「あの、ゴジラと戦ってたのって、本当にバトラさんなんですか?」
そう問われて、隣の席のバトラは堂々と答えた。
「ああ、そうだ」
教室が、変な音を立てた。
例年より一週間遅れて始まった新学期、仮設校舎の二年三組では朝の十五分間が記者会見に充てられるのが慣例になっていた。
会見場は窓際から二番目の席。記者となる同級生たちは日替わりで十人前後。質問は事前通告なし、しかも答える当人は訊かれたことに対して最短距離の答えしか返さなかった。
「バトラさん、怪獣怖くないんですか」
「ああ、怖いな」
「怖いのに戦うんですか」
「怖くなかったら誰でもやるだろう。だからわたしがやるしかない」
バトラとしては素直に思っていることを答えただけだろうが、周囲には胸を打たれる答えだったようで、声をあわせて「おおー……」と歓声を上げた。みんなミーハーだなぁ。
他のクラスメートたちが続けて訊ねる。
「あの必殺技になんか名前とかあるんですか?」
「プリズム光線だ」
「意外とあっさりした名前ですね……もっと派手な名前は無いんですか。たとえばティロ・フィナーレとか、スターライトブレイカーとか、超満開とか」
「必要ない」
「でもあったほうが強くなるんじゃないですか?」
「ならない」
周りの反応に、バトラは心底不思議そうな顔をした。嘘のつけない人間の顔である。
そして、なぜかその態度がウケた。
「塩だ……」
「クールすぎる……」
「かっこよくない?」
「流石ロシリカから来た転校生だ……」
こんな珍妙な会話を、隣の席のわたしは机に突っ伏したまま聞いていた。
……あのですね皆さん、こいつは謙遜とか照れ隠しとか、そういう高等な機能を一切積んでいないので。思ったことがそのまま口から出ているだけなので。それをクールだのかっこいいだのと受け取るのは、皆さんの脳が勝手にやっている作業なので。あと最後の奴、再三ツッコんでるけどもはやロシリカ関係ないだろ。
もっとも、わたしがそんなことを指摘したところで誰も聞かない。人間、見たいものを見たほうが幸せである。
クラスメートの一人がバトラに訊ねた。
「バトラさんは今後も怪獣と戦うつもりですか? 魔法少女として」
――魔法少女。
この国の八割が観ていたあの夕方の中継でアナウンサーが最後に口走った「魔法少女」という一言は、その日のうちに切り取られて全国を回った。
情報規制がされているのかテレビではバトラのことを流さず『Gフォースの新兵器を見間違えたもの』とフォローされていたけれど、わたしたち子供のあいだではクラスメートのバトラがその正体であることは公然の秘密となりつつあった。
『ゴジラと戦う黒いモスラの魔法少女』はYouTubeのその手の陰謀論動画のテロップになり、二学期が始まるころにはもう誰も出所を覚えていない言い回しとして定着し、教室でも、廊下でも、隣のクラスからわざわざ見物に来る連中のあいだでも、バトラは「魔法少女」と呼ばれるようになっていた。もっとも一番最初に魔法少女だと思ったのはわたしの方なのだが、いやなにと張り合ってるんだわたしは。
クラスメートたちからのどこか期待のこもった視線に、バトラはいつもどおり堂々と答えた。
「ああ、そのつもりだ」
その週、正門の外には毎日マスコミのカメラがいた。テレビでゴジラと戦っていた魔法少女がこの学校に通っていることが、どっかから漏れたらしい。
学校は初日に「取材は一切お断りしています」という掲示を出し、二日目には校門に教頭が立ち、三日目にはPTAの腕章をつけたおじさんが二人増えた。掲示と教頭とおじさん二人で防げるものなら、この国のマスコミはもっと安上がりな生き物である。
連中は正門の前ではなく、正門から三十メートル離れた歩道に立っていた。学校の敷地ではないので追い出せない。そういうところだけ、たいへんに賢い。
金曜日、わたしがバトラと二人で正門を出ると、三十メートル先で歩道の連中が一斉にこちらを向いた。
「バトラさんですよね!」
