kancolle_AnotherWorld   作:どっかー

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本作品は『艦隊これくしょん -艦これ-』の二次創作小説です。

独自設定・独自解釈・オリジナルキャラクターを多く含み、原作とは異なる設定・展開があります。

また、文章の推敲・校正および表現の検討に生成AIを使用し、一部の提案文を本文に採用しています。


01

西暦二〇一三年、ある日を境に海難事故が急増した。いずれの事故も船舶は消息を絶ち、乗客や乗組員もまた行方不明となった。信号が途絶えた海域では、船体の一部と思われる漂流物だけが発見された。これら事件に対し、政府と関係省庁は原因究明に総力を挙げた。しかし、調査は遅々として進まなかった。海洋生物の異常行動、局所的天候の悪化、海底火山の噴火、敵対勢力による破壊行動、あらゆる可能性から調査が行われたもののどれも確信には至らなかった。さらに、国民の間で様々な憶測が飛び交ったことが拍車をかけ、特に海軍と沿岸警備隊は多忙を極めた。そんな折、事件に巻き込まれながらも生還した者がいた。彼は瀕死の状況であったが、貴重な情報源として可能な限りの聴取を受けた。人々はその行動を非人道的だと非難したが、彼は自らが助からないことを悟り、自らが知る限りの情報を残して息を引き取った。彼の情報でめざましい進展をみせたが、それと共にあらゆる人に信じられない現実をもたらした。彼が携帯電話で撮影した動画に写っていたのは、黒い体に青い目を持つ魚のような生き物が船や人に群がって襲っている光景であった。このあまりにも凄惨な映像は、政府の規制にもかかわらず様々な媒体を通じて瞬く間に拡散し、社会全体に恐怖を広げた。

海軍では動画を元に情報収集が行われ、この不明生物への対処法が検討された。当初は言語などによる交渉を試みるべきだという意見もあったが、国民感情がそれを許容するはずもなかった。海軍は現状より定期哨戒を増やし、即応可能な部隊を新設して駆除することを決め、可能であれば捕獲することになった。この作戦は一定の成果を収め正体の解明が進んだが、すぐに人的・財政的資源において困窮を強いられた。この不明生物の数が多すぎるために、弾薬と燃料の消耗が激しく、予算は急速に底をついた。さらに、捕獲のために犠牲になる者が続出した。海軍はコストに見合う新兵器の開発が急務となった。

一方で不明生物の正体を掴みつつあった。とは言え、その暫定的な推測に海軍は困惑した。不明生物は金属の体に肉のようなもので形成された内蔵を有し、金属と肉が融合しているというものであったからだ。しかし、海軍はこの機構に着想を得て新兵器の考案した。海軍研究所からもたらされた情報によれば、不明生物の金属は古い艦艇のものであることが判明したからだ。不明生物と同じように、人間が装備可能な艦艇の材料から作成した装備を作れないか。試行錯誤の末、それは完成した。ただ二つの大きな課題と共に。

新装備は不明生物に対して非常に有効な手段となった。人が海上を艦艇のように自由に移動し、艦砲を模した兵装で射撃戦を行うこの装備は、金と人の両資源の枯渇問題を解決した。しかしこの装備が公にされることはなかった。装備可能な人間は「装備に選ばれた女性」であり「装備との神経接続のために手術を受けた者」だけであったからだ。この女性を「艦娘」と呼称し、政府と国防省はこの情報を最重要機密とし、徹底的な情報管理がなされ、軍や研究所の中でも一部の人間のみが知るだけとなった。

そしていつしか不明生物にも「深海棲艦」という名前がついた。この名前は動画の最後に残した生還者の言葉を元に、世間で自然とそう呼ばれるようになった。

 

『あれは、深海から来た船だ。怨恨と共に戻ってきた幽霊船』と。

 

その年の暮れ、海軍少佐志ノ方海渡は海軍研究所にいた。中肉中背で、黒い髪と黒い瞳を持つ、ごく平凡な青年だった。際立った美男子ではない。しかし、意志の強さを感じさせる目元には、年齢相応の活力が宿っていた。熱意と堅実さを買われ、若くして少佐まで昇進した人物である。しかし、半年ほど前に海難事故で妻を失ってからは別人のようであった。任務は淡々とこなしていたものの、かつての熱意は失われていた。彼自身も、海軍を去ることを考えるようになっていた。海に関わっていると妻のことを思い出すからであった。しかし、研究所で艦娘・吹雪と出会ったことで、その願いは叶わなくなった。彼は直ちに監視下へ置かれた。しかし、艦娘部隊の指揮官を求めていた関係者にとっては、不幸中の幸いでもあった。半ば強制的に艦娘部隊の指揮官へ任命され、十人の艦娘の生活全般を任されることになった。そこから海渡の人生は一変した。若い女性ばかりの艦娘たちをまとめるのは骨の折れる仕事だった。何度も投げ出したいと思ったが、事件や任務、そして日々の生活を重ねるうちに、指揮官兼世話人としての立場が自然と身についていった。なかでも吹雪との交流は、妻を失って以来閉ざしていた心を、少しずつ以前の姿へ戻すきっかけとなった。そして西暦2014年5月。深海棲艦集結の報を受け、彼は艦娘たちと護衛艦『はるか』を率い、撃滅任務へ向かうこととなる。

 

 

 

その日は曇天だった。乗組員たちの士気は高かったが、艦内にはどこか重苦しい空気が漂っていた。過去に類を見ない大軍勢との戦いを前にしては、そうした空気になるのも無理はなかった。海渡は艦長室の椅子に腰掛け、自ら考案した作戦書を何度も読み返していた。作戦前には、こうして何度も内容を見直すのが彼の習慣だった。戦場へ送り出すのは、自分よりも若い艦娘たちである。しかも、その多くは自ら望んで軍人になったわけではない。その事実を思えば、慎重になるのは当然だった。妻を失った経験は、その慎重さをさらに強めていた。そのとき、控えめなノックが扉越しに響いた。返事をすると、小柄な少女が静かに入室した。

「失礼します。今大丈夫ですか?」

「ああ、いいぞ。どうした?」

現れたのは、海渡が率いる艦娘部隊の隊長・吹雪だった。中尉待遇とは思えない幼さを残した顔立ちで、海渡と並ぶ姿は兄妹にも親子にも見えた。

「特に用はないんですけど、ただ出る前に艦長の顔を見たくなって。」

吹雪は少しうつむき加減にそう言った。海渡は書類を机に置いて立ち上がり、吹雪に歩み寄って頭を撫でた。吹雪の表情がふっと和らぎ、張り詰めていた肩から力が抜けた。

「すまないな、毎回。」

「大丈夫です。ありがとうございます。」

物心ついた頃には研究所にいて艦娘だったため、吹雪の記憶にある大人といえば、研究員や海軍上層部の者ばかりだった。その誰もが彼女を兵器として扱い、一人の人間として接する者はいなかった。

そんな中で、海渡だけは違った。親身に接し、頭を撫で、体調を気遣ってくれる。海渡と過ごす時間だけは、不思議と肩の力を抜くことができた。その時間が終わるたび、次はいつ会えるのだろうと思うようになっていた。不安になるたび、気づけば海渡の部屋を訪ねていた。

「…行ってきます。」

「気をつけてな。」

吹雪は穏やかに微笑むと艦長室を後にした。海渡はその背中を見送りながら、胸の内で無事を祈った。

 

 

 

「遅かったね」

吹雪が格納庫まで来ると、最上に声をかけられた。吹雪がそちらを向くと、少し背の高いショートヘアの女性が立っていた。彼女は艤装用の靴に履き替えていて、出撃の準備はできているようだった。

「すいません」

「咎めてるわけじゃないよ。まだ時間あるしね。艦長のところ行ってたの?」

「はい。」

「僕も行けば良かったな。これが最後になるかもしれないしね。」

最上の言葉に吹雪は顔を暗くした。

「私は、全員無事に帰ってきたいです。」

「そうだね。」

生死を語る時期はとうに過ぎていた。自分たちは兵士であり、明日を約束された者ではない。それは艦娘だけでなく、この艦の乗組員全員が覚悟していることであった。

「ま、いつも通り頼むよ。旗艦さん。少なくとも、今まではそれで生き残ってこれたわけだし。」

「過信しないでくださいよ。」

背中越しに手を振って最上は別れを告げた。吹雪が最上を見送っていると、整備員の一人から準備ができた旨を知らされた。吹雪はそれに返事をして自らの位置についた。

「やっと来たね。」

「すいません北上さん。」

当初はやる気のなさそうな声でよく心配されがちだったが、それが杞憂だとわかると途端に愛嬌へ転じた。『はるか』の乗組員たちには、彼女の余裕がありそうな少しゆっくりとした話し方が緊張を和らげる効果があった。

「艦長と密会ですか?これはスクープの匂いがしますね。」

一眼レフカメラを構えながら、北上の奥から意地悪そうな声を出したのは青葉だった。艦娘の中では比較的年上に属しているが、淡い桃色の髪のポニーテールと当人の性格のせいで面倒を見られる側であった。海渡の中での評価は"いたずら娘"である。青葉がカメラを持っているのは艦娘になる前から癖だが、今でも持ち続けているのは明日を迎えられる保証がないからこそ、今日を写真に残していたいからだ。

「そんなんじゃありませんよ。ただ少し話をしただけです。」

青葉は吹雪が艦長に会う理由を知っていたが、毎回このようにからかうのであった。

「何を話したの?」

吹雪と同じ艦級の白雪が尋ねた。吹雪より少し明るい茶色の髪に短いおさげ、吹雪と同じく幼気な顔立ちと身長で、同じく吹雪型の艦娘である深雪と初雪を合わせた四人は艦娘の中で最年少の集団である。

「無事に帰ってきますって。」

吹雪は一瞬だけ言葉を選び、それだけを口にした。三人は少し表情を引き締め、吹雪に同意を示した。

その後少しの間をおいて、カタパルトの開放を知らせる警報が鳴り出した。作業員たちが一斉に吹雪たちから離れていく。そして、艦の外壁が外側に開いて吹雪たちの視界に曇天の海が広がった。生暖かい潮風が全身を包む。いよいよこれから戦闘に入ることに胸の鼓動が一つ速くなった。それと同時くらいに吹雪たちのヘッドセットに声が響いた。

『発艦準備完了。いつでもどうぞ。』

吹雪は砲を握り直して自らの出撃を知らせた。

「吹雪、出ます!」

吹雪が手元のスイッチを押すと足が固定されているカタパルトが駆動し、吹雪を強く撃ち出した。吹雪の身体は数秒だけ宙を舞い、次の瞬間、水柱を上げて海面へ降り立った。。

「白雪、出ます!」

「北上、出るよー。」

「青葉、出撃しちゃいます。」

吹雪に続いて艦娘が次々と発艦して海に降り立った。吹雪たちと反対側のカタパルトからは深雪、初雪、最上、金剛、鳳翔、龍驤が発艦してかなたの前で合流して陣形を組んだ。各自が端末の同期を確認すると、一斉に速力を上げ敵艦隊へ向かった。

 

 

 

艦娘が如何に深海棲艦に対して優位とは言え、数的不利を完全に覆すには至らない。海渡が指揮官となってから艦娘を失ったことは一度もない。しかし、それは幸運と戦術の積み重ねに過ぎず、多勢に囲まれれば沈むことに変わりはなかった。

その数的不利を埋めるために、海渡は深海棲艦の特性を利用した釣り野伏せと集中砲火を繰り返す戦術をとった。深海棲艦は基本的に最も近い人類や艦娘に標的を定めてそれに固執する性質を持っていた。海渡は当初から前述の戦術をとっていたが、幾度かの戦闘から深海棲艦の性質に気づき自らの戦術をさらに尖らせて運用した。

深海棲艦の索敵範囲は艦種ごとに異なっているが、艦隊を率いる個体(旗艦個体と呼ばれる)の索敵範囲がその艦隊の索敵範囲であり、基本的には旗艦個体が察知した際に麾下の艦艇と共に移動と攻撃を始める。海渡はこれを利用し、少数の深海棲艦を釣り上げた後に包囲殲滅した。

今回もその方針は変わらなかったが、深海棲艦の数が今まで以上に多いため索敵と敵の識別に特に力を入れていた。海渡が乗る護衛艦『はるか』だけでなく、空母の龍驤と鳳翔、そして航空巡洋艦の最上による航空偵察も積極的に活用した。そして、それらの情報を元に釣り出す敵を割り出し、吹雪たち駆逐艦が交代で囮を務めるのだ。

吹雪は腕のタッチパネルを操作し、最初の目標群を指定した。情報は全員へ共有され、それぞれが戦闘態勢へ移る。

 

「鳳翔さん、龍驤さんは航空攻撃を開始してください。タイミングは任せます。金剛さん、青葉さん、最上さんは航空攻撃の後に砲撃をお願いします。」

それぞれが返答し、準備を開始した。その少し後で、鳳翔たちの攻撃隊が吹雪たちの頭上を過ぎていった。

「目標群αの索敵範囲まで約一二〇秒です。」

鳳翔の声に皆が気を引き締めた。そして、鳳翔と龍驤航空隊が低空を接近して攻撃態勢に入り、一二〇秒後、予定どおりに攻撃を開始した。攻撃隊が対空砲火を避けつつ、魚雷を一斉に投下し即座に離脱する。魚雷群は攻撃隊に反応した深海棲艦目掛けて殺到し、その破壊力を存分に発揮した。攻撃隊に釣られた深海棲艦は魚雷群の中で右往左往し、数を減らしつつも最も近い吹雪たちへ接近してくる。吹雪は白雪、深雪、初雪、北上を少し下がらせ、自らは前進して囮となった。釣られた深海棲艦は深海棲艦は迷うことなく吹雪へ進路を変えた。金剛はそれを確認した後、吹雪に最も近い敵に集中砲火を浴びせる。

「金剛、青葉、最上、砲撃を開始シマース!」

金剛、青葉、最上の長距離射撃により、深海棲艦たちはたちまち砲弾の雨を浴びることになった。砲撃によってさらに数が減ったが、深海棲艦は一切怯むことなく執拗に吹雪に迫ろうとする。吹雪たち駆逐艦はその撃ち漏らしを仕留めるために攻撃を開始した。金剛たちの砲撃を生き残ったのは三隻でいずれも半壊状態であった。吹雪たちは接近してくる三隻に対し、近い敵から砲撃を浴びせた。先頭の敵が砲撃で沈んだが、装填時間中に二番目の敵が急速に距離を詰めてきた。吹雪は相手が構えて砲撃をするまさに直前に、錨を振り回して敵の顔面へ叩きつけた。回避に失敗した敵は頭部が半分砕け、勢いで後ろに吹き飛んでそのまま海の底へと消えた。装填を終えた主砲が再び火を噴き、最後の一隻も海へ沈んだ。その直後、海渡の声が響いた。

「敵艦隊接近、数2。吹雪、部隊を少し下げるんだ。北上、魚雷を撒いて牽制しろ。こっちからも撃つ。」

吹雪はタッチパネルに少し目線をやって状況を確認した。

「了解です。」

吹雪は返事をして吹雪は指示を飛ばしながら、次の一手を組み立てていた。金剛たちや鳳翔たちの弾薬装填時間、位置、接敵までの時間などから最善だと思う手をうっていく。北上は吹雪とすれ違いざまにハイタッチをして、全員が下がったのを確認した後、40本の魚雷を2回に分けて発射した。

その間、『はるか』からの対艦ミサイルが飛び深海棲艦を1隻ずつ確実に沈めていった。しかし、艦娘と違って弾薬の制限が厳しい『はるか』は弾薬を惜しんで撃つ必要があった。弾薬を使い果たした日には自衛ができなくなり、吹雪たちが帰る場所がなくなってしまう。海渡は支援と節約、その両立を常に求められていた。

接敵した2艦隊を魚雷と対艦ミサイルで牽制し、準備が終わった艦娘たちが追撃して全滅した。後方の敵が反応していないことを確認し、艦娘たちの弾薬と燃料の補給をして再出撃した。

同様の戦法を繰り返し、時間をかけつつも海渡たちは深海棲艦を確実に減らしていった。少なくとも、この時点では誰も敗北を疑っていなかった。

 

 

 

戦闘が始まってしばらくした頃、海渡は砲雷長からの報告を受けてレーダー情報を見ていた。液晶画面に映るレーダーを、副長と砲雷長とともに見つめていた。敵を減らすにつれ距離は縮まり、やがてレーダーには敵全体が映るようになった時、中央に大きな穴が空いたような円の陣形が映ったのだ。このような陣形は見たことがなかった。今回のように大きな群れを作っていることも今までになかったが、さらにこの情報がもたらされたとあっては、艦橋には重い沈黙が落ちた。

「吹雪たちのレーダーは?」

「範囲外ですね。航空偵察させますか?」

「させたいが、察知されたら目も当てられないな…。海域や海流データで不審点はあるか?」

「特にありません。」

部下たちが固唾を呑んで見ている中、海渡はしばらくレーダーを見つめた末、このまま作戦を続行することを決定した。ただし、吹雪たちの攻撃速度を少し下げさせ、砲雷長にはレーダー監視を厳とするように命令した。違和感は残った。しかし誰も口にはせず、それぞれの持ち場へ意識を戻した。

 

 

 

吹雪は海渡からの通信を受け、部隊の攻撃速度と速力を落としつつ敵と距離を取った。海渡からの連絡の内容は不可思議なものだったが、吹雪は通信内容を復唱すると、それ以上は何も尋ねなかった。

「なんやノッてきたとこやのに、しょーもないなあ。」

「そんなこと言わないでください。」

その指示を聞いた龍驤は口を尖らせるようにぼやいた。吹雪は苦笑しながら返した。

「白雪ちゃん、最上さん、青葉さんは、私と一緒に補給に戻りましょう。金剛さん、しばらくお願いします。」

『了解、任せてネ』

吹雪は、この機を逃さず未だ補給ができていなかったメンバーと共に『はるか』に戻って補給を行うことにした。金剛からの了承の返事をもらい、吹雪は部隊を輪形陣への変更を指示すると戦線から離脱した。

 

 

 

吹雪たちへ指示を出してから十分ほどが経過した頃、砲雷科の一人が「敵に動きあり」と声を上げた。砲雷長がそれを確認し、海渡へ報告した。

「敵の陣形がやや北寄りに動いています。」

先に見たときはほぼ正円の外縁のように位置していた深海棲艦が全体的に北寄りに移動していた。吹雪たちに最も近い位置は薄く、最も遠い位置は厚い偏った円形の陣容であった。

「左右から挟撃する気か、誘っているのか」

海渡は独り言として呟いたが、それが聞こえた副長と砲雷長は寒気がした。知能がないはずの深海棲艦が、戦術を――?

「そんなまさか。相手は深海棲艦ですよ?」

「そうだな。まぁ、考え過ぎか…。」

砲雷長のやや震えた声に対し、落ち着かせるように海渡は返した。しかし、敵陣形の空白地帯の外縁で一瞬だけ深海棲艦の反応を示す点が数点点滅したとき、海渡は雷に撃たれたような気分になった。

「一つ前のレーダー情報を出せ。」

海渡の命令は少し早口だったが明瞭だった。砲雷長は一瞬だけ動きを止めた後、素早く命令を実行した。二つ並べられたレーダー画像を見て海渡は確信した。

「艦娘たちに伝達、即時作戦行動を中止し撤退だ。」

「理由をお聞かせください。」

あまりにも唐突な命令に乗員たちは固まり、副長だけが反応した。

「敵は移動していない。あの空白地帯がこちらに近づいてきているんだ。」

海渡はレーダー画像の北側を指した。

「見ろ。敵の位置はほとんど動いていない。動いているように見えるのは、この空白だけだ。つまり、中央にいた何かがこちらへ向かってきている。この範囲はレーダーに映らないと思え。」

誰も口を開かなかった。艦橋から音が消えたように思えた。

「返事は?」

「りょ、了解しました。」

副長がかろうじて声を出すと、それぞれが撤退のための作業を開始した。艦娘全員に連絡が行き、彼女たちが撤退行動に入ったことを確認して海渡は自らの席に座った。海渡は、それが最善の判断であることを祈るしかなかった。次の瞬間、その願いは打ち砕かれた。

「左舷後方より雑音!ぎょ、魚雷二!急速接近!距離二千!」

「機関全速!取舵いっぱい!」

警報と共に言葉が飛び交った。海渡は思わず立ち上がった。敵はこちらの動きを読んでいる――。

「さらに右舷より魚雷三!」

 

 

 

時を同じくして、撤退行動を取り始めた金剛たちにも魚雷が襲いかかっていた。金剛の命令でソナーを起動してから数秒の出来事であった。吹雪たちも例外ではなかった。進路上に魚雷が撒かれ『はるか』まで戻れないどころか、不意打ちの魚雷で吹雪たちは陣形が乱れ混乱状態となっていた。

「白雪ちゃん右!」

吹雪の叫び声で白雪はどうにか魚雷を回避した。

「青葉こっち!」

「今行きます!」

最上が声を上げて青葉を誘導する。合流して陣形を立て直したいが、そうさせてくれないことに吹雪は唇を強く噛んだ。このようなことは今までになかったことだ。的確にこちらの妨害をしてくる。

「白雪ちゃん速度下げてこっちに来て!最上さんと青葉さんは左から迂回して私のところまで来てください!」

安全なルートを算出してそれぞれに指示を出す。しかし、意識が三人へ向いた、その一瞬だった。背後から来る魚雷に気づくのに遅れてしまった。

「吹雪ちゃん!!」

白雪の悲鳴に近い言葉が吹雪の耳に届いた。これは間に合わないと頭が真っ白になった瞬間、目の前に影が飛び出し、そしてそれは水柱に包まれた。飛び出した影が白雪だと気づいたのは、水柱が収まったあとだった。白雪は魚雷を回避するために下げた速度を上げ、計二本の魚雷の直撃を受けたのだった。結果、白雪は両足と胴体の一部を失った。吹雪は息を吸ったまま、声が出なかった。。

「吹雪ちゃん、怪我はない?」

自らの惨状にも関わらず、白雪はかすかに笑った。

「な、なんで、どうして…」

「吹雪ちゃん、生きて。お願い。」

「やだ!白雪ちゃんも帰るんだよ!」

「ごめんなさい、もうだめみたい。」

吹雪はそこでようやく白雪が侵食されていることに気づいた。足と腹部の断面は黒く染まり、その色はゆっくりと上へ広がっていた。吹雪は、その光景が意味するものを知っていた。

「私もびっくり。怪我、全然痛くないの。自分の体じゃないみたいで、凄く怖イ。」

吹雪は言葉が出なかった。

「吹雪ちゃんお願い、私を殺シて。」

「そんなことできないよ!」

「オ願い!私じゃなくナる前に!」

吹雪の指は震えた。しかし目の前で侵食が進む様を見て、そんな時間すらないんだと気づいた。吹雪は涙を拭うこともなく主砲を構えた。

「ありがとう。」

白雪は泣きながら笑っていた。吹雪は涙でぼやける白雪に向かって引き金を引いた。

 

 

 

最上もまた、吹雪と同じ選択を迫られていた。青葉は初撃で舵をやられ、どうにか回避行動をとるも被弾を繰り返してしまい、ついに膝から崩れ落ちて動かなくなった。最上は救助のために近寄って抱えようとするが、突き飛ばされた。

「これを持って逃げてください。」

青葉は朦朧とする意識の中、どうにかカメラを最上に差し出した。

「私の宝物です。最上さんにあげます。」

「いらない。一緒に帰るんだよ。」

「青葉は、ここまでのようです。みんなの写真を、お願いします。」

青葉の焦点の合わない視線を見て、最上は唇を噛み締めた。それでも涙だけは止まらなかった。。

「帰るんだよ…!」

最上は声を振り絞った。だがそれは青葉に届かなかった。青葉の腕が海面にだらりと落ちて海面を叩いた。最上は慌ててカメラを受け止めた。

「なんで、こんな形見みたいなもの…。僕は…。」

最上はどうにか立ち上がり、カメラを首から下げて吹雪たちと合流しようとした。振り返って吹雪たちの方向を見た時だった。背後から何か組み付かれて動けなくなった。

「なんだよ!?」

最上はそれをどうにか振りほどいて主砲を構えた。それは、青葉だった。鼓動が早まる。主砲を支える手が震え、照準は青葉を捉えられない。目の前に立つ青葉は皮膚に赤い亀裂が走り、腕が変形し始めていた。

「逃、ゲテ。」

金属がなるような歪んだ声だったが、確かに青葉の声だった。最上には、そう聞こえた。しかし、その後の叫び声は青葉のものではなかった。最上に真っ直ぐ接近し、巨大な金属塊となった腕を振り下ろした。最上は主砲を構え直したが、引き金を引けなかった。青葉だったものが目の前まで迫り、もう間に合わない――そう思った、その瞬間だった。青葉の頭部が爆発し、青葉はその場に倒れ込み、そして沈んでいった。そして遅れて発砲音が聞こえた。最上が持ち主を探すと、煙が上がっている主砲を持った吹雪がいた。

「吹雪…、ありがとう。」

「大丈夫です。早く戻りましょう。」

最上は視線を逸らした。

「白雪は?」

吹雪は何も答えなかった。最上はそれ以上何も聞かなかった。

「今は攻撃が止んでいるみたいです。今のうちに戻りましょう。」

「了解。」

最上はこのときの吹雪の表情を一生忘れることができなかった。

 

 

 

『はるか』や吹雪たち以上に、金剛たちは激しい攻撃に晒されていた。魚雷だけでなく航空攻撃にも晒されていたからだ。みな『はるか』のレーダーに頼り切っており、レーダーに映らない航空機の発見した時六人は息を呑んだ。既に謎の空白地帯は金剛たちを取り込んでおり、『はるか』のレーダーでは金剛たちを確認できなくなっていた。ただ、確認できたとしても『はるか』にその余裕があるのかは不明であった。

白雪と青葉が戦死し、吹雪と最上が『はるか』に向かい始めた頃、深雪と初雪は死亡、鳳翔は大破、北上は弾薬無しという有様であった。金剛は陣形を立て直そうと何度も試みたが、その努力は徒労に終わった。結局金剛は対抗することを諦め、全力で『はるか』まで撤退することにした。

金剛は無事な自分と龍驤を殿にし、鳳翔と北上を先頭に移動を開始した。何回かの攻撃を耐え、攻撃が静まり返ったその時であった。四人の視界を三発の砲弾が高速で過ぎ去って行き、その後射撃音が鼓膜を叩いた。それが金剛の右腕を吹き飛ばしたことに気づいたのは一瞬遅れてからであった。金剛は出そうになった悲鳴を飲み込み歯を食いしばった。龍驤が傍により、止血をしている時だった。

「あれは…?」

龍驤が指した先にいたのは白い影であった。かろうじて女性であることはわかったが、深海棲艦であることは明らかだった。だが、白を基調とした深海棲艦を四人は見たことがなかった。

「とにかく逃げマス。急いで。」

金剛は龍驤と殿を務め、回避運動をしながら『はるか』を目指したが、敵から航空機が出てきた時、全員を連れて帰ることはできないと悟った。距離的な関係から、自分と龍驤が残り、鳳翔と北上だけでも帰す決断をした。龍驤に視線を向けると、それを察したかのように龍驤はうなずいた。金剛は心の中で龍驤に謝罪した。

「鳳翔、北上、ミーと龍驤があいつを食い止めマス。先に艦長のところへ戻ってくだサイ。」

「何を言っているんですか!金剛さんも龍驤さんも帰るんです!」

鳳翔の叫び声が通信機越しに聞こえる。

「ダイジョウブ。ちょっと遅れるだけデス。後から合流しマス。だから、Keep movingね。」

「鳳翔さん、そないに心配せんとって。」

「龍驤さん…。」

「なんや辛気臭いなー。大丈夫やて。」

「はい。また後で。」

金剛は北上が静かなことを心配したが、それが北上らしいとも思った。

「北上、元気デネ。」

金剛はそれだけ言って通信を切った。

「龍驤、Sorryね。」

「ええってことよ。」

 

 

 

海渡は簡単に諦めるような性格ではなかったが、今回は可能な限り早く退艦命令を出すことが最善と判断し、即座に命令を下した。『はるか』の動きを完全に把握したとしか思えない攻撃に為す術はなく、『はるか』は致命傷を負った。友軍のいない状況下でどこに逃がせば良いのか、という疑念を抱かざるを得なかったが、少なくとも残って沈むよりは長生きできると考えた結果であった。

魚雷の直撃による衝撃で数人死亡しただけでなく、浸食作用に巻き込まれて人ではなくなった乗員数人が暴れまわって『はるか』を内部から破壊したことで、『はるか』は致命傷を負ったのだ。

避難が始まってからも攻撃は止まず、敵主砲弾が命中による爆風で上半身が吹き飛ぶ者、浸食作用により崩れる者、死に方は様々であったがそこに広がっていたのは、地獄という言葉しか当てはまらない光景だった。

海渡を含め二割程度の乗員は運良く艦の外に出て内火艇に乗り込んだ。内火艇に乗れない者は海に飛び込んだ。しかし、一艘の内火艇が沈められた瞬間、全ての乗員から希望が消えた。深海棲艦が海中から出現し、内火艇を乗員ごと海に沈めていく。海に浮かぶものは端から肉片にされた。

海渡は腰から拳銃を抜いて深海棲艦めがけて発砲した。深海棲艦には全く効果はないが、少しでも気をそらして乗員の逃げる時間を稼ごうとした。もう一艘の内火艇はそれを理解し『はるか』から離れる進路を取ったがそれも即座に沈められ、乗員たちが殺されていく様を変えることはできなかった。そして、ついに海渡に深海棲艦の主砲が向けられ死を覚悟した瞬間であった。深海棲艦が何かに反応し、一斉に離れていった。

海渡が周りを確認して視線を前に戻すと、一人の女性が水面に立っていた。海渡はたじろぎ無意識に一歩下がった。女性は何も話さずただまっすぐに立ち、美しい長い黒い髪を靡かせていた。人としては美人であったが、こめかみ辺りから二本の白い角のようなものが後ろ向きに生えていることが人間ではないことを証明していた。海渡はその赤みがかった不思議な瞳に魅入られ、恐怖からか視線を逸らすことができず、しばらくの間お互いに見つめ合っていた。

「おれに何の用だ。」

「お前が志ノ方海渡か?」

女性は海渡の言葉に被せるように言葉を発した。まるで海渡の言葉が聞こえないかのように。海渡は女性が言葉を喋ったことに一瞬だけ言葉を失った。女性の正体を深海棲艦と予想していた彼には、話しかけてくると到底思っていなかったのだ。

「そうだが…。」

思わず海渡は素直に返答した。彼女は表情を変えずに海渡に即座に近づき、右手を海渡の腹部に突き刺した。何が起きたのか理解するより早く彼女は右手を海渡から引き抜いた。海渡は激痛に襲われその場に膝をついた。

「これで海を渡れ。」

女性はうずくまっている海渡を見下ろしながら言った。そこへ、吹雪と最上が来た。二人は言葉を失った。命からがら逃げてきたのに、母艦は沈没中で指揮官は死に体なのだから当然の反応であった。

「生き残ったのはお前らだけか?」

女性は吹雪と最上を見て言った。一つの間を置き、吹雪は我に返って主砲をかまえた。

「艦長に何をした!!答えろ!」

吹雪の怒号に最上も現実に引き戻され武器をかまえた。

「こいつを連れて海を渡れ。こいつも歩けるようにした。荷物にはならないだろう。」

吹雪は返す言葉を失った。

「何を呆けている早くしろ。」

吹雪と最上は迷った。深海棲艦と思しき者の言葉を信じて良いものなのか。ただ、とにかく海渡を保護するために主砲を向けたまま海渡に近寄った。

「艦長、大丈夫?」

吹雪が武器を構えている隣で、海渡はどうにか最上の助けを借りて立ち上がった。

「大丈夫だ。すまない。」

海渡の立ち上がった姿を見て、最上は驚き目を見張った。目の前の光景が信じられず、何度も海渡と海面を見比べた。

「どうした?」

海渡が最上の表情を見て言った。

「艦長、それ、なんで立てるの…。」

「痛みは落ち着いたし呼吸も何とかできるようになった。もう大丈夫だ。」

最上の詰まったような言葉に海渡は不思議に思いながら返答し、外傷を確認した時にあることに気づいて驚愕した。彼が立っていたのは『はるか』の残骸ではなく海面であったのだ。

「言っただろう。そうしたと。」

そこへ北上と鳳翔が来た。二人は状況の把握ができず困惑を顔に表した。そして一呼吸おいて吹雪を真似て各々武器を構えた。それらを見て女性はため息をつき、まるで花びらが散るように姿を消した。吹雪たちは驚いたあと周囲を見渡したが女性を見つけることはできなかった。

