射場に朝が来た。
種子島宇宙センター、第三射点。Gフォースのサカキ=ハルオ中佐は、整備塔の最上階から下を見ていた。
見下ろした先では、白銀の巨体が垂直に立っていた。
全高六十メートル。かつて上陸したゴジラ=アースの四分の一しかない機体だが、そこに人間が寄ってたかって足場を組むとずいぶん大きく見えた。二日前まではこの機体に脚があったが、いまはない。
代わりに増設されたのは推進器が二基、背部に増設されたブースターが四基。宇宙航行用の追加燃料槽。
そして、胸部はランドモゲラーの掘進ドリルが外され、代わりに、それが据えられていた。全長十八メートルの砲身。表面に霜が降りているのは、低温で保たれていないと内部の空間圧縮機構が自壊するからだ。
暗号名:次元の潮流、ディメンションタイド。
局所的な空間歪曲によって、極小のブラックホールを発生させる兵器。かつて対怪獣兵器として研究され、危険性の高さから封印されていた技術だった。
理論は三十年前からあったが、実用化されなかったのは当たらないからだ。自ら生む重力によって、弾道が曲がる。遠距離では照準が定まらない。
だから、六千倍の引力の縁まで近づいて至近距離から撃つ。そういう作戦だった。
「……中佐」
背後で、タニ少佐の声がした。
「換装、完了しました。総重量、二百八十トン。推力比、ぎりぎりです」
「飛べるのか」
「飛べます。ただし地上戦は出来ません」
「だろうな」
整備員たちが、機体の周りに集まっていた。
二百人はいたという。この四日間、交代制を厳守しろと命じたのに誰も六時間で上がらなかった。班長を三度叱ったが、三度とも「はい」と返事をして三度とも守られなかった。
その先頭に、四十代の主任整備士が立っていた。主任整備士は油の染みた手で敬礼しながら口を開いた。
「……中佐殿。一つ、頼みがあります。機体の名前です」
サカキは、少し眉を上げた。
「MOGERAだろう」
「これはもうMOGERAではありません」
主任整備士は言った。
「脚を捨てました。ドリルも外しました。装甲も剥ぎました。地面を掘る機能はもう一つもない……そうなればもはや地底戦闘車ではなく、あれは別の船です」
サカキは、白銀の機体を見上げた。
言われてみればたしかにそうだろうと思う。地上を歩くための脚も、地下を進むためのドリルも、いま足元に転がっている。あの機体はもう地面に用がない。
サカキはしばらく考えてから口を開いた。
「轟天号、というのはどうだ」
「轟天号? また古風な名前を出しましたね」
轟天号は怪獣黙示録における武勲艦の名前だ。空海陸、三つの局面に対応する万能戦艦であり、かつてゴジラを制したこともあったという。
だがそれは遥か昔の話である。苦笑されても仕方ないネーミングではあったが、今から向かうのはゴジラ以上の宇宙的脅威だ。縁起を担ぐならこれ以上の名前は無いだろうとサカキは思った。
主任整備士は、口を一度、真一文字に結んだ。
「……MOGERA・轟天」
男は繰り返して、それから、初めて笑った。
「いい名前です」
〇六二〇。搭乗直前、射点の下でタニ少佐が最終ブリーフを読み上げた。
「オペレーション=メテオール。開始時刻〇六三〇。轟天は第一段で軌道投入、第二段で加速フェーズへ移行。目標到達まで、およそ三十一時間」
「無人機は」
「先行させます。AI制御による無人観測機を二百四十機。目標周辺の重力勾配と電磁環境を実測し、進入経路を出します」
「全部帰らんよ」
「はい。全部帰らないでしょうね」
タニは、そこで一度、書類を下ろした。
「ゴラスの引力圏は、外縁を越えた瞬間に発生します。段階的ではありません。境界の内と外で、〇と六千倍です」
「一歩だな」
「一歩です。踏み込んだあとは、推力では戻れません……ディメンションタイド発射後、爆縮に伴う空間の反発を利用して離脱する。理論上は可能です」
「理論上、か」
「シミュレーションは四千二百回やりました。成功、千八百三十件」
サカキは、少しだけ笑った。
「四割か」
「四割三分五厘です……中佐。一つ、よろしいですか」
なんだ、と聞き返すサカキにタニ少佐は訊ねる。
「なぜ、MOGERAも無人機にしなかったのですか」
サカキは答えなかった。
答えなかったので、タニは自分で続けた。
「ディメンションタイドの制御には有人制御が必要、それは事実です。ですが、自律制御でも五分の成功率が出ています。有人と大差ありません」
