黒いモスラの魔法少女   作:よよよーよ・だーだだ

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14、ホロウ・アースから来た恐竜

 宿題の会から数日後、朝食の味噌汁を飲み終えた直後にバトラが言い出した。

 

「今日は、地下へ行くぞ」

「……海、山、ときて、次は地下か」

 

 わたしは味噌汁の椀を置いた。夏休みの行き先としては、順調に真っ当な人間から遠ざかっている。

 

「言っておくが、遊びではない」

「でしょうね。どこの地下よ?」

「深いところだ」

「説明が雑だな」

「場所は分かる。ついてこい」

 

 バトラは席を立ち、食器を流し台へ運んだ。珍しく自分から片づけたと思ったら、もう出ていく気らしい。

 

「カンナは?」

「呼んだ」

「いつ?」

「さっきだ」

 

 バトラがそう答えた途端わたしのスマホが震え、連打するようにメッセージが入ってきた。

 

【カンナ】地下ってなに!?

【カンナ】どこの!?

【カンナ】怪獣!?

【カンナ】いま行く!!

 

「呼んだっていうか、『地下』って単語だけ投げたでしょ」

「来るなら同じだ」

 

 十分後、カンナは撮影バッグを背負って駆け込んできた。

 

「地下! 怪獣! 都市伝説の香り!」

「朝から元気だね。宿題は?」

「夜やる」

 

 ……多分やらないだろうな。そんなことを思うわたしを尻目に、バトラはそそくさと動き出した。

 

「さっさとしろ。行くぞ」

「はいはい」

 

 わたしはスニーカーを履いた。両親は仕事でもう出かけていて、テーブルの上には昨日の宿題会で残ったお菓子が一つ置かれていた。

 その横に、カンナが持ち込んで忘れていった魚肉ソーセージが二本ある。

 

「これ、カンナのでしょ」

 

 カンナに渡すと、カンナは一本を自分のポケットへ、もう一本をわたしに返した。

 

「一本あげる」

「いらない」

「お腹空くかもよ」

「地下で魚肉ソーセージ食べなきゃいけない状況になりたくないんだけど」

「まあいいじゃん、役に立つかもしれないし」

 

 どんな状況だよとも思ったが、返すのも面倒だったのでそのままパーカーのポケットへ突っ込んだ。

 

 

 バトラに連れてこられたのは、湾岸地区の外れにある巨大な地下施設だった。

 地上から見えるのは、広い資材置き場と、管理棟、それから何台もの工事車両だけだった。周囲には背の高い防音壁が巡らされている。

 入口の看板には、『新東湾広域地下調節施設』という正式名称が書かれていた。

 

「ここ、知ってる」

 

 わたしが言うと、カンナが振り向いた。

 

「来たことあるの?」

「社会の授業でやったでしょ」

 

 このあいだ、社会科の授業で街の湾岸の防災について習った。

 町の湾岸部は低い土地が多く、強い雨が降ると川や下水だけでは水を処理しきれない。そこで、雨水を一時的に地下へ流し込み、洪水を防ぐための巨大な貯留施設が造られている。

 教科書には、人間が豆粒のように見える地下空間の写真が載っていた。何本もの太い柱が並び、天井の高い空間が奥まで続いている。説明文には「地下神殿とも呼ばれる」とあった気がする。

 この施設は、それをさらに大規模にしたものだ。怪獣黙示録後、避難路と防災拠点の機能も追加され、地下には車両が通れる搬入路や、緊急時の貯水区画まで造られたのだという。

 カンナが感心したように言った。

 

「社会の授業、ちゃんと聞いてたんだね」

「普通は聞くでしょうよ」

「あたしは教科書の写真だけ見て、Gフォースの秘密基地っぽいなって思ってた」

「意味を覚えてないじゃん」

 

 入口には、職員が三人立っていた。

 うち一人は受付担当らしい。残る二人は作業服の上から防護ベストを着け腰に通信機と携行灯を下げている。

 入り口の柵を乗り越えようとしたら当然呼び止められた。

 

「身分証を」

 