「えっと、どうする?」

少しの時間をおいて最上が力の抜けた声で言った。吹雪たちは海渡に視線を向けた。海渡は四人の視線を受けると、迷わず口を開いた。

「逃げるぞ。」

吹雪たちは安心した様子で頷きそれに従った。海渡は吹雪に綱を渡して曳航(と言ってよいか皆は疑問であった)してもらい、他三人がそれについて行った。誰も言葉を発しなかった。艦娘ではない海渡が海面を歩いている。その光景を受け止めきれなかった。艦娘ではない自らの指揮官の共に海上を移動するとは誰も想像できなかった。

 

 

 

この大敗北が公表されることはなかった。むしろ全滅したことは研究所と事情を知る海軍上層部にとって都合が良かった。手術をせずとも同調可能な艤装の開発が終わり、第一世代の艦娘の処遇に悩んでいたからだ。これを期に大々的な艦娘の公表と適合者の募集が行われた。最初に予想された反発は一部に留まり、ほとんどの国民は積極的に受け入れた。深海棲艦によって仕事や家族を失った人々にとって、これは救いであったのだ。

海渡たちがこれを知ったのは、無人島に避難して程なくしてからであった。吹雪たちは絶望と怒りを顕にしたが、海渡の反応は至って冷静であった。海渡にはそれがわかっていた。あまりにも無謀な作戦の直後の発表は、海渡の疑念を裏付けるには十分だった。吹雪と北上は帰りたがったが、それが不可能になったことは明らかであった。『はるか』も海渡たち乗組員も吹雪たち第一世代の艦娘も当人たちを除いて忘れ去られた。

 

 

 

三年の月日が流れた。公表された第ニ世代の艦娘達は世間に受け入れられ、英雄であり、同時にアイドルのような存在だった。彼女たちが深海棲艦から瞬く間に制海権を奪い返したことは鬱屈した国民感情を吹き飛ばした。そして十代から二十代の女性という性質と合わさり、マスメディアは連日取り上げた。出撃と帰還の情報、戦果は当然のこと、艦娘それぞれの人となりや新規加入者、そして艦娘への応募者と適合試験と艦娘に関するありとあらゆることを報道し、さながら国防省の宣伝部門のようであった。

ポニーテールの黒髪を揺らしながら席に着いた椎名薫は、モニターへ目を向けた。モニターの各種情報を見て予定通りに進んでいることを確認して細いやや吊り目を閉じた。彼女は自らが指揮する機動部隊の艦娘と母艦である大型護衛艦『いずみ』を率いて近海に出現した深海棲艦の迎撃の任についていた。彼女の部隊は創設以来、一度として敗北したことがない。各海域から深海棲艦を追い出し続けている艦娘部隊の主役である。

「会敵まであと四十分。」

「赤城たちに出撃命令を。」

オペレーターの了解の返事と共に機動部隊へ出撃が下令された。『いずみ』の左右に取り付けられたカタパルトが開き、赤城以下十二名が出撃した。航行しながら輪形陣を組み深海棲艦へ向かう。

「全員、端末の再同期をお願いします。」

赤城の指示で各自が腕につけているタッチ式端末に触れ、同期状態と情報の内容を再度確認した。偵察によると、敵は四グループに約三十隻である。赤城たちの戦歴を思えば、苦戦は考えにくかった。赤城を除いた空母たちは任務に少し不満であった。

「本当に私達が出る必要があったのでしょうか。」

弓道着のような上衣に青い膝丈のスカートを身に着けた航空母艦の艦娘である加賀がため息混じりに漏らした声が通信機越しに聞こえてきた。彼女は任務説明の時からずっと不満そうであった。旧日本海軍の第一航空戦隊に属していた空母の艦娘ということに誇りを持っているからだ。

「ちょっと戦力過剰ですよねー。」

同じく航空母艦の艦娘の飛龍がそれに続いた。同期の蒼龍は苦笑だけで済ませた。護衛についている巡洋艦と駆逐艦の艦娘たちは、先輩の艦娘たちの会話をただ聞いているだけで特に何も言わなかった。

「任務中ですよ皆さん。私語は謹んでください。」

赤城は彼女たちの気持ちを理解できたが、部隊長としての言葉を選んだ。小さなため息をしたあと、彼女たち空母の護衛部隊の隊長を務めている川内を見た。数キロメートル先の川内の様子をうかがい知ることは不可能だが、それは目の前にいても同じであろう。赤城はわかっていながらも、ただ何となく一年先輩である彼女が頭を過るのであった。

川内は戦艦の艦娘の長門と並んで最古参の艦娘である。長門は名家の出自で考え方が明瞭な強い女性だが、川内の方はイマイチ掴めない雲のような存在だった。艦娘としての実力は確かであることは誰もが認めるところであったが、のらりくらりとした態度からは考えていることを読むことは誰もできなかった。このような任務中にふざけた態度の後輩を指摘することも叱ることもない。頼れる先輩ではあるが長門のように規律に厳しいような剛のタイプではなかった。そして、得てして長門のような性格の方が好まれた。

「敵部隊の進路が変わりました。こちらを感知した模様です。」

オペレーターの声が無線から伝わる。事前の予想より会敵が早いことに赤城は疑問に思ったが、とにかく航空機の発艦を急ぐ必要があった。赤城、加賀、飛龍、蒼龍はそれぞれ戦闘機、爆撃機、雷撃機を順々に上げ、攻撃態勢を整えた。敵の編成は空母ヲ級ニ隻、重巡リ級ニ隻、駆逐イ級ニ隻の計六隻。赤城は優先攻撃目標をヲ級にして指示を飛ばした。攻撃隊は編隊を組み、敵へ向かっていった。それと同時くらいに川内から駆逐艦たちに空母護衛の指示が出された。赤城はいつも通りの川内に安心感を覚えつつ、攻撃隊に攻撃指示を出した。

 

 

 

戦闘が行われている海域から北西に五〇キロメートルほどの場所に二つの島がある。南側の島はほぼ斜面しかない山のような地形で完全な無人島だった。北側の島は南側の島と比べて一回り大きく、一番大きな平地に作られた港の周りに二〇〇に満たない人が暮らす村があった。その村から島の外周の未舗装の道を進むと、ちょうど村の反対側に海渡たちが住む一軒の木造平屋が建っていた。

最上は港での魚の仕分けのアルバイトを終え、おすそ分けの魚をもらって帰路についていた。少し暑い日中を木漏れ日の中を歩いて帰るのが日常となっていた。

「帰ったよー。」

「おかえり。お疲れ。」

漁の仕事を終えて先に帰宅していた海渡が最上を迎えた。

「鳳翔さんは?」

「台所にいるぞ。」

最上は靴を雑に脱いで台所へ入った。

「ただいまー。」

「おかえりなさい。今日は何をもらってきたの?」

「今日はサバ。」

そう言って最上は魚が入った袋をテーブルにおいた。

「お昼にちょうどいいわね。」

鳳翔は袋から魚を取り出して早速調理を始めた。最上は飲み物を取り出すと、台所を後にしてリビングに入った。古い畳に六人程度が座れるローテーブルが置いてある。定位置に座って適当にテレビを付けた。そこには赤城たちの出撃と戦闘の様子を中継で報道しているレポーターが映っている。

「護衛艦に乗っているのか。怖くないのかな。」

最上は不快な気分を独り言として漏らした。自分のときはこのようなことはなかったし、軍隊というものが煙たがられていた印象が強かった。同じ艦娘なのに――しかも自分の方がはるかに先輩なのに――、なぜこうも扱いが違うのか納得できなかった。最上はテレビから目を逸らした。レポーターの弾んだ声が耳についた。

「最上、落ち着け。」

リビングに入ってきた海渡の声に我に返りそちらを見る。海渡と共に北上も入ってきた。

「そんな悪い顔してた?」

「酷く怖い顔になっていたぞ。」

最上は苦笑いしながらごまかすために自分の顔をマッサージした。北上は最上の隣、海渡は最上の対面に座り、テレビに視線を投げた。海渡は黙ってテレビを見ていた。その横顔が変わらなかったことに最上は少し驚いたが、それを表情に出さないように誤魔化すかのように麦茶を一口飲んだ。

「海渡さんは何も思わないの?」

「何も思うこともないさ。時代が違う、それだけだ。」

最上は少し不愉快になった。海渡の回答が理解できなかった。

「あんなに僕たちのこといじめてたくせに、赤城たちには全然そうじゃないじゃない。みんなもチヤホヤしてさ。」

「人っていうのはそういう生き物だ。自らの過去を顧みて行動できるのは少数だ。それに、おれたちは機密情報だった。その理解を大衆に求めるのは無理だろ。」

「海渡さんはこれをいいと思うの?」

「もう関わりたくない。それだけだ。」

海渡の言葉を聞いて、最上はそれ以上の追求をやめた。海渡の言葉は、五人が胸の奥にしまい込んでいた思いを、そのまま口にしたものだった。赤城たちの待遇をずるいと思うが、自分もそうしてほしいとは思わない。もう忘れて第二の人生を歩みたいのだ。

そこへ畑仕事を終えた吹雪が帰宅して昼食となった。

午後の予定を話しながらもみなテレビで放送されている赤城たちのことを気にしていた。自分たちには関係ないと思っていても、同じ艦娘として無視することは不可能であったからだ。戦闘が優勢に進められそろそろ終わろうかという時に、玄関が激しく開く音に、全員が一斉に振り向いた。そこには海渡の仕事仲間の男が肩で息をしながら立っていた。海渡が何事か聞きながら寄ると、彼は震えた声で言った。

「詩織ちゃん見なかったか!?」

「いや、こっちには来てないぞ。」

詩織は島民の一人で、小麦色の肌に黒髪のポニーテールでとても活発な女の子だ。島に住み始めた頃の海渡たちにも分け隔てなく接する明るく積極的な性格で、特に歳が近い吹雪とよく遊んでいる。島民に受け入れられるまで時間があまりかからなかったのは彼女のおかげと言っても過言ではなかった。

「どこにもいねぇんだ!港に遊びに行くって言ってたらしいんだが…。」

「わかった。おれたちも探そう。」

海渡は外出の準備にかかり、吹雪たちもそれに従った。食後のために淹れたお茶が無駄になったことが鳳翔の頭の片隅を過ぎていった。

 

 

 

海渡たちが港に到着すると島の男たちが安藤茂の指示で慌ただしく動いていた。彼は島で最年長かつ最古参の漁師で、「しげさん」の愛称で親しまれていた。。詩織は彼の孫であり、豪胆で知られている彼も流石に焦りを滲ませていた。

「海渡来たか!お前も手伝ってくれ。」

「今の状況を教えて下さい。」

家で休んでいた茂に「港に遊びに行く」と伝え出ていったきりで、その後見ていないらしい。さらに彼女の幼馴染数人も同様の状況で、島の男たちが島中を探し回っているようだ。海渡は話を聞きながら、テレビの報道内容が気になっていた。

「海に出た可能性はないですか?」

「まさか…、まだ操縦できないはずだ」

「念の為の確認をお願いします。」

「おい!船は全部帰ってきているか!?」

茂は信じられなかったが、多少の不安があったのか直ぐ様確認を急がせた。自分たちの迂闊さに気付いたように、数人の船乗りが顔色を変えて船着き場へ走った。

「ねえ海渡さん。さっきのニュース、覚えてる?」

最上が後ろから海渡に小声で話しかけた。

「ああ、そうじゃないことを祈ろう。」

海渡も周りに聞こえないように小声で返した。茂たちの不安を煽りたくなかったからだ。

「私、家の近く探してみます。」

吹雪が少し焦り気味に話して離れていった。

「他に探していないところはないですか?」

「まだ探し始めたばっかだから村の周りしか見てねえ。島の裏とか山ん中とか見てくれねえか?他のやつも呼ぶからよ」

「わかりました」

海渡は北上たちに指示を出し、捜索に向かわせた。海渡自身は海のことが気がかりだったため、確認を待ってから行くことにした。

海渡は視線を海へ向けた。もし海に出ていたら?もし深海棲艦に襲われていたら?赤城たちの正確な場所は不明だが、出港停止命令が島に出ているためかなり近いはずだ。間に合うか…?

到着予想時刻を頭の中で計算しているところに港に行った船乗りたちが数人の子供を連れて大急ぎで戻ってきた。そこに詩織の姿がない。それだけで十分だった。海渡は静かに息を吐いた。茂も詩織がいないことに気づいたようで、真っ先に口を開いた。

「詩織はどうした!?」

「し、深海棲艦が来て、それでみんなバラバラになって…。」

子供の一人が泣きながら息せき切らして言った。茂の顔が青ざめ閉口した。

「出港停止命令が出てるだろうが!なんだって海に出たんだ!」

「何が起きてるのかみんなで見に行こうって…。」

子供たちは誰一人として顔を上げられなかった。

「俊、場所を教えろ。」

「…島から南に―〇キロメートルくらいだったと思う。」

「しげさん、流石に無茶だ!」

「そうだ!しげさんも死んじまう!」

「見捨てろって言うのか!!ああ!?」

港に向かおうとする茂を漁師たちが必死に止める。海渡は一息ついて声をかけた。

「私が行きます。」

子供も含め全員が時が止まったように海渡を見た。誰も口を開かなかった。その沈黙には、諦めと期待の両方が入り混じっていた。

「しげさん、船の操縦頼めますか?」

「できるのか?」

茂は海渡を鋭く見て言った。

「はい。」

「…わかった。」

皆が海渡を止めないのは彼の余所者の力でどうにかしてくれるのではないかと無意識に期待していたからだった。海渡もそれらを承知していて、自らの力を使うときが来たのだと認識していた。海渡は茂と共に足早に移動しながら耳につけた通信機のスイッチをいれ吹雪たちに呼びかけた。海渡自身も驚くほど落ち着いた口調だった。

「出撃だ。準備してくれ。」

 

 

 

雪は通信を受けた時一瞬だけ動きを止めたが、即座に状況を飲み込み「了解しました」とだけ返事をして通信を切った。海渡に対する反応はそれぞれであった。特に北上は拒絶反応に近かった。その気持ちはよくわかった。このような機会が来なければいいとずっと思っていた。その機会を持ち出した海渡に反発したくなる気持ちも。

家に戻った吹雪は脇目も振らずに艤装を格納している隠し部屋に入った。ここは岸壁の上にある家から真下に掘られた岩壁の部屋で、艤装とそれの整備に必要な道具と設備のための最低限の設備だけが置かれている。また、一応出撃できるに手動のシャッターの先がすぐ海になっている。まさかこのシャッターを開けて出撃する日が来るとは思っていなかった。

吹雪が到着したのが最後だったようで、北上たちが先に準備を始めていた。それぞれ複雑な表情をしていたが、特に北上は不満を隠しもしていなかった。入ってきた吹雪に対して開口一番、

「本気なの?これ。」

と強い口調で言った。

「はい。」

それに対して吹雪は短く返し自分の準備を始めた。その態度が気に食わなかったのか北上は吹雪の胸ぐらを掴んで食って掛かった。

「なんでだよ!もう関わらないって言ってたじゃんか!裏切りだよ!こんなの!」

怒気を露わにした声が隠し部屋の岩壁に響いた。部屋に重い沈黙が落ちた。誰も北上を責めなかった。それでもここに来て準備しているのは海渡を信頼しているからだ。だが、それでも言わずにはいられなかったのだ。

「でもきっと後悔します。助けられたかもしれないのに、自分たちのために何もしなかったと。」

吹雪は静かに言った。

「あの時は力がなかったから駄目でした。でも今回は違います。」

北上は吹雪を話して少し離れた。表情は険しいままだったが。

「私は、海渡さんに感謝しています。決めてくれたことに。責任を持ってくれたことに。」

関わりたくないと言いつつも、海渡は吹雪たちに艤装のメンテナンスを欠かさないように言いつけていた。体がなまらないようトレーニングをすることも。そんな機会は訪れないと思いつつも、吹雪たちは特にやることがないという理由でそれに従っていた。海渡は今回のことを予期していたのだろうか。その考えが四人の胸をよぎったが、その結果の感情は各々で違った。特に北上が一番不満だったのは、海渡が自分たちをいつか使う気でいたかもしれないということだった。もちろん備えることは必要だとわかってはいるが、発言との矛盾に対し不快感を感じざるを得なかった。

「…それはそうだけど。」

北上は歯切れが悪そうに返した。

「まぁいいじゃない。みんなにはバレちゃうけど、今までのままかもしれないし。」

「そうですね。悪くならないように祈りましょう。」

最上と鳳翔が少し笑みを浮かべた。吹雪と北上も釣られて笑みを浮かべた。最上の一言と鳳翔の穏やかな笑みが、重い空気を少しだけ和らげた。

「急ぎましょう。」

シャッターを開き、全員が三年ぶりに海に出た。蘇る嫌な記憶を振り払いつつ、海渡に指定された地点へ向かった。

 

 

 

無事吹雪たちとの合流を果たし、海渡は子供たちが言っていた海域に進んでいた。吹雪たちを見た茂は表情を変えることなく「頼む」とだけ言って目を伏せた。吹雪はとっさに「任せてください」と返答したが、言った後で「偉そうだったかな」と少しだけ後悔した。

海渡は作戦を計画するにあたり経験したことのない苦労をした。『はるか』や『いずみ』のような統合されたシステムがあるわけではないため、吹雪たちの艤装に装備されたレーダーとソナーからの情報を元にする必要があったからだ。漁船の上で通信機ごしにもたらされる情報を紙に書いて整理しながら、電子機器の利便性を改めて思い知らされた。ただ、仮に統合システムが使えたとしても吹雪たちの情報をまとめるのに苦労しているということは想像できた。三年前の悲劇を経験した上で統合システムのレーダーを頼るのは愚策だからだ。しかし吹雪たちの情報が合っている保証もないため「どちらにしても苦労はあまり変わらないな」と海渡は内心苦笑した。とにかく吹雪たちに徹底させたのは目視による確認を怠らないようにすることであった。彼女たちは慣れない作業ながらも同じ悲劇は繰り返すまいと自分たちに徹底させた。

ある程度作戦指針がまとまった頃、単縦陣の先頭を行く吹雪のレーダーが敵を捉えた。艦級不明で数は二つ。その一つが急速に距離を縮めてきた。海渡は前線で指揮するのが常であったが、茂を巻き込むわけにはいかず漁船を旋回させて距離を離すように言った。それと同時に吹雪たちに作戦内容を伝えた。吹雪はそれを受け北上、最上、鳳翔にそれぞれ指示を出した。詩織たちに当たる可能性がある魚雷の使用は禁止し、十分に引き離した後で砲戦を主として戦うこととした。そしてそれを実行するため、吹雪は一人だけ距離を詰める方向に移動した。さらに敵が数隻反応し、最初に反応した敵が有効射程内に入ったと同時に海渡から指示が飛んだ。

「撃て!」

吹雪は両手に持つ主砲を構え発砲した。四発の弾が一斉に先頭の駆逐艦級に襲いかかり二発命中したが、一瞬怯ませた程度で致命傷には至らなかった。しかし、吹雪にはそれで十分だった。吹雪はさらに速度を上げて接近し、敵駆逐艦が発砲のために開けた顎に膝蹴りを叩き込んだ。口内で砲弾が発射された駆逐艦は頭部が吹き飛び、魚のような動体とそこから生える二本の足が痙攣しながら沈んでいった。そこへ後続が三隻殺到した。吹雪の合図で北上と最上が主砲を斉射した。北上の主砲は一門だけで今回の戦闘では寂しいものであったが、最上は三連装五基の十五発が飛び出しさながら雨のようだった。計十六発にさらされた敵軽巡洋艦級は一瞬にして爆散した。残り二隻が魚雷を発射したが、鳳翔の航空隊がそれを即座に発見したことで命中せずに終わった。

最上たちが斉射によって残りを片付けて戦闘終了が近づいた頃、鳳翔の航空隊がレーダー圏外に二つのものを発見し、海渡に報告した。

「敵重巡洋艦らしき影を確認。ですが、全く寄ってきません。むしろ離れていっています。」

「そうか。理由は後で考えよう。今は放置でいい。」

「了解です。」

「もう一つは?」

「…おそらく川内さんです。こっちに向かってきています。」

「そうか。さっさとずらかるぞ、戻ってこい。」

海渡は通信を切り、戦闘が終わったことを茂に告げた。茂は表情を押し殺しつつ返答し、船を詩織たちが乗る漁船に一目散に走らせた。安全確保もそこそこに乗り込むと操縦席のところでうずくまって泣いている子供三人が視界に飛び込んできた。詩織は一番外側で二人を抱えるように座っていて、茂に気づくとすぐに駆け寄って彼に抱きついてわんわん泣いた。茂も涙を浮かべながら孫を強く抱きしめた。

海渡はそれを隣の漁船から安堵しながら見ていた。今回は助けることができた、と。

そこへ吹雪からの通信が入った。

「海渡さん、あの、えっと。」

「どうした?何か問題か?」

「あなた達はだれ?どこの所属?」

吹雪の戸惑う声越しにおもちゃを見つけた子どものような陽気な声が聞こえた。以前テレビで聞いた川内の声だと瞬時にわかった。鳳翔の報告からまだ距離があったはずだが――。海渡は余計な考えを振り払い、吹雪たちに一斉に言った。

「帰るぞ。急げ。」

 

 

 

海渡たちと川内が接触する数時間前に遡る。

赤城率いる空母機動部隊が敵部隊を全滅させ母艦に帰投した頃、突如レーダーに複数の影が映った。『いずみ』の北方向で二つの集団が接近行動を取っているようであった。

薫が判断に悩んでいる間に、二つの集団が戦闘に入ったようであった。南側の集団の点が一つ消えたのだ。おそらく深海棲艦だと思われるが一体何が起きているのかすぐには判断できなかったが、確認を急ぐ必要があることだけはわかっていた。薫は本部に確認を入れつつ、水雷戦隊を指揮する川島明雄を呼び出し、川内たちに偵察させるように指示した。

主力空母の艦娘たちが艦内に収容され、次に川内の番が回ってきたところで直属の指揮官の明雄から連絡が入った。

「すまん川内、戻る前にもう一仕事だ。情報を送るから状況確認を頼む。」

川内はこの指示を受けた時、一瞬だけ面倒だと思った。しかし次の瞬間、高揚感が胸を満たした。自分でも理由はわからなかったが、最近ずっと感じている閉塞感と心の底に溜まる違和感が一挙に解決するのではないかとなぜか期待したのだ。

「了解。」

川内はその感情を抑えながら神通と那珂を率いて、急いで向かった。同じ部隊に新人の睦月と如月もいたが、精神的な負担を考え、そして自分の私情もあって置いていった。レーダー上に他に脅威もないため、特に戦闘態勢を取ることもなく形式的に単縦陣で目的地で向かった。川内たちが到着直前、戦闘が終了したようで南側の集団はレーダーから消え、それが川内を焦らせた。早く行かなければ――。

そこへ、明らかに艦娘の艦載機が少し遠くの空で旋回していく様子が見えた。川内は逃がすまいと主機を一杯まで動かし、追いかけた。神通と那珂が後ろで何か声を上げていたようだが最早川内には聞こえていなかった。そして、明らかに艦娘である人影を見つけて接近した。相手は完全に不意を突かれたらしく、動き出すタイミングが遅れてあっと言う間に川内に捕まった。

「海渡さん、あと、えっと」

名を知らぬ艦娘が誰かに戸惑いながら通信している見て咄嗟に、

「あなた達はだれ?どこの所属?」

と、無意識に通信機越しの相手と眼の前の相手の両方に聞こえるように声を出した。川内自身にその自覚はなかったが、突然満面の笑みで声を掛けられた相手には十分な威圧だった。ただ、その相手にはそのような様子はなかった。

一瞬の後、見知らぬ艦娘は急いで去っていった。川内はその背中に無意識に敬礼をした。見知らぬ艦娘が見えなくなった頃、神通と那珂が追いついてきた。

「姉さん、急に走っていかないでください。」

神通の少し呆れた声に、川内は笑顔で「ごめんごめん」と返した。

 

 

 

川内は普通の家に生まれた。父はサラリーマン、母は専業主婦で特に派手な生活ではないが貧しいわけでもなかった。川内自身も大きく目立つことはなかったが、学校の成績は上から数えた方が早く、部活動でも副部長をやる程度には優れていた。所謂優等生であるが、本人はそれを自身の好奇心のおかげだと思っていた。ある日、クラスで友人と談笑していた時担任から呼び出されたことで人生が大きく変わった。そこで艦娘の適性があることを告げられ、精密検査を受け、その結果川内の艦娘となった。彼女はそれを前向きに捉えていたが親の心境はやや異なっていた。年頃の娘を戦闘に送り出すことに前向きになれるはずもなかったが、昨今の事情から全力で反対する気にもなれなかった。両親とも間接的に深海棲艦による被害を受けていたし、望んでもなれない者が多い艦娘に選ばれることにある種運命的なものも感じていた。

そうして川内は艦娘になった。正式な軍人となり、訓練を受け座学を学び、学校の時と変わらない好成績を収めていった。さすがに同期の長門には及ばなかったものの、その他の対深海棲艦部隊に所属予定の軍人たちの中では上位の成績で、若さを羨望されたことは一回や二回でなかった。

彼女が心の底に蟠りを残すことになったのはある日の座学で深海棲艦と人類の戦闘の歴史について学んでいるときだった。深海棲艦の出現から自分たち艦娘の登場までの約四年間、一体どのように敵の侵攻を防いでいたのか純粋に疑問に思った。教官からは艦娘の前身にあたる特殊装備によって撃退していたと説明を受け、納得したように頷き、その場では引き下がった。しかし彼女は新しい疑問を抱えた。

「その装備について今まで公表されていなかったのはなぜなんだろう。」

彼女の好奇心の原点は父親から何度も教えられた「全ての事象には繋がりがある」であった。なぜ塩を使う地域では香辛料は使われなかったのか、その逆もなぜなのか、なぜ噴火する山とそうでない山があるのか。彼女は現在のあらゆることには理由があり、土地がどうだ、歴史がどうだと関わりがあるものだと思っている。だからそれを順々に過去に紐解いていくと、頭の中でパズルがはまったときのような気持ち良さを感じ、それが勉学へのやる気にもなっていた。我ながら面倒な性格をしているな、と思いつつもそれを忘れることはできなかった。

さらに、別の悩みも抱えることになった。自覚はなかったが、どうやら自分は人の前に立って模範となり続けるというのは苦手らしい。艦娘の後輩が徐々に増えていくに連れ、その悩みは大きくなった。別に彼女たちが不快ではなかった。ただ、長門のような統率力を発揮し模範として行動することは自分好みではないらしいという自覚が強くあった。学校では後輩たちの先輩は自分だけではなかったし、部活の副部長も役職を任されていただけの生徒であって、他人を引っ張るような存在ではなかった。とはいえ役割を疎かにすることはせず、任務をこなし、後輩を指導し、部隊長として振る舞い続けた。

そんなある日、後輩の駆逐艦の艦娘たちを指導している時にある強い確信が体の中に生まれた。それは、自分より先輩の艦娘がいるのではないか――。それは一つ目の疑問と後輩に対する「先輩がいるのは羨ましいな」という他愛もない感情の強烈な化学変化であった。それからというもの根拠のない確信――もはや妄想に近い――を誰に教えるわけでもなく、空いた時間を証拠探しに費やした。

そして、明雄から正体不明のレーダー反応を偵察するように指示された時、ついに来たと思い今までにないほど高揚した。これこそが答えだと急ぎ、吹雪に出会った時感激が全身を満たした。

彼女は、第三の人生が始まったように感じつつ『いずみ』へ帰投し、至って平静を装いながら報告した。明雄たち幹部は動揺を露わにして各々が事情の解釈に必死になっていたが、川内の関心はすでに別のところへ向いていたため敬礼をして早々に退室した。

 

 

 

海渡たちが島に戻り、全員が無事なことを確認した島民たちは口々に歓声を上げた。海渡は本心からそれに乗れなかったが、詩織たちが無事であることには強い喜びを覚えていた。吹雪たちが艤装を収納して港に戻ってきた頃、一機のティルトローター式の輸送機が轟音を立てながら旋回し、島にある唯一のヘリポートに着陸した。海渡はずいぶん早いなと思いつつ島民たちについてヘリポートへ行くと、軍旗を印刷した機体がメインローターを止めたところであった。軍旗を見た瞬間、海渡は状況を悟った。困惑する島民たちを押しのけ最前列へ出た。輸送輸送機から夏服を着た男が出てきた。階級章を見るに中佐だとわかり、これはもう逃げ切れないなとため息をついていると、その男は驚愕を表情に浮かべて走ってきた。数瞬遅れ、海渡も驚愕したが、それを顔に出さないように忍耐力を総動員した。

「海渡か!?生きてたのか!!」

海渡もその顔に見覚えがあった。忘れるはずもない同期の高梨佑輝だった。薫も合わせた三人でよくつるんでいた昔馴染みだ。海渡が半強制的に艦娘の指揮官になってからは全くの疎遠であったが。しかし再会を喜ぶ気分には全くなれず、しかもどのような立場で来たのかも不明なため、不用意な発言は控えるべきだったので、佑輝の感情とは裏腹に返答をしなかった。輸送機からさらに妙齢の女性が長い黒髪を揺らしながら歩み寄り、眼鏡の位置を直してからやや高圧的に言った。

「志ノ方海渡大佐ですね?麾下の艦娘たちと共にご同行願いいます」

柔らかな口調とは裏腹に、拒否を許さない響きだった。

そこへ人の壁をかき分け吹雪たちが来た。四人とも状況を察したようで、吹雪と鳳翔は表情を曇らせ、北上と最上は険しい表情になった。

「引っ越しだ、吹雪。」

「…はい。」

海渡は謝罪の言葉をぐっと飲み込み、四人と二人の男女を連れて自宅へ向かった。数時間の準備の後、佑輝が乗ってきた輸送機に乗り込んだ。乗り込む直前、島民たちにお礼と別れの挨拶をしていると、茂が一歩進んで海渡の前に出てきた。

「しげさん、今まで本当にお世話になりました。どうぞお元気で。」

海渡は深々と頭を下げた。

「何言ってやがる。また来いよ。命の恩人に礼の機会を残さないような無粋なことしないよな?」

「はい。」

海渡は茂と固く握手をして別れた。吹雪たちもそれぞれ詩織を始めとしたみなに挨拶をして別れた。

機内では一部を除いて無言であった。吹雪たちは沈痛な面持ちでそれぞれの視線で機内を見つめていたが、海渡は黒髪の女性の質問攻めにあっていた。こんなうるさい機内でなぜ尋問するのか理解に苦しんだが、仕事熱心なんだろうと解釈して深く考えることを止めた。彼女は艦娘の大淀と名乗った。艦娘でもなければ秘書か事務員をやっていそうだなと思いながら、半分だけ真面目に質問に答えていた。いくつかの質問に答えている内に、こちらから探りを入れるのも一興だなと意地悪な考えにいたり、海渡は上半身を乗り出し、対面にいた大淀に詰め寄った。予想外の行動に大淀は怯み、海渡はそこへ問いかけた。

「ずいぶん早かったな。いつからおれたちを探していた?」

「…答える必要を認めません。」

「そうか、不安だったか?」

「な、何がですか?」

「おれたちが生きてるかもしれない、と。」

「一体何を言っているんですか…?」

「なるほど。ありがとう。」

大淀は困惑したまま言葉を失った。大淀の反応が本心からのものであるとわかり、彼女が何も知らされていないことを理解した。大淀はそれ以上の質問を止めた。

「さて、どうするか。」

海渡は独語し、思考の海に沈んだ。

 

 

 

海渡たちは本土の横須賀基地に移送され、施設へ案内されることになったのだが、輸送機から降りた際に一悶着起きた。大淀が海渡たちに護送車へ乗るように指示したことに佑輝が異議を唱えた。

「なぜそちらに権利があると思っている。彼らは元軍人だ。こちらの管轄だろう。」

「こちらで引き取れとのご命令ですので。」

「だれの?」

「国防大臣閣下です。何か問題がお有りですか?」

「…貴様。」

「意見があるのでしたら国防大臣へ直接お願い致します。」

海渡は一瞬佑輝に目配せして、素直に大淀の指示に従うことにした。護送車に乗る際に海渡たち全員に手錠がかけられた。吹雪たちにつけられたものは海渡のそれよりも見るからに頑強そうであったが、それでも効果はなさそうだなと内心独語した。海渡は軍部と揉めているのがどの派閥なのか考えていた。国防大臣ということは軍部内のどこかなのか、それとも他のグループの傀儡に成り下がっているのか。可能性が高いのは艦娘研究所だ。しかし、あそこにそこまでの力があっただろうか――。

