七月も中頃を過ぎてくると、教室の空気はそわそわと浮き足立ちはじめる。
「ねえねえ、夏休みどうする? うちね、ハワイ!」
「いいなー! あたし夏期講習で溶けるし」
「部活の合宿が地獄でさあ……」
「プール行こうよプール……」
休み時間のたび、あちこちの島でそんな会話が咲いていた。わたしももちろん、営業スマイルで参加する。「ハワイいいねー! お土産話聞かせてね」「講習おつかれさま~」。にこにこ。にこにこ。
……いいなあ、みんな。平和で。
ハワイ。講習。合宿。プール。皆の夏休みの予定がまぶしい。まぶしすぎる。
なにせわたし、ツキシマ=ツグミのこの夏の予定ときたら「魔法少女と怪獣退治」である。誰にも言えない上に、たぶん誰にも信じてもらえない。夏期講習の勉強が天国に見える中学二年生なんて、全国にわたしだけじゃなかろうか。
そんな中だった。隣の席のバトラが、ノートから顔も上げずに唐突に口を開いたのは。
「わたしは海に行く」
近くの島の会話が、一瞬止まった。それから、ぱっと花が咲いた。
「お、バトラさんも海行くんだ!」
「ああ。海だ」
バトラは真顔で頷き、クラスメートたちは「ロシリカの人も夏は海なんだね~」と笑って会話は次の島へ流れていった。平和な教室に、バトラの宣言はただの夏の予定として着地した。
着地しなかったのは、わたしだけだった。
……だってわたしは知ってるのだ、こいつには「遊び」という概念がいまだにインストールされていないことを。バトラが自分から「行く」と言い出す場所には、百パーセント、ろくでもない何かがあることを。
案の定、昼休みの屋上でバトラは言った。
「沿岸部にセルヴァムが集まりつつある。数が多い。狙いは沖の海底谷に棲んでる奴だ」
「棲んでる奴、って……」
「怪獣だ」
メロンパンをちぎる手が、止まった。
「海の怪獣をゴジラが狙ってるってこと?」
「そういうことだ」
バトラはわたしの持っていたメロンパンの片割れを当然のように受け取りながら、続けた。
「今回おまえは留守番でいい。海の上じゃ囮の脚は役に立たん」
「……いや、行くよ、わたしも」
なんでだろう、自分でもちょっとびっくりするくらいするっと言葉が出た。バトラが顔を上げるのを見て、出るに任せて言葉を続ける。
「いや、だって、敵が陸に上がってくる可能性だってあるでしょ。それに、ひとりで行かせてあんたが向こうで行き倒れてたら寝覚めが悪いし」
「……ふん」
バトラは何か言いかけたものの、結局やめて鼻を鳴らしただけだった。でも、だめだとは言われなかった。
ついでに言うと、この会話には聞き耳を立てていた奴がいた。
数時間後、放課後の教室。ほとんどの生徒が帰った頃合いを見計らって、そいつはやけに芝居がかった足取りでわたしたちの席へやってきた。
「……ふっふっふ。聞いたよ、お二人さん?」
ミサクラ=カンナ。先日から取引に加わった、怪獣配信者のクラスメートである。カンナはわたしの机にばん、と片手をつき、口の端をにいっと吊り上げた。
「怪獣絡みの件で海に行くんだってねえ、いやあ、隠し事はよくないなあ?」
「なんで知ってるの」
「この街で、あたしの情報網に掛からない秘密は無いんだよ。さあ観念して、同行を許可したまえ。契約一条、戦闘の撮影権……」
「いや、だからなんで知ってるの?」
わたしの問いに対し、カンナは間を置いてから答えた。
「……いいかいツキシマさん。屋上の換気口はね、音が通るんだよ」
「盗聴か」
本当に倫理観が無いなあ、この座組……。
