私が顔を出したのは、本当に偶然でした。
毎年開かれているアニメイベントへ、いつものように一人で出かけた日のことです。
目的は新刊でもコスプレでもありません。
素材探しでした。
面白い展示があれば撮る。
変わったポップがあれば撮る。
会場の空気そのものが、数日分のネタになることもあります。
イベントの帰り道、私はあるフォロワーと初めて顔を合わせました。
会う約束をしていたわけではありません。
向こうが私のアカウント名に気づいて、声を掛けてきたのです。
「いつも見てます」
そう言われるのは悪い気分ではありませんでした。
少し立ち話をして、その人は言いました。
「写真、一枚いいですか」
私は少し笑って、
「顔は写さないでくださいね」
と言いました。
「もちろん」
その人はそう答え、私の背中越しに会場を撮るような構図でシャッターを切りました。
私も深く考えませんでした。
顔なんてほとんど写っていないだろうと思ったからです。
その日の夜でした。
タイムラインに、その写真が流れてきました。
『今日は██さんに会えました!』
私の後ろ姿が小さく写っています。
約束どおり、顔は分かりません。
私は「ありがとうございました」とだけ返信しました。
翌朝、その写真を見て少し驚きました。
私が写っている部分だけ切り抜かれ、別の投稿に使われていたのです。
会場でパンフレットを読んでいる、中途半端な姿勢でした。
キャプションには、
『オタク特有のこの姿勢』
と書かれていました。
笑ってしまいました。
確かに、少し面白い格好だったのです。
引用は伸びました。
さらに翌日には、
『イベントで財布を落とした俺』
『限定グッズ完売を知った瞬間』
『推しが結婚したとき』
そんな文字が次々と貼られ、私の姿は別の意味を持ち始めました。
もう、私ではありませんでした。
一枚の姿勢だけが、歩き始めていました。
私は、自分でも一枚保存しました。
よく出来ていると思ったからです。
少し悔しかったのは、私より面白く加工している人が何人もいたことくらいでした。
数日後、フォロワーと通話していたときのことです。
「そういえば」
相手が笑いながら言いました。
「あの画像、めっちゃ伸びてますね」
「あの画像?」
「イベントの」
「ああ、あれ」
私はすぐ分かりました。
相手は続けました。
「もう十万くらい保存されてるんじゃないですか?」
「そんなに?」
「見ました? 海外でも使われてますよ?」
私は検索してみました。
本当でした。
知らない言語。
知らない文章。
それでも、私の姿だけは同じでした。
「まあ、面白いですから」
私はそう答えました。
相手は少し黙ってから、不思議そうに言いました。
「そういえば」
「なんですか?」
「お名前、なんでしたっけ?」
冗談だと思いました。
「いや、ずっと話してるでしょう」
「ですよね」
相手は笑いました。
「なんか思い出せなくて」
私は自分のプロフィールリンクを送りました。
「ああ、それそれ」
相手は納得したようでした。
私は、そのときは何も気にしませんでした。
ネットでは、名前なんて案外見ないものです。
アイコンと投稿だけで、誰だか分かってしまう。
それだけの話だと思っていました。
その夜。
nullが、私の切り抜き画像を引用しました。
添えられていた文章は、一行だけでした。
「本人は、一度しか写っていません」