思案を巡らせている海渡を吹雪たちは不定期に見つめていた。彼女たちは暗黙のうちに、一つの共通認識を持っていた。それは判断がつかない時は海渡の指示に従うことであった。ここまで大人しくしているのも彼がそうしているからで、彼の指示があればいつでも行動を起こす準備はできていた。彼女たちは彼の指示を辛抱強く待っていた。

 

 

 

「薫、今どのあたりだ?」

「ずいぶん私的な連絡だな。」

「海渡が生きている。戻ったらすぐにおれの部屋に来い。」

佑輝は帰還の途にある薫に個人回線で連絡を入れた。彼は執務室の椅子に深く座っていたが、意識的にそうしなければ落ち着けなかった。

「…例の所属不明の部隊の件か?」

「そうだ。どうやらあいつはおれたちより先輩らしい。」

「なるほど。」

薫は苦笑混じりの返答をした。

「それでどうすればいい?」

「直接接触したやつと一緒に来てくれ。向こうは大臣を出してきたが、あんなもの信用ならん。言いくるめ返してやる。」

現政権の国防大臣はかなり気が弱いと噂で決断力にかけていた。総理大臣へのゴマすりは上手かったからなのか、それなりの政治屋なのかは不明だが、ともかく本人の強い意志や力によって今の地位を手に入れたわけではなかった。――少なくとも現場の人間には、そう映っていた。。

「了解した。その通りにしよう。」

薫もそれを共有していた。だから国防大臣に一泡吹かせることに参加できることに拒否する理由はなかった。

「ちなみに誰だ?」

「接触したやつか?川内だ。帰ってきてからずっと上機嫌だぞ。」

「…そうか、ならかなり都合がいい。」

「そうだな。ではまた。」

佑輝は通信を切ってため息をついた。彼は大淀が艦娘研究所の手先であり、隠蔽を目論んでいることを察知していた。大淀は艦娘であり一応籍も軍部にあるはずだが、元研究所所属のせいかそっちにも籍があるようで、軍部に来ているのはもはやスパイか艦娘部隊のお目付け役の類だと言われていた。おそらく研究所の所長が手を回して大臣に根回ししたのだろう。大臣の私室で所長が囁くさまが容易に浮かぶ。

「上手くいきそうか?」

そんな考え事をしている佑輝にソファに座る長門が声をかけた。彼女は川内と並ぶ――吹雪たちを除けば――艦娘の最古参であり、女性でありながら長身に引き締まった体が体操選手を想起させる。腰まである長い黒髪が佑輝へ顔を向けると同時に靡く様は体の力強さとは真逆に女性的美しさを感じさせる。

「まだわからん。今回ばかりは時間がものを言うな。」

「だろうな。私に何か役目はあるか?」

彼女はローテ―ブルに置かれたコーヒーを一口すすってから言った。

「ないな。お前に役目が回ってきた時は本格的に研究所の連中とやり合うときだろう。」

「ふっ。任せておけ。」

長門は誇るように言ったが、「そんなことにならないようにしたいんだが」と佑輝は内心呟いた。名家の生まれで文武両道のお嬢様のはずだが、どうも力に頼る傾向があり佑輝はたまに不安に思うのであった。

そんな彼女も彼の指揮する打撃部隊の隊長としては文句のつけようがないほど完璧で、僚友や後輩からの信頼が厚かった。機動部隊に出撃の出番を奪われてしまってからもそれは変わらなかった。長門は出撃が激減したことについて

「今はそうだが将来もそうであるとは限らない。そうなったときのために日々鍛錬することだ。そしてより重要なのは、国を守り、人々の生活を保障できていれば良いのだ。それが私でなければならない理由はない。」

と力強く言い、その姿勢は今も全く変わっていない。ただ、三回連続で出撃がなかった際は心に寂しさを感じたのか、軍関係者御用達の市街地のバーで一人カルピスを飲んでいたという噂があった。そこでノンアルコールを飲んでいる辺りがその噂の信憑性を高めていたが、結局真偽は不明であった。

薫に連絡を入れて約一時間後、長門に今後の動きについて話しているところに、ノックの音と共に薫が赤城、明雄、川内を連れて入ってきた。一番始めに口を開いたのは川内たち水雷戦隊の指揮を務める明雄だった。

「志ノ方先輩が生きてるって本当ですか!?」

彼は士官学校の後輩で、特に海渡を尊敬していた。百九十センチメートルを超える巨体に筋肉が隆起している大男であったが、少し気が弱い世話焼きであった。その性格のおかげか特に年少者が多い駆逐艦の艦娘たちに非常に懐かれた。所内ではよく駆逐艦の艦娘を肩に乗せて歩いている光景を見ることができた。良い父親になりそうと誰もが思っているが未だ独身であった。曰く「私は軍人で、今は戦時下のようなものです。伴侶を得たとして、家に帰らぬ男が何の役に立ちましょう。」とのことであった。

「本当だ。だがそれも間に合えばの話だ。川内、お前どのくらいの人数に話した?」

「艦内にいた艦娘には粗方話しましたよ。」

川内はにこやかに言った。薫はため息をつき、明雄は呆れ、長門と赤城は苦笑し、佑輝は口元を緩ませた。

「お前は本当に目端が利くな。」

「いえ、仕事仲間が増えるのはいいことじゃないですか。休みもらえるかもしれませんし。」

佑輝が褒めると川内はあっけらかんしたと笑顔で言った。

「とりあえず橘大将を頼ろう。薫も来てくれ。」

佑輝は他四人を部屋で待機するよう言い、薫を連れて執務室を出た。

 

 

 

佑輝は息を整え装飾が施された扉を正確に三回ノックした。

「入れ。」

「失礼します。高梨佑輝中佐、及び椎名薫中佐、入ります。」

二人が入ると長身で少し痩せた男が執務机の椅子に座っていた。対深海棲艦艦隊の最高指揮官の橘源次郎大将がその人である。もう定年間近であるがその目には未だ覇気が満ちており、軍部内で威厳を誇っていた。

二人は執務机の前に立ち敬礼した。橘は答礼し、挨拶を終えたあと口を開いた。

「所属不明部隊の件は聞いている。が、あまり状況は良くないようだな。」

「はい、大泉所長に先手を取られました。部隊も指揮官も今は彼の手中です。」

「あの引きこもりめが。」

橘は隠そうともせず舌打ちをした。

「大臣閣下の命令を持ち出し、この件は今のところ相手の思うがままです。」

「だろうな。軍隊は規律を重んずべきなのだからな。」

橘は一息ついた。

「だが、上官に意見を具申し、規律を正させるのも一つの役目だろう。特に今はどうも弱気のようだからな。材料はあるだろうな。」

「はっ、万事抜かりなく。」

薫が姿勢を正して答えた。

「よろしい。では行こうか。」

 

 

 

海渡たちは見覚えのある建物の前で降ろされ、別々の部屋に軟禁された。海渡は用意された椅子に座らせられると、黒いスーツを着た男が大淀を連れて入ってきて対面に座った。大淀は扉近くで姿勢を正して立ち、男は机の上で手を組んで、高圧的に言った。

「他の仲間はどこにいる?」

海渡は質問の意図が理解できず、困惑を表情に出した。

「他?だれのことだ?」

「他の艦娘に決まっているだろうが!十人いたはずだ!答えろ!」

どうも相当焦っていることが伺えた。海渡たちの生存が相当不都合だったらしい。ただ、質問の内容に腹が煮えくり返りそうだった。ここに来るまで時間稼ぎの手段を考えていたが、怒りが思考を押し流しかけた。

「生き残ったのはおれたちだけだ。」

海渡は怒りを抑えながら静かに答えた。男はその微妙な変化を感じる余裕はなかったが、大淀はそれをはっきりと感じ取り思わず固唾を呑んだ。

「生き残った?どうやって?海のド真ん中であれだけの敵に囲まれたくせにか?」

「…お前が仕組んだのか?」

「質問しているのはこっちだぞ、こたえ――」

男がより高圧的な態度を取り海渡の質問を遮ったが、出した言葉は最後まで出なかった。海渡が机を下から蹴り飛ばし、男の顎に直撃したからだ。男は椅子ごと後ろに倒れてよろめきながら立ち上がったが、即座に海渡に胸ぐらを捕まれ、足が宙に浮いた。

「貴様らのせいか!貴様らのせいで、副長たちは、金剛たちは死ななきゃならなかったのか!?答えろ!」

海渡は男を壁に押し付けて逆尋問を始めた。

大淀はその光景に気圧され、数秒動けずにいた。男が助けを求める視線に気づき我に帰り、どうにか海渡をもう一度椅子に座らせた。大淀は恐怖した。男は気づいたのだろうか、彼が怒り立ち上がって詰め寄ってきた時、左目に白い光のようなが灯っていたように見えたことに。

元々彼女はここに海渡を連れてくるだけの仕事だったため、この尋問に同席する予定はなかった。だが、機内での様子を見ていて興味が湧いたのだ。捕まってより悪い状況へ落ちていっているはずなのに、海渡は平然としていた。謎の艦娘たちに信頼されるこの人は一体何なのか。それで尋問への同席を願い出てここにいる。

だが今の状況はまるで機内で抱いた印象と違う。鳥籠に入れたのは、ただの鳥ではなかった。大淀は本能的にそう感じた。

「吹雪たちに手を出したらお前を二人にしてやるからな。」

大淀に座らされた海渡は男を直視して言った。

「き、貴様ら許さんぞ。必要なだけ調べたら殺してやる。あの小娘たちも!」

男が息を整えながら言いはなった言葉がもう一度海渡が激昂させた。

「もう止めてください!あなたは何しにここに来たんですか!」

大淀が海渡を抑えながら悲鳴に近い声で男に訴えた。

「それとも、この人を怒らせて既成事実を作るのが目的なのですか?」

数十秒の沈黙の後、海渡は椅子に座り直し、男はやや乱暴に扉を開けて出ていった。男が出際に「また男にすり寄るのか」と言い放ったことが海渡には少し気になったが、すぐに頭から抜けていった。

大淀は安堵のため息をつき、男が座っていた椅子を起こして座った。

「あいつを二度とこの仕事につけるなよ。適性がなさすぎる。」

「私には権限がありませんので。…同意はしますが。」

また数秒の沈黙が流れた。

「止めてくれて助かった。あんたがいなかったらあいつを殺すところだった。」

「本当ですよ。感謝してくださいね。」

大淀は少しむくれながら言った。

 

 

 

なお、尋問は吹雪たち艦娘にも同様に行われ、同じ質問がされた。四者四様に怒りがこみ上げたが、既のところで海渡の人ならざる怒号が廊下越しに響き渡り鎮静した。その声にどの尋問者も度肝を抜かれ沈黙した。

北上は目の前の尋問者に向かって

「あたしたちも相当に強いけどね、我らが指揮官はもっと強いこと、覚えておいてね。」

嘲笑の態度を隠しもせず言った。結局そのすぐ後に、それぞれの尋問者に連絡が来て彼らは部屋を出ていった。吹雪たちは一人部屋に残され、其々が思案にふけたが四人が思い至った結論は、奇しくも同じだった。それは

「海渡さん、マジで人じゃなくなりつつあるな。」

である。さきほど聞こえた怒号は明らかに人のものではなかった。声の端々に金属音のようなものが混じっていた。

「自分でわかってるのかねぇ。」

北上は苦笑しつつ、今後のために後で本人に言ってやろう、と考えた。

 

 

 

研究所の所長室は陰鬱な雰囲気で満たされていた。既に外は夜になっていたが、陰鬱な空気の原因は、この部屋の主・大泉修司にあった。恰幅のいい体に五十代前半なのに無駄に艶のよい肌、何故か鼻だけが赤みを帯びている不可思議な顔を持ち、その内に出世欲と名誉欲を押し込んだ男である。その男の提案に乗り、海渡たちを拘束、連行の命令を出した国防大臣が大泉の対面のソファに暗い面持ちで座っていた。

「ありがとうございます。お陰様で上手く行きそうです。」

大泉が大げさにお礼を述べると、国防大臣はハンカチで汗を拭きながら答えた。

「本当にやるのかね?事情はあるにしても彼らのおかげで敵の侵攻はしばらくの間なかったのだぞ。言わば功労者ではないのか。」

「世の中には役割というものがあると思います。そして時期も。役目を終え、古くなった道具には退場していただかなければ。」

国防大臣が人道的意見を述べたが大泉は平然と答えた。

「それに、お忘れですか。彼女たちへの行為のおかげで今があり、大臣がいらっしゃるということを。」

国防大臣は答えられなかった。国防大臣は今の地位は五年前から始まった艦娘計画――当時は対深海棲艦計画だった――によるところが大きかった。当時の大泉に話を持ちかけられ、政治的側面からそれに協力したことで彼らの関係は始まったが、大泉のブレーキの無さは国防大臣を鼻白ませるに十分だったが、それを告発するには大臣と彼の関係者はいささか深く関わりすぎた。

扉がノックされ、大泉が入室を許可すると海渡を尋問していた男が髪型と服装に多少の乱れを残しつつ入ってきた。

「あいつらは危険です。情報を絞るだけ絞りさっさと処分すべきです。」

「私情を挟んではいかん。慎重にやれと言っただろう。」

「はい、ですが―」

「もういい。別の者に任せる。大淀はどうした?」

「まだ部屋に残っていますが。」

「…そうかそうか。結構結構。」

大泉は気味の悪い笑みを浮かべた。暴力という事実を作れたことは、思わぬ収穫だった。しかもさらに大淀が絆され相手に取りってくれればさらにいい。そう大泉は考えた。

その時、扉がまたノックされ、大泉の返事をまたずに扉が開いた。入ってきた人物に一同が驚愕を示した。

「研究所長殿、夜分遅くに失礼する。大臣がこちらにいらっしゃると聞き参ったのだ。」

橘源次郎海軍大将が部下二人を連れて入ってきたのだ。

「何しにここへきた!」

露骨に不快を表情に出して大泉は半ば叫ぶように言った。

「国防大臣閣下に用があって参ったと言った。終わればすぐ帰る。」

そう言って橘は自らの管轄の政治家に向き直った。

「閣下、例の部隊への処置を白紙に戻し、軍へ編入するよう意見具申致します。」

「ならん!絶対ならんぞ!」

大泉が叫んだ。数秒して国防大臣が遠慮がちに言葉を絞り出した。

「所長の言うとおりだ。彼らの事情を鑑みれば、仕方のないことなのだ。」

自らの意思というより、わかってくれという願いを乗せた言葉だった。橘は心底うんざりしたが、表情には出さずに続けた。

「閣下、たった五人ではありますが戦力が貴重であることはご理解していらっしゃると存じます。また、不都合な事情があるにしても管理下におけば問題はないでしょう。それに――」

「それに?」

大臣は藪蛇をつつくような恐怖を感じながら反復した。大泉は撃発寸前であった。

「多くの部下や艦娘がそれを望んでおります。」

「ま、まさか喋ったのか!?」

「いえ、目撃者が言いふらしたようです。私としたことが箝口令を敷くのを忘れておりました。"所属不明の艦娘部隊を発見した場合は口外せぬこと"とね。」

橘が表情を変えずに言い切るさまを見て、佑輝は「よくやるなこの爺さんは」と内心感嘆した。

「既に映像も出回っているようで、艦娘たちの噂は彼らで持ちきりです。」

無言の合図の後、薫が前に出て一つの映像がタブレットで流された。それは川内のカメラで撮影された映像ではっきりと吹雪の顔が映っていた。

「いかがでしょう大臣閣下。このような状況になってしまった以上、処分は軍部や政権への不安を煽るものではございませんか。」

「いや、まだです大臣。まだ手はありますぞ。」

橘の進言を遮って大泉が声を上げた。

「どのような?まさか目撃者をみな脅迫ないし害するとでも?」

「大将には関係のないことだ。」

「小官の部下を害するというのであれば、それ相応の報復を覚悟してもらう。」

「ほう?クーデターでも起こす気か?」

「そんな反民主的な行為はしない。ただ、彼らも一人の人間であることは再認識すべきだな。指示に従うのは軍人の責務だが、尊厳を守るのは人間の責務だからな。」

しばしの間所長室は沈黙が支配した、そして国防大臣がそれを破った。

「た、確かに橘大将の言うとおりだ。目撃者が多く映像が出回っているとなれば、反感を買うことは必死。好感情を抱いているならば特に。」

決着した。大泉は鼻白んで『ふん!』と言い、橘たちに背を向けた。

「橘大将、命令は撤回する。各所に連絡しよう。彼らの軍への編入手続きを。」

「はっ。ではこれにて。」

橘たちは整然と出ていった。国防大臣は人道に反せずに済んだことに安堵した。

 

 

 

その結果を受け海渡たちは解放された。事情を説明しに来たのは長門、川内、赤城の三人だった。特に川内の視線だけは全員をたじろがせたが、川内が声をかけたのは一言だけだった。

「いつから艦娘になられたのですか?」

問われた吹雪は思わず視線を泳がせた。明らかに年上の川内が姿勢を正していたからだ。それを見た長門、赤城、大淀も、それに倣った。吹雪が答えに迷って海渡を見ると

「正直に答えていいぞ。」

と返した。長門は静かに見つめ、赤城は身を乗り出し、大淀は手帳を開いた。そんな彼女らを見つつ、明るい表情ではっきりと答えた。

「5年前くらいです。」

 

 

 

吹雪は部屋に入った後、海渡と同じように荷解きをしてシャワーを浴びてさっさと寝てしまおうと考えた。しかしいざベッドに入っても一向に眠気は訪れなかった。言いしれぬ不安が地面から伸びて吹雪を絡め取ろうとしているようであった。

吹雪は急に海渡に会いたくなり、静かに部屋を出て海渡の部屋の呼び鈴を鳴らした。予想していたより大きな音がして少し後悔した。ありがたいことに官舎は作りが新しく廊下も司令室などがある建物への渡り廊下も室内になっており、部屋から出るにもあまり外出用の準備をしなくて済んだ。

しかし、返答がなかったため「もう寝ちゃったかな」と諦めて部屋に戻ろうとした頃、扉が開いた。

「ご迷惑でしたか?」

「いや全く。入るか?」

「はい。」

寝間着の吹雪を椅子に座らせホットココアを出した。新築の匂いの中に、嗅ぎ慣れた海渡の匂いが混じっていた。それだけで吹雪の肩から力が抜けた。

「急に一人部屋だと慣れないです。みんなで床に寝てましたから。」

「おれもさ。」

海渡は軽く応じて自分用の白湯を出して吹雪の対面に座った。

「まさかここに戻ってくることになるとは思っても見ませんでした。みんなのことを思い出してしまって少し辛いです。」

吹雪は静かに吐露してうつむく。正直に言えば戻りたくなかった。島に辿り着いた頃は帰りたかったが、今となっては逆に離れていたかった。嫌でも白雪たちとの思い出が蘇り、涙が溢れそうになることは容易に想像できた。自分が泣いていることに気づいたのは海渡にハンカチで涙を拭かれてからであった。

「おれもだ。だが、後悔はしていない。詩織たちは助かったし、しげさんもみんなも喜んでいた。それでいい。」

海渡は白湯を一口飲んでさらに続けた。

「それに新しい出会いもある。少なくとも好意的な後輩が一人できただろ。」

「人生では先輩ですけどね。」

二人とも川内の屈託のない笑顔を思い出して静かに笑った。

吹雪は最初川内を疑っていたが、軟禁された部屋を出た時の対応を見た時その疑惑は消えた。彼女はもしかしたら寂しかったのかもしれない。誰かに頼りたかったのかもしれない。理由は違えど私が海渡さんに初めて会ったときと同じだ。

ココアを飲みながら目の前の上官を見つめた。五年前、研究所で出会った時、この人は上司からお使いを頼まれただけの人だった。試験が嫌になって施設内で脱走した時に出会って強引に巻き込んだ結果、彼女の上官になった。吹雪には両親も兄弟もいない。だから、辛い試験の日常の中で彼が業務上であるが保護者になってくれたことは本当に嬉しかった。

「巻き込んでしまってごめんなさい。」

あの時吹雪は巻き込んだあとでそう言った。その時の海渡はとても迷惑そうだったが、彼はその責任を放棄することはなく、おかげで吹雪たち第一世代の艦娘の立場は劇的に改善され、彼が来たあとでようやく常人に近い日常を送れるようになった。

「もういいって。後悔はないさ。」

「…もしかして声に出てました?」

「割とはっきりとな。」

内心の呟きのつもりが言葉に出していたらしい。吹雪は慌てて残りのココアを飲み干した。それを見た海渡は口元を緩め「前にもあったよな」と声に出した。そこから昔話に花を咲かせ、一時間が過ぎた。

「さて、そろそろ寝るか。明日も色々あるようだしな。」

「はい。付き合ってくださってありがとうございます。」

「大丈夫だ。いつでもおいで。」

吹雪はこの声と言葉が好きだった。私に帰る場所があるのだとしたら、この人がいる場所がそうなのだろうと思う。心が温かくなるのを感じる。

「あの、久しぶりに寝るまで一緒に入れくれませんか?」

「いいぞ。」

吹雪は言い終えて少しだけ後悔した。最後に寝かしつけてもらったのは三年前の会戦直後だった。世間的にはもう高校生の自分がそのようなことを言うのはまるで親離れできていないみたいではないか。だが、自分から止めると言い出せず、海渡と共に自室へ戻りベッドに入った。横に座る海渡に手を繋いでもらい、最初は心拍が激増して眠れるのか不安になったが、疲れと安心感から急激な眠気に襲われて眠りに落ちた。

ただ、吹雪は一つだけ見落としていたことがあった。それは海渡が吹雪の部屋の鍵を持っていないことであった。それに気づいたのは朝起きて海渡が壁を背もたれにして座って寝ているのを見たときだった。海渡が目を覚ました時、吹雪は何度も平謝りした。

 

 

 

最上が部屋に入った時、真っ先に荷物から取り出したのは、古いカメラだった。大淀に急かされながらも離さなかった、青葉の形見である。

「帰ってきたよ。」

最上は小さく呟いた。結局最上自身はこのカメラを使って撮影することはなかった。大切な思い出を汚してしまう気がしたのだ。このカメラは青葉が持っていた時のままにしておくほうが良いと思った。島には現像する機械がなかったため、まだ中身を見れていなかった。あとで時間をもらって現像しに行こうと考えていたが、現像した写真に、皆が生きていた頃の姿が映っていたら、自分や他の四人は耐えられるだろうか。記憶ではなく写真というリアルな物体を前にして明るい気持ちになれる気がしない。だが、それを加味しても青葉が撮った景色や人を見てみたい。彼女が残してくれたものをみなで大切にしたい。

ただ、そこで着替え中に撮影されたことを思い出した。

「…自分で確認してからにしよう。」

そう決めてシャワーを浴びて寝た。

 

 

 

翌朝、海渡は出勤に際して何かしら嫌がらせを受けることも覚悟していたが、特に何も起こらず、五人で食堂で朝食を取り、指定された執務室へ行った。中へ入ると大淀がソファに座って待っていた。

「おはようございます。ここが今日からあなた達の仕事場です。」

相変わらずあまり愛想が良いと言えない表情で事務的に言った。

「なんで君がいるの?」

「補佐するよう仰せつかりましたので。」

最上のやや不機嫌な質問に平然と対応した。

「補佐?監視でしょ。」

北上が追撃する。大淀はその言葉を受け流し、返答しなかった。海渡は真面目に対応するのが馬鹿馬鹿しいと感じていたため、無視して吹雪たちにソファに座るよう促した。

「気にするな。それであの瞬間湯沸かし器の気が晴れるならさせておこう。」

「湯沸かし器?」

海渡が執務机の確認をしながら言うと、ソファに座った鳳翔が不思議そうな顔をした。

「大泉所長は昔から気分の上げ下げが激しくてな。一時期冷凍機だった時期もある。あの赤い鼻がスイッチなんだって言ってるやつがいたな。」

「そんな方いましたね。」

吹雪たちは記憶の中を探り、それぞれの記憶の中で顔を思い浮かべていた。あの特徴的な顔はなかなか忘れないものだ。そんななか大淀は海渡の冗談が受けたらしく、バインダーで顔を隠しながら笑いをこらえていた。鼻を押した瞬間に音がなる光景でも想像したのだろうか。海渡としては初めて聞いたときからあまり面白みを感じなかったし、軍部内では結構有名な話のはずなのだが、大淀の反応を見るに初めて聞いたように見えた。海渡はそれを見て「完全に向こうの所属なのだな」と確信した。

そこから数秒して大きく咳払いをした後、

「志ノ方提督、橘大将から呼び出しが入っていますのでご同行願います。」

あまりにも慣れない呼び方に海渡は思わず眉をひそめた。

「吹雪たちは?あと提督ってなんだ。」

「吹雪さんたちはここで待機していただきます。艦娘の指揮官はみなそう呼ばれていますよ。艦娘も一応艦船なので。」

どうも自分たちがいない間に艦娘というものは親しまれているものらしい。隠すことが当たり前だった世界に生きていた人間からするとかなり違和感がある。そういうものなのだろうと割り切って考えないことにした。

大淀に従って吹雪たちを部屋に残して、橘大将の部屋を訪れた。海渡にとって懐かしい顔であった。彼が吹雪たちを受け持つようになったときの上官が橘であった。海軍と研究所の板挟みでどれほど迷惑をかけただろうか。ただ、申し訳なさよりも、見殺しにされたことへの反感の方がはるかに大きかったため、再会を喜ぶ気持ちは小さかった。大淀は「外で待機していますので」と言って部屋を出た。

「さっそく大泉の番犬に監視されているな。可哀想に。」

「気にしていませんよ。無罪放免とはならないでしょうし。」

海渡は内心「それに番犬というほど優れてもいないでしょうし」と思ったが、口には出さなかった。

「三年半以来か。よく生きていてくれた。」

「いえ、昨日はご迷惑をおかけしました。お陰様で助かりました。」

橘は海渡にソファに座るように促し、海渡はそれに従った。執務机の前で感慨にふける橘を横目で見つつ窓の外を見た。空は厚い雲に覆われていた。

「これは言い訳になるがね、君たちの出撃を知ったのは出撃してから5日後のことだった。あの時期には第二世代の艦娘が実用化にこぎつけていて大泉らは君たちの処遇についてずっと考えていたようだった。まさか文書を偽造して追い出すとはとても思いつかなかった。」

海渡は特に返事をしなかった。海渡の中で橘という男は合理的で秩序に厳格であるイメージがあったため、正直なことを言えばこのような弱気とも取れる発言はしてほしくなかった。それともそのような強い男でも釈明したくなるほどのことだったのだろうか。海渡には判断がつかなかった。

「吹雪たちも元気かね?」

「ええ、お陰様で。軟禁された部屋も吹き抜けにならずに済みました。」

「そうか。別にしてくれても良かったんだがな。なんせ空気が淀んで絡みついてくるような場所だからな、あそこは。」

「…覚えておきます。それで、私を呼びつけたのは世間話をするためですか?」

「無論違う。貴官に関する任務や所属について話しておくためだ。」

橘はそう言って前のめりになって両肘を机についた。

「艦娘の新規の部隊として遊撃部隊が創設される。吹雪たちはそこへ編入される。お前はそこの指揮官として任命される、志ノ方准将。」

色々と突然過ぎてため息をついたが、一日でここまで話をまとめたことに、海渡は素直に驚いた。素知らぬ顔で昇進を告げられたが、機嫌取りの一環であることを察して触れるのを止めた。

「了解しました。それで、最初の任務はなんですか?」

「そうだな。挨拶回りでもしたらどうだ?高梨中佐や椎名中佐と話すこともあるだろう。」

「…了解です。それで、小官と我が部隊はどの程度の行動を許されるので?」

「特に制限はないが、世間的に目立つようなことは避けてくれ。特にメディア露出は厳禁だ。まだそこまで対処を決められていないのでな。」

「わかりました。色々とご手配ありがとうございます。では、失礼致します。」

海渡は敬礼をして部屋を出た。静かになった部屋で橘は静かに独語した。

「礼を言うのはこっちだ。君が生きていてくれたおかげで、私は罪を償う機会を得られたのだからな。」

 

 

 

自らの執務室に戻ると、吹雪たちが一枚の紙を種に話し込んでいた。「おかえりなさい」と言われながら海渡はその紙を受け取った。自分たちの辞令であった。そこには以下のように書かれていた。

 

以下の者たちを遊撃部隊への異動を命ず。

・志ノ方海渡准将

・艦娘吹雪大尉

・艦娘北上中尉

・艦娘最上中尉

・艦娘鳳翔中尉

・艦娘大淀中尉

 

「…補佐じゃなかったのか?」

「補佐ですよ。正式な。」

まさか大淀が正式に部隊に編入されるとは海渡は思っていなかった。吹雪たちは、自分たちの生活に異物が投げ込まれたような強い不快感を覚えた。海渡は「何事も都合よくいくわけではない、か」とため息をついた。自分たちが同じ部隊に所属できただけでも幸運だと思うべきなんだろうな。

「よろしく頼む。」

「こちらこそ、提督。」

海渡は反抗することを諦めて大淀と握手をした。海渡には微妙な気分だったが、大淀はどこか嬉しそうにも見えた。

それを見ていた吹雪は無意識に握った拳に少しだけ力を込めた。それの正体が嫉妬であることに本人が気づくのはしばらく先である。

 

 

海渡たちは任務がないため基地内を散策することにした。出撃に備えて訓練や書類仕事に追われる気にもなれなかったし、上層部もそのような勤勉な働きは期待していないのは明白だった。とりあえず預けていた吹雪たちの艤装を確認するために工廠へ向かった。

中へ入ると作業員の男性が気づいて寄ってきて敬礼された。答礼した後要件を伝えると、男は「明石!お客さんだぞ!」と大声で叫んだ。機械音が鳴り響く工廠の中であっても男の声ははっきりと聞き取れ、桃色の長髪を持つ人間が溶接面を外して走ってきた。煤やらオイルやらで汚れた作業着でいかにも現場の人間といった風情だが、顔は驚くほど端正でありパッチリとした目が印象的だった。

「初めまして!艦娘の明石技術少尉です。お話は聞いています。志ノ方提督ですね?」

容姿の印象から変わらない明るく力強い話し方にやや圧倒された。そして予想通り艦娘であった。

「そうだ。吹雪たちの艤装を確認したいんだが。」

「はい!こちらへどうぞ。」

手袋を台に置いた明石は元気よく前を歩いていった。

吹雪たち第一世代の艦娘たちは驚きを隠せなかった。こんな堂々と人間に混じって艦娘が仕事をしているなんて信じられない。工廠の光景は、吹雪たちが知る世界とはまるで違っていた。そして少しの妬みもあった。それを顔や口に出したりはしなかったが。

「ここです。」

工廠の少し奥まった場所にそれはあった。艤装が格納された棚の上に名無しの札が付けられており、それが自分たちの軍内での扱いを表していた。

吹雪たちはそれぞれの自分の艤装の無事を確認して安堵したが、心の中の不安はまだ出ていかなかった。四人とも自分の艤装の入念なチェックを始めた。

「一体どこで整備されていたんですか?大淀が「洞窟の中にあった」みたいなことを言ってましたけど、信じられないくらい綺麗でしたよ。もちろん万全ではありませんでしたが。」

「色々とな。」

海渡は大淀を一瞥しつつ簡単に応じた。詳細に話す気も必要もない。

「でも驚きでした。まさか今の艤装にもう一世代前があったなんて。古典的な機構で色々確認に苦労しましたけど、これのおかげで私たちが楽できたんですねー。」

明石は楽しそうに話し続けていたが、吹雪たちの神経を逆撫でしたようで彼女らの手が一瞬止まり視線を集めていた。

「明石、その話は大きな声では止めてください。一部の人間しか知らないんですから。」

「そうなの?ごめんごめん、大淀怒らないでよ。」

いつもなら北上か最上辺りから一言出る頃合いであるはずだが、特になにもなかった。明石に悪気がないことが明白だったからだろう。

しかし、と海渡は思う。大淀にも友達のような人物がいたのだなと少し安心した。正直嫌われ者の爆弾を抱えて今後任務を遂行するのは気が滅入るところであった。大淀は仕事熱心というより、仕事だけが、大淀を支えているようにも見えた。

「海渡さん、艤装には特に何もなさそうです。」

「それは良かった。まぁ、ここまで来て何か仕組んでいたらそれは搦手がすぎるというものだが。大将に感謝しておこう。」

吹雪は「ですね」と笑顔で応じた。

「え?名前で呼んでるんですか?」

明石が目を輝かせて会話に入ってきた。これ以上この好奇心の塊を刺激するのは危険だと判断し、適当に流して工廠を後にした。

 