 わたしはそんなもの持っていないのだが、バトラはポケットからプラスチックのカードを出して見せた。

 受付の職員はカードとバトラの顔を見比べ、それからわたしたちを見る。カードは何らかの権限や許可を示すもののようだが、全員が明らかに中学生の子供なので気にしているらしい。

 

「……同行者は二名?」

「ああ」

 

 最終的には受付がどこかへ連絡を取り、わたしたちの通行が許可された。

 ヘルメットを受け取りながら、わたしは訊いた。

 

「何そのカード」

「ヤマナシから貰った。こういうときに使うものだそうだ」

 

 ヤマナシさん、ますます疑惑が深まるな。ホント何者なんだあの人。

 

「ほんとに大丈夫なの、それ?」

「駄目なら止められている」

「いま止められてたけど」

 

 カンナは黄色いヘルメットを被り、あご紐を締めた。

 

「こういうの、現場感あっていいね」

 

 そして相変わらずカメラをパシャパシャやっているので、わたしは釘を刺した。

 

「配信しないでよ」

「分かってる。記録だけ」

「それも許可いるんじゃない?」

「資料だよ、資料」

「誰が決めたの」

「あたし」

「駄目じゃん」

 

 地下へ降りるエレベーターは、工事用の大型だった。

 始動しても階数表示はなく、代わりに深度だけが数字で増えていく。

 地下十二メートル。二十五。四十三。気圧の変化で耳が詰まり、唾を飲み込んで耳抜きをする。

 

「まだ下がるんですか?」

 

 わたしの問いに職員が答えた。

 

「主要貯留槽は地下五十メートル前後です。地上の建物や地下鉄、上下水道を避けて造られているので、この深さになります」

 

 地下六十一メートルで、エレベーターが止まった。

 扉の向こうは、白い照明に照らされた管理通路だった。床には太い送水管が通り、壁には区画番号と避難方向が表示されている。湿った空気の中に、鉄とコンクリートの匂いがした。

 バトラは壁へ手を触れた。振動を探っているようだった。

 

「……近いな」

「何が?」

「生き物だ」

 

 扉の向こうはコンクリートの通路だった。

 作業灯が一定間隔で吊られ、床には太い送水管が走っている。壁の一部は掘削途中で、岩盤がむき出しになっていた。

 空気は湿っていて、鉄と泥の匂いがした。

 

「ここから先は旧工区です」

 

 旧工区? わたしたちが聞き返すと案内の職員は説明してくれた。

 

「建設途中で計画が変更された区画です。貯留槽の躯体までは完成していますが、ポンプや排水設備は設置されず、使用されませんでした」

「造ったけど、使ってないってこと?」

「そうです。現行施設とは防水扉で隔離されています」

「そんな大きいもの、途中でやめることあるんだ」

「地盤沈下の予測値が基準を超えたことと、深部で想定外の水脈が見つかったためです。その後、別の区画が新設されました」

 

 社会科の授業で扱っていたのは完成した施設だけで、途中で放棄された巨大な空間が街の地下に残っているなどという話は聞いた覚えがなかった。教科書に載るのは、うまくいったものだけなのかもしれない。

 

「躯体工事までは終わっていますが、設備は未完成です。昨日から周期的な振動が観測されています。地盤崩落の可能性があるため、奥へ入らないでください」

「奥に用がある」

 

 明らかに『子供だけで行くのは危険だ』と言われているのだが、構うことなくバトラは先に進んでゆく。

 

「行くぞ」

「待ってください!」

 

 職員が止めようとするが、バトラは振り返らない。

 

「おまえたちはここで待て。何かあれば戻る」

「そういう問題では……」

「わたしも行くから」

「あたしもー」

 

 わたしとカンナが後に続こうとすると、職員の顔がさらに困った表情になった。職員さんには申し訳ないが、バトラを一人送り出してこんな都市の地下で地底怪獣大決戦をやらかされても困る。

 

「あなたたちは待ってください」

「いや、あいつだけ行かせるほうが危ないんで」

「あなた方も十分危険です」

「知ってます」

 

 結局、職員の人が後方につき、わたしたちは旧工区とやらに入っていった。

 

 

 

