その夜、大穴の縁で朝まで座っていたわたし:ツキシマ=ツグミを迎えに来たのは、Gフォースの人ではなかった。
瓦礫の向こうから車のライトが二つ見えて、それが止まって降りてきたのが見慣れたよれよれのスーツだったとき、わたしは正直殴りかかろうかと思った。
ヤマナシさんはわたしの前まで来て立ち止まり、それから頭を下げた。
「……ごめんよ」
わたしは何も言えなかった。
わたしの知っているこの人は、都合の悪いことを「賢いねぇ~」で流す人であったはずだ。頭を下げるところなんて、一度も見たことがなかった。
「立てる? 車、そこに停めてあるから」
連れて行かれたのは、内陸のGフォース臨時基地だった。
そこで、パパとママに会った。プレハブの通路を曲がったところに二人が立っていて、ママが最初にわたしを見つけて、それから何も言わずに走ってきた。
抱きしめられて、わたしはようやく自分が一晩じゅう水を飲んでいないことに気づいた。
「ツグミ」
パパは、少し遅れて来た。
引っ叩かれるかと思った。実際、それだけのことはしていたと思う。わたしはこの二週間ずっとこの人たちに嘘をついて学校もさぼっていたし、昨日は封鎖区域に侵入している。
にもかかわらずパパは、わたしの頭に手を置いた。
「……無事か」
「うん」
「そうか」
それだけだった。
あとから知ったのだが、両親はその前の日の夕方、ヤマナシさんの手配で自宅から連れて来られていたそうだ。わたしが封鎖線を突破する前である。
どうやらヤマナシさんは、わたしがゲートを突破することを予測していたようだった。予測したうえで止めずに先に両親を安全なところへ移していたわけで、この人ほんと抜け目ないなあって思う。
基地の一角に、待機所として使われている部屋があった。
もとは食堂だったらしい。長机が並んでいて、隅にお茶のポットがあって、壁の上のほうに大きなモニターが四つ吊ってあった。
そこにアヤノとカンナ、そして二人の両親も揃っていた。わたしがGフォースの検問を強行突破してから二人はGフォースに拘束されて親も呼び出されたものの、そのあとヤマナシさんに発見されたらしい。
「本当は、民間人を入れる場所じゃないんだけどね」
ヤマナシさんはそう言って、モニターの電源を入れて画面がついた。
テレビの中継ではなかった。Gフォースの回線である。数字と記号が画面の端に並んでいて、真ん中に、宇宙が映っていた。
ヤマナシさんはカンナを見た。
「一応言っておくけどミサクラさん、これ、外に出したら大変なことになるから。分かってるよね?」
「……出しません」
「うん。善い子だ」
カンナはカメラを机の上に置いて、電源を落としたまま最後まで触らなかった。
わたしたちは、そこで丸一日と半分を過ごした。
最初に映ったのは、砕けたゴラスだった。黒い丸が割れて、破片が散って、その真ん中から出てきたものをGフォースの人たちはこう呼んだ。
「スペースゴジラ出現! ゴラスの正体はスペースゴジラ、繰り返す、ゴラスの正体はスペースゴジラ……っ!」
宇宙からやってきたスペースゴジラ。背丈はゴジラとしては最大級の四百メートル、全長は八百メートルにおよぶという。
顔はテレビでさんざん見たゴジラ=アースによく似ていたが、背中には三列のクリスタルの背びれが並んでいて、青白く光るそれらは宇宙の暗がりの中でとてもきれいに見える。
まるで宝石でゴジラを作ったみたいでとても綺麗だったが、そのことが却って恐ろしげに見えた。
ゴジラ=アースは生き物だ。あれはあれで恐ろしい怪獣だったが、スペースゴジラの場合あんなにきらきらしたものがまっすぐこっちへ向かって来るというのはなんというか、種類の違う恐怖である。
そんなスペースゴジラを、バトラとGフォースが懸命に押し留めていた。
最初は、バトラが押していた。
黒い翅が高速で回り込んで、マゼンタのプリズム光線が背びれの一本を砕いた。あの色が宇宙で見えると、わたしはなぜか少し安心した。あれは知っている色だからだ。
