高度は、落ち続けていた。
軌道上の戦闘が成層圏まで降りてくるというのは、本来ありえない。宇宙で殴り合っていたものが、大気に触れる高さまで一緒に落ちてくるということだからだ。
スペースゴジラは、それをやった。
バトラを追って、追って、追いながら、四百メートルの巨体が地球の重力に捕まった。捕まっても構わないと判断したのだろう。あれの目的は最初から一つしかない。
サカキ=ハルオはその少し上を飛んでいた。高度一万二千。雲がある。この戦いで初めて見る雲だった。
〈轟天、大気圏再突入シーケンス、外殻温度が許容値を超えています〉
「知っている。装甲はもう半分ないんだ」
〈冷却が追いつきません。あと十四分で〉
「十四分あれば充分だ」
サカキは操縦架を握った。
MOGERA・轟天に残ったものは右腕、生きている二基のブースター。左腕はスペースゴジラの攻撃に持っていかれ、右舷装甲はコロナビームに舐められた。無人機は十九機から四機になり、その四機も先ほどのフォトン・ハリケーンで焼かれた。
残っているのは、一機と、一人と、一つの砲だけである。
バトラは、まだ飛んでいた。翅の左が根元から折れかけていて、飛行姿勢が斜めのまま戻らない。それでも、あの子は距離を保っていた。
サカキには、その飛び方の意味が分かった。
誘導している。
自分に追わせて、進路を海のほうへ振っている。街に降りられたら終わりだと分かっているのだ。あんな身体で、あんな高度で、それでもあの子はこの世界を守ろうとしている。
サカキは奥歯を噛んだ。
〈中佐〉
タニ少佐の声が飛んだ。通信の遅延は、もう二秒を切っている。
〈ディメンションタイド、充填完了しました。……予定より一時間十二分早いです〉
「砲術班は」
〈壊れても構わないと言ったのは中佐です、と申しております〉
サカキは、正面のそれを見た。
三列の背びれが、雲の合間で明滅している。宇宙にいたときと同じ光り方だった。大気があろうがなかろうが、あれは吸い続けている。
「……一発だけだ」
彼は自分に言い聞かせた。二発目はない。冷却機構はもう保たない。撃てば、この機体は撃つ機能を失う。
チャンスは、バトラが作ってくれた。
黒い翅が折れた側をかばいながら急上昇し、四百メートルの顔の前を横切った。マゼンタの光が額から放たれる。偏向場で逸れる。逸れるが、あれは一瞬だけ頭を振る。
その一瞬に、MOGERA・轟天が入った。
「照準」
〈ロック〉
「風向補正」
〈大気圏内での弾道補正、完了……中佐、この距離だと〉
「分かっている」
距離、千二百メートル。
ブラックホールを撃つには近すぎる。撃った側も無事では済まない。だが、これ以上離れると当たらない。
サカキはディメンションタイドのトリガーを入れた。
「
砲身が白く光り、スペースゴジラの左胸に特異点が生まれた。
サカキは、それを見ていた。ゴラスのときと同じだ。針で刺したような一点。その周りが、内側へ落ちはじめる。
岩のようなスペースゴジラの肌が、点に向かって流れていった。左胸から左肩にかけて、皮膚が、肉が、結晶の根が、順番にその一点へ吸い込まれていく。
〈命中! 目標、左胸部が陥没……〉
スペースゴジラが初めて悲鳴を上げた。
空気があるので、音が届いた。無音の宇宙で聞くことのなかったスペースゴジラのおぞましい咆哮が反響する。このままブラックホールで消滅してくれ、頼むから倒されてくれ、サカキたちGフォースは内心で祈った。
そのとき、スペースゴジラが左腕を上げた。
肩の結晶が白熱し発光、そして陥没していく左胸に向かってその光を向けた。
「なんだ……?」
何が起こっている、そう思ったとき、沈み込みが止まった。
止まっただけではない。吸い込まれかけていた岩塊が内側から押し戻されてゆき、点に向かって落ちていた流れが逆向きになった。
〈中佐、これは……重力操作です!〉
タニの声が震えた。
〈目標が、重力場を発生させています! ディメンションタイドの生成した特異点に対して、反対向きの重力を当てている!〉
「……相殺しているのか」
サカキは、モニターを見つめたまま動けなかった。
