翌朝、私はアカウントを削除することに決めました。
一晩考えて出した結論でした。
画像が消えないことくらい分かっています。
保存されたものも、転載されたものも残るでしょう。
それでも。
少なくとも、自分から素材を増やすことだけはやめようと思いました。
設定画面を開きます。
退会。
確認。
もう一度確認。
画面には、「この操作は取り消せません」と表示されました。
その下に、小さな案内がありました。
「削除前に、公開データのアーカイブをダウンロードできます」
投稿。
返信。
引用。
画像。
プロフィール。
これまで公開してきたデータを、ZIP形式で保存できるという説明でした。
私は少しだけ考えて、「ダウンロード」を選びました。
数分後、アーカイブの作成が完了し、ZIPファイルが保存されました。
これなら少なくとも私がここにいた証拠だけは残る。
そう思ってから、もう一度退会画面へ戻りました。
私は迷いませんでした。
指先でタップしました。
画面が切り替わります。
「アカウントは削除されました」
それだけでした。
静かなものでした。
通知も来ません。
音も鳴りません。
まるで最初から何も存在しなかったかのようでした。
私は深く息を吐きました。
これで終わる。
そう思いました。
数日後。
私は会社の帰りに駅前の喫茶店へ入りました。
本を読もうと思ったのです。
パソコンやスマートフォンばかり見ている生活をやめよう。
紙の本を読もう。
そんな気分でした。
注文を済ませ、席へ座ると、店員がコーヒーを運んできました。
カップを置こうとしたその手が止まります。
「あ」
また、その声でした。
店員は少し考えるような顔をして、
「素材の人」
と言いました。
私は苦笑しました。
「もうSNSはやめたんですけど」
店員は困ったように笑いました。
「そうなんですか。でも、まだよく見ます」
私は返事をしませんでした。
店員は仕事へ戻っていきました。
名前は聞かれませんでした。
もちろん、呼ばれもしませんでした。
私は窓の外を見ました。
駅前を人が歩いています。
誰も私を知りません。
そのはずでした。
それなのに。
ガラス越しに目が合ったサラリーマンが、小さく口を動かしました。
「素材」
声は聞こえません。
けれど、そう言ったことだけは分かりました。
私は思わず目を逸らしました。
本を開きます。
一ページも頭に入りません。
気付けば、店内の誰かが私を見ています。
一人。
また一人。
何かを思い出したような顔になります。
そのたびに、
「あ」
という表情をします。
私は耐えられなくなって店を出ました。
帰宅すると、私は保存しておいたZIPファイルを展開しました。
投稿。
返信。
引用。
プロフィール。
画像。
どこにも変わったところはありません。
フォルダを閉じようとして、ふと、ひとつだけ見慣れないファイルがあることに気付きました。
『summary.txt』
そんな名前のファイルを、自分で作った覚えはありません。
開くとなかには、数行の文章がありました。
・このユーザーは、アニメ・漫画作品を中心に活動したミーム制作者である。
・後に、自身がミーム素材として広く流通した。
・詳細は投稿履歴から推定した。
私は息を止めました。
最後の一行だけ、妙に浮いて見えました。
・詳細は投稿履歴から推定した。
誰が何を推定したのでしょう。
私はスクロールしました。
その先には何もありません。
その三行だけです。
作成日時を見ると、今日の日付になっていました。
私はこのファイルを作っていません。
運営が生成したのでしょうか。
それとも。
スマートフォンが震えました。
メールではありません。
通知でもありません。
画面には、文字が一行だけ表示されていました。
送信者の名前はありません。
「記録だけで、人は要約できます」
その文章を見た瞬間、私は誰の言葉なのか理解しました。
理解してしまったからこそ、画面を閉じることができませんでした。