MOGERA・轟天――あれにはサカキさんが乗っているらしい――が、そこへ砲撃を重ねた。
白銀と、マゼンタ。二つの光が、宇宙で交差する。
八月の終わりに、燃える街の上で見たのと同じ組み合わせである。あのとき、わたしは避難所の体育館でそれを見て、隣の人と抱き合って万歳を叫んだ。
……これはひょっとしたら勝てるんじゃないか。
わたしはそう思ったけれど、そう甘くは無かった。
カンナが最初に気づいた。
「あれ、さっき折れたところが……!?」
画面の中で、クリスタルが再結晶していた。砕けた断面から、新しい結晶が伸びて、元の形に戻っていく。三十秒もかからなかった。
「再生してる……」
驚異的な再生能力を発揮したその次は、プリズム光線が効かなくなった。
バトラのプリズム光線が、命中する寸前で逸れるようになったのだ。ゴジラ=アースの生体シールドとは違う、本物のバリアーだ。
〈フォトン・リアクティブ・シールド、と呼称します〉
スピーカーからタニ少佐の声がした。
〈目標周辺に光子偏向場を形成。エネルギー系の攻撃は接触前に軌道を変えられます。物理的な打撃は通りますが、あの巨体に対して……〉
バトラの攻撃が通らないことがわかったところで、今度は向こうの攻撃が始まった。
スペースゴジラが口を開き、画面越しに轟音が聞こえてきそうな勢いで、オレンジ色の光線を放った。
まるで太陽を吐いているみたいだ、と思った。
理科の授業で太陽から放たれる高温のガスの層をコロナと呼ぶらしいが、スペースゴジラが吐いたのはまさにそれだ。ゴジラ=アースの熱線が糸に見えるくらい強力な光線、コロナビームがバトラとMOGERA・轟天に襲い掛かる。
スペースゴジラのコロナビームに対し、MOGERA・轟天が回避しようとしたが回避しきれなかった。左腕のあたりが持っていかれて、破片が散って、機体が回転しながら流れていった。
〈レフトアーム、破損!〉
〈構わん、撃ち続けろ!〉
次にスペースゴジラは、何もない空間から隕石を呼びよせた。
最初は意味が分からなかった。画面の中で、周りの宇宙から、岩の塊がいくつも寄ってきたのである。最初に砕かれたゴラスの破片であり、ゴラスの六千倍の引力を作り出していた重力の光線で操っているのだ、とあとから気づいた。
スペースゴジラに操られる隕石たちが回転しながら加速して、バトラとMOGERA・轟天に向かって飛んだ。
黒い翅が避けた。二つ目を避けた。三つ目が当たって、わたしは声を上げた。
「バトラ……っ!」
そこからは見ていられなかった。
見ていられないのに、目が離せなかった。バトラが体勢を立て直す。撃つ。逸れる。石が飛ぶ。避ける。避けきれない。MOGERA・轟天が割り込む。撃つ。装甲が削れる。離脱する。
同じことが何度も繰り返されるうちに、わたしはあることに気づいてしまった。
あいつは、一度も逃げていない。
当たり前だと思うかもしれない。逃げるわけがない、そういう奴だから。
違うのだ。スペースゴジラはバトラを追っている。MOGERAから撃たれてもそっちを向くのは一瞬だけで、すぐバトラに戻ってゆく。
あいつはバトラを明確に狙っていた。
「……ヤマナシさん」
わたしは訊いた。
「あいつ、なんでバトラばっかり狙うの」
なぜなのか、本当は聞くまでもなくなんとなくわかっていた。バトラの中に怪獣のエネルギーがぎっしり詰まっているからだ。
地下空洞から現れた怪獣たち全員が、自分の中のものを差し出した。この星でいちばん濃いものが、いま、中学生一人分の大きさになって空を飛んでいる。スペースゴジラにとってはこのうえない獲物に見えているのだろう。
わたしの言葉にヤマナシさんは、
「……そうだね」
それきり答えなかった。
答えなかったので、答えは合っていたのだと思う。
一日半が過ぎた。
パパは、途中で二回、外へ出て行った。誰かに電話をしていたと思う。ママは、わたしの隣に座って、ずっとわたしの手を握っていた。アヤノはほとんど喋らず、カンナは画面から目を離さなかった。
