そのものは、ゆっくりと浮上しながらようやくすべてを理解した。
完成してみて初めて分かったことがある。そのものは、ずっと勘定を間違えていたのではなかった。
海の者は、老いた大きな餌を狙ってしくじった。山の者は、白い古い血を狙ってしくじった。地の者は、地の底の濃い血を狙ってしくじった。三度のしくじり、三度の無駄死に……そう思っていたが違った。
大いなる計画。
生まれる前からそのものの底に折り畳まれていたその設計図が、完成したいまなら読む事が出来た。二つの器を造り、争わせ、勝った方にすべてを注ぐ。
三度の死は無駄ではなかった。すべてはこの最後のわたしに注ぎ込むための工程であり、その行き着いた完成形がこの
そのものは、浮上しながら一度だけ真上を見た。
……急がねばならない。時間は、もうあまりない。
その夜、バトラは夕飯の途中で、箸を止めた。
「……来た」
それだけだった。それだけで、わたしには全部分かった。
五分後、街じゅうのスマホが一斉に鳴った。
『【対怪獣警報】沿岸部に大型怪獣接近。対象地域の住民は、指定避難所へ避難してください。繰り返します……』
防災無線が重なる。遠くでサイレン。窓の外、隣の家の明かりが点いて、車のエンジンがかかる。テレビが緊急放送に切り替わり、アナウンサーの上ずった声が聞き覚えのある単語を繰り返しはじめた。
わたしはかねてより決めてあったとおりに動いた。スマホの充電器や生理用品などの身の回りの物。非常持ち出し袋。戸締まり。ブレーカー。パパも車を出してくれて、両親は二人とも落ち着いて行動してくれた。ここまではわたしの想定どおりだ。
問題は、玄関先で起きた。
「さ、バトラちゃんも乗って。荷物はそれだけ?」
パパが当たり前の顔で後部座席のドアを開けたが、バトラは玄関に立ったまま動かなかった。
「……わたしは、行けない」
「え?」
「別の場所に、行かなくてはならない」
バトラの言葉に、両親が顔を見合わせた。当然だ。避難警報の夜に、預かっている中学生が家族と別の場所へ行く。そんな話が通るわけがない。
「何言ってるの。だめよ、こんなときに」
「ロシリカの決まり? だったらおじさんが先方に電話して……」
「そういうものが、あるんだ。すまない」
「すまない、じゃなくてね」
ママが、バトラの手を両手で掴んだ。
「あなたはうちの子として預かってるの。何かあったら、あなたのご家族に顔向けできないでしょう。一緒に来なさい。ね?」
バトラの顔が、揺れた。
嘘のつけないあいつが、嘘をつけずに、立ち往生していた。ママの手を振り払うことも、本当のことを言うこともできずに、赤い目が、初めて見るくらい途方に暮れて……
「やあやあやあ、ツキシマさん! よかった、まだいた!」
夜道の向こうから、場違いに明るい声が走り込んできた。
ヤマナシさんだった。スーツの上に反射ベストを羽織って、公用車を路肩に停めて、息せき切って。
「教育支援局です! 夜分にすみません、バトラさんの緊急保護の件で!」
「き、緊急保護?」
訝しげに首をひねるパパとママに、ヤマナシさんは先日バトラのホームステイをねじ込んだ時と同様の、いかにも誠実そうな役人の顔をして答える。
「ええ。留学生条項ってやつでして」
ヤマナシさんは、慣れた手つきで身分証をひらめかせながら、まくし立てた。
「怪獣災害の時、交流事業の留学生は身元保証機関、つまり教育局が責任もって一括保護する決まりなんです。国際的な取り決めでして。ロシリカ側の指定避難施設が別にありまして、そちらへお連れします」
「は、はあ……」
ママの声は、頷いていなかった。手も、バトラの手を離していなかった。
「でも……こんなときにこの子だけ別って、そんな」
「規則なんです、すみません」
「規則って言ったって、ねえ? 避難所なら一緒のところでいいじゃないですか。手続きなら明日、私たちがどこへでも……」
パパまで加勢した。先日は上手く丸め込んだはずのヤマナシさんの営業スマイルに、初めて汗が見えた。
当然だ。うちの両親は、書類の胡散臭さには丸め込まれても、目の前の子供をどことも知れないところへ連れだすことには丸め込まれないのだ。この人たちは、そういう人たちだった。
「……っ」
バトラが何か言いかけて、言えずにわたしを見た。
……ああ、もう。
分かってるよ。分かってる。あんたは行かなきゃいけない。あの警報の「怪獣」を止めに。それはあんたにしかできなくて、そしてそのことはうちの親には絶対に言えない。
だから、これはわたしの仕事だ。
「……ママ、パパ」
わたしは、二人のあいだに割って入った。
