夜の浜は、昼間とは別の場所になっていた。
海水浴客のいない砂浜に、無骨な車両が何台も並んでいる。等間隔に立てられた投光器。手際よく張られていく規制線。迷彩服の人たちが無駄のない動きで走り回っている。誰も怒鳴らないし誰も慌てていない制御された動きだったけれど、それが逆にこれから起きることの大きさを物語っているように思えた。
中でも目を引いたのは、砂浜に横一列に展開した奇妙な車だった。
……戦車、でいいんだろうか。砲塔があるべき場所に、巨大なパラボラアンテナみたいな砲が載っている。それが何基も銃口……皿口?を、ぜんぶ海へ向けて並んでいた。
なんだろうと見上げていると、隣でカンナが呻いた。
「あ、あれ、メーサー戦車……!?」
潤んだ目つきで両手を口元に当てて、譫言みたいに呟くカンナ。その表情は感極まった様子である。
「メーサー殺獣光線車、記録映像で百回見た……じ、実物、現役だったんだ……うそ、稼働してる、ライト点いてる、ホンモノじゃん……」
分かる。テレビと記録映像の中の存在だと思っていたものが、昼間泳いだ砂浜に当たり前の顔で展開している。現実の側がこっちの常識に合わせてくれなくなって久しい。
「…………。」
バトラはわたしたちの少し前をまっすぐ歩いていた。規制線の迷彩服の人が制止しかけて、無線に何か言われて黙って通した。話が通っている。ヤマナシさんの仕業だろうかとなんとなく思った。
浜の中央、指揮車両の横にサカキさんが立っていた。アロハシャツではなく濃い灰色の戦闘服を着ていて、昼間より三割増しで大きく見えた。
「……来たか」
サカキさんはバトラを一瞥して、それからその後ろのわたしとカンナを見て、露骨に眉間のしわを深くした。
「……なぜ、子供が二人ついてくる」
わたしたちは言った。
「わたし、囮なので。あいつの」
「あたしは記録係です! 契約一条!」
「…………」
サカキさんは天を仰いだ。それから無線に「ヤマナシ管理官。話が違う……」と言い、無線の向こうのへらへらした声に何か言われてこめかみを押さえた。自分から出てきたわたしが言うのもアレだが、大変だなあ、この人。
そのとき、沖で光った。
照明弾だった。白い光がゆっくりと落ちていく下を追うと、海面が沸騰するみたいに泡立っていた。無数の濡れた背中。せり上がっては沈む、赤黒い鰭。
セルヴァムの群れが岸に向かって来ていた。
「総員、配置」
サカキさんの声は大きくなかったけれど、大きくないのに浜辺全体にぴんと通った。
「第一波、接近。手順どおりにやる。照明、絞れ。海岸線で止めるぞ」
そこから先は、わたしが今まで見たどんな「戦い」とも違っていた。
バトラの戦いはたとえるなら嵐だ。一撃で全部が終わる、紫色の嵐。
でもGフォースの戦いは機械、大きなシステムみたいだった。上陸してきたセルヴァムの一匹目が砂浜に足をつけた瞬間、夜が青白く裂ける。
カンナが歓声を上げた。
「メーサーが、メーサービームを撃ってる!!」
夜を裂いたように見えたのは、メーサー戦車が放ったメーサー光線だ。
パラボラの皿から迸った稲妻みたいな
撃って、止めて、譲って、また撃つ。何十年も前から怪獣と戦ってきた人類の積み上げてきた手順の分厚さが、光の網の目になって見えるようだった。
「……すご」
カンナが、カメラを回しながら呟いた。
「一匹も、抜けてこない……」
そう。派手さは何もない。一撃必殺もない。でも怪獣どもはGフォースの防衛線を一匹も抜けられないようだった。
倒す力と守る力が別物なんだということをわたしは初めて知った。そして、守る方向においてGフォースの人たちは間違いなく本物のプロだ。
抜けない群れに、空から紫の光が降る。バトラだ。メーサー光線の青白い網目が喰い止めて、バトラの紫電が焼き尽くす。打ち合わせなんてろくにしていないはずなのに、数分後にはもうそれが当たり前の連携になっていた。
「……そこの二人」
ふいに真上から声が降ってきて、振り向くとサカキさんが立っていた。
「下がれ。高台の観測点まで部下に送らせる」
「え、でも、わたしは囮で……」
「今夜の囮は海に立てん。君の仕事は無い」
正論だった。正論だったけど、わたしの足は動かなかった。沖の光の下を飛び回る、黒と黄色の翅が見えていたから。
「でも、バトラが、」
「あれを見ろ」
サカキさんは、沖を顎で示した。空を飛び回るバトラと海辺のGフォースが連携し、海から迫るセルヴァムたちを撃滅してゆく姿が見える。
「君たちがここにいれば彼女は戦いながらこっちを気にすることになる。守るものが背中にあるうちは、全力が出せんだろう。今の君たちにしてやれることが、ひとつでもあるか」