言われてみれば当然のことだ。スペースゴジラは、ゴラスという殻の周囲に六千倍の引力を張っていた生き物である。重力を操り、破片を任意に加速させ、宇宙を蹴って進む。
無論無傷ではないだろうが、重力を操る生き物に重力で攻撃するディメンションタイドは通用しない。
ディメンションタイドのブラックホールが直撃した左胸は抉れたままだったが、それも先ほど見せた不死身の再生能力でいずれ再生するだろう。
〈……目標、健在。生体反応、低下していますが〉
「撃てるか」
〈冷却機構、破損……二発目はありません〉
スペースゴジラは、傷を負ったぶん、荒れた。
コロナビームが二度飛んだ。MOGERA・轟天は一度目をかわし、二度目で右のブースターを失った。姿勢が崩れ、高度が三千落ちた。
そこへバトラが割り込んだ。
バトラは、折れた翅で四百メートルの顎の下に飛び込んだ。撃つためではない。MOGERA・轟天とあれのあいだに身体を置いて庇うためだ。
「馬鹿……っ!」
サカキは叫んだが、届くはずもなかった。
黒い翅が、尾の一撃で薙がれた。小さな身体が落ちていく。三千。四千。落ちながら、翅を打とうとして、打てないでいる。
〈バトラ、落下――〉
サカキは、残った左のブースターに全出力を入れた。
右腕一本の機体で、彼は落ちていく黒い点を追った。追いついて、ロボットアームを伸ばして、掴んだ。機械の手が、中学生一人分の身体を握り潰さないように受け止めた。
バトラは目を開けていて、通信も繋がっていないのに口を動かした。
カメラ越しに何と言ったのか、サカキには読めた。
――離せ。
サカキは答えた。
「断る。本来これは、我々の仕事だ」
上を見た。
空から全長八百メートルの巨体が降りてくる。左胸に大穴を開けたまま、背びれを白熱させて、口を開けながら。
高度、一万。
MOGERA・轟天に、もう飛ぶ力はなかった。撃つ砲もない。腕は一本で、撃てるミサイルも少ない。
……サカキ=ハルオは、かつてと同じ姿勢でそこにいた。
あの日、丘の上で、彼は六つで、両親の上着を握っていた。逃げ遅れた人の列があって、火があって、その火を背にして巨大な怪獣の猛威が立っていた。あのときは誰も何もできなかった。銃も、戦車も、飛行機も。
あれから数十年、サカキはずっとその日の続きを歩いてきたつもりだ。装備を作り、部隊を鍛え、作戦を組み、数字を読んだ。次はこうならないために、そればかりやってきた。
そして今日、彼は同じ場所に立っている。守るものを抱えて、動けないまま、上を見ている。
数十年も何をしていたんだ、と思った。
〈中佐〉
タニ少佐の声が、遠かった。
〈退避を。まだ左のブースターが……〉
「聞こえん」
〈ハルオ先輩!〉
「電波が悪い」
サカキは、抱えた腕の中を見た。
黒い翅を背負った魔法少女が、こちらを見ていた。
もう飛べない。翅が折れている。それでも、あの子はまだ轟天の腕から出ようとしていた。前へ行こうとしていた。四百メートルの宇宙怪獣が迫ってくる中で、十四歳の少女が、まだ立ち向かおうとしている。
サカキは、自分の戦歴を呪った。この子のような子供を戦わせないために、彼は生きてきたはずだったのに。
スペースゴジラがうなりを上げる。
スペースゴジラが開けた口の奥、喉元でオレンジの光が溜まりはじめていた。
コロナビームを撃つ気だ。高度、六千。撃たれるまで、あと十秒。
五秒。サカキは、機体の右腕を動かした。サカキはそれを抱えたバトラの上に回した。
MOGERAの装甲なんてコロナビームの前では紙も同然で、かざしても意味はないとは分かっていたが、彼はそうした。
あの日、丘の上で、彼を抱えていた誰かも、たぶん同じことをしただろう。
残り一秒。その刹那だった。
下から白いものが現れるのが見えた。
最初、サカキはそれを光だと思った。
雲の底から、真っ直ぐ上へ昇ってくる白い筋である。速い。ヴァルチャーより速い。あれよりずっと小さいのに、あれより速い。
そして、雲を抜けた。
〈あれは……!?〉
サカキたちが目にしたのは「白い翅」だった。