「そうか」
「だったら、なぜです」
サカキは、機体を見上げた。
「……彼女は、いま一人で飛ぼうとしている。そんな彼女を一人で行かせるわけにはいかない以上、ただの機械を送るわけにはいかない」
彼女、あの魔法少女のことだろうか、とタニ少佐は思い至る。
「道義的問題ですか? そんな感情的理由は作戦成功に寄与しないと思いますが」
「だろうな。だが人間がいた方が成功率が上がるのも事実だしな。どうせなら少しでも上がる方に賭けたい」
「……そうですか」
搭乗口の前で、サカキは振り返った。
射場じゅうの人間が立っていた。整備班も、管制も、消防も、給油の連中も。誰も持ち場に戻っていなかった。
「……タニ少佐」
「はい」
「留守を頼む。帰還時の受け入れ準備を、忘れずに」
「救難班は、すでに待機しています」
「それでいい」
サカキは敬礼し、タニ少佐は答礼した。
答礼して、手を下ろして、それから、彼女は姿勢を崩さないまま、こう言った。
「サカキ中佐……いえ、ハルオ先輩。どうか、ご武運を」
サカキは、そこで動きを止めた。
二十数年、聞いていない呼び方だった。
防衛学校の三期下にやたらとメカに強い後輩がいて、その女、タニ=ユウコは、いつもサカキの背中に向かって「ハルオ先輩」と呼んだ。
いつからそう呼ばなくなったのかは思い出せない。たぶん、階級が離れたときだ。いつからかタニ=ユウコは制度の中で生きる人間になっていて、制度の言葉で怒る人間になり、記録に残すことを何より重んじる人間となっていた。
けれど今、それを捨て去っている。サカキは苦笑した。
「……ずるいぞ、それは」
「はい」
「それこそ感情的な理由だろう。そういうのは、帰ってきてから言うものだ」
「言えなくなったら困りますので」
タニは、まっすぐ立っていた。
目が赤かったが、声は一度も揺れなかった。
サカキは、幼少期の丘の上のことをもう一度だけ思い出した。あの日、幼いサカキ=ハルオは誰かの上着を握っていた。握っていたが、その誰かはその手を放さずを置いて逃げなかった。
いま、彼は握られる側にいる。サカキは言った。
「……ああ。必ず生きて帰るよ、ユウコ」
〇六三〇。
〈オペレーション=メテオール、開始〉
噴射が始まった。射場の空気が白い柱に押しつぶされて、地面ごと持ち上がるような音が海まで走った。白銀の機体が、脚のない身体で、まっすぐ上へ昇っていゆく。
地上では二百人が空を見上げていて、そのうちの一人が誰にともなく呟いた。
「……帰ってこいよ、轟天」
三十一時間の航行は、退屈だった。
軌道は計算どおりに進み、機体は正常で、無人機二百四十機は編隊を保っていた。サカキがやったのは、四時間ごとに姿勢を確認することと、支給された固形食を三回に分けて食うことだけである。
窓の外に地球があった。やがて小さくなり、月と同じくらいになり、それから月より小さくなってゆく。
あそこに八十億いて、そのうちの一人がサカキより先にこの道を飛んでいるはずだった。
〈轟天、こちら地上指揮所。目標まで、残り二時間。先行観測機、第一群、目標外縁に到達します〉
最初の四十機は、一瞬で消えた。
消えた、という言い方が正確かどうかは分からない。モニター上で光点が四十個、ほとんど同時に消灯した。
〈第一群、ロスト〉
映像だけが残っていた。最後の〇・三秒に三機のカメラが同じものを捉えている。
画面が伸びていた。背後の星々が細く長く引き延ばされて、画面の中心へ流れ込んでいく。機体そのものは映らない。前部の構造材が視野の中で歪んで、それからその歪みごと画面が消えた。
「……境界を一歩、か」
サカキは呟いた。
外側では、何も起きない。内側では、何もかもが終わる。その境目に、幅がない。
〈第二群、進入角を修正。外縁の走査に移ります〉
次の四十機は、外縁に沿って飛んだ。触れないように、内と外を測るために。
六十二機が無事に一周したが、残りは電磁環境に灼かれた。ゴラスの周囲には荷電粒子の帯があって、これが不規則に脈打っている。二秒で機体の電子系が死ぬ場所と十分保つ場所が、数キロ隔てて隣り合っていた。
規則性がない。
……いや、と彼は思い直した。規則性が読めないだけだ。あれには何か理屈があって、こちらの物理では書けないだけである。
〈中佐。データを送ります。進入可能な経路は、一本です〉
