その戦いは、最初から噛み合っていなかった。
バトラの戦いをわたしは何度か見てきた。黒い翅が舞って、輝くプリズム光線が全部を終わらせる。長くて数分。わたしが観てきたバトラの戦いはいつだってそういう呆気ないものだった。
でも今夜の敵は、撃ち合いをしなかった。
ゴジラ=アクアティリスは水面を割って躍り出て、チタノザウルスに一撃を入れて、バトラの光が届く前に海へ消える。一撃離脱戦法、それの繰り返しだ。バトラのプリズム光線が夜を裂いても着弾の瞬間には敵はもう水の中で、紫の閃光は海面で砕けて乱反射しただの綺麗な光になって散っていった。
「プリズム光線が効いてない……」
双眼鏡を握ったまま、わたしは呟いた。隣でカンナが無言で頷いた。
空のバトラは海には潜れない。海のゴジラ=アクアティリスは空には来ない。互いの領域に手が出せないまま事態は膠着している。
そしてそのあいだで削られていくのは、両方の領域に身体を晒しているチタノザウルスだ。
「――――――ッ!!」
激痛に悲鳴を上げながら、六十メートルの巨体が水柱の中で仰け反る。長い首にまた一つ新しい傷が増える。
チタノザウルスはたしかに強い怪獣だ。尾の一撃はアクアティリスの巨体を弾き飛ばしたし、組み付かれても怪力で振りほどいた。
でも見ていれば分かった。年老いたチタノザウルスの動きは一撃ごとに重くなってゆく一方で、敵の動きはまったく衰えていない。
老いたチタノザウルスと、ゴジラ=アクアティリス。時間は敵の味方だろう。
「この、ちょろちょろと!」
業を煮やしたバトラが海面すれすれまで高度を落とした。潜る敵を水際で待ち伏せる気だ。次にゴジラ=アクアティリスが顔を出す、その鼻先に光を叩き込むつもりだ。狙いは分かる。
分かるけど。
「だめ、低すぎ……!」
わたしの声なんて届くはずもなかった。
海面が、爆ぜた。
バトラが待っていたより一拍早く海面が爆ぜ、躍り出たゴジラ=アクアティリスの長大な尾が鞭みたいにしなって、黒と黄色の翅を海へと叩き落とした。
「バトラ!!」
小さな影が水面に落ちる。波が、それを飲む。
沈むバトラを追ってゴジラ=アクアティリスの巨体がゆっくりと沈んでいく。獲物を追って、自分の領域へ。
光の届かない、
双眼鏡の中の海面はもう静かだった。さっきまで戦場だった夜の海が、何事もなかったみたいに波の音だけに戻っていく。
わたしの心臓の音だけがうるさくて、息ができなかった。
モスラは空の生き物、制海権は管轄外だと本人が言っていた。浮き輪がなければぷかぷか漂うことしかできないバトラが、いま、あの真っ暗な水の底に……
思わず身を乗り出したその時、海が割れた。
山が、立ち上がった。
チタノザウルスだった。傷だらけの巨体が海底から一直線に突き上がって、その顎が何かを咥えている。ずぶ濡れの、黒と黄色の小さな何か。
バトラだ。
チタノザウルスは長い首を岸へ振って、口に咥えたそれをそっと浅瀬の岩の上に置いた。岩の上で小さな影が咳き込んで動いた。
生きてる。
膝から力が抜けた。手すりにしがみついたわたしの横で、カンナが「ばあさん、ナイス……!」と涙声で叫んでいた。
チタノザウルスはバトラを見下ろして、それから海の方へと向き直った。ゴジラ=アクアティリスと戦う気だ、バトラを守るために。
「……現状を整理する」
観測点の無線から、サカキさんの声が流れていた。ヤマナシさんやタニ少佐の計らいなのか、わたしたちのいる監視小屋にも指揮系統の音声が通されていた。
「敵は水中に潜られれば無敵。だが、我々のメーサーも爆雷も、致命傷は与えられん。バトラ……友軍の火力だけがあれを撃破できる。だが、水中には届かない」
淡々と、事実だけが並べられていく。
「よって方針を変更する。Gフォースの仕事は撃破ではない」
一拍。
「ゴジラ=アクアティリスを海面に上げる。哨戒艇、爆雷投下線を敵の潜行深度に再設定。メーサー全車、着弾点を海面に。撃ち抜くな、沸かせろ。奴の潜れる場所を、一平米ずつ削り取れ……奴を浅場へ追い上げる。浮いたところを“友軍”が撃つ」
