前世最強の異能教師、異世界の天才たちを育てる ~一万八百の異能知識を教えたら、弟子たちが世界の常識を壊し始めた~ 作:パラレル・ゲーマー
王国北方。
アイスバーグ公爵家の領都には、代々の当主が暮らす壮麗な本邸が存在する。
強力な氷魔法使いを数多く輩出し、長年にわたって北方防衛の一角を担ってきたことから、アイスバーグ公爵家は王国内で《氷狼公爵家》の異名でも知られていた。
その本邸の一室。
豪奢な調度品で統一された応接間に、当主であるアイスバーグ公爵が深くソファへ腰掛けている。
公爵は北方の砦を巡察していたため、ここ数日は領都を留守にしていた。
昨夜遅くに戻ったばかりである。
その傍らには、アイスバーグ家へ何十年にもわたって仕え、公爵家の魔法指南役を務める老魔術師が控えていた。
そして。
分厚い扉が開く。
「ただいま参りました、お父様。先生」
この数日間、毎日のようにヴァルドスタ辺境伯家へ通い詰めていた娘――エレノアが姿を見せた。
完璧な礼儀作法でカーテシーを披露する。
見た目は、以前と何も変わっていない。
銀糸のような髪。
冷たく整った美貌。
公爵令嬢として磨き上げられた所作。
だが、父親は娘を一目見た瞬間、背筋に奇妙な粟立ちを覚えた。
(……何かが違う)
以前のエレノアの目には、
『私は天才であり、誰よりも優れている』
という、確固たる自負が宿っていた。
磨き上げられた氷の彫像のような少女。
完成されていて、冷たく、他者を寄せ付けない。
だが今は違う。
瞳の奥にあるのは、完成した者の余裕ではない。
『世界には、まだわたくしの知らないものがある』
『もっと知りたい』
『もっと上へ行ける』
そんな、貪欲なまでの知識欲。
まるで初めて自分より大きな世界を知ってしまった肉食獣のような、強烈な渇望が宿っている。
「うむ。報告は受けている」
公爵は努めて冷静な声で話を切り出した。
「まずはヴァルドスタ家との婚約話についてだ。当人同士を顔合わせさせた直後に破談というのも外聞が悪い。先方の辺境伯とは、当面『保留』ということで話を合わせた」
「承知いたしましたわ」
そもそも、六歳の子供同士の婚約である。
今すぐ結論を出す必要などどこにもない。
「それより……聞けば、お前はアルヴィス殿の『弟子』になったそうだな?」
「はい」
エレノアは即答した。
迷いなど一切ない。
「わたくしは、生涯をかけて学ぶに値する『師』を得ましたわ」
「…………」
公爵は言葉を失った。
『自分より弱い男など夫として認めない』
そう豪語し、同年代の子供などほとんど眼中になかった娘だ。
その娘が、同い年の少年を、これほどまでに純粋な尊敬を込めて「師」と呼んでいる。
父親にとっては、婚約話の行方などより、よほどこちらの方が重大な事態だった。
「エレノア様」
沈黙を破ったのは、老指南役だった。
「エレノア様ほどの才をお持ちであれば、他家の魔術師と交流された数日の間に、新しい術式や着想を得られることは十分にあり得ましょう」
老人は慎重に言葉を選ぶ。
「ですが……六歳の辺境伯ご子息から、魔法の『根本』そのものを学ばれたというお話になりますと、老いぼれの私には少々信じがたいものがございます」
彼はエレノアを幼い頃から教えてきた。
彼女が六歳にして中級氷魔法を扱えるほど成長したのも、この老人の教育による部分が大きい。
国の中でも指折りの、れっきとした一流魔術師である。
ただの嫉妬や嫌味で否定しているのではない。
専門家として、数日で魔法体系そのものを覆すような教育など、現実的にあり得ないと考えているのだ。
「いったい、何を学ばれたのですかな?」
「ふふっ」
エレノアは余裕に満ちた笑みを浮かべた。
「言葉だけでは、少々説明しづらいですわね」
「……ならば、見せよ」
公爵が短く命じた。
◆
場所を本邸の中庭へ移す。
中央には、アイスバーグ家を象徴するような白亜の巨大な噴水が、涼しげな水音を響かせていた。
「では、まず魔法の成果を拝見いたしましょう」
老指南役の言葉に、エレノアは静かに頷いた。
噴水へ向き直る。
老人は当然のように、彼女が新たに学んだという高度な詠唱を聞き取ろうと耳を澄ませた。
だが。
エレノアの唇は、動かなかった。
彼女はただ、自身の身体を中心に薄く展開し続けている《常時魔力展開》を、噴水の水へ滑り込ませる。
対象探索。
接続。
すでに終了。
必要なのは。
第三工程――《冷却》。
ピキッ。
静かな音が響いた。
次の瞬間。
パキパキパキッ!
