「このままだとおまえ、死ぬぞ」
夕暮れの公園で、黄色い一本角と黒い翅を生やした転校生は、天気予報でも告げるような口調でそう言った。
明日は雨、降水確率は八十パーセントだ。そしてこのままだとおまえは死ぬぞ。バトラが言ったのは同じくらいの気軽さで、そして意味不明だった。
「……もっと詳しく」
鞄を拾いながらわたしが詳細を要求すると、バトラはまた不機嫌そうに顔を背けた。
「ここでは話せん」
「じゃあ最初から詳しく言ってよ」
「時間がない。来い」
抗議するより先に、身体が浮いた。
バトラがわたしの背中と膝の裏へ腕を回し、お姫様抱っこのようにそのまま軽々と抱き上げたのだ。
「ちょっ、何してるの!?」
「足を痛めているだろう」
「だからって、ほかに方法あるでしょ!」
「歩くより速い」
「効率の話をしてるんじゃない!」
わたしは暴れようとして、やめた。
落とされたら困るというか、よく考えたらいまのバトラには翅が生えていることに思い至る。
「待って。まさか飛ぶつもり?」
「ああ、そうだが」
「それは駄目」
「なぜだ」
「なぜだと思う!?」
「さあ?」
バトラは本気で分からないらしく、小さく首を傾げた。なんでこういうちょっとした仕草は可愛いんだちくしょう。
わたしは声を張り上げる。
「人に見られるでしょ! 制服姿の女子中学生が、別の女子中学生を抱えて空を飛んでたら!」
「大丈夫だ、日が暮れかけている」
「問題はそこじゃない!」
「では、目を閉じていろ」
「わたしの視界を塞いでも目撃者は消えないからね!?」
しかし、バトラは聞いていなかった。
黒い翅が大きく広がり、大気をひと打ち、そして一気に地面が遠ざかった。
「ぎゃーっ! ぎゃーっ! ぎゃーっ!」
「騒ぐな。人目につくだろ」
「あんたが飛んだ時点で人目につくわ!!」
さっきまでいた公園があっという間に足元へ沈んでいき、住宅街の屋根が並び、その向こうに夕暮れの街が広がった。
怖い。
ものすごく怖い。
ジェットコースターには安全バーがあるし、飛行機には壁がある。しかしいまのわたしをつなぎ止めているのは、今日出会ったばかりの感じの悪い転校生の両腕だけだ。
「絶対に落とさないでよ!」
「落とさん」
「本当に?」
「おまえにはまだ利用価値があるからな」
「安心させる言葉の選び方が最悪!」
バトラは翼を傾け、ビルの間を抜けていく。
その飛び方に迷いはなかった。電線も看板も、屋上の給水塔も、最初から位置を知っているように避け、眼下を車のライトが流れていく。
夕闇の中なら、地上の人間には大きな鳥か何かに見える……かもしれない。大きな鳥が女子中学生を抱えている時点で何の怪獣映画だよって話だけれど。
「もう少しゆっくり飛べないの!?」
「時間がないと言っただろう」
「何の時間よ!」
「“奴ら”が来るまでの時間だ」
声の温度が変わり、わたしは口を閉じた。
制服の左袖には、あの怪物の赤黒い体液が染み込んでいる。生臭い匂いは、風に晒されても消えてくれなかった。
「……さっきのセルヴァムとかいうやつ、ほかにもいるの?」
「いる」
「何匹?」
「分からん」
「そんなに?」
「分からんと言った」
つまり、少なくはないらしい。
それ以上訊く気になれなかった。
バトラが降りたのは、街の中心にそびえる高層ビルの屋上……正確には、最上階の部屋に続く広いテラスだった。
ビルというか、ヒルズだ。テレビや雑誌でしか見たことのない、住居と商業施設とオフィスが一つにまとまった、あの手の巨大建築物である。
「……ここが、あんたの家?」
そう訊ねると、バトラは事も無げに「ああ」と頷いた。
「屋上から入るの?」
「最上階だ。下から昇るより速い」
「何階?」
「知らん」
「自分の家なのに?」
「数えたことがない」
数えなくても普通は知っていると思うのだけれど。
バトラが顎で示した先には、一面のガラス扉があった。その向こうには、照明の落とされた広いリビングが見える。
バトラはわたしを下ろすと、ガラス扉へ手を当てた。電子音が鳴り、鍵が開く。
「家賃、いくらよ」
「知らん」
「知らない?」
「払ったことがない」
「出たな、金銭感覚の壊れた人間」
「わたしは人間ではない」