今思えば、ゴジラ=アースとの戦いはまだよかったのかもしれない。あのときは五千機のドローンが飛んで、人間の手が届く場所で戦っていた。
いまは、誰の手も届かない。この部屋にいる誰にもできることなんてない、ただ画面を見守って祈ることだけである。
画面の中で、黒い翅が、大きく流れた。スペースゴジラのコロナビームが当たったのだ。
高度が落ちた。姿勢が戻らない。翅の片方が、明らかにおかしな角度になっていた。
〈バトラ、高度低下。姿勢制御を喪失〉
ふらふらになりながらそれでも立ち向かおうとするバトラを見て、わたしは立ち上がっていた。
立ち上がって、モニターの前まで行って、それから何もできなかった。
叫ぼうとしたが、届かない。走ろうとしたが、走る場所がない。この二年間、わたしがいちばん得意だったことは走ることで、いちばん役に立たないのが今だった。
わたしは、画面に向かって言った。誰にも聞こえない声だったと思うが、ひょっとするとママには聞こえたかもしれない。
「負けない、って約束したじゃん……」
気づいたとき、わたしは手首に巻かれたそれを握っていた。
モスラの糸が編み込まれているという組み紐のお守り。六月からずっと持っていたものである。何度握っても光らなかったし、温かくもならなかったし、何の役にも立たなかった。
――気休めだ。
あの日、あいつはそう言った。
その白い組紐が、わたしの手のなかで熱くなった。
「ツグミちゃん……?」
アヤノに言われてわたしは、手首の異変に気付いた。ママがわたしの手を見て、カンナやパパも、そしてヤマナシさんもわたしの方を見た。
見ると、白い組紐が指のあいだで光っていた。
電球みたいな光り方ではない。中に何かが通っているような脈を打つ光、生き物の光り方だと思った。
「それ、どうしたの……?」
訊ねられて答えようと口を開いたとき、組紐がほどけた。
いや、結び目が緩んだのではない。
白い糸が束から抜けて、宙に浮いたのだ。一本、二本、十本。何十本もの細い糸が、わたしの手のまわりで渦を巻いた。
「ちょ、なに、これ」
わたしは手を振った。振っても離れない。糸はわたしの腕に巻きつき、肩へ上がり、背中へ回った。
「ツグミちゃん!?」
アヤノの声がした。
カンナが立ち上がる音がして、ヤマナシさんが「離れて!」と叫んだ。パパがわたしとみんなのあいだに入ろうとして、ママがわたしの手を掴んだ。
わたしはその全部をやけにゆっくり見ていたような気がした。
熱くはなかったし、痛くもなかった。ただ、背中に広がる重さを感じ、次の瞬間、部屋の中が目を開けられないほど眩しくなった。
次に目を開けたとき、誰も喋らなかった。
五人が全員、わたしを見ていた。正確にはわたしの背中を見ていて、わたしは振り返った。
「……なにこれ」
わたしの背中に、翅があった。
バトラのそれとはまるで違った。バトラのは黒くて、縁がぎざぎざと刺々しくて、見るからに戦うための形をしていた。
わたしの背中にあるのは、白くてふわふわしていた。表面に細かい鱗粉みたいなものが乗っていて、光の当たり方で色が変わる。青が見えて、赤が見えて、それから黄色が見えた。ぜんぶ、白の上に浮いている。
こんな立派な翅が生えてきたのに、どうやって動かすのか分からなかった。当たり前だ、普通の人間に翅なんかない。
……いや。違う。分かる。肩甲骨の少し下に、動かせる場所がある。そこを、こう……と力を籠めたら、翅がばさりと一度開いた。
風が起きて、机の上の紙が全部飛んだ。金色の鱗粉が飛び散り、ヤマナシさんが顔を庇った。
「ご、ごめんなさい!」
わたしは慌てて翅を畳んだ。畳み方も分かった。なぜ分かるのか、分からなかった。
「ツグミちゃん、髪も……!」
アヤノに言われ、わたしはスマホの自撮りカメラで自分の姿を確かめた。
わたしの髪はいつの間にか生糸みたいに真っ白になっており、瞳もまるで宝石みたいに鮮やかな青色になっていた。まるでアニメのキャラクターみたいだ。さらに額からは蛾のような櫛毛の触角が伸びていて、ふよふよと空気の流れを掴んで揺れている。