「ふっふっふっ、盗聴とは人聞きが悪い。これはジャーナリズムだよ、バトラさん」
「盗聴は犯罪だぞ」
「じゃ、そういうことなんで。犯罪者は連れていかないので」
「ごめんなさい連れてってくださいお願いします!!」
優位なはずだった名乗りから土下座までの所要時間、およそ十五秒。この人どうもクールな小悪魔キャラ目指してるっぽいけど、普通に向いてないのではと思う。
カンナからの申し出に対し、バトラは「観測地点から動くな」と条件付きで受け入れていた。
そのあとの土日、駅前で待ち合わせて旅の相談をしていたところにばったりアヤノが通りかかった。お稽古帰りらしい、涼しげなワンピースで。
「あ、みんなだ……なにしてるの?」
「え、あ、アヤノ」
わたしと、カンナと、バトラ。三人。広げていた路線図。どう見ても旅行の相談だった。アヤノのふわふわした目が路線図とわたしたち三人の顔をゆっくり往復した。
「……海、みんなで行くんだ?」
一瞬、間が空いた。
ほんの一瞬だ。コンマ何秒。でもその一瞬で、わたしが「どう誤魔化そう」を考えたことはたぶん伝わってしまった。
わたしは慌てて口を開いた。
「あ、うん、そう、海! アヤノも行こうよ!!」
「うんっ、行く行くっ!」
アヤノは、いつもどおりのやわらかい笑顔でふわりと笑った。
行先が近くの海であることを話すと、ここでアヤノはこんなことを言い出した。
「それならね、ちょうどいいものがあるの」
「ちょうどいいもの?」
うん、と頷きながら、アヤノは小さなバッグをごそごそやって綺麗な封筒を取り出した。
封筒の中を開けると、高級ホテルの宿泊券だ。行先の海にもほど近い場所である。
どうしたの、これ。そう訊ねるとアヤノは、
「パパがお仕事のお付き合いで貰ったんだけど、うち、家族の予定が合わなくて……海の近くの、ホテルの宿泊券。ちょうど四人ぶん、あるよ」
「え、いいの!? そんな高そうなの……」
「うん。使ってもらえたほうが、券も嬉しいと思うし」
……あとになって思えば、アヤノは偶然話へ入ってきたわけではなかったのだと思う。三人だけで何かを決めていることに、もう気づいていたんだろう。
でもこのときのわたしは、何も気づかないまま「ははーアヤノ大明神様ー!」とかなんとかふざけながらカンナと一緒に拝んだだけだった。
このとき気づくべきだったことに、このときのわたしは何も気づかなかったのだ。
というわけで夏休みを迎え、海である。
アヤノのパパがホテルへ話を通し四人分の保護者同意書が集められ、電車を乗り継いで二時間半。改札を出た瞬間に潮の匂いがして、坂道を下ったら、視界がまるごと青くなった。夏の海だった。太陽を砕いてばら撒いたみたいに、水平線までぜんぶが光っていた。
「うみだー!」
とカンナが叫びながら海に飛び込み、
「わあ……!」
とアヤノがビーチパラソルの下で楽し気に目を細め、
「海だねぇ……!」
とわたしも柄にもなく声が出た。
「…………。」
バトラは、一人だけ、無言だった。
波打ち際の一歩手前で立ち止まって、寄せて返す波を、敵の攻撃パターンでも解析するみたいに凝視している。
「……どしたの」
「いや……広いな」
「え、どういうこと?」
「海が広いのは知ってたんだが」
知識と実物のあいだで処理が追いついていない横顔だった。海の広さも、波の音も、潮の匂いも、バトラの頭の中の地図には載っていなかったらしい。
……それにしても気になるのはバトラの格好である。せっかく海辺まで来たのに、体にバスタオルを巻いたまま。なんで?