その一本を、サカキは十五分かけて頭に入れた。
極方向から入る。荷電粒子の帯は赤道面に集中しているので、真上から降りれば通過時間が最も短い。
外縁までの最終進入は推力を使わずに慣性だけで滑り込む。噴射すれば質量が動いて、境界を越える瞬間の姿勢が保てない。
そして、外縁を越えてから発射までに使える時間。
「四秒だな」
サカキは、声に出して確認した。
四秒。境界の内側で、機体が原形を保っていられる時間である。それを過ぎれば、船体前部から順にさっきの四十機と同じことになる。
照準は自動では合わない。ディメンションタイドの弾道は、自らの重力で曲がる。加えて、六千倍の場の中でどう曲がるかは実測してみないと分からない。
だから、人間が撃つ。
〈中佐、成功率、再計算しました。三割八分……先ほどより下がっています〉
タニ少佐の声に、サカキは答えた。
「上等だ」
降下が始まった。
推進を止めた機体は、静かだった。空気がないので音がしない。振動もない。ただ、モニターの数字だけが増えていく。
褐色矮星のゴラスは星々の海の中で赤黒く光っていて、まるで黒い穴が開いているかのようだ。その穴が、視野いっぱいに広がっていく。
サカキが幼少期に丘の上から見たゴジラもこんなふうだったのを思い出す。あのときは夜だったので、輪郭はほとんど見えなかった。街の火が背後にあって、その火を遮る形で、黒いものが動いていた。
サカキは、操縦架を握り直した。
〈残り、二千キロ〉
〈千五百〉
残った無人機を、彼は前に出した。
二十八機。境界の手前で散開させ、姿勢を固定させる。撃つ瞬間の、視覚上の基準点にするためだった。碁盤の目のように並んだ二十八の光点が、彼にとって唯一の物差しである。
あれが歪む方向と量が、そのまま弾道の答えになる。
〈千〉
〈五百〉
サカキは息を吸った。
〈三百〉
艦内灯が落ちた。非常灯だけが赤く点いた。
〈百〉
「……行くぞ」
境界を越えたとき、最初に来たのは音だった。
空気のない場所で音がするはずがない。あれは機体そのものが軋む音が骨伝導で頭に届いたのだ、と後で分かった。船体全部が同時に悲鳴を上げた。
視界が伸びてゆく。
前方に並んでいた二十八の光点が、外側へ引き延ばされていく。碁盤の目が、放射状に流れていく。星が線になる。
サカキは、その歪みを読んだ。右へ〇・三、奥へ深く、下側の四つが特に伸びている。
二秒。
照準環が赤い。照準が合っていない。彼は右手で〇・四度、機首を振った。それ以上動かせば機体が折れる。
肋が鳴った。座席に押しつけられた身体が、内側から引かれている。さらに眼球が後ろへ引っ張られている感覚があり、目の奥が熱かった。
照準環が緑になった。
「
ディメンションタイドは、音もなく撃たれた。
閃光もなかった。ただ、砲口から何かが出て、それが前方へ向かって弾道が曲がって、曲がった先でまた曲がり、さらに曲がってゴラスに向かってゆく。
外れる、そう思った瞬間それは沈んだ。
ディメンションタイドのブラックホール弾がゴラスに命中した。
直径三百キロの天体の表面に、針で刺したような点が一つ。次の一秒で、点のまわりが内側へ落ちた。
沈み込みは同心円状に広がった。地表が点に向かって流れていく。岩が、砂が、山ほどの質量が、順番にその一点へ吸い込まれていった。
滝のようだ、とサカキは思った。水平の地面が、真ん中へ向かって滝になって落ちている。
そして、破れた。
沈んだ場所を中心に、星の表面に亀裂が走った。放射状に赤黒い光を漏らしながら、一本、二本、十本。
サカキは離脱操作をかけた。
推力ではない。爆縮の反発波を利用したものだ。星の内側から吹き出す圧力を装甲の背面で受ける、それが唯一の帰り道だった。
衝撃が来た。
視界が白くなって、身体がシートから浮いて、警報が全部鳴って、それから静かになった。
「…………」
気がつくと、機体は流れていた。
姿勢制御は生きていた。左の増設ブースターが一基死んでいるが、三基は動いている。装甲の背面は溶けかけていて、警告が七つ出ていた。
ゴラスは、ゴラスはどうなった。サカキは正面モニターを見た。
ゴラスは砕けていた。
直径三百キロの天体がいくつもの塊になって、ゆっくりと離れていく。断面から赤い光が漏れて、それが宇宙の暗がりを照らしていた。
軌道が、崩れている。
中心の質量が消えたので、破片はもう一つの塊として動けない。それぞれが別々の方向へ散っていく。