噴水の水盤を埋めていた大量の水へ、白い氷が猛烈な速度で広がっていった。
さらに、噴き上がっていた水流までが、落下する途中から次々と凍結していく。
完全に空中で停止しているわけではない。
しかし、次々と生まれた氷柱が互いに連結し、噴水の上に巨大な氷の彫刻を作り出した。
「…………」
周囲の空気まで巻き込むような極端な冷却ではない。
対象とした水だけを、異常なまでの速度と精度で冷却した結果だ。
「……詠唱が、ない?」
老指南役が、呆然と呟いた。
詠唱を使わず、ここまで安定した氷魔法を発動する。
王国でも、ごく一部の高位魔術師にしかできない芸当だ。
「いいえ」
エレノアは静かに首を振る。
「詠唱を捨てたわけではありませんわ」
「……どういう意味ですかな?」
「詠唱が担当していた仕事を、別の方法で済ませているのです」
エレノアは、師から学んだ理屈を自分の言葉で説明する。
「従来の氷魔法では、発動のたびに詠唱によって『対象を探し』『魔力を接続し』『冷却し』『形を作り』『必要なら飛ばす』という工程を順番に行っています」
「……」
「ですが、わたくしは《常時魔力展開》によって、周囲の水分を常に感知し、あらかじめ接続を維持しております」
凍りついた噴水へ手を向ける。
「ですから、今必要だったのは《冷却》だけ」
「……!」
「詠唱を丸ごと消したのではありません。発動時に行っていた処理の一部を、前へ移しただけですわ」
「事前に……処理を終わらせる……?」
老指南役の顔色が変わった。
彼は優秀だった。
だからこそ。
エレノアの言葉が何を意味しているのか、一瞬で理解してしまった。
老人は震える足で噴水へ近づき、凍りついた水へ触れる。
残留する魔力を慎重に探る。
「……本当だ」
声が震える。
「術式そのものが崩れているわけではない……」
「はい」
「必要な工程だけが、綺麗に切り離され……別の処理へ移されている……」
「その通りですわ、先生」
エレノアは誇らしげに頷いた。
だが。
老指南役が戦慄している理由は、少女の成長速度ではなかった。
もしこれが、エレノアだけが使用できる特殊な氷魔法なら。
ただの天才による新術式で終わる。
だが違う。
今説明されたものは、
『魔法を工程ごとに分解し、必要に応じて再構築する』
という方法論そのものだ。
(ならば……)
炎魔法なら?
風魔法なら?
治癒魔法なら?
複雑な結界術なら?
一つの魔法を構成する工程を解体し、その一部を事前処理し、別の技術へ置き換えられるのなら。
既存のあらゆる魔法へ応用できる可能性がある。
「閣下……」
老指南役が公爵を見る。
その顔は青ざめていた。
政治家である公爵よりも先に。
魔法の専門家だからこそ、この考え方が秘める危険性と可能性を正確に理解したのである。
「……魔法についての成果は理解した」
公爵も、老人のただならぬ様子から事態の大きさを察し始めていた。
「だが、ヴァルドスタ家からの報告には、魔法だけではなく『身体能力』まで劇的に変化したとある」
「はい」
「そちらも見せられるか?」
「もちろんですわ」
エレノアは微笑んだ。
◆
間もなく。
公爵家近衛隊から、一人の騎士が呼び出された。
公爵家の中でも指折りの使い手だ。
完全武装の騎士は、中庭に立つ小さな令嬢を前に、明らかに困惑していた。
「公爵閣下。本当に私がお相手を?」
「そうだ」
「しかし……エレノア様はまだ六歳でございます。万が一にもお怪我をさせてしまえば……」
「怪我をさせるな。これは戦いではなく試験だ」
公爵が説明する。
「お前はエレノアの肩へ触れれば勝ち。エレノアも、お前の胸当てへ触れれば勝ちとする」
「……承知いたしました」
「ちなみに、わたくしは攻撃魔法を使用いたしませんわ」
エレノアが付け加える。
「《身体強化》だけで十分ですもの」
「…………」
騎士の表情が若干引きつった。
昨晩、ヴァルドスタ家から戻って以降も、エレノアは自分の部屋で出力制御の練習を続けていた。
石床を踏み割らず歩く。
陶器を壊さず持つ。
強く踏み込んだ直後に、指定された位置で止まる。
まだ完全ではない。
だが少なくとも、「強化すると何もかも壊してしまう」という状態からは一歩抜け出している。
「始め」
公爵の声。
騎士が動いた。
最初は明らかに手加減している。
六歳児を捕まえる程度の踏み込み。
だが。
「――え?」
エレノアの姿が、視界から一瞬だけ消えたように見えた。
音を置き去りにするような異常な速度ではない。
ただ。
六歳の少女が出せるはずのない初速。
そして、それ以上に異常なのが。
無駄のない加速と減速だった。
騎士が手を伸ばした時には、エレノアはすでにその横をすり抜けている。
クルリと方向を変え。
トン。
騎士の背中へ、小さな指先が触れた。
「ここですわ」
「…………え?」
騎士が振り返る。
エレノアは数歩離れたところで、涼しい顔をしていた。
「もう一度」
公爵が命じた。
「今度は《身体強化》を使用しろ」
「……よろしいので?」
「構わん」
「承知!」
二度目。
騎士の全身に魔力が巡る。
今度は最初から本気だ。
ドンッ!