「さらに壊れた答えが返ってきたな」
富豪だ。それも怪獣バトラの名前を名乗る、正体不明の富豪令嬢である。転校初日に盛られていた噂の設定のうち、一つくらいは当たっていたのかもしれない。
「入れ」
「お邪魔します……」
恐る恐る、ガラス扉をくぐる。
広いリビングには、白いソファと低いテーブル、それに壁際の棚があるだけだ。生活の匂いもしない。料理の匂い、洗剤の匂い、人が長く暮らした部屋に残るはずのそれらが何もなかった。
部屋の一面を埋める巨大な窓、その向こうにはさっきまで見下ろしていた街の夜景が広がっていた。きれい。きれいすぎて、絵を貼っているみたいだ。
「……モデルルーム?」
「家だと言っただろう」
「住んでる人間の気配が一切ないんだけど」
バトラは答えず、リビングへ入った。
すると、棚の上から声がした。
「おかえりなさい、バトラ」
小さな声だったが、一人ではない、二つの声がユニゾンして、ほとんど同時に重なっている。
わたしは足を止めて振り返った。
棚の上に、二人の少女が立っていた。
……いや、少女と呼んでいいのだろうか。顔立ちは人間と変わらない。長いシルクのような髪を持ち、異国風の鮮やかな衣装をまとっている。
二人は交互に口を開いた。
「どうしました?」
「顔色が悪いですね」
思わずわたしはバトラを見たが、バトラは平然としていた。
もう一度、棚の上を見る。これがわたしの見ている幻覚でなければ、彼女らは小さい人である。それもものすごく小さくて、バービーとかリカちゃん人形よりちょっと大きいくらいの背丈しかない。棚の上に立つ二人はそっくりな顔で、こちらを見上げていた。
「妖精がいる……」
思わず気が遠くなりそうになりながら呟くと、妖精たちは首を振って答えた。
「いいえ、正確には、小美人と呼ばれています」
「インファント島からやってきました」
そういって腰をかがめて会釈をしてくれた。礼儀正しい小美人だ。人知を通り越してシュールですらある。
「……本物ですか?」
思わずそう訊ねてしまうのだが、小美人たちは小首をかしげて聞き返してきた。
「偽物がいるのですか?」
「いや、いないと思いますけど」
小美人自体は、歴史の授業の資料映像で見たことがある。
インファント島の小美人とは、守護神モスラと心を通わせて人類と怪獣の間をつないだという双子の妖精のことだ。しかしわたしが見た映像の大半は白黒で、画質も悪い。授業で見せられる記録写真も、小さな二人が遠くに写っているだけだった。
実在していたとは習った。習ったけれど、実際にいきなり棚の上から「おかえりなさい」と言われたときの心構えまでは学校で教わっていない。
「バトラ、その方は?」
「セルヴァムに襲われた」
小美人に訊ねられてバトラがぶっきらぼうに答えると、小美人たちの表情は曇った。続けてバトラはわたしの袖を指差す。
「さらに体液を浴びている。マーキングされている」
二人の顔が、さらに険しくなる。
「こちらへ」
「印を見せてください」
「え、ちょっと、」
わたしが戸惑っているうちに、小美人の一人が棚から飛び降りた。
落ちる、と思ったけれど彼女は羽毛のようにゆっくりと降下し、ガラスのテーブルへ着地した。もう一人も続く。
羽はないのに飛んでいる。わたしはもはや驚くのにも体力を使うのだと知った。今日はもう限界が近い。
「腕を」
促され、わたしはソファへ腰を下ろした。
バトラが向かいに立つ。
小美人たちはわたしの左腕へ近づくと、袖に付着した赤黒い液体を調べ始めた。片方が触れようとしたので、思わず腕を引く。
「危なくないんですか?」
「わたしたちには影響しませんが、あなたがた人間には影響があります」
「どんな?」
わたしの問いに二人は顔を見合わせた。バトラと言い、小美人と言い、なぜ誰もすぐ答えてくれないのだろう。嫌な知らせの前に間を作るのはやめてほしい。
「まずは、順番に説明しましょう」
「そのほうがよいでしょうね」
小美人の一人が、バトラを見上げた。
「ではバトラ。あなたから……」
「面倒だ」
「あなたが連れてきたのでしょう? 説明してあげてください」
バトラは明らかにめんどくさそうな顔をしたが、不承不承、わたしの向かいへ腰を下ろして口を開く。