〈……轟天。こちら地上指揮所。目標、崩壊を確認。破片群、地球軌道との交差なし……交差なしです。中佐、応答してください。中佐!〉
サカキは、通信スイッチを入れた。
「……こちら轟天」
彼は、自分の声が掠れているのに気づいた。
「目標を破壊した。損傷、軽微とは言えん。だが飛んでいる」
彼は座席にもたれて、割れた星を見ていた。
やがて返事が来た。
〈……了解しました〉
タニ少佐の声は、いつもどおりだった。
〈記録します。〇九四二、オペレーション=メテオール、目標破壊を確認。轟天、健在〉
そして、その後ろで歓声が上がっているのが聞こえた。
地上のどこかの部屋で、大勢が同時に立ち上がった音だった。誰かが叫んでいて、誰かが泣いていて、誰かが何度も同じ言葉を繰り返していた。
サカキは、目を閉じた。
「……間に合ったな」
タニ少佐の声が、まだ祝賀の余韻を残したまま届いた。
〈……轟天、こちら地上指揮所。破片群の追跡を継続しています。中佐、帰還軌道の……〉
その言葉が終わらないうちに、警報が鳴った。
最初、サカキはそれを破片だと思った。当然である。いま自分が割った星の断片が四方へ散っている最中だ。そのうちの一つが機体へ向かってきたのだと考えるのがいちばん自然だった。
だが。
「……なんだ?」
彼はモニターを切り替えた。
崩れた星の内側、赤い光を漏らしている亀裂のその奥に熱源があった。
サカキは、モニターの縮尺表示を二度見た。見間違いだと思ったのだ。この距離で、この画角に収まっているということは、あれの大きさは……
それは、殻を割って出てきた。
サカキが開けた亀裂から、赤黒い断面がめりめりと押し広げられていく。差し渡し数十キロの岩盤が、まるで卵の殻のように剥がれ落ちた。
その隙間から、『腕』が伸びた。
サカキはそれを見たとき、自分の判断を疑った。宇宙にあるものを腕だと認識するのは、地上の生き物を見慣れた人間の錯覚かもしれないとさえ思った。
けれどそれは錯覚ではなかった。
肘があり、指があり、爪があって、その爪が崩れかけた岩盤に食い込んで残りを外側へ押し出した。
直径三百キロの天体の残骸が、内側から蹴り開けられた。
まず、肩が出た。
左右に一対、翼のように張り出した巨大な結晶。半透明で、内部に幾重もの層が見えて、外から届く微かな星の光を虹色に屈折させている。角度が変わるたびに、光が結晶の中を上へ流れていくのが見える。
次に、背中が出た。
三列の背びれである。根元から先端へ向かって、順に明滅している。三列がそれぞれ違う周期で光っていて、その明滅が全部揃った瞬間、宇宙の暗がりに一瞬だけ青白い残像が焼きついた。
結晶の下は、青色のひび割れた岩肌である。何万年、あるいは何億年、宇宙の塵を浴びて焼けた表面。そこにあの美しい結晶が生えている。
美しいものが、汚れたものの上に載っている。その落差が何よりもぞっとした。
最後に顔が現れたとき、サカキは二週間前に地球で見たものを思い出した。
街の中心に穿たれた竪穴の縁で、地面に口をつけていた二百四十メートルの巨体。ゴラスの中から現れたそれはゴジラに似ていたが、センサーの計測によると全長は八百メートルで計算上の推定全高は四百メートル、ゴジラ=アースより大きかった。
ゴラスは黒色矮星である。燃え尽きた恒星の残骸で質量は地球の六千倍、その計測値はいま目の前で崩れた岩塊のものだったのか。
違う。境界の内と外で、〇と六千倍。そんな重力の分布を、自然の天体が自然に持つはずがない。
あれは星の重力ではなかった。あの生き物がそう見せていたのだ。
星の形をした殻をかぶって、周囲に自分の場を張り、外からは何にも干渉せず、近づいたものだけを確実に捕らえる。
まさに
タニ少佐が呆然とした様子で呟いた。
〈宇宙のゴジラ、スペースゴジラ……〉
宇宙怪獣スペースゴジラ。
全長八百メートルの巨体が宇宙空間で身体を反らして、両腕を左右へ広げた。肩の結晶がいっせいに光を強めて、背中の三列が根元から白熱した。
スペースゴジラが口を開けて雄叫びを上げたが、咆哮は聞こえなかった。
『激突!轟天対大魔艦』は『惑星大戦争』のBGMですが、シンエヴァで引用されて有名になった曲ですね。轟天号に因んだ曲が欲しかったので引用。
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