翌朝、部屋を訪ねてきたガレアスに連れられ、俺は城の敷地を歩いていた。
案内された先は、城の敷地の隅にある、石造りの訓練場だった。
土埃の匂いが鼻をつく。剣を打ち合う音、気合の声。数人の男女が、思い思いに体を動かしていた。
「――全員、手を止めろ」
ガレアスの声が響くと、訓練場の空気が一瞬で変わった。動きを止めた者たちが、ぞろぞろとこちらへ集まってくる。
集まったのは、五、六人といったところだった。全員が全員、ガレアスと同じような鍛え上げられた体つきをしている。
「この駐屯地にいるのは三十人ほどだが、うちの騎士団はこれよりずっと大きい。今ここに集まったのは、たまたま訓練中だった連中だけだ」
ガレアスがそう説明しながら、俺の背を軽く押した。
「今日からここに加わる、峰人だ」
集まった視線が、一斉にこちらへ向いた。じろじろと見定めるような目、興味津々な目、反応は様々だった。
「……あの、鳳利峰人です。よろしくお願いします」
頭を下げると、束の間の沈黙のあと、ぱらぱらと声が上がった。
「へえ、お前が異世界から来た新人か」
「よろしくな」
軽い調子の声が、いくつか重なる。誰も彼も、そこまで身構えた様子はなかった。
その中で、一人だけ違う反応を見せた者がいた。
杖のように太い剣を地面に突き立て、それに寄りかかるようにして立つ、白髪の老人だった。小柄な体格に、使い込まれた革鎧を着崩すように纏っている。顎には、同じく白い髭。他の誰よりも年嵩に見えるのに、目つきだけは若い者たちより鋭い。
「――団長。子供とは聞いてなかったぞ」
しわがれた声が、試すように俺を見下ろした。
「グレンバルドさん」
ガレアスが短く咎めるように名を呼ぶ。だが、老人――グレンバルドは意に介した様子もなく、俺の前まで歩み寄ってきた。
「坊主。剣は握ったことはあるのか」
「……少しだけ、なら」
「少しだけ、か」
グレンバルドは顎髭を撫でながら、俺の全身を上から下まで眺め回した。
「見たところ、意外と引き締まった体だ。何ができる?」
「――まぁ、見ててくださいよ」
ガレアスが割って入る。グレンバルドは、面白がるように片眉を上げた。
「ほう、確かめさせてもらおうか」
顎で示した先には、訓練場の隅に置かれた岩塊があった。大人二人がかりでようやく運べるような、ひときわ大きな石だ。
「あれを持ち上げてみろ。話はそれからだ」
言われるがまま、俺は石に近づき、両手をかけた。持ち上がるとは思えない重さだった。それでも腕に力を込めると、驚くほどあっさりと石が浮いた。
――嘘だろ。
自分の腕に伝わった感触が、信じられなかった。野球部で人並みには鍛えていたつもりだったが、これは明らかに次元が違う。掌に残る重みの記憶だけが、確かに何かがおかしいと告げていた。
どよめきが、周りの騎士たちから漏れる。
「――マジかよ、あの岩を軽々持ちやがった」
「おい、今の……強化魔法、使ってなくないか?」
誰かが上ずった声を上げた。周りの騎士たちが、一斉に顔を見合わせる。
「異界人ってのは、みんなああなんすか?」
上背のある、日焼けした若い騎士が、隣の仲間に小声で尋ねていた。簡素な革の胸当てだけを着けた軽装に、短く刈り上げた髪。
「――ああ」
答えたのは、意外にもグレンバルドだった。
「昔、似たような連中を見たことがある。あいつらも、揃いも揃って身体能力だけは化け物じみてたわい」
その一言に、若い騎士たちの間に、微かな戸惑いが広がった。
ふと視線を向けると、少し離れた場所に立っていたガレアスが、握った拳に力を込めているのが見えた。それも一瞬のことで、すぐに、いつもと変わらない仕草で腕を組み直していた。
グレンバルドはそれ以上語る気配もなく、話はそこで終わった。
「せっかくだ、他も測っておくか」
跳躍や徒競走まで、ひととおり測らされた。結果を見るたびに、その場にいた誰もが同じような顔をした。呆れと、それを上回る戸惑いの入り混じった顔だった。
「体はとんでもないが……」
グレンバルドが、地面に転がっていた木剣を一本、無造作に放ってよこした。
「剣の方は、どうだかな。打ち込んでみろ。手加減はしてやる」
咄嗟に受け止めたものの、構え方からして怪しかった。木剣を振りかぶって打ち込む。だが、狙いを定める間もなく、あっさりと弾かれ、体勢を崩したまま地面に片膝をついた。
「――ほら見ろ」
グレンバルドは、小さく息を吐いた。呆れたような、それでいてどこか予想通りだったと言わんばかりの声だった。
「力だけは化け物じみてるが、剣は素人もいいところだ。基礎の“き”の字もなってない」
言い返す言葉もなかった。地面につけた膝の痛みが、妙にはっきりと分かる。強い力を持っていることと、それを戦いで使いこなせることは、まったくの別物なのだと、身をもって分かった。
グレンバルドは、顎髭を撫でた。
「なるほどな。……次は、例の力とやらを見せてもらおうか」
促されるまま、近くに転がっていた練習用の木剣に目を向ける。
――掴むように、動かす。
両手をかざすと、それぞれの柄を直接握っているような重みが両の手のひらに伝わり、二本の剣が宙に浮かび上がった。
どよめきが、また上がる。
調子に乗って、少し離れた場所に立てかけてあった盾にも意識を向けてみる。だが、三つ目には、どうしても意識が届かなかった。剣二本を保ったまま、盾はぴくりとも動かない。壁にぶつかっているような、はっきりとした感触だった。