ついでに着ている服も変わっていた。着ていたはずの夏服のブレザーが、素材が分からない白いふわふわの衣装になっている。どこもかしこももふもふのふわふわで、触ったら指が沈んでゆく。
わたしはそのとき何を考えていたかというと、たいへん情けないことにこれである。
――ふわふわしてるな。
人間、極限状態では大した感想を持てないのだ。
カンナが机に手をついたまま固まっていて、やがて口を開いた。
「モスラ……」
黒いモスラの魔法少女の次は、白いモスラの魔法少女のお出ましである。しかもどうやらそれに変身するのはこのわたし、ツキシマ=ツグミであるらしい。
んなアホな、なんでわたしが。そう思ったそのときだった。
わたしの中に、何かが入ってきた。
言葉ではないし声でもない、入ってきたのは『予定』だ。
これから何をするのか。どこへ行って何をなすべきか、それらが何も説明されないまま最初からわたしが知っていたことのようにそこに現れた。
わたしは自分の胸に手を当てた。
……胸の奥に何かが入っている。背中の翅よりも、ふわふわの身体よりも、こっちのほうがずっと重かった。重いのに腕で持てるようなものではない。
これは大切な預かりもので、わたしのものではない。わたしが使うものでもないこれを、わたしは渡しに行かなくてはならない。
誰に? 訊くまでもない。
同時に、これまでバトラが言っていたのはこれのことなのだと直感した。
――戦闘破壊獣バトル・モスラ、バトラと呼ばれた怪獣の力と使命を受け継いだ者。
聞かされた時はよくわからない言葉だった。
あいつがろくに説明しなかったことがわたしには不満だったが、こうして見るとわかる。あいつは説明しなかったというよりできなかったのだ。
――わたしはモスラと呼ばれた怪獣の力と使命を受け継いでいて、それをバトラに継がねばならない。
こんなのは説明できない。誰かに言われたわけではない。契約したわけでも、頼まれたわけでもない。証拠も、書類も、命令書もない。ただ自分がそれをする者だという真実だけが、身体の内側から分かるのだ。
分かってしまえば、しない理由がない。理由がないというより、しないという選択肢が最初から存在していなかった。
……そうか。あいつはこれを生まれたときから抱えていたのか。わたしはいま、たった十秒でこうなった。逃げようという考えが、十秒で消えた。
あいつの中には、生まれる前からこういうものが入っていたのだ。
モニターの中で黒い翅がまた高度を落とし、それでも懸命に持ち堪えようとしていたとき、わたしは顔を上げた。
「……わたし、行きます」
部屋が、静かになった。
真っ先に立ったのはパパだった。
「駄目だ」
パパが言ったのはそれだけだけれど、わたしが何をしようとしているのか理解しているのはすぐにわかった。
ママも言った。
「行っちゃだめよ、ツグミ」
「だけどパパ、ママ……」
「駄目だ」「駄目よ」
「聞いて」
「駄目、聞かない」
わたしは、そこで少しだけ苛ついた。
……娘の背中からモスラの翅が生えたんですよ。もう少し驚くとか説明を求めるとか、そういう手順があるでしょう。なんでいきなり結論なんですか。
けれど、それが答えだったのだ。
わたしのパパとママは、そんなくだらないことに驚いている暇があるならそれより娘を止めると決めたのである。娘が順番を全部飛ばして行動しようとするから、パパとママもいちばん先に親のすべき仕事だけをやろうとしていた。
「危ないぞ」
「知ってる」
「いや、おまえは何もわかってない」
パパの声が、少し大きくなった。
「画面を見ろ。あそこで何が起きてる。四百メートルの宇宙怪獣だぞ。Gフォースの兵器が腕をもがれてる。おまえが行って何ができる」
「…………。」
パパの言葉にわたしは答えられなかった。
できることはある。今胸の中に託されたそれをバトラに渡すことだ。ただ、それを説明する言葉を、わたしはまだ持っていなかった。