「……いいだろ、別に」
「なんか隠すようなことでもあるのかね?」
「いや、無いが」
「ならばなぜ隠すのだね」
「…………。」
追及の手を緩めないわたしに対し、バトラは渋々といった様子でちらちらこちらを見ながらバスタオルを脱いだ。
バスタオルの下でバトラが着ていたのはやはり水着で、黒地に小さな黄色いリボンとフリルがついていた。ゴジラの眷属を始末してきたバトル・モスラの魔法少女が着るにしては、ずいぶんと可憐なデザインである。
「……意外と良い趣味してるね」
「わたしの趣味じゃない」
わたしが言うと、バトラはなにやら言い訳がましい口調で答えた。
「ツグミたちと一緒に海に行くと言ったら、小美人が勝手に用意して押し付けてきたんだ」
あの妖精たち、確実に趣味に走っている。当のバトラ本人は、フリルの端をつまんで、ものすごく居心地が悪そうにしていた。
「戦闘に不向きな装備だ」
「今は別に戦わなくていいし、似合ってるんじゃない? 可愛いと思うよ」
わたしの言葉で、バトラはわたしのすねを蹴った。痛い。痛いけど、耳が赤いのが見えたので引き分けということにしておく。
その日の記録を、箇条書きにできる範囲で残しておく。
まずバトラは、泳げなかった。あんなに自由自在に空を飛べるのに、である。
「空飛べるのに泳げないんだ……」
「モスラは制空権の生き物だ。制海権は管轄外だ」
「水中モードとかないの?」
「あるか、そんなもん」
用意した浮き輪につかまって波間をぷかぷか漂う姿に、管轄もへったくれもなかった。バトラ本人は「これは浮遊訓練だ」と主張していたが、まったくずいぶん間抜けな訓練もあったものである。
「ほんとに泳げないんだね。ちょっと意外かも」
「泳ぐ必要がない。翅のあるモスラは泳がない。歴代、一体たりともだ」
浮き輪の穴から生えたまま、バトラは大真面目に言った。伝統を主張する姿勢は立派だが、いかんせんぷかぷか揺れていた。
わたしはふと思ったことをそのまま口にした。
「でもさ、ゴジラって海から来るんでしょ。あんたも泳げた方が、よくない? それにモスラの幼虫は海も泳ぐって聞いたよ」
「…………」
バトラが黙った。
浮き輪の上で赤い瞳が真剣に何かを計算しはじめ、そして計算が終わったらしいバトラは心底不本意ですという顔でぼそりと言った。
「……一理ある」
「でしょ」
「だから教えろ」
「教えろときたか」
……仕方ないなぁ。
かくして、波打ち際の浅いところで怪獣相手の水泳教室が始まった。コーチはわたし。わたしの専門は陸上だけど、学校の授業で習うくらいのことなら教えられる。
……人に何かを教えるのなんて、ずいぶん久しぶりだった。
「はい、まず力抜いて。浮くだけだから。息吸って、身体まっすぐー」
「抜いている」
「抜けてない。板みたいになってる。あんた今たぶん水と戦ってるでしょ」
「戦って悪いか」
「悪い。水泳はね、水と戦ったら負けなの。水に、身体を預けるの」
「敵に身を預けろと?」
「敵じゃないんだって」
これが想像の十倍難航した。
なにせ相手は、生まれてこのかた「怪獣と戦う」ことしかしてこなかった怪獣の魔法少女である。力を抜け、と言われた瞬間に力む。身を預けろ、と言われた瞬間に警戒する。あれだけ空を自由に舞う身体が、水の中では鉄板みたいに強張って、面白いくらいにぶくぶくと沈んだ。
「……やっぱりやめとく?」
「……まだだ。まだ終わってない」
沈んで、立ち上がって、黒い髪から水を滴らせて、無言でまた構える。沈む。立つ。構える。沈む。負けず嫌いだけは筋金入りだった。
転機は、三十回目くらいの水没のあとだった。
さすがに疲れたのか、バトラの身体からふっと力が抜けた瞬間があったのだが、その一瞬だけ彼女の身体は沈まなかった。夕方に近づいた海のゆるい波の上に、黒い髪がゆらりと広がって、
「……あ」
「浮いた! そう、それ! 今の感じ!」
バトラは波に揺られたまま、目をまんまるにして空を見ていた。生まれて初めて、水に身体を預けた顔だった。敵だと思っていたものに背中ごと抱えられて、落ちない、という発見をしたような顔をしていた。