 扉の向こうには、人間が造った巨大な空間が広がっていた。

 何列もの太い柱が、暗闇の奥まで続いている。天井は高く、作業灯の光が届かない。床には浅く地下水が溜まり、柱と非常灯を歪めて映していた。

 教科書で見た地下調節池とよく似ていたが、ただしこちらにはポンプも排水口もない。

 雨水でも流れ込んだのか水溜りがあったが、それ以外はひどく静かだ。設備がない、ということは機械が何も置いてない、ただのだだっ広い空間なのだろう。

 

「振動源は最奥部です」

 

 職員が端末を確認する。

 

「柱列の先、旧導水坑付近」

「旧導水坑も人工物?」

「途中までは。深部の水脈へ接続する予定でしたが、掘削中に崩落が起きて工事が中止されました」

 

 そのとき、床が揺れた。

 短く、二度。間を置いて、長く一度。水たまりに円い波紋が広がり、柱の向こうへ消えていく。

 

「振動確認。発生源まで約二百メートル」

 

 全員の携行灯が、柱の間へ向けられる。

 バトラだけが目を閉じていた。

 

「生きている」

「大きさは分かる?」

「人間よりは大きい。アポストリではない」

「敵なの?」

「敵ではない。怯えている」

 

 バトラが歩き始めた。

 

「だから前に出ないでください!」

 

 職員二人もすぐに追い、わたしとカンナもその後をついていった。

 柱列の奥へ進むにつれ、人工物の形が崩れていった。床の一部が陥没し、コンクリートの向こうから黒い岩盤が露出している。最奥の壁には、巨大な裂け目が開いていた。

 それは明らかに、工事用の掘削機が開けた穴ではなかった。コンクリートと岩盤が向こう側から押し破られ、裂け目の奥から生温かい風が吹き込んでいた。

 

「この穴は記録にありません。昨日の調査時にも、ここまでは開いていなかった」

 

 職員が図面と見比べているあいだ、カンナがバトラに訊ねた。

 

「その『怯えてる怪獣』って、ここから来たの?」

「地下のもっと深いところからだ」

 

 裂け目の前に、大きな足跡が残っていた。

 三本の指。泥のある所から歩いてきたらしい足跡は点々と続いていた。

 職員が後方へ手を出し、わたしたちを止めた。

 

「ここから先は、我々が先に確認します。バトラさんも待ってください」

「もう見えている」

「見えている、見えているってなにが……」

 

 そう聞き返そうとした途端、柱の向こうで何かが動いた。

 水を踏む音、尾が床を擦る音。照明の届かない暗がりをライトを照らし、目を凝らすとそいつは走り出した。

 

「待て!」

 

 いや、あんたこそ待て。

 バトラが駆け出したので、わたしとカンナもあとに続いた。職員が「待ちなさい!」と声を上げたが、このままバトラに置いて行かれる方がまずい。

 けれど、柱の間には崩れた床や水たまりが多く、施設の職員は足元を確認しながら進まなければならないようだった。

 一方で、バトラは迷わない。暗闇の中でも怪獣の位置が分かるらしく、最短の柱列を選んで走っていく。

 わたしとカンナはその背中を追った。

 

 

 走っているうちに、職員を振り切ってしまったらしい。

 バトラが止まったのでわたしたちも止まった。どうやら行き止まりのようだ。

 持ち込んだ懐中電灯を点けて奥の暗がりを照らすと、そこにいたのは、

 

「……恐竜?」

 

 全長は十メートルくらい、尾まで含めた全長はその倍近くあるもののゴジラやチタノザウルスほどではない。二本の脚と小さな前足、そして太くて長い尻尾。青い肌をした恐竜としか言いようのない姿だが、映画で見たCGのティラノサウルスなんかよりずっと素朴な輪郭をしていた。

 恐竜はわたしたちに気づくと、びくっと巨体を跳ねさせて空洞の隅まで後ずさり、尻尾を自分の身体に巻きつけるみたいにして丸くなった。

 十メートルの巨体が限界まで小さくなろうとしているのは可哀想だが、どこかユーモラスでもあった。

 

「ゴロザウルスだ」

 

 バトラが言った。

 

「先代の記憶にある。かつて南方の島で暮らしていた一族だ。怪獣というよりは太古の生き残りだな」

 

