「嘘はとびきりの愛だ。だってアイドルは、嘘という魔法でファンを幸せにする職業なんだから」
星野アイは、よくそんな風に笑っていた。
だけど、彼女は知らなかったのだ。
自分のすぐ隣に、嘘(アイドル)ではなく、本物の魔法(ファンタジー)を「手品」と言い張って暮らしている、とんでもなく食えない女の子が混ざっているなんて。
*
「B小町」が結成されて間もない頃の、とある日の楽屋。
まだ中学生だった星野アイは、鏡の前で一人、自分の顔をじっと見つめていた。
(今日も上手く笑えた。ファンのみんなは喜んでくれた。でも……)
胸の奥にあるのは、冷え切った空虚。誰のことも愛せない、愛し方も分からない。自分の笑顔は全部、本物を知らないからこそ作れる「完璧な嘘」だ。
重い引き出しを閉めるような拒絶のオーラを纏うアイに、足音もなく近づく影があった。
「おや、星野アイさん。そんなに怖い顔をしていては、せっかくの可愛いお顔が台無しですよ?」
ひらひらと、目の前に一枚のトランプカードが舞い降りる。
驚いてアイが顔を上げると、そこには同期メンバーの幻崎硝子(げんざき しょうこ)が立っていた。
いつも薄笑いを浮かべ、レッスン中もどこかやる気のなさそうな、だけど不思議と人の目を引く、底の知れない女の子。
「硝子。何、手品?」
「ええ、ただの暇つぶしです。……ところでアイさん、あなたの瞳、とっても綺麗な星が輝いていますね。ちょっと、それをお借りしても?」
「え?」
硝子が長い指先をアイの目の前でパチン、と鳴らす。
その瞬間。
アイは、自分の視界から「何か」がふっと消え去ったような、奇妙な感覚に囚われた。 あわてて鏡を見ると、いつも爛々と輝いていたはずの自分の瞳から、あの独特の「星の輝き」が完全に消え失せ、ただの濁った、暗い瞳が映し出されている。
「な、に、これ……! 私の目が……っ」
「はい、種も仕掛けもございません。ここに」
硝子はニヤリと不敵に笑い、自分の右手を差し出す。
彼女の細い指の隙間には、淡く、美しくきらめく「本物の光の星」が、まるで生き物のようにパチパチと音を立てて挟まれていた。
「……っ、手品じゃない。これ、何、硝子、何したの!?」
「ただのマジックですよ。タネ明かしはレディの嗜みに反します」 硝子はアイの驚愕を大いに楽しむように肩をすくめると、その光る星を自分の口元へ運び、パクッ、と、まるで金平糖でも食べるかのように飲み込んでみせた。
「うん、とっても甘くて、そして……ひどく冷たい『嘘』の味がしますね」
硝子はトコトコとアイに歩み寄り、その額に、今度はそっと自分の額をコツンとぶつけた。
刹那、アイの瞳に、再びあの眩いばかりの「星」が灯る。
「私の前では、その窮屈な『完璧なアイドル』の仮面、外してもいいんですよ?」
硝子はアイの耳元で、悪戯っぽく、だけど誰よりも優しい声で囁いた。
「あなたの『嘘の輝き』、私は大好きです。世界中を騙し通せる、最高のエンターテイメントだ。だから――そのタネが観客にバレてしまわないよう、私が一生、私の『手品(トリック)』で守ってあげます」
アイの心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
生まれて初めて、自分の「嘘」を、そのドス黒い内側ごと肯定された瞬間だった。 この瞬間、星野アイの孤独な世界に、絶対に崩れない唯一無二の「避難所(シェルター)」が完成した。
「……硝子って、本当に食えないペテン師だね」
アイは、生まれて初めて、嘘偽りのない「素の苦笑い」を彼女に向けた。
「お褒めに預かり光栄です、マイ・スター」
これが、世界を騙す天才アイドルと、世界を煙に巻く天才手品師の、すべての始まり。
*
それから数年後。
苺プロダクションの秘密のマンションには、頭を抱えて激しく苦悩する一人の赤ん坊がいた。
(おかしい。医学的に、いや、現代科学的にどう考えても説明がつかない……!)
赤ん坊の名は、星野愛久愛海(アクア)。
前世は雨宮吾郎という名の医者であり、なぜか推しの子の子供に転生してしまった、超現実主義の塊のような男。
そんなアクアが、今、ベビーカーの中で冷や汗を流している。
目の前では、アイの相棒である幻崎硝子が、生後数ヶ月の妹・ルビーをあやしていた。
「ほーら、ルビーちゃん。お空に綺麗なウサギさんですよ」
硝子が指をくるりと回すと、部屋の空間から「淡い光でできた本物のウサギ(光の精霊)」がぴょんぴょんと飛び出し、ルビーの周りを跳ね回る。
「あうー! ぱちゅ、ぱちゅ!」と前世(さりな)の記憶など吹き飛んだように大喜びするルビー。
(幻覚か!? いや, ルビーの網膜が確実にあの光を捉えている。部屋の照度も物理的に変化している。プロジェクションマッピングの形跡はない。……おい、待て。今度は何をする気だ)
アクアが恐怖に満ちた目で硝子を睨みつけていると、硝子はフッと視線をアクアに向けた。
その目が、ニヤリと細められる。
「おや、アクアくん。そんなに難しい顔をして、まるで中身が大人みたいですね?」
ギクゥッ!!!
アクアの心臓が止まりかける。
「ダメですよ、大人の考えごとは体に良くありません。はい、おしまい」
硝子がアクアの目の前で手をさっと翻す。
すると、彼女の手の中から、いつの間にか温められた「本物のミルク入りの哺乳瓶」が鮮やかに飛び出してきた。それを、アクアの口にスポッと突っ込む。
「はい、赤ちゃんは大人しくミルクの時間です。種も仕掛けもございません、ね?」
(あるわ!!! 仕掛けしかないだろ!!! そもそもその哺乳瓶どこから出した!!!)
アクアは乳首を咥えさせられたまま、脳内で猛烈にツッコミを入れた。
この女、確実に俺たちの正体に気づいている。それどころか、この世界のパワーバランスを一人でぶち壊しているガチの不審者(魔女)だ。
(……だが、アイを見るあの目は本物だ。この女が味方である限り、アイの安全は担保される。クソ、癪だが今は泳がされるしかない……!)
ゴクゴクとミルクを飲みながら、アクアは「この怪物をどうコントロールするか」という、前世の医学知識が1ミリも役に立たない人生最大の推理戦(知恵比べ)を始めることを決意するのだった。
そして、運命のドーム公演当日――
アイの自宅のチャイムが鳴り、ナイフを持ったストーカーがドアの前に現れた時。
手品師の少女は、タキシードの裾を翻して、最悪の悲劇を「最高のイリュージョン」へとひっくり返すために、不敵な笑みを浮かべて玄関のドアを開けるのである。
「さて、観客の皆様。種も仕掛けも、愛もある……最高のショーの始まりです」