「さっきの化け物はセルヴァム、奴らはゴジラの眷属だ」
「ゴジラの眷属?」
冗談を言っているのかとも思ったが、冗談を言っている顔ではなかった。そもそもバトラが冗談を言えるようには見えない。
ゴジラと言えば、かつて怪獣黙示録を引き起こした怪獣の王、キングオブモンスターだ。しかしそいつは何年も前にいなくなったと学校では習っている。
「怪獣黙示録はゴジラが死んで終わったんじゃないの?」
「人間はそう考えているらしいな」
「違うの?」
「終わっていません」
代わりに小美人が答えた。
「怪獣たちの多くは姿を消しました。しかし、すべてが死に絶えたわけではありません」
「海の底や、深い山の中、人の目が届かない場所でいまも生きています」
教科書の中で終わったと思っていた過去の戦乱が、知らないところではまだ続いているのだという。そんな与太話、すぐに信じられるわけがない。
けれど、ついさっきクマサイズの怪物に食べられかけた。目の前には小美人がいて、隣には空を飛んで光線を撃つ魔法少女の転校生がいる。
信じたくない材料は山ほどあるのに、信じないための材料が一つもなかった。
「その中で、新しいゴジラが生まれました」
「人間たちは、その存在をゴジラ=アポストリと呼んでいます」
バトラが口を挟んだ。
「奴らは眷属を増やしている。セルヴァムはその一種だ。世界各地へ放たれ、残っている怪獣を探している」
「何のために?」
「喰うためだ」
バトラのぶっきらぼうな説明を、小美人たちが補う。
「ゴジラ=アポストリと呼ばれるそのものは、ほかの怪獣の力を集めています。自らを、より強くするために」
……何で?
素朴にそう思ったのだけれど、バトラは「分からん」と即答した。
「分からないのに戦ってるの?」
「理由を知るまで待っていれば、喰われる奴が増える」
バトラは自分の額へ指を当てた。いまは黄色い角も、黒い翅も見えない。
「わたしは、かつて戦闘破壊獣バトル・モスラ、バトラと呼ばれた怪獣の力と使命を受け継いだ者だ」
教室では、怪獣と同じ名前の変な転校生だと思っていたが違った。ただ名前が同じなだけではない。
本人なのだ。正確には、その後継者。
「じゃぁ、怪獣の生まれ変わりってこと?」
「少し違う」
「では、バトラの親戚?」
「それも違います」
代わりに小美人が続けた。
「先代バトラの遺したものから、この子は生まれました」
「この星を脅かすものと戦うため、バトラはそのために生まれてきたのです」
小美人たちは、子供に昔話を聞かせるような穏やかな声音でそう言ったけれど、わたしはかすかに引っ掛かった。
「そのために生まれる、って、何……?」
「それは……」
小美人の一人が口を開きかけたけれど、バトラが先に立ち上がった。
「話が逸れた」
逸らした。いま、明らかに話題を逸らしたと思った。
わたしは追及しようとしたけれど、有無を言わさずバトラは続ける。
「重要なのは、おまえのことだ」
「わたし?」
ああ、とまっすぐわたしを見据えながらバトラは言う。
「セルヴァムの体液には、ゴジラ=アポストリの細胞が混じっている」
バトラは、赤黒く汚れたわたしの袖を見る。
「それを浴びた生き物には、匂いが残る」
「洗えば落ちる?」
「落ちん」
「制服を捨てても?」
「もう皮膚へ染み込んでいる」
反射的に腕を擦った。
何も感じない。傷もない。それなのに、目には見えない何かが身体へ入り込んでいるらしい。その生理的嫌悪感でぞわっとした。
「どれくらいで消えるの?」
「分からん」
「さっきから分からないこと多すぎない?」
「分からんものは分からん」
「堂々と言わないでよ!」
小美人たちが続ける。
「セルヴァムたちは、その印を追います」
「一体だけではありません。今日の個体が戻らなければ、別の個体が探しに来るでしょう」
「その次も、さらにその次も」
恐怖が二倍になるから交互に言わないでほしい。
つまるところ、こういうことだろうか。
「つまり、わたしはこれからも襲われる、と?」
「ああ。放っておけば、いずれ喰われて死ぬ」
頷くバトラ。
今日二度目の死亡宣告だった。聞き慣れる予定はないのだけれど。
思わず訊ねる。
「……どうすればいいの?」
「わたしが守る」