 恐竜の生き残り、それも本物である。魔法少女だのゴジラとの戦いだのが目白押しの昨今と比べるといささかスケールが落ちる印象は無くもないが、やっぱり驚くものは驚く。

 

「なんでそんな恐竜が、こんな街の地下に?」

 

 わたしの問いに、バトラは淡々と答えた。

 

「……たぶん、迷い込んだんだ。こいつらの一族は今、地下深くに棲んでる」

「地下深くって、どのくらい深く?」

「おまえたちが思ってるより、ずっと深くだ。地の底は、繋がってる。ずっと広く、ずっと深く」

「……ちょ、ちょっと待って!」

 

 その言い方に、隣のカンナがぴくりと反応した。

 

「それってまさか地底空洞説? ブルックス博士の!?」

 

 また聞いたことのないフレーズが出てきた。なにそれ。わたしが訊ねると、カンナは目を爛々と輝かせながら教えてくれた。

 

「ヒューストン=ブルックス博士、『地球の内部には巨大な空洞世界(ホロウ・アース)が存在し、地上で絶滅した生態系が今も維持されてる』って説を唱えた学者だよ。界隈じゃロマン枠の与太話、でなけりゃ陰謀論扱いだったんだけど……ほんとにあるの? 地下世界、ホロウ・アース、実在するの!?」

「名前は知らん。だが、地の底の世界はある」

 

 バトラはあっさり言ったのに対し、カンナは声にならない声を上げてその場にしゃがみこんだ。長年の与太話とされていた夢が事実認定された怪獣オタクの姿だった。

 バトラは、丸くなった巨体に目を戻した。

 

「こいつは、その深いところから何かの拍子に上がってきて、帰り道が分からなくなったんだろう」

「……要するに迷子?」

「迷子だ」

 

 十メートルの迷子は、隅っこで丸まったまま、こっちの様子を窺っていた。大きな目が、怯えと、ほんの少しの好奇心のあいだで揺れていた。

 敵ではない、とバトラは言った。たしかに襲ってくる気配はない。

 とはいえ、十メートルの恐竜が怖がっているからといって、こちらが怖くなくなるわけではなかった。あの太い後脚で一度跳ねればわたしたちくらい簡単に潰せるだろうし、尻尾を振っただけでもたぶん柱の一本くらいは持っていくはずだ。

 

「どうするの、これ」

「元の場所へ戻す」

 

 バトラは簡単に言うが、どうするつもりなのだろう。それを聞いてみると、

 

「知らん」

「知らんのかい」

「場所は下だ。入口を見つければいい」

「その入口が分からないから迷子なんじゃないの?」

「そうだな」

 

 問題が何ひとつ解決しない中、ゴロザウルスが低く唸った。威嚇というより喉の奥で不安を鳴らしているような声だった。

 カンナはしゃがんだままカメラを胸へ抱えている。撮りたいのか、近づきたいのか、逃げたいのか、自分でも決めかねている顔だった。

 

「これ、撮っていいのかな」

「いまさら?」

「いや、映像としては世紀の発見なんだけどさ。前みたいに何でも撮ればいいって話でもないし」

 

 何でも撮りたがるカンナにしては珍しい反応だった。あるいは山でバランと過ごしたのが何か影響を与えたのかも、という気もしたがおそらく気のせいだろう。

 他方、ゴロザウルスは丸まった姿勢のまま、わたしたちの匂いを探るように鼻先を動かしていた。

 どうしたものか、と考えたそのとき、パーカーのポケットの中で細長いものが脚に当たった。

 

「あ」

「何だ」

「魚肉ソーセージ」

 

 バトラとカンナが、同時にわたしを見た。そういえば先ほどカンナからもらった魚肉ソーセージを持ってきたままだった。

 あきれた様子でバトラが言う。

 

「まさか、それを食わせるつもりか」

「だって肉食でしょ」

 

 カンナも言った。

 

「体長十メートルだよ。一本で何キロカロリーだと思ってるの」

「満腹にするんじゃなくて、敵じゃないってわかってもらえればそれでいい」

「怪獣との外交が雑すぎる」

「バランはチョコでいけたじゃん」

「あれは子供だったでしょ」

「こいつだって迷子なんでしょ」

「子供って歳には見えないけど」

 

