――Meta-Gamer's Singularity(メタゲーマーズ・シンギュラリティ) 作:りー037
「っっっっっっっっっ寒っっっ!? いや痛っ! 雪が物理!!」
ごうごうと吹き荒れる猛吹雪の中、俺――無月洞夜は、ガチガチと激しく鳴る奥歯のセッションを止められないまま、誰もいない白い闇に向かって叫んだ。
「完全に散弾銃のヒットエフェクト出てるってこれ! 運営! 初期装備に寒冷地耐性バフつけるの忘れてるぞ!!」
支給された分厚い防寒着のフードを頭からすっぽりと被り、首元を死に物狂いで掻き合わせる。だが、無駄だ。息を吸い込むたびに肺の奥底から氷結魔法を直撃でくらったような鋭い痛みが走り、まつ毛は完全に凍りついて瞬きをするたびにポリゴンがバグったような嫌な感触がする。
大げさでもなんでもなく、HPゲージがスリップダメージで秒単位でゴリゴリ削られていく音が、脳内でけたたましく鳴り響いていた。
「いやマジでどんなエクストリーム拉致だよ……! 駅前で『献血お願いしまーす』って言われて、『おっ、これで善行(リアルラック)バフかけて限定SSR引くぜ』って腕出しただけなのに……!」
ズボッ、ズボッ、と腰まで埋まる雪をラッセルしながら、文句と泣き言をひたすら口から垂れ流す。そうでもしていないと、恐怖と寒さで本当に意識がブラックアウトしそうだったからだ。
謎の黒スーツの連中に「おめでとう! 君、適性があるよ!」とスカウト(という名の強制連行)をキメられ、同意書のスキップ連打を強要されたかと思えば、黒塗りのヘリでこの雪山に強制ファストトラベル。血を抜かれたあげく、今度は残機まで没収されるとか、前世でどんなチートツールを使って垢BANされたらこんな目に遭うのか。
心臓がバクバク言っている。拉致られて雪山とか、普通に怖い。生きた心地がしない。
「うわぁ……何あのラスダン手前の巨大要塞……。絶対地下に超弩級汎用人型決戦兵器とか、T-ウイルスとか隠してる系のやつじゃん……」
這うような足取りで巨大な入り口に近づくと、分厚い二重構造の金属ハッチが、プシューーッという圧縮空気を吐き出しながら重々しく開いた。
中から漏れ出てくるのは、まぶしいくらいのオレンジ色の光。
「あ……セーブポイントの光……!」
俺は残りHP1の状態で拠点に滑り込むような気分で、その温かな光の中へと転がり込んだ。
*
静寂。そして、圧倒的な人工空間。
空気の匂いすら違う。オゾンと、強い消毒用アルコール、それから大型のサーバー群が24時間熱を帯びているような、独特の機械油の匂い。
「うおぉぉ……テクスチャの解像度たっか……。これ絶対サイバーパンクの世界観にフルダイブしたやつだ。ここでマザーAIが『人類ハ不要デス』って反乱起こしても俺驚かないぞ……」
かじかんだ手に息を吹きかけながら重装備をパージし、目に飛び込んできたピッカピカの近未来SF空間に感嘆の声を漏らす。
「あ、すんません。こっちのルートで合ってます? マップに現在地表示されてないんで迷子になりそうなんですけど」
俺が穏やかに尋ねると、スタッフは戸惑ったように「は、はい……」とだけ答えた。
絶対に変な奴だと思われている。自覚はある。
「……ん? あれ?」
どこまでも続く蛍光灯の光を見上げていた時のことだ。
突如、視界の端がグラリと歪んだ。画面のポリゴンが欠け始めたような、嫌なノイズ。
「うおっ……? なんだ、これ。フレームレートが……急に、落ちて……?」
強烈な吐き気。さっき受けさせられたシュミレーションによる模擬戦闘とかいう、謎戦闘の後遺症と、標高6000メートルの高山病のダブルパンチだ。
完全に通信環境が悪化してラグっている。足元から重力がすっぽりと抜け落ち、頭全体を巨大な万力で締め付けられるような激しい眩暈。
「あ、これアカンやつ。目の前が……暗転して……強制イベントのフラグ……」
膝からガクリと力が抜け、床へと崩れ落ちる。
「パトラッシュ……俺、もうログインボーナスも……」
自分の体が金属の床に叩きつけられる情けない鈍音を最後に、俺の意識は完全にシャットダウンした。
*
――フォウ?
……ん? なんだ、頬のあたりが妙に温かいぞ。
――フォウ、フォウ。
ザラッとした湿った感触。ペロペロと、規則的なリズムで頬から鼻先にかけてを舐め回されている。
なんだ……? 実家の犬……? いや、実家に犬いないし。まさか……起きたら顔面にフェイスハガー張り付いてる系のホラー展開!? もしそうなら今すぐ電源落としてリセットするぞ!
