「ほかの人びとに大きな危害をおよぼすような、恐ろしく苦しいジレンマに直面したとき、あなたのお嬢さんは勇敢で名誉ある選択をなさった。われわれは彼女に感謝しなくてはなりません」
――ジェイムズ=ティプトリー・ジュニア『たったひとつの冴えたやりかた』
夏休みの終わりは、蝉の種類で分かる。
七月には世界の全部を自分のものだと思っているみたいに鳴いていたアブラゼミが、八月の終わりになると少し遠くなる。代わりにツクツクボウシが増えてくるが、地球温暖化の影響か八月末でもまだまだ暑い。
カレンダーにおける夏休みの残りはあと一週間、わたしたちは「夏の最後の思い出作り」を敢行した。言い出したのは意外にもアヤノだった。
「あのね、南浜でお祭りがあるの。縁日と花火」
ウェブ会議の画面の中で、アヤノが言った。
「今年はどこも中止かと思ったんだけど、南浜は被害がなかったからやるんだって。最後の思い出に、みんなで行かない?」
「行く!!」
と、コンマ二秒でカンナが食いついた。
「行きます! 浴衣着る! あたし浴衣なんて小四以来!」
「よかったぁ。じゃあツグミちゃんとバトラちゃんは?」
「わたしも行きたいかな……バトラは?」
隣の仏頂面は、少し考えてから言った。
「まつり、とは何をするものだ」
「何をって……りんご飴食べたり、金魚すくったり、射的やったり?」
「なんだそれは。目的が分からん」
またずいぶんと無粋なことをのたまう奴である。わたしは言った。
「目的はないの! 楽しいの!」
「……ふむ」
バトラは、腕を組んで、真剣な顔で頷いた。
「いいだろう。同行する」
この夏、あいつの「行く」は「楽しみにしている」の翻訳だということをわたしはもう知っていた。
先日のゴロザウルスの一件からお怒り気味の両親(特にママ)を説得するのは骨が折れたが、「来年は高校受験で夏休みどころではない、宿題はバトラの分も含めて全部終わらせた、だからお願い、これから良い子にするから」とあらゆる口八丁を駆使し、なんとか今夜の外出を勝ち取った。
「動かないでね」
「苦しい」
「まだ締めてないよ」
「すでに苦しい」
ママに浴衣を着せてもらいながら、バトラはリビングの中央で両腕を広げひどく不満そうな顔をしていた。
ママの方はというとやけに楽しげだった。わたしが外出したいと言い出したときはあれだけ渋っていたくせに、当座になるとノリノリになってしまうのがうちのママという人である。
「それにしてもバトラちゃんのご家族の方、浴衣も送ってくださるなんて本当に良い人たちね」
バトラの浴衣を送ってきたのは小美人だ。
小美人――あの人たちも大概バトラのことを溺愛していると思う――から届けられた黒い浴衣は驚くほど似合っていた。黒い着物に金の帯、バトラの特徴的な髪のメッシュと赤い瞳がよく映える。そして浴衣のスマートなシルエットは、いつもの制服や、戦闘時の魔法少女の姿より身体の線がすっきり見える。
ただしバトラ本人は、帯を巻かれるたびに逃げようとしていた。
「こんな格好では戦えない」
「縁日で何と戦うの」
「備える必要はある」
バトラの妄言をママは聞かなかったことにして、帯を結んだ。
わたしの浴衣は、白地に淡い青の朝顔だ。去年選んだときは少し子供っぽいと思ったけれど、実際に着てみると悪くない。
髪はまとめようとしたが、鏡の前で手が止まった。
……走るときは、いつも高い位置で結んでいた。それを思い出しただけで、胸の奥がわずかに固くなる。
わたしが手を止めていたら、バトラの支度を終えたママが後ろから髪を梳いた。
「下の方でまとめる?」
「……うん」
首の後ろでゆるく結び、朝顔の髪飾りを挿してもらう。
鏡の中にいるのは陸上部だった頃のわたしではなかったが、だからといって今までの何もないふりをしているわたしとも少し違って見えた。
ママが満足そうに言う。
「いいじゃない」
「そう?」
「うん。かわいい」
……そういうのはいいから。わたしは不満を口にするのだが、ママはにこにこしているだけだった。
「照れなくてもいいでしょう」
「照れてない」