「大丈夫だよ。この決まりのこと、わたし知ってる。前に学校で説明あったから。留学生の子は災害のとき専用の施設に集まるの。ほらヤマナシさんも来てくれているくらいだし、ほんとに決まりなんだよ」
「ツグミ……」
「それにさ、ロシリカの施設のほうがたぶんうちの避難所より頑丈だよ。なんかすごい設備あるって。ね、バトラ?」
「……あ、ああ。頑丈だ」
「でしょ。だから大丈夫」
我ながらぺらぺらと嘘が出た。嘘の練度だけは一級品のわたしの、人生でいちばん心のこもった嘘。ママとパパはわたしの顔をじっと見て、次にバトラの顔を見て、それからわたしに訊ねた。
「……二人とも、何か知ってるの?」
……勘の良い人だ。わたしが何か知っていることに勘付いている。
何も、と反射的に答えそうになってまた止めた。アヤノとの約束を思い出す。話せないなら話せないと言う、そう決めたはずだ。
だからわたしは正直に言った。
「……話せない。でもヤマナシさんに任せて」
ママの顔が曇った。
パパがヤマナシさんの書類をもう一度確認し、スマホで照会先へ連絡を取った。短いやり取りのあと、電話を切る。
パパが言った。
「……身元は確認できた。たしかにあなたは政府の人だ。しかし、納得したわけではありません」
「当然です」
ヤマナシさんは頭を下げた。
「こちらも、ご家族に十分な説明ができないことを申し訳なく思っています」
ご家族。その言葉に、バトラの目が少しだけ動いた。
ママは、バトラの手を離す前にもう一度だけ強く握った。
「いい? 何かあったら、すぐ連絡するのよ。番号、覚えてる?」
「……ああ」
「ごはん、ちゃんと食べるのよ」
それから、ママは台所へ走って、戻ってきて、とっておいたメロンパンをバトラの手に押しつけた。
「これは……?」
首を傾げるバトラに、ママは言って聞かせた。
「ツグミからバトラちゃんが好きだって聞いたからとっておいたの。向こうで食べなさい」
だから、とママは言う。
「……絶対、無事でいるのよ。学校で待ってるからね。始業式、もうすぐなんだから」
「…………」
バトラはメロンパンを両手で受け取り、受け取ったまま数秒黙った。それから小さな掠れた声で言った。
「……ありがとう」
ママは「どういたしまして」と笑った。何も知らない、いつもの笑顔で。
バトラが公用車に乗り込むその寸前、わたしは我慢できずに呼び止めた。
「バトラ」
振り向いた赤い目に、わたしは、言った。
「……必ず、帰ってきてね」
約束、という言葉は使わなかった。約束ならもうしてあるからだ。焼き芋。文化祭。もみじ。だからこれは確認だ。念押しだ。バトラが忘れっぽい怪獣だったときのための。
バトラは、わたしをまっすぐ見返して頷いた。
「……ああ。必ず」
公用車のテールランプが、夜の住宅街の角を曲がって、消えた。パパの車に乗り込みながら、ママが小さく「……ほんとに大丈夫かしらねえ」と呟いて、わたしは「大丈夫だよ」と今夜何度目かの嘘をついた。
大丈夫。あいつは、必ず帰ってくる。
だって、嘘のつけないあいつが「必ず」って言ったんだから。
午後十一時四十分。それは、海を割って立ち上がった。
「……でかいな」
誰かが無線で呟いた。咎める者はいなかった。全員が同じことを思っていたからだ。
照明弾の白い光の下、夜の浅瀬に立ったそれの身長は百メートル超。この夏に戦った三体のゴジラとは、そのどれとも比較にならない脅威なのは明らかだった。
黒曜石を積み上げたような漆黒の巨体。三列に連なる、山脈のような結晶状の背鰭が、呼吸のように赤く明滅している。一歩。海岸の砂が地響きとともに沈む。二歩。規制線の照明塔が、振動だけで倒れた。
サカキ=ハルオは、前線指揮所の車両の上で双眼鏡を握ったまま、動けなかった。
……ああ。これだ。
怪獣黙示録の時代、まだ小さな子供だったサカキは、避難の丘の上からあれを見たことがある。
燃える故郷の街を風景ごと踏み潰しながら歩く、黒い巨体。大人たちの誰も何もできなかった。泣く者と、祈る者と、ただ見ている者しかいなかった。幼いサカキは、両親の上着を握りしめてただ思ったのだ。
ああ、世界は人間のものではなかったんだな、と。
あの日から、サカキ=ハルオの人生はあの黒い山への答案を書き続けることだった。士官学校も、Gフォースも、Mプロジェクトも。全部あの日の丘の上の、何もできなかった子供への返事だった。
この夏の三体は強敵だったが、今にして思えばあれらはまだ勝ち方のある敵だった。いま目の前にいるものは違う。これは、あの日の続きだ。
「……あれが、本物のゴジラだ」
自分の声が、遠くで聞こえた。
「中佐。指示を!」
タニ少佐の声で、サカキは戻ってきた。
「目標、上陸します!」
