その放送は、避難生活が四日目に入った朝に流れた。
『連合政府は本日未明、怪獣に対する本格的な反転攻勢を開始すると発表しました。作戦には、これまで開発が伏せられていた新型の大型機動兵器が投入される模様です。繰り返します――』
体育館が、ざわ、と沸き立った。
画面に映ったのは、燃えた街の入口に並ぶ超大型輸送車の列だった。夜明けの薄明の中で、覆いをかけられた巨大な何かがクレーンで吊り上げられていく。全容は映らない。それでも、四日間ずっと「対処を継続しています」としか言わなかった画面に初めて動いているものが映ったのだ。
「大型機動兵器って、何だよ」
「ミサイルか?」
「ロボットって書いてあるぞ、ネットに」
「ロボットぉ? メカゴジラかよ?」
誰かの笑い声が、途中で止まった。笑い飛ばそうとして、笑えなかったのだ。この四日間で、笑えることなんて何ひとつなかったから。
わたしは毛布を膝に抱えたまま、画面の隅を見ていた。
輸送車の周りを、山積みにされたドローンが運ばれてゆく。ここ数日ニュースで見た「募集されたドローン」たちだ。カンナのチャンネル経由で集まったやつも、あの中のどれかにいるのかもしれない。誰かの倉庫にあった農薬散布機も、誰かの息子のラジコンも。
そして画面のどこにも、黒と黄色の翅は、いなかった。
四日目。既読は、まだつかない。
わたしは膝の上で拳を握った。祈る以外の全部をするな。分かってる。分かってはいるけれど、せめて、見届けることだけはさせてもらおうと思った。
代わりにちゃんと見ておいてあげる。あんたが守ってきた人間たちが、今度は自分たちで戦うところを。
〇六〇〇。
MOGERAのコクピットは、思っていたよりも静かだった。
サカキ=ハルオは操縦架に身体を預けたまま、正面モニターを見ていた。二キロ先、崩れたビル群の向こうに、それは在る。
全高、二百四十メートル。
上陸したときより倍以上大きい。街の中心に穿たれた竪穴の縁で、頭を垂れ、地面に口をつけ、太い触手を穴の底へ垂らしたまま静かに膨れ続けている。背鰭の明滅は緩慢だ。四日間、あれはずっと、この星を飲んでいる。
〈こちら地上指揮所、タニです……最終確認、いきます〉
「頼む」
サカキに促され、タニ少佐は今回の作戦を復唱した。
〈第一段、遮断。ランドモゲラーが地下へ潜行し、竪穴の側壁を掘り抜いて触手の基部を破壊します。補給を断ち、同時に目標を立ち上がらせます〉
「起こさんと、背鰭が見えんからな。それで次は?」
〈第二段、拘束。全国から集めた無人機、四千八百機を投入。目標の正面上空を飽和させ、注意を惹きつけます〉
「あれの首を、こちらへ向けさせるわけだ」
〈そのとおりです。無人機の役割は攻撃ではありません。目標に、防御を張らせ続けることです〉
サカキは頷いた。
ゴジラ=アースのシールドは鉄壁だが、完璧ではない。長時間に渡る飽和攻撃を仕掛けた場合、必ず息継ぎの時間が存在する。
三列の背鰭から発するシールドが順に立ち上がり、一巡して戻る。その切り替わりの〇・四秒だけ、背鰭そのものが露出する。
つまり、シールドを張らせなければ周期は始まらない。わざと撃たせ、わざと防がせ、その律儀な仕事の切れ目に全部を叩き込むのだ。
〈第三段、背鰭とシールドの破壊。ゲマトロン演算で周期を予測し、〇・四秒の窓を全隊へ同時に通達します。メーサー戦車隊、三十六輌。全門、背鰭第二列基部へ集中し、シールドを破壊します〉
「外したら?」
〈次のタイミングまで、およそ十一秒です。ただし、目標が周期を変える可能性は否定できません〉
「一度で決める」
〈はい……そして第四段〉
タニの声が、わずかに硬くなった。
〈シールド消失後、MOGERAがEMPハープーンを射出。目標体内で電磁パルスを起爆し、体内電磁波の制御を破壊します〉
「弾数は」
〈二本です。工廠が三日で仕上げられたのが、それだけでした〉
二本。
サカキは、自分の機体の両腕を見た。本来そこに装備されるはずだったスパイラルグレネードは全て降ろされ、代わりに積まれているのは全長十二メートルの銛が二本。