横を見ると、バトラがこちらを見ていた。
「何よ?」
「いつもと違う」
「浴衣だからね」
「動きにくそうだ」
「最初に言うことがそれ?」
バトラは少し考えた。
「色は悪くない」
相変わらず雑である。こいつらしいと言えばこいつらしいが。
家を出る前、ママが玄関で何枚も写真を撮った。バトラは最初なぜ同じ構図を何度も撮るのかと文句を言っていたが、最後には諦めて立っていた。
南浜の神社は、提灯の川だった。
参道の両側にびっしり並んだ屋台、ソースと砂糖と線香花火の匂い、浴衣の人波、金魚の袋を提げた子供たち。焼けた街から電車で二十分の場所に、こんなに無傷の夏が残っていたことが、なんだか嘘みたいだった。
待ち合わせの鳥居前には、すでにカンナがいた。
「おっそーい!」
黄色い花柄の浴衣を着て、胸元に小さなカメラを下げている。髪にはオレンジ色の飾り。本人はいつもよりおとなしくしているつもりらしいが、浴衣の下から履き慣れたスニーカーが見えていた。
「足元だけ配信者なんだけど」
「下駄で機動力は出ないでしょ」
「今日は走らないよ」
「怪獣が出たら?」
「そういうこと言わないで」
その直後、カンナがバトラを見て目を丸くした。
「うわ、似合うじゃん、バトラ」
「そうか」
「反応薄いなあ。もっと照れてよ。浴衣回なんだから」
「何の回だ」
そこへ、柔らかい声がした。
「お待たせぇ」
振り向くと、アヤノが薄い水色の浴衣で立っていた。白い小鳥と細い枝の柄。帯は淡い灰色で、ふわふわした髪の片側に小さな白い飾りがついている。
一瞬、何を言えばいいか分からなかった。端的に言えばすごく似合っているが、それをそのまま口にするのは妙に恥ずかしい。
「……遅かったね」
出てきたのは、それだった。
アヤノは少し目を細めた。
「待ってたぁ?」
わたしは一秒だけ迷ってから答えた。
「待ってたよ」
アヤノが笑った。その笑い方は、教室で見るふわふわしたものより少しだけ深かったような気がした。
「そっかぁ」
四人で鳥居をくぐった。
境内には屋台が並び、子供たちの声と呼び込みの声が重なっていた。金魚すくい、射的、輪投げ、ヨーヨー釣り。奥の舞台では太鼓が鳴り、提灯の光が人の頭の上を流れている。
カンナは最初から撮影する気満々だったが、入口でスマホを出しかけて、少し考えたあと胸元のカメラを外した。
「撮らないの?」
「何枚かだけ。今日は配信しない」
「珍しい」
「失礼だね」
「事実でしょ」
カンナは言い返そうとしたが、やめた。
「……まあね」
最初に捕まったのは、射的だった。
バトラが構えたまま言う。
「この銃、精度が悪い。照準が右へずれている」
「祭りの射的に軍用精度を求めないで。そういう仕様なんだよ」
「詐欺ではないか」
「お祭りだから」
「説明になっていない」
ぶつくさ文句を言いながらバトラは三発撃ち、三発とも奥の大きな箱を正確に狙った。しかしコルク弾は軽く跳ね返り、箱は微動だにしなかった。
「台に固定されているな」
「だから景品は手前の小さいのを狙うの」
「最初に言え」
「普通は分かるでしょ」
「知らん」
最後の一発で、バトラは手前の飴を落とした。その小さな成果を、なぜか少し誇らしそうに帯へ挟んでいた。
金魚すくい。
カンナは金魚すくいで三秒で紙を破り、アヤノは一匹も追い回さず水面を眺めていた。
その横で、バトラが水槽の金魚をじっと見ながら呟いた。
「食用か」
「食べちゃダメだよ」
店番のおじさんが吹き出した。
掬うんだよ、と説明するとバトラはしゃがんで水面を三秒見つめ、「あの赤いのが一番弱っている。動きで分かる」と言い放ち、ポイを濡らしもせずに一発で三匹すくって、店のおじさんに「お嬢ちゃん何者だ……!?」と唸られ、景品の袋を受け取ったところで出禁を言い渡された。
バトラが掬った金魚は、三匹ともアヤノが引き取った(当人曰く「うちの池、広いから」。うちの池。お嬢様の語彙である)。
りんご飴。バトラは屋台の前で立ち止まり、真剣に観察してから一本購入し、一口かじって静止した。
