迷子の迷子のウマ娘 作:UMAUMA
「今日は引退式だな、スキャム」
前を歩いているトレーナーが前を向きながら呟いた。
「そうだな、トレーナー」
ウマ娘という現実にはなかった種族に転生した元男の俺は、今からまた一つ、人生で初めての経験をしようとしている。
引退式。
文字通りトゥインクルシリーズを引退する式。
前世も合わせ長年生きて特段やることのなかった俺は、走ることにのめりこんだ。
勿論競馬はそんなに詳しくなかったし、なんならウマ娘は聞いたことがある程度だ。
走って、走って、そして今日、俺、スキャムトゥルーは引退式を迎える。
「長かったもんで、あっけなかった気もするな」
「密度ある出来事というのは、そういうものだろうに」
「徹夜の記憶も多いがな」
「ハハハ、それはご愁傷様」
「誰のせいだと思ってんだ、ったく」
トレーナーが俺の方へと振り返りながら回顧するように苦笑する。
ツヤ感のある刈り上げた黒髪を揺らしているが、彼はまだペーペーであり、俺が初めての担当らしい。
「結局故障で終わってしまったな……」
「それでも十分走っただろう?」
「あ、ああ。そうかもしれないな」
自分でも不思議なくらい、未練はなかった。
悔しくないと言えば嘘になるのも確かだ。
だが、それ以上に――――楽しめた。
「ありがとう」
「なんだ、急に」
「トレーナーが担当してくれて、本当によかった」
「……面と向かって言われるとむずがゆいな」
「照れてるのか?」
「うるさい」
トレーナーが顔を前へ向ける。
俺は思わず笑った。元男としては実に笑えるのである。
「そうだ、今日は引退式の後何か食いに行くか」
「ほう。何でもいいのか?」
「いいぞ。特別だ」
トレーナーがクスリと笑う。
珍しい。普段は外食に行きたがらないくせに。
「となると鰻か……いやここは敢えてラーメンでも」
「飯のことは後で考えればいい。そんなんで引退式ちゃんとできるのか? 勝負服も忘れてないだろうな」
「当たり前だろう。何なら勝負服をずっと着ていたいぐらいだ」
「スカートが嫌いってやつか?」
「そうだ。勝負服はズボンな分マシだ」
「今着てるのはスカートだけどな」
「仕方なくだ。それとも何だ、トレーナーはスカートフェチなのか?」
「はいはい違うぞ。ほら、信号青だぞ」
ハッとすると、信号は青に切り替わっていた。
トレーナーが横断歩道の白だけを踏んで先に進んでいく。
小学生かよ、なんて思いながら俺もその背中を追う。
―――――そのときだった。
「……ん?」
人間より鋭敏化しているウマ耳に、ある音が入った。
低く唸る、エンジンの音。それが猛烈な勢いで近づいてきている。
その瞬間、俺の全身を恐ろしいほどの焦燥感が駆け抜けた。
「トレーナー!ちょっと待て――――――」
慌てて声を上げるが、気づいた時にはトレーナーにトラックが迫っていた。
トレーナーは気づいていない。
轢かれる。そう思った。
「トレーナー!!」
無意識に体が動いていた。
ウマ娘の持てる全力で地面を蹴り、トレーナーの体を押す。
「うわッ何だ―――――」
向こうの歩道に倒れながら、こちらへと振り返るトレーナー。
理解が追い付いていないのか、目を丸くしている。
世界がゆっくりと動く。
そうか、これが走馬灯か。
まさかこんな形で二度目の人生が終わるとはなぁ。
バンッッ!!
世界が揺れるような衝撃と同時に、視界が激しく揺れる。
痛みと、歪みと、その他をごちゃ混ぜにしたような感覚。
空中を舞った俺は地面に叩きつけられ、全身を激痛が襲い、視界が明滅する。
その視界に、赤い液体が広がる様が映る。
地面の冷たさが、風の冷たさが、俺の中の絶望を無常に引き起こす。
ああ、これ死ぬな。
「……スキャム?」
遠くから呆けた声が聞こえる。
「スキャム!!!」
抱えられる感覚。冷えてきた体に、トレーナーの温かさがじんわりと伝わる。
「おいッ!!大丈夫か?!おいッ!!誰か救急車を……!」
わずかな視界から、下側からのトレーナーの必死な表情が見える。
「ト、レー、ナー……」
「今は喋らなくていい!!あと少しで救急車が来るからな!!」
ああ、聞こえる声さえも遠くなってきた。
もう意識がもたない。手足の感覚も消えた。
最後に一言言わなければ。
元男だからだとか、関係なく。
「ありが、とう」
言い終わった瞬間、俺の意識は役割を果たしたように暗転した。
突然浮き上がるような不思議な感覚に見舞われ、俺は目を覚ました。
……ぅ、ここは
うっすらとした視界に、青空が飛び込んでくる。
病院じゃない。
つまり、俺は死んだのか。
あまりにも呆気ない終わり方だ。
ゆっくりと上半身を起こす。連れて、黒鹿毛のウルフカットが揺れる。
……ん?