撃沈は無理でも、追い上げることはできる。
Gフォースの方針が変わった。そこからのGフォースの役割は狩人ではなく、獲物を狙いの方向へと追い込む
爆雷が水中で轟き、白い泡の壁が海の底から立ち上がる。メーサーの青白い光条が海面を薙いで、水蒸気の幕を張る。
ゴジラ=アクアティリスが逃げ込める「深さ」が、一分ごとに削られていく。ゴジラ=アクアティリスの白い航跡がだんだん浅いほうへ、岸のほうへと追い立てられていくのが素人のわたしの双眼鏡にも見えた。
「観測点、こちらドローン班! 熱源、二時方向、深度浅い、また潜った!」
カンナだ。自慢の撮影用高級ドローンが夜の海面を這うように飛んで、赤外線カメラの映像を、付き添いのタニ少佐の端末経由で指揮所へ流していた。
契約一条の撮影機材が、まさかの軍事転用である。カンナ本人は「あたしの子が、あたしの子がGフォースの役に立ってる……」と半べそで操縦していた。
わたしはといえば双眼鏡を覗いているだけだった。何もできない、いつもの囮ですらない。ただの観客だ。
でも、ずっと見ていると分かってくるのだ。
跳ねて、跳ねて、跳ねて――潜る。
「……ねえ。あいつ、三回なんだ」
「え?」
「三回突っかけて、一回、深く潜る。ずっとそう。追い上げられてリズムが崩れても、崩れた後は、また三・一に戻ってる。……拍が、あるんだよ、あいつの動きには」
言ってから、自分で少し驚いた。拍。ピッチ。相手の呼吸を数えるのを、わたしの身体はまだ覚えていたらしい。
リレー四継の第二走者は、前を走る仲間の拍を読んで、出るタイミングを決める。何百回も数えた。嫌になるほど数えた。その数え方で見れば、あの化け物の動きは呆れるほど正直だった。
わたしは気づいたことをタニ少佐に伝えた。
「今の、指揮所に言って! 三回跳ねたら次は深い、深いのが終わった直後が、いちばん浅い!」
付き添いのタニ少佐は、一瞬きょとんとして、それから無線を掴んだ。
三十秒後、サカキさんの声が返ってきた。
「……観測点の分析を採用する。全部隊、敵の三回目の跳躍を確認後、次の浮上点に全火力を集中する。いい観測だ。誰だ、今のは」
「え、えっと、民間協力者のツキシマさんです」
「……そうか」
無線の向こうで、あの堅物のサカキさんたしかに一回笑ったのが聞こえた。
最後の局面は、あっけないくらい真っ直ぐだった。
三回目の跳躍、全員がそれを数えていた。爆雷が最後の「深さ」を潰し、追い詰められたゴジラ=アクアティリスが岸に一番近い浅瀬へ飢えの勢いのまま躍り込んでくる。
そこは、チタノザウルスの間合いだった。
バトラが夜のいちばん高いところで叫んだ。生まれて初めて聞く、敵以外へ向けたバトラの叫び声だ。
「婆さん、風を!」
チタノザウルスの老いた巨体が、最後の力で身をよじった。
折りたたまれていた尾の鰭ががばっと開き、巨大な団扇のような尾が大気を薙いだ。一度、二度、三度――海が渦を巻き、風が悲鳴を上げ、局地的な嵐がその一角だけに生まれて、浮上したばかりのゴジラ=アクアティリスを海面に縫い付けた。
局所的な竜巻に巻き上げられて潜れない。風と渦が水の中への扉を閉ざしている。
青白い光が四方から走った。メーサーの全火力が暴れる巨体の四肢を止める。
カンナのドローンが、真上からその全身を照らす。
「拍、今!!」
と、わたしはたぶん、叫んでいた。
そして、夜のいちばん高いところから、赤い紫電が落ちてきた。
極大のプリズム光線。今夜、何度も水に阻まれた必殺の光が今度は喰われなかった。
風に縫い付けられ、光に足を止められ、逃げ場の深さを全部奪われたゴジラ=アクアティリスの正中線ド真ん中を、バトラの必殺技がまっすぐに射抜いた。
そのものは、痛みの中にいた。