上等だ。サカキは、無線のスイッチを入れた。
「……全隊に告げる。今日の作戦は、ほとんどが待ち時間だ」
朝の風が、燃え跡の街を渡っていく。
「我々が撃てるのは、一度きり。〇・四秒しかない。それまでに何時間かかろうと、何機失おうと、我々のやることは一つだ。あれに、防御を張らせ続けること。地味な仕事だ。うんざりもするだろう」
彼は、正面のそれを見た。
「……だが、その〇・四秒のために、全部がある」
誰も笑わなかった。
最初に動いたのは、地下だった。
地表から八百メートル手前。仮設の発進坑で、MOGERAの上半身から分離した地底戦闘車が待機していた。
ランドモゲラー。先端の巨大なドリルが唸りを上げ、大地へ食い込む。土と岩を噛み砕き、掘進しながら自ら退路を潰していく、片道の兵器である。
〈掘進開始。深度五十、百……速度、時速五十二キロ〉
〈目標との相対距離、千九百。予定進路上に旧地下鉄構造物、迂回します〉
地上では、五機のヴァルチャーが廃墟の谷間を低空で駆けていた。囮である。ゴジラの尾が持ち上がり、細い青の一条が朝の空気を裂く。
〈一番機、回避!〉
〈掠めました! 浅いです!〉
「高度を下げろ! 瓦礫を盾に使え、直線で飛ぶな!」
当たらない。効かない。効かせる気もない。ただ、あれの目を地面から引き剥がすためだけに、五機は死の圏内を飛び続けている。
〈相対距離、九百〉
〈五百〉
〈竪穴の側壁に到達。掘進、垂直に切り替えます……〉
サカキは、モニターに映る地中断面図を睨んだ。溶けたガラス質の壁の向こう、垂直に垂れる太い管。あれが、あの怪獣とこの星を繋ぐ食道だ。
「切り落とせ」
〈ランドモゲラー、側壁を貫通……視認しました。ゴジラ触手基部を確認〉
映像が切り替わり前面カメラが捉えたのは、赤黒く脈打つ直径十数メートルの管の束だった。表面に血管が浮き、内部を赤い光が流れているのが透けて見える。
この星の熱が、あの中を昇っている。
〈ドリル、最大回転〉
巨大な掘進ドリルが、触手の束へ突き立った。
悲鳴のような音がした。実際には音ではなく、震動だったのかもしれない。管が身を捩り、絡みつこうと蠢く。だがドリルは止まらなかった。回して、削って、掘り抜く。
〈切断、進捗六割……八割……〉
地上で、巨体が異変に気づいた。それまで微動だにもしなかったゴジラが身動ぎする。
「間に合わせろ!」
〈切断、完了しました!!〉
竪穴の底から、赤い光が血飛沫のように噴き上がった。
そして地上では、二百四十メートルの巨体が天を仰いで雄叫びを上げた。
食事を中断させられ、ゴジラは怒り狂っていた。展開していた触手を巻き取って口を閉じ、伏せていた身体が起き上がり、三列の背鰭が朝の光の下に露わになった。
サカキは、それを待っていた。
「第二段だ。ドローン隊、投入開始。一機残らず飛ばせ。あいつにシールドを出させるんだ」
サカキの合図の直後、空がドローンで埋まった。
東の空から湧いてくるのは細かいドローンの影だった。四千八百機。防衛省の偵察機も、警察の監視機も、放送局の中継機も、農薬散布機も、模型店の在庫も、どこかの家の子供が誕生日にもらったものも、全部混ざっている。
ゴジラにとっては羽虫にも満たないドローンの大群が、二百四十メートルの正面へ殺到した。
ゴジラが吠えた。
尾が振られる。青いビームの一閃が空を薙ぎ、十機がまとめて消える。首が回り、口から熱線が走り、また二十機が散る。
だが、減らない。
四千八百機は、減らないように投入されていた。落とされたぶんが、後ろから補充されてくる。
〈ゴジラ、迎撃を継続。背鰭、発光を開始しました〉
モニターの中で、三列の突起が順に光りはじめた。
根元から先端へ。一列目、二列目、三列目。そしてまた一列目。巨体の周囲の空気がわずかに歪む。飛んでいた無人機の何機かが、見えない壁に触れて弾かれ、あらぬ方向へ流れていった。
〈メタマテリアルシールドの展開を確認。周期、計測開始します〉