「一言だけ、一言だけお願いします!」
「黒いモスラの魔法少女さん、こっち向いて!」
黒いモスラの魔法少女さん。
……いい大人が、しかもマイクを持った職業の人が、女子中学生を魔法少女って呼ぶのはどうなんですか。あなたの局の内規はそれを許可しているんですか。
バトラは足を止めなかった。止めなかったが、避けもしなかった。人間の壁というものに対する認識がないので、そのまま歩けば通れると思っている節がある。
当然、囲まれて行く手を塞がれた。マスコミはマイクとカメラを向け、バトラに口々に迫った。
「あの中継の少女はあなたで間違いないですか」
「あの、わたしたち関係ないので……」
わたしはそうやって振り切ろうとするのだが、バトラの奴は馬鹿正直に答えようとした。
「ああ、そうだ」
「怪獣と戦ったときの心境をお聞かせください」
「怖かった」
「……え」
「怖かった。そう言っている」
マイクが一瞬、下がった。
いい気味である。あんたたち、たぶん「使命感で」とか「街を守りたい一心で」を期待していたでしょう。用意してきた次の質問が使えなくなった顔をしていましたよ、全員。
けれどくじけず、他の記者が訊ねた。
「バトラさんは、どこから来たんですか」
「言えない」
「政府の関係者ですか」
「言えない」
「その、失礼ですが、あなたは人間ですか」
わたしは思わずそいつを見た。訊いたのは、いちばん後ろにいた若い記者だった。訊いてから自分でまずいと思ったらしく、口を半分開けたまま止まっている。
「わたしは……」
バトラがまた馬鹿正直に答えようとしたので、わたしは思い切ってバトラの手を取った。
「行こう、バトラ」
「だが……」
バトラは何か言おうとしていたし、周りも何か答えてもらいたそうだったが、わたしは無視した。マスコミの人たちも女子中学生二人を追い掛け回すほど落ちぶれていないのか、角を曲がったところで追ってこなくなった。
マスコミの人たちがいなくなったところで、わたしはジュースを買いながらバトラに言った。
「ああいうのはね、あんまり相手しない方が良いんだよ」
「そういうものか?」
「そういうものだよ」
バトラは腑に落ちない様子だったが、ジュースに口をつけたところでふと訊ねた。
「ああいうのは、いつまで続くんだ」
「すぐ飽きるよ、みんな」
わたしは本当にそう思っていたし、実際そのとおりになるだろうと思う。人間の関心というのは驚くほど安い。二週間もすればテレビは別のものを映すし、正門の外のカメラも消える。
「人のうわさも七十五日。みんなすぐに忘れるよ」
バトラは缶を両手で持って、少し考えて、言った。
「……そうか。ならいい」
そう応えたときのバトラの心情について、わたしは「注目が鬱陶しかったんだろうな」と受け取った。あんなふうに追い掛け回されたら流石のバトラもグロッキーになってしまうだろうし。
その週の日曜日、ママが豚汁を作った。
わたしが頼んだからである。約束だからだ。避難所の駐車場で、わたしは「今度うちで豚汁を作ってもらおう」と言った。
「里芋」
バトラは椀を持ち上げて、宣言するように言った。
「汁」
二口目である。
「豚」
三口目である。
「……三段階だ」
「よかったね」
「うむ」
ママは向かいでにこにこしながら「おかわりいる?」と訊いて、バトラは「いる」と即答した。
そのあと、バトラは食器を洗うと言い出した。
「あんた、どうしたの」
「食器を洗っている」
「見れば分かるよ。なんで」
「食べたからだ」
筋は通っているが答えになっていない。
バトラが我が家に同居し始めてから3カ月近く経つが、あいつが家事を手伝おうとするのは初めてだ。どういう風の吹き回しだろうと思ったが、あるいはやっと怪獣と戦う以外の常識が身に付き始めたのかもしれないという気もしたので、そのままやらせておくことにした。
就寝前、隣の布団に寝転んだあいつは冬の話をせがんだ。
「こたつの続きを話せ」
「まだ覚えてたの、それ」