 言われてみれば、目の前のゴロザウルスが何歳なのかは分からない。顔つきだけなら子供にも見えるが、恐竜の年齢を見分ける技術は持っていなかった。

 でも、ツッコミどころが多々あろうが、他にできることもない。わたしは包装の端を歯で噛み、魚肉ソーセージを取り出した。湿った地下空間へ、魚と油の匂いが広がる。

 ゴロザウルスの鼻孔が、はっきり動いた。

 

「食べ物って分かるかな」

「知らん」

「先代の記憶だとどうだった?」

「魚肉ソーセージを与えた記録はない」

「そりゃそうだよね」

 

 一歩近づくと、ゴロザウルスの身体が強張った。

 わたしはソーセージを床へ置き、三歩下がったが、ゴロザウルスは動かない。大きな目だけが、床の細長いものへ向いている。

 ……食べない。

 

「怪しんでいるんだ。毒かもしれんと思っている」

 

 しばらくして、ゴロザウルスがゆっくり頭を下げた。鼻先が床すれすれまで近づき、ひと息吐くたびに水たまりの表面が震えた。

 匂いを嗅いで、一度顔を上げてこちらを見て、もう一度ソーセージを見て、それから舌の先で掬うようにして口へ運んだ。噛んだかどうかも分からない。たぶん、そのまま飲み込んだんだろう。

 

「食べた」

「足りない顔してるけど」

 

 カンナの言うとおり、ゴロザウルスはすぐにわたしの手元を見た。

 わたしはカンナを見る。もう一本、さっきカンナに渡した分があったはずだ。

 

「非常食なんだけど」

「地下で魚肉ソーセージ食べる状況になったね」

「自分の分はもう使ったじゃん」

「怪獣の命と魚肉ソーセージ、どっちが大事?」

「比較が卑怯!」

 

 文句を言いながら、カンナはポケットから二本目を出した。

 わたしが受け取ろうとすると、カンナは一瞬迷ってから自分でソーセージの包装を剥き、床へ置いてすぐに下がる。

 ゴロザウルスは今度はあまり迷わなかった。首を伸ばし、二本目も食べる。

 そして顔を上げると、さっきより少しだけ身体の力を抜いた。巻きつけていた尻尾が緩む。

 

「……懐いた?」

「餌をくれる生き物だと認識しただけだ」

「それを懐いたって言うんじゃない?」

「違う」

「細かいなあ」

 

 わたしが手のひらを見せると、ゴロザウルスは低く鼻を鳴らして近づいてきた。

 頭が低く下がり、巨大な鼻先がわたしの前まで来た。

 

「ツグミ」

 

 カンナが息を呑む。

 逃げるべきかもしれないが、ここで急に動けばもっと怖がらせてしまうだろう。

 わたしはその場に立ったまま、手を伸ばした。指先が、鼻先の皮膚へ触れる。

 

 ゴロザウルスの肌は、ざらざらしていた。岩みたいに硬いのに、その下には確かに熱がある。

 ゴロザウルスは嫌がらなかった。むしろ目を細めて、ほんの少しだけ頭をこちらへ押しつけてきた。

 

「重っ」

 

 踏ん張る。十メートルの恐竜に甘えられることを想定した筋力は、人間には備わっていない。

 バトラがゴロザウルスの顎へ手を添え、押し返した。

 

「加減しろ」

 

 ゴロザウルスは素直に頭を上げた。

 

「バトラのほうが懐かれてない?」

「わたしが強いと分かっているだけだ」

「動物ってそういうの分かるんだ」

「怪獣だからな」

 

 ゴロザウルスは、もう怯えて丸くなってはいなかった。

 まだ背後を気にしているし、呼吸も浅いが、それでも少なくともわたしたちから逃げようとはしていない。

 

 ……とんとん。

 

 ゴロザウルスが床を踏んだ。短く、二度。間を置いて、長く一度。さっきから地下施設を揺らしていた振動が、足元から身体を抜けてゆく。

 カンナが呟く。

 

「……振動の原因って、こいつだったんだ」

 