貫かれた場所から力が流れ出していくのを感じる。これまで積み上げてきたものが、蓄えてきた生命力が、焼き尽くされた身体から離れていく。
だが、そのものは恐れなかった。
終わりではない。還るだけだ。
紫の光の癖。青白い殻たちの、深さを奪う手口。風を起こす老いた餌のこと。三と一の拍を、読まれたこと。ぜんぶ持って還る。次のわたしへ、もっとうまく飢えるために。
そのものは崩れ落ちながら静かに手放した。
腹は、減ったままだった。
ゴジラ=アクアティリスの巨体は浅瀬に沈んで、動かなくなった。
歓声は、すぐには上がらなかった。砲声のやんだ海があんまり静かで、終わったことを確かめるのに誰もが時間がかかったのだ。
ぱら、ぱら、と拍手が起きて、それが浜全体に広がって、若い隊員さんが「勝ったぁ……」とへたりこんだ頃にそれは始まった。
ゴジラ=アクアティリスの死骸から、赤い塵が噴き出した。
巨体の輪郭が崩れながら赤い塵へ変わり、真っ赤な塵の帯が巨体の輪郭から立ちのぼって、夜明け前の空へすうっと伸びていく。誰かの歓声が途中で止まった。赤い塵の帯は風もないのに一方向へたなびいて、水平線の彼方へ吸われるように消えていった。
バトラがそれを追おうと飛びかけたが、追いつけないと分かるとそのまま止まった。バトラは空中で静止したまま、赤い塵の消えた方角を長いあいだ睨んでいた。
降りてきたバトラにわたしは訊ねた。
「……今の、何?」
「分からん」
あの子は、自分の手のひらを見た。さっき必殺の一撃を放った、その手を。
「ただ……嫌な倒し方だ。手応えが、軽い」
「軽い?」
「ああ……仕留めたのに、何も終わってない気がする」
夜が明けて、朝日の海にチタノザウルスが浮かんでいた。傷だらけの巨体を波に預けて、ゆっくりと呼吸をしていた。バトラがその目の高さまで飛んで、最後の交感をしているのをわたしたちは浜から見ていた。
あとでバトラが渋々教えてくれた会話は、こうだ。
まず礼を言おうとしたら説教をされたらしい。無茶をするな、深追いなんてあの子とおんなじだよ、と。あの子というのは先代のバトラのことだろうか。
それから、ちゃんと食べてるのかい、と二回目の小言。そして最後に、チタノザウルスはこう言ったそうだ。
「『今度は戦いじゃないときにおいで』、だとさ」
「……で、何て返したの」
「『考えておく』と」
「素直じゃないなあ」
「……戦い以外で誰かを訪ねる用事なんて、わたしには」
そう言いかけて、バトラはやめた。
海を見た。朝日の中をチタノザウルスの巨体がゆっくりと沖へ向かって、深く、深く、還っていくところだった。最後に一度だけ長い首がこちらを振り返って、それから海面は静かになった。
浜ではGフォースの撤収作業が始まっていた。指揮車両の前でサカキさんがバトラに声を掛けてきた。
「……見事だった」
バトラもぶっきらぼうに応える。
「そっちの爆雷もな。深さを奪う、か。人間は面白いことを考える」
「だが本来これは……」
「我々の仕事だ、だろ」
「……ふん」
初対面ではちゃんと名乗り合わなかった二人が、戦果で握手をしていた。手は繋いでいなかったけど。
去り際、サカキさんはわたしの前で立ち止まって生真面目に言った。
「三と一……いい観測だった。助かった」
「あ、いえ、その」
「目のいい観測手は、百の砲より役に立つ。覚えておくといい」
それだけ言って、まっすぐ歩いていった。
……なんだろう、こんなふうに褒められたの陸上部を辞めて以来、いや、もっとかもしれなかった。走ること以外で誰かに認められたのは、たぶん生まれて初めてだ。
その隣でカンナが自分のカメラを見つめたまま固まっていた。
「……ぜろびょう」
「え?」
「録画時間、ゼロ秒……あたし、昨日の夜から一秒も撮ってない」
「え、でもGフォースの人にドローンのカメラ貸したんじゃないの?」
「ドローン映像も送っただけで、保存してない……」