「上半身と下半身で二段階だという話は聞いた。続きだ。みかんの位置づけがまだ不明だ」
説明が難しい。こたつのみかんは栄養でも嗜好品でもなく、たぶん様式である。
わたしは布団に寝転がって喋った。こたつは入ると出られなくなること。みかんは天板の上に山で置かれること。初詣は寒くて、甘酒が配られて、そのくせ列が異様に長いこと。クリスマスは日本では宗教行事ではなく主にケーキの日であること。
あいつは天井を見たまま、全部聞いていた。
「非効率だな」
「まあ人間、効率だけじゃないしね」
「……それで、焼き芋は? まだ食べられないのか」
それも覚えてたのか。わたしは焼き芋の話をしてやることにする。
「焼き芋はもうちょっと寒くなってからだからね。九月には売ってないよ」
「そうなのか」
「まあ今の時期はまだ焼き芋というよりは冷やし焼き芋とか焼き芋アイスとかじゃない? 冷やしても美味しいよ」
「……そうか」
消灯して、天井を見て、まぶたが重くなってきたころだ。隣の布団から声がした。
「……ツグミ」
わたしは返事をしなかった。
正確には、しようとして、その前に眠った。夏の疲れが抜けていなかったし、二学期が始まったばかりだったし、その日は体育があった。
このときわたしは気づかなかった。
あいつがわたしを名前で呼んだのは、これが二度目だったことに。
けれどそのことに気づかないまま、わたしは眠りに落ちていった。
翌朝、わたしのベッドの隣で、バトラの布団が畳まれていた。
バトラは布団を畳めない。たまに自分でやらせると必ずごちゃごちゃに丸めた布の塊が生成されたので、夏じゅうわたしが畳んでやっていた。
だが、その朝の布団は、シーツの縫い目まで真っ直ぐだった。
わたしはそれを三秒見て「へえ」と思った。社会常識が著しく欠如していた怪獣の魔法少女だったが、ようやく常識が身に付き始めたのか。そんな感慨深い気持ちにもなりながら、わたしは制服への着替えを済ませリビングに向かう。
リビングではママにこう言われた。
「おはよう、ツグミ。バトラちゃんなら先に出たわよ」
珍しいこともあるものだと思ったが、すぐに思い至る。
そういえばこの三か月間、あいつは四六時中「ゴジラの眷属から守るため」という理由でわたしとずっと行動を共にしていた。そのゴジラの脅威がなくなったのだから、行動を一緒にする理由は無い。
……本当はわたしを待たずに学校に行きたかったのだろうか。そんな考えもよぎったが、わたしはすぐに打ち消した。
学校には一人で登校して、教室に着いたところで、先にいたアヤノに訊ねる。
「バトラちゃん? まだ来てないよぉ」
「来てない? 先に出たはずなんだけど」
「今日は日直で早く来たけど、バトラちゃんは来てなかったなぁ。どうしたんだろ、バトラちゃん」
一時間目が終わっても、いなかった。二時間目も、三時間目も、いなかった。
昼休み、カンナにも訊ねたが、カンナもバトラがどこにいるのか知らなかった。わたしは別の角度からのアプローチを試みた。
「どっかに怪獣が出てるってニュースあったりしない? ひょっとしたらそっちに行ってるのかも」
「なるほど。ちょっと待ってね、あたしのタイムライン調べてみるから……」
そう言ってカンナはスマホを開き、しばらくSNSのタイムラインをスクロールしたあと首を振った。
「……怪獣は出てないね。ゴジラどころかクマ一匹出てない。Gフォースも出動してないし、今日の世界は平和そのものだよ」
「……そう、なんだ」
ということは本当にただのサボりか。平和なのは良いことだが、周囲の人間を心配させるとはけしからん奴である。学校をサボって遊んだ経験なんてろくにないような奴なのに、いったいどこをほっつき歩いているんだか。
そんなこんなで午後になり、五時間目は数学だった。何をやったか覚えていない。あとでノートを見返したら日付だけが書いてあった。
授業中、どうしても気になったわたしは先生の目を盗んでバトラにLINEを送った。
【ツグミ】どこにいるの?