「……妙な、気分だ」
「でしょ」
「戦っていないのに、沈まない」
「そういうものは、世の中に結構あるよ」
我ながら誰に言ってるんだか分からない台詞だった。バトラは答えず、しばらく波に揺られていた。
それから練習を再開して、日が傾く頃には、ばた足で10メートルくらいは進めるようになった。10メートル。怪獣と戦っている魔法少女の泳力としてはあまりに心許ないが、本人はずぶ濡れの仁王立ちでたいそう満足げだった。
「見たか。制海権を獲得した」
「10メートルはまだ領海じゃないかな……」
バトラが泳ぎの練習をしているあいだ、カンナはずっとカメラを回していた。回しながら変なことを言っていた。
「夏! 海! 水着の美少女たち! 制服では見られない開放的な表情! 再生数の匂いがする!」
「怪獣チャンネルじゃなかったの?」
「……はっ。危うく方向性を見失うところだった」
アヤノはパラソルの下で、そのぜんぶをにこにこと眺めていた。
「ところで、カンナちゃんの『Canary』って、どういう意味なの?」
アヤノの素朴な疑問に、カンナはやたらとカッコつけたポーズで答える。
「ふっ……Canaryすなわち炭鉱のカナリア。誰よりも早く危険を察知し、世界に警鐘を鳴らす、孤高の観測者……」
「わあ、小鳥さんなんだね。かわいい!」
「いや、あの、そうだけど、そうじゃなくてですね……」
楽しかった。本当に、楽しかったのだ。
このときの写真は、今もわたしのスマホに残っている。四人とも、ばかみたいな顔で笑っている。
昼下がり。
カンナが「ドローンの空撮してくる!」と防波堤へ走り、アヤノがパラソルの下でうとうとしはじめた頃。
わたしは、波打ち際に一人で座っているバトラの隣に、腰を下ろした。
バトラは沖の水平線のあたりをじっと見ながら、ぽつりとつぶやいた。
「……いるんだ。この沖に」
「……例の怪獣が?」
わたしに聞かれてバトラは頷く。
「そうだ。海底の谷に一体、ずっと昔から棲んでる怪獣が」
「それが、狙われてる怪獣?」
「ああ」
頷いたあと、バトラは教えてくれた。
「……チタノザウルス。海に棲んでる年寄りの怪獣だ。船が来れば避けて、網にかかった魚は逃がして、誰にも見つからないように深いところでひっそり暮らしてる」
波の音の向こうを、バトラの赤い瞳がまっすぐ見ている。
「怪獣黙示録の頃に人間に脳をいじられて、兵器として暴れさせられたことがある。操ってた人間の娘が死んだとき、いちばん哭いたのはチタノザウルス当人だったらしい。さんざん利用されて、撃たれて、それでも人間を恨まずに黙って海に帰った……筋金入りのお人好しだ」
「まるで知り合いみたいだけど、会ったことがあるの?」
「わたしはないが、先代のバトラが知り合いだった。だから、わたしも知っている」
バトラは少し考えてから、自分の胸元へ触れた。
「今度の敵の狙いは、あの婆さんだ。年寄りで、でかくて、長生きのぶんだけ力を溜めこんでる……最高の餌、ってわけだ」
「それを守るの?」
「そうだ」
即答だった。
ふと気になったことを訊ねる。
「ねえ。怪獣が、怪獣を守るの?」
言ってしまってから、われながら間の抜けた質問だと思ったが、それでもバトラは笑わなかった。少しだけ黙って、沖を見たまま言った。
「……同じ地球を生きる仲間だからな」
その言い方があんまり静かで、あんまりに当たり前なようで、わたしはそれ以上何も訊けなかった。
夕方、事件というほどでもない事件があった。
発端は、カンナのドローンである。
ホテルへ戻る前に「最後にもう一便だけ!」と飛ばした機体が、規制ロープの張られた沖のほう――遊泳禁止区域の上空を、ぶいーんと横切っていった。「うおお、夕陽と海! いい画!」とはしゃぐカンナ。その三分後だった。砂浜をまっすぐ、こちらへ歩いてくる人影があった。
年齢は五十歳くらい? アロハシャツに麦わら帽子。完璧な海水浴客の格好なのに姿勢が異様にまっすぐで、アロハの着こなしがどこか「支給品を着ています」という風情だ。アロハが支給品ってどういう組織だろう。
「そこの君たち。今、ドローンを飛ばしていたな」