強化された脚が地面を蹴る。
速い。
一般人なら反応すらできない踏み込み。
だが。
エレノアは、真正面から競争しなかった。
騎士が右へ踏み込む。
エレノアは半歩だけ左。
追う。
今度は急停止。
騎士がわずかに行き過ぎる。
エレノアが再加速。
騎士が振り返る。
そこからまた減速。
「くっ……!」
何度追っても捕まらない。
速さだけではない。
加速。
減速。
方向転換。
必要な瞬間だけ脚部の《身体強化》出力を上げ、即座に日常レベルまで戻している。
そして。
騎士が大きく踏み込んだ瞬間。
エレノアはその横をすり抜けた。
ピタッ。
急停止。
トン。
胸当てへ、掌を置く。
「ここですわ」
「……っ」
勝負あり。
数秒の沈黙。
エレノアがゆっくりと手を離した。
その瞬間。
パキッ。
「……あら」
彼女の右足の踵付近。
中庭の石畳へ、ごく細い亀裂が一本走っていた。
「…………」
エレノアは亀裂を見下ろす。
「まだ、減速時の制御が甘いですわね」
「そ、そこを反省なさるのですか……?」
騎士が呆然と呟いた。
老指南役はそんな二人など見ていない。
目を凝らし、エレノアの全身を流れる魔力だけを観察していた。
「……少ない」
「先生?」
「身体強化に使用している魔力量が……あまりにも少なすぎる」
アイスバーグ家にも身体強化の技術は当然存在する。
だからこそ、比較できる。
今のエレノアは。
成人した近衛騎士を上回る運動性能を発揮した。
にもかかわらず。
そのために使われている魔力は、従来式の全身強化と比較して明らかに少ない。
「全身を一つの……《強化状態》として……」
「はい」
「筋肉や骨へ個別に魔力を注ぐのではなく……身体全体を一つの術式として統合している……」
「さすが先生ですわ」
「…………」
老指南役は、もはや褒められても反応しなかった。
「閣下」
掠れた声。
「これは……新しい身体強化術が一つ増えた、などという小さな話ではございませんぞ」
◆
「エレノア」
再び応接間へ戻ると、公爵はこれまでにないほど真剣な表情で娘を見た。
「一つだけ、確認させてくれ」
「はい」
「これは……お前とアルヴィス殿だからこそ出来たことなのか?」
ここが境界だった。
この出来事が、
『天才少女が一人、急激に成長した』
だけで終わるのか。
それとも。
『再現可能な新しい教育技術が生まれた』
という国家規模の問題になるのか。
エレノアは、持参していた革表紙のノートを数冊、テーブルへ置いた。
「こちらをご覧くださいませ」
公爵が一冊を開く。
そこには。
『原因と結果』
『魔法工程の分解』
『対象探索と接続の分離』
『常時魔力展開』
『魔力総量・魔力出力・魔力制御効率・魔力処理能力』
『身体強化の統合』
『常時身体強化』
その他。
エレノア自身の失敗。
失敗した原因についての推測。
アルヴィスから与えられた修正。
次の試行。
その結果。
びっしりと記録されている。
まだ、たった数日分。
だが。
そこにはすでに、単なる修行記録ではない。
『教育体系の原型』
が生まれ始めていた。
「少なくとも、これらはわたくし個人にしか使用できない固有の魔法ではありませんわ」
エレノアは断言する。
「師匠から教わったのは、完成された術式だけではありません」
「……」
「結果へ辿り着くための『考え方』と、『訓練方法』です」
公爵が黙った。
その瞬間。
政治家としての頭脳が、猛烈な速度で動き始める。
もし娘一人が急激に強くなっただけなら。
アイスバーグ家へ優秀な戦力が一人増えただけで済む。
だが。
魔法発動の大幅な短縮。
常時展開による感知。
身体能力の向上。
魔力効率の改善。
複数の魔法を並列運用する処理能力。
もし、これらを。
「教育」によって他者へ広げられるのなら?
王国軍の騎士百人へ教えたら。
魔術師百人へ教えたら。
数年後。
王国軍の「質」そのものが変わる。
そして。
もしアルヴィスという少年が他国へ渡り。
そこで同じ教育を始めたなら?
「……エレノア」
公爵の声が、先ほどより低くなった。
「アルヴィス殿は、この技術を他の者にも教えられると言ったのか?」
「誰でも、わたくしと同じ速度で習得できるとはおっしゃっておりません」
「……」
「むしろ師匠は、わたくしの成長速度そのものは異常だと評価されていますわ」
「ならば」
「ですが」
エレノアは続けた。
「理論そのものは、わたくし専用のものではない、と」
「…………」
公爵は深く息を吐いた。
額へ手を当てる。
「元々は……」
ぽつり。
「優秀な辺境伯家の神童と、うちの娘を婚約させる。それだけの話だったはずなのだがな……」
「はい」
「なぜ、たった数日通っただけで……」
公爵は娘のノートを見る。
凍りついた噴水を見る。
中庭で呆然としている騎士を見る。
「王国軍の将来を左右しかねない国家規模の話になっている……?」
「師匠が素晴らしいからですわ!」
「それは説明になっていない」
「完璧な説明だと思いますけれど」
「…………」
公爵は疲れ切ったように目を閉じた。
そして。
「王家へ報告する」
「お父様」
「これは、もはやアイスバーグ公爵家だけで抱えていいものではない」
目を開く。
そこにはもう父親ではなく、北方を治める大貴族の顔があった。
「最速の早馬を出せ。王宮へ緊急報告を送る」
「かしこまりました」
家令が深く頭を下げる。
こうして。
アルヴィス本人の知らないところで。
彼の待ち望んでいた平穏な第二の人生へ向けて、王家の紋章が全速力で突っ込んでくることになった。
◆
それから数日後。
辺境のヴァルドスタ家。
俺の自室では。
(最高だ……)
この数日間の地獄のスパルタ教育を終えた俺が、ようやく手に入れた自由時間を満喫していた。
ふかふかのベッドへ寝転がる。
《重力操作》でお気に入りの歴史書を宙へ浮かべ。
《念動力》で勝手にページをめくらせる。
ついでに、皿に乗ったクッキーも《念動力》で口元へ。
暑くなってきたので、窓まで《念動力》で開く。
(最高だ。やっぱり平穏なスローライフに限る)
世話の焼ける一番弟子も、今日は来ていない。
誰にも邪魔されない。
完璧な休暇。
(俺の計画は、完璧に順調だ)
バンッ!!
