あれは三年ほど前のことです。
いま思えば、いつ始まったのかは分かりません。
最初からそういう遊びだったような気もしますし、ある日突然だったような気もします。
私のまわりには、アニメや漫画を切り抜いて遊ぶ人がたくさんいました。
作品を語る人もいました。
考察を書く人もいました。
けれど、一番目立っていたのは、画像を切り抜いて笑いをとる人たちでした。
一枚の画像。
一行の台詞。
それだけで何十万回も共有され、何百万回も表示され、タイムラインを埋め尽くす。
ある人が放った一度きりの怒鳴り声は、ほかの誰かを叱るたびに借りられる声になりました。
世界一悔しそうに泣いていた選手の顔は、誰かの敗北を笑うたびに借りられる顔になりました。
元の意味なんて、誰も気にしません。
面白ければ、それでよかったのです。
私は、その遊びが好きでした。
画像編集も得意でしたし、短い文章を考えるのも嫌いではありませんでした。
配信者が変な顔をした瞬間。
アニメの一コマ。
映画の一場面。
切り抜いて、文字を載せる。
投稿する。
誰かが引用する。
動画になる。
ショート動画になる。
また誰かが加工する。
翌朝には、元の作品を知らない人まで使うようになっていました。
通知は鳴りっぱなしです。
数字が増えるたびに、少しだけ自分が面白い人間になれた気がしました。
界隈では、それを「素材」と呼んでいました。
便利な言葉でした。
「素材」
そう呼んだ瞬間、それはもう作品でも、人でもありません。
加工するための部品です。
誰が描いたか。
誰が演じたか。
どういう場面だったか。
そんなものは消えてしまいます。
素材は、使われるためだけにあります。
私は一度も、その言葉を不思議だと思ったことはありませんでした。
ある日、見慣れないアカウントが私の投稿を引用しました。
アカウント名は、null。
プロフィールは空欄。
アイコンも灰色の初期画像のままでした。
フォロワーは百人にも届きません。
引用には、たった一行だけ書かれていました。
「素材は、本人より長く残ります」
言っていること自体は、分かりました。
元の投稿が削除されても、切り抜かれた画像は残ります。
投稿者がアカウントを消したあとも、保存された画像だけが何年も使われ続けることなんてざらです。
元になった作品も、場面も、人物の名前も知らないまま、画像だけを使っている人も珍しくありません。
ネットでは、よくあることでした。
ただ、少し妙な言い方だとは思いました。
私は、その言い方だけが少し引っ掛かりました。
「素材が長く残る」
ではなく、
「本人より長く残る」
比べられていたのは、画像ではなく、人でした。
まるで、その画像がいつ飽きられるかではなく、画像の中にいる人がいつまで本人でいられるかを話しているようでした。
とはいえ、そのときは深く考えませんでした。
私は返信もせず、少し気取った言い回しをする人なのだと思っただけでした。
ところが、それから何度か見かけるようになりました。
誰かが流行りの画像を投稿すると、
「元の名前は、もう使われません」
誰かが動画を投稿すると、
「今日も一人、素材になります」
誰かが有名人の失言を切り抜くと、
「そこから先は本人ではありません」
そんなことばかり書いていました。
誰も相手にしません。
引用された人は笑っています。
「また怪談アカか」
「中二病拗らせてる?」
「ワイはその世界観好きやで」
そんな返信ばかりでした。
私も同じでした。
一か月ほど経って、界隈では有名だった配信者が一人、急に更新をやめました。
珍しい話ではありません。
SNSでは、昨日まで毎日投稿していた人が、今日から何も言わなくなることがあります。
誰も気にしませんでした。
けれど、その有名配信者の外見だけは、毎日のようにタイムラインへ流れてきました。
誰かが顔だけ切り抜き、
誰かが別の台詞を付け、
誰かが動画にし、
誰かがまた別の画像へ貼り付ける。
コメント欄には、
「この顔、使いやすい」
「万能素材」
「保存した」
そんな言葉ばかりが並んでいました。
私は画面を眺めながら、ふと違和感を覚えました。
その配信者の名前が思い出せなかったのです。
昨日まで毎日のように見ていたはずでした。
配信も見ていました。
投稿も引用したことがあります。
それなのに、表示名も、アカウント名も、何一つ思い出せません。
覚えているのは、顔だけでした。
その夜、nullがまた私の投稿を引用してきました。
「最初になくなるのは、名前です」
私は、何となく腹が立って、
「なんの話ですか」
と返しました。
返事は、翌朝になっても来ませんでした。
代わりに通知が一件だけ届いていました。
知らない誰かが、私の投稿した画像を引用していました。
キャプションは、たった一行。
「この素材、使いやすい」