「ひっ」
カンナが跳び上がった。
「す、すみません! 規制、知らなくて! 今すぐ降ろします! 消します! なんなら埋めます!」
「埋めなくていい。だが、この海域では飛ばさないように。今夜からこの一帯は立ち入りも制限される」
男の人は教科書みたいな口調で言った。カンナは操縦機を抱えてぺこぺこと頭を下げ、それから空気を読んだのか読んでないのか、「オ、オバナザワさん! アイス食べましょうアイス! おごります!」とアヤノを引っぱって、海の家のほうへ避難していった。
用件はそれで済んだはずだったのに、男の人はその場を動かなかった。麦わら帽子の下の視線が、すっと横へ滑って、まっすぐバトラに据えられた。
……ドローンは、口実だ。直感的にそう悟った。この人が見に来たのは空を飛ぶ機械じゃない。最初からバトラだ。
「……時間を取らせて済まん。ひとつだけ、聞かせてもらいたい」
男の人は律儀に前置きをしてから、バトラに訊いた。
「この数日、沖の様子をどう見る」
試すような静かな声だった。世間話の顔をした試験のように思えた。バトラは面倒くさそうに髪をかき上げて答えた。
「潮が変わってる。大きなものが繰り返し横切ってる。魚が消えたんじゃない、避けてるんだ」
「……それから?」
「それと、今夜は月が明るい。浅瀬まで追い込むには、いい夜だ。狩りをする側にとってはな」
「…………」
男の人はしばらく黙ってバトラを見ていた。値踏みする、というのとは少し違った。噂に聞いた誰かの正体を自分の目で確かめに来た人かのような目をしている。
そして男の人は短く頷いた。
「……なるほど。噂よりも、確かだ」
「あんた、誰の差し金だ」
バトラが低く問い返した、そのときだった。
「あ~、サカキさん発見。こんなとこで油売ってちゃダメでしょ~」
缶コーヒー片手に、だらしなくサンダルを鳴らして歩いてきたのは、
「ヤマナシさん?」
わたしの家にバトラを送り込んだ仇敵、連合政府のヤマナシ=タケルは、飲みさしの缶コーヒーを掲げてへらへら笑った。
「や、奇遇だね、ツキシマさん。サカキさん、こちら民間の協力者。手ぇ出さないでね」
サカキさんの背筋が、さらに一段伸びた。猛禽のような目つきをますます鋭くしながらヤマナシさんを問い質す。
「……ヤマナシ管理官。これはどういうことですか」
「どういうって?」
「協力者と聞いていたのはこの一人のはずだ。なぜ他の子供が三人もいるんです?」
「夏休みだよ、海だよ? いいじゃん、友達と海なんて楽しくてさ。まぁ本当に来ちゃうとは思わなかったけど」
いかにも不真面目なヤマナシさんの言葉である。対してサカキさんは真剣な表情で訊ねる。
「……彼女らを作戦区域に入れたのは、そちらの判断ですか」
「そうだよ~、上からのお達し。文句ある?」
「あります。具申します。彼女らの保護も進言します」
「そのへんは俺たちが責任持つから。ね?」
「責任で人は生き返りませんよ」
子供のわたしから見てもわかるほど軟派なヤマナシさんと、いかにも堅物と言う風体のサカキさん。口ぶりからして仲間だろうことはわかるが、相性は良くなさそうだ。
「まあまあ、そう固いこと言わず……」
「固い話をしています」
サカキさんの声が、低くなった。
「交戦開始後、現場の退避判断は我々が行います。従わない場合、作戦区域から強制的に排除します」
「はいはい、そこは専門家にお任せしますよ」
「軽く返事をしないでいただきたい」
「まーまー、いいからいいから……ね?」
「……わかりました」
ただ一方で、どちらかというとヤマナシさんの方が偉いようだった。ヤマナシさんのいい加減な対応に思うところが多々ありそうな顔をしつつも、サカキさんは素直に引き下がる。
去り際、サカキさんはわたしとバトラを、特にバトラを、もう一度じっと見た。それから姿勢を正して律儀に頭を下げた。
「……おどかしたなら済まなかった。だが、これだけは聞いてくれ」
顔を上げた彼の目は、さっきまでの硬さと少し違った。命令や職務じゃなく、たぶんもっと個人的なもののように見える。
サカキさんは言った。
