その画像が流行り始めてから、一か月ほど経った頃でした。
私は別のアニメイベントへ出かけました。
例の件があってから、人前へ出ることを少しだけ気にするようにはなっていました。
とはいえ、イベントへ行く理由は変わりません。
新しい素材を探すためです。
会場へ着いて間もなく、知らない男性に声を掛けられました。
「すみません」
私は振り返りました。
「素材の人ですよね」
一瞬、何を言われたのか分かりませんでした。
「え?」
「あ、違ったらごめんなさい」
男性はスマートフォンを取り出しました。
画面には、あの画像が映っていました。
私がパンフレットを読んでいる、あの姿勢です。
「これの人ですよね」
私は苦笑しました。
「そうです」
「やっぱり」
男性は嬉しそうに笑いました。
「本物初めて見ました」
本物。
その言葉に少しだけ引っ掛かりました。
けれど、悪意はありません。
私は曖昧に笑って、
「ありがとうございます」
とだけ答えました。
「応援してます」
男性はそう言って去っていきました。
最後まで、私の名前は呼びませんでした。
昼過ぎになると、昔から交流のあったフォロワー数人と合流しました。
ほとんどが五年以上の付き合いです。
直接会うのは久しぶりでしたが、毎日のようにSNSでは話しています。
「お疲れ」
私が声を掛けると、一人が笑いました。
「あ、素材の人」
みんな笑いました。
「その呼び方やめてくれよ」
「いや、もうそれしか出てこない」
「ほんとに」
冗談だと思いました。
私は自分のアカウント名を言おうとして、一瞬だけ口が止まりました。
もちろん思い出せます。
ただ、相手に言わせたくなったのです。
「俺の名前、言える?」
全員黙りました。
誰かがスマートフォンを取り出しました。
「えっと……」
「ほら……」
「アイコンは浮かぶんだけど……」
「待って」
画面を見ながら、一人が首を傾げました。
「……なんだったっけ」
私は笑いました。
「冗談だろ?」
「いや、本気」
「昨日も話したじゃん」
「話した」
「でも……」
全員が困った顔をしていました。
その様子が妙に揃っていて、私は少しだけ笑えなくなりました。
「プロフィール見ればいいじゃん」
「いや、それは反則」
一人がそう言って笑いました。
「思い出せそうなんだけどね」
結局、誰一人として答えられませんでした。
代わりに、一人が言いました。
「でも……」
「なんですか?」
「画像は保存してる」
ほかの三人も頷きました。
「俺も」
「僕も」
「何回も使った」
次々とスマートフォンが差し出されました。
保存フォルダには、あの画像が入っています。
文字を変えたもの。
色を加工したもの。
海外で使われていたもの。
私自身も見たことのない派生までありました。
「これ便利なんだよ」
「なんにでも使える」
「最近また伸びてるよね。」
誰も、悪気はありませんでした。
むしろ、私の画像を褒めているつもりでした。
私は、その画面を眺めながら言いました。
「俺のアカウント、フォローしてるよね」
「もちろん」
「固定ポストも見てる」
「毎日流れてくる」
「じゃあ、名前は」
また沈黙が落ちました。
さっきより長い沈黙でした。
一人が苦笑しました。
「ごめん、本当に出てこない」
その瞬間、背中に冷たいものが走りました。
毎日のように会話している相手です。
通知欄にも、昨日のやり取りが残っています。
それなのに。
名前だけが、誰の口からも出てきません。
私は笑うしかありませんでした。
「そんなこと、ある?」
誰も答えませんでした。
代わりに、一人がスマートフォンを見ながら呟きました。
「あ」
「なに?」
「また使われてる」
あの画像でした。
新しい投稿です。
数分前に投稿されたばかりでした。
もう何千件も「いいね」が付いています。
私は無意識に投稿者のプロフィールを開きました。
そこには見慣れたアカウントがありました。
null。
投稿文は、いつも通り短く、一行だけでした。
「名前は、思い出そうとすると消えます」