既読はつかなかった。
六時間目が終わり、わたしは掃除当番をアヤノに押しつけて昇降口へ走った。
押しつけた、というのは正確ではない。ちゃんと事情を話して、頼んで、あとで埋め合わせにプリンを買う約束までした。押しつけたのは事実だが、手続きは踏んだのである。
下駄箱の上から二段目、バトラの上履きがあって、先週わたしが揃えてやった向きのまま一ミリも動いていなかった。
……いや、当たり前である。来ていないのだから上履きが減るわけがない。わたしはいったい何を確かめに来たんだ。分かりきったことをわざわざ目で見に行くのは、たいてい、まだ分かりたくないときである。
わたしは走って帰った。
これは陸上部だったころの走り方ではない。腕が横に振れていたし、呼吸の位置がめちゃくちゃだったし、踏切のところで足首をひねりかけた。三百五日ぶんの技術が全部抜けている。それでも走った。
玄関を開けて、わたしが帰ってきたのを察知して、台所からママが出てきた。手にお玉を持っていた。
「おかえり、ツグミ。あら、バトラちゃんは一緒じゃないの?」
わたしはさらに訊ねた。
「今朝、なんて言ってた」
「なんて、って……」
「出るとき。あいつ、なんて言った?」
ママは少し考えて、それから、思い出し笑いみたいな顔をした。この顔を、わたしは一生忘れないと思う。
「ありがとうございました、って」
ママは笑った。
「バトラちゃん、きっと日本語がまだちょっと硬いのよねえ」
わたしは階段を三段飛ばしで上がった。
部屋の真ん中に、畳まれた布団があった。今朝と同じ形で、四つ角が揃ったままだった。
押し入れを開けた。制服の替え。体操着。ママが買った服が何着か。全部あった。
机の横に、鞄があった。
鞄が、ある。
あいつは制服を着て、「先に出た」と言われる時間に、玄関を出て、そして鞄を持っていかなかった。
学校へ行く人間は鞄を持っていく。つまりあいつは最初から学校へ行くつもりがなくて、それでも制服を着たのだ。制服を着て玄関を出れば、ママは「学校へ行った」と思う。わたしも「先に行った」と思う。誰も何も心配しない。
嘘は一つもついていない。一文字も。
ただ、そう見えるようにして出ていったのだ。
「……そうだ、スマホ!」
わたしは自分のスマホを出して発信ボタンを押した。
目の前で、机の上が光った。
振動が木の天板に伝わって、じ、じ、じ、と鳴った。わたしは切らなかった。呼び出し音が終わるまで、光っては消える画面を見ていた。ロック画面には、わたしが授業中に送った「どこにいるの」というLINEが、誰にも読まれないまま浮かんでいた。
わたしは布団の前に座りこんだ。
立っていられなかった、というほど大袈裟なものではない。膝が言うことを聞かなかっただけである。人間の膝というのは、頭より先に事態を理解することがあるらしい。
……豚汁を三口に分けて、三段階だと宣言した顔。三か月間ただの一度も手伝わなかった食器を、洗いはじめた手。こたつも、みかんも、初詣も、クリスマスも、「どういうものか」しか訊かなかったこと。日付を一度も訊かなかったこと。行く予定のある人間は、そういう訊き方をしない。「焼き芋は? まだ食べれないのか」あれは、九月に食べられるか、と訊いていたのだ。
人の噂も七十五日、と言われて、あいつは「ならいい」と答えた。
わたしはあれを「注目が鬱陶しかったんだろうな」と受け取ったが、本当は違ったのだ。あいつが確かめていたのは、自分がいなくなったあとに残る騒ぎの量である。飽きるならいい。世間が飽きてくれるなら、バトラと共に暮らしていたわたしたちツキシマ家の生活は元に戻る。
あいつは、バトラはあのとき、わたしたちツキシマ家の来年の心配をしていた。自分が今いなくなっても問題ないように。
呆然とした心地でリビングに降りると、ちょうどテレビが鳴った。
〈ニュース速報です……〉
ママが点けっぱなしにしていた夕方の番組が途切れて、三音のチャイムが鳴った。ゴジラ=アースが来たときにも鳴った、速報のチャイムだ。
画面には黒い丸が映っていた。
星ではなかった。それは燃え滾る月のようで、真っ黒な輪郭に真っ赤な光を灯した大きな黒点が、白い星々の散らばった星空に貼りついていた。
テロップにはこうあった。
――【速報】巨大天体、地球に接近 衝突の可能性
誰もが唖然とする中、ニュースは続けた。
〈国立天文台によりますとこの天体は褐色矮星で、質量はおよそ地球の六千倍。軌道はまっすぐこの地球を目指しているものと見られ、専門家の話では地球に衝突する可能性は……〉
ママがお玉を持ったまま、こちらを見た。
わたしはテレビを見ていなかった。
好きなキャラは?
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バトラ
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ツグミ
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カンナ
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アヤノ