「――アルゥゥゥゥ!!」
「…………」
扉が粉砕されんばかりの勢いで開かれた。
俺の平穏は、数日しか持たなかった。
飛び込んできたのは、顔を真っ赤にして興奮している親父――ガラルドだ。
「父上」
「なんだ!」
「ノックくらいしてください」
「そんな悠長なことを言っている場合か!」
親父が俺の目の前へ突きつけたもの。
王家特有の厳重な封蝋が施された、最高位の書状。
「見ろ! 陛下直々の召喚状だ!」
「…………」
宛名。
『アルヴィス・フォン・ヴァルドスタ』
そして文面には、別途召喚されている人物として、
『エレノア・フォン・アイスバーグ』
の名前まで明記されている。
「…………」
(あのバカ弟子が)
俺は、一瞬ですべてを理解した。
別れ際。
『お父様にも、この数日間の成果をご報告しなければなりませんわ』
そう言って目をキラキラさせていた一番弟子。
何をどこまで見せたのか知らないが。
間違いなく。
やりすぎた。
「アル! 喜べ! 陛下直々のお呼びだぞ!」
「父上は嬉しそうですね」
「当然だ! 我が息子の才能が、ついに陛下のお耳にまで届いたのだぞ!」
「そうですか……」
(最高に面倒くさい)
親父とは真逆の気分だった。
王家が知った。
ならばもう、なかったことにはできない。
だが。
俺は深くため息を吐きながらも、頭の中では即座に損得勘定を始めていた。
氷狼公爵――アイスバーグ公爵が王家へ報告したということは。
少なくとも、あの公爵は技術の軍事的価値を理解できる程度には有能だ。
むしろ、一公爵家がこんな技術を自分だけで抱え込む方が危険である。
あとで王家に知られれば、
『なぜ報告しなかった』
と疑われる。
下手をすれば、王家へ対抗するため秘密裏に軍事力を増強していたとすら受け取られかねない。
(公爵の判断としては正しいな)
そして。
この時点で逃げる。
隠す。
王命を無視して引きこもる。
そんなことをすれば、俺の求める平穏からますます遠ざかる。
王宮。
貴族。
調査。
監視。
最悪、他国まで嗅ぎつけてくる。
(直接行って、落とし所を作った方が早い)
前世では戦闘だけでなく、能力者組織や国家との面倒な交渉も嫌というほど経験している。
国家相手に一番面倒なのは。
国家を敵に回すことだ。
「分かりました。行きます」
「おお!」
「なので父上」
「なんだ?」
「今度こそ部屋から出てください。俺はもう少し寝ます」
「王都へ行く準備をしろぉぉぉ!」
平穏は完全に終わった。
◆
数日後。
王都へ向かう街道。
北方から南下してきたヴァルドスタ家の馬車は、途中の街道合流地点でアイスバーグ公爵家の一行と合流した。
親父とアイスバーグ公爵は、馬上で何やら難しい顔をしながら話し込んでいる。
途中の休憩。
俺が馬車から降りた瞬間。
「師匠!」
嬉しそうな声。
エレノアが小走りでこちらへやってきた。
相変わらず悪びれた様子など欠片もない。
「お久しぶりですわ!」
「数日しか経ってないけどな」
「ご報告がありますの!」
「嫌な予感しかしない」
「どうしてですの!?」
エレノアが抗議する。
だが次の瞬間には、嬉々として成果報告を始めた。
「《常時身体強化》を、起床してから昼食まで、ほとんど意識せず維持できるようになりましたわ!」
「へえ」
「しかも、地面を踏み砕かずにです!」
「そこは本当に大事だからな」
「さらに!」
「まだあるの?」
「《アイス・バレット》の術式を、自分で組み直してみましたの」
エレノアは指を一本立てる。
「《常時魔力展開》によって探索と接続を事前処理し、成形する氷弾の基本形もあらかじめイメージとして固定しました」
「ほう」
「その結果、発動までの処理をさらに一段短縮できましたわ!」
「自分で考えたのか?」
「もちろんですわ!」
胸を張る。
「……いいな」
これは素直に褒めていい。
ちゃんと。
教わるだけの段階から、自分で仮説を立てて試す段階へ移っている。
教師としては非常に嬉しい。
「その調子で続けろ」
「はい、師匠!」
「アルヴィス殿」
今度はアイスバーグ公爵が近づいてきた。
「少しよろしいか?」
「もちろんです」
公爵は俺の前で、軽く頭を下げた。
「まず……我が娘を、あそこまで高みへ導いてくださったこと。父親として、心より礼を申し上げる」
「本人が頑張っただけですよ」
「それだけではないことは、私が一番理解している」
真面目な人だな。
「それと」
公爵の表情がさらに硬くなる。
「今回の件を、王家へ報告したことについては謝罪しよう」
「別に構いませんよ」
「……よいのか?」
「公爵閣下の立場なら、一番妥当な判断でしょう」
俺は肩をすくめる。
「得体の知れない軍事技術を自分の家だけで抱え込んで、あとから王家に見つかった方が面倒です」
「……」
公爵が目を見開く。