カンナは呆然と画面とレンズを見比べた。前哨のセルヴァム戦も、婆さんの浮上も、怪獣による海底の大決戦も、何ひとつ記録されていない空っぽのカメラ。一千人が待つチャンネルの、人生最大のネタが、ぜんぶカンナ自身の目の中にしか残っていなかった。
「う、嘘でしょ、あたし、なんで、あんなに、ずっと構えて……」
言いながら、カンナは反射的にカメラを持ち上げた。
ちょうど朝日の海に、チタノザウルスの背びれの最後の名残が金色に光って沈んでいくところだった。完璧な画だ。世界中のどの配信者も持っていない、一生に一度の画だったろう。
けれど、カンナの指は録画ボタンの上で止まっていた。
「……無理だわ。撮れないよ、こんなの」
その呟きに誰も答えないまま、波の音だけが返事をしていた。
朝になると、チタノザウルスの出現とGフォースの出動は当然のように大ニュースになっていた。
町の海側一帯には夜のうちから規制線が張られ、「コンビニに出て封鎖に巻き込まれた観光客」であるわたしたち三人は公民館の避難所で夜明かしをした、ということになった。
……いや、チタノザウルスが帰ったあとはそうなったから実際その通りなんだけど。一ミリも嘘は言ってないんだけど。
毛布にくるまって配られたココアをすすっていると、避難所をヤマナシさんが「巡回の役人」の顔で回ってきた。わたしたちの前で立ち止まって、白々しく毛布をもう一枚ずつ配りながら、小声で言った。
「災難だったねえ、君たち……お疲れさん。いい夜だったよ」
周りでは、避難してきた人たちがみんな、スマホの速報に釘付けになっていた。
『海棲恐龍チタノザウルスが出現 Gフォースが対処 沖合へ去る』『怪獣は生きていた 専門家「他にも生存の可能性」』
画面の中でコメンテーターが興奮気味に喋っていたが、新種のゴジラのことや黒い翅の魔法少女についてはどこにもなかった。
世界が知ったのは、真実の半分だけだったらしい。
規制が解けて、ホテルに戻ったのは朝の八時過ぎだった。
部屋のドアを開けると、アヤノがいた。眠らずに待っていたのだと、ひと目で分かった。畳んだ布団の上に、きちんと座って、窓の外の海を見ていた。
「おかえりなさい」
振り向いたアヤノは、ふわりと、いつもの笑顔になった。
「よかった……コンビニ、遠かったんだねえ」
責める色なんてまるでない声だった。それが逆に、痛かった。
「ご、ごめん。封鎖に巻き込まれちゃって。連絡もあんまりできなくて」
「うん。ニュース、ずっと見てたよ。怪獣、出たんだねえ。すごいねえ」
「……うん。避難所からは、何も見えなかったけどね」
嘘の練度だけは一級品のはずの口が、少しだけもつれた。アヤノは何も追わなかった。ただ「無事でよかったぁ」と言って、それから朝ごはんに行こうと言って、その話は終わりになった。
帰りの電車は、混んでいた。
怪獣の噂でもちきりの車内で、カンナは空っぽのカメラを抱えたまま窓の外を見ていて、バトラは光の消えた水平線の方角をずっと目で追っていて、わたしは疲れてうとうとしていた。
乗り換えの駅のホームで、アヤノがふいに言った。
「ねえ、ツグミちゃん」
「ん?」
「次はね、わたしも混ぜてほしいな。夜のコンビニ」
いつもどおりの、ふわふわしたやわらかい声だった。やわらかい声のまま、それはわたしの一番深いところにまっすぐ刺さった。
「……うん。もちろん」
わたしは、営業スマイルで答えた。
我ながら、嘘の練度だけは一級品だった。
好きなキャラは?
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バトラ
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ツグミ
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カンナ
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アヤノ