 

 

第零遊撃部隊の話は軍部全体に伝わったわけではなく、主要な部署には伝達されただけに留まった。その部署の一つが空母機動部隊であった。薫の執務室で赤城、加賀、飛龍、蒼龍は自らの指揮官にそれを教えられた。赤城は事前に吹雪たちに会っていたためそこまでの驚きはなかったが、加賀、飛龍、蒼龍の受けた衝撃は大きかった。特に加賀は無表情に怒りを露わにした。

「これは一体何なの?昨日言っていた部隊が正体これ?」

元々の表情の変化が乏しい加賀であるが、それが返って周囲の不安を強くした。

「私は昨日会いましたけど、五年前から艦娘をされているそうですよ。」

赤城はソファに座って湯呑のお茶をすすった。

「どうでしたか?赤城さんの見立ては。」

「癖が強そうな方々でした。それ以外は何とも。ただ、明らかに素人ではないと思いますよ。」

加賀は納得出来かねる表情をしていた。赤城は加賀の感情を理解できた。今まで最前線で活躍して新しく入る艦娘たちを率いていたというのに、ある突然現れた誰とも知らぬ人間が同僚になった挙句、階級を同じくしているのだ。加賀の性格的に矜持がそれを許すはずがなかった。飛龍と蒼龍も似たような心境だったが、加賀の怒り方が予想を超えていたため感情を発露する機会を完全に失っていた。

「加賀、気持ちはわかるが落ち着け。大将閣下のお墨付きだぞ。」

薫がなだめた。

赤城は上官の合理主義的な考え方を嫌いではなかった。しかし今回は、自身も納得していないことが言葉の端々から漏れていた。こういうところは不器用だ、と赤城は思った。

若くして佐官となったことは、薫の誇りなのだろう。昔馴染だった海渡が、自分より上の立場になったことだけは、理屈では割り切れないように見えた。

負けず嫌いな性格も、それを認めまいとしているようだった。

当人はなだめているつもりなのだろうが、赤城には理屈を押し通し、かえって焚き付けているようにしか見えなかった

「提督は彼らをご存知なのですか?」

赤城は場の緊張をほぐそうと話題を変えた。

「艦娘の方は知らないが、指揮官の方は知っているぞ。昔馴染の同期だ。」

薫はコーヒーを一口飲んでから続けた。

「仕事熱心なやつだったんだが、結婚二年目に奥さんと死別してな。それからは廃人だった。仕事には問題なかったが、明らかに人が変わったよ。それから少しして行方不明になった。それが四年前くらいだったか。急に戻ってきたと思ったら隠し子のように艦娘を四人連れているんだから、何がなにやら。」

薫は見ていた戦闘報告書を机に置いて、ため息をついた。あいつはあいつなりに苦労したのかもしれないが、いきなり戻ってきて階級が二つも上になったことについては納得できかねるものがあった。つまり自分は彼の部下になって指示を聞く機会があるかもしれないということなのだから、と。

「提督、彼らと一度演習をしませんか?」

赤城は立ち上がって薫に言った。

「そうすればみなさんの気持ちの整理もできるかと思います。」

「…そうだな。」

薫は少し考え込んでから赤城の意見に同意した。赤城は「みなさん」に薫も加えたつもりで言ったが、薫自身は気づいていないようだった。

 

 

 

演習は三日後の午後に行われた。対艦隊演習は一種のお祭りのような扱いで、艦娘たちはスポーツ観戦するような楽しみを見出していた。軍部としても、このような催しは艦娘たちの精神的負担を和らげる貴重な機会だったため、日程の調整に少し時間を要した。特に駆逐艦や海防艦の艦娘は連日の出撃で全員が基地に揃っていることはほぼないということが常態であった。さすがに全員が観戦できるように組むことはできないまでも、なるべく多くの人が観戦できるよう配慮した。実際には、心を病む艦娘を少しでも減らしたいという現実的な事情もあった。

演習の報を聞いた佑輝はただ大きなため息をついただけだった。長門や彼女の同僚の陸奥も佑輝の反応を見て苦笑しただけに終わらせた。三人とも空母機動部隊のメンバーならやりそうだと思っていたからだ。

事実上の果たし状を受け取った海渡は大きなため息と同時に酷い精神的疲労を感じた。薫の性格は理解していたが、まさかこんな大事でやることもないだろう。なぜこんな目立つようなことをするのだ、と理解に苦しんだ。しかし、海渡とは裏腹に吹雪たちはやる気が溢れていた。みな大なり小なり一泡吹かせてやると意気込んでいて、どうやら気苦労しているのは自分だけであることに気づいて落胆した。

ただ、やるからには全力でやるのが海渡である。大淀に戦闘経験はどれほどあるのかと聞くと、「…恥ずかしながら」との返答だけをもらい編成から即外した。海渡は、その時初めて大淀を戦力として育てる必要性を意識した。

上空に撮影用ドローンが飛び交い、基地の食堂に映像を中継しているらしく、想像していた演習の光景とだいぶ違っていて吹雪はため息が出た。戦闘に備えた擬似的訓練なのに、目の前に展開された光景はさしずめサーカスかショーだった。

事前に海渡に指示された内容を踏まえ、吹雪は他三人と打ち合わせをしていた。

「海渡さんは短期決戦で決めろと言ってました。私もそう思います。なるべく時間をかけずに距離を詰めたいです。」

海渡の言うことは正しい。相手は空母四隻である。徐々に近づこうものなら攻撃隊のいい的にされて負ける。

「そうだね。航空戦力は防御だけに徹して、砲雷戦に持ち込むのがいいかな?」

「それがいいと思います。最初は私を先頭に単縦陣で進んで、非発見後に――」

吹雪の提案する作戦は、北上たちの度肝を抜いた。最上は吹雪がいつも命を投げ出すかのような作戦を立てることを心配していた。今回は演習のため、特に言うことはなかったが、控えてほしいと常々思っていた。

北上と鳳翔は自らの役割が明確であったため、ただそれに従った。

「と、いうわけで航空部隊のみなさま、しっかりあたしを守ってね。」

北上にできることは、接近して魚雷を叩き込むことだけだが、それが当たり前であるため接近するまでやることがないことに歯痒さを感じたりはしなかった。

「わかっていますよ。しっかり当ててくださいね。」

鳳翔は微笑んだ。

 

 

 

空母機動部隊側の戦略は非常に簡潔であった。圧倒的航空戦力で叩き潰すのである。薫はそう力説した。赤城たちは最初から順次攻撃隊を出して波状攻撃を仕掛け、近寄らせない戦法をとることにした。自分たちだけで勝ってこそ意味がある、という加賀の進言で護衛なしとなったが、赤城は少し不安であった。それは慢心ではないだろうか。とは言え、相手の戦力も駆逐艦、重雷装巡洋艦、航空巡洋艦、軽空母がそれぞれ一隻ずつという陣容であり、それでも十分に勝てると判断していた。飛龍と蒼龍も加賀に当てられ、気分が高揚しているようだった。赤城は内心ため息をついた。しかし部隊長として、それらを一旦押しやって気を引き締めた。

「これが終わったら、彼らの階級の再考を願いたいものですね。」

「加賀さん、今は集中しましょう。」

加賀の口調は静かなままだったが、その一言一言は三日前よりも冷たかった。

「そうですね。失礼しました。」

それと同じくらいに開始の合図が鳴った。

「みなさん、行きましょう。航空隊のみなさん、発艦してください!」

 

 

 

今回の演習のルールは以下のようなものであった。

・演習海域は二十キロメートル四方の正方形で、その海域から艦娘が出た場合は戦闘不能判定となる。

・弾薬は全てペイント弾を使う。航空機の爆弾、魚雷、機銃の弾も同様である。

・各々がつけた演習用のセンサーが自身の被弾状態から計算を割り出し、音がなった場合は戦闘不能となる。

・統合システムによるレーダーは使用禁止。

 

赤城たちにとっては慣れたルールであったが、吹雪たちは部隊同士の演習自体が初めてであったため、最初聞いたときは馬鹿馬鹿しく思った。お行儀よくルールに則って殺し合いするやつはいないだろうに。それでも吹雪たちの行動が不平等に制限されることはなかったので良しとした。

空母機動部隊は海域の西辺、遊撃部隊は東辺からスタートした。辺上であればどこでも良いというルールだったが、時間をかけずに行動したい遊撃部隊は、東辺のほぼ中央から行動を開始した。吹雪を先頭に海域中央にある人工島の南側を回って、機動部隊まで一直線に走る作戦である。

それに対して空母機動部隊は、圧倒的多数の航空機を使い、海域全体に索敵の網を広げて一挙に遊撃部隊の位置を掴みにかかった。開始から三分程度過ぎた頃、加賀の偵察隊が遊撃部隊を捉えた。加賀は口元をわずかに緩め、僚艦に位置を伝達しつつ自ら指揮する攻撃隊を殺到させた。まだ攻撃隊が見つかっていないのか鳳翔から艦載機があがってこず、加賀は勝利を確信した。雷撃機を投下体制に入らせた時、先頭の吹雪が煙幕を展開し始めた。後続の三隻が完全に煙に隠れるほどの規模で、加賀はそれほどのものは見たことがなかった。だが吹雪が全く速度を落としておらず煙幕に隠れていなかった。加賀は予定通り吹雪に向かって雷撃隊に攻撃を命じ、五本の魚雷が走り出した。吹雪は九十度南に旋回し魚雷と自身の進路を並行にすることでそれを避けた。そこまでは加賀の予想の範囲内だった。むしろこれで直撃してしまったら期待外れもいいところだった。しかしこれにより吹雪の進路の固定に成功した。その隙に合流した赤城の雷撃隊と共に、吹雪の正面方向から十字雷撃を仕掛けた。寸分違わぬ完璧な連携が決まり、加賀は吹雪の戦闘不能を想像し次の攻撃のための準備に取り掛かろうとした。が、それは覆された。吹雪は想像を絶する制動力で速度を下げて進路を北側に取ったあと急加速して十字雷撃の範囲から脱出した。その光景を艦載機越しに見た赤城と加賀は錯覚を見たような気分になり一瞬悪寒を感じた。

艦娘の移動というのは艦船と同じように動くことしか出来ず、前進からどれだけ強く後進をかけても慣性の影響で即座に停止することはできない。しかも、進路の変更も同様で大きな弧を描くほかないはずである。しかし、今見せた吹雪の動きは違った。人間が立ち止まるかのように速度を下げ、その場で振り返るかのように進路を北にとった。その加速力も艦船が徐々に動くのではなく人が急に走り出す様を想起させた。

「加賀さん、今の、見ましたか?」

「え、ええ。赤城さんもですか?」

「錯覚ではないのですね。」

二人は恐怖心が芽生えるのを感じ、飛龍と蒼龍に急ぐように指示した。

飛龍たちが攻撃隊が到着したとき、赤城と加賀の第三次攻撃が仕掛けられていた。事前に「吹雪さんは何かおかしい」と連絡受けていた二人であったが、赤城と加賀の攻撃で未だ無傷であるとは予想していなかった。駆逐艦一人には明らかに過剰な魚雷と爆弾であったが、全て空を切って終わった。その攻撃を避ける様は、赤城たちが感じた衝撃を飛龍たちにももたらした。

飛龍と蒼龍は赤城たちの第四次攻撃隊との合流を果たした後に自らの攻撃隊を参加させ、文字通りの波状攻撃を仕掛けた。海上に魚雷の航跡で大輪の花が咲き、上空から見る者たちに巨大な絶望感を与えた。どの進路をとっても被弾は免れない、はずであった。赤城たちは吹雪の回避術に魔術的なものを感じ始めていたが、それがおかしな幻覚を見せているのかと思った。

吹雪は進路を変えることなく速力を維持し、そして、文字通り跳躍して魚雷を回避したのだ。

それは四人に大きな衝撃をもたらした。自分たちの息が止まっていることすら気づかず、わずか数秒の沈黙を永遠のようにも感じた。

「飛龍さん、蒼龍さん、他三人への偵察と攻撃をお願いします。そろそろ煙幕が切れる頃ですので。」

赤城は我に返り、敢えて吹雪には触れずに指示を出した。飛龍と蒼龍もそれに素直に従って行動を開始した。加賀は未だ衝撃から回復出来ていなかった。

「艦娘が海面を跳躍するなど、聞いたことがない!できるわけがない!」

加賀は内心で強く叫んだ。吹雪の跳躍への理解が追いついておらず、普段の冷静さを完全に欠いていた。そこへ赤城が声をかけた。「加賀さん行きましょう。これ以上距離を詰められると危険です。」

「はい。」

「飛龍さんと蒼龍さんも北へ進路をとって移動してください。」

二人から了承の返事をもらいつつ、上の空で返事をした加賀を強引に引っ張って移動を開始した。途中で我に返ったようで加賀は自らの意思で進み始めた。そこへさらに飛龍たちから衝撃の連絡がもたらされた。

「煙幕後に何も発見できず!繰り返します!発見できず!」

 

 

 

少し前、北上たちは吹雪の煙幕の中で静かに待っていた。各々が電探で吹雪の位置を正確に読み取り続け、航空機がそれについて行ったことを確認して煙幕から出て北に進んだ。吹雪の読み通り、空母たちは吹雪にかかりっきりになり、その隙に赤城たち本体に近づく作戦であった。最初は航跡が目立たないように低速で行動し、吹雪からの合図を受けてから最大速度で走り始めた。艦載機の進路から、おそらく赤城たちは海域の西から北西辺りにいると推測し、吹雪は大胆にその南側から、北上たちはこっそりと北側から挟み撃ちにする作戦を立てた。

「まず私が先行して注意を引きます。そしたら私の接近を嫌って赤城さんたちは私から離れるように動くはずです。海域の制限がある以上、海域ギリギリを沿うように移動し反対側に移動すると思います。そこを狙ってください。」

吹雪は事前の打ち合わせでそう言った。それに対して北上は

「色々と言いたいことがあるんだけど、とりあえず注意を引くっても無理じゃない?飛行機がわんさかいるんだよ?」

「それはそうなんですが、おそらくそちらまで気が回らないです。海渡さんが前に言っていました。艦載機を操作している最中は、他の情報まで処理しきれなくなるそうです。」

海渡が言うには、空母の艦娘たちは自分自身の五感情報だけでなく艦載機による情報も得ることができる。ただ、それらを同時に処理することは非常に困難であり、攻撃中は他が疎かにならざるを得ない、と。それを聞いた最上は鳳翔に確認した。

「ええ、まぁそうですね。」

最上は「知らなかった」と呑気に返した。

「最上さんも水上機あるじゃん。」

「行けー!って思ってるだけで攻撃に間際までそんな集中してないよ。」

「あー、だから命中率低いんだ。」

「うるさいなー。」

北上と最上の軽い言い合いを笑って眺めつつ、吹雪は皆の顔を見回して言った。

「ですので、私が派手に動いて注意を引きますのでその間にお願いします。」

「了解。」

そしてまさにその通りになった。最上と鳳翔はそれぞれ航空機を出し索敵と防空の準備に入った。北上たちが、赤城たちがいると見込んだ海域まで八キロメートルに迫った時、電探に反応が出た。

「見つけたよ。」

北上は舌なめずりをして魚雷の安全装置を解除した。

 

 

 

「発見されました!」

飛龍の連絡に全員が肝を冷やしたがまだ負けたわけではない。発見されたのとほぼ同時に、飛龍と蒼龍の攻撃隊が北上たちへ追いつき、攻撃を開始した。想像以上の防空能力により被害を被ったがそれでもなお正規空母二隻の搭載量によって圧倒し、攻撃を仕掛けた。北上たちにそれぞれ回避行動をとられ命中しなかったが、それが飛龍たちの常識の範囲内の行動だったため安堵のため息をついた。吹雪のそれはまるで悪夢を見ているようだった。

飛龍と蒼龍は北上たちへの第二次、第三次と攻撃隊を準備し発艦させたが、まさに第三次攻撃隊を出そうとしたとき、砲弾が彼女らをかすめて着水した。被弾しなかったものの砲弾を浴びたのは人生で初めてであったため、恐怖が喉元まで込み上げるのを、必死に押し殺した。どうにか第三次攻撃隊を出し終えたところで、蒼龍が最上の砲弾の直撃を受けて中破判定が出て、さらにそこへ北上の魚雷が群れを成して襲いかかって三発被弾し、戦闘不能の判定が出た。飛龍も北上の魚雷を完全に回避し得ず一発被弾し、さらに最上からの魚雷も到来したことで戦闘不能となった。ただ、その間の艦載機の攻撃により、北上は戦闘不能、最上は中破、鳳翔は小破となり、赤城たちへの攻撃能力は著しく失われた。

その報告を飛龍から受けた赤城は、残っている最上と鳳翔への対処を考えねばならなかったが、その余裕は一切なかった。発見されたと飛龍から連絡を受けたと同時に、吹雪が赤城たちに寸分違わず進路を合わせて高速で接近し続けていたからだ。敵に接近されているという感覚ではなかった。恐怖そのものが迫ってくる。そう思わずにはいられなかった。ここまで一発も命中させられていなかった。跳躍することもそうだが、落下してくる爆弾に対して体を百八十度回転させて軸をずらして回避し、後ろ向きに進みながら対空射撃をして雷撃隊を沈黙させ、また百八十度回転して前進を開始したのを見た時はフィギュアスケートを見ているかのようだったが、踊り手は死神を連想させた。

その後もう一度雷撃隊を発艦させた頃、赤城に対して最上からの砲弾が着弾し、さらに立て続けに打ち込まれ、戦闘不能の判定を受けた。あまりの一瞬のできごとで赤城は何が起きたのか理解できず機械の故障を疑ったが、期待通りにはならなかった。

そして、ついに加賀の目視圏内に吹雪が入った。加賀は初めて副砲に射撃させたが、普段使わない武装が役に立つことはなかった。さらに接近した吹雪は加賀の目の前で跳躍して加賀を飛び越え、加賀が振り返ったときには片膝を海面について鼻先に主砲を突きられていた。加賀は歯を食いしばり、逆転の策を練ったがどれも成功する未来を描けず、絞るように降参を口にした。

「ま、参りました。」

その瞬間サイレンが鳴り、演習の終了を告げた。

加賀は吹雪から一度だけ視線を外した。ただ、それでも礼を失することはできないと自らを奮い立たせて、顔を吹雪に向け握手を求めた。吹雪はそれに素直に応じ「ありがとうございました。」と礼を述べたが、加賀は吹雪の表情をどう解釈すれば良いのかわからなかった。なぜそんなに悲しそうな顔をしているのだろうか。

 

 

 

少し前、まさに赤城と加賀に肉薄し魚雷を発射しようとした時だった。海面から多数の腕が伸び、吹雪を掴んだ。何事かと足元を見ると、白雪と青葉が恨めしそうに吹雪を見上げていた。体中は傷つき、血に濡れ、青葉の右目には大きな穴が穿たれ、青い光が漏れている。それは現実ではない、そう理解しているはずなのに、吹雪には現実と区別がつかなかった。

「また仲間を殺すの?」

白雪の声が頭に響いた。違う、これは演習で、弾薬も非殺生のものなんだ。吹雪は訴えた。だが、

「じゃあなんで青葉には実弾を撃ったのです?」

今度は右側から青葉の声が聞こえた。

「それは…!」

今度は口に出して抵抗しようとしたが、それ以上続けられなかった。それは、なんだ?仕方がなかった?仕方がないから白雪と青葉を撃ったのか?仕方がないから殺したのか!?罪悪感が思考を埋め尽くし、視界が遠のいた。その結果、魚雷を撃つタイミングを完全に逃し「しまった」と口から漏らした。次の策を考えようとした時、最上の攻撃により赤城が戦闘不能になったことを知り、尻拭いをしてくれたことに感謝した。

未だ幻覚がまとわりつく中、手が震えていることに気づき主砲を撃つことは不可能だと察し、加賀に降伏を迫るしかないと判断した。そして、高速で接近し彼女の頭上を飛び越え、主砲を突きつけた。引き金には指をかけていたが、力が入らず姿勢を維持するのがやっとであった。主砲を突きつけた瞬間にまた二人の亡霊が現れ耳元でささやき続けた。気を失いそうになるのをどうにか耐え、加賀が降参の意思を示したことで主砲を下ろした時、ようやく幻覚から解放された。握手をした後の加賀の表情は不気味なものを見ているようであったが、それもそうだろうな、と吹雪は思う。自分でも想像できない。息苦しさと酷い汗でまるでインフルエンザにかかったかのようだったが、その方が何万倍もマシだった。今はとにかく、早く帰って海渡に会いたい。

 

 

 

演習が終わって全員が港に戻った時、準備室の中で意外にも雑談に花が咲いた。それは北上の言葉がきっかけだった。

「最初は嫌だったけど、やってみると面白いもんだね。」

北上の言葉に最上と鳳翔がそれぞれの言葉で同意すると、加賀が不機嫌そうに突っかかってきた。

「そんなにも気持ちが良いものなのでしょうか。」

加賀の表情がさらに硬くなった。赤城も似たような心境だったが、さらなる面倒ごとを避けるため加賀を宥めた。だが、北上たちから返ってきた言葉は予想だにしていなかった。

「え?そうでしょ。だれも死なないんだから。」

そう言われた時、機動部隊の四人は豆鉄砲を受けたような顔になった。加賀は演習なのだから当たり前でしょう。そう思い言いかけた。

「まさか、演習をなさったことがないのですか?」

赤城は確認するように聞いた。

「うん、一回も。あー、でも的を撃つ練習はあったね。」

「んで、途中で「近海で敵が出た!」って言われてそのまま出撃したことあるよね。」

「あったあった。しかも初めての出撃だった。」

北上と最上が嫌な記憶の話で盛り上がった。しかも、その敵の報告をしてきた研究員は「やっとデータが取れるぞ!」と有頂天だったことも思い出し、多少の怒りがこみ上げた。

「懐かしいですね。私も天候の所為で発艦できずにいたことをとても怒られました。」

「あれは流石に理不尽でしたよね。あんな嵐の中出撃をさせておいて。」

鳳翔も参加してさらに盛り上がった。赤城たちが呆気にとられているのに気づき、鳳翔は声をかけた。

「すいません、勝手に盛り上がってしまって。」

「いえ、事情を知らずに不用意な発言をしてしまい、申し訳ありませんでした。」

「こちらこそ知識不足でご迷惑をおかけしました。」

赤城たちは目の前で展開された話をにわかには信じられなかったが、想像もできない過酷な環境があるのだと知った。そこへ吹雪が遅れて入ってきた。表情はいくらか回復して落ち着きを取り戻したが、まだ頭の中で言葉が残響していた。そこへ加賀が吹雪に声をかけた。悲惨な表情を浮かべた吹雪を思い出しつつ。

「一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

吹雪はいくらか物腰が柔らかくなった加賀に視線を合わせた。吹雪は静かに加賀を見つめ返した。返答を待たず、加賀は続けた。

「みなさんは何を思って戦っているのですか?何を支えに強くなったのですか?」

加賀の本心だった。彼女は艦娘に選ばれ承諾した時、自身が担当する艦艇について調べた。旧日本海軍の誇りとして大戦の初期を率いたという加賀の名に恥じぬよう努めた。それを支えとして今日までやってきた。目の前にいる強者は一体どのようなことを考えているのか興味があった。その考え方が自分とは違うのなら、その違いに強さの理由があるのかもしれない。それを知れば、もっと強くなれるかもしれないと。そう聞かれ、吹雪はあまり深く考えず正直に返答した。

「褒めてもらえるからです。」

その回答に加賀は目を見開いた。始め何を言われているのかさっぱりわからなかった。もっと崇高な回答を得られると期待していただけに加賀の落胆と怒りは大きかった。

「他のみなさんもそうなのですか?」

「そうだよ。」

「まぁそうだね。」

「はい。」

加賀が向き直りながら聞くとそれぞれが同意を示した。それに対して加賀は感情に任せて声を絞り出した。

「なぜですか。私は、加賀であることを誇りにして戦ってきました。恥じぬよう生きて戦おうと、そう思って生きてきました。なのに、なのになぜ!?そのような子供じみた相手に負けなければならないのですか!?それは本気で言っているんですか?侮辱しているのですか!?」

加賀を負かした相手はただ褒められたかっただけ。そんなことは信じられなかった。数秒の沈黙後、鳳翔が加賀に前に出た。

「加賀さん、良かったらこの後少しお話しませんか?」

「…お願いします。」

加賀は感情に任せて吐露したことを後悔していたが、吹雪たちにそれを咎める気は一切なさそうだった。この場はそれで解散となり、それぞれが指揮官の執務室へ戻った。

 

 

 

基地の艦娘たちは演習の話題で持ちきりになった。ただ、「空母機動部隊を破るなんて只者ではないのでは?」とか「遊撃部隊に人たちってすごいんだね」とかそういう類のものではなく、ほとんどの艦娘の話題は「あの吹雪は一体何なのか?」であった。演習の全ての映像が流れていた食堂では、吹雪が攻撃を交わし続けている映像を見て興奮したり、赤城と加賀の攻撃の苛烈さを見てもっとやれと煽ったり、と視聴者がそれぞれの言葉を口にして楽しんでいたが、波状攻撃を跳躍で回避した映像が流れた時、一斉に静まり返った。称賛や興奮による驚愕などは一切起きることなく、いきなり不気味な心霊写真を見せられたかのようであった。そこから終了までその空気は変わらず、誰が言ったのかも分からない「さすがの機動部隊も妖怪には勝てないか」という呟きだけが、その場に妙に残った。特段そういうルールはないのだが、跳躍で回避したことについてルール違反だと感じた人々もいたようだが、吹雪への畏怖のあまり口に出すものは皆無だった。

吹雪はそのような視線に気づくことはなく執務室に戻った。他の三人はそれに気づいていたが、吹雪が跳躍したり船離れした動きをするのは当たり前のことであったので、吹雪の異常さに改めて気付かされつつも特に何も言うことはなかった。むしろ自分たちの隊長が話題をさらっていることに少し誇らしい気分であった。

執務室には海渡がいた。定位置となった椅子に座り、書類を入念に眺めていた。入ってきた吹雪たちを見て立ち上がり、

「お疲れ。よく頑張ったな。初めての演習はどうだった?」

優しく声をかけ、四人をソファに座らせた。吹雪たちは加賀の動揺する様子を頭に浮かべつつ、海渡に労われる、そのために頑張れるのだと改めて思った。

「思ったより楽しかったよ。死なないってわかってるのは気軽にできていいね。」

最上の言葉に一同が同意した。

「またやってみたいね。」

「機会があればな。しばらくはなさそうだが。」

北上の言葉に海渡はため息交じりに返した。

「何かあったのですか?」

「国防大臣からお叱りが来たよ。要するにやりすぎだってな。特に吹雪が跳んだのがまずかったらしい。」

吹雪たちは少し驚いた様子を見せた。その様子を見て海渡は微笑し、

「気にすることはない。向こうの自業自得だ。お前たちのことを知ってるくせにな。」

と大臣に対する不満を散らすように言った。まさか大臣が直接連絡をよこすとは思っていなかったが、橘大将を経由しないことを考えるにそこは一枚岩ではないことがわかったことは意外な収穫であった。吹雪たちの苦笑が終わった頃に鳳翔が一人足りないことに気づいて海渡に質問をした。

「そういえば大淀さんはどちらに?」

「知らん。どっか行ったぞ。」

「行き先をご存じないのですか?」

「ああ。こっちに知らせる必要もないって感じだったな。まぁ所属がここなのも表向きってだけなんだろうな。」

海軍施設内で動き回りやすいように用意した籍なのだろうと海渡は思う。今まで海軍に正式な籍がなかったことを鑑みるに、自分たちは相当警戒されているようだ。鳳翔は特に強い興味があって聞いたわけではなかったので「そうなんですね」と言ってその会話を打ち切った。その後四人が雑談に入ったのを見て、資料に再度視線を戻した。それは演習中の吹雪たちの様々な記録だった。海渡はその記録の中で、演習の中盤から終盤にかけて吹雪の艤装との同調率が急上昇し不安定に振れていることが気になっていた。また心拍も急上昇しており、精神に何かしらの問題が発生していることは明白であったが、それが具体的にどのようなものなのかは海渡にはわからなかった。ただ、演習中にリアルタイムに表示されている情報を見ていた大淀が血相を変えて出ていったことを考えると、少なくとも研究所側には重要なことなのだと推察した。それ故、この記録から何か読み取り吹雪を守るための策を考えなければならなかった。一つだけ気になっていたのは、同調率の振れが度々百を超えていることであった。記憶を探ってみるが、百を超えたことはなかったはずだった。海渡は無自覚に吹雪を一瞥した。部屋に戻ってきた時から吹雪の表情が少し暗かったことが気になっており、何か読み取れるかもと本能的に思ったのかもしれない。

「…」

海渡はふと視線を上げると、吹雪と目が合った。しばしの間視線を交差させていた。別に意味が合ったわけではなかったが、無意識的にそうしていた。海渡は我に返りばつが悪そうに視線を戻した。この時海渡は気づいていなかったが、吹雪は度々彼を見ていたのだ。他に人がいるため我慢していたが、今すぐ話を聞いて欲しかった。だが、他の三人の前――特に最上の前――では出せる話題ではなかった。もちろん北上たちは吹雪が白雪と青葉を介錯したことを知っているが、それを話した時の三人の謝罪の勢いは凄まじかった。望んだことではなかったが、覚悟はあった。白雪を撃ち、青葉に主砲を向けた時「これは一生自分が背負うべき業なのだ」と自然と考えて発砲した。

未だに正式な任務がない彼らは、適当に時間を潰し夕暮れ時に解散した。解散の少し前に海渡が所用で部屋から出ていたので、先に自室に戻ることにした。その際吹雪が一人残るというので、北上が少しからかった。

「なに?逢引?」

「違います!」

吹雪は頬を紅潮させて否定した。一通りの笑いを誘った後、北上と鳳翔が部屋を出た。最上もそれに続いて出ようとしたが、ある考えが頭をよぎって立ち止まり、吹雪に向き直った。

「あのさ、昼間、魚雷撃たなかったことと関係ある?」

最上の質問に心臓が浮き上がった。長年一緒にいる人たちには隠し事はできないな、と吹雪は思った。お互いのことがわかりすぎるあまり、特に戦闘における行動の予測は容易だった。どう話してよいか混乱し、少しの間口の開閉を繰り返したあと、どうにか言葉にした。

「赤城さんに、武器を向けたとき、その、白雪ちゃんと青葉さんが――」

その言葉に場が凍りついた。最上はそこで初めて気づいたのだ。艦娘に武器を向けたのは初めてであったと。

「声が聞こえるんです。それがずっと頭から離れなくて、それで…」

「吹雪、もういいよ。大丈夫。無理しないで。僕のせいで本当にごめん。」

「謝らないでください。だれも悪くないです。」

最上は思い出していた。異形と化して自分に襲いかかってくる青葉を、そしてそれに対して無力だった自分を。吹雪に、なんてものを背負わせてしまったのだろう。

「僕に何かできることある?」

「すいません、海渡さんと二人きりにさせてください。」

「うん、わかったよ。」

最上は挨拶をして部屋を出た。静まり返った部屋で吹雪は涙が溢れた。吹雪一人に背負わせ続けてしまったことを、最上は悔やんだ。その後無理矢理に感情を押し付け、北上と鳳翔に合流した。

 

 

 

演習会場から離れた大淀は吹雪の情報を持って研究所へ急いでいた。吹雪の同調率が百十パーセントを記録した時、大泉に連絡すると彼は大喜びして大淀を呼びつけた。大淀は彼の役に立てたことを内心喜びつつ資料を持って彼の私室へ向かった。研究所は海軍施設から道路を跨いだ先にあり、彼の私室は受付などがある中央事業本部棟の五階にあった。急いでいたために艦娘の制服のままだったため周囲の目をひいたが、大淀が大泉のお気に入りであるために「また何か良からぬことを所長は考えているのだろうな」と思うだけで関わろうとしなかった。

私室の前に到着し、息と身だしなみを整えて扉をノックした。許可の返事が聞こえて扉を開けて入った。相変わらずタバコ臭い部屋は意外と片付けられていたが、いつもと異なるのは資料がテーブルに散乱していることであった。

