ウェブ会議による宿題の会が何回か開催され、絵日記が片づいたところでカンナがシャーペンを鼻と唇のあいだに載せながら天井を仰いだ。
「……あとは読書感想文なんだけどさあ」
そういえばカンナの奴、読書感想文もまだだっけ。わたしは終わらせたけど。
本、決まったの? そう訊ねるとカンナは首を振った。
「あたし、普段から本を読まないんだよね。ほら、読書とかコスパ悪いじゃん?」
全国の読書家を敵に回すセリフだ。こうやって効率に目が眩んで大切なものを見失った奴がいるから、われわれ若者世代はドーパミンに取り憑かれたドパガキなどと言われるのである。
「じゃあ普段何を読んでるの?」
「Web小説。最近読んだのは『ゴジラに転生してオレツエーしたら地球が吹っ飛んだ』って奴」
「内容がタイトルで終わってそう」
「失敬な! ……いやまぁ実際そうだけど」
やれやれ。わたしは肩をすくめて言った。
「本を読むのが課題なんだから、コスパとか言ってる場合じゃないでしょうよ。なんか読まないと」
「でも集中力が続かなくってぇ……ねぇ、アヤノぉ~?」
「なぁにぃ?」
ここでカンナはアヤノに水を向けた。手もみしながらゴマを擦るような猫撫で声でアヤノに迫る。
「なんかさあ、良さげな本ない? すぐ読めて、面白くて、感想文書けそうなやつ。アヤノ、文芸部でしょ~? なんか良さそうな本知ってるんじゃな~い?」
またずいぶんとのび太みたいなことを抜かす奴である。そんな都合のいい本があるわけが……。
あまりのズボラさに呆れるわたしだったが、アヤノは「うーん」と唸った。真面目に取り合うつもりらしい。本当いい奴だよね、アヤノ。
「カンナちゃんに面白いかどうかはわからないけど……これとかどうかなぁ」
そう言ってアヤノが取り出したのは、割と新しい文庫本である。厚さはさほどでもないその本のタイトルをカンナが読み上げる。
「……『たったひとつの冴えたやりかた』?」
なんか聞いたことのあるタイトルだ。そういえばYoutubeで流れてきたエヴァンゲリオンのタイトルに使われていた気がするが、あれはこの本が元ネタだったのか。
「SF小説。短編だから、すぐ読めるよぉ」
「すぐ読める! それだ!」
カンナが即答した。中身を訊く前に決めるなドパガキめ。
代わりにわたしが訊ねる。
「有名な本なの?」
「うん。文芸部の先輩に紹介してもらったんだけど、SF小説の古典なんだって。世界中で読まれてて、泣ける名作って言われてるんだよぉ」
「へえ。書いた人は? どんな人?」
わたしの問いにアヤノは答える。
「作者はジェイムズ=ティプトリー・ジュニアっていう人。この人はね、長いあいだ男の人だと思われてたんだって」
「へえ、ジェイムズって名前なのに男じゃないの?」
「うん、ジェイムズ=ティプトリー・ジュニアはペンネームで、本当はアリス=シェルドンっていう女の人。この人の作品は評論家の人から『男の人にしか書けない小説だ』って言われたのに、そう言われた次の年に正体が分かって、六十過ぎのおばあさんだったの」
「それ言った人、めちゃくちゃ気まずいじゃん」
「気まずかったと思うよぉ」
なんだそのエピソード。面白すぎるだろ。カンナはしめしめという顔で顎を撫でながら口を開く。
「世界中で読まれてるSFの古典、泣ける名作で、作者にも話題性あり。いいね、先生のウケも良さそうじゃん」
「うん。賞も取ってて有名だから、参考になる感想もいっぱい見つかると思う~」
「よし、じゃあそれをググってパクれば……流石アヤノ大明神、あんた最高だな!」
ははー、とカンナがひれ伏して手を合わせた。こいつはいま、読書感想文を三十分で終わらせる算段をしている。
「……で、どんな話?」
いまさら訊いたか。順番が逆だろ。
とはいえ、『たったひとつの冴えたやりかた』という小説についてはわたしも読んだことはない。どんな話なんだろ。
あらすじを訊ねるわたしたちに、アヤノは少し考えてから答えた。
「『たったひとつの冴えたやりかた』は未来のお話でね、主人公の女の子がひとりで小さい宇宙船に乗って、初めての遠い旅に出るところから始まるんだぁ」
「ほうほう」
カンナが「かっこいいじゃん」と言った。わたしも同感である。
「それでね、旅の途中で頭の中に声が聞こえるようになるの」
「え、怖……」
いきなりサイコスリラーの体をなしてきた。アヤノは説明を続ける。
「声の正体は、頭の中に住み着く宇宙人で、たまたま宇宙船に入り込んで、その子の中に入っちゃったってわけ。でもね、その宇宙人がとってもいい子なの。ふたりでずっとおしゃべりして、星を見て、いろんな話をして。だんだん仲良くなっていくの。声しか聞こえないのに、いちばんの友達になっちゃう」
出てくるのが「頭の中に住み着く宇宙人」というのは生理的にクるものがあるが、まあ『ファーストコンタクトで宇宙人と友達になる』というならむしろE.T.みたいに夢のある話だろう。