バチッと目が覚めた。SF映画のトラウマが俺の脳幹を直撃し、力ずくでシステムを再起動させたのだ。
ガバッと起き上がろうとして、俺はピタリと動きを止めた。
「……えっと、新種のポケモン?」
目の前にいたのは、真っ白な毛玉だった。リスのようでもあり、犬のようでもあり、ウサギのようでもある。とにかく圧倒的な『マスコットキャラクター』としての黄金比を誇る謎の生き物が、俺の胸の上にチョコンと乗っていた。
「それとも『僕と契約して魔法少女になってよ!』って迫ってくる系の淫獣? 悪いけど俺は二十手前のしがない一般人だから、魔法少女(物理)にしかならないぞ」
「フォウ! きゅう、ふぉう!」
あ、喋らないタイプね。よかった。普通のモフモフだ。
ホッと息を吐いたその時、上空から、凛とした涼やかな声が降ってきた。
「――フォウさん。ダメですよ、倒れている人を困らせちゃ」
ふっと、視界を遮るように人影が落ちる。
首だけ動かして見上げると、そこに一人の少女が立っていた。
「(……えっっっぐ!! なんだこの美少女!?)」
薄いピンク色のショートヘア。右目をさらりと隠すアシンメトリーな前髪。黒を基調にしたタイトな制服。そして眼鏡。
大人しそうな雰囲気を醸し出しつつも、芯の強さを感じさせる紫色の瞳。俺のオタクとしての勘が激しくアラートを鳴らしている。これは絶対にストーリーの核心に絡んでくる、クーデレと眼鏡っ娘の奇跡のハイブリッドだ。
「あ……あの、大丈夫ですか? 気分でも悪いのでしょうか……?」
少女が心配そうに身を乗り出して覗き込んでくる。ふわりと、消毒液の匂いに混じって、清潔な石鹸のような甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「あ、はい! 異常なしです! ちょっと床のポリゴンに埋まってスタックしてただけッス!」
俺はバネ仕掛けのおもちゃみたいにガバッと跳ね起きた。やばい、焦りすぎて変なテンションの言葉が出た。
「ええと、あー……はじめまして。無月洞夜といいます。しがない一般人、初期装備の村人Aです。もしかして、俺のチュートリアル妖精さんですか?」
「……妖精、ではありませんが。申し遅れました。私はマシュ・キリエライト。カルデアのスタッフです。ムゲツ……トウヤ。洞夜、先輩、ですね」
マシュ、と名乗った少女は、ペコリと、それはもう丁寧にお辞儀をした。
「ッ!? いま『先輩』って言った!?」
エンカウントして3秒で『先輩』呼び!? なんだこの破壊力! 後輩系ヒロインの最強兵器(リーサルウェポン)じゃん……!
「あ、うん、先輩ね! 呼びやすいように呼んでくれて全然構わないよ! マシュちゃん……いい名前だ。マシュマロみたいで。あ、変な意味じゃないよ!? 響きが可愛いなっていう、ただの純粋な感想だから!」
「……マシュマロ、ですか。ふふ、ありがとうございます。洞夜先輩」
マシュがほんの少しだけ表情を緩めて、小さく微笑んだ。
……あ、ダメだこれ。その笑顔一つで、さっきまでゴリゴリ削られてたHPが全回復した。俺、この子のために世界救えるかもしれない。
「で、この俺の胸の上で『フォウフォウ』言ってる可愛いモフモフは?」
「フォウさんです。カルデア内で自由に暮らしている、特権階級みたいな同居人ですね。……なんだか、洞夜先輩のことが気に入ったみたいです」
「へぇー、フォウくんか。よろしくな、エンカウントあざす」
そっと手を差し出すと、フォウは器用に指先に鼻を擦り付け、ペロッと舐めてきた。うわ、可愛い。
和気あいあいとした、完璧な『ボーイ・ミーツ・ガール』の空気。
――しかし、その平和な時間は、背後から響く胡散臭い足音によって呆気なく破られた。
*
「――おや。こんなところで何をしているんだい?」
コツ、コツ、と硬い革靴の音が金属の床を叩く。
現れたのは、深緑色の奇妙なシルクハットを深々とかぶり、長いコートを羽織った背の高い男だった。目は糸のように細められ、口元には絶えず柔和な……いや、得体の知れない笑みが張り付いている。
「(うわ出た。この常にニコニコ笑ってる糸目キャラ! 絶対中盤で『実は僕が黒幕でしてね』って味方を後ろから刺すタイプだ!)」
俺のゲーマーとしての危機察知能力が超高音で鳴り響いている。ここは波風を立てないのがモブの生存戦略だ。
「あ、どうも。ちなみに僕は行き倒れてたわけじゃなくて、ちょっと床の重力異常のバグを調査していただけです」
俺は穏やかに、無害な一般人をアピールしながら営業スマイルを顔に貼り付けた。
「ははは、面白い冗談だ。私はレフ・ライノール。このカルデアの近未来観測レンズ『シバ』の観測および、技術部門の統括を任されている者だよ」
「レフさん、ですね。よろしくお願いします。無月洞夜です。ステータスはオール1です」