サカキは、モニターの中の巨体を見た。
四千八百機の玩具にゴジラ=アースは一機ずつ律儀に、そして全力で応えている。そのたびに鎧を張り直し、周期を回し、切れ目を作っている。
そうやってシールドを張り続けていれば、いずれは息継ぎのタイミングがやってくる。
〈体内電磁波の周期を同調、次のタイミングまで、二・二秒……一・八……〉
サカキは言った。
「メーサー戦車隊、タイミングは〇・四秒だ。全門、背鰭第二列基部。確実に狙え、決して外すな」
〈了解。メーサー戦車隊、三十六輌、照準固定〉
〈窓まで、一・二秒〉
〈〇・八〉
〈〇・四〉
「
三十六条の青白い雷光が、同時に走った。
瓦礫の丘の陰から、崩れた高架の上から、河川敷から。四方に散っていたメーサー戦車隊の全門が、たった一点へ向かって収束する。
三列目が消え、一列目が立ち上がるまでの〇・四秒。剥き出しの背鰭に、三十六発のメーサー光線が同時に着弾した。
作戦開始から八時間。閃光が、昼過ぎの街を白く染めた。
破砕音は、遅れて来た。硝子を粉にするような、乾いて高い音である。二百四十メートルの背中で、第二列の突起が根元から折れ、砕け、宙に散った。
〈第二列、破壊確認!〉
〈シールド、消失! 目標周辺の電磁反応、ゼロ!〉
ゴジラが、絶叫した。
この四日間、いや怪獣黙示録の中で一度も上げなかった種類の声だった。巨体が身を捩り背中へ手を回そうとするが届かない。
サカキは、操縦架を握った。
「MOGERA、前へ!」
スターファルコンとランドモゲラーが合体した白銀の機体が、燃え跡の街を駆けた。
六十メートルのMOGERAが、二百四十メートルのゴジラ=アースへ向かって走る。四倍の体格差である。まともにやれば一撃で潰されるだろう。
だから、まともにやる必要はない。
MOGERAの両腕の装甲が展開する。全長十二メートルの銛が、二本。
EMPハープーン。着弾後、内部で強力な電磁パルスを起爆する貫通型弾頭。三日前までは図面の上にしかなかったが、今こうして形になっている。
「距離、八百」
〈シールド再構成まで、およそ二十秒と推定〉
「充分だ」
サカキは照準環を合わせた。
狙うのは胸だ。背鰭の直下、体内電磁波がいちばん濃く流れている場所。分析班が三日かけて割り出した一点である。
「ロック」
〈ロック確認〉
ゴジラの巨体が、MOGERAを見た。
二百四十メートルの目が白銀の機体を捉え、顎が開いて喉の奥に青い光が溜まりはじめる。
〈中佐、目標、熱線の予備動作を確認!〉
「知っている」
サカキは、引いた。
「一発目、
一本目がMOGERAの腕から離れた。白い航跡を引いて、朝の空を走り、そして外れた。
撃たれた瞬間にゴジラ=アースが身を捩ったのだ。銛は胸の脇をかすめ、そのまま後方へ飛んで、崩れた高層ビルの残骸へ深々と突き刺さった。
〈一本目、外れ!〉
「二本目、行く」
サカキは動じなかった。動じている暇がなかった。
照準環が、また赤から緑になる。
「二発目、
今度のハープーンはちゃんと命中した。
全長十二メートルの銛がゴジラの体表を穿ち、ゴジラが悲鳴を上げる。命中したハープーンは、二百四十メートルの胸へ根元まで沈んだ。
一秒。
二秒。
〈起爆!〉
ゴジラの巨体の内側が、青白く光った。
皮膚の下を、稲妻が走るのが見えた。胸から首へ、首から背へ、背から尾の先へ。あの生き物の中を流れているものが、いま、外から乱されている。
ゴジラが、痙攣した。
喉に溜まっていた青い光が散り、熱線が明後日の方向へ噴き出して、遠くの廃墟を薙いだ。
〈目標、体内電磁波、乱れています! 波形、崩壊……!〉
「よし!」
サカキは、初めて拳を握った。
街が焼け、子供が眠り、三十二万人が体育館の床で寝ている災厄の四日間、その四日がいま終わろうとしている。
そう思った矢先のことだった。
〈……サカキ中佐!〉
タニ少佐の声が、変わった。
〈波形が、戻っています!〉
「なんだと」
〈崩壊が途中で止まりました……出力が、足りていません!!〉