映った周囲の景色に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。
普通の市街地の景色だった。
どうやらあの世というわけではなさそうだ。
自分の手を見てみる。
やけに透明で、手越しに向こうの景色が見える。
まさか、幽霊の類……なのか?
驚いた。前世で死んだときも体験しなかったことだ。
ということはやはり俺は死んだのか……
やはり呆気ないらしい。
これからどう動いたものか。
いや待て。そうだ。現世を見れるということは、会えるのだ。トレーナーに。
あれ……?
トレーナーの名前、何だったっけ?
待て待て。そんな馬鹿な。俺は関わりのある人物の名前はきっちり憶える。
だのに今、名前が全く思い出せない。顔ははっきりと分かるのに。
名前だけが出てこない。
……じゃあ俺自身の名前は?
出てこない……
トゥインクルシリーズを走り抜ける間もずっと使っていた名前だぞ?
俺は髪をガシガシと掻きながら焦る。
何故出てこないんだ。まるでそこだけ抜き取られたように出てこない。
オレンジ色に染まり出した太陽が、透けた俺を照らす。
クソッ!!どうしたらいい?!どうすればッ――――?!
「……あの、どうか……しましたか?」
突然の声に振り返る。
そこには、闇に溶け込まんばかりの黒鹿毛ロングのウマ娘の少女が、その黄色い瞳で俺を見ていた。
「大丈夫……ですか?」
漆黒の髪を揺らしてウマ娘の少女が不思議そうな表情をする。その体には俺が死ぬ時まで着ていたトレセン学園の制服を纏っており、どこか儚げで不思議な雰囲気を纏っている。
そしてその黄色い双眸で俺を見ている。
そう、俺を見ているのだ。幽霊の俺を。
とりあえず返事をしようと思い、言葉を紡ぐ。
だが……
声が出ない……?!
いくら声を出そうとしても、音が出なかった。
「あの……?」
少女はさらに心配そうな表情を向けてくる。
ああもうどうしたらいいんだよ。
思い浮かぶ手段としては手話、いや俺手話は使えない。
あとは……ジェスチャーか。
兎に角やるしかない俺は、腕を動かし、SOSを順番に作る。
「SOS、ですか?まさか……道端の幽霊に救助を求められるとは……思いませんでした」
やっぱ俺幽霊なのか……
「どうやら……喋れないようですね。お友だちには……分かるのでしょうか?」
お友達……?周りには誰もいないが……
疑問に思っていると彼女の影から何かがひょっこりと顔を出した。
うおっ何だ……?!そう思っている間に、何かは影から飛び出し俺の前に立った。
薄っすらとしているが、その姿は紛れもなく少女と瓜二つだった。
友達と呼ばれたその薄い少女のそっくりさんは、暫く俺の周りをグルグルと回ってから、今度は俺に向かってヤッホーのジェスチャーをかます。
相変わらず声の出せない俺は、手を振って返した。
「なるほど……お友だちにも分からないんですね。となると……ジェスチャーだけで会話するしか……なさそうです」
そう言われ、ジェスチャーが生命線となることが確定する。
俺が困ったように肩を竦めると、少女は自身の髪を揺らしながらクスリと笑った。
ウマ娘には多少慣れてきたと思ったが、一瞬ドキッとしてしまった。
同時に夕日が完全に地平線の下に消え、辺りが薄暗くなる。
「あ、もうこんな時間に……私もトレセン学園に戻らないと……」
少女が美しかったグラデーションの灰色に変わる空を見上げながら呟く。
そして次に、俺を見た。
「私はマンハッタンカフェと言います……流石にこのまま置いて行くことは……できませんし……詳しい話を聞きたいので……よければ……付いてきてくれませんか?」