「外は硬くて甘い。中は冷たくて酸っぱい……甘いと酸っぱいの、二段階ある」
「出た」
「これを考えた人間は、天才だな」
りんご飴発明者が怪獣に天才認定されていた。
境内の中央では、盆踊りが始まっていた。
カンナが輪の中へ入りたがり、アヤノもついていく。わたしは遠慮しようとしたが、二人に両側から腕を引かれた。
「浴衣着たんだから踊ろうよ」
バトラはわたしたちの輪の外に立っていた。
「バトラも踊ろうよ」
「わたしはいい」
「来なよ」
「必要性がない」
「必要性で祭りに来てないでしょ」
わたしが手を伸ばすと、バトラはわたしの手を見た。
少しして、掴んだ。
輪の中へ引き入れると、最初は動きが固かった。けれど見よう見まねで手を上げ、足を運び、太鼓の拍へ合わせていく。
戦いのときみたいに速くないし正確でもなかったが、ただ四人で同じ方向へ回った。
提灯が頭上を流れ、音が身体の中を通る。
アヤノが笑っている。
カンナが途中で振りを間違えている。
バトラは隣の人を見ながら真剣に手を動かしている。
わたしも笑った。
八時になって、花火が上がった。
神社の裏手の土手がいちばんよく見えるというので、四人で並んで座った。夜空に、大輪。腹に響く音。人々の歓声。カンナが「たまや~」と叫びながらカメラを構え、アヤノが拍手して、わたしはただ見上げていた。
……きれいだった。
海に行った。山に行った。地下にも行った。怖い目にも遭ったし、喧嘩もした。
でも、こうして並んで花火を見ていると、ぜんぶひっくるめて「いい夏だったなあ」って思ってしまうのだ。
ふと、隣を見た。
バトラは、花火を見上げていた。打ち上がる光が赤い瞳の中で咲いては消えていた。あいつはずっと無言で、瞬きが少なくて、まるで目に焼きつけようとしているみたいに……
「……ツグミ」
え、と思った。
名前。今、こいつわたしの名前を……と思ったときには、バトラは花火に目を戻していて、口だけが小さく動いた。
「あのな。わたしは……」
どん、と大きいのが上がって歓声が重なり、バトラの声はその中に消えた。
「え、何? 聞こえなかった」
「…………」
バトラはしばらく黙って、それからふいと顔をそむけた。
「……なんでもない」
「なにそれ。気になるじゃん」
「なんでもないと言っている……ほら、次のが上がるぞ」
直後、夜空にその夜いちばんの大輪が咲いて、わたしたちは空に夢中になって、バトラが何を言いかけたのかなんてことは忘れてしまった。
花火が終わると人混みの音が少し遠くなり、木々の間から夜空が見えた。帰り道、四人で分けたラムネの瓶が提灯の光を透かして青く光っている。
カンナが言った。
「夏、終わるね」
たしかにそうだ。夏休みもあと一週間で終わる。なんだかそれを認めたくなくて、わたしはカンナにこう答えた。
「まだ一週間あるよ」
「でも一週間しかないんだよ」
「そうだね。で、カンナ、宿題は?」
「聞かないで」
……まったく、こいつは。
わたしが呆れている隣で、バトラはラムネ瓶の中のビー玉を覗き込んでいた。
「……なにやってんの?」
「これを取り出すにはどうする」
「割らないでよ」
「構造を確認したいだけだ」
「絶対割るやつだよ、それは」
ラムネ瓶を割ろうとするバトラを食い止めていたら、カンナがスマホを持ち上げた。
「一枚だけ撮ろ」
「配信に使うの?」
「使わないよ、だって……」
言いかけて、少し照れたように言葉を変える。
「これはあたしたちの思い出、その記録だから」
四人で石段へ並んだ。カンナが腕を伸ばし、画面の中へ全員を収める。
「バトラ、もうちょい寄って」
「狭い」
「狭くするのが写真なの」
「意味が分からん」
「ツグミちゃん、笑ってぇ」
「笑ってるよ」
「営業スマイルじゃなくてぇ」
「細かいな」
シャッターが切られた。
画面には、少しぶれた四人が写っていた。カンナは目を細め、アヤノは柔らかく笑い、バトラは何が起きているのかよく分からない顔をしている。
わたしは、思っていたより普通に笑っていた。
提灯の赤い光が背中へ消え、夜の住宅街へ戻る。浴衣の裾が歩くたびに擦れ、下駄の音が四つ、ばらばらに鳴った。