サカキは、モニターを見た。二百四十メートルの巨体の内側で乱れた青白い光が、ゆっくりと形を取り直していく。
そして――赤に、変わりはじめた。
その日の避難所は、朝から誰もテレビの前を離れなかった。
配食の列に並びながら、みんな首だけ後ろを向いている。炊き出しのおばさんが玉杓子を持ったまま画面を見ていて、味噌汁が溢れた。誰も注意しなかった。
〈――現在、Gフォースはドローンによる継続的な攻撃を実施している模様です。専門家によりますと、これは怪獣の防御機構を意図的に作動させるための陽動とみられ……〉
画面には、望遠で捉えた燃え跡の街が映っていた。
真ん中に、ゴジラがいる。
地面に開いた巨大な穴の縁でさっきまで頭を垂れていたそれは、いま立ち上がってしきりに周囲を薙いでいた。尾が振られ、青いビームが走る。空を飛んでいた小さな点が、ひとつ、消える。
また一条。ひとつ、消える。また一条。
「……何をやってるんだ、あれは」
誰かが呟いた。
「なんで、あんな小さいのばっかり撃ってるんだ」
わたしには、なんとなく分かった。ゴジラは律儀にドローンを一機ずつ撃墜しているのだ。日本中から集められた「飛べるドローン」たちが、一機ずつ、あいつの前を横切っては撃ち落とされている。誰かの倉庫にあった農薬散布機。誰かの息子のラジコン。放送局の中継機。カンナの三号機。
Gフォースは、ゴジラ相手に消耗戦を仕掛けている。何かのタイミングを計っているかのようだ。
〈開始からおよそ八時間が経過しました。政府発表によりますと、投入されたドローンは延べ五千機を超え……〉
そしてその作戦は上手く行ったようだ。
画面の下のほうで、青白い光が同時に何十本も走った。瓦礫の陰から、崩れた高架から、河川敷から。全部が同じ一点へ集まって、ゴジラの背中で弾けた。
先日チタノザウルス戦でも見かけたメーサー戦車、その一斉射撃だ。
白い閃光、それから遅れて硝子を割るような高い音がテレビのスピーカーから鳴った。
〈い、いま……背中の、突起が……!〉
三列のうちの真ん中が、根元から折れて宙に散っていた。これまでバトラのプリズム光線でもびくともしなかったゴジラの防御が、何らかの理由で敗れたのだ。
ゴジラが絶叫した。
この四日間で聞いたどの声とも違う声だった。テレビ越しなのに、体育館の空気がびりびりと震えた気がした。
「効いた……?」
「効いたんじゃないか、いまの」
「バリアーがどうとか言ってたやつ、あれ壊したんだろ」
そして、画面の端から、白いものが走ってきた。
〈対ゴジラ兵器、
テレビの中でMOGERAと呼ばれた巨大ロボット――と言ってもゴジラ=アースより遥かに小さかったが――は、キャタピラで走行しながら両腕の装甲を開いた。
銛だ、とわたしは思った。
それは鯨を獲るやつに似ていた。ものすごく長くて、先端が尖っていて、二本ある。
〈MOGERAの必殺兵器、EMPハープーンです! それを今ゴジラに撃ち込んで、ゴジラを体内から自滅させようという作戦です!〉
EMPハープーン、詳しい理屈はよくわからないが、つまりゴジラに効く必殺兵器らしい。
左右二発のEMPハープーンはゴジラめがけてまっすぐ飛んでゆき、一発目はゴジラが身をよじったことで外れ、二発目は胸に刺さった。
〈EMPハープーン、命中です! ゴジラにダメージ、なるか……!?〉
数秒後、画面の中で、ゴジラの身体の内側が青白く光った。
皮膚の下を、稲妻みたいなものが走っていくのが見えた。胸から首へ、首から背中へ、背中から尻尾の先へ。
ゴジラが痙攣した。喉に溜めていた青白いエネルギーが散って、熱線が明後日の方向へ噴き出して、遠くの廃墟を薙いだ。
ゴジラは明らかに苦しんでいる。
「やった!」
「効いてる! 効いてるって!」
「今度こそだろ、今度こそ!」
誰かが手を叩いた。誰かが両手を挙げた。子供が跳ねていた。
体育館が揺れる中、わたしの指はまだ数えていた。十秒。十五秒。二十秒……撃たない。撃たないけど。