「謙遜を。君は選ばれた『48人目のマスター候補』だよ。……まあ、君の魔術回路は一般的にみれば『皆無』に等しく、レイシフト適性も最低ラインのギリギリではあったがね」
レフは細い目をさらに細めて、路傍の石っころを見るような視線で俺を値踏みした。
「ははは、知ってますよ! ガチャで言えば10連の最後に出てくる★1の最低保証枠ッスよね! 期待値ゼロなんでお気になさらず!」
「ふむ……まあ、枠が埋まることは素晴らしいことだ。だが洞夜くん、君は先ほど意識を失っていたようだからね。オリエンテーションの前に、医務室で診断を受けておくといい。」
レフは優雅に一礼すると、クルリと背を向けて廊下の奥へと歩去っていった。
その背中が見えなくなるまで見送ってから、俺は誰にも聞こえないように、小さく息を吐き出した。
「絶対あいつ何か裏がある……。フラグ管理、慎重にいかないとマジで即死イベント踏み抜くぞこれ……」
*
「ここが医務室です、先輩」
自動ドアがスライドして開き、俺はマシュの後に続いて部屋に入った。
そこは、これまでの冷たくて無機質な廊下とは違い、どこか雑多で人間くさい匂いのする空間だった。白いベッドがいくつか並び、棚には薬品や書類が山積みになっている。
そして――部屋の奥のデスク。
白衣を着たオレンジ色の髪の男が、完全に背骨を抜かれたような格好で、机に突っ伏していた。
「……あーダメだー……マギ☆マリの限定ライブ配信、仕事で見られなかったよぉ……生きる気力が沸かない……もう休職したい……お布団と結婚したい……」
手元のタブレット端末をスワイプしながら、男は悲痛な叫びを漏らしている。
「(……親近感ッ!!! 完全に日曜日の夜の俺じゃん!)」
このガチガチの超科学施設で、なんて人間味に溢れたダメ大人なんだ。一瞬にして爆発的なシンパシーが湧き上がる。
「ドクター。サボりですか。所長に報告しますよ」
「ひゃいっ!? ま、マシュ!? いや違うんだ! これは高度な精神的ケアであって――って、あれ? そっちの君は……?」
ビクッと跳ね起きた白衣の男は、俺の姿を見て目を丸くした。
「あ、はじめまして。新人の無月です。3D酔いと高山病でデバフかかりまくってHP尽きかけたんで、宿屋代わりに使わせてもらいに来ました」
「あはは! 宿屋か、面白い表現をするね!」
男は照れくさそうに頭を掻きながら、へにゃりと情けない、でもすごく優しそうな笑みを浮かべた。
「僕はロマニ・アーキマン。カルデアの医療部門のトップをやっているよ。みんなからは『Dr.ロマン』って呼ばれてる。よろしくね、洞夜くん」
Dr.ロマン。その笑顔を見た瞬間、俺のオタクセンサーは「安全信号」を青々と点灯させた。
間違いない。この人は『普段はダメダメだけど、いざという時は命がけでサポートしてくれる頼れるアニキ枠』だ。
「よろしくお願いします、ロマン先生。早速なんですけど……このベッド、セーブポイント代わりに借りて横になってもいいですか? マジで頭ガンガンしてて……」
「もちろん! 好きなベッドを使っていいよ。顔色もあんまり良くないしね、少し休んでいくといい」
ロマンの優しい言葉に甘えて、俺は一番近くにあったベッドにどさりと倒れ込んだ。
シーツの清潔な感触と、マットレスの程よい反発力が、疲労困憊の肉体にじんわりと染み渡っていく。
「ふはぁぁ……生き返る……。やっぱり人間、布団に入るのが最強のバフだよな……」
「ふふ、先輩、本当に重病人みたいです」
ベッドの脇に立ったマシュが、クスクスと小さく笑う。フォウもベッドの足元に飛び乗ってきて、丸くなってゴロゴロと喉を鳴らした。
「いやいやマシュちゃん、一般人が急に標高6000メートルにトラベルさせられてVR体験させられたら誰だってこうなるって! 俺、普段は部屋でゲームしてるかネットサーフィンしてるだけのモヤシっ子なんだから!」
「そうですね。洞夜先輩は、とても……普通の人です。ここには珍しいくらい」
マシュの紫色の瞳が、俺の顔をじっと見つめてくる。
「普通、か。まあね。俺は特別な魔法使いでもないし、世界を救う勇者でもないからね。ただの一般人だよ」
天井の白いライトを見上げながら、俺は大きく息を吐き出した。
狂ったような雪山。怪しげな施設。黒幕っぽさ全開の教授。可愛い後輩。そしてダメ人間のドクター。
拉致されたことへの恐怖や焦りはある。だが、俺の根底にある「明るさ」が、この非日常をどこかで受け入れようとしている自分もいた。
「……ま、なるようになるか。とりあえず体力回復に努めますかね」
目を閉じると、ゆっくりと意識が心地よい微睡みの中へと溶けていく。
――俺がこの後、人類の存亡を賭けた絶望的な戦いに巻き込まれることなど。この時の俺はまだ、知る由もなかった。