「おお、来たか!早く見せてくれ!」

大淀は資料を渡しながらソファに座った。彼は彼女の対面に座ってそれを食い入るように見た。いつもは隣に座る彼が対面に座ったことは大淀を少し不安にさせた。

「隠蔽のために資料を廃棄させたのは早まったか。いやでも仕方あるまい。生かしたのは本当に正解だった!」

彼が大興奮している理由は大淀にはわからなかったが、彼の役に立てたことに少しだけ喜びを感じていた。だが次の言葉はその感情を完全に砕いた。

「今すぐ吹雪を検査したいな。何が違うんだ?同じ世代でも他三人はなぜ限界を超えないんだ?やはり人造と天然は違うのか?どうにか吹雪を私のものにできないか。あの男さえいなければ…。」

谷に突き落とされたような気分になった。もう私は必要ないのだろうか。

「よし!いいか大淀!あの邪魔な志ノ方をどうにか吹雪と引き離せ。どんな手段を使ってもいい。それに必要なものは全部用意させる。わかったな?」

「は、はい。」

大泉は矢継ぎ早に言いたいことだけを言って終えた。これもいつも通りだった。

「それで、この後は?」

「もう帰っていいぞ。お前に用はない。」

「何かお聞きになりたいことは――。」

「ない。資料を読めばわかる。」

「…わかりました。」

いつもと違う反応に苦しくなりつつ、言うとおりに部屋を出た。まだ、まだ大丈夫。彼は私に指示をくれる。それに従えばまたいつも通りになる。いつもの慰めがなかったことに強い不安を覚え、同施設内に用意されいる自室に行き自罰行為でどうにか自分を落ち着かせた。その後海渡と吹雪を離す方法を考えてから外に出ると完全に日は沈んでいた。一応の体裁を保つため、海渡の執務室へ向かった。

 

 

 

海渡は執務室を出て工廠にいた。吹雪の艤装を確認するためであった。入って誰にも声をかけることなく吹雪の艤装が置かれている部屋へ直行した。正しく整備されていることにわずかに安堵し、主砲、機関、魚雷発射管とそれぞれ見て、最後に腰に接続するコネクタを見た。特に不審な点はなく、予想が外れたことに安堵した。ただふと、このコネクタの部分も整備できているのだろうか、と思った。第二世代には存在しない代物であり、整備資料が残っているとも思えなかった。もっとも、海渡は全てを知っているわけではないため、それ以上は追及しなかった。

執務室に戻ると、吹雪が一人でソファに座って待っていた。

「遅くなってすまない。」

昼間視線があったときに吹雪の感情は察せていたので彼女が残っているのはわかっていた。だからこそなるべく早く戻ってくるようにしたが、予想より遅くなってしまった。窓から沈みかけている夕日が入り、執務室は橙色に染まっていた。吹雪の悲哀に満ちた表情は、逆光のせいか、いっそう痛ましく見えた。

吹雪は無言で立ち上がり走るように海渡の胸に飛び込んだ。海渡は吹雪に強く抱きしめられ嗚咽が部屋に響いた。海渡も吹雪を抱きしめて何度も優しく撫でた。そこでようやく海渡は気付いた。吹雪にとって、艦娘へ武器を向けたのはあの事件以来初めてだったのだ。その時、そこまで気が回らなかったことを反省した。そして、そこから吹雪が不安定になった理由も見当がついた。

「ごめんなさい。ごめんなさい。」

「大丈夫。大丈夫だ。」

吹雪は心から溢れる言葉を飾ることなく出し続けた。海渡はただただそれを受け止め宥め続けた。落ち着いたのは日が傾き暗闇が世界を支配した頃であった。海渡と吹雪は共にソファに座った。

「ありがとうございます。」

「気にするな。白雪と青葉のことを思い出したのか?」

「はい。ただ、思い出したというより二人が海から出てきて、私に声をかけて来たんです。なぜまた仲間を殺すのか、って。演習が終わるまでずっと私についてきて。模擬弾だってわかってるのに、引き金を引いたら殺してしまうんじゃないかって怖くなりました。武器を向けた時、二人の表情を思い出してしまって苦しくなってしまって。」

吹雪はひとしきり泣いたおかげでだいぶ落ち着きを取り戻すことが出来た。このようなことは何度目かわからない。ただ、今までの中で一番怖くて辛かったことだけははっきりしていた。

「しばらく休暇にしようか?」

「いえ、みんなに迷惑がかかるので止めておきます。それに…」

吹雪は自然と口に出そうとしたが、その先の言葉に恥ずかしくなって止めたがその判断はわずかに遅かった。

「それに?」

海渡はごく自然に聞いたが、これが吹雪を追い詰めたことに気づかなかった。吹雪は諦めたように覚悟して言い切った。

「海渡さんが、あなたがいてくれるから大丈夫です。」

「心配するな。ずっと一緒だ。そう約束しただろ。」

「はい。」

それは五年前、吹雪が何度目かの出撃から帰還した時に交わした約束であった。子供を持ったことがない海渡にはあまりその自信がなかったが、彼女らの世話人兼指揮官になったからには責任を果たすべきと決意した。妻を亡くして以来、心に空白を抱えていた彼にとって、新しい小さな目標を見つけたのであった。

「そろそろ遅くなるし帰ろうか。」

「あの、もう少しだけ一緒に。」

「…」

海渡は何も言わず、もう一度ソファへ腰を下ろした。同時に吹雪が海渡の左腕につかまった。それからさらに数分後、海渡の言葉で官舎に帰るために執務室を出た。海渡は吹雪に初めて「あなた」と言われたことにこそばゆさを感じたが、それを態度や表情には出さなかった。

 

 

 

大淀が執務室前まで戻ってきた時、執務室に鍵をかける海渡と吹雪がいた。

「遅かったな。もう帰るところだぞ。」

海渡は素っ気なく言った。大淀がどのような理由で抜け出したのか大体想像ができていたため好意的な反応などできようはずもなかった。大淀もその態度は当然だと思っていた。どうせ自分は彼らとは違う陣営の人間なのだから。

「用事が済んだので一応顔を出しておこうと思っただけですので。」

「…用事、ね。」

海渡は腕を組んで悩み始めた。何かを言い淀んでいるようであった。

「何でしょうか?」

「…老婆心で言うんだが、シャツのボタン、かけ間違えているぞ。出てくる前に身だしなみはちゃんと確認したほうがいい。」

大淀は心臓が跳ねる音を聞いた。慌てて確認すると綺麗に一個ずつずれていた。大淀は顔を真っ赤にして背を向けた。海渡はあまり深い意味を持って指摘したわけではなかったため、大淀の過剰な反応を見て海渡の方もわずかに恥ずかしくなった。無論表情には出さなかったが。海渡は横目で吹雪を見た。気付いていないようで、内心ほっとする。

「おれたちはもう帰る。お前ももう今日は帰っていいぞ。」

海渡は咳払いをして大淀に言った。大淀は特に反応しなかった。海渡と吹雪が大淀の隣を通り過ぎた時、二人の仲の良さが視界に入り大泉からの命令が頭の中を走り回った。

「引き離せ。何をしてでも。」

このままでは私は所長に見捨てられてしまう。じっくりやればいい、先程までそう考えていたはずだが、急に焦りを感じ大淀は咄嗟に海渡の袖を掴んだ。

「なんですか?」

それに対して声を出したのは吹雪だった。温厚で優しい印象からは遠い、敵意を剥き出しにした吹雪に睨まれ大淀は手を離した。

「すいません、何でもないです。」

「大泉に何を言われたのか知らないが、真に受けないほうがいいぞ。」

大淀の不安定ぶりに海渡はため息をついて思わずお節介の一言を放った。海渡は言ってから、小さくため息をついた。また余計なことを口にしてしまった。海渡の言葉を聞き吹雪は少しだけ不快になったが、大淀の様子を見て言いたくなる気持ちも理解できた。

「上司の命令を聞くなと言うのですか?」

大淀の不機嫌な声で返されたのは海渡には予想外だった。

「あんなのが上司なのか。心中お察しするよ。」

海渡は皮肉を込めた。

「あんなのって、そんな言い方失礼ですよ!」

「外道に対して失する礼があるのか。知らなかったな。」

「外道って、あなた――!」

「外道だろうが。あいつがやっていることが人道的だと思ってるのか?」

「多少は人には言えないことが合ったとしても、あの人のおかげでみなさんは助かっているじゃありませんか。艦娘が出来て、深海棲艦を退けられるようになりました。」

「三百人を無意味に死地に送ってもか?」

「…何の話ですか?」

大淀の困惑を露わにした反応が本心からのものであることを理解できたが、海渡はそれに対して説明する義務は持ち合わせていなかったため無視した。

「幻想をいただくのも大概にしておけよ。あのクズに賛同する理由は地球のどこを探しても見当たらないんだからな。」

海渡は五年前の様々な出来事により大泉の性格や為人を把握していた。大泉は研究者でありながら政治的野心を抱いていた。部下を押さえつけ、必要なら収賄も横領も躊躇しない。常人なら不道徳だと躊躇することを、あいつは『能力があるからできる』と本気で信じている。海渡にとって、大泉というのはそういう人間だった。

大淀は何を言われているのか理解できていない様子だったが、海渡にはどうでも良かった。一つだけわかったことは、大淀が仕事以外の理由で大泉を慕っていることであった。ただ、海渡は大淀がいつか破滅するだろうなと予言めいた感想をもった。

大淀が何か返答を考えているようだったが、海渡にはそれを待つ義理はなかったため、吹雪を連れてその場を離れた。しかし、こんなのを監視役に送ってくるとは、大泉は所長になっても人徳がないらしいな。海渡は内心苦笑した。

 

 

 

鳳翔は部屋に戻った後支度を済ませて部屋を出た。五月もまだ夜は肌寒い。時折吹く風に少し身を縮こませながら隣の官舎まで歩いた。演習後に教えられた加賀の部屋番号を入力してインターホンを押し、入室の許可をもらって中に入った。建物は鳳翔のところより少しだけ古さを感じるがそれでも基地内では新しい部類に入り清掃が行き届いていた。階段を上がり加賀の部屋のインターホンを押す。手を温めつつ待っていると扉がゆっくりと開いた。

「どうぞ。」

「ありがとうございます。お邪魔します。」

出てきた加賀は少し恥ずかしそうでいつもより声が小さかった。鳳翔は笑顔で答えて中に入った。部屋の中は加賀の印象と同じように綺麗に整えられており、棚の上におかれた動物のぬいぐるみが少し意外だったが、整然と置かれている様子はやはり加賀らしさを感じさせた。部屋の隅に置かれた本棚には料理などの日常系雑誌に加えて旧海軍に関する本が入っていて、これもらしいなと思いながら加賀にすすめられた椅子に座った。鳳翔の人生経験上、本人の印象と部屋の風景は概ね似ているものであったが、これほど印象に合致する人も珍しかった。

「すいませんね急に。」

「いえ、あまりおもてなしできませんが。」

加賀から温かいお茶を受け取った。加賀自身も自分用のお茶を持って来て鳳翔の前の席に座った。鳳翔はお茶を一口飲んで一息ついた。冷えた体にお茶が染みた。鳳翔に比較して加賀は少し緊張していた。あまり部屋に人を上げたことがない上にまだ知り合って一週間も経っておらず、傍目に見た様子は家庭訪問を受けた女学生かのようであった。

「加賀さんは、最近誰かに褒めてもらったことはありますか?」

「最近、ですか?」

鳳翔の質問は冗談めいたようなもの感じた加賀であったが、素直に記憶を遡った。「演習が終わったあとに」と言いかけて、薫に言われたのは労いの言葉だったような。褒められると労われるは何が違うんだろう。そこで考え込んだ。鳳翔は深い意味で聞いたわけではなかったのだが、加賀が予想より真剣に考え込んでしまいそれを微笑ましく思った。

「何かおかしいですか?」

「いえ、真面目に考え込まれてしまったのでつい。」

「すいません。」

「何も悪いことはないですよ。」

凛とした顔立ちにも、悩む様子には年相応の幼さが覗いていた。

「少し古い話をしますね。」

鳳翔は緩んだ表情を少しだけ引き締めた。加賀もそれを見て表情を締めた。

「私は艦娘になる前、結婚して家庭に入っていました。子供はいませんでした。主人の実家は古風な家柄の地方の地主でした。私はお見合いで結婚したのですが、両親は玉の輿だと喜んでいました。私が嫁ぐことよりも家柄の安泰の方が吉報だったのです。」

加賀は独身で結婚願望も人並みにあったが、鳳翔の話はその気分を強く削いだ。時代が違うとは言え、これから話される内容が明るい話にはなりそうになかったことが加賀の胸を一段階締め上げた。

「私は良き妻として主人と両親から求められ、私はそれに応えようとしました。掃除、洗濯、料理、近隣とのお付き合い、主人の仕事の付き合いへの挨拶、色々ありましたが、それも妻として当然と考え、日々を過ごしていました。」

そうして努力を重ねていくうち、風邪で寝込んだことがあった。家事を休むわけにはいかないと奮い立たせたが、四十度を超える熱は肉体にそれを許さなかった。そして、夫へ釈明して丸一日休みをもらったのである。回復したことを夫に告げて休みをもらったことに対してお礼を言うと、それに対する夫の返答が鳳翔の心に小さなヒビを作った。

「自己の体調管理がなっていないとは妻として未熟だ。以後気をつけるように。」

加賀は絶望を表情に作った。最初は艦娘として何か助言が隠れているのではと注意深く聞いていた加賀であったが、いつの間にか壮絶な鳳翔の過去に聞き入っていた。

「私は、主人を愛していました。いえ、愛しているつもりだったのかもしれません。ただその時はより精進しなければと真剣に考えました。今となっては少し愚かしいですね。」

実際鳳翔は盲目的に努力した結果、周囲の知り合いよりも優秀な家庭人になっていたが、それが返って周りの知り合いたちからの評価を偶像的なものにした。何か困ったら名家の妻に頼れば良い、なぜなら何でもしてくれるし何でもできるから。そうして、徐々に鳳翔の負担を増やし続けた。

「人は自身を客観視することが難しい生き物です。私は主人やそのご家族に求められている水準に達しているのかどうかわかりませんでした。誰も教えてなどくれません。だから、もっと努力すべきだと自分に言い聞かせていました。主人から一切の感謝や労いがないのは努力が足りていないのだと。」

そうして過ごす内に二年が過ぎた頃、必要なものがあって鳳翔は街へ買い物に行った。しばらくぶりの市街地であったが、当時の鳳翔には観光や行楽を楽しむ余裕は微塵もなかった。帰ってからの家事のことしか頭になく、最短経路で帰る気でいた。無駄な交通費を使うことは許されなかった。これは主人が稼いだ金なのだ。そうしてバス停の時刻表を見たときだった。

「時刻表越しに、主人が反対側を歩いていたのが目に入ったのです。主人の職場は隣町でしたから、そこにいるのは少し不自然でしたが、仕事のお付き合いでこちらに来ているのだろうなと思いました。隣に若い女性を見るまでは。」

鳳翔はそこから家へどのように帰ったかあまり覚えていなかった。ただ、仲睦まじそうに歩く夫と見知らぬ若い女性のことが頭を埋め尽くした。そしてその日の夜、家に帰った夫に対して意を決してそのことを聞いた。直接的にではなく、間接的に。「お昼はどこにいらっしゃったのですか?」と。その日は雨が降っていた。

「それに対する主人の反応はあまりにも酷いものでした。恐ろしい剣幕で私を攻め立てました。そこから押し問答になり、私はついに聞いてしまったのです。”あの女性は誰なのか”と」

それを聞いた時、外の雨が一段を強くなったように感じた。彼女の夫は質問への回答はしなかった。ただ、

「お前は家のことを放り出して街で遊んでいたのか恥知らず目が!もう出ていけ役立たずが!」と。

心に入っていたヒビが徐々に大きくなるのを感じつつもどうにかこらえていたものが、最後の一片まで砕け散った気がした。鳳翔は家を飛び出した。宛があるわけでもなかった。自分の実家も夫の味方をするだろうと思っていたからだ。そして、さらに悲劇が起きた。

「雨のおかげか少し冷静になりまして、戻って謝ろう、それが妻というものだと自分に言い聞かせて帰ろうとした時、私は過労で倒れました。」

そして次に目を覚ましたのは病院のベッドの上であった。ゆっくりと起きて医者から状況を説明された。その連絡を受けた鳳翔の両親がやってきて、目を覚ましたことを喜びつつ放った言葉は「動けるようになったらみんなで謝りに行こう」であった。

「私には両親が喜んでいるのは娘が無事だったからではなく、謝罪に行けるようになったからだとわかりました。それでも、期待していたことがありました。主人が来て心配してくれるのではないかと、結局それは叶いませんでした。主人は来ませんでした。」

鳳翔はその日の夜、誰にも行き先を告げることなく病院を抜け出した。雨は上がっていて、その痕跡は夫に対する未練と同じく完全に乾ききっていた。

「私はその時思いました。一体何のために家庭人として努力し続けたのだろうかと。認められたいと思うことがそんなにいけないことなのか、と。」

そこで鳳翔は湯呑をゆっくりと持ち上げてお茶を飲んだ。加賀もそれに倣った。

「すいません、長くなってしまって。」

「いえ…。」

「ちょっと脱線してしまいましたね。私が言いたいのは、目標を立てて自身を律するのは立派な行為です。ですが、それに縛られてしまうのはいつか破滅する時が来ます。そうならないでほしいのです。」

鳳翔は準備室で見せた加賀の表情が、昔の自分と重なって見えた。だから、お節介だと思われたとしても人生の先輩として伝えるべきだと思ったのだ。

「よく行動を起こす動機は自らが持つべきだと言う人がいます。与えられる報酬による受動的な理由ではなく、自らの意思決定によって精進すべきだと。ですが、そのように振る舞える人はごく少数でしょう。もしそれが社会的に当たり前で多くの人が達成できるのであれば、給料や報酬などは不要になっているはずです。ですが現実はそうではありません。だから、報酬を求めることは恥ずべきことではないはずです。」

一息ついて、鳳翔は続ける。

「加賀さん、どうか報酬を求めることを否定しないでください。人は社会から認められることに喜びを感じる生き物ですから。どんな年齢でも。」

「…鳳翔さんのそれが志ノ方提督に褒められること、なのですか?」

「ええ、そうですね。いい歳して言うとちょっと恥ずかしいですね。」

鳳翔は頬を少し赤くして苦笑した。

「鳳翔さんは、素晴らしい人です。そのような考えを持てるなんて。私にはとても考えつきませんでした。」

「ありがとうございます。でも、これは海渡さん、志ノ方提督の受け売りなんですけどね。私も言われた時、加賀さんと同じ気持ちでした。そのおかげで救われました。」

妻を失っただけで、この考え方に至るものだろうか。加賀の中で、海渡という人物への疑問はさらに大きくなった

「加賀さんも、何か見つけてみてください。あ、でも、なるべくなら他人からの報酬の方がいいですよ。その方が”認めてもらえた”と思えますから。」

「はい。ありがとうございます。努力…、いえ、頑張ってみます。」

「はい、頑張ってください。」

お互いに笑みをこぼした。加賀は小さくため息をついた。

「私は加賀という船が大変素晴らしい戦果を誇った軍艦だと知った時、とても怖かったのです。そのような船に選ばれたからには名前負けしないよう努力しなければと思いました。そして勝ち続けてきたのはそれが出来ているからと思っていたのです。今日みなさんに負けた時、私に足りない何かがあるのかと思い尋ねたのです。まさかその回答があんなにも質素なものだとは予想していませんでした。私は、それを認められませんでした。私が思う以上に素晴らしい矜持があってほしいと勝手に期待していました。本当に失礼致しました。」

加賀は立ち上がって深々を頭を下げた。

「いえいえ、いいんですよ。私もそうでしたから。吹雪さんたちと過ごし始めた時は何度も揉めました。海渡さんが来るまで、本当に険悪でした。」

鳳翔は艦娘になってから吹雪や金剛たちと何度も揉めたことを思い出した。お互い事情を抱えているとは言え主義主張を負けずにぶつけ合っていた。海渡が来なかったからどうなっていたことか。情緒不安定を理由にさらに劣悪な対応をされたかもしれない。

「あの、志ノ方提督とはどのような方なのか、お聞きしても良いでしょうか。みなさんとても信頼されているようですが。」

「ええ、いいですよ。あの人は律儀で、情に厚くて、真っ直ぐな人です。熱血とは違いますけど、責任感のとても強いお方です。自分の役割というものを読み、可能なかぎり最善の選択を考え続ける。これは誇張かもしれませんが、あの人の判断が間違いだったことはありません。もちろん大正解だけだったわけではありませんが、その中でも最善手を選んでいると、少なくとも私は信じています。」

鳳翔は優しく笑って話を続けた。加賀の人生において共に過ごす男性というものは頼る相手というより共に目標を達成する仲間という意識があったため、鳳翔が少し恥ずかしそうに話す内容は加賀の感性とは異なっていたが、そういう関係もあるんだろうなと受け止めた。鳳翔の話す内容から察するに海渡は彼女たちにとって灯台のようなもののように聞こえた。いつでも明確で頼りになる。鳳翔本人は口にしなかったが、その話しぶりを聞いているうちに、加賀には一つだけ思い当たることがあった。鳳翔は海渡を、一人の男性として慕っているのではないだろうか。

その後二人は思いの外話し込んでしまい、次の日に眠気を残した。特に加賀の雰囲気が普段より緩く感じられたらしく、基地内でちょっとした話題になった。

 

 

 

明くる日、吹雪は少し遅めに執務室へ向かった。任務がない都合特に時間が決まっているわけではなかったため、極端なことを言ってしまえば自由出勤だったが、一人で部屋にいてもすることはなく、寂しいだけだった。だから執務室へ行かないという選択肢はなかった。

扉をノックして執務室へ入ると、挨拶するより前に川内と明石に詰められた。驚きのあまりたじろいで一歩下がると、間髪入れずに目を輝かせた川内が口を開いた。

「昨日の海面で跳んだやつ、どうやったんですか?教えて!」

明石にも同じことを聞かれた。吹雪は特に何か意識したわけではなく、ただ無意識に跳んだだけであり川内たちが求めるような回答は持っていなかった。何か障害物を避ける時「よし跳ぶぞ!」と改めて意気込む人がいないのと同じである。吹雪は悩みつつも、

「どうって、普通にジャンプしただけです。」

と、素直に答えた。川内と明石は目に見えて残念そうであったが、吹雪には責任はないことであった。

「川内、大尉が困っているじゃないか。やめなさい。」

「はーい。」

川内の後ろから男性の声が聞こえた。海渡とは違う少し低い声で、吹雪の記憶にはない声だった。川内と明石が離れると巨人が座っているのが目に入った。川内はその巨人の隣、明石は対面に座った。その巨人が立ち上がり、頭四つ分はあろうかという高さから吹雪に向かって挨拶した。

「小官は川島明雄少佐であります。川内たち水雷戦隊の指揮官を拝命しています。大尉殿、よろしくお願いします。」

「えっと、艦娘の吹雪です。よろしくお願いします。」

明雄は握手を求めた。吹雪は気圧されながらそれに応じた。大人が子どもの手を包んでいるように見えるような握手を終えると、吹雪は椅子に座る海渡のそばに駆け寄った。

「提督、また怖がらせてるよ。」

「意図したわけじゃない。」

川内のからかいに明雄が悩ましく応対した。

「吹雪、彼はおれの後輩なんだ。体はでかいが気の良いやつだから、安心してくれ。」

「はい。」

そう言われてもその巨体には圧力を感じていた吹雪はしばらく海渡のそばを離れなかった。

「吹雪大尉、小官らはそろそろ御暇しますゆえ、ご安心ください。」

「いえ…、ご用は済んだんですか?」

「はい。ただの茶飲み話に参っただけですので。まさか亡くなられたと言われていた先輩が生きていらっしゃったとは。小官感慨の至りでした。」

「あ、それは、邪魔してすいませんでした。」

「気になさらないでください。むしろ、感謝しております。吹雪大尉のおかげで、こうして再会することができました。これからも先輩をよろしくお願い致します。」

「はい。喜んで。」

海渡はばつが悪そうに身動ぎした。

「え?もう帰るの?吹雪さんにもっと話を聞きたいんだけど。」

「そろそろ任務時間だろう。戻って準備するぞ。」

「はーい。」

希望が叶えられず少し不満を漏らしながら川内は同意した。

「じゃあ私も戻りますね。」

明石が川内と同じタイミングで立ち上がって海渡に言った。

「おう。」

海渡は短く返しつつ明石の好奇心旺盛さには感嘆せざるを得なかった。明雄の話ではここに来る途中にすれ違い、挨拶がてら雑談した際に遊撃部隊の執務室に行くことを告げたらついてきたというのだ。昨日の吹雪の跳躍について話を聞きたい、と。その目標が達成されたのかは不明だったが、三人は執務室を出ていった。

「なんか、すごかったですね。」

「全くだ。」

吹雪は自分用の紅茶を作ってソファに座った。普段は飲まないものだったが、執務机に置かれているのを見て何となく真似した。ふと執務机の上に十枚ほどの紙束があることに気づいた。

「なんですかそれ?」

「報告書だ。おれたちが見つかった時のな。」

「何か気になることありました?」

吹雪の質問に海渡は頷いて数枚めくってから吹雪に見せた。そこには当日の海域の敵の情報が載っていた。吹雪は読みすすめていく内にある点に気づいた。

「数が合っていないような。…私たちが沈めた分がないのですか?」

「そうだ。」

「やっぱり隠蔽ですか?」

「そう思うような気もするが、そうでないような気もする。」

「どういうことですか?」

海渡は紅茶を一口飲んだ。吹雪もそれを見て真似した。思いの外苦みを感じ、砂糖を入れなかったことを後悔した。

「鳳翔が最後に敵が一体離れていったって言ってたの覚えてるか?」

「はい。」

「そいつの情報がないんだ。おれたちに近い位置にいたから消したのか、それとも本当に薫たちには見えていなかったのか。レーダーはおれたちを捉えていたらしいから、そいつも入っているはずだ。それなのにいない。」

「…金剛さんたちを沈めたやつが近くにいた可能性はありますか?」

吹雪は記憶の底から当時の話を拾い上げた。北上と鳳翔が言っていた、真っ白な女性の深海棲艦。その深海棲艦によってレーダーに異常が起きたと海渡は推測していた。

「大いにあるな。そうなんだとしたら、あまりにも本土に近すぎる。」

「どうしましょう?」

「今は何もできないな。話したとして決定権を持つやつを説得するのは無理だ。とは言え、気をつけておこう。近海は輸送の護衛で艦娘があちこちで動いているからな。」

「はい。そういえば、北上さんたちはどちらに?」

「北上と最上は射撃場に行ったぞ。鳳翔は弓道場だったかな。…大淀は一度入ってきたが出ていってそれっきりだ。」

「そうなんですね。」

自分が一番遅かったことに少し恥ずかしい気持ちになりつつ、海渡と二人の時間ができたことは吹雪にとって思いがけない幸運で、幸せが彼女の心に注がれた。一方の海渡は、吹雪のそれが表情に明確に表れているのを見て、呆れつつ少しの間の顔を眺めていた。そんな吹雪の様子を見ていると、それだけで十分だった。

 

 

 

基地内の弓道場は軍人が武道を学び心身を鍛える施設として建てられたが、ここ数年は主に空母の艦娘の練習場も兼ねていた。急激な利用者増加に合わせるため、多少不格好ながら拡張が行われた上に、増えた利用者のほとんどが若い女性であったため弓道場は急激に華やかさを増したが、その分男たちの居心地が悪くなった。一部の色男にはそうでもなかったようで、明らかに女性を目的とした男も出たが、全員上官から非常に熱心な指導を受けることになった。

赤城が弓道場に到着すると加賀が先に着いていたが、珍しく自動販売機でコーヒーを買っているものだから心配になった。

「加賀さん、どうされたのですか?」

「私としたことが少し夜ふかしをしてしまい、眠気覚ましにと。」

そうなんですか、と応じつつ、加賀を夜ふかしさせるとはよほどのことがあったのではないかと赤城は考えたが、昨日の準備室の光景を思い出して無意識に聞いた。

「あ、もしかして鳳翔さんとの話に夢中になった、とか?」

「ご推察の通りです。」

加賀は恥ずかしくなりながら、半ば強引にコーヒーを流し込んだ。空になった缶を見つめながら「相変わらず美味しくない。どうしてみなさんはこのようなものを好んで飲むのか。」と小さく独語した。

「鳳翔さんの部屋に行ったんですか?」

「いえ、私の部屋で。こちらから伺うとは言ったのですが、どうしても、と。」

「あらあらそれは…。」

赤城は驚きを隠せなかった。仕事一筋であまり人を部屋に入れない同僚にこうもあっさりと入室させるとは。赤城には、鳳翔との出会いが加賀を少しずつ変えているように思えた。

「なんですか。」

「いえ、何も?」

加賀は意地の悪い顔を作った赤城を軽く睨んだが、はぐらかされてしまった。

「それで、何か掴めましたか?」

「ええ、何となく。」

加賀は表情を無に戻して赤城の質問に答えた。しかし、赤城はその無表情に隠れた晴れやかな気分を察した。赤城は自動販売機のボタンを押しながら考え、

「良かったら、後で教えてもらえませんか?何を話したのか。」

と興味本位で聞いた。

「ええ、もちろん。」

加賀は快諾したが、それは心持ちや雑談の話であり、鳳翔の過去を他人へ話す気にはなれなかった。あれは鳳翔自身が語ったからこそ意味がある話だ、と加賀は思っていた。昔話をしている時も鳳翔は明るく振る舞っていたことを思い出した。それは無理をしていたのか、それとも決別できていたからなのか、加賀にはわからなかった。お見合いの話は何度か来ていたが仕事を理由に断っていたし、今まで真剣なお付き合いということを経験したことがなかったがために、男女の別れというものがどういうものなのかいまいち理解できていないせいであったかもしれない。

「赤城さんは今までお付き合いしたことはありますか?」

ふと無意識に口に出した。赤城にそういう経験があれば、あるいは彼女ならわかるのではないかと考えた。

「な、なんですか急に。」

赤城は自動販売機から飲み物を取り出している最中で、予想外の角度からの質問に静止した。思わず加賀の顔を見ると、彼女は特に意味がありそうな表情ではなかったが、自分が赤面していることだけはわかった。

「いえ、何でもないです。無粋な質問でした。」

素っ気なく加賀が返したことが少し気になった。昨日の鳳翔との話と関連がありそうだ。赤城は確信なくそう思った。

「加賀さんはあるのですか。そういう経験が。」

「いえ、恥ずかしながら。赤城さんが何か知っていたらと思いまして。」

赤城は色々気になるところがあったが、加賀が自発的に説明しないことを見るにあまり触れないほうがいいのかもしれないと判断した。昨日の話と何か関係があるのだろう、と赤城は思ったが、その話をこちらから掘るのは避けるべきだった。

「おはようございます。」

少し遠くから声が聞こえた。赤城と加賀がほぼ同時に顔を向けると、鳳翔がこちらに歩いてくるのが見えた。赤城や加賀に比べて少し小柄な体が陽光をまとっている様と柔らかな表情が合わさり母性が具現化されたようであった。ふと、加賀は昨日の鳳翔の言葉を思い出した。

「もっと努力すべきだと自分に言い聞かせていました。主人から一切の感謝や労いがないのは努力が足りていないのだと。」

そんなことはない。今の自分が感じる温かな感触は、努力したからこそ感じさせることができるものだろう。

「おはようございます。」

赤城と加賀は挨拶を返した。いつもより加賀の挨拶が力強かったことは誰も気づかなかった。

 

 

 

北上と最上は気が済むまで訓練を続け、射撃場を出た。上位勢に食い込むほどの命中率を叩き出して喝采を浴びたが、本人たちの気分としてはゲームセンターに来て遊んでいるのに等しかった。生真面目なものたちが見れば「武器を扱う上で不謹慎すぎる」と苦言を呈しただろうが、幸運なことにその場にはいなかった。二人は揃ってベンチに座って途中で買ったペットボトルの蓋を開けて飲み物を飲んだ。

「久々すぎて銃壊すかと思った。」

「僕も。集中できなくて最後の方ミスっちゃったな。」

強化人間である彼女たちは一般的な拳銃などを半分に折る程度は容易かった。その力で普通に撃てば、引き金くらい簡単に折ってしまう。

「さて、この後どうする?」

「うーん、とりあえず戻ってお昼食べようか。一応仕事があるかもしれないし。」

「ういー。なーんにもないと思うけどね。」

北上が座りながら伸びをして気の抜けた返事をした。

「あたしたち、このままここで腐っていくのかね。」

「…それは嫌だなあ。」

北上はこのまま出撃も何もないまま終わるのかもしれないと考えていた。演習は楽しかったが、あまりにもやることがなさすぎる。島に住んでいた時は戦闘はなかったにしても港の仕事を手伝い、畑を耕し、忙しくも充実した日々だった。今は正直に言ってつまらないのだ。