バトラのそれとはまるで違っていて、そのシルエットには刺々しさがない。表面が細かく光っていて、青と赤と黄が白い翅の上に浮いて見える。髪は白く、瞳は青く、額から二本の触角が伸びている。
見たそのままをタニ少佐は口にした。
〈白いモスラの魔法少女……!?〉
サカキは、コクピットの中で、意味もなく立ち上がろうとした。
立ち上がれるはずがない。座席に固定されている。それでも、身体が動いた。
「ツキシマ=ツグミ……?」
バトラと行動を共にしていたあの少女だった。「バトラの魔法少女がゴジラと戦う」という状況だけでも常識外れだが、常識外れはいよいよ普通の中学生をモスラの魔法少女に変身させるところにまで至ったらしい。
その常識外れはスペースゴジラとこちらのあいだで空中静止し、白い翅を一度大きく開いた。
粉が、散った。
金色である。翅が羽ばたくたびにきらきらと剥がれて、風に乗って、成層圏の中へ広がっていく。
量がおかしかった。あの翅から出た量ではない。数百メートル四方がみるみるうちに光る粉で満たされてゆく。
〈……中佐、これは〉
センサーが観測した結果を、タニ少佐が困惑気味に報告した。
〈センサーが、対象を捉えられません。質量がありません……そこに、何も無いことになっています〉
サカキは、モニターの光る霧を見た。
たしかに、あれは動いていない。四百メートルの巨体が腕を振り回しているのに、その周りの粉は乱れもしなかった。まるで、そこだけ空間が止まっているように見える。
〈光学班の解析、出ました〉
タニ少佐は分析を続けた。
〈砕片化された次元屈折面……粒の一つ一つが、極めて小さな屈折面として振る舞っています。厚みがなく、質量がなく、位置だけがある……我々の空間に対して、斜めに置かれた鏡のようなものだと〉
砕片化された次元屈折面、つまりあれは鱗粉のように見えるが、実際は時空の歪みを散りばめた細かい破片なのだ。
そんなものを発生させているあの白い少女は、まさしくモスラの魔法少女だろう。
その只中へ、スペースゴジラは踏み込んだ。四百メートルの巨体が光の霧に包まれ、スペースゴジラは振り払おうとした。腕を振り、尾を薙ぎ、身をよじる。
しかし、粉はどかなかった。
風で流れない。叩いても散らない。物理的に触れていないものは、物理的にどけられない。
苛立った様子でスペースゴジラは口を開いた。
今度こそコロナビームを放つつもりだ。背びれと両肩の結晶が根元から白熱し、喉にオレンジのエネルギーが溜まっていく。
サカキは叫ぼうとした。この距離で撃たれれば、MOGERA・轟天も、バトラも、あの白いモスラの魔法少女もまとめて消されてしまうだろう。
スペースゴジラが、撃った。
光は出たが、出てすぐに曲がった。
口から三十メートルほど進んだところで、オレンジの柱が折れた。折れて二本になり、四本になり、八本になった。
「曲がった……!?」
サカキの言葉をタニ少佐は否定する。
〈いえ、センサー上ではまっすぐ撃ったことになっています! 空間が曲がっているんです!〉
サカキから見ると鱗粉の一粒ずつが、スペースゴジラのコロナビームを跳ね返しているように見えた。
拡散ではない。散乱でもない。コロナビームの光は粉に当たるたびに角度を変えて、次の粉へ向かい、また角度を変える。無数の反射が一瞬のうちに折り重なって。
そしてそのすべてが内側へと戻った。
コロナビームのオレンジの光が、四百メートルの巨体をあらゆる方向から貫く。ダメージを受けたスペースゴジラの絶叫が響きわたり、サカキはその音を腹で聞いた。
〈目標、自傷! 自分のコロナビームで、全身に……!〉
スペースゴジラが、後ろへよろけた。
背びれの一列が、根元から折れていた。左肩の結晶にひびが入っている。さきほどまで傷という傷を三十秒で塞いできた身体が、自分のコロナビームを跳ね返されたことで初めて塞ぎきれずにいる。
サカキは、モニターの数字を見た。
目標の出力低下、四十一パーセント。
彼は、数十年、そういう数字を見て生きてきた人間である。数字が何を意味するかは、見ればわかる。
……戦況が、変わった。