明日も会える。学校が始まれば、また毎日会うのだ。
そんな当たり前を、このときのわたしは疑いもしなかった。
翌朝、バトラは朝食を食べ終えると言った。
「出るぞ」
「どこへ」
「前に住んでいた場所だ。小美人に呼ばれてる」
前にバトラが住んでいた場所、それだけで分かったのでわたしは頷いた。
「……わかった」
わたしたちが向かったのは湾岸のヒルズ。バトラが我が家へ来る前、最上階で一人暮らしをしていた場所だ。
ヒルズの最上階は、以前と同じように広く静かだった。大きな窓の向こうには海と街が広がり、遠くで夏の光が水面へ散っている。家具はほとんどなく、空間だけが余っている。
初めて来たときここはバトラの部屋なのに誰も暮らしていない場所みたいだと思ったが、今こうして見ると以前よりもっと寒い場所のように思えた。
小美人は窓辺の低いテーブルに立っていた。傍らには手に載るサイズの小さなモスラ――あとで調べたらフェアリーモスラというらしい――が控えている。
「ようこそ、いらっしゃいました。ツキシマ=ツグミさん」
小美人は、まず深々と頭を下げた。
「今日は、あなたにお礼を申し上げたくて」
「お、お礼? わたしに??」
「はい」
そう言って小美人は腰を屈めて会釈する。
「この春から今日までの、日々のことです」
「あの子に、ごはんの美味しさを教えてくださって」
「メロンパンの、二段階を」
「海の広さを。山の火の粉を。まつりの、りんご飴を」
「学校を。ともだちを。家族の食卓を」
そして二人は、もう一度深く頭を下げながらこう言った。
「バトラはこの星でいちばん強く生まれて、いちばん何も知らずに生まれた子でした。バトラに世界の良いところをこんなにたくさん見せてくださった」
「ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました」
「別に、わたしは……」
二人の妖精からのお礼に、わたしはうまく返事ができなかった。嬉しい言葉のはずだ、これまでさんざん苦労して面倒を見てきたことについて感謝されているのだから。
なのに、なんでか変だと思った。なんでだろう、まるで何かの締めくくりみたいだ。
隣のバトラは窓の外を見ていて、こっちを見なかった。
「……そして、ここからが本題です」
小美人の声が変わった。
「近く、最後のゴジラが現れます」
……最後のゴジラ? 部屋の空気が、すっと冷えた。
小美人はその名を口にした。
「ゴジラ=アース。『地球』の名を持つゴジラです」
「これまでバトラが三度退けてきたあの連なり最後の形です。アクアティリス、アンフィビア、テレストリス、三体ぶんのすべてを束ねたそれが今、海の底で目覚めつつあります。わたしたちの観測ではもう幾日もありません」
思わず訊ねた。
「……勝てるんですか」
訊いてから、子供みたいな質問だと思った。小美人の二人は一瞬視線を交わしてから、こう答えた。
「勝たねばなりません。それがバトラに科された使命ですから」
「それで、わたしは何をすればいいんですか」
そう訊いた瞬間、自分が何を期待しているのか分かった。
走る場所、見るべき合図、守るもの。何でもいい、何かやれることがあるのなら役に立ちたい、そう思ったから。
けれど小美人は静かに答えた。
「……ゴジラ=アースは、あなたを狙いません。これまでのようにあなたを使ってバトラを誘う必要もありません」
「バトラがあなたを守りながら戦う理由も、なくなりました」
耳の奥で、昨夜の太鼓の音が遠く鳴った気がした。
それじゃあわたしは何をすれば。思わず聞き返すと小美人は首を横に振った。
「ツキシマ=ツグミさん。今度の戦いであなたにできることは、何もありません」
「っ……!」
衝撃の宣告だった一方、当然のことなのだとも思った。
思い返せば、セルヴァムとの戦いがゴジラとの戦いへ移行してからずっと、バトラはむしろわたしを戦いから遠ざけようとしていた節さえあった気がする。