この夏、わたしは何度もこういう瞬間を見てきた。海でも、山でも、地下でも。相手が急に静かになるとき、それは終わりじゃなかった。むしろその次にいちばん悪いことが起きるのだ。
〈あ、待って……ゴジラが……!?〉
テレビの声で、歓喜していた人々は一斉にテレビへ注目した。
画面の中の山の、身体の継ぎ目が、赤く光った。
ひとつ。ふたつ。それから一斉に。燃えた街を背にして、巨体の全身に亀裂のような赤い光が走っていく。背中の背鰭が根元から白熱していく。四日前の夜、この街を焼いたあの色がまた戻ってくる。
〈あ……ああ、また、あれです! 四日前と同じ、あの発光現象です! 怪獣が、また燃えています!〉
バーニングゴジラと化したゴジラを前に、体育館の歓声が悲鳴に変わった。
立ち上がった人が座り込んだ。手を叩いていた人が口を押さえた。子供が泣き出した。
なんで。どうして。追い詰めたはずなのに。空っぽにしたはずなのに。
わたしにはわかった。
追い詰められたから、だ。
死にかけたあれは、かき乱された体内のリズムをそのまま利用して、あえて力業に打って出たのだ。残っていたぜんぶを燃やし、身体そのものを燃料にして一気にカタをつけようととしている。
赤熱した巨体が天を仰ぎ、そして光の柱が四方八方へ迸った。
空を飛んでいたドローンの群れが、一瞬で消えた。何十機が、何百機が、火の粉みたいに散った。逃げ遅れたヴァルチャーの機影が、爆炎の中へ飲まれていくのが見えた。街の残骸が、また燃えはじめる。
〈作戦部隊が……ドローン部隊が、壊滅しています! 新型兵器も、後退を……ああ、これは、これは……!〉
次に首が下がり、顎が開いて、太い熱線が地表を舐めた。
瓦礫の陰にいた戦車が、まとめて吹き飛んだ。高架の上にいたのも、河川敷にいたのも。あの三十六輌が、一薙ぎで消えた。
〈メーサー戦車隊、全滅……こちらも、確認できません……!〉
だめだよ、そんなの。膝の上で、爪が手のひらに食い込んだ。
だめだ、だめだ、だめだ。あんなに準備して、八時間も、五千機も、それでも足りないの。あの人たちがやったこと、ぜんぶ無駄になるの。ねえ。
周りの戦車隊やドローンたちを片づけたゴジラがMOGERAに向き直った、まさにそのとき。
画面の上の端を黒いものが横切った。
一瞬だった。
カメラが慌てて上を向いた。振り切れた映像がぶれて、夕焼けの空を映して、その真ん中に、小さな黒い点が浮いていた。
〈……な、なんでしょうか。上空に、何か……未確認の飛行物体が確認されます。ヘリでしょうか、いえ、大きさが……〉
体育館がざわめいた。
「なんだあれ」
「ドローンじゃないのか」
「いや、ドローンはさっき全部やられただろ」
黒い点は燃える巨体の頭上で一度だけ静止した。
二枚の翅。黒地に、赤と黄色の稲妻模様。翅の付け根に、小さな身体。制服が焦げて、黒い髪が風に流れて、額からは黄色い角が伸びている。
どう見ても、人の、女の子だった。
〈…………〉
アナウンサーが、絶句した。
三秒か、四秒か。日本中の画面が、無音になった。
〈……ひ、人です。人が、飛んでいます。あれは……女の子、です。女の子が、翅を生やして、空に……〉
言葉を探して、探しあぐねて、そして、彼はたぶん、生涯でいちばん報道原稿から遠い一言を口にした。
〈魔法少女……いえ、その、しかし、他に、言いようが……!〉
そこからの数分を、わたしは一生忘れない。たぶん、日本中が忘れないと思う。
黒い翅の魔法少女はまっすぐ燃える巨体へ突っ込み、炎の壁に囲まれて動けなくなっていた白銀の機体の真上を薙いだ。降ってくる瓦礫と炎が、紫の光に焼き払われて散る。
〈飛行物体が……新型兵器を、庇いました! いえ、庇っています!〉
庇って、それからあいつは飛び去った。
「え」
わたしは声を出した。
黒い翅の魔法少女が、戦場から離れていく。燃える巨体に背を向けて、崩れかけたビル群のほうへ。
「逃げ……?」
誰かが言いかけたが、わたしは違うと思った。
わたしは、画面に顔を近づけた。黒い翅の魔法少女は、まっすぐ飛んでいた。迷いなく、一直線に、何かの場所へ向かって。