白い翅が、光の霧の中で、ゆっくりとこちらを向いた。
わたしが放った粉について、わたしは正確なところを理解していた。
鱗粉はモスラ最後の武器である、と学校の授業で習ったことがある気がするが、わたしが今撒いたのはただの鱗粉ではない。そもそも物質ではないのだ。重さがない。空気に押されない。触ることもできない。
あれは、世界の断面である。
この世界と、この世界の外側とのあいだにある境目を、細かく砕いて散りばめたもの。厚みのない切り口だけが、この一帯にばらまかれている。
スペースゴジラの力の出し方もわたしは理解していた。
スペースゴジラは背中と肩の結晶で宇宙エネルギー(宇宙エネルギーってなんやねん、と思うが要はわたしたち人間がまだ発見していない未知の高次元エネルギーである)を受け取っているが、受け取った力をそのまま使っているわけではない。
電磁波の形に変えると、光線を曲げるフォトン・リアクティブシールドになる。重力の形に変えると隕石を操ることが出来る。核融合の形に変えると、あのオレンジ色の光線コロナビームを吐ける。
スペースゴジラがやっていること、バリアーも、隕石を引き寄せるのも、コロナビームも、ぜんぶ同じ供給元から得たエネルギーを変換している。
そしてその変換はこの世界の中では終わっておらず、一度外の高次元を通っている。当たり前だといえば当たり前である。あんな量の力を、この世界の物理だけで扱えるわけがない。あいつは外にある高次元空間を使って、そこで力を作り替えてからこちらの世界にぶっ放している。
だから、わたしの粉が効くのだ。宇宙エネルギーが高次元を通って外を通る道に、外の切れ端が撒かれている。
これではもう真っ直ぐ出られない。曲がって、跳ねて、また曲がって、どこに出るか分からなくなる。運が悪ければ、出てきた場所が自分の目の前ということもある。
追い詰められたときの『たったひとつの冴えたやりかた』、それがモスラの鱗粉なのだ。
……あの、わたし、いま何を説明したんですか。
核融合が何なのか、わたしは知りません。あと電磁波というのが電子レンジと関係あることは知ってますけど、それ以上のことは何も知りません。
なのに、いまわたしは分かっている。
誰かのノートを勝手に頭の中に入れられて、それを読み上げさせられている感じである。読んでいる本人が、その内容を理解していない。理解しないまま、正しいということだけは分かる。
気持ち悪い。率直に言って、変身したことや翅が生えたことよりもこれがいちばん気持ち悪かった。
そしてそのとき、わたしはもう一つのことを理解した。バトラもこうだったのだと。
わたしは白銀の機体、MOGERA・轟天のほうを見た。
右腕一本で黒い翅を抱えていて、その腕の中でバトラがこちらを見ていた。
顔が、ひどかった。制服が焦げて、頬に血がついていて、翅が片方折れていて、髪が煤で灰色になっている。
バトラは白銀の腕から出た。
翅が片方折れていて、姿勢が保てなくて、さっきまで抱えられていたはずのバトラだ。落ちたと一瞬思ったが、落ちなかった。
あいつは、折れた翅を無理やり開いて、傾いたままそれでも空に留まった。まっすぐには飛べない。それでも高度は落ちない。
本当に見上げた根性である。
マゼンタが、走った。
バトラのプリズム光線、この夏じゅう何度も目にし、そしてそのたびにゴジラを倒してきたバトラの必殺技である。その光が粉の中に入り、わたしはそこで自分の撒いたものの本当の使い道を目で見て理解した。
光が、折れた。
一本が二本になり、四本になり、数えられなくなった。さっきのコロナビームと同じである。ただし今度は出所がこちら側で、スペースゴジラの巨体にマゼンタが全方向から刺さった。
上から。横から。真下から。背中から。
あのバリアーは、飛んでくるものの軌道を曲げるものである。曲げるためには、まっすぐ飛んできてもらわなければならない。では、全部の方向から同時に来るものをどっちに曲げればいいのか。
そんな答えは無いようだった。
巨体が、身を捩った。