バトラだけじゃない、Gフォースのサカキさんもそうだった。バトラの戦いに巻き込まれた一般市民のような顔をして、そのくせ進んで参加していたのはむしろわたしの方だ。ゴジラ=テレストリスとの戦いで足を引っ張りかけた時点で、戦力外通告を受けるのは当然のことだったのだ。
小美人は続けた。
「ゴジラ=アースに囮は通じません。観測も届きません。あれは、あなたがたが力を貸してきたすべての戦いを覚えて生まれてきます。人の子が近くにいることは、今度ばかりはあの子の翅を重くするだけです」
だからどうか、と懇願するかのように小美人はわたしに言う。
「どうか、遠くへ。安全な場所へ」
「それが今度のあなたの役目です」
できることは、何もない。
その言葉は、まっすぐ、あの地下の空洞の記憶に落ちた。おまえにできることはない、そう言われたあのときわたしは拗ねて、意地を張って、無茶をして、みんなを危ない目に遭わせた。
そして今回の契約終了でバトラと一緒にいる理由は無くなった。
だから。
「……分かりました」
声がちゃんと出た。えらいぞ、わたし。
「避難します。家族と一緒に。約束します……その代わり」
わたしの言葉に、小美人が目を見開いた。バトラも窓辺から初めてこっちを見た。
ねえ、バトラ。わたしは、バトラをまっすぐ見て言った。
「勝って、帰ってきて。帰ってきたらまた皆でどっか行こうよ。夏はもう終わりだけど、秋って意外とイベント多いから。文化祭とか、もみじとか、焼き芋とか」
「焼き芋はイベントなのか」
「イベントだよ。石焼き芋はね、外の皮の香ばしいとこと、中の蜜のとこで……」
「二段階か」
「そう。二段階」
バトラは、ふっ、と息だけで笑って、それからいつもの仏頂面で言った。
「……分かった。約束する」
このやりとりを、小美人たちがどんな目で見ていたのか。
そしてこの約束を、バトラがどんな想いで結んでいたのか。
本当のことをわたしが知らされるのは、それからずっとあとのことだった。
会議室の空調は、必要以上に低く設定されていた。
壁面モニターには三体のゴジラ=アポストリが並んでいる。海中を進むアクアティリス。陸へ上がったアンフィビア。市街地に向かって進撃するテレストリス。
サカキ=ハルオ中佐は、机上の資料を閉じた。
「……以上の理由により、対ゴジラ即応戦力の常時配備を具申します」
正面に座る連合防衛委員会の面々は、資料へ目を落としたまま動かなかった。
サカキは続ける。
「開発中の新兵器『Mプロジェクト』は最終検収を終えています。動力系、主砲、分離機構、いずれも規定値を満たした。実戦配備を一個任務群に限定し、さらに完成したばかりの飛行型パワードスーツを随伴させれば次回出現時の初動を大きく改善できます」
委員の一人が口を開いた。
「次回があるという前提かね」
「あります」
サカキは即答した。
室内の何人かが顔を上げた。
「根拠は」
「三体の死骸から放出された赤色の粒子は、いずれも同一方向へ移動しています。各個体は別々に生まれながら、前個体の戦闘情報を保持していた。偶然ではありません」
「モナークの見解は?」
「危険性を否定していません」
「肯定もしていないが?」
「観測資料が不足しているからです。情報が不足していることは、安全であることを意味しない」
別の委員が腕を組んだ。
「中佐。Mプロジェクトは都市防衛用としては過剰です」
「怪獣黙示録のゴジラに対して過剰な兵器があるなら、見てみたいものです」
「言葉を慎みたまえ」
「失礼しました」
謝ったが、撤回はしなかった。
議長が資料をめくる。
「怪獣黙示録の終焉で怪獣の脅威が去ってから、市民は軍事予算の拡大に敏感だ。ゴジラ級の機動兵器を都市近郊へ配備すれば、反発は避けられん」
「反発は、避難路を作りません」
「政治は感情も扱う」
「怪獣は扱いません」
室内の空気が固くなった。
隣に座るタニ=ユウコ少佐が、わずかに指を動かした。制止ではない。これ以上言えば自分が続ける、という合図だった。
別の委員が言う。
「これまでの三件は、最終的に鎮圧されているだろう」
「次の個体へ情報を渡した上で、ですね」