ママもわたしの手を握りながら言った。
「あなた一人が行かなくてもどうにかなるでしょう。お願いだからこれ以上無茶をしないで」
その一言でわたしは息を吸った。
……ああ。パパもママも何も悪くない。この人たちは正しいことを言っている。娘を空へやらないのは、親として百点の判断である。
けれど、わたしは行かなきゃいけないのだ。なぜなら行かなきゃいけないから。
「……パパ。ママ」
わたしは、そこで一度深く息を吸った。
言うことは決めていた。決めてはいたが、口に出すのはたいへん怖かった。なぜなら、これから言うことを言えばこの人たちはもっと行かせなくなるからだ。
「ずっと黙ってたことがあるの」
ママの手が、わたしの腕から離れた。
「六月からずっと、わたしはバトラと一緒にいたの」
「一緒に住んでたのは知ってる。学校でも一緒だったって……」
「そうじゃなくて」
わたしは、パパの目を見た。
「バトラが戦ってるところに、ずっといたの」
部屋の空気が、変わったのが分かった。
「六月、公園で怪物に襲われたあのときバトラに助けられて、それからずっとあいつの傍にいた」
「待て」
「海に旅行に行ったときも、山に行ったときも、地下に潜って崩落に巻き込まれた時も全部嘘。あの日わたしは現場にいた」
「ツグミ」
「バトラと一緒にゴジラと戦ってた」
パパとママの顔から、色が抜けた。
わたしは続けた。止まったら、たぶんもう言えないから。
「バトラはずっとわたしを守ってくれてた。ゴジラの眷属は、わたしを狙うようになってたの。だからわたしが前に出て、あいつが後ろから撃つ。そういうことをしていた。わたしなんてまだ中学生なのに」
「そんな話……」
「二人には、何も言わなかった。テレビで街が燃えてるのを見て、二人が心配してるのを知ってて、それでも言わなかった。ごめんなさい」
わたしは頭を下げた。
「ずっと嘘をついてました。この夏じゅう、ずっと」
パパが、ヤマナシさんのほうを向いた。
ゆっくりだった。ゆっくり首を回して、それから、一言だけ訊いた。
「……本当ですか」
ヤマナシさんは、逃げなかった。
「本当です」
それだけ言ってから、こう続けた。
「あとで、いくらでも殴ってください。ただ、いまは時間がない」
パパは拳を握った。
たぶんあとで本当に殴ると思うが、この場は握ってそのまま下ろした。
「……なんで」
ママが小さい声で言った。
「なんで、そんな大事なこと、言ってくれなかったの」
わたしはそこでようやく分かった。
この人たちが怒っているのは、危ないことをしたからではない。三か月、同じ家で飯を食っていた娘が、毎晩、嘘をついて帰ってきていたということに対してだ。
わたしは正直に言った。
「言ったら、行かせてもらえないから。行かせてもらえないと分かってたから、言わなかったの」
ママが両手で口を押さえ、パパが言った。
「それでいま言うのか。いま言えば、もっと行かせられなくなるだろう」
「うん」
「分かってて言ったのか」
「うん」
わたしは頷いた。
「黙って行くこともできたよ。今のわたしには翅があるし、この部屋の窓は開くし、このまま飛んで行けばたぶん誰も追いつけない」
わたしは、自分の背中の白いものを少しだけ動かした。
「でも、それをやったらバトラと同じになる。あいつがいなくなった日、あいつは制服着て、鞄置いて、靴も履かないで出てったの。嘘は一つもついてなかったけど、本当のことなんてちっとも言わなかった」
わたしは、玄関の白いスニーカーのことを考えていた。
「わたし、それに気づかなかった。あんな思い、二人にさせたくない」
しばらく誰も何も言わなかった。
モニターの中で、黒い翅がまた流れた。誰かが息を呑む音がした。
「……ツグミ」
パパが言った。
「おまえじゃなきゃ駄目なのか」
「うん」
わたしは即答した。
「わたししか渡せない」
「渡す、渡すってなにを?」