「むしろ、王家に対して軍事力を隠していたと疑われる可能性すらあります。公爵閣下なら報告するしかありません」
「……六歳にして、そこまで見えているとはな」
「面倒事が嫌いなので」
「理由がそれなのか……?」
「大体それです」
公爵がなんとも言えない顔になった。
(まあ、少なくとも話の通じる人間で助かった)
◆
王都。
王城。
俺たちは壮麗な玉座の間へ通された。
上座には、この国の頂点。
国王ゼノン。
その脇には宰相。
近衛騎士団長。
そして、王国魔術界の頂点に立つ宮廷魔術師長。
こちらは。
親父。
アイスバーグ公爵。
エレノア。
そして俺。
「面を上げよ」
国王の声。
俺たちは顔を上げる。
国王ゼノンは手元に置かれた報告書へ一度視線を落とし、最初にエレノアへ問いかけた。
「エレノア嬢」
「はい、陛下」
「アイスバーグ公爵の報告によれば、数日前までの其方と、現在の其方。その魔法使いとしての実力には、比較にならぬほどの差があるという」
「その通りでございますわ」
「アルヴィスから教えを受けた期間は?」
「数日です」
「…………」
重臣たちの間にざわめきが走った。
報告書に書いてあっても。
本人の口から聞くと、改めて異常である。
国王の視線が俺へ向いた。
「アルヴィス・フォン・ヴァルドスタ」
「はい」
「一つ確認する」
「何でしょう?」
「この成果は、エレノア嬢という類稀なる天才だからこそ成し得たものか?」
一番聞きたいのは、そこだろう。
「半分はそうです」
「半分?」
「エレノアは異常に優秀です」
本人が俺の横で、少し嬉しそうな顔をしている。
「魔力制御、理解力、処理能力、それと性格的な適性。全部かなり高い」
「性格?」
「自分なら出来ると疑わないところです」
「師匠、それは褒めていますの?」
「褒めてる」
「ならよろしいですわ!」
国王の口元が僅かに緩む。
「ですから、王国の魔法使い全員が、エレノアと同じように数日でここまで成長するなどとは考えないでください」
「……ふむ」
「ただし」
俺は続ける。
「俺が教えた技術や理論そのものは、エレノア固有のものではありません」
「つまり?」
「個人ごとに適性や習得速度の違いは出ますが、他の魔法使いにも応用できます」
「……!」
今度こそ。
重臣たちの顔色が変わった。
個人の才能ではない。
他者へ移植可能な教育技術。
国家にとって、その差はあまりにも大きい。
「もう一つ」
国王が報告書をめくった。
「其方自身についての報告もある」
「俺ですか?」
「エレノア嬢との初対面で、飛来する氷弾を空中へ静止させ、さらに異常な冷却現象まで引き起こしたそうだな」
「……ああ」
当然、そっちも報告されていたか。
「其方自身も、相当な力を隠しているのではないか?」
「否定はしません」
「ならば、それも見せてもらえるか?」
俺は少し考える。
そして。
「陛下」
「なんだ」
「今回確認なさりたいのは、俺が強いかどうかですか?」
「……」
「それとも、俺が他人を強く出来るかどうかですか?」
国王の目が細くなる。
「まったく別の問題です」
「……なるほど」
「俺一人がどれだけ強くても、国家にとっては強い人間が一人増えるだけです」
「だが、其方が他者を同じように育てられるなら」
「軍隊そのものが変わる」
国王が黙った。
「今回の検証は、そちらを優先していただけると助かります」
「……よかろう」
国王は頷いた。
「其方自身については、今回の議題とは切り離す」
「ありがとうございます」
(助かった)
聞かれたから嘘はつかなかった。
だが。
一万八百もある俺の手札を、わざわざ自分から王家へ全部見せる必要もない。
今のところ、連中の興味が「俺自身の力」より「教育技術」へ向いてくれている。
利用しない手はなかった。
「では」
国王が立ち上がる。
「其方の言う『教育の成果』を見せてもらおう」
◆
王城内の近衛演習場。
用意されたのは。
訓練用の水槽。
魔力測定器。
そして。
王城を守る近衛騎士の一人。
「まずは魔法からだ」
宮廷魔術師長が厳しい目でエレノアを見る。
「エレノア嬢。好きな方法で、その水槽の水を凍らせてみよ」
「承知いたしましたわ」
エレノアは水槽の前へ。
すでに。
《常時魔力展開》。
《常時身体強化》。
両方を維持している。
詠唱はない。
視線を水槽へ向ける。
接続。
冷却。
ピキッ。
一瞬。
水槽の水が、端から端まで一気に凍結した。
「……」
「……本当に、詠唱がない」
王宮の魔術師たちがざわめく。
「いいえ」
エレノアが訂正する。
「正確には、詠唱を必要としない状態を、発動前から作っているのですわ」
「何?」
宮廷魔術師長の視線が鋭くなる。
エレノアが簡潔に説明する。
詠唱の仕事。
工程分解。
対象探索。
接続。