……なんだろう。あそこに何かある。
カメラが追った。ぶれた映像の先に崩れたビルの残骸が映り、その壁に何かが突き刺さっていた。長い、銛みたいなものだ。
「あっ!」
わたしは、口を押さえた。
EMPハープーンの外れた一本目だ。
黒い翅の魔法少女は、渾身の力でそれを引き抜いた。
全長十二メートルの銛である。魔法少女の身体の何倍もある。それを、翅で支えて、抱えて、持ち上げた。
〈飛行物体が……何か、運んでいます。あれは、先ほどの……!〉
「うそ」
「拾ったのか、あれ!」
「あんなの持てるのかよ!」
体育館じゅうが立ち上がっていた。
わたしも立っていた。いつのまに立ったのか、覚えていない。
黒い翅が旋回し、銛を抱えたまま高度を上げていく。夕焼けのいちばん高いところまで。
燃えるゴジラの巨体がそれに気づいた。黒い翅の魔法少女を撃墜しようと狙いを定める。
「だめ……!」
思わずそう口にしたちょうどそのとき、ゴジラの顔面の横から青白い閃光が迸った。
MOGERAのプラズマメーサーだ。効きはしないが、ゴジラの注意を惹きつけることは出来た。
その刹那、黒い翅の魔法少女が駆け降りてきた。
翅を畳んで、身体を一本の線に銛を前へ向け、二本目が刺さっているすぐ隣、二百四十メートルの胸元へ真っ直ぐへ。
黒い翅の魔法少女はEMPハープーンをゴジラに突き立てた。
起爆は、遅れて来た。
巨体の内側が二箇所から同時に光り、青白い光が胸から広がる。今度は止まらなかった。首へ、背へ、尾へ、脚へ。
あの生き物の中を流れていたものが、二つの銛のあいだで完全に絡まってほどけなくなったのだ。
最後の瞬間が来た。
よろけたゴジラ=アースの巨体が、大きく息を吸うみたいに胸を反らした。背中の山脈に、残っていた赤ぜんぶが雪崩れ込んでいく。喉の奥に光が集まる。多重の輪が顎の前に展開される。
最後の熱線。ありったけの最後の一撃を食らわせる気だ。
「逃げて……!」
白銀の機体は、逃げなかった。
画面の中で、MOGERAが炎の中を歩いてくる。装甲が焼けて、右の脚から煙が出ていて、それでもまっすぐに、開きかけた光の輪へ向かって。
「なにやってんの、あの人……?」
誰かが言った。わたしだったかもしれない。
そして、気づいた。
……そうか。
あれは、撃たれに行っているんじゃない。撃つ寸前が、いちばん無防備なんだ。
この夏、わたしは何度もそれを見てきた。海でも、山でも、地の底でも。ゴジラは力を溜めるとき、必ず動きを止める。三と一の拍。溜めて、開いて、撃つ。その一拍だけ、あいつらは殴られる用意ができていない。
MOGERAの胸部装甲が、左右に開いた。
開いた内側に、砲門が見えた。四日間、一度も使わなかったものである。四日かけて敵の財布を空にする作戦を組んだ人が、最後の最後まで温存していた一発。
その真上を、影が横切った。
「あ」
わたしは腰を浮かせた。
夕暮れのいちばん高いところから、黒い翅が降ってきた。
翅を畳んで、身体を一本の線にして、まっすぐに。ぼろぼろの左の翅が風に鳴っているのが、画面越しにも分かった。
角の先端に、光が集まりはじめる。
この夏、わたしが何度も見てきた色である。公園で最初に見た色。海の底から噴き上がった色。山の湖畔で夜を裂いた色。地下の暗闇で壁を照らした色。
誰も、何も言わなかった。
体育館じゅうが黙っていた。四百人くらいいたと思う。全員が同じ画面を見て、全員が息を止めていた。
画面の中に、三つの光があった。
ゴジラ=アースの熱線。
MOGERAの胸のプラズマメーサー。
黒い翅の魔法少女による、角からのプリズム光線。
二つの光が、同時に放たれた。
白銀の砲火が、地上から。
紫の閃光が、空から。
二本の光は、それぞれ別の方向から飛んで、巨体の手前で交差し絡みあってゴジラに直撃した。
ゴジラも放ったが一拍遅れた。 プラズマメーサーとプリズム光線の二重奏を受けながら、ゴジラも熱線を放つ。何もかもを焼き尽くすゴジラの熱線は、一瞬MOGERAと魔法少女をかすめようとした。