「説明できない。ごめん。でも分かるの。わたしがこれを持っていって、あいつに渡す。それだけ」
わたしはそこで一度言葉を選んだ。
いま自分が何を言おうとしているのか、自分でも分かっていた。これは説得ではない。今のこの人たちを完璧に納得させる言葉なんてたぶんこの世には存在しない。
だから本当のことを言うしかなかった。
「……バトラはね、バトラは生まれる前から決まってたんだって。ゴジラと戦って、勝って、宇宙に行って、死ぬ。そういうふうに造られたの。断ることもできないし、断るっていう考えが浮かぶ前から、それがあった」
けれど、わたしは違う。
「けれどわたしは断れる。たしかにパパとママの言うとおり、絶対にわたしが行かなきゃいけない理由なんかない」
「だったら……」
「だけど」
と、わたしはモニターを指した。
「選べなかったあいつが今わたしたちを守るために命がけで戦っているのに、わたしが行かないなんてそんなのあんまりでしょ。あいつに向ける顔が無いよ」
わたしの言葉で、ママが泣きだした。声を出さずに泣く人である。パパは、天井を見ていた。
長い時間だったように感じたが、実際には十秒くらいだったのかもしれない。
パパがわたしの肩を掴んだ。痛かった。
「……約束しろ」
パパの言葉でわたしは顔を上げた。
「帰ってこい。必ずだ」
「……うん」
「返事は」
「帰ってきます」
「もう一回」
「必ず帰ってきます」
パパは、頷いた。
それから、手を離した。
「行ってこい」
わたしは、そこでふと思った。
わたしは嘘が上手い。だから「必ず帰る」なんて絶対でもない約束ができる。守れなくても、嘘をついたことになるだけである。
……いや。やめよう。そういう計算はやめよう。
守る。絶対に守って、必ず帰ってくるのだ。この人たちに嘘をつくのはもう二度とやらない。
「ツグミちゃん」
「ツグミ」
アヤノとカンナがわたしの前に来た。
二人は両手をわたしの手に重ねて、少し力を入れて、それからこう言った。
「いってらっしゃい」
「必ず帰ってきてね」
わたしが何を持っていくのかも、どこへ行くのかも、帰ってこないかもしれないことも、全部知ったうえで二人は見送ることを選んでくれた。
「……行ってきます」
ヤマナシさんが、窓を開けた。
プレハブの大きくない窓で、夜の風が入ってきた。九月にしては冷たい風だった。
「経路は出せない。追跡もできない……こっちからしてやれることは、窓を開けることだけだねぇ」
ヤマナシさんはそう言って、一歩下がった。
「行っといで」
わたしは、窓枠に手をかけた。
振り返らなかった。振り返ったらたぶん動けなくなるからだ。
背中の白いものを開き、羽ばたかせて、地面から離れた。風が下から来て、身体が持ち上がって、それから上へ。
プレハブの屋根が下になった。基地の照明が下になった。フェンスが、道路が、焼けた街が、順番に下になっていった。
速い。
わたしはずっと速く走ることだけを考えてきた人間である。百メートルを何秒で走れるかで、自分の価値を測っていた人間だった。
それがいま、わたしは走ることでは絶対に届かない場所へ向かおうとしている。
雲を抜けた。
空気が薄くなったのが分かったが、苦しくはなかった。今の身体は、たぶんそういうふうにできている。
上を見ると、星のあいだにオレンジの光が走っていた。
その少し下に、黒い点がある。
わたしは、翅を打った。
わたしは、あいつに会いに行く。
好きなキャラは?
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バトラ
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ツグミ
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カンナ
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アヤノ