「……二つが、限界みたいです」
答えると、グレンバルドは宙に浮く木剣を黙って眺めた。それから、顎髭を撫でた。
「まあいい。団長が連れてきたんだ、無下にはしない。……ただし、甘やかしもしない」
その一言だけを残すと、グレンバルドは踵を返し、元いた場所へと戻っていった。
「誰にでもああなんすよ」
さっきの日焼けした騎士が、苦笑しながら声をかけてくる。
「グレンバルドさんは、あれで面倒見がいいんですよ。口は悪いですけど」
別の騎士も、そう付け加えた。
俺は小さく頷きながら、遠ざかっていくグレンバルドの背中を見つめていた。
丸まった背中。それでも、剣を担ぐ足取りに、迷いはなかった。
「今日のところは、これで解散だ。峰人、お前は部屋に案内させる」
ガレアスがそう言うと、集まっていた騎士たちはそれぞれの持ち場へと戻っていった。さっきの日焼けした騎士が、部屋まで一緒に戻ってくれた。
「あ、そういえば、名乗ってなかったっすね。俺、ロイドっていいます。よろしくっす」
騎士にしては、ずいぶん軽い口調だった。
「……騎士なのに、なんか軽い感じなんですね」
「うわ、それよく言われるんすよ。上にもしょっちゅう怒られるんすけど、昔の癖が抜けなくて」
ロイドは、ばつが悪そうに頭をかいた。
「何かあったら、隣の部屋にいるから遠慮なくっす」
そう言い残して、彼も去っていく。
部屋に戻ると、どっと疲れが押し寄せてきた。
――ここ二日で、色んなことがありすぎた。
目が覚めて、ガレアスに会って、王様に会って。三人を助けたいと言って、戦うことを許されて。そして今度は、騎士団に紹介されて。
信じられないくらい、色んなことが一気に起きた気がする。
グレンバルドの、あの試すような目を思い出す。厳しい人だ。でも、悪い人には見えなかった。むしろ――
「あれで面倒見がいいんですよ、か」
ロイドの言葉を、口の中で繰り返してみる。
その時だった。
軽いノックの音がして、返事を待たずに扉が開いた。立っていたのは、グレンバルドだった。
「まだ起きてたか」
「グレンバルドさん……何か?」
グレンバルドは部屋の中には入らず、扉に寄りかかったまま、しばらく黙って俺を見ていた。
「――寝る前に、一つだけ伝えておく」
「お前がどれだけ強かろうと、明日からの稽古じゃ手加減はしない。むしろ、今まで見てきた新人の中でも、一番厳しくするつもりだ」
「……なんでですか」
グレンバルドは、しばらく黙り込んだ。低い声で、ぽつりとこぼす。
「――制御できない力は、いずれ……」
言葉は、そこで途切れた。それ以上は続けず、グレンバルドは踵を返し、扉を閉めて去っていった。
残された部屋で、俺はしばらく動けなかった。
――なぜ、わざわざ夜に、一人で来たんだろう。昼間はあれだけ素っ気なかったのに。
尻切れの一言だけが、慣れない硬さの寝床に横になっても、いつまでも耳の奥に残っていた。
三人は大丈夫だろうか。
考えたくないのに、考えてしまう。無事でいてほしい。ただ、それだけだった。あいつらのことだから、きっと大丈夫だ――そう思い込もうとしている自分に気づいて、自嘲するように小さく笑ってしまう。根拠なんて、どこにもないのに。
でも、じっとしていても仕方ない。
強くなる。そのために、ここに来た。
窓の外を、もう一度見る。見たことのない星が、見たことのない形で並んでいた。
――明日から、本当の意味で始まるんだ。
***
――久龍
目を覚ますと、見知らぬ石造りの部屋の中だった。
椎花と柚乃も、すぐ隣でうめくように身を起こす。三人とも、無事だった。とりあえず、それだけは確かだった。
「……峰人が、いない」
部屋を見回しながら、思わずそう呟いていた。
「――今度はどこだよ、ここ」
苛立ちを隠さずに、そう吐き捨てる。
「ここは、私の本拠点です」
聞き覚えのある声だった。振り返ると、青い肌の男――シヴァが、微笑みを浮かべたまま立っていた。
「本拠点?」
「残念ながら、お一人、取り逃してしまいましたが。……それでも、あなたたち三人には、特別な力があります」
シヴァは、変わらぬ丁寧な口調で続けた。
「私には、目標があります。そのために、あなたたちの力を使いたいのです。……ですので、これからは、あなたたちの力を鍛えさせていただきます。毎日、休む時間はございません」
「――おい、ふざけんじゃねぇ」
「何を仰るのです。……殺されていないだけ、感謝していただきたいですね」
シヴァの微笑みは、最後まで崩れなかった。
「明日から、訓練を始めます。今日は、しばしの休憩を」
そう言い残すと、シヴァは静かに部屋を出て行った。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
「……なにが、目標だよ」
拳を握り込みながら、吐き捨てる。
「――峰人くん、逃げられたんだよね」
柚乃が、ぽつりと呟く。
「うん。……あいつだけは、無事っぽい」
椎花が、柚乃の肩に手を置きながら答えた。
「あたしたちの力が目当てなんだとしたら、そう簡単には殺さないはず。……向こうにとっても、都合が悪いから」
「……随分、甘い考え方だな、要するに用済みになったら殺すってことだろ」
椎花は、何も言い返せなかった。
「で、でも大丈夫。三人でいれば、何とかなるよ」
椎花が、そう言い切った。その声は、微かに震えていた。