だけど、MOGERAと魔法少女はそれでも押し切ると決めたらしい。
MOGERAのプラズマメーサーと魔法少女のプリズム光線は、ゴジラが展開した光の輪ごとゴジラの巨体のど真ん中を撃ち抜いた。
背中から光が突き抜け、世界が真っ白になり、音が数秒遅れて避難所の窓ガラスをびりびりと震わせた。
……白が晴れたとき、廃墟の真ん中でゴジラ=アースの巨体がゆっくりと傾いで、やがて地響きとともに倒れた。
ゴジラはもう起き上がらなかった。
〈…………た〉
アナウンサーの声が、震えていた。
〈倒した……倒しました! 怪獣が、倒れました!! 新型兵器と、少女が……人類と、あの魔法少女が、やりました!! 怪獣は、倒れて、動きません!!〉
体育館が割れた。
歓声なんてものじゃなかった。みんな立ち上がって、抱き合って、跳ねて、泣いて、知らない人同士が握手して、誰かが万歳を叫んで、それが伝染して、万歳、万歳、って、声が嗄れるまで。
ママがわたしを抱きしめて、パパがその上から二人ごと抱きしめて、周りが皆そんなふうだった。
わたしは、テレビを見ていた。
画面の中で夕日を浴びて、ぼろぼろの黒い翅が倒れたゴジラの上をゆっくりと旋回していた。
……勝ったよ。あんたが勝った。日本中が見てたよ。
だから早く帰ってきて、バトラ。
約束の続きをしよう。
打ち倒されたそのものは、体の奥から力が流れ出していくのを静かに聴いていた。
白銀の火と紫の光、二つで一つの良い一撃だった。あれを防ぐ術はなかった。倒れた背中に廃墟の瓦礫が刺さっているが、痛みはもう遠い。死ぬのは四度目だ。慣れている。
だが、今度の死でこれまでの三度とひとつだけ違ったのは、死にゆく身体の底で計画の真意を理解したことだ。生まれる前から折り畳まれ、頂点に至ってもなお読めなかったいちばん深くの一枚。死という鍵でしか開かないそれが今開かれたのだ。
……ああ。そういうことだったのか。
二つの器を造り出し、争わせ、勝った方にすべてを注ぐ。その相克の末に、最終的にはこの
だがそうではなかった。
どちらが勝ってもかまわない、そういう計画だったのだ。
真の計画の意図を悟ったとき、そのものは可笑しくなった。あるいは怒るべきなのだろうか。四度の生と、四度の死と、こうして結果が出てみるとむしろそのものの生死は単に使い潰されることこそ計画通りだったのかもしれない。
だが、不思議と何も湧いてこなかった。
勘定は合っているのだ。そのものの敗北で計画は満ち、そのものの死がそのものの完遂であった。こうして完結してみれば、むしろこれほど正しい終わりがあるだろうかとさえ思った。
最後に残ったシステムに載せて、そのものは祈った。
全て受け取れ、次のあなたへ。
……最後にひとつだけ、勘定の外のことを思った。長い飢えの果てに腹は満ちなかったが、渡し終えたいまこの空虚さは飢えとは違うものになっていた。
なるほど。満ちるとはこういうことか、とそのものは生まれて初めて満足感を覚えた。
そのものの目から生命の光が消え、その
倒れた巨体の輪郭からこの夏のどの夜よりも太く、どの夜よりも深い赤の帯が、まっすぐに夕暮れの空へ立ちのぼっていった。
その日の夕方、わたしは避難所の裏の駐車場で段ボールを潰していた。
勝利の日の避難所は朝からずっとお祭りだった。テレビは繰り返し「勝利の瞬間」を流し、炊き出しは赤飯になり――どこから調達したんだとわたしは思ったが、無粋だからツッコまなかった――知らないおじさんたちが乾杯していた。夕方になってようやく騒ぎが落ち着いて、わたしは資源ごみ捨てを口実に一人になりに外へ出たのだった。
スマホは、ポケットの中でずっと沈黙していた。
……勝ったはずなのに連絡の一つも寄越さない。こっちはこんなに気に掛けているのに、と思いかけて、そもそもあいつとはそういうのじゃあなかったじゃんと思い直す。いつのまに、こんなにあいつのことが気になるようになったんだろう。