事前処理。
「……そういうことか」
宮廷魔術師長が凍った水槽を見る。
「術式を消したのではない」
「はい」
「術式の処理順序そのものを、組み替えた……」
「その通りですわ」
「……恐ろしいことを考える」
その言葉には、侮蔑などなかった。
純粋な魔術師としての驚愕だけがある。
「続いて身体能力」
近衛騎士が前へ。
今回は、先ほどアイスバーグ家で行ったものとほぼ同じ接触試験。
双方とも致傷攻撃は禁止。
エレノアは攻撃魔法禁止。
近衛騎士は《身体強化》を使用可能。
相手の指定された部位へ先に触れた方が勝ち。
「始め!」
近衛騎士が動いた。
さすが王城の精鋭。
最初から油断しすぎることはない。
《身体強化》をまとい、一気に間合いを詰める。
エレノアも加速。
一歩目。
右。
騎士が追う。
エレノアは急減速。
左へ。
また加速。
騎士の手が、わずかにドレスの肩を掠めそうになる。
だが。
直前でエレノアが身体を沈める。
すり抜ける。
そして。
ピタッ。
騎士の背後で完全停止。
身体強化の出力を、瞬時に日常動作まで落とす。
トン。
小さな掌が胸当てへ触れた。
「ここですわ」
「……っ!」
数秒。
勝負は終わった。
近衛騎士がゆっくりと振り返る。
その表情に、侮りはもうない。
「……見事でございます」
「ありがとうございますわ」
「待て」
宮廷魔術師長。
その目は、エレノアの動きではなく、周囲の魔力を見ていた。
「エレノア嬢」
「はい?」
「今の模擬戦中も……」
老人の声が震える。
「《常時魔力展開》を維持したままだったのか?」
「もちろんですわ」
「身体強化も?」
「切っておりません」
「…………」
宮廷魔術師長が黙る。
感知。
身体強化。
高速機動。
それを同時に維持。
単純に身体能力が高いだけではない。
複数の魔法処理を、戦闘中ですら並行できるだけの処理能力まで育っている。
国王ゼノンの目に。
はっきりと計算の色が浮かんだ。
◆
王城内の会議室。
実証試験を終えた俺たちは、今度は大きな円卓を囲んでいた。
「……理解した」
国王が静かに言う。
「少なくとも、報告が誇張ではないことは確認できた」
誰も反論しない。
「陛下」
だが。
そこで初めて、宮廷魔術師長が手を挙げた。
「発言をお許しいただきたい」
「申せ」
「アルヴィス殿の技術について、その価値を疑うつもりはございません」
老人は俺を見る。
「むしろ、魔術師としては……極めて高く評価しております」
「ありがとうございます」
「しかし」
表情が引き締まる。
「王立魔法学園の教育へ即座に導入することには、私は反対いたします」
「ほう」
国王が先を促す。
「理由は?」
「成功例が、エレノア嬢一名しか存在しないからです」
正論。
「数日間で急激な魔力制御能力と身体能力を得た。その事実は確認いたしました。しかし、長期的な身体への影響は?」
「……」
「他属性へ転用した場合の副作用は?」
「……」
「従来術式と組み合わせた際に、魔力回路へ予想外の干渉が起きる可能性は?」
「……」
「何より」
俺を見る。
「アルヴィス殿は、まだ六歳です」
「それは俺も否定できませんね」
「技術者としての才能と、十五、十六歳の生徒の生命を預かる責任者としての適性は、別問題です」
会議室が静かになった。
いいな。
この爺さん。
「その懸念は正しいです」
「……何?」
今度は宮廷魔術師長の方が驚いた。
「俺も、いきなり王国中の魔法使いへ教えろと言われたら止めます」
「……」
「エレノア一人で成功した。だから万人に安全だ」
俺は首を横に振る。
「そんな雑な理屈で新技術を広げる奴は、研究者として失格です」
「……ならば」
「だから、小規模に試せばいい」
俺より先に。
国王が口を開いた。
「宮廷魔術師長。其方の懸念はもっともだ」
「陛下」
「そして、そのために朕も考えていた案がある」
国王は一枚の書類を円卓へ置く。
「王立魔法学園」
「……」
「現在、あの学園には、優れた才能を持ちながら、既存の教育体系では扱い切れない者たちがいる」
魔力量だけが異常に多い。
だが制御できない。
家伝の属性と、本人の適性が一致しない。
複数属性へ適性を持つ。
特定分野だけ突出しすぎている。
既存理論と本人の感覚が噛み合わない。
才能はある。
だが。
現在の教育体系では伸ばし方が分からない。
「現在選定されている者は十五名」
「十五……」
「彼らを一つの特別クラスへ集める」
国王の目が、俺を捉える。
「アルヴィス」
「はい」
「其方の理論が、エレノア嬢以外にも通用するというのなら」
口元に薄い笑み。
「その十五名で証明してみせよ」
「……」
「王立魔法学園に《特別選抜クラス》を新設する」
「陛下!」
宰相が立ち上がった。
「お待ちください! いくら何でも、六歳の少年へ王立学園の生徒十五名を預けるなど!」