 ゴロザウルスは動きを止め、暗い通路の向こうへ首を伸ばした。

 何かを待っているかのようにも見えたが、返ってくる音はなかった。

 

 

 サカキたちGフォースが見守る中、浜辺の物体が動き始めたのは午前十時十四分だった。

 

 最初に異常を示したのは、表面電位を測定していた観測装置だった。

 数値が一秒にも満たない時間で基準値の三十倍へ跳ね上がり、その直後、物体の周囲に設置されていたセンサーが一斉に沈黙した。

 

「全員退避!」

 

 サカキは報告を待たずに命じた。

 Gフォース隊員たちが砂浜を駆ける。原子熱線砲の操作員が遮蔽壁へ退避し、装甲車両が緊急発進する。海岸を封鎖していた警察部隊にも、後退命令が伝えられた。

 黒い物体の表面に亀裂が走り、節のような境目が内側から押し広げられていく。

 乾いた破砕音が連続した。隙間から噴き出した赤い蒸気が、砂浜を覆う。

 

「熱源上昇! 五十、八十、百二十……計測限界を超えます!」

「第一射用意!」

 

 サカキは双眼鏡を覗いた。

 外殻の一部が剥がれ落ちる。砂へ突き刺さった破片だけで、装甲車ほどの大きさがあった。

 

 その内側から、爪が出た。青い皮膚に覆われた前肢が砂を掴み、自らの身体を殻の外へ引きずり出す。

 続いて、細長い頭部。濡れた顎。まだ十分に硬化していない背びれ。小さく埋まった黄色い眼。

 怪獣は、最初は四肢を地面へついていた。蛹から羽化したばかりの成虫が、自重を支えきれていないように見えた。

 

「攻撃開始!」

 

 サカキの命令と同時に、原子熱線砲の光線が走った。

 白い閃光が怪獣の肩と胸へ集中する。

 爆発、そして砂と蒸気が吹き上がり、青い身体が煙の中へ消えた。

 

「命中!」

「第二射、照準固定!」

 

 返答より先に、煙の中から前肢が現れた。

 爪が砂浜へ食い込む。

 怪獣は一歩、前へ出た。

 皮膚には焼け跡が残っているが、動きは止まっていない。

 

「戦車砲、頭部へ集中!」

 

 砲声が連続した。砲弾が顎と首へ命中して、怪獣の体から肉片が弾け飛ぶ。

 身体を吹き飛ばされているのに怪獣は叫ばなかった。痛みを無視するように、前肢を地面へ突き立てる。

 背骨が持ち上がり、後脚が伸びる。肉と骨が軋みながら、その姿勢は四足から二足へ変わっていった。

 未完成だった背びれが、赤い脈動とともに硬化する。

 

「攻撃を受けながら、陸棲類(terrestris)へ適応している……」

 

 身長三十メートル、巨大怪獣が雄叫びを上げた。

 低く、濁っていたが、よく響き渡る声だ。海面が震え、車両の窓が次々と割れる。

 

「全隊、後退しながら射撃を継続! 市街地方向へ行かせるな!」

 

 装甲車が横一列へ並び、怪獣の進路を塞ぐ。左右からの砲撃で、海側へ誘導する構えである。

 怪獣は一度だけ、並んだ車両へ顔を向けた。黄色い眼が、わずかに動く。

 だが、その視線は兵器を捉えていなかった。もっと先、防潮壁の向こうへと向けられている。

 怪獣が歩き出し、一歩ごとに砂浜が沈む。

 

「進路を塞げ!」

 

 Gフォースの装甲車両が前へ出て、車列が閉じたが、怪獣は速度を落とさなかった。

 肩から装甲車へ衝突し、三台まとめて弾き飛ばす。

 

「救助班を回せ!」

「搭乗員の生存確認! 重傷者二名!」

 

 怪獣は防潮壁へ向かう。

 

「原子熱線砲、脚部を狙え!」

 

 光線が膝へ命中した。

 片脚が沈んだその隙に誘導弾が背中へ突き刺さり、爆炎が上がった。

 それでも怪獣は倒れない。背びれの奥に青い光が走る。あれは、まさか。

 

「伏せろ!」

 