あまりにも迷いのない答えでわたしがバトラを見ると、バトラはまっすぐこちらを見返していた。
「セルヴァムがおまえを狙うなら、現れる場所も予測しやすい。おまえの近くにいれば、来た奴から潰せる」
ちょっと待って。いま、何かおかしな話が混じった。
「それって、わたしを守るんじゃなくて」
「ああ、守ってやる」
「敵を呼ぶためにも使うつもり?」
「ああ。囮だ」
「認めた!」
「嘘をつく意味がない」
「少しくらい誤魔化しなさいよ!」
「面倒だ」
清々しい。ここまで正直だと、腹が立つのを通り越して清々しさすら覚えるわ。
バトラは堂々と腕を組んだ。
「これから、おまえを守ってやる。代わりに、囮として協力しろ」
「冗談じゃない!」
わたしはソファから立ち上がった。右足に痛みが走り、少しよろめいて、バトラが手を伸ばしかけたがその前にテーブルへ手をついた。
「勝手に変な液体を浴びせられて、勝手に怪物に狙われて、そのうえ囮になれ? そんなの、わたしに何の得があるの!?」
「死なずに済むぞ」
「それは得じゃなくて、最低条件でしょうが!」
「では、断るか?」
「当たり前でしょ!」
「そうか。なら、好きにしろ」
え。もっと食い下がるかと思ったのに。
予想外の答えに戸惑うわたしに、バトラは淡々と告げた。
「わたしも、おまえだけを守るために動いているわけではない。セルヴァムが現れれば倒す。間に合わなければ、おまえが死ぬ。それだけだ」
冷たい奴だ。
けれど、脅しではない。本当にそうするのだと分かった。
バトラは、わたしが怖がって要求に応じるかどうかに興味がない。わたしが断るならその選択をそのまま受け入れるつもりなのだろうし、その結果でわたしが死んでもどうとも思わないのだ。そこら辺は怪獣っぽいなと思ってしまった。
いや、そんな感心している場合ではない。
「ちょっと待って」
バトラがこちらを見る。
「セルヴァムは、わたしだけを狙うの?」
「印を追う」
「家に帰ったら?」
「おまえの家へ来るだろうな」
「家族が近くにいたら?」
「巻き込まれる可能性はある」
心臓が、ひやりと冷えた。
パパとママ。どちらも怪獣から逃げ切れそうな運動能力には見えない。特にパパは、このあいだ駅の階段を上っただけで膝を押さえていた。
バトラは、そのことに思い至ったわたしの顔を見て訊いた。
「おまえの家族は、走るのは速いのか?」
言葉に詰まった。
……卑怯だ。たぶん、バトラにそのつもりはないだろう。本当に必要な確認をしただけ。だから余計に卑怯だとさえ思った。
勝手に怪獣の争いへ巻き込まれた。勝手に標的にされた。わたしは何も悪くない。なのに、選べる答えが一つしかないのである。理不尽としか言いようがない。
「……分かった。協力する」
奥歯を噛みしめながらわたしが渋々頷くと、バトラはぶっきらぼうに頷いた。
「賢明だ」
「ただし!」
このツキシマ=ツグミは転んでもただは起きないのである。びしり、とバトラに人差し指を突きつける。
「これは取引だから」
「取引?」
首をかしげるバトラたちにわたしは告げる。
「あなたはわたしと家族を守る。わたしは囮として協力する。ぎぶあんどていくです。どう?」
言い聞かせるように言った。一応バトラに向かって言っているが、実際はバトラにではない。たぶん、自分にだ。
「友達になったわけでも、仲間になったわけでもない。それだけです」
バトラは、ほんの少し目を細めた。
笑ったわけではない。馬鹿にしたわけでもない。むしろわたしの言葉の中に、自分と同じものを見つけたような顔だった。
やがてぶっきらぼうに答える。
「望むところだ」
こうして、わたしとバトラの取引は成立した。
書類はないし、署名もない。可愛いマスコットも、願いを叶える奇跡もない。
あるのは、怪獣の体液が染みついた制服と、感じの悪い転校生と、棚の上に立つ二人の小美人。ファンタジーな魔法少女との取引としては、だいぶ華がない。
そして当然ながら、このときのわたしはまだ知らなかった。
自分が怪獣に狙われることなんかよりも、この取引によってバトラがわたしの生活へ入り込んでくることのほうがよほど厄介だったということを。
バトラがヒルズ族なのは「ちびゴジラの逆襲」から。