「今夜は海に近づくな。何が見えても絶対にだ。子供が関わっていいものじゃない」
そう言って、彼はきびきびと去っていった。去ってゆく歩き方までまっすぐだ。
その背中を見送りながら、わたしはヤマナシさんに訊いた。
「……今の人、誰なんですか」
ヤマナシさんは飲みかけのコーヒーを啜りながら答える。
「Gフォースのサカキ=ハルオ中佐。この作戦の実働部隊、仕切ってもらってんの。腕は超一流だけど性格は超堅物。融通ゼロ。冗談通じないの」
「反りは合わなそうですね」
「あ、わかる?」
「ええ、ありありと。というかヤマナシさんが不真面目すぎるんじゃないですか?」
わたしからの言葉に、ヤマナシさんはますますへらへらと笑った。嫌味が通じてるんだか通じてないんだかよくわからないんだよなあ、この人。
ちなみにGフォースというのは連合政府の軍隊のことである。怪獣黙示録が最も激しかった頃に設立され、以来怪獣の脅威から人類を守り続けていると社会科の授業で教わっている。
「相変わらず手厳しいねぇ~……でもサカキさん、悪い人じゃないよ」
「そもそもなんでGフォースがいるんですか」
「仕事だよ仕事。このへん一帯、“夜から鮫が出る”予定だから」
夜から鮫が出る予定、妙なスケジュールもあったものである。まあ要するにバトラが動けるようにするための人払いなわけだが、相変わらず人を誑かす人だ。
どこか得意げにヤマナシさんは続けた。
「漁協に話つけたのも俺。Gフォースも手配したしさ。ちゃんと仕事してんのよ、これでも」
「……あの。前から思ってたんですけど」
Gフォースまで動かせるなんてホントマジなにもんだよ、この人。わたしは思い切って訊ねた。
「ヤマナシさんって、何なんですか。教育の人じゃないのはもう分かってますけど、漁協も動かせて、あんな軍の人まで顎で使って」
わたしに訊ねられ、ヤマナシさんはへらへら笑いながら答えた。
「ん? ああ……俺、こう見えても偉いのよ?」
「……はあ?」
「ほんとほんと。この件に関しちゃ、現場のことは全部俺の裁量。人払いも、報道飛ばすのも、軍のお兄さんたちの配置も、ぜーんぶ俺の仕事。すごくない?」
「自分で言うのがすごいですね」
「でしょ~?」
「皮肉ですよ?」
「そうだろうねぇ」
へらへらへら。相変わらず、暖簾に腕押しだ。真面目に聞いているこっちの方がバカを見そうである。
ふと思いついたように、ヤマナシさんは言った。
「それにしても君たち、なんで来たの? バトラちゃんから来なくていいって言われてない?」
ヤマナシさんに言われて、わたしは答えた。
「あいつはわたしの護衛、そういう決まりですから。それにあいつを一人にしたら、どれだけ非常識なことをしでかすかわかりませんし」
「じゃあミサクラさんとオバナザワさんは? 彼女たちこそ部外者じゃない?」
「カンナは口止めです、あいつ放っておいたら勝手についてくるので。アヤノはスポンサー、ホテル泊まれたのもアヤノのおかげですし」
「ふーん、そう……まあ、君たちがそれでいいならいいんだけどね」
ヤマナシさんはわたしの理屈に納得してるんだかしてないんだかよくわからない顔をしたあと、よくわからない顔のままわたしに言った。
「でも出来れば、俺にも相談して欲しかったなぁ。子供だけで危ないことさせるわけにはいかないしさ」
「……そういうの、ちゃんと気にしてるんですね」
「意外と失礼だね。俺、大人だからね?」
「じゃあわたしのこともセルヴァムから守ってくださいよ。偉いんでしょ?」
「それを言われると厳しいかなあ」
わたしの指摘に如何にも申し訳なさそうに頭を掻きながら、そのくせ申し訳ないなんてちっとも思ってないようなヘラヘラした表情で答えるヤマナシさん。こんな体たらくだから信用されないということをわかっているんだろうか、この人は。
「まあこうして来ちゃった以上、しょうがないか……でも、ひとつ覚えといて」
「はい?」
「危なくなったら逃げて。バトラちゃんのことも、俺のことも、置いて逃げていい。危なくなったら逃げるのは、誰も責めないよ」