そんなことを思いながらぺしゃんこにした段ボールを重ねていた、そのときだった。
夕暮れの空気が、ふわりと動いた。
翅の起こす、あの独特の下向きの風。
振り返って顔を上げると、駐車場の白線の上に見慣れた仏頂面が降り立つところだった。ぼろぼろの制服を着た、黒い髪に黄色いメッシュ。背中の翅はもう畳まれて消えていて、ただの転校生の姿でそこに立っていた。
「……ただいま」
わたしは段ボールを取り落とした。走ったら三歩で届いたので、そのまま抱きついた。考えるより先に身体が動いていて、両手は力いっぱいあいつの背中に回っていた。
「……っ、おい」
「うるさい」
「
「うるさい! ……ばか。ばかばか。六日だよ。六日、既読もつけないで」
「……すまん。目が覚めたのが昨日の夜だ」
「知ってる! 分かってる! 分かってるけど……っ」
それ以上は言葉にならなかった。
あいつの肩口に顔を押しつけて、わたしはしばらくぐずぐずと情けない音を出していた。バトラは棒立ちのままそれでも逃げなかった。逃げないどころかしばらくしてぎこちない手が一つ、おそるおそるわたしの後頭部に乗った。
「……ただいま」
「……おかえり」
ようやく顔を上げると、あいつはぷいと横を向いてぼそりと言った。
「……通知がうるさかった」
「え?」
「六日ぶんの、おまえの報告だ。中身は開かなかったが、通知で読んだ……豚汁は三段階だったのか」
バトラが大真面目な顔で言ったものだから、わたしは思わず噴き出した。
「っ、ふ……読んだんだ、それ」
「里芋と、汁と、豚。たしかに三段階の可能性がある。検証したい」
「するする。今度うちで作ってもらおうよ。それでね、それが終わったら焼き芋。約束の。もう九月になるからすぐだよ、焼き芋の季節」
「……ああ」
夕陽が駐車場のアスファルトを橙色に染めていた。
遠くの体育館からはまだ祝賀の笑い声が聞こえていた。世界中があんたに言いたいことだらけだろうと思うけれど、悪いけど今だけは独り占めさせてもらう。
わたしは涙を拭いて、笑って、これからのことを喋りはじめた。始業式のこと。文化祭のこと。もみじのこと。冬になったらこたつというものを教えてあげること。あんたは絶対「二段階だ」って言う、こたつは上半身と下半身で二段階だから――
そうしゃべくっていたとき、バトラがふと黙っていることに気づいた。
「……バトラ?」
あいつは、立ったまま動いていなかった。
目を見開いて、夕陽の方角を見て唇がほんのすこし開いたまま、ほんの数秒、たぶん三秒か四秒ほど呆然としていた。
わたしが「どうかした?」ともう一度顔を覗き込もうとした、そのときバトラはまばたきを一つしてわたしを見た。
たぶん笑ったままだったわたしの顔を、じっと一秒だけ何かを確かめるみたいに見て――それから、いつもの仏頂面で言ったのだ。
「……なんでもない。それよりこたつとやらの話の続きだ。上半身と下半身の二段階と言ったな。詳しく教えろ」
「あ、うん! あのね、こたつっていうのはね――」
わたしは喋って、あいつはうんうんと聞いていた。夕陽が沈みきるまで、駐車場の白線の上でわたしはくだらない冬の予定を並べ続けた。体育祭。焼き芋。こたつ。みかん。クリスマス。初詣。あいつは時々頷いて、時々「非効率だ」と言って、時々口元だけで笑った。
どこからどう見ても、いつもどおりのあいつだった。
……このとき本当はバトラが何を思っていたのか、わたしはぜんぶあとになってから知った。
あいつがあの三秒で何を理解して、それからわたしの笑った顔を見て何を決めてしまったのか。嘘のつけないあいつの生まれて初めての嘘が、あの「なんでもない」だったことも。そしてその嘘が、ぜんぶわたしのためだったことも。
ぜんぶ、ぜんぶ、あとになってから知ったのだ。
……夏が、終わった。
こうしてわたしたちの夏が終わって、九月が始まった。
最終回じゃないぞよ もうちっとだけ続くんじゃ
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