 サカキが叫んだ直後、怪獣の口から青白い光線(ビーム)が放たれた。

 怪獣の鼻先で終息したそれは光の輪を描いており、サカキの目にはまるで光のレンズのようにも見えた。

 怪獣の口から放たれたビームは砂浜を甞め、湾岸道路の舗装を溶かし、原子熱線砲一基を焼き切った。爆風が砂浜をなぎ払い、サカキたちGフォースは身体を伏せる。

 

「くっ……!」

 

 耳鳴りの中で起き上がると、怪獣はすでに防潮壁へ爪をかけていた。

 コンクリートが砕ける。巨大な身体が、ゆっくりと内陸側へ乗り越えていく。

 サカキは通信機を取った。

 

「全隊、追撃。市街地での重火器使用を制限する。進路予測区域の避難を開始、市街地へ緊急警報を送れ!」

 

 くそ、またやられた……!

 サカキが内心で舌打ちする中、新たなるゴジラ、ゴジラ=テレストリスは咆哮を上げながら迷うことなく市街地へと進んでいった。

 

 

 不意にバトラが顔を上げた。

 さっきまでとは違う。赤い瞳が大きく開き、全身が一瞬で緊張している。

 

「……来た」

 

 来た、ってなにが。そう訊ねるまでもなく、バトラは立ち上がる。

 

「ゴジラ=テレストリスだ」

 

 ゴロザウルスが、低く鳴いた。今度の声には、はっきり怯えが混じっていた。

 壁際へ下がり、頭を低くする。長い尾が柱へぶつかり、コンクリートの粉が落ちた。

 

「新しいゴジラが、こいつを追ってきたの?」

「ああ」

「どこにいるの」

「地上だ。こちらへ向かっている」

 

 バトラの額へ、赤い光が浮かんだ。背中から黒い翅が広がる。

 わたしは反射的に腕を掴んだ。

 

「待って。どこへ行くの」

「迎え撃つ」

「わたしも行く」

 

 いつものようにわたしは前に出たが、ここでバトラは思わぬことを口にした。

 

「駄目だ」

 

 駄目? いったいなにが。そう聞き返すと、バトラははっきり言葉にした。

 

「おまえたちは来るな。今回は囮は必要ない」

「必要ないって、どういう意味?」

 

 詳細な説明を求めると、バトラは端的に説明した。

 

「相手は前より強い。おまえの動きもすでに学んでいる可能性がある」

「可能性でしょ」

「十分だ」

「別のやり方を考えればいいじゃん」

「考えている時間はない」

 

 バトラの声が低くなった。バトラは本気で言っていた。

 

「とにかく来るな。おまえの出る場所ではない」

 

 胸の奥で、何かが引っかかった。

 ……何それ。今まで散々走れだの囮になれだの言って、こんなところまで連れてきたくせに。

 

「今回は違う」

「何が」

「全部だ」

 

 答えると同時にバトラはわたしの腕を振り払い、黒い翅が大きく開く。風が巻き起こり、水たまりの表面が波立った。

 

「二人で一緒に避難しろ」

「でも……」

「命令だ」

 

 その言い方が、いちばん腹が立った。わたしは契約相手であって、部下ではない。今までは必要だったから連れていったが、今は必要ないから置いていく。

 そう言われたように聞こえて、わたしは言い返そうとした。

 

「わたしは……」

 

 だけどその前に、バトラが地面を蹴った。

 

「待って!」

 

 手を伸ばしても、届かなかった。

 黒い翅が空気を叩き、バトラの身体が高く浮かぶ。旧導水坑の天井近くに開いた縦穴へ入り、その姿はすぐに暗闇へ消えた。

 羽音だけが、しばらく壁の向こうに残った。

 

「……何なの」

 

 吐き出した声は、自分でも驚くほど子供っぽかった。

 水滴が落ち、ゴロザウルスが鼻を鳴らす。

 カンナは、しばらく何も言わなかったが、おもむろに口を開いた。

 

「……ツグミ、言われたとおり避難しようよ」

 

 わたしは振り向いた。

 

「……分かってる」

「職員さんたちと合流しないと。ここにいたら危ないよ」

「分かってるって」

「分かってる顔じゃないよ」

 