背びれから煙が上がる。腕の付け根が焼ける。尾の先が裂ける。この戦いの中で一度も通らなかった攻撃が、いま通っている。
思わずガッツポーズ。
「……よしっ!」
だが、それだけで勝ちが決まるほど状況は甘くなかった。
スペースゴジラの背びれの焼けた場所から、新しい結晶が伸びていた。裂けた尾の断面が寄って、灰色の肌が波打って、元の形に戻っていく。
バトラが、もう一度撃った。粉の中で光が折れて、全方向から突き刺さって、また焼けて、また塞がった。
「再生してる……っ!」
……効かないわけじゃないのだ。だが、追いつかない。
削るより、埋まるほうが速いのだ。あの粉は、スペースゴジラの力の出し方を邪魔する。バリアーも、光線も、石を操るのも封じている。
でも、エネルギーを受け取ること、そしてそれを体内で操作すること自体は封じていない。
背中と肩の結晶がいまも光っている。あいつは宇宙から力を吸い続けていて、そうやって吸い上げたぶんで身体を直している。
……膠着状態だ。向こうも攻撃はできないが、こちらにも決定打はない。
わたしは自分の胸に手を当てた。胸の奥には、誰から託されたかもわからない預かりものがまだある。渡さなければならないものが、まだ重いままそこにある。
でも、いま渡してどうなる。いまバトラに渡してもたぶん同じことになる。撃って、通って、焼いて、そして三十秒で塞がるだけだ。
こっちの手札は、もうない。そしてスペースゴジラにわたしたちを打ち負かす必要はない。このまま地表に到達してしまえば、そのときこそスペースゴジラの勝ちなのだ。
状況が詰みかけたそのとき、動いたのはMOGERA・轟天だった。
機体の右腕装甲が展開し、中から鋭利に尖ったドリルミサイルが現れた。
スパイラルグレネード、かつてゴジラ=テレストリスを仕留めたMOGERAの必殺ミサイルである。
なんでそんなことを知ってるのかって? 魔法少女の使命を筆頭に再三披露されている魔法少女の知識チートである。便利だな、魔法少女の使命。
そのスパイラルグレネードミサイルが放たれた。放ったのは2発、狙った先はスペースゴジラの両肩の結晶だ。
二本の白い煙が雲を引き、スペースゴジラの両肩にスパイラルグレネードの弾頭が突き刺さった。
螺旋の刃が回り、結晶を巻き込みながら、内部へ食い込んでいく。
一秒。二秒。そして起爆。
盛大な炸裂音と共に、二つの結晶が内側から砕け散った。
粉砕された青白い破片が、成層圏の中に飛び散った。宝石のようなスペースゴジラの結晶が粉々になり、朝の空気に散っていく。
そうか、とわたしは理解した。スペースゴジラは両肩の結晶から宇宙エネルギーを受信している。そこを砕けば不死身の再生力は使えない……ってだから、なんでわたしはそんなことを見ても無いのに知ってるんだよ。魔法少女の知識チート、めちゃくちゃすぎるだろ。
わたしが理解したとき、スペースゴジラが悲鳴を上げた。根元から順に明滅が弱まってゆき、背中の三列が暗くなってゆく。
そして焼けた背びれが塞がろうとして、途中で止まった。伸びかけた結晶が、伸びきる前に崩れて落ちてゆく。
再生が止まったのだ。
「バトラ!」
わたしの呼びかけが聞こえたわけでもないだろうに、あいつがこちらを見た。
わたしは、胸の前で両手を合わせていた。中にあるものを、外へ出そうとしている。出し方は分かっていた。またしても、なぜ分かるのかは分からない。
白い光が、手のあいだから溢れた。思ったより静かな光だ。バトラのプリズム光線やスペースゴジラのコロナビームとも違う、ただそこにあるだけの光である。
「これ、受け取って!」
バトラがこちらへ来ようとしたが、来られなかった。
翅が折れているのだ。まっすぐ飛べない。傾いたまま高度を保つのが精一杯で、こちらへ向かうと姿勢が崩れる。三十メートル。たった三十メートルが、あいつには渡れない。
わたしは、そこで理解した。
行くのは、わたしだ。
わたしは翅を打った。
この身体で全速を出すのは、初めてだった。地上から昇ってくるときも速かったが、誰かに向かって加速するのはこれが初めてだ。