「別に毎日出撃したいとは思わないけど、もうちょっとやることないとね。」

最上は北上に向けていた顔を正面に戻して何となく空を見た。雲一つない初夏の青空が広がっていた。

「戻ったら海渡さんに聞いてみようか。」

「なんて?」

「うーん、そうだな。僕たちどうなるの?とか。」

「ずいぶんアバウトだねえ。」

「でも答えてくれるよ。」

「わかる。」

二人は深く考えもせず、海渡なら何か答えを持っているだろうと思いながら執務室へ戻った。

 

 

 

その頃海渡は昼食に出た吹雪と別れ、気分転換の散歩を終えて執務室に戻っていたが、そこで待っていたのは深刻な情報であった。

「海渡、さっき気象局から来た情報だ。午後から荒れるらしいぞ。」

佑輝がソファに座ったまま海渡に紙束を手渡した。

「打撃部隊は何でも揃えられて素晴らしいな。」

「艦娘は生身で出撃するからな。艦娘関連部署にはそういう情報が回るようになったんだ。」

艦娘も正式に『人間』として扱われる以上、安全に関わる情報は共有されるらしい。海渡は佑輝の対面に座りながら内心皮肉った。海渡は受け取った書類を何の気なしにめくっていった。気象局の持つ各所に設けたセンサーの記録が載っていた。海面温度、風速、気圧、風向き、潮の流れ。海渡はあまりこういうものに造詣が深かったわけではなかったが、吹雪たちのために必ず目を通す癖をつけた。とりあえず異常な値がなければ良い、程度の確認であった。

「これなんだ?」

「うん?」

海渡はセンサーの記録が載っているページのある一部分を指した。三十分程度の間、いくつかの記録に斜線が書かれていた。

「ああ、故障でデータが来なかったんだと。」

「故障?」

「原因はわからんがすぐに直ったって言ってたぞ。外環境にさらされてるとそういうことが間々あるそうだ。」

「…座標はわかるか?」

海渡は何かが体の中で蠢くのを感じた。どうもこの手の情報の欠落に過敏になりすぎているな、と思う。立ち直れていないのは自分も同じか。

「確か後ろの方に書いてなかったか?」

佑輝にそう言われ、気付けばページをめくる手に力が入っていた。その異常な様子を佑輝は察し、心に不安の芽が出たのを感じた。海渡がページを戻してセンサーの番号を確認しつつ、地図に書かれた位置に印をつけていく。さらに、センサーの記録が欠如している時間帯の微妙なズレから情報が途絶えた順番も書き込んでいく。そして一通り書き込んで、テーブルの真ん中に広げ佑輝にも見えるようにした。二人はそれを覗き込みつつ、海渡が佑輝に聞いた。

「どう思う?」

「…素直な感想を言ってもいいか?」

「ああ」

「何かが動き回っているように見える。」

心のどこかで、不安が少しずつ形を持ち始めていた。

「中佐、一つ頼まれてくれるか?」

「なんですか准将。」

海渡は気象局の管理するセンサーのリアルタイムの情報を確認するよう佑輝に指示した。佑輝はそれを了承して執務室を出ていった。入れ違いに北上と最上が入ってきた。少し呑気な表情だったが、海渡の険しい顔を見てその表情は驚きに変わった。

「どうしたの?」

「お前ら昼飯は?」

「これから。」

「じゃあ早く済ませてこい。出撃するかもしれん。」

北上と最上は顔を見合わせたあと了承の返事をして足早に出ていった。これと実戦経験があるのは自分たちだけだ。もし戦うとしたら吹雪たちしかいない。『はるか』の乗員と金剛たちの仇、こんなにも早く復讐戦ができるとは思っていなかった彼は、一瞬だけ、幸運だと思ったが、その考えに気付いた瞬間、海渡は小さく眉をひそめた。

 

 

 

吹雪は昼食を終えて食堂から執務室に戻るところだった。三階の渡り廊下から見える景色は青空と青い海が溶け合うさまが見え、白い雲と新緑の木々が彩りを添えていた。芸術がわからない吹雪でもこれは美しいものだと思う。少しの間それに見惚れていると、小走りに近寄ってくる音が聞こえてそちらに顔を向けた。北上と最上だった。

「吹雪!いいところに。」

「どうしたんですか?」

「飯食べたら出撃かもって。」

「え?」

「詳細は海渡さんに聞いて!僕たちもまだ知らないから!」

そう言い残して二人は過ぎていった。なんだか慌ただしいな、と思いつつ足早に執務室へ向かった。執務室へ入ると海渡と佑輝が真剣な表情で話し合っていた。

「お前の予想通りだ。ゆっくりだが本土に近づいてきている。」

「あと三時間程度で東海岸沖合には来るな。今ここで通行している船舶は?」

「わんさかいるぞ。本土近くは安心だからって観光が盛んになったからな。」

海渡は舌打ちをした。妻が亡くなったときと同じだ。また同じことを繰り返すつもりなのか。

「とにかく、深海棲艦と決まったわけじゃないが、明らかに何かが近づいてきているのは確かだ。近くに展開中の艦娘部隊はいるか?」

「川島の川内たちの護衛任務がそろそろ終わる頃だ。護衛先はこいつに一番近い港だったはずだ。あと紺野のところの重巡部隊がその隣にいる。」

「紺野?紺野って紺野彩花か?」

「…ああ、そうだ。あいつも小規模だが艦娘の指揮官をやっている。お前にとっては残念なことだが。」

紺野彩花という名前を聞いた瞬間、海渡の表情がわずかに強張った。数秒して大きなため息を着いて表情を戻した。

「この際に私情は無用だ。なるべく出てもらえるように頼めるか?」

「ああ。」

「一応聞くが、長門や赤城は出られるのか?」

「できると思うか?あの臆病な政治屋共に。」

「だろうな。わかった。こっちで対処する。」

「それ以外なら出来うる限りバックアップする。言ってくれ。」

「恩に着る。」

佑輝は執務室を急いで出ていった。吹雪は入口で待っていたのだが、佑輝とすれ違いざまに目があい「頼んだぞ。大先輩。」と言われ、返答する時間も与えられることなく扉が閉まった。

「状況は?」

吹雪はさきほど佑輝が座っていた海渡の対面に座った。

「確信はないが、あいつだ。」

吹雪は息を飲んだ。三年前の光景がフラッシュバックした。

「吹雪、行けるか?」

「はい、大丈夫です。」

演習の記憶が彼女の両腕を掴んで引きずり込んだ。本当に?本当に大丈夫?血と油にまみれた自分自身が目の前に立っていた。吹雪は汚れた自分に正対した。

「大丈夫。だって私の強さを海渡さんが信じてくれているから。だから、大丈夫。」

そう言うともう一人の吹雪は砂のように崩れ去って消えた。そこへ北上、最上、鳳翔が昼食を終えて戻った。鳳翔は弓道場で鍛錬を終えたあと、赤城と加賀と昼食を取っていた。談笑しているところを北上たちが見つけ、四人で執務室へ戻ってきた。

「全員すぐ出るぞ。時間がない。」

「はい!」

そう意気込んだ時、鳳翔が少し困惑した表情で言った。

「あの、私たちが乗れる艦はもうあるんですか?」

時が止まったかのように全員が固まり、きっかり五秒経ってから海渡が大きく「あ!!」と声を上げた。

 

 

 

『馬鹿野郎お前まだ母艦もらってなかったのかよ早く言えよ!!』

佑輝は電話越しに海渡に怒鳴り散らした。とは言え、佑輝も海渡に非があるとも思っていなかった。上層部は彼の扱いに困っていた。だから母艦という巨大な実体を渡すことは非常に抵抗があったのだ。佑輝が怒鳴ったのは母艦がないくせにそのことをここまで失念していたという、言葉通りの海渡の"馬鹿さ加減"であった。佑輝は少し考え込んで対策を練った。母艦なしで出撃するのは無理難題であった。艤装の整備、燃料と弾薬の補充、とにかく母艦の役目は多かった。特に深海棲艦との戦闘は連戦になることが多く、一回の補充では足りない状況というのも往々にしてあったのだ。

『いいか、よく聞け、お前を同乗させられる母艦が一隻だけある。それと合流して使え。』

「そいつは助かる。…いや待て誰の母艦だ?」

海渡は喜んだが、悪い予感が走って冷静になった。

『その母艦まで高速船を貸してやる。現地で合流しろ。』

「だから誰の――」

『准将、幸運を祈ります。』

電話は切れた。

「どうでしたか?」

鳳翔が聞いた。海渡の表情は電話をかける前よりさらに沈んでいたため、執務室にいる誰もが失敗したと捉えた。

「とりあえず艦を手配してくれることになった。ここからは高速船で移動して合流するぞ。」

「見つかったのですね。良かったです。でもなぜそんな顔を?」

誰もが同じことを思っていた。なぜそんなにも嫌そうな顔をしているのだろう。

「高梨中佐が言っていた紺野さんという方と何か関係ありますか?」

吹雪は海渡と佑輝の会話を思い出していた。紺野という名前が出た時の海渡の顔は何か見てはいけないものを見たかのようであった。

「…ああ、まぁそうだ。」

どんな人物なのだろう。誰もがそう思った。

「ああ、なんでよりにもよって。」

海渡は机に突っ伏してブツブツ言い始めた。そしてそれが数秒過ぎたあと顔を上げて大きくため息をついた。

「出撃の許可をもらってくる。お前たちは工廠に行って艤装を船に積んでくれ。」

「りょ、了解しました。」

吹雪の返答を聞いて海渡は執務室を出ていった。

あのような表情の海渡を見るのは初めてだった四人は顔を見合わせた。そして、

「大丈夫かな?」

最上がぽつりと呟いた。誰も答えられなかった。

 

 

 

吹雪たちが艤装を積み込み終えた頃、海渡が大淀共に戻ってきた。橘に許可をもらいに行く途中で見つかり、同行を申し出たらしい。

「おかえりなさい。大丈夫なんですか?」

吹雪は駆け寄って声をかけた。大淀が戦闘未経験について言っていることを海渡は即座に理解した。

「本人が行くと行っているんだから大丈夫だろう。それに一応部下だし。」

「そうですね。」

吹雪は納得できなかったが、今は問いただす場面ではないと思い、口を閉じた。

佑輝が手配した船に一時間弱揺られ、目的の港に辿り着いた。その頃には天候が悪化して、厚い雲が空を覆い風速も速くなっていて彼女たちの感情を写しているようだった。高速船から降りて乗艦予定の母艦を見た時、大淀を除いた全員が驚愕した。その艦影には親しみがあったからだ。

「これ、『はるか』?」

北上が疑問を声に出した。

「いや、流石に違うだろ。二番艦じゃないか?」

艦尾に周ると『かなた』と艦名が書かれていた。

「さっきから何をおっしゃっているのかわかりませんが、これはかなた型ネームシップの『かなた』ですよ?」

大淀が戸惑いがちに言った。他五人の視線が彼女に集まった。

「な、なんですか」

「いや、なんでもない。そうか。そうなるか。」

海渡は納得したように独語した。本当に"なかった"ことになったのだな。『はるか』は既存艦の改造艦だったが、それの方法が使い回されたということなのだろう。海渡はそう解釈した。その『かなた』に乗艦するために階段へ向かうと数人の人が待っていた。中央には初老の男性、後ろには若い男女が一人づつ。全員が士官であることが徽章から伺えた。

「『かなた』艦長の榛原大佐です。橘大将の命によりお待ちしておりました。」

中央の男が名乗った。榛原の敬礼に対して海渡たちは答礼して手短に要件を伝えた。

「志ノ方です。榛原大佐、あまり時間がありません。急なことで迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。」

海渡は丁寧に応じた。彼は階級に関係なく、年長者には自然と敬語を使う性分だった。そのため、初対面の榛原に対しても、普段と変わらぬ口調で応じた。海渡たちは乗艦して格納庫で艤装の確認を始めた。榛原は出航準備のため、付き添っていた男の部下を連れてその場を離れた。その際「紺野少佐、あとを頼む」と言い残して。その言葉を聞いたとき、吹雪たちは戦慄した。この人が例の人だ、と。

吹雪は女性をまじまじと見た。中肉中背くらいで特筆することのない体格だが、顔には愛嬌があり海渡より若そうである。少し垂れ気味の目尻が椎名中佐と異なる印象をもたせた。髪は黒よりわずかに明るい色のショートボブで、正直海渡が嫌悪する理由は見た目からは見いだせなかった。

「生きていらっしゃったんですね。海渡先輩。」

海渡のことを名前で呼んだことに吹雪たち四人は衝撃を覚えた。大淀は海渡の顔の広さに少し驚いた。この男を隠蔽するのは無理があるのではないか。

「あ、ああ。」

「どうして会いに来てくれなかったんですか?先輩たちや川島くんとはもう会ったんですよね?」

「あー、いや、そんな時間なくてな。」

海渡は目を合わせるどころかそっちを向こうともしない。この時、鳳翔と北上は、本能的に危うさを感じた。直感的にストーカーの類だと思った。そしてそれに少し遅れて最上も違和感を覚えた。目の前にいるはずなのに、紺野の視界には海渡しかいないかのような態度ではないか。

「私、寂しかったんです。先輩もそうですよね?奥さんが死んで、ずっと一人で。」

そう言いながら紺野が海渡の背中に体を預けた時、反射的に動いたのは吹雪であった。猫よりも素早く瞬発して、紺野を引き離して間に立った。

「何するんですか!」

「何って寂しいかなと思って先輩を慰めてあげようとしただけよ。あなた誰?」

紺野は敵意を隠しもせず吹雪を睨んだ。吹雪は少し怯んだ。力では絶対負けないはずの相手だが、何か得体のしれないものを感じた。未だかつて吹雪が会ったことのない人種であった。

「海渡さんは寂しくなんかないです。私たちがいます。」

吹雪は海渡の状態について決めつける紺野の態度が許せなかった。それは他の三人も同じであった。特に鳳翔は小さく眉を寄せた。妻を「死んだ」と言い放つ、その言い方だけは受け入れられなかった。しかし彼女らの敵意を気にする様子はなかった。

「あなた今名前で呼んだ?なんで?どんな関係?」

紺野が吹雪に猛然と迫った。吹雪は急な息苦しさを感じ、先程の素早さは嘘かのように身動きが取れなくなった。紺野が眼前まで迫って腕が伸びてきたところで、後ろから優しく抱かれて紺野から離された。

「おれの吹雪に手を出すな。」

海渡は噴火寸前の火山のように低く唸るように言った。しかし、その声とは裏腹に全員に別の衝撃を生んだ。

「"おれの"ってなんですか?そんなのが先輩に釣り合うわけがないでしょう。一体先輩の何なんですかそれは。」

「お前に教えてやる義理はない。下がれ少佐。」

「…わかりました。」

紺野は怒りを表しながら足早に格納庫を去った。一難去ったことに海渡は安堵したが、後悔していたことがあった。紺野が異常なまでの執着を自分に見せているのは知っていたが、それによって吹雪たちに危害が及ぶ可能性まで思い当たらなかったのだ。我ながら恥ずかしい。こんな調子でこの子達を守れるのか。もっと考えろ。海渡は自分に言い聞かせた。

「今、"おれの"って言ったよね?」

「うん、言った。」

「あらまあ。帰ったらお赤飯にしましょうか。」

「え?そういう関係だったのですか?」

北上たちが小声で話した。それを聞いて別の問題が発生したことを理解した。実は、海渡は吹雪が害されると察して咄嗟に「おれの部下に手を出すな」と「吹雪にさわるな」の二つの言葉が口まで伝達されるまでに渋滞を起こし、口から出る際に混ざってしまったのだ。そのせいでおかしな意味合いの言葉が出てしまったが、場の状況に悪い意味で完璧に合致してしまい、微妙な化学変化を起こした。こうなると必死に否定することもまた違った問題を起こすのは明白であった。特に戦闘前に精神を乱すのは避けねばならなかったので、とりあえず平静を装い吹雪を左腕から解放して話しかけた。

「ありがとうな。怖かっただろ。」

「いえ、大丈夫です。はい。」

吹雪は顔を真っ赤にしてつぶやくように言った。やってしまった。海渡はそう思った。その後、みな無言で艤装の確認を手早く済ませ格納庫を出た。それとちょうど重なるように『かなた』は出航した。

 

 

 

急な乗艦故、部屋の用意が間に合わなかったため海渡たちは食堂で待機していた。海渡には将官室があるのだが、自分の軍内の立ち位置的に使用が憚られ遠慮した。ただ、情報の取得と艦娘の指揮のため艦橋と戦闘指揮所には何度か足を運んでいた。情報によれば川内、神通、睦月、如月の四人が先行偵察に向かい、そろそろ到着する頃合いだった。彼女から送られてくる情報と『かなた』のレーダーから、敵は事前の予想通りの進路で進んでいる。既に『かなた』のレーダーの一部は敵の勢力圏に入り機能不全に陥っていたが、反応するものがない海域では「本当に何もないのか」と「影響が出て映っていないのか」を判別するのは困難であった。海渡は艦長以下幹部を召集して情報を共有した。それを聞いた時、彼らはすぐには信じようとしなかった。海渡はできる限り丁寧に説得した。相手の反応は無理もないものだと理解していたからだった。程度の差はあれ、全員から納得の返答をもらい、川内たちに艤装の電探とソナーを使って索敵を行うように指示した。大淀はその隣に立ってその様子を見ていた。この男のことを大泉に報告する必要があったからだ。

一方の吹雪たちは食堂で待機しているところで、紺野が指揮する三隈、鈴谷、熊野の三人と出会った。今回の作戦では彼女ら三人と川内たち水雷戦隊四人の計十二人での作戦の予定であった。最上は同型艦の艦娘ということもあり波長が合って三隈たちと話し込んでいた。

「そういえば最上さん、彩花ちゃんとなにかありました?」

鈴谷が思い出したように話題を変えた。最上は聞き慣れない名前のために記憶を探り、心当たりがある人物を導き出した。

「紺野少佐のこと?」

「はい。」

「あったね。格納庫で海渡さんと揉めたよ。揉めたというか一方的に言い寄ってたかな。」

「あー、やっぱり。」

三人はそれぞれの表情で納得を示した。最上にはさっぱりだったため、理由を聞くと鈴谷が特に遠慮する様子もなく答えた。

「志ノ方提督が生きてるって知ってからずっとあの人のことばっかり考えてる風だったんすよ。恋煩いくらいに考えてたんですけど、なーんかそういうのじゃない的な雰囲気があって。」

「あれは、所謂ストーカーだね。」

最上は格納庫での出来事を思い出して遠慮なく言った。そこでふと、もし吹雪じゃなくて自分だったら「おれの最上」になっていたのかな、と当人的にもどうでもいいことを考えた。

「なんか噂によると、志ノ方提督が結婚した後もあんな調子だったとかでかなり話題だったらしいですよ。」

「ありありと想像できるね。それはそれとして、鈴谷、そんなに話して大丈夫なのかい?」

「えー、結構みんな知ってるらしいですから、大丈夫ですよ。」

「…それでよく紺野少佐は解雇されないね。」

「あ、仕事はめっちゃできるっす。それは保証しますよ。」

三人は自分たちの指揮官の能力を高く評価しているようだった。最上には、どうしても腑に落ちなかった。仕事ができることと、あの執着を放っておくことは別の話ではないのか。最終的に「まぁ色々都合があるのだろうな」と考えて納得することにした。

最上は話題を転じて今回の深海棲艦の話をしようと思ったが、思いとどまった。海渡から話があるだろうし、その前に不安を煽る必要もないだろう。特に、楽しく盛り上がっているさなかでは。最上はココアを飲みながら、対面に座る三人が楽しく盛り上がっている様を眺めていた。

 

 

 

外はさらに雨が強くなり、風も勢いを増していた。こんな嵐の中、身一つで出撃する艦娘たちのことを思うと、命令を下すことに多少の抵抗があったが、それで悲惨な結果がもたらされてしまっては後悔のしようもない。海渡は戦闘指揮所で艦娘の編成を決め、出撃を命じた。先行偵察からもたらされた情報から接敵まで二十分を切っていた。大淀、鈴谷、熊野を直掩に配置し、残りは川内たちと合流して敵本体を攻撃する作戦とした。これを艦娘たちに説明したとき、みなが準備のため格納庫へ走っていく中大淀だけが残っていた。困惑した表情をして彼女は指揮官に言った。

「あの、私まだ戦ったことがないのですが。」

「そうか、では明日には経験者だな。」

あまりにもおかしな発言に海渡は皮肉で返した。誰でも初めはそうだろうに。吹雪たちは選ぶことすらできなかった一方で、目の前の大淀たちは違う。艦娘になることを自ら望み、この場に立っているはずだ。海渡にはそう思えた。

「いや、だから、私の仕事はそういうのではなくて――」

「じゃあ何なんだ?」

海渡は低い声で威嚇するように言った。誰もいない食堂に声が響き、大淀は思わず肩を震わせた。

「正直に言ったらどうだ?あの外道に言われたんだろ。戦闘はしなくていい、と。違うか?」

それほど強い自信があって言ったわけではなかったが、大淀は息を詰まらせたようで、それを見て海渡は大きくため息をついた。

「本気で信じていたのか。こっちによこすためのその場しのぎだろうに。艦娘として部隊に編入されたらそうなるに決まっているだろう。」

「いや、でも――」

「別に拒否するならそれでもいい。命令を拒否するなら部隊から外れてもらうそれだけだ。研究所所長だろうが大臣だろうが、任用権は法律で保証された権利なんだからな。」

大淀の絶望的な表情を浮かべた。海渡としてはそれで十分だった。大泉の言葉は絶対ではない。その事実だけは伝えられたらしい。大淀が何か別の理由で大泉に従っていると察している彼は、大泉の命令が達成されない状況が存在することを示してみせたのだ。大淀は数秒悩んだ後、

「承知しました。」

と一言言って格納庫へ向かった。海渡はちょっとやりすぎたかな、と思いながら戦闘指揮所へ戻った。

 

 

 

海渡が戻った戦闘指揮所は慌ただしく動いていた。対水上レーダーが完全に沈黙し、艦娘すら映らない事態に全員が困惑し恐怖した。半信半疑だった海渡の話が現実になって襲いかかってきたのだ。海渡は過去の経験から少なくともソナーは有効であることを知っていたので、特に注意するように指示した。最初はこの若い将官を信じようとしない乗員たちもこの状況になっては彼に素直に従う他なかった。

接敵予想時刻まであと五分という時に海渡はまだ迷っていることがあった。それはこの『かなた』を戦闘に参加させるか否かであった。『はるか』であれば迷わず参加させたが、この艦の艦長は自分ではなく、さらに直接戦闘することに本心から賛同していなければ綿密な連携など取れるとは思えなかった。特に、今のような前代未聞のときには。それが態度に表れ、海渡は無意識に海図の上を人差し指で一定のリズムで叩いていた。

「虎の子、言いたいことがあるなら言え。」

艦長である榛原が唸るように言った。指揮所にいる者たちの中で誰に向けて言ったのかわかったのは言われた当人だけだった。

「もう違います。」

海渡は榛原に不機嫌に返答したが、榛原は意に介してないようだった。右肘を肘掛けにつきさらに問いかけた。

「何を迷っている?」

「…」

「ふん、甘ちゃん目が。よくも結婚できたものだな。それでおれらを指揮しようってか?」

海渡の眉がわずかに動いた。

「ずいぶんな言いようですね。それで艦がまとまるのですか?」

「それをこれから見せてやろうってんじゃねぇか。」

榛原の挑発的な言葉に、海渡は意を決した。

「『かなた』を前線後方に配置し、吹雪たちの援護をお願いします。」

榛原は不敵に笑った。それに対して砲雷科の一人が声を上げた。

「そんな無茶です!レーダーは使えませんし、その状況下では武器も満足に相手に当たりません。一体何をするというのですか。」

「索敵は艦娘からの情報がある。武器で殺傷できなくても一時的な状況の好転は望める。それは実証済みだ。」

振り返って言った海渡の言葉に指揮所内はどよめく。信じられない、と。そこへ榛原の声が響いた。

「貴様それでも軍人か!生身の小娘に任せてて恥ずかしくねぇのか!おれは前から気に食わなかったんだよ。この後ろにいるだけの戦術がよ。」

榛原は姿勢を直してさらに言った。

「覚悟を決めろ!腹ぁくくれ!生きて帰るためにな。」

「はっ!」

一同が姿勢を正して返答し、副長が艦内マイクを取って伝達した。

「第一種戦闘配置!」

 

 

 

吹雪たちは先行している川内たちと合流し、鳳翔を中心に輪形陣を展開した。ギリギリ航空機の発艦が許容される天候の中、鳳翔は偵察機を発艦させ敵の位置の把握に努めた。そして数分後、偵察機の一機が侵攻する深海棲艦の群れを捉えた。四つの群れにそれぞれ六隻ずつ、中央にいる群れの中心に一際大きな個体を確認した。それが金剛たちを沈めた敵であることを鳳翔は即座に判別できた。吹雪たちの胸に、金剛たちを沈めた相手への怒りが静かに燃え上がった。だが海渡はそれを心の奥に押しやり、冷静に指示した。

「いいか、目標は撃退だ。撃沈が望ましいが、深追いはするな。いいな。」

「了解です!」

敵の群れが吹雪たちを察知し進路を変えた。しかし今までと違い、統制された動きであった。今までなら察知した群れから順に群がってくるようであったが、今回は陣形を維持して向かってくる。吹雪は射程に入り次第砲撃するように命令を出し、北上に魚雷を撒くように指示した。北上の魚雷の群れが一斉に走り出し、敵に向かっていく。あまりの航跡の多さに恐怖と心強さを艦娘たちに与えた。

一方の『かなた』では海渡は艦尾に位置する艦娘回収用のデッキにいた。彼は『はるか』脱出の際に与えられた力により海面に立つことができたが、彼をそのようにした張本人に「『はるか』の破片を埋めてある。その力が使えるはずだ。」と言われ、半信半疑で自己流に訓練を重ねた結果、周囲の艦娘や人間の位置を把握できるようになった。もちろん無限というわけではなく、今のところ半径十五キロメートルから二十キロメートル程度であり、『はるか』の足元にも及ばないような距離であった。だが、今はおおよそその距離圏に敵味方が収まっており、十分に活用しうると考えた。

海渡は周囲にだれもいないことを確認し、自分と『かなた』を綱で繋ぎ、デッキの一部にある海水の上に立った。目を閉じて意識を集中させると周囲の艦娘と深海棲艦の位置が頭の中に流れ込んできた。とは言え今のところ距離と向きがわかるだけで、それを機械に流し込んだり処理させたりは不可能であったため、通信機越しに吹雪たちから齎される情報を聴覚から取り入れ、脳内の情報と合わせて音声で指示を出す他なく、海渡の脳は過労を強いられた。

戦闘指揮所では敵の数がこちらよりも多いことに動揺が広がった。深海棲艦との戦闘ではだいたい深海棲艦の方が数が多いのだが、直接戦闘に参加することになったとあっては、前例があっても内側に隠しきれないものがあった。

「虎の子、今までで一番多かったときの相手の数は?」

だが、狼狽える乗員を見て榛原が海渡に乱暴に問うた。海渡は「なんでこんなときに」と苛立ちを感じつつ、

「百十二です。」

と返した。これはあまり正確な数字ではなかったが、海渡はさっさと返答して済ませようという意思でやっており、正確な数字を思い出す余裕などなかった。ただ、その回答が流れた時艦内が一斉に静まり返り、そして

「すげえじゃねえか!」

「なら生き残れるぞ!」

など歓声が上がり、士気が上がったことは事実であった。

吹雪たちが前線で久々の釣り野伏に近い戦術で敵を沈めている頃、直掩の大淀、鈴谷、熊野は前線に比べれば暇であったが、それを堪能することはできなかった。完全に日が暮れて夜が本格的に支配し始めた海があまりにも無慈悲のように感じるし、この暗い水底から魚雷を打ち込まれたり、敵が飛び出してくるんじゃないかと戦々恐々としていた。敵が明確に見えないというのは凄まじいほどの精神的ストレスを彼女たちに与えていた。特に風雨が強い今の状況では。

大淀と鈴谷の電探に反応が出た。南側から何か来る。それを理解し、恐怖が這い上がってきた時海渡から指示がきた。

「大淀、お前の三時方向から一隻、駆逐艦だ。射程に入り次第撃て。」

群れから逸れたのか、事情は不明だが前線より少し後方にいる大淀らに急速に接近しつつあった。なぜ海渡が艦種まで判別できたのかは不明だったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。大淀は訓練を思い出しながら主砲を構えて発射した。一回、二回と撃つが至近弾に留まり直撃させることは出来なかった。大淀は焦った。ここで死ぬのだろうか。そう思うと腕が震えだし、引き金をひけなくなった。敵が眼前まで迫った時、それが爆発を起こして沈んだ。

「大淀!無事ー?」

「あ、ありがとうございます。」

鈴谷の声が通信機から聞こえた。大淀は鈴谷の砲撃によって助かったことを知った。息が止まっていたかのように何度も大きく呼吸した。助かった。そう思った時、海渡の話を思いだした。大泉の命令。任用権。戦果。その三つだけが頭の中を巡り続けた。戦闘中であるというのに、このような思考に陥ってしまうことが彼女の未熟さを語るものだったが、本人が気づいたのは港に帰ってからであった。

 

 

 

最前線の吹雪は海渡の釣り野伏が未だに通用することに感謝した。ただ、海渡から齎される情報が不自然に詳細なところがあり、例の力を使っていることがわかり心配になったが、即座に頭から追い出し今は戦闘を終わらせることに集中した。早く終わらせることが海渡への負担を減らす唯一の方法だと心得ていた。

吹雪たち第一世代の艦娘たちは懐かしい気分になっていた。敵を少数ずつ引き寄せ母艦も含めた攻撃を加えて撃滅するという、三年前の再現が起きていた。それ故に吹雪たちの動きを円滑にしていた。川内を始めとする第二世代の艦娘が付いていくには吹雪たちの動きは多少無理があるものであったが、なんとか食らいついていた。特に睦月が敵駆逐艦に右腕を噛みつかれ悲鳴を上げた時は、第二世代艦娘を戦慄させ部隊が瓦解しそうになったが、吹雪の的確な指示でそれを撃沈し秩序を回復した。血だらけになりつつもどうにか腕そのもの失わずに済んだことに睦月は安堵したが、痛みと恐怖による涙は止まらなかった。ここで逃げ出さなかったのは同年代の吹雪が前線で勇猛果敢に行動していることに対する意地であった。自ら応急処置を済ませて少し遅れながら付いていった。

その後、いくらかの被害を被りつつ本丸へ接近した。吹雪と最上は初見であったが、それが復讐の対象であったことは感覚で理解できた。こいつだけは必ず沈める、と。吹雪たちは海渡からの命令を二回ほど心の中で繰り返した。

「深追いはするな。」

冷静にならなければまた仲間を失う。あの時はまだ言い訳できよう。見えない敵と初めて戦ったのだから。だが今は違う。見えないとわかっていて戦闘しているのだ。ここであの時と同じ轍を踏むことがあれば、金剛たちにどう言い訳するのか。彼女たちが残してくれた命と情報を最大限生かさなければならない。

日暮れと共に鳳翔の航空隊が帰投したため、ここからは本格的に自分たちの装備に頼ることになった。吹雪は陣形を単縦陣に編成し、敵を横目に見るように距離を維持しながら南方向に進んだ。敵の編成は海渡からの情報によると戦艦一隻、巡洋艦二隻、駆逐艦二隻、そして、本命の一隻。敵がまっすぐこちらに接敵行動を取る動きを確認し、全艦による雷撃後、射程に入ったものから砲戦を開始した。吹雪たちの慣習で特定の敵を集中攻撃する戦法を取り、吹雪は敵の脅威度を即座に脳内で計算して、攻撃対象を部隊に伝達した。数回の応酬のあと、吹雪たちの魚雷が到達し敵の陣形が崩れた。そのすぐあとに吹雪たちに対しても敵からの魚雷が到達して回避運動を余儀なくされたが、ソナーに神経を割いていたことが功を奏し、被害はなかった。さらに追加の最上と三隈の砲撃により、敵巡洋艦二隻の撃沈が海渡から伝えられると、吹雪は次の対象に戦艦を選び攻撃を指示した。駆逐艦二隻は急速に接近してきており、これを自分が近接戦闘で対処すると決めて、その邪魔になる戦艦の沈めるか気を反らせるためであった。その時、敵艦隊方向に一際大きな光が見えた。

「敵旗艦の発砲を確認、回避行動をとれ。」

海渡の声に緊張が走り、各自が攻撃行動を止めて転舵した。北上と鳳翔の頭の中に金剛の腕がちぎれとんだ過去の映像が流れた。睦月と如月はもはや祈りながらの回避運動だった。それが神に届いたのか、敵の砲弾は彼女らには来なかった。全ての弾は吹雪を狙っていた。吹雪は祈りなどしなかった。雨で視界が不良になっていても、目を閉じることなく全てを回避した。砲弾の着水による水をかぶりそれを抜けた時駆逐艦二隻が目の前に躍り出た。一隻が正面から頭に食らいつこうと跳ねたところを横に避けつつ側面から腹部を撃ち抜いた。もう一隻が吹雪を狙って飛びつこうとしたときには吹雪は跳躍して敵の頭に飛び膝蹴りを打ち込んだ後、主砲を二斉射して黙らせた。戦艦の方は最上、三隈、川内、神通の集中攻撃により電探から消失した。

「残り一隻だ。周囲には敵影はないが、警戒は怠るな。敵の能力は未知数だ。」

海渡の言葉に全員が気を引き締めた。距離が縮まるにつれ雨が弱まっていき最終的に止んだ。多少視界がマシになり敵の影が徐々に鮮明になっていった。吹雪と最上が探照灯を照射して照らし出した敵はもはや艦と呼ぶのは憚れるように感じた。以前北上から聞いた女性的容姿は全体の二割程度しかなく、巨大な黒い四足の怪物の頭部にそれの上半身が生えているだけであった。病的な白い肌と白い髪に赤い瞳、両腕は黒い装甲のようなものに覆われ掌は巨大な鉤爪がついてる。一際目を引くのは、背丈と同じほどありそうなツインテールと怪物の頭部の両脇にある三連装砲を咥えた複数の口だった。中央の頭部には砲はなかったが、吹雪を丸呑みできそうなほど大きなそれは炎のような不気味な光を口内から漏らしていた。

流石の吹雪も絶句した。これをどう対処するか。おそらく本体は上の女性の部分だろうが、それに近接攻撃を仕掛けるのは愚の骨頂であるように思える。巨体に似合わず海上を猫のように跳び回る様は魚雷を無意味なものに感じさせた。そう考えていたときだった。

敵の人型の右手が外れて高速で迫り吹雪を鷲掴みにした。爪が艤装と背中に食い込み酷い痛みが走る。右手と本体は鎖で繋がれていて錨鎖を想起させたが、視界の上下左右がめちゃくちゃに入れ替わり何度も強い衝撃を受け、そのたびに海中へ沈み窒息しそうになった。吹雪が自身の状況を把握するまで時間を要したが、外から見ていた最上たちは吹雪が掴まれたあと何度も海面に叩きつけられる光景を見ることになった。伸びた腕から得る遠心力を最大限利用したそれは、叩きつけるたびに吹雪を海中に沈め、そのたびに艤装の破片が散乱した。

「吹雪!!」

最上の声は悲鳴に近かったが、吹雪への誤射の恐怖から誰も援護できずにいた。

吹雪は恐怖を覚えつつも状況を把握しようと努め、ついに叩きつけられる瞬間に身を翻し両足で着水した。膝が悲鳴を上げたが、それに反応している場合ではない。足首まで海水につかり、死が近づいていることを理解した。殺される――。恐怖が足を掴みそのまま海底へ引きずり込む幻覚を見たが、海渡の言葉が頭で流れ負の感情を全て追い出した。

「おれの吹雪に手を出すな。」

そうだ。生きて帰るんだ。海渡さんが待っているんだ――!