逃げても責めない。その言い回しでわたしは去年の陸上部でのことを思い出しそうになったが、すんでのところで振り切った。多分ヤマナシさんも狙って言ったつもりはないだろうし。
「……それ、慰めですか」
「事務連絡。子供に責任持たせないのが、大人の仕事なの」
じゃあね、ツキシマさん。
そう言いながらひらひらと手を振って、ヤマナシさんは規制線の向こうへ歩いていった。
夜。
ホテルの部屋では、カンナが持参したトランプで大富豪が荒れ(アヤノが意外な強さで三連勝し、カンナが畳を……じゃなくて絨毯を叩いた)、枕が一個、飛んだ。
「バトラちゃんも次やろうよぉ」
「わたしはいい。少し風に当たる」
バトラは窓辺に立った。わたしは大富豪の手札を配られながら、その背中を、ちらりと見た。
網戸越しの夜風に、黄色いメッシュの髪が揺れていた。彼女は真っ暗な沖をじっと見ていた。昼間、海に棲んでいる怪獣の話をしたときと同じ目で。
カンナの笑い声と、アヤノの「あ、また革命だ~」というのんびりした声が部屋を満たしている。楽しかった一日の音。彼女はそれを背中で聞きながら海から目を離さなかった。
どれくらい経っただろう。
ふ、と。
沖の海面、うんと遠くに小さな光が瞬いた。
一つじゃない。二つ、四つ、十、二十。月光を反射する、無数の小さな点。それが、ゆっくりと、岸のほうへ。
バトラが窓枠に手をかけた。
「……来たか」
振り向いた赤い瞳と、手札を持ったままのわたしの目が合った。
それだけで十分だ。わたしは手札を静かに伏せて立ち上がった。
「ごめん、わたしちょっと、コンビニ行ってくる。夜風に当たりたいし。バトラ、付き合ってよ」
「ん」
「あ、あたしも行く! 夜食! 夜食大事!」
カンナが跳ねるように立ち上がった。事情を知っている目が、わたしと、バトラと、窓の外を順番に見て、ぜんぶを察してそれ以上は何も言わなかった。
……ついでにカンナはさりげなく撮影バッグを肩に掛けていた。夜食の調達にドローンが要るか。
「じゃあ、わたしも……」
アヤノがトランプを置いて腰を浮かせかけたので、わたしは押し留めた。
「あっ、アヤノはいいよ」
「えっ……?」
自分でも変な声が出たと思った。小首をかしげて見つめてくるアヤノの視線に後ろめたいものを感じつつ、わたしはクラスの皆に言うようにいつもの調子で出まかせを並べ立てる。
「ほら、部屋、誰かいたほうがいいし。貴重品とかあるし。それに、その、見回りの人とか来たら困るでしょ、こんな時間に全員いなかったら。だからえっと……お願い、していい? 部屋のこと」
我ながらひどい理屈だった。貴重品なら金庫がある。見回りが来る話なんて聞いていない。四人で行けば済む話なのに、三人で行く理由にはなっていない。
言い訳を三つも重ねた時点で、嘘だと白状しているようなものだった。嘘の練度だけは一級品のはずのわたしが、どうしてだろう、アヤノの前でだけこんなに下手になる。
「…………。」
アヤノは、浮かせかけた腰をゆっくりとクッションに戻した。
ふわふわした目がわたしを見て、バトラを見て、カンナの肩の撮影バッグを見て、それからまたわたしに戻ってきた。
何か言われると思ったけど、アヤノはふわりと笑っただけだった。
「……うん、わかった。お部屋のことは、まかせて」
配りかけのトランプを彼女はきちんと揃えて、箱にしまった。四人ぶんの手札を一枚ずつ。
「いってらっしゃい。気をつけてねぇ」
いってらっしゃい。
なんてことのない、いつもどおりのやわらかい声だ。
三人で行って一人だけ残る、お願いの形をした留守番。アヤノがその意味をどうやって呑み込んでその笑顔を作ったのかを、この夜のわたしは考えもしなかった。
「すぐ戻るね」
わたしは笑い返して部屋を出た。
廊下の窓の外で、夜が静かに戦場に変わりはじめていた
好きなキャラは?
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バトラ
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ツグミ
-
カンナ
-
アヤノ