速い。風が身体の横を流れていく中で、わたしは走っていた。
……いや。飛んでいる。飛んでいるのに、走っている感覚があった。
最初の三歩でつま先が地面を捉える。四歩目から腰が乗る。十歩でフォームが戻る。腕は横に振れていない。呼吸の位置も合っている。地面を後ろへ押している。
二年間、わたしはこれを思い出すことを封じてきた。封じてきたのに、身体は全部覚えていた。
“あの日”のことを、わたしはずっと考えないようにしてきた。
中一の秋、地区大会。四継リレーで、わたしは二走だった。
第二テイクオーバーゾーン。
わたしが渡す側で、三走の先輩が受け取る側だった。バトンパスというのは受け手が後ろを見ない。前を向いたまま走り出して、手だけを後ろに出す。渡す側が声をかけて、そこへ押し込む。
わたしは、声を出したはずだった。
あの日はスタンドが埋まっていて、隣のレーンでも同時に受け渡しがあって、音が割れていた。
先輩の手は出たが、位置が半歩違った。わたしは押し込もうとして、届かなくて、指の先だけが触れて、
バトンが落ちた。
わたしの手のひらの中にあるはずのものが無かった。
あのときのことをいまでもはっきり思い出せる。手が空になった感触。バトンがトラックを跳ねる音。周りの音が全部消えて、自分の呼吸だけが聞こえた、あの数秒。
誰が悪かったのかは、いまも分からない。
わたしの声が小さかったのか、先輩が聞き逃したのか、そもそも声など関係なく単にわたしの手が伸びなかったのか。
ビデオはなかったし、その先輩は何も言わなかった。
三日後に先輩の転校が発表された。
親の転勤で前から決まっていたことだった。わたしとは何の関係もない。恨まれてもいないし、責められてもいない。ただ、答え合わせをする相手だけが消えてしまった。
その日から、わたしは走るのをやめた。
……ねえ、いま思い出すの。考えられる限りで最悪のタイミングだと思うんだけど。
人生でいちばん大事な受け渡しの最中に、人生でいちばん失敗した受け渡しを思い出している。頭のどこかが、わざとやっているんじゃないかと思う。
黒い翅が、前にある。
あいつは振り返らないまま、手だけを後ろに出している。
まるでバトンパスを待ち構える、次のリレー走者のように。
距離、十五メートル。
わたしは、右手を前へ出した。
光が、手のひらの上にある。
十メートル。
わたしは息を吸った。二年前、わたしはここで声を出した。出したはずだった。届いたかどうかは分からなかった。
五メートル。
大丈夫だ。わたしの声は出る。あとは届くかどうかだけだ。
「――バトラっ!!」
叫んだ。
この身体で出せる、いちばん大きな声で。
黒い手が、開いた。振り返らずに前を向いたまま、後ろへ、まっすぐに。
わたしは、そこへ押し込んだ。
互いの手のひらが、触れた。あの日と同じ感触だ。指先が、掠める。滑る。落ちる……というところで落ちなかった。
握られた。
あいつの指が、わたしの手ごと光を掴んだ。
わたしの手のひらの中にあるべきものがあって、そしてそれが向こうへ移っていく。
白い光がわたしの腕からあいつの腕へ流れてゆき、胸の奥にあった重さがすうっと軽くなっていく。
わたしは叫んだ。
「行って!」
手が離れた刹那、あいつは一度だけこちらを見た。
顔じゅう煤だらけで、頬に血がついていて、翅が折れていて、それでも赤い目だけがいつもどおりのあの顔で。
あいつは笑った。
三か月で四度目か五度目の、あの下手くそな笑い方である。口の端が片方しか上がらない、練習が足りていない顔。
「……ああ」
二音だった。
次の瞬間、黒い翅が、開いた。
折れていたはずの左の翅が伸び、翅全体が伸びて、広がって、そのまま止まらなくなった。倍。三倍。四倍。夜明け前の空を黒い翅が埋めてゆき、赤と黄の稲妻模様が根元から先端へ向かって走ってゆく。
スペースゴジラはこちらを向いた。
宇宙エネルギーも吸えず、再生も出来ず、攻撃する手段もない。そんな状態でもスペースゴジラもまた最後まであがこうとしていた。
バトラが身体を沈めた。角の先にすべてが集まっていく。
マゼンタではなかった。