もう一度吹雪を持ち上げようとする腕に対抗して踏ん張り、右手で自らの錨を外して撃ち出す。それは爪の部分から噴煙を上げて宙を疾走して、敵四足の左前腕に絡みついた。

「主機過負荷運転始動!!」

吹雪の掛け声で艤装が大きな音を立てて唸り始め、艤装から出る煙がより黒くなった。

「最上さん、合わせてください!!」

吹雪の意図を最上は即座に理解した。

「睦月!如月!照明弾装填!順次撃て!他は砲戦用意!!」

最上の指示を二人は覚束ないてつきながら実行する。吹雪はそれを待たず、逆に敵を引きずり始めた。敵四つ足も踏ん張っていたが、徐々に海面を滑り出して宙に浮いた。そして背負投げの要領で海面に叩きつけた。大きな水しぶきが上がり視界を遮ったあと、照明弾が破裂し辺りを照らし出した。

「撃て!!」

最上の合図で北上、三隈、川内、神通、そして当人の最上も主砲を連射した。集中砲火の末辺りに噴煙が立ち込め、それが微風で流れて露わになったのは敵四つ足が微動だにせず沈みゆく姿だった。その場にいた誰もが終わったと思ったが、人型がいないことに気づいて再度警戒状態に入った。そして数秒後に吹雪の背後で音が鳴り、全員がそちらを振り向くと右腕が千切れた人型の敵が立っていた。

「愚かな…」

人型の敵はそう言い、海中に消え去った。吹雪たちはしばらく警戒をしていたが、

「周囲に敵影なし。全員帰還せよ。」

海渡の言葉で戦闘が終了したことを理解した。被害を受けたものの、全員が生還したことを喜びながら帰路についた。

 

 

 

海渡は戦闘終了を通信で告げたのち、艦娘が帰ってくる前に艦尾から離れて倉庫の一角に隠れるように座っていた。通信機をつけていられないほどの酷い頭痛がする。戦闘の途中から敵の位置だけでなく行動までわかるようになったあたりから、強烈な負の感情に満たされて脳内を強引にかき混ぜられたかのような感覚が残っている。体が消化物を出そうとするのを何度か抑え、意識的に深呼吸して症状が治るのを祈った。

「使いすぎたな」

力を与えた本人が目の前に立っていた。海渡は見上げることも億劫に感じ、目線だけで追ったが顔を見ることは不可能だった。見えたのは白い肌で覆われた細い足だけで、「意外と健康そうだな」とどうでも良いことが一瞬だけ過ぎったがすぐに消えた。

「そう、らしいな。おれは、まだ人間か?」

「お前らの種族は海を歩けるのか。」

「大昔に一人いたぐらいだ。」

「では希少な人間ということかな。」

海渡は対して上手くもない冗談を混ぜたが、通じているのかは不明だった。

「依頼主に免じて教えてやるが、お前は『はるか』と同化しつつある。覚えておけ。」

海渡は返事をしなかった。新たに胸から何かが這い出てくるような感覚が追加され、話を聞くどころではなくなった。

彼女は美しさと儚さを混ぜたような顔をわずかに歪め、ため息をついた。ゆっくり腰を下ろすと、海渡の顎へ手を添えて顔を持ち上げる。そして、接吻して自らの体液を流し込んだ。海渡は恐怖を覚えて彼女に抵抗したが、そのような体調で力が出るはずもなく無意味に終わった。終わった後で流し込まれたものを吐き出そうと必死になったが、努力は報われなかった。その海渡のもがきを見つつ、彼女はその場を去った。少しして症状が急速に快方に向かったが喜びは微塵も感じなかった。ただ、一歩人から遠ざかった感覚のみ残った。

 

 

 

戦闘終了を受け艦娘たちはみな『かなた』へ帰還した。ただ、『かなた』の収容能力を上回る数の艦娘が運用されたため収容の行列ができた。吹雪以下遊撃部隊が回収されたのは最後だった。北上も最上も鳳翔もそれなりの被弾はあったが、吹雪のそれに比べればはるかにマシだった。吹雪の艤装は大破して内部構造が露出し、形状は歪みきっていたために収容するための工具との接続が上手く行かずに難航した。

「何があったんだ。これ。」

「よく生きてたな。」

艤装を見た整備員たちは血の気が引いた。くの字に曲がったそれはそこかしこに強引に引き裂かれたような傷があり、外装を貫通して内部に達した跡がある。吹雪が持っていた主砲も魚雷発射管もほぼ原型を留めておらず、なぜこれで航行できていたのか甚だ疑問だった。

「これは廃棄だろうな…。」

整備員の誰もが思った。艤装だと言われなければ鉄くずの塊にしか見えないほどのものだった。

吹雪本人は背中から出血し両脇腹に痛々しいあざを作っていて強化人間でなければ体を二つにちぎられていたかもしれない。それでもしっかりとした足取りで歩く吹雪を見た者は、足を止めて彼女を二度見することを強いられた。

幸い大淀は無傷であったが、表情は晴れなかった。

吹雪は格納庫で治療を受けた。医務室まで行くよう言われたが、海渡を待つためにここから離れたくなかった。そして期待通り海渡が格納庫に小走りで入ってきた。

「吹雪!大丈夫か?」

「はい。大丈夫です。ちょっと痛いですけど。」

背中の傷を見れば、"ちょっと"で済む状態ではないことは誰の目にも明らかだった。

「本当に、無事に帰ってきてくれてよかった。ありがとう。」

海渡は大きく安堵のため息をついた。吹雪は内心で「あなたがいてくれるから」と感謝した。

「みんなも本当によくやってくれた。流石だ。」

海渡は北上、最上、鳳翔と順に見て優しく言った。其々が気恥ずかしくなりつつも胸を張った。一方の大淀は疲労と出撃前の話から絶望感に沈んでいた。そこへ海渡が話しかけた。

「大淀。」

「はい。」

「初陣がんばったな。ゆっくり休んでくれ。これからも頼む。」

海渡の言葉は大淀の心に染みた。俯いて小さく「ありがとうございます。」と声に出した。そんな大淀を吹雪たちは微笑みながら見ていた。

 

 

 

『かなた』が海軍基地に帰港したのは日付が回った頃だった。吹雪たちは艤装を工廠にしまい、他の部隊と別れを告げて解散した。海渡は吹雪たちに先に帰宅するよう伝えて一人でどこかへ行った。それでも四人は何となく帰る気になれず、大淀を除いて執務室で海渡を待つことにした。ただ、疲労と眠気から三十分過ぎた頃には帰宅することにした。その際に吹雪だけもう少し待つというので、鳳翔は釘を指すように言った。

「吹雪さん、昼間の格納庫での海渡さんの発言ですが――」

北上と最上は少し驚いた。吹雪が勘違いを起こしているように見えていたが、二人は指摘することをためらっていた。

「はい。わかってます。言い間違いですよね。」

「あ、わかってたんだ。」

「流石に。何年一緒にいると思ってるんですか。」

四人は軽く笑った。

「でも、沈みそうになった時、あの言葉を思い出したんです。そしたら、絶対死んでやるもんかって思えたんです。」

吹雪が攻撃されている様を思い出した。三人は、正直よく生還したものだと思う。

「だって、言い間違いでも嬉しいじゃないですか。嘘じゃないんですから。紺野さんから助けてもらった時、正直格好良くて少しドキドキしました。」

「乙女だね。」

「そうですか?最上さんも同じ状況になったらきっと同じように思いますよ。」

「そうかな。」

そう言いながら何となく三人は状況を思い出しながら自分に当てはめてみる。三人とも首をかしげた。だが、表情だけは思考と違っていたようで、それを吹雪に指摘され三者三様に恥ずかしくなった。

「まぁ意外とありかも。」

また四人は笑った。

「あんまり無理したら駄目だからね。」

「ありがとうございます。」

そうして吹雪は三人を別れて執務室に残った。とは言え、やることはないので結局眠気との戦いになり、ソファに座りながら何度も瞼が落ちかけた。そうして一時間程度した頃、扉が開いて海渡が入ってきた。

「待ってたのか。」

海渡はみな帰ったと思っていたので虚を突かれた。

「はい。おかえりなさい。」

吹雪の返答は眠気で満ちており滑舌がはっきりしていなかった。海渡はなぜ吹雪が待っていたのか考え、昼間の言葉が思い当たり対応に困り果てた。弁明するのもおかしな話だが、こじれたものは直す必要があるのだ。

「吹雪、一つ謝らないといけないことがあるんだが。」

「格納庫の件ですか?」

「あ、ああ。」

「言い間違いって話ですか?」

「まぁ、うん、そうだ。すまん。」

海渡は言葉に詰まった。一回り下の子供に気を使わせて、情けない。海渡は謝りながら吹雪の正面に座った。

「謝らないでください。助けてもらえて嬉しかったです。」

「嫌な思いをさせてすまなかった。あいつはいつもあんな感じなんだが、お前たちに手を出すとは考えが至らなかった。もし何かあったらすぐ言ってくれ。」

「はい。」

吹雪は立ち上がって海渡の隣りに座ってもたれかかった。

「言い間違いでも、そのおかげで助かりました。あの言葉のおかげで生きて帰ることができました。」

「そうか、それはまぁ、良かった。」

海渡は対応に困った。それに吹雪がこのまま寝そうになっていることについても気になった。とりあえずそうなる前に帰ることを提案したが、吹雪はそれを断って話題を変えた。

「海渡さんは、大丈夫でしたか?」

「何が?」

「途中から敵の行動を完全に把握してましたよね?体調には何も影響なかったですか?」

「ああ、特になかった。やればできるもんだな。」

海渡は嘘を付いた。心配をかけるわけにはいかなかった。

「無理、しないでくださいね。」

吹雪は海渡の言葉が百パーセント真実だとは思わなかったが、無理に聞き出す気にはなれず引き下がった。それに急速に眠気が襲ってきてそれどころではなかった。

「ありが――」

海渡が吹雪を見ると静かに寝息を立てていた。海渡はため息をついて吹雪を抱き上げて、官舎の自分の部屋のベッドまで運んで寝かせた。あれだけの戦いを終えたとは思えないほど、寝顔だけは年相応だった。

 

 

 

それから約一月が過ぎた。その間、『はるか』の東海岸での戦闘――東海岸沖迎撃戦と呼称される――の情報の解析に研究所は右往左往していた。新たに出現した四足と女性の人型の敵は一体なんなのか、なぜレーダーに映らないのか、解析作業が行われていたがあまり進展はなかったようだ。

一方の軍部は研究所ほどの狼狽ぶりは見せず、同一の敵に遭遇した場合の対策を練り、それを各部隊に共有した。そしてそれに基づいた訓練が何度も行われた。ただ、その間海渡の執務室への訪問者が相次ぎ、訓練内容の確認や結果の評価の作業に忙殺された。研究所の意思と異なり、軍部は海渡のことをもはや隠蔽する気がない雰囲気で、海渡を最大限活用しようという姿勢が露骨だった。海渡自身はその手のひら返しっぷりに嫌気が指したが、彼らのやっていることは理解できたため多少乗り気でなくても協力した。とにかく「そんなものはいない」と一蹴され無策のまま死ぬよりも良いことだった。

苦労が増えたのは彼ばかりではなかった。日夜の訓練が増えた艦娘たち、そしてそれらの燃料と弾薬を補給する部隊と事務係も同様だった。

「明日もまた訓練だよ。急に増えすぎだよ。」

「なんでこんなに燃料使ってるの!?電探使うだけでこんなに増えるもんなの?」

「早く追加予算通してくれよ。金がないじゃないか。」

遊撃部隊の面々も各訓練に駆り出され、非公式だが指導する立場を与えられた。北上と最上は慣れもしない教官をやることになり大なり小なり不満があったが、

「みなで生きて帰るためだ。頑張れよ。埋め合わせはするから。」

海渡にそう言われ納得し不満をしまった。鳳翔は逆に少し乗り気だったらしく、わずかに歩調が軽快になっていた。大淀は主に最上について行き砲艦としての訓練に参加し、必死に練度の向上に努めた。それが大泉の役に立つと思っていたからであり、海渡たちとは根本は異なっていたが、今は結果として同様の効果が得られるならよかろう、と海渡は判断した。大淀の練度向上は急務だったのだ。

軍部の中で唯一揉めていたのは、四足の敵と吹雪の戦闘の情報を部隊に共有するかの是非だった。軍上層部がその映像と情報を見た時、全員の顔が青ざめ絶句し五分ほど沈黙の時間が流れた。秘匿事項というより、明らかに士気を下げてしまうことは火を見るより明らかである。唯一これを共有して得られるメリットは、それを撃退して生き残った吹雪を英雄視して士気が上がる可能性だったが、前者による士気低下の方が大きいと判断され一旦見送りになった。

そんなことを知らぬ吹雪は北上たちと異なり療養期間に入っていた。当人は日常生活に何ら困っていなかったのだが、彼女の艤装は再起不能な状態にあったからだ。明石を始めとした整備班は頭も抱えていて、設計書はない、仕様書も最低限、材料も部品も艤装の古さの所為で型に合うものがないときている。

「これは作り直ししかないんじゃないかな。」

そんな状況でも明石の明るく活力にとんだ雰囲気は衰えなかった。ただ、艤装の作り直しは軍部のだれにも経験がないものだったため、常識的な見地からの選択でも実現できるかどうかは全くの不明だった。少なくとも修理は不可能だったのだ。

吹雪は忙しい北上たちと違って暇になってしまったことにいささか引け目を感じたが、海渡の補助という立場を見つけて今はそれに従事している。あまり得意ではなかったが、海渡の負担を減らせると思えば苦労は感じなかった。

東海岸迎撃戦によって昇進などの明確な報酬はなかったが、明らかに軍内での扱いが劇的に良くなり、基地内ですれ違う人々も余所者を見る目から英雄を見る目に変わったことを肌で感じていた。

「なんというか、普通の視線というものが恋しくなるとは。」

海渡は苦笑交じりに独語したものである。英雄視も特段嬉しいものではなく、色物である点はあまり変わっていないのだ。

「ただいまー。」

そんな中のある日、北上たちが午前中の訓練を終えて執務室に戻ってきた。六月半ばだというのに嫌に強い日差しと海面からの照り返しにより四人ともこんがりと日に焼けていた。艤装や服装の所為で足や腕に妙なコントラストを作っている様を見た時、

「艤装は無理にしても服は袖や裾が長いほうが良いのでは…。」

と海渡は内心思った。最も、それを口に出すのは憚れたし、戦闘には全く関係ないことでもある。

「お疲れ様。教官も板についてきたな。」

「そうかな?」

北上は言葉とは裏腹に嬉しそうな顔を作ってソファに座った。最上、鳳翔、大淀も続いてソファに座り、自分のコップに麦茶を入れて飲み干した。梅雨明けはまだだが珍しく晴天の空が、開け放っている窓から見える。

「大淀は慣れたか?」

「どうにかついて行ってます。訓練って大変ですね。」

「ちゃんと弾は当たるようになってきたし、魚雷も使えるようになったし、すごい成長ぶりだよ。まだ偵察機の発艦が怪しいけど。」

最上は教官らしく大淀を評価した。出会ったときからずいぶんと関係が改善し、大淀は遊撃部隊に馴染みつつあった。

第一世代の艦娘を除いて最も慣れなかったのは艤装による索敵とその情報共有だった。今までは全て母艦のレーダーが共有され何一つ苦労しなかったことに比較して急に忙しくなった。電探を使うことにより燃料の消費が増えたことで、新しいペース配分に体を慣らすことも急務だった。とはいえ、結局それをやっているのは若い女性たちであるため、顔を鬼にして急かすこともしなかった。

そこへ廊下中に響く音が聞こえた。

「なんだなんだ。賑やかそうじゃないか。」

それが人の声だとわかったのは半瞬後のことだった。そう言って部屋に入ってきたのは、明雄よりなお一回り大きい男であった。それを見た執務室にいる人間の反応はそれぞれだったが、驚愕に準ずるものであることは確かである。ただ一人、海渡を除いては。

「えっと、何か御用でしょうか?」

最も近い大淀が聞いた。

「息子に会いに来たに決まっているだろう。」

「息子?」

一瞬の沈黙の内、全員の視線が海渡に集まった。

「准将、なぜ会いに来てくれなかった?」

海渡は敬礼も忘れて目を泳がせた。

「いや、行こうと思っていたのですが、色々と時間がなくてですね。」

「時間は作るものだぞ、海渡よ。」

海渡はぐうの音も出ず黙った。男は反応を待たずに北上の前に迫った。流石の強化人間と言えどもこの巨体を前に後退りしたが、男の左手が伸びて北上の頭をやや乱暴に撫でた。

「小さいのによくやってるな!その意気だぞ。」

「ちょ、ちょっと止めて!」

北上はその手を掴んで払おう力一杯抵抗したが叶わなかった。それに北上は驚愕した。

「おお、これが噂の。娘の割に強いな。」

強いどころの話ではないはずなのに男は全く動じない。

「提督、この方は?」

「義理の父だった人だ。」

 

 

 

海渡の妻の父、山本光政退役元帥はとにかく人外であった。身長は二メートルを優に超え、体重は百八十キログラムある。体の至る所で筋肉が隆起しており、制服の悲鳴が響き続けているように感じる。彼は海渡の執務机の正面、ソファに挟まれたテーブルの扉側の床に座った。この部屋にあるどの椅子も彼を収めることができないからだ。

「それで、元帥閣下が一体なんのご用ですか。」

「なに硬いこと言っている。会いに来たと言っただろう。それになんだその呼び方は。前みたいにお義父さんと呼んでくれんのか?」

海渡は閉口した。この剛毅すぎる男は"海軍の虎"という異名を持ち、その娘と結婚した彼は"虎の子"と揶揄されるようになった。海渡は光政の娘である山本早苗と軍御用達の酒場で出会った。みな早苗が虎の娘だと知っていたため、関わることも萎縮していたが、海渡はある種の非常識でそのことを知らなかった。早苗と意気投合して飲み過ぎた翌日、当時大将であった光政の知れるところとなり大変な目にあった海渡であった。

「もう、私はあなたの息子ではありません。」

海渡は力なく呟いた。彼自身は妻を亡くしたことでその資格がないと考えている。

「姻族関係終了届は聞いてないぞ。」

「それはそうですが。」

「何を気取っている。どうせ部屋に写真でも飾っとるんじゃないのか?」

海渡はまた黙った。吹雪たちは島に住んでいた時、確かに海渡の部屋に写真が飾ってあったなと思い出した。海渡と女性の仲睦まじそうな写真だ。

「中途半端だな、海渡よ。昔はそうでなかったのに、柔弱になったものだ。」

「・・わかっています。あと、もうこの話はやめてください。部下たちに聞かせるものではないです。」

「いや、聞かせるべきだな。島で同居していたんだろう?家族じゃないのか。というか何も話しとらんのか。」

大淀は自身が例外だと認識していたが、それをわざわざ説明する必要はないだろうと考えて黙っている。海渡についてはそこまで気が回っていなかった。とにかく彼の亡くなった妻のこととこの話をどうにか終わらせる方法で頭が一杯だった。

「任務には関係がありませんので。」

「そうか、まあそうだな。だが、お前はこの娘らの身の上は把握しているんだろ?不公平だと思わんのか?」

「いいですか、それとこれとは関係がないのです。もう止めてください。」

「ほう、止めてほしいか。」

「当たり前です。」

海渡は明らかに怒気を揺蕩わせていた。

「だが自分の上官がこんな柔弱では不安に思うのではないか?」

光政は明らかに挑発していた。それは全員が知っていたがだれも止めなかった。吹雪たちは思わず息を潜めた。海渡の過去を、自分たちは何も知らないからだ。

「ええ、だからあなたが話さなければ――」

「だがもう話してしまった。」

光政はわざとらしくひょうきんな態度を取った。それを見た海渡はついに激昂した。

「あなたはいつもそうだな!なぜ言わなくてもいいことを言うんだ。これはおれの問題で彼女たちには関係ないだろ。おれが解決する問題だ。」

「たわけがっ!であればなぜ早苗のことをひきずっている?何年も割り切れていないやつが大言を吐くな!私はもう気にしておらんぞ。」

海渡は返答に窮した。

「実の父の私にできて、貴様にできないのか。情けない。」

「言いたい放題言って――」

「だったら早苗に会いに行け。今すぐに。」

海渡はあまり考えないようにしていたのだ。本土に戻ってきて行動の自由があるということは、亡き妻の墓参りができることに。

「あ、明日に。」

海渡は震えながら返答した。ここで逃げの要素を入れてしまうのが情けないところだな、と光政は大きくため息を付いた。光政は執務室を軽く見渡し、海渡の隣りにいた吹雪を見た。

「嬢ちゃん、名前は?」

「吹雪です。」

「そうか、では吹雪、こいつを明日必ず墓参りに連れて行ってくれ。引きずってでもだ。場所は後で教える。」

「は、はい。」

吹雪は姿勢を正した。それを聞いた海渡は声を荒げた。

「この子は関係ありません。自分で行きます。」

「一ヶ月の間も行けぬ臆病者を信じる気にはなれんな。」

海渡は黙った。光政は住所を教えるため吹雪だけを連れて廊下に出ていった。執務室は静かになった。海渡は沈痛な面持ちで両手を机の上に組んで俯いていた。鳳翔は海渡のやり取りを見ていてふと思ったことがあった。遅れてきた反抗期みたい、だと。そう言えば海渡の身の上話は聞いたことがなかった。どんな生まれで、どんな親がいて、どんな人生だったのか。

廊下に出た吹雪は光政から場所を示した紙の地図を受け取った。ここからは電車とバスを乗り継いで行くらしいが、両方とも乗ったことがない吹雪は遠足前の子どものような気分になった。

「吹雪、もう一つ頼みごとがある。」

「なんでしょうか?」

「あいつを必ず連れ帰ってきてくれ。」

「ど、どういう意味ですか?」

光政は周囲を見てからうずくまって静かに言った。うずくまっても吹雪より大きい。

「一人で行かせたら死体が帰ってくる、なんてことになりかねんからな。あいつは早苗が死んだ時、一回自殺未遂をしたんだ。だから、見張っておいてくれ。」

「はい。」

海渡が死ぬ。それは、それだけは考えたくない未来だ。光政は立ち上がった。

「噂は聞いていたが、まさかこんな小さなお嬢さんだったとは思わなかったな。」

「噂ですか?」

「ああ、年に似合わず勇猛果敢な、海渡の腹心だと。」

「ありがとうございます。」

吹雪は少し恥ずかしくなって照れた。

「海渡が好きか?」

「え?え、いや、そうではなくてあの人は私の上官で、いやでも嫌いというわけでは。」

しどろもどろになった。光政はそれを見て安心した。あいつはちゃんと好かれているようだ。

「吹雪。」

「は、はい!」

「海渡を頼む。」

吹雪は急に表情を直した光政を見て姿勢を正した。あまり人生経験がない吹雪でも、光政が海渡を特別視し、大切に思っていることはわかった。

 

 

 

その日の夜、大淀は大泉の私室にいた。

「あいつが"虎の子"なのは知っている。年寄りなら誰でも知っていることだ。」

「そうなんですか。」

「引退したくせに何を出張ってきたのだ。何かあるのか。」

大泉は何やら考え込んだ。ソファの上で腕組みし、唸り始めたが少しして目を開いた。

「まあいい。後で考えよう。それで大淀、その話は本当だな?」

「はい。」

「絶好の機会だ。やっとツキが回ってきたぞ。この前の戦闘といい、吹雪の能力は魅力的だ。待ち遠しい。」

大泉は吹雪のことになると熱くなるのであった。大淀はその度に寂しい気持ちになっていた。自分には価値がないのだろうかと。

「すぐに準備させろ。バレないように尾行もつけろ。いいな。」

「はい。」

この時、大淀は深く考えなかった。海渡が墓参りに行くことを知っているのはあの部屋にいた人間だけ。そして、大泉などの研究所と繋がりがあるのは彼女だけなのだ。しかし、大淀は大泉の役に立てることで頭が一杯でそこまで考えが至らなかった。

 

 

 

次の日、海渡と吹雪は駅で電車を待っていた。海渡は黒のスラックスと白の半袖の襟付きシャツ、吹雪は白のトップスに紺色のロングスカートという私服である。制服ではあまりにも目立ちすぎる上に、吹雪のことはなるべく周囲に知られてはいけないためだった。

「雪奈、少し落ち着け。」

「初めてなんですからこのくらいいいじゃないですか。」

海渡は吹雪をいつもと異なる名前で呼んだ。これは"吹雪"という名前を使えない時の偽名である。吹雪は艦娘になる前の記憶がなく、自分の名前も思い出せないほどであったため、海渡が名前を考えた。子供など持ったこともないのに人に名前をつけるなんて奇妙なことだなと思ったものだ。

慣れない服に慣れないヒールを履いて、吹雪自身は少し違和感を覚えていたが、見た目の年齢を多少上げて奇異な目を向けられることを避けたいがための措置だった。

駅構内を移動する間、吹雪が何度か転びそうになったため、海渡は手を繋いで歩くことにした。この方が周囲の目をごまかせるし、吹雪が迷子にならずに済むからだ。吹雪は最初恥ずかしがっていたが、徐々に慣れてきて平静を取り戻した。

最後の駅で昼食を取って墓花を買い、ベンチに座ってバスを待っていた。空は梅雨らしく曇天で、空気は湿度の高さから肌にまとわりついてくる。じんわりと汗をかきつつも吹雪は少し晴れやかな気分だった。こうやって私用で久しぶりに出かけられるのは楽しかった。海渡は何か考え事をずっとしていて、ここまでほとんど無言だったが吹雪はそれを気まずいとは感じていない。前日のやり取りから仕方のないことだと思っていた。とにかく、吹雪は海渡が思い詰めすぎないように表情を不定期に見た。光政に言われた言葉をずっと気にしているのだ。私が海渡を守るのだと、強く決心していた。

バスが来て二人は乗り込んだ。市街地からだんだんと遠ざかり、視界がコンクリートから植物と畑に変わり始めた頃、目的のバス停につき降りた。その際、吹雪が降車ボタンを押したがったので、海渡はそれを譲った。降りた先は大きめのお寺で正面に長い石段があった。それを吹雪に合わせてゆっくり登り、住職に挨拶を済ませて墓地へ向かった。墓地の二段目、手前から三番目に目的の墓はあった。海渡は墓の正面でかがんで手を合わせた。吹雪はその二歩ほど後ろの位置で同じように手を合わせた。二人の時間を邪魔してはいけない、そう考えた。海渡は軽く掃除をして水を入れ替え墓花を供えた。そうしてもう一度目の前で手を合わせた。その時間は長かったように思う。吹雪はそれをずっと見つめていた。そよ風が吹いてスカートを揺らし、生けた花が揺れ、空気を流した。それが収まって辺りが静寂に包まれた時だった。

「あの日も今日と同じような曇天だった。」

海渡は話し始めた。吹雪に宛てたわけではなかったが、聞いているのは彼女だけだった。

2013年4月の事故の日、海渡は早苗と共にフェリーに乗って北の地に観光へ行く予定だった。深海棲艦の話は世間を騒がせていたが、近海には出没しておらず、現に海軍の記録でも南方海域などの陸から離れた海域でしか確認されていなかったし、輸送船や漁船の被害もそういう海域に集中していたため、近海を航行する観光船やフェリーは深海棲艦の出現以前と同じように運行されていた。

「出港は昼過ぎぐらいだった。そこで急に仕事が入っておれは乗れず、早苗に先に行かせた。正直フェリーを諦めてもらおうかと思ったが、"せっかくもらったチケットだから"と言われて同意したんだ。あとから行くから待っててくれと、電話で謝った。」

それが最後の会話だった。フェリーが事故にあったことを知ったのは仕事を終えて基地を出る時に寄った売店のテレビだった。

「それを聞いた時、おれは最悪な考えをした。他の船であってくれ、と。だが現実は違った。誰かの願いが叶った代わりに、おれの願いは叶わなかったのかもしれない。そこからはあまり記憶にない。早苗が出港した港まで行って、そこで…、何をしていたんだろうな。早苗が帰ってくるのを待っていたのかもな。」

フェリーはあっという間に沈没したらしく、救助隊が駆けつけた時にはフェリーは海に沈んでおり、周囲に人影は見当たらなかった。この出来事は人々を絶望のドン底に叩き落とした。

「おれは、早苗を一人で死地に送った。彼女のそばにいてやることが出来なかった。」

海渡は後悔している。いや、し続けている。吹雪は彼の心に繋がれた鎖がずっと重い物だと知った。

「おれが、殺したんだ。」

吹雪は対応に悩んだ。どのような言葉なら彼を助けられるだろうか。この人の荷を少しでも軽くしたい。何も知らない自分が共に背負うなんてことは烏滸がましい。でも、それでも、今まで守ってくれて、これから先も守ってくれるだろうこの人を助けられず守れず、一体自分は何なのだ?