「何か問題でも?」
即座に親父が反論。
「あります!」
「我が息子は天才だ!」
「そういう問題ではありません!」
「少なくとも」
今度はアイスバーグ公爵。
「我が娘の師としての能力について、私は全面的に保証する」
「当然ですわ!」
エレノアまで加勢。
「師匠ほど素晴らしい教師はおりません!」
「…………」
(なんで俺以外、全員勝手に話を進めてるんだよ)
俺は死んだ目になりながら。
同時に。
猛烈な速度で損得を計算し始めていた。
断る。
技術の存在はすでに王家に知られた。
このまま辺境へ戻る。
王宮からの問い合わせ。
貴族からの面会。
弟子入り希望。
宮廷魔術師の視察。
他国の諜報。
親父の自慢。
(地獄だな)
では。
引き受ける。
王国内から才能持ちを、十五人まとめて一箇所へ集めてもらえる。
教育施設。
演習場。
魔導書。
素材。
警備。
全部、王国側が用意。
しかも。
(十五人……)
エレノア一人を育てただけでも。
将来、俺の代わりに働いてくれる圧倒的な戦力が一人できた。
十五人なら?
領地に魔物。
生徒に任せる。
厄介な事件。
生徒に任せる。
戦争。
……まあ、戦争は起きない方がいいが。
起きたら生徒に任せる。
(待て)
悪くない。
(むしろ、かなり良くないか?)
王家の金で。
王家の施設を使い。
王国中から集めた最高級の素材を。
俺好みの戦力へ育てる。
しかも将来的には、そいつらが俺の仕事を代わりに処理してくれる。
(……採算が合うな)
「アルヴィスよ」
国王の声で意識を戻す。
「王家は、其方の持つその教育技術を買いたい」
命令ではなかった。
取引だ。
「必要な設備と資金は王家が用意する。相応の俸給も支払おう」
「金銭的な条件については、父上と交渉してください」
「む?」
「俺は六歳なので、家の財政交渉までやる気はありません」
「任せろ、アル!」
親父がものすごく嬉しそうに食いついた。
(こういうのは親父に投げるに限る)
「俺が欲しいのは、別の対価です」
「申してみよ」
「専用の演習場」
「用意しよう」
「必要な魔導書や教材への閲覧権限」
「機密指定されていないものなら認める」
「訓練に必要な素材と実験費用は王家持ち」
「……構わん」
「助手や事務作業を担当する職員も」
「それも認めよう」
「よし」
かなりいい。
自腹を切って弟子を育成する趣味はない。
「では、お引き受けいたします」
「そうか」
周囲の大人たちが少し安堵した。
「ただし」
「……まだあるのか?」
「当然です」
俺は国王をまっすぐ見る。
「引き受けるにあたって、いくつか条件があります」
「申してみよ」
「第一」
指を一本。
「教育内容と訓練方法について、既存の学園カリキュラムを俺へ強制しないでください」
「理由は?」
「既存の教育で伸ばせなかった生徒を俺へ預けるんでしょう?」
俺は肩をすくめる。
「同じ教育をさせるなら、俺を呼ぶ意味がありません」
「……妥当だ。認めよう」
「第二」
二本目。
「生徒の評価基準は俺に一任してください。公爵家だろうと侯爵家だろうと、俺の教室では身分による特別扱いはしません」
「よかろう」
「第三」
三本。
「訓練中、他の教師が勝手に別の理論や術式を上書きしないこと」
「ふむ」
「俺のやり方と別の教育を混ぜれば、どこで何が原因になったのか分からなくなります。最悪、生徒自身の魔力制御が混乱する」
「宮廷魔術師長?」
「……理屈は通っております」
老人が渋々頷く。
「認めよう」
「第四」
俺は少し表情を改めた。
「俺の授業で成果が出ても、安全性を検証する前に王国軍全体へ一斉導入しないでください」
「……」
国王だけでなく。
宮廷魔術師長も俺を見る。
「エレノア一人で成功したからといって、それが万人へ安全だと証明されたわけじゃない」
俺は言い切る。
「習得速度も適性も違う。身体強化なら、間違えれば骨や内臓を壊す可能性もある。魔力展開だって、制御できなければ魔力を枯渇させる」
「……」
「検証し、失敗例を集め、危険性を把握してから広げるべきです」
「……見事な見識だ」
国王が頷いた。
宮廷魔術師長も。
先ほどまでより少しだけ、俺を見る目が変わっている。
「約束しよう」
「そして最後」
「まだあるのか」
国王の声音に若干の疲労が混ざった。
「ここが一番重要です」
「聞こう」
「俺の自由時間を奪いすぎないでください」
「…………」
「授業時間外まで王宮の面倒な仕事を押し付けるのは禁止で」
「…………」
「休日も必要です」
「…………」
「重要です」
「……どうやら本当に、それが一番重要なのだな」
「極めて重要です」
会議室に。
国王の苦笑が響いた。
「よかろう」
「ありがとうございます」
「では王家からも条件を出す」