「…………」
答えられなかった。たしかにそうだった。いつもならバトラの指示で戦場を走り回るわたしだけれど、バトラとGフォースの連携は完璧そのもので、今夜のわたしに出来ることなんて何もなかった。
そんなわたしを見下ろしながら、サカキさんははっきりと言う。
「……戦う奴の視界から消えてやるのも、仕事のうちだ」
……ずるい言い方だった。わたしのためでも安全のためでもなく、「バトラのためだ」と言われたら頷くしかないじゃないか。
「……分かりました」
「よし」
サカキさんは短く頷いて、部下の人(年配の女性の人で、タニ少佐という名前はあとで知った)を一人つけてくれた。Gフォースの隊員たちに連れられて歩き出しかけて、わたしは一度だけ振り向いた。
「あの!」
「なんだ」
「……バトラのこと、お願いします」
サカキさんは一瞬、虚を突かれた顔をした。それから生真面目にまっすぐ答えた。
「約束はできない。彼女は我々が守れるようなものではない」
だが、とサカキさんは言う。
「我々は最善を尽くす。それは約束する」
お世辞も気休めも言えない人の、それが精一杯の「任せろ」なんだろうと思った。
タニ少佐に連れてこられた観測点は、防波堤の付け根にある小さな監視小屋だった。双眼鏡を渡されて、カンナと並んで手すりから戦場を見下ろす。
三十分もしないうちに、砂浜の戦いは終わっていた。セルヴァムの群れは全滅。Gフォース側の負傷者、ゼロ。焦げた死骸が波打ち際に並んで、隊員たちが手際よく回収作業に入っていく。こうして見る限りでは、完璧な勝利のはずだ。
なのに、双眼鏡の中のバトラは宙に浮いたままじっと海を見ていた。
しばらくしてバトラは翅を広げてまっすぐ観測点まで飛んできた。怪獣を殲滅したはずなのに、手すりに降り立った彼女の表情は勝利者の顔じゃなかった。
戻ってきてだしぬけにバトラは呟いた。
「……数が、合わない」
「え?」
聞き返すわたしたちに、バトラは説明してくれた。
「この程度の群れに、あの婆さんがあれほど警戒するはずがない。昨日の海鳴りはこんな雑魚の気配じゃなかった」
「それってつまり……」
夜の海は、静かだった。むしろ静かすぎるくらいだ。さっきまであんなに騒がしかった波の音が、いつのまにか遠慮するみたいに小さくなっている。
その様子を眺めながらバトラは言った。
「……何かが、まだ、海の底にいる」
そのときだった。
海が、盛り上がった。
波じゃない。沖の海面が丸ごとゆっくりと持ち上がったのだ。照明弾の白い光の下、水の膜を纏った巨大な何かが音もなく夜気の中にせり上がってくる。
最初に見えたのは、背びれだった。ぎざぎざの帆みたいなヨットの背びれ。それから、長い長い首。真っ赤な皮膚は傷だらけで、長らく戦いの中を生き延びてきたことをうかがわせる様相だった。海水が滝になって、その巨体を流れ落ちていく。
身長六十メートルというのは、あとで聞いた数字だ。でもその瞬間のわたしには大きさなんて分からず、ただ山が海から生えてきたと思った。
「そ、総員、目標変更……!」
海からの大怪獣出現と、浜のスピーカーからGフォース隊員たちの上ずった声。砲塔がいっせいに旋回し、海の怪獣を一斉射撃で迎え撃とうとする。
「撃つなッ!!」
夜を裂くような声だった。バトラのこんな大声をわたしは初めて聞いた。
バトラの声で銃口を下げるGフォース隊員たちに、バトラは冷静に告げる。
「敵じゃない……ばあさんだ」
海棲恐龍チタノザウルス。海底谷の主が月明かりの下に全身を現していた。
隣でカンナが変な声を出した。
「……ぁ」
見ると、カンナは口を半開きにして双眼鏡も構えず、肉眼でそれを見上げていた。
「ほんもの……ほんものだ……動いてる……息、してる……で、でっか……えっ、でっか……」
語彙が完全に死んでる。いままで全世界に向けて怪獣を語ってきた配信者、その語彙が本物の怪獣を前にして「でっか」しか残っていなかった。カンナの手がわたわたと動いて、カメラを持ち上げて、構えたところでそのまま止まっている。
「……撮らないの?」
「え? あ、や、撮る、撮る撮る、今……」
言いながら、カンナの指は、動かなかった。ファインダーを覗いて、下ろして、また肉眼で見上げて。まるで画面越しに見たら何かが損なわれる、とでもいうように。
チタノザウルスの巨大な首がゆっくりとこちらを――正確には、手すりの上のバトラを――向いた。
深い目だった。長い時間だけが作れる種類の静かな目。それがバトラを見て、ほんの少し首を傾げた。