「結果として市街地の全面壊滅は避けられた」
「モナークの協力者……バトラと、現場部隊が代償を払ったからです」
「そのモナークの協力者がいる」
その一言で、サカキの腹の底が冷えた。
委員は続ける。
「その『モナークの協力者』は、三度ゴジラを撃破した。今後も同様の事態が起きた場合、まず彼女を中心に対処すべきではないか」
「彼女は兵器ではありません」
「しかし戦力だ」
「ただの少女です」
「怪獣でもあるだろう」
「だから死なせてよいと?」
議長が机を指で叩いた。
「中佐」
「事実確認です」
「感情論になっている」
サカキは、笑いそうになった。
感情論。既に完成した戦力の導入を嫌がる声に応じることは感情論ではなくて、十四歳の少女へ街の防衛を丸投げしてしまうことは適切な判断だとでも言うのだろうか。
だが、ここで怒鳴っても何も変わらない。怒りを吐き出すことと、市民を守ることは違う。
改めてサカキは言った。
「Mプロジェクトとヴァルチャーの即時配備を、改めて具申します」
「却下する」
議長が言った。
「現状では、緊急性が認められない」
「しかし……」
サカキが立ち上がりかけた隣で、タニ少佐が口を開いた。
「記録へ残してください」
そう語るタニ少佐の声は平時と同じく穏やかだったが、冷静過ぎるもののようだった。
「Gフォース現場司令部は、ゴジラ=アポストリの継続出現と戦力増大を警告した。対策兵器の配備を求め、連合防衛委員会が却下した、と」
「タニ少佐……」
「議事録の確認です」
議長は何も答えなかった。
会議室を出るまで、タニ少佐は一度も口を開かなかった。
廊下の角を曲がり、人目がなくなってからようやく息を吐く。
「……あれで、市民へ説明できると思っているのでしょうか」
「説明するのは、被害が出たあとだ」
「中佐」
「皮肉だ」
「そうでしょうね。ゴジラ対策はあの少女一人にすべて丸投げする、と」
タニ少佐の歩調がわずかに速い。平時は温厚で冷静な彼女にしては珍しく怒っているようにサカキは思った。サカキが激昂してタニが宥める、という普段の構図が今回は逆になっている。
「任せるとは言っていない。自分たちで責任を負わず、頼ると言っただけだ」
「同じことです」
「ああ、そうだな」
サカキは窓の向こうを見た。
連合政府庁舎の先に、夏の海が見える。外に広がる世界は相変わらず穏やかで、怪獣黙示録が終息したと宣言されたあとのこの景色を多くの人間が平和と呼んだ。
けれど、サカキたち往年の怪獣黙示録を知る世代のGフォースはそう呼ばなかった。怪獣がいない時間と怪獣が来ない世界は同じではない。
平和とされる時代が長く続いた結果なのだろう、とサカキは思った。それ自体は素晴らしいことだとサカキも思うが、状況は変わりつつある。
そのことに思いを馳せた次の瞬間、庁舎全体へ警報音が響いた。
『緊急警報。太平洋南東海域にて、超大型生体反応を確認』
二人は同時に走り出した。
『推定全長、百五十メートル以上。沿岸部へ高速接近中』
司令室に入ると、壁面モニターが自動で切り替わった。
海上偵察衛星の画像には、赤い雲の下で海を割って進む三列の背鰭が映し出されている。
タニ少佐が掠れた声で言った。
「あれは、まさか……」
サカキは画面を見たまま、通信端末を取った。
機械音声が続き、画面に表示される。
『Gフォース全隊へ。第一種警戒態勢。ゴジラ=アポストリ最終形態、暗号名:ゴジラ=アース』
章のタイトルは「ゴジラVSモスラ」の英語版タイトル「Godzilla and Mothra: The Battle for Earth」から。
好きなキャラは?
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バトラ
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ツグミ
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カンナ
-
アヤノ