ゴジラ=アースの巨大な脚が、第二埠頭へかかった。コンクリートで護岸された岸が、足を置いただけで陥没する。荷揚げ用クレーンが揺れ、一本が根元から倒れた。
サカキはすぐに動き出した。
「……全部隊、聞け。作戦は変わらん。我々の任務は奴の撃破ではない、遅らせることだ。市街の避難完了まで、推定あと九十分。一分稼げば、バスが三台出る。この夏やってきたことを、手順どおりにやれ」
〈了解!〉
防衛線が、火を噴いた。
「第二防衛線、前進! 音響誘導装置、出力最大! 右側面へ集中し、北へ向けろ!」
無人戦車とメーサー車両が一斉に動き出し、低周波が地面を震わせる。爆薬が起動し、ゴジラ=アースの左前方で埠頭が崩れる。
大怪獣は一瞬だけ頭を動かした。
「反応あり!」
「続けろ!」
だがゴジラ=アースは進路を変えなかった。正面へ並ぶ無人車両を見下ろしもせず、歩き続ける。
メーサーが膝へ集中すると膝周囲の組織が膨れ、光を受け止める。誘導弾が顔面へ向かえば、首と顎の輪郭が変形し、弾頭を鱗の外で止める。
爆炎が晴れる前に、怪獣の腕が振るわれた。無人操縦されるメーサー戦車三両が道路ごと吹き飛んだ。
「第二線、突破されます!」
「有人部隊を下げろ! 無人機だけ残せ!」
「沿岸病院、搬送完了まで七分!」
七分。
ゴジラ=アースが市街地外縁へ達するまで、予測では五分。
「第三線を港湾高架へ移せ。高架を落として通路を塞ぐ」
「まだ民間車両が……」
「通過確認後に爆破。誘導班へ急がせろ!」
命令が飛び交う中、サカキは地図と怪獣の進路を見比べた。
ゴジラの巨体は、燃え続ける弾着の光の中を歩き続けていた。まっすぐだ。何度攻撃しても、進路も速度も変わらない。そもそもこちらを敵として歯牙にもかけていないようですらある。
ゴジラは内陸へと進んでいた。人間の全力を雨ほどにも感じていない足取りで、赤い背鰭の明滅を少しずつ速めながら。
「防衛第一線、突破されます! 第二線まで、あと八百!」
「市街の避難完了まで、あと七十分!」
「……全車、後退しつつ射撃継続。止まるな、遅らせろ。一秒でも!」
言いながら、サカキは知っていた。
Gフォースの攻撃に対し、あれは一秒も遅れていない。稼いでいるのは時間ではなく気休めだ。それでも撃つのをやめれば部隊の心が折れる。折れれば避難誘導が崩れる。だから撃つ。無意味を承知で、あの日の丘の上の子供の顔を、奥歯で噛み潰しながら……
そのとき。
夜空の高いところで、何かが光った。
流星かと思ったが、違った。それはまっすぐ垂直に落ちてきて、落ちながら二枚の翅を広げた。黒地に赤と黄色の稲妻模様。月と照明弾の光を浴びて、それは巨獣と防衛線のあいだの空中にぴたりと静止した。
「…………!」
ゴジラ=アースの百メートル超の巨体が、初めて足を止めた。
赤い背鰭の明滅が止まり、巨大な首がゆっくりと持ち上がって、宙に浮かぶ小さな翅を正面から見た。飢えた金色の目と、燃える赤い目が、夜の空中でまっすぐに繋がった。
見つけた。そう言っているようだった。
無線が静まり返る静寂の中で、タニ少佐が囁くように言った。
「バトラ……!」
バトラは空を舞いながらアースの正面へ回り込むと、空中で身体をひねりながらプリズム光線を放った。
赤紫の閃光が巨大な怪獣の胸へ直撃し、港湾全体を照らす爆発が起きて、衝撃波が地上を走りGフォースの車両が軋む。
バトラは空中に静止し、ゴジラ=アースを見下ろした。
百メートルを超える巨大怪獣と、人間ほどの大きさしかない魔法少女。大きさだけなら、戦いになるはずがなかった。
それでもサカキは即座に通信機を取った。
「全隊、射線を空けろ!」
タニ少佐が命令を復唱する。
「バトラと目標の間へ入らないでください! 救難部隊は待機、ヴァルチャー試験隊へ発進準備を通達!」
サカキは煙の向こうを睨んだ。
「避難を続けろ」
ゴジラ=アースの胸部で、生体装甲がゆっくりと収縮していく。
バトラのプリズム光線を受けた場所に、傷はなかった。
サカキは叫んだ。
「この戦いを、市街地へ入れるな!」
地球の化身と紫の光が、初めて向かい合った。
好きなキャラは?
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バトラ
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ツグミ
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カンナ
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アヤノ