バトラは手すりから飛び立って、その目の高さまで昇っていった。豆粒みたいな黒い翅と、山みたいな赤い巨体が夜の海の上で向かい合っている。声は聞こえないが、両者が何かを話しているのは分かった。
やがて戻ってきたバトラにわたしは訊ねた。
「……何て言ってた?」
バトラはどういうわけか不機嫌そうに答えた。
「『先代の忘れ形見かい』と」
「先代?」
「先代のバトラだ。婆さんは先代のバトラを知っているからな」
バトラは、ぷいと横を向いた。
「それから『ちゃんと食べてるのかい』と言われた」
「……ぷっ」
「笑うな」
いや、笑うなと言われても無理だろう。
「だって。怪獣と戦うバトル・モスラの魔法少女が、初対面で怪獣のお婆さんにごはんの心配されてるとか笑うでしょ」
「笑うなと言っている」
言い返すバトラの声に、いつもの棘がなかった。彼女は自分の胸のあたりを、そっと押さえていた。誰かに案じられるということにこいつは慣れていないのだ。
受け取り方の分からない何かを、とりあえずそこにしまっておこうとしているようだった。
そのものは、深い場所にいた。
光の届かない海の底で、そのものはずっと「上」を聴いていた。
大きな餌の声。年を経た、力を溜めこんだ六十メートルの餌。長いあいだ探していた、この海域でいちばん大きなエネルギー。
それが今こちらを警戒して水面近くまで浮いている。都合がいい。深い場所での狩りは消耗するが、浅い場所はいい。向こうの逃げ場が半分になる。
海上を舞う小さな光のことも聴いていた。
紫色の刺す光。
放たれた
そのものの中に情報はあった。継承された記憶の中に、あの光の波長も、飛び方の癖も含まれている。あの光は小さいが無視はできない。
だから、先に群れを繰り出して強さを測った。光の間合い。光の連射の間隔。それから、水際に並ぶ硬い群れの吐く
じゅうぶんに測れた。
本能でそう理解したそのものは、鰭をゆっくりと動かした。何万年も前から水のためにあった形の身体が、音もなく浮上を始める。
そのものの形はこれから喰おうとしている相手に似ていた。そのものは獲物と同じ
そのものは、腹が減っていた。
そのものにとっては、それだけがすべてだった。
異変に気づいたのは、チタノザウルスだった。
和やかだった空気が、一変した。巨大な首が沖を向いて、夜を震わせて咆えた。大怪獣の雄叫びで防波堤のコンクリートがびりびりと鳴り、眠っていた海鳥が悲鳴みたいに一斉に飛び立った。
浜のサカキさんの声が飛ぶ。
「ッ、総員、対艦戦闘用意!!」
沖の海面に、白い線が走っていた。何かがものすごい速さで水面下を真っ直ぐこちらへ来る。魚雷みたいな、白い航跡。それが婆さんの手前で、ぐん、と深く沈んで――
次の瞬間、海が爆発した。
水柱。夜空まで届くかと思う水柱を突き破って、それは宙に躍り出た。
流線形の赤い巨体。鰭。長い尾。
逆光の照明弾の中で、そのシルエットは一瞬チタノザウルスの影と重なって見えた。似ているのだ、ぞっとするほど。
でも決定的に違うのはその目に、チタノザウルスの目にあった「穏やかさ」が欠片ないことだった。あるのは冷徹な飢えだけだ。
「……ゴジラ=アクアティリス」
いつのまにか隣に降りていたバトラが低く言った。額のツノが、じり、と光を溜めはじめる。
「え、何、知ってるの、あれ」
「いや。でも分かる。あれが今度のゴジラだ」
ゴジラ=アクアティリスは、チタノザウルスと激突した。
着水した巨体がチタノザウルスに食らいつこうとして、チタノザウルスの尾の一撃に弾かれた。数十メートル同士の激突の余波だけで、防波堤まで波が駆け上がってくる。浜ではGフォースの戦車砲が火を噴きはじめ、照明弾が三発同時に上がって夜が真っ白になった。
「第一射、効果なし! 第二射……」
「観測点、下がれ! 波が来るぞ!」
怒号。砲声。チタノザウルスの咆哮と、それに応えるこれまでわたしが聞いたこともない水底から響くような咆え声。
バトラが翅を広げた。
「ここからはわたしの仕事だ」
黒と黄色の翅が真っ白な夜に飛び込んでいく。
バトラVSゴジラ。
海の上で、長い夜が始まった。
好きなキャラは?
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バトラ
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ツグミ
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カンナ
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アヤノ