そう思ったのだが、話の展開はさらに思わぬ方向に転がっていった。
「で、その宇宙人を地球に連れて帰ったら、みんな死んじゃうって分かるの」
「え」
「だから、宇宙船の向きを変えて、太陽に飛び込むことにする」
「そ、それで……?」
「そこでおしまい。主人公は宇宙基地にメッセージを残して、宇宙人もろとも太陽に突っ込んで、自分の命と引き換えに世界を守り抜いて、おわり」
「え、えー……?」
あまりに悲劇的な結末にカンナは困惑した様子だったが、やがて不満げに口を開いた。
「ちょっと待って、これのどこが感動なの? 可哀想すぎない?」
「感動するところ、いっぱいあるよぉ。主人公の決断とか切なくて胸に来るし、ラストの一文なんかわたしも本当うるっと来ちゃった」
「いや泣けるけど、泣けるけどさあ……」
カンナの奴は本気で憤慨していた。
「なんでそれで納得してんの、その子? 他に方法なかったの? 途中で降りるとか、宇宙人だけどっか置いてくるとか、なんかあるでしょ!」
「それがわかったときにはもう切り離せなくなっちゃってたんだって。助けを呼んだら、その人にも移っちゃうしぃ」
「じゃあ遠くから連絡して……」
「連絡しても、結局助けに来た人に移っちゃうからねぇ」
「うぐぐ……」
カンナは唸り、それから机を叩いた。
「もっといい方法を探してないだけじゃない?」
「探したと思うよぉ。だから、いちばん確実なのを選んだの」
「あたしなら探すね。絶対に探す。三日くらい徹夜して探す」
「その集中力を宿題に向けてほしいんだけど」
「それとこれとは別」
わたしはその文庫本の表紙をちょっと見ていた。
……まあ、お話だしなあ。SF小説ならあり得る話だろうとは思うし、そういう子が出てくるお話なのだからそういうものとして読めばいい。
カンナは自分の身に振り替えているのだろうが、実際に選ぶ場面が来たとして人間、そんなに立派にはできていない。わたしなら泣いて喚いて、最後まで生き恥を晒しながら何もできずに死んでゆくだろう。
そう思ってわたしが麦茶に手を伸ばしたそのとき、隣で麦茶を飲んでいたやつが口を開いた。
「合理的な判断だ」
わたしたちは、そっちを見た。
バトラは、麦茶のグラスを片手に自分の宿題をすらすら進めながら――軌道に乗せるまでだいぶ手間をかけさせられたが、軌道に乗れば自力で進められるのはやっぱり怪獣だからか?―――いつもどおりの顔をしていた。
「一人が死ねば全員が助かる。誰も死ななければ全員が死ぬ。他に方法がないのなら、仕方あるまい」
「いや、そうなんだけどさあ……もっとこう、あるでしょ。可哀想とか」
「可哀想だとは思うが、それは判断とは別だろう」
「別なの?」
「別だ」
バトラは飲みかけの麦茶のグラスを置き、たいへん事務的な調子で答えた。
「その主人公は、選択肢を数えたのだと思う。連れて帰れば全員が死ぬ。降りれば誰かに移る。助けを呼べば呼んだ者に移る。数え終わって、残った手段が一つだったのだろう」
「だからって自分で太陽に飛び込むの?」
「他が全部消えたなら、残ったものが答えだ。タイトルの『たったひとつの冴えたやりかた』というのはそういう意味でもあるのだろうな」
カンナが「うーん」と不服そうに唸る中、バトラは続けた。
「むしろ、迷わなかったのが良い」
「良いって言う? そこ?」
「ああ」
バトラは頷いた。
「迷えば時間が減る。時間が減れば、選べる範囲も狭くなる。そうしているうちに最悪の結末を辿るケースもある中で、その話の主人公は選択肢がいちばん広くて被害も少ないうちに決めた。だから最後まで自分で選べたんだ」
それに、とバトラは言う。
「それに、死ぬことを潔く言い残していったのも正しい」
「なんで?」
「行方が分からなければ、誰かが探しに来るだろう。探しに来た者にも移るのだろう? その者は、自分が消えたあとに誰かが動くことまで数えていたはずだ。だから主人公はあえて自分が死んだことを他人に伝えたんだ、同じ過ちを冒す者が現れないようにするために」
カンナが「うわ」と言った。
「そこまで考える?」
「考えるだろう。最後まで責任を取るというのは、そういうことだ」
わたしは麦茶を飲みながら、なんとなくその横顔を見ていた。
こいつは本を読んでいない。アヤノの説明を五分聞いただけである。それなのに、小説の主人公が考えた順番をまるで見てきたみたいに並べていた。
「……まあ、本の中の話だがな」
バトラはそう言って、麦茶のおかわりを注いだ。
カンナが「なんか腹立つなあ」とぶつくさぼやいて、アヤノがくすくす笑いながら「バトラちゃんは合理的だねぇ」と言って、それで話は終わった。
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