白があった。青があった。緑があった。金があった。この夏じゅうこの星のあちこちで見た色が、全部、あの一点にあった。
それらすべての光がそこで一つに混ざり、真っ白な光となった。
「…………」
バトラは何も言わなかった。そういえば必殺技に名前なんか要らない、なんて言ってたことを思い出す。
だからかわりに、わたしが叫ぶことにした。
なんで叫ばなきゃいけないのかは分からない。頭で考えて出た言葉ではなかった。渡した側が最後にやることが一つだけ残っていて、それをやっただけ。
最後にやること、それは声を出すことである。
「いっけえええええええええええええええ!!」
わたしは、ありったけの声で叫んだ。
「エクセル・ダッシュ・バスタ――――――……ッ!!」
同時にバトラは駆けだして、光の尾を引きながらスペースゴジラを全力全開で射抜いた。
ミサクラ=カンナは、その夜、ずっと同じ場所に立っていた。
Gフォース臨時基地の待機所。もとは食堂だった部屋の、いちばん東側の窓である。
ツグミが飛んでいったのはその窓からで、ヤマナシが開けてそのままにしてあった。閉めようと言い出す者はいなかった。九月の明け方の風はよく冷えて、部屋の中の誰かが毛布を持ってきて、ツグミの母親の肩にかけた。
モニターは点いているが、映るものが減っていた。無人機がほとんど落ちたので、映像を送ってくる目が残っていないのだ。いま流れているのは数字と記号ばかりで、時折地上の観測所が捉えた不鮮明な光の点が映る。
カンナは、その画面を見ずにずっと窓の外を見ていた。
時刻は、〇四五〇。
東の空が、少しだけ色を変えはじめていた。夜が終わろうとしている色である。
スピーカーから、タニ少佐の声がした。
〈……目標、エネルギー受信途絶を確認〉
部屋にいた全員が窓辺に集まって空を見上げた。
ミサクラ=カンナは、最初にそれを見た。
「見て、あれ!」
東の空に、虹色の光が走った。
流れ星だと思ったが、思ってからカンナはそれを打ち消した。
二本目が走った。
三本目。
五本。十本。
東の空が虹色の光の線で埋まってゆく中、無線通信が届く。
〈スペースゴジラ、撃破! 繰り返す、スペースゴジラ、撃破!〉
〈目標崩壊、異常重力場が制御を失っています。スペースゴジラの破片が加速して散逸、大気圏内を高速で通過中〉
〈消失地点で宇宙エネルギーの燃焼を確認、エネルギー消失に伴い発光しているようです……〉
そうか、あれは砕け散ったスペースゴジラが流れ星となって地球に降り注いでいるんだ。
その光景を見上げながら、アヤノが呟くのが聞こえた。
「綺麗……」
カンナは即座に動いていた。鞄のジッパーを開けて、レンズキャップを外して、電源を入れる。ずっとやってきた手順である。考えなくても指が動く。
ファインダーを覗き、窓枠に肘を乗せて、息を止めて露出を合わせた。空が明るすぎるのでカメラの感度を落とす。落としすぎた。少し戻す。
録画ランプが赤く点いたところで、ヤマナシが横に立った。
「あ……」
カンナは身構えた。止められると思ったのだ。ヤマナシは、この部屋で見たものを外に出すなと言っていたはずだった。
けれど、ヤマナシはカンナの行動を咎めることなく、しばらく空を見てからこう言った。
「……それは載せていいよ」
「え?」
聞き返すカンナに、ヤマナシは笑って答えた。
「それは外のものだ。誰でも見られる。それに二人が勝ったところなんだから、みんなが見られたほうがいいでしょ」
そう答えるヤマナシの微笑みはこれまでの胡散臭いそれとは違う、心からのもののようにカンナには思えた。
だからカンナも笑ってこう答えた。
「……そうですね」
好きなキャラは?
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バトラ
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ツグミ
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カンナ
-
アヤノ