 カンナはカメラを下ろした。いつもの調子で怒鳴り返してこないのが、余計に腹立たしかった。

 

「前のあたしなら、絶対追いかけるって言ったと思う」

 

 カンナが言った。

 

「でも、今回は駄目。あたしたちが行っても、バトラの邪魔になるだけかもしれない」

「邪魔」

「そういう意味じゃない」

「同じでしょ」

「違う」

「何が違うの」

「死ぬかもしれないからだよ!」

 

 声が、地下空間へ響いた。ゴロザウルスがびくりと首を動かす。

 カンナは息を止めたように口を閉じ、しばらくして少し声を落とす。

 

「……バランのとき、あたしは撮ることしか考えてなかった。危ないって分かってたのに、カメラがあれば何かできる気になってた。でも、違った」

 

 カンナは自分のバッグの肩紐を握った。

 

「死んだら、何も残せない。助けられない。だから、いまは避難するべきだと思う」

 

 正しい。すごく正しい。

 バトラもたぶん、同じことを考えたんだろう。わたしを連れていけば死ぬかもしれない。

 だから置いていったのだというのは分かっている。

 

 そこまで分かっているのに、胸の奥では別の声がしていた。

 もう、おまえはいらない。走るしかできないくせに、その走りも通じない。だから黙って避難していろ。そんな風に言われた気がした。

 

「…………。」

 

 わたしはゴロザウルスを見た。大きな身体がまだ震えている。テレストリスが近づいているのを感じているのだろう。

 

「……この子は?」

 

 わたしが訊いた。

 

「え?」

「わたしたちが避難したらこの子、ゴロザウルスはどうなるの」

 

 わたしの問いにしばらく考えてから、カンナは答えた。

 

「ゴロザウルスについてはバトラが敵を倒したあとに……」

「倒せなかったら? そしてあいつがここまでやってきてしまったら?」

「それは……」

 

 カンナは答えられなかった。

 アクアティリスはチタノザウルスを狙い、アンフィビアはバランを狙った。そして今度はテレストリスがゴロザウルスを追っている。

 

「テレストリスの狙いは、ゴロザウルスだ。このままにしておいたらあいつ、ここまで来る」

「……だろうね」

 

 渋々頷くカンナにわたしは続けた。

 

「なら、この子をここに置いたまま避難できないよ。地下空洞に返してやらなきゃ」

「でもどうやって? 道が分からないから迷子なんでしょ」

 

 わたしは、ゴロザウルスの足元を見た。浅い水の向こうに、泥の跡が残っている。三本の指。わたしたちがここへ来る途中にも、同じ形の足跡が点々と続いていた。

 

「……分かるよ、たぶん」

「え?」

「来た道が残ってる」

 

 わたしは通路の暗がりを指した。ゴロザウルスの足跡が点々と残っている。

 

「この足跡を逆にたどればいい、そうすれば元来た場所に……」

 

 わたしが説明している最中、カンナがボソッと言った。

 

「……それ、バトラに置いていかれた腹いせじゃないよね」

「違う」

「…………。」

 

 痛いところを突かれた気がしたが、すぐに答えた。すぐすぎたかもしれない。カンナは何も言わず、わたしを見ている。

 ゴロザウルスが、わたしたちの顔を交互に見る。人間の喧嘩など分からないはずなのに、落ち着かないように尾の先を動かした。

 だからもう一度言う。

 

「違うよ。この子を助けたいだけ」

「……分かった」

 

 とにかく、わたしから切り出した。

 

「地下空洞への入口を探そう。ゴロザウルスが来た方向は……」

 

 ごとっ。

 そのとき背後で石の転がる音がして、わたしとカンナは同時に振り返った。

 

「誰!?」

 

 暗い通路の向こう、粉塵の薄い幕を押し分けるように、人影が立っていた。黄色い工事用ヘルメット、白いブラウス、膝丈のスカートには泥がつき、片方の靴も濡れていて、ふわふわの癖っ毛が逆光に透けていた。

 ……だけどどうしてここに。わたしはその名を口にした。

 

「……アヤノ?」

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  • バトラ
  • ツグミ
  • カンナ
  • アヤノ
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