシでしょ」

 

「別に、俺は誰でもいいけど」

 

久龍がそっけなく言いながらも、視線だけは椎花の方を向いていた。拒否はしていない証拠だった。

 

「鳳利くんは、何か部活とかやってた?」

 

「俺は野球部で、ちょうどこれから部活に行こうとしてたとこで……」

 

そう言うと、久龍が小さく肩をすくめた。

 

「へえ、意外と体育会系じゃん。まあ、いいんじゃねえの。俺だって、殴り合いくらいしか取り柄ねえし」

 

「殴り合いなんて、物騒だわ……」

 

柚乃が、眉をひそめながら小さく呟く。

 

そんな軽いやり取りが、少しだけ場の空気を和ませていた。

 

「ま、誰が何できようができまいが、今んとこ関係ないっちゃないけどな」

 

久龍がそう締めくくると、椎花が小さく頷いた。

 

「でも、知っといて損はないよ。何かあった時、頼れる相手がいるかどうかって、大事でしょ」

 

椎花はそう言うと、思い出したように柚乃の方を向いた。

 

「そういえば、天場ちゃんは? 何かやってたの?」

 

「わたしは……えっと……」

 

柚乃が、視線を泳がせながら言葉を探していた、その時だった。

 

扉が、音もなく開いた。

 

「お食事は、お済みですか」

 

いつの間にか戻ってきていたシヴァが、静かにそう尋ねる。

 

「――楽しいお時間のところ、申し訳ありませんが」

 

「皆様には、これから実験に協力していただきます」

 

シヴァの口調は変わらなかった。丁寧で、穏やかで――だからこそ、その言葉の意味が、遅れて四人の背筋を凍らせた。

 

実験。その一言だけが、輪郭の掴めないまま頭の中に居座っていた。何を、される。何のために。問いは浮かんでも、答えの気配は欠片もなく、ただ不安だけが、腹の底で膨らんでいった。

 

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