「どうぞ」
「第一。生徒を死亡させぬこと」
「当然です」
「第二。不可逆な障害を残すような訓練は禁止する」
「それも当然です」
「第三。新たな危険性や重大な副作用が判明した場合、即座に王家および学園へ報告すること」
「はい」
「第四。この実証教育から生まれた国家安全保障に関わる技術を、勝手に他国へ提供しないこと」
「妥当ですね」
問題ない。
国王の条件も、ごく常識的。
「宮廷魔術師長」
「は」
「其方には、この特別選抜クラスの安全性を監督する立場を与える」
「……承知いたしました」
老人が俺を見る。
「アルヴィス殿」
「はい」
「私はまだ、貴殿を教師として全面的に信用したわけではありませんぞ」
「構いませんよ」
「……」
「疑うのが仕事なら、ちゃんと疑ってください」
俺は笑う。
「間違ってたら指摘してくれた方が助かります」
「…………」
宮廷魔術師長は少しだけ驚いた顔をしたあと。
「……承知した」
と頷いた。
これでいい。
こちらも別に。
王家の専門家全員を敵に回したいわけではない。
こうして。
双方の条件が出揃った。
王家は。
実証用の生徒。
設備。
金。
権限。
安全管理。
俺は。
教育技術。
訓練法。
そして成果。
互いに必要なものを交換する。
立派な取引だ。
「アルヴィス・フォン・ヴァルドスタ」
国王ゼノンが、改めて俺の名を呼んだ。
「はい」
「其方を、王立魔法学園《特別選抜クラス》の特別講師に任ずる」
「拝命いたします」
会議室の大人たちの間から、抑えきれないざわめきが広がった。
当然だろう。
何せ。
教師として任命された本人が、誰よりも小さい。
「師匠!」
その中で。
エレノアだけが満面の笑みを浮かべ、俺の手を握ってきた。
「これで、王都でも毎日師匠の授業が受けられますのね!」
「……お前も当然のようにいるの?」
「もちろんですわ!」
「まあ……そうだろうな」
先行受講者。
そして。
俺の教育法が実際に機能した最初の実証例。
エレノアが特別選抜クラスにいること自体は、むしろ都合がいい。
◆
謁見と会議を終え。
王城の長い廊下を歩く。
「アル!」
親父が俺の肩をバンバン叩いてくる。
「王立魔法学園の教師だぞ! 六歳で! 我がヴァルドスタ家始まって以来の快挙だ!」
「痛いです、父上」
「ハッハッハ!」
「アルヴィス殿」
アイスバーグ公爵も機嫌がいい。
「娘を、これからもよろしく頼む」
「まあ……弟子ですからね」
「師匠!」
エレノアも横から顔を出す。
「授業はいつからですの?」
「まだ任命されたばっかりだぞ」
「楽しみですわ!」
「俺はちょっと休みたい」
「駄目ですわ!」
(俺はまだ六歳なんだけどな……)
どうしてこんなに働いているんだろう。
だが。
廊下を歩きながら。
俺の脳内は、すでに別の思考へ侵食され始めていた。
十五人。
王国中から集められた才能。
しかも。
従来教育では扱いきれなかった連中。
(……つまり)
魔力量。
属性。
制御。
認識。
身体能力。
得意分野。
欠点。
(素材としては、最高ってことだよな)
エレノア一人で。
これだけ面白かった。
十五人なら?
一人一人。
何が違う。
どこが詰まっている。
何を壊せば伸びる。
どんな訓練をさせる。
どんな能力と組み合わせる。
考え始める。
止まらない。
(……十五人全員を育てたら)
十五人の怪物。
十五人の、一人で仕事を片付けられる人材。
(将来、俺が働かなくて済むじゃないか)
悪くない。
自然と。
口元が吊り上がる。
「師匠」
「ん?」
「また、ひどく悪いお顔をなさっていますわ」
「気のせいだ」
「絶対に何か企んでおりますわ」
「失礼な」
俺は本来。
二度目の人生では、絶対に働きたくなかった。
前世で戦い続け。
教え続け。
最後には《厄災の王》と相打ちになった。
だから今世くらい。
怠けるつもりだった。
それなのに。
『王国中から集められた、扱いきれない十五人の天才』
そんな話を聞いた瞬間。
俺の頭の中ではもう。
何を測る。
誰から見る。
どの常識を最初に壊す。
どんな順序で育てる。
そんなカリキュラムが、猛烈な速度で組み上がり始めている。
(……我ながら)
ため息が漏れる。
(前世からの『教師』って仕事が、骨の髄まで染みついてるな)
まあ。
いい。
(どうせやるなら――)
俺は笑った。
(十五人全員、徹底的に最強へ育て上げてやるか)
こうして俺は。
王立魔法学園史上最年少。
六歳の《特別講師》となった。
そして、この時の俺はまだ知らない。
王国中から集められたという十五人の「天才」たちが。
揃いも揃って。
エレノア以上に、死ぬほど面倒くさい連中だということを。
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