「すまない、嫌な話を聞かせてしまった。忘れてくれ。」

かがんだままの姿勢で海渡は言った。吹雪は内心抗議した、忘れたくない。忘れちゃ駄目だ。きっと助けてほしいから話してくれたんだ。そして、過去に海渡が自分を慰める時にしてくれたように、吹雪も海渡にそれをした。かがんでいる海渡を胸に抱き寄せた。

「嫌です。忘れません。私は大丈夫です。今まで海渡さんが大丈夫と言ってくれたのと同じです。私も大丈夫です。だから、そんなに全部背負わないで。お願い。」

吹雪はどうにか泣くのをこらえた。私は泣いちゃ駄目だ。だが、海渡の嗚咽が聞こえた時、吹雪の涙腺は決壊した。雲の切れ目から陽光がさし、二人を優しく包んだ。

 

 

 

雲が流れ青空の面積が増え始めた頃、二人も落ち着きを取り戻した。

「なんというか本当にすまなかった。情けないところを見せてしまったな。」

「いいんです。いいもの見れました。」

「恥ずかしいから止めてくれ。」

恥ずかしがる海渡を見て吹雪は微笑んだ。

「あの、私も、お参りしても良いですか?」

吹雪は言ったあとに"これはやりすぎた"と後悔した。海渡は少し悩んだあとに、

「ああ、頼む。」

と言って作法を教えた。吹雪は教えてもらった通りにし最後に手を合わせた。

「この手を合わせる時はじっとしていればいいんですか?」

「まあそうだが、目を閉じて相手と会話するんだそうだ。」

「海渡さんは何かお話ししました?」

「いや、おれは何も。ここには早苗はいないんだ。事故では誰の遺体も回収できなかったからな。だから、ここには誰もいない。」

吹雪には少し難しい話だったが、何となく理解できた。

「でも、ここにいると思うことが、きっと大事なんだと思います。」

「そうだな。墓は生者のためにある。残されたものが、旅立ちをゆっくりと受け入れられるように。わかってはいるんだが、な。」

それを聞いた上で、吹雪は手を合わせて目を閉じて早苗に「初めまして」と心の中で話しかけた。返答はなかった。そして続けて「土足で踏み入ってごめんなさい。」と繋いで「また来ます」と締めた。

二人はまた石段を降りてバス停に向かった。海渡は石段で吹雪の手を取ってゆっくりと降りたが、来た時と手を繋ぐことへの意味合いが変わっているように感じ、頭を振った。どうにも落ち着けなかった。光政の

「私はもう気にしておらんぞ。」

という声が頭の中を飛び回った。聞いた時は強がっているだけだと反感を抱いたが、案外本当に乗り越えたのかもしれない。年齢のなせる技なのだろうか。たとえそうだとしても、死地に送った自分が一体どのように乗り越えるというのだ。早苗は、自分を許すだろうか。妻と部下を死地に送った自分を。

「海渡さん。」

「なんだ?」

「また何か考えてましたね?」

顔に出ていたか。気恥ずかしさから返答に窮した。吹雪はそれを見て微笑んだ。

この時、吹雪も似たようなことを考えていた。海渡が早苗に思うように、吹雪も白雪と青葉を考えていた。結果的にそうなってしまっただけで、自ら進んで彼女たちを犠牲にしたわけじゃない。海渡への救いの言葉はそのまま自分にも当てはまるということに気づいた。きっとお互いのことについて、"仕方ない"という便利な言葉が使えてしまうのが嫌なのだ。それ以外の言葉で、理由が欲しいのかも知れない。

石段を降りてバスに乗ってから駅に戻るまで、お互いに手を離さなかった。来た時よりも強い力で。それは支えなのか依存なのか、当人たちに区別できなかった。ただ、今はそうしていたい、この人だけは絶対に失いたくないというお互いの願いだけがそれを実行していた。

駅に着いたとき彼らを待っていたのはささやかな不幸だった。踏切に進入した車両との衝突で電車が止まっていたのだ。それなりに栄えた街ではあるが、あまり運行本数は多くなく、最終的に官舎に戻るための交通機関へは間に合わないことが確定してしまった。一応明日も休みをもらっていたが、一日部屋でゆっくり過ごす予定だった海渡には誤算になった。早苗の墓参りをした後は気分が落ち込み活発に動けたことは一度もなかったのだ。タクシーを使ってもいいが、ここからいくらかかるんだろう、と海渡は悩み続けた。吹雪はそれをしばらく眺めていたが、すぐに終わりそうになかったため別の提案をした。

「泊まっていきませんか?」

「そうだな。」

海渡は気づいていなかったが、墓地での一件で吹雪からの慈しみにも似た優しさに無意識に甘えていた。今年で三十歳になる男が情けないものだったが、この時の海渡は非常に繊細な精神状態にあったため仕方のない部分もある。

駅前のホテルはほとんど埋まっていたため、駅から少し離れたビジネスホテルに泊まることにした。海渡が宿泊のために名前を記入していると、受付の女性が微笑みながら言った。

「可愛らしい奥様ですね。」

「ありがとうございます。」

精神が不安定でも海渡の危機管理はしっかり働いており、ここでの問答は変な疑念を抱かせることになりそうだったため、素っ気なく返した。横目に見た吹雪の顔が真っ赤になっていたが、それは気にしないことにした。しかし、親子ではなくて夫婦に見えるのか。それは自分が若く見えるのか、吹雪が大人びて見えるのか、どちらなのだろうな、と思ったがそれを確認するすべはなかった。ただ、受付がそう聞いたのは、見た目ではなくエントランスに入ってきた時の雰囲気で判断したものであり、海渡の予想はそもそも当たっていなかった。受付の女性は勝手に「年の差婚なのね」と一人で心の中で盛り上がっていた。

海渡は泊まる部屋数を少し逡巡してから一つと書いて鍵をもらってエレベーターに乗った。夫婦と思われている以上、部屋を分けることは別の問題を発生させる可能性がある。実際、受付の女性は噂好きの雰囲気があって変な情報を与えるべきでないと思った。エレベーターの中で吹雪にそのことを詫びて、目的の三階の部屋に入った。ツインベッドの部屋だったことに海渡は心底安堵した。変な気遣いで寝具一つも十分ありえたのだ。二人は様々な理由で疲れていたため、シャワーを浴びてベッドで横になったらそのまま寝落ちしてしまった。

 

 

 

大淀は後悔に苛まれていた。大泉の評価を受けたい。それは本心だ。だが、東海岸迎撃戦から続くこの一月は自分に大きな変化を齎した。様々な事情があるとは言え、海渡たちに仲間意識を持っていた。吹雪も北上も最上も鳳翔も、初対面の時よりもずっと物腰が柔らかくなり敵意が薄れているのを感じる。正直、大泉の吹雪の拉致計画を忘れていたほどで、定期報告で海渡の外出を伝えた時、その計画がもう一度頭に降ってきて、彼女は強く殴られたように感じた。彼女は最初天秤にかけたが、結局大泉の計画に加担した。

海渡の執務室の時計は日付を回った頃であった。そろそろ始まる頃合いだろうか。大淀はソファに座り、まるで懺悔するような気持ちでいた。

「あら、明かりが着いていると思ったら。」

扉をゆっくり開けて鳳翔が入ってきた。カーディガンを羽織った私服姿であった。

「お疲れ様です。」

大淀は鳳翔の顔を一目だけ見て言った。罪悪感から彼女の顔から目をそらした。

「どうしたんですか?」

「忘れ物を取りに来たんです。大淀さんのご用は?」

「ちょっと考え事をしてまして。」

「そうですか。もう遅いですから無理なさらないでくださいね。」

鳳翔は机から髪留めを拾い上げて、部屋を出ていこうとした。

「あ、あの。」

大淀は思わず声をかけてしまった。このまま一人でいたら壊れてしまいそうだった。

「どうされました?」

「一緒に待っていてもらえませんか?」

「誰かいらっしゃるのですか?」

「いえ、多分、電話が来ます。」

鳳翔の表情が一転し、少し険しさを増した。

「…誰からですか?」

大淀は答えられなかった。鳳翔は大淀が何かを隠していることを察したが、それが何なのか見当がつかなかった。一つだけわかっているのはかなり深刻な問題だと言うことだった。

「大淀さん、お話してもらえますか?」

「それは、できません。」

鳳翔からわずかに敵意が漏れたが、大淀はそれに新たな反応を加えることはなかった。最初からわかっていたから。さらに鳳翔が問い詰めようとした時、執務室の電話がなった。鳳翔は俯いて震える大淀を置いて電話に出た。

「どちら様ですか?」

『鳳翔か、ちょうどよかった。』

「か、海渡さん?どうなさったのですか?」

『吹雪が拉致された。』

鳳翔は息が詰まった。

『北上と最上を起こして大淀を拘束しろ。』

鳳翔は振り返って大淀を見た。何かに怯えたように震える大淀が動かずにそこにいる。

「大淀さんなら、ここに。」

『代わってくれ。』

海渡は間をおかずに言った。

「大淀さん、海渡さんからです。」

大淀は顔を鳳翔に向けた。

「はい。代わりました。」

『吹雪が誘拐された。知っているな?』

大淀は返答しなかった。本来の上司の命令だ。仕方がない──そう自分に言い聞かせようとした。だが、本能がそれを拒んだ。お前は友人を売った。関心を買うために。

『そうか。外れてほしかったが…。場所はどこだ?吹雪をどこに連れて行った?』

「申し訳、ありません。」

『…鳳翔に代わってくれ。』

鳳翔は大淀から受話器を受け取り、何度かやり取りした後電話を切った。

「大淀さん、あなたを拘束します。」

「はい。」

大淀は素直に従い、縄で手足を縛られた。大淀の心はそれで幾分か救われた。自分の罪に対し罰がある。それがいい。さらに鳳翔は大淀の口をハンドタオルで縛った。海渡の命令であった。

「万が一にも自殺されたら困る。舌を噛めないようにしておけ。」

そうして鳳翔は執務室を飛び出し、官舎へ向かった。

 

 

 

その数時間前、最初起きたのは何やら多くの足音のせいだった。てっきり団体客でも来たのかと思ったが、ドアを破壊して兵士が数人入ってきたのを見てそうではないということを知らされた。海渡は吹雪を抱えて窓を強引にこじ開けようとしたが間に合わず、入ってきた兵士が発砲した弾が腹部と腕を貫き、酷い痛みと共に倒れ込んだ。

「海渡さん!!」

吹雪は起き上がって海渡を庇うように兵士との間に割って入ったところに、兵士がさらに発砲し吹雪の腹部に命中した。銃に撃たれた程度は我慢できるつもりだったが、弾が強烈な催眠弾では耐えられなかった。吹雪はその場に昏倒し、さらに入ってきた兵士たちが手際よく彼女を連れ去った。

「やめろ!」

海渡は叫んだ。しかし、焼けるような痛みで立ち上がることすら覚束ない。その隙に、さらに三発撃ち込まれた。胸と足と右側頭部に命中し、海渡は無言で倒れた。血がたまり急速に熱が奪われる感覚を覚えながら意識が遠のいた。

 

 

 

「起きろ、死ぬには早すぎる。」

声が聞こえ、ゆっくりと目を開いた。焦点が定まらないぼやけた視界が時間と共に鮮明になっていく。目の前には見慣れた二本角の深海棲艦が立っていた。海渡は少しの間呆けて、記憶を取り戻して勢いよく立ち上がった。

「吹雪は!?」

「いない。どこかに拐われたな。」

「くそっ!」

海渡は苛立ちのあまり床を強く蹴った。血溜まりが弾けて壁やシーツへ飛び散った。そこで初めて撃たれたことを思い出した。そして撃たれた場所を順々に触ったが、どこも塞がっているように思える。

「こうも早くこっち側になるとは思わなかった。貴様は適正がありすぎるな。それも困ったものだが。」

「何をした?」

「私は何もしてない。お前自身の問題だ。」

自分に何が起きているのかさっぱりわからず、目の前の元凶に問い詰めたくなったが、今はそれどころではなかった。

「あいつらがどこに行ったのかわかるか?」

「知らん。私は頼まれてお前を起こしに来ただけだ。」

「頼まれた?誰に。」

「答えると思うか?」

海渡は鼻白んだが、今は置いておくことにした。時計を確認すると零時三十分くらいだった。自分がどのくらい気絶していたのかわからないがとにかく急ぐ必要があることだけはわかる。吹雪を誘拐するやつの目的は、一つしかない。海渡は携帯電話を取り出して自らの執務室の電話を呼び出した。今更ながら、これは悪手だと思った。もし敵が執務室にいたらどうする?そこまで気が回らなかった。

鳳翔が出て、事の次第を連絡して北上と最上を起こすように言った。海渡は大淀が何らかの形で関与していることを察していたが、どうか外れてくれと願ったが、それは叶わなかった。海渡急ぎ準備をし、策を練った。場所がわからなければどうしようもないか。有力なのは四年前に吹雪たちといた施設だが、自分たちがいない三年間に新しい施設が立っていても不思議ではない。もちろん彼は全てを知悉しているわけではなかった。二本角の彼女はいつの間にか消えていた。

そこへ足音が近づいてきた。海渡は見えないように壁に隠れた。そして足音は部屋の前で止まり、中にはいってきた。複数人いるようで何やら小さく会話している。

「なんだって死体の後処理なんて。」

「全く同じ組織内でこんなことするなんて、政治は恐ろしいな。」

二人組だった。男たちは作業着を着ていて、ぱっと見た限りではただの清掃員に見える。二人が海渡に気づくことなく部屋の中央まで来たところで、男の一人が床に血溜まりしかないことに気づいた。そして血の足跡があることに気づき、それを目で追い始めた。海渡は咄嗟に飛びかかった。近い方の男を押し倒し馬乗りになって顔を全力で殴りつけた。男は防御姿勢をとる間もなくそれを正面から受け、そのまま昏倒した。もう一人の男は右手を後ろに回し、銃を取り出そうとしたが海渡の動きの方が早かった。海渡に引きずり倒され、男は血溜まりに倒れた。海渡は男に抵抗されながら必死に押さえつけ首を締めた。

「死体が、動くなんて…。」

「吹雪はどこだ?」

「知らん。おれは掃除を命令されただけだ。」

「そうかい。」

海渡は一瞬だけ力を緩めた後、正確に男の顎を殴りつけて気絶させた。海渡は肩で呼吸しながら、手がかりがないか男たちの全てのポケットを探ったが、偽造の身分証が見つかっただけだった。物的証拠になるかもしれないとそれを拝借した。そこで男の顔を見た時、二本角が言っていたことを思い出した。

「こうも早くこっち側になるとは思わなかった。」

海渡は自らの血で出来た血溜まりに左手をつけ、そしてその手で男の頭を掴んだ。その瞬間、大量の映像が頭に流れ込んできた。男の記憶だった。あらゆるものが流れ込んできて頭がパンクしそうになり思わず手を離したが、必要な情報も得られた。

「嘘をつきやがって。」

着替えを手早く済ませて部屋を出た。さらに清掃員が部屋に来たのはその数分後だった。駅まで出てタクシーを呼び、目的地を告げた。約一時間の道のりだった。

海渡は北上たちに電話し、吹雪が誘拐された施設と集合場所を伝えた。

 

 

 

光政は基地内で貸し与えられた部屋で、部下からの連絡を受けて文字通り飛び上がった。大泉が海渡に尾行をつけていたように、彼も海渡に一人の監視をつけていた。しかし、それは大泉ほど厳重なものではなくて、心配だったため、見守り役を任せていただけだった。その部下から来た連絡は驚くべき内容だった。海渡と吹雪が襲われたというではないか。光政は橘の執務室に向かった。橘はこの日夜勤で起きていた。

「このような時間にどうされたのですか?」

「海渡と吹雪が襲われた上に、吹雪が拉致されたらしい。」

橘は橘は目を見開き、一瞬息をのんだ。

「では、早急に対応しなければならんでしょう。吹雪が拉致されたとなると、大泉所長が関与していると見てよいでしょう。」

「いけすかんな。」

光政は不敵な笑みを作った。

「良い機会だ。」

「ええ、私もそう思います。」

橘も同様の笑みを作り、敬礼をして執務室を出た。橘は北上たちに話を聞くため、佑輝を呼び出し対応させた。しかし、既に北上たちは官舎にいないことがわかった。基地内の防犯カメラの記録によると基地の外に出たことまではわかったが、行き先がわからなかった。そして、佑輝は執務室で拘束されている大淀を見つけた。同行していた部下に銃を構えさせたまま、拘束を解除した。

「何があった、言え。」

佑輝の言葉は大淀を鋭く刺した。だが大淀は返答しなかった。顔からは生気が失せ、焦点も定まっていなかった。

「吹雪さんを解析するために、孤立させろと言われました。」

誰に向かっての発言なのか、壊れた人形が音だけを漏らしているように見え、銃を構えている部下たちは気味悪がった。

「どこに?」

「言うとおりにしました。」

返事をしているはずなのに、どこか独り言のようでもあった。佑輝は大淀の頬をしたたかに平手で打った。

「しっかりしろ中尉!貴様の所属はどこだ。言ってみろ。」

「…第零遊撃部隊です。」

大淀の瞳にわずかばかり光が戻った。

「なら職務を全うしろ。」

「はい。」

大淀は知っている情報を断片的に話し始めた。最後の抵抗だったのか、知っていること全ては話さなかったが、佑輝にとっては十分だった。話を聞き終えた後、佑輝は大淀を営倉に入れるよう部下に命令して執務室を出た。

それを橘と光政に報告した。

「あんのキツネめが。」

「ですが、流石に正面きって争うわけには。」

「無論、だが、訓練は必要だろう。…な?」

 

 

 

海渡たちは予定通りに目的地についた。北上たちも同様に到着して、一同は吹雪が運ばれた施設の南側の林へ身を潜めた。海渡は墓参りの服のままだったが、北上たちは基地内の清掃員の作業着を一方的に拝借していた。鍔付き帽子を被り、いつもと異なる印象だった。

東海岸第二艦娘研究所。三年前まで海渡や吹雪たちがいた施設にほど近い場所に作られた施設である。所内に発電所を供えた特殊な施設であったが、これこそがこの施設の異様さを物語っており、所内でどのようなことを行うのだろうかと想像させられる。場所は特定できたが施設内のどこにいるのかまではわからなかった。可能な限り隠密行動をしたい海渡にとってはどうにか部屋の場所を特定したかった。海渡はここで一計を案じ、北上に海水を回収させて待機させた。そして、正門の受付から警備員が出てきた時を見計らい行動を起こした。海渡はホテルの一室で殴った男から拝借した拳銃に上着を被せてから発砲し、正門の防犯カメラを撃ち抜いた。それを確認し、最上と鳳翔が警備員に飛びかかって抑え込んだ後そのまま受付に連れ込んだ。海渡と北上もそれに続いて入り扉の鍵を閉めた。

「おい、あんたらなんなんだ。」

「招待客だよ。」

北上はそう言って抑えられた警備員に馬乗りになって、頭から海水を一気にかけた。そしてすかさず海渡は警備員の頭を鷲掴みにした。海渡の予想通り、警備員の記憶から施設内の情報は得られた。しかし、吹雪の居場所までは分からなかった。海渡が少し考え込む間に、最上と鳳翔は警備員を縄で縛り口に粘着テープを貼って床に転がした。

「あのさ、これ使えば良くない?」

北上は受付の棚から施設内のパンフレットを取り出した。

「確かに。」

海渡は苦笑して受け取り、みなの前で開いた。建物は三棟。正門の正面に中央本部棟、その南側と北側に海上実験棟と運用棟が建っている。その施設内の部屋もある程度書かれている。部屋の名称からそれらしきものはいくつか見つけたが、どれが正解なのか確信を持てない。

「全部見てみようよ。」

「隠密でって言っただろうが。」

怒りと焦りから力で解決しようとする北上と最上を制止した。そこであることに気づいた。パンフレットを何度も見返した。裏表まで念入りに確認したが、やはり見当たらない。

「こいつの記憶だと実験棟の地下があるはずなんだが。」

「じゃあそこだね。」

最上は断定した。全員が頷いたあと、海渡はもう一度警備員の頭を掴み、施設内のダクトや配電盤の位置を記憶から読み取り、受付を出た。

 

 

 

吹雪が目を覚ましたのは、海渡たちが施設に到着する少し前であった。ほぼ白一色の部屋のベッドに頑強な手錠と足枷付きで寝かされていた。殺風景の中に合理的に様々な道具が並んでいる様は嫌な記憶を蘇らせた。薬のせいか体に力が入らず、頭も視界もぼんやりする。

「海渡さん、大丈夫かな。」

部屋で銃に撃たれた海渡のことを考えた。私が守ると意気込んでおきながらなんて無様なんだ。銃で撃たれて無事なはずもないが、どうか生きていてほしい。吹雪は強く願った。

そこへ扉が開き、三人の男が見慣れた白衣姿で入ってきた。それと同時にベッドが立ち上がり無理やり立たされた。吹雪はこの服装が大嫌いだ。自分たちを散々いじめた象徴だ。無意識に視線を鋭くして睨みつけたが、効果はなかった。

「懐かしいなその生意気な顔。」

先頭の男が言った。吹雪はその顔を見た瞬間、フラッシュバックが起こり、息苦しくなった。その特徴的すぎる顔は忘れることはできない。

「そう睨むな。感動の再会だろう。」

吹雪は返答しなかった。いや、できなかった。大泉にされた様々な実験が記憶の沼から次々と浮かび上がり、吹雪の五感に情報を伝え続けた。心拍があがり、さらに息が苦しくなり、焦点が定まらなくなりつつあった。

「聞こえていないのか。まぁいい。早速やれ。どんなデータが取れるか楽しみだ。」

吹雪は腰のコネクタに試験用プラグを差し込まれ、繋がれたコンピュータが情報を引き出し始めた。

「やめて!」

悲鳴が上がった。映写機で映すかのように過去の記憶が吹雪の脳に鮮明に再生された。

「いやだあ!!」

白雪を撃った時の視覚と聴覚。続いて、青葉を狙い撃った時の記憶。忘れていた周りの空気や匂いまでも全てがもう一度鮮明に脳に焼き付けられ、吹雪は悲鳴を上げながら虚ろになり、涙とよだれを垂らした。

「もっと後だ。一ヶ月前の演習のやつとあと迎撃戦のやつも出せ。」

ディスプレイには数値データが大量に出ているだけで映像は存在しないが、神経を直接繋がれ機械と同じように電気信号を流されている吹雪には過去の五感の情報が洪水のように流れ続けた。悲鳴が壁で反響し、大泉に付いてきた男たちは強烈な罪悪感に苛まれたが大泉自身は聴覚がないのではないかと疑いたくなるほどに冷静だった。

「ああ、あった。これだ。」

「ほう、これは素晴らしい!」

大泉は一人で盛り上がり、納得したり落胆したりしていた。その間も悲鳴は響いていた。そして彼が満足して作業を止めると、それは終わった。頭の中で白雪と青葉を二十回撃たされた吹雪は廃人寸前だったが気にする様子はなかった。

「海渡さん、助けて。」

吹雪は涙と鼻水とよだれでまみれながら弱く呟いた。

「うん?あいつは死んだぞ。」

大泉は無感情に言った。吹雪はそれが現実感のない言葉として聞こえ、壊れかけている脳が処理を拒否した。

「これは運命的にも感じるな。吹雪、君が巻き込んだ男が色々あって君の所為で死んだ。因果応報と言えそうだな。」

大泉の高笑いは部屋に響いたが、吹雪には聞こえていなかった。そんなの嘘だ。嫌だ。私の所為で。後悔と自罰意識が一気にのしかかり、足から力が抜けた。

「さあ次だ。」

プラグを抜き、今度は注射器を取り出す。吹雪の視界にはもう何も映っていなかった。部下の男が近寄ってきて注射針を突き立てようとした、その瞬間だった。小さく地響きがした後、天井が崩れて男の足を押しつぶした。

「吹雪!!」

男の声が響いた。とても良く聞き慣れた声だった。吹雪の視界は急速に色を取り戻した。

 

 

 

まさに吹雪が悲鳴を上げている時に海渡たちは施設の地下に入った。だが、得られたのは地下があることだけで、一体何階層あるのか、吹雪がどこにいるのかは未だ特定できていなかった。深夜のせいか幸い人は少なく、ここまであまり苦労せずに来ることが出来た。とりあえず配電盤やダクトに仕掛けを施して隠密的に進めようとした時、吹雪の悲鳴が海渡にかすかに聞こえた。

「吹雪の声が聞こえる。」

だがそれは海渡だけだった。三人から否定されつつも声の位置を探った。

「この下だ。」

地下施設はおかしな構造をしていて、階段やエレベーターが最下層まで直接繋がっていなかったため、ここからさらに降りる方法を探す必要があった。北上たちは海渡の発言を信じることにして、北上は、

「でもまだ下に降りる方法がないよ?」

と真っ当な意見を出した。それに対して海渡は言った。

「いや、ある。下り専用だが。」

三人が数瞬だけ顔を見合わせた後、北上が嬉しそうに言った。

「いいの?」

「やれ。」

海渡の命令は食い気味だった。そうして三人は下り専用のエレベーターを作った。四層分の床を次々とぶち抜いたところで、吹雪が監禁された部屋に辿り着いた。最上と鳳翔が手早く吹雪の拘束具を破壊して、海渡が吹雪を抱き上げた。

「貴様!なぜ生きているのだ!」

大泉は海渡が射殺された状況を詳細に報告されていた。一発が頭部を貫通したと。それで生きている人間などいるはずない。だが、大泉の怒号のような詰問は海渡に届いていなかった。

「吹雪!しっかりしろ!」

「海渡さん、来てくれたんですね。良かった。生きていてくれて。」

吹雪は笑みを作った。非常に弱々しい声だった。

「間に合わなくて、ごめんな。もう大丈夫だ。帰ろう。」

「はい。」

海渡は歯を食いしばった。おれは肝心な時に遅い。早苗の時もそうだ。

「戻るぞ。」

怒りを強引に押し込めて、撤収を命じた。ここで問題を起こしてはさらに厄介なことになる。北上たちは跳躍だけで戻れたが、海渡はそうもいかず一層ずつ北上たちに上から引っ張られる形で登った。

施設から出たが、正門が封鎖されていたため南側へ抜ける方法に切り替えた。施設の東側の壁沿いを走り、すぐ隣の森に飛び込めば追手をかわせる。そう思った時、建物の影から装甲戦闘車が飛び出してきた。

「なんでこんなところに戦車が?!」

北上が横に跳んだのを見て他も続く。即座に主砲が火を吹き、先程まで海渡たちがいた場所を弾が高速で過ぎ去った。

「海渡さん、どうする?」

「流石にこれは想定外だ。だが、ここはただの研究所じゃないってことはわかった。」

海渡は少し考え指示を出す。

「近づいてきた瞬間に飛び出して、砲身を折る。それで逃げよう。できるか?」

「たぶん。流石に戦車は相手したことないから自信ないな。」

空がだんだん白み始めた。夜明け前までにここを出なければ。装甲戦闘車が音を立てて近づいてきて全員が構えた時、急速に近づくローター音が場を支配し、そしてサーチライトが海渡たちと装甲戦闘車を照らした。

『訓練そこまで!!状況終了!!』

スピーカーから響くような音声が流れた。目が慣れると上空に回転翼の輸送機が飛んでいた。装甲戦闘車の乗員も予想外だったらしく、ハッチを開けて飛び出してきて何事かと騒いでいる。

『訓練兵の撤収作業にかかる。研究所員は下がられたし。』

輸送機から懸垂下降で五人降りてきて、そのまま海渡たちの回収作業に入った。

「ご協力感謝します。今後もよろしくお願いします。」

隊員の一人が装甲戦闘車の乗員に対し敬礼し、そそくさと輸送機に戻った。輸送機は全員の回収を確認した後、日の出と共に研究所を飛び去った。

 

 

 

輸送機は夜が明けた海上を飛び続け、待機していた『かなた』のヘリポートに着陸した。それを確認した『かなた』は最寄りの港に転進した。

その頃には吹雪も自身で歩ける程度には回復し、海渡に連れられて輸送機から降りた。

「最上さん!」

艦内から三隈が嬉しそうに走ってきた。

「みなさん無事で良かったです。」

「三隈、どうしてここに?」

「訓練だ。研究所と合同のな。」

三隈の後ろから初老の男性が歩いてきた。艦長の榛原が疲労の色を少しだけ浮かべていた。

「虎からの連絡でな。急にやるっていうもんだから遅刻しないか心配だったんだが、オンスケで助かった。失敗したらお上にどやされるからな。」

「ありがとうございます。」

海渡は深々と頭を下げた。

「それは虎に言うんだな。」

榛原は一笑に付して格納庫を出ていった。

海渡は濡れタオルを用意して吹雪の顔を拭いた。

「だ、大丈夫です。自分で拭けます。」

「いいからじっとしていろ。」

服についた汚れも拭き取り、一応の身だしなみを整えた。それを見ていた隊員たちは「親バカだねえ。」と小さく漏らした声に周囲が笑った。

海渡たちは後部甲板に出て日が出たばかりの潮風を浴びながら深呼吸した。

「とりあえず助かったね。」

最上が明るく言い、全員が賛同した。吹雪が疲労から眠りこけてしまったので、海渡は吹雪を背負った。背中で寝息を立てる吹雪に安堵を覚えながら、完全に夜が追い払われた海を眺めた。

この日の一件は研究所と海軍の合同訓練とすることで合意された。だがそれに至るまでには三日ほどかかった。大泉からの施設への破壊工作を弾劾され責任を追求された橘は、堂々たる態度で言い返した。

「では、具体的にどこの何が破壊されたのか報告書を提出願えますかな?」

大泉はしばらくの間露骨に不機嫌さを見せた後に、渋々訓練ということに合意した。その代わりに施設に装甲車が配備されていたことを追求しない、という条件がつけられた。

橘始め、海軍幹部は秘密裏に作られた施設を政治との癒着と考えたようだったが、まさか大泉個人によるものとは誰も思わなかった。彼が一体どのように資金を得たのか、なぜ公的施設の中にそのような区画があるのか、その謎が解けることはなかった。

 

 

 

"合同訓練"から二ヶ月が過ぎ、大淀を除く遊撃部隊は日常を取り戻しつつある。海渡は多少のトラウマを抱えた。吹雪たちに検査や試験がある時は必ず同行し、それが終わるまで視界から外すことはなくなった。

「心配性なんですね。」

「あれは強迫性の類じゃないか?そうじゃなければただの親バカだな。」

数々の噂が囁かれたが、後ろ指を指されるようなことはなかった。彼の自らが指揮する艦娘たちへの態度は、他の指揮官たちと異なり父親のようであることは周知の事実であったためだろう。周囲の大人たちは彼のそのような態度を敬愛と揶揄を込めて"親バカ提督"と呼んだ。ただ、艦娘などの若い女性たちからの見え方は些か違ったようだった。その理由は、海渡ではなく吹雪の方にあった。明らかに対応が以前と変わっていて、海渡への視線が親に対するようなそれではないことを直感的に見抜いていた。

大淀は合同訓練の次の日に刑務所に移送され、除籍処分となり、その後懲役刑を受けた。罪状は機密漏洩と収賄。海渡たちの情報を大泉に流していた件での収容であったが、海渡たちを驚かせたのは大泉からの抵抗や抗議が一切なかったことだ。それどころか素知らぬ顔を決め込んでいて、その態度を見た橘も流石に顔を引き攣らせて寒気を覚えた。

「人間ではないと思っていたが、本当にそうだとは思わなかった。」

橘は大淀の処遇を決めたあと、海渡との雑談で独語するように言った。一体大泉が何を考えているのか、橘も海渡も見当もつかなかった。

ある日、海渡は吹雪と工廠にいた。吹雪の新しい艤装が完成したという報告を受けたためだ。一見すると以前と変わらないが、各部品や武器をアップグレードしたことで高性能になった、と明石は二人に熱く語った。それを聞いた海渡は艤装を隅々まで確認した。特に吹雪と神経接続を司る部品に対する確認は入念だった。

「すごいですね。噂通りだ。」

明石は海渡を見ながら言った。

「私もあんな風に心配されてみたいなあ。すごい大切にされてるってわかって恋しちゃうかも。」

明石は工廠での唯一の女性だったが、浮いた話は全く無かった。明石は艦娘の装備に関しては一流であることが認められていたためで、職場の同僚達は頼れる仲間以上の認識はなかったのかもしれない。隣で話を聞いていた吹雪は少し恥ずかしくなった。もしかして他の人からもそんな風に見られていたのだろうか。

「付き合ってるんですか?」

「違います。」

吹雪は即答した。ここ最近よく聞かれることだった。海渡の心配性は様々なところで噂の種になったが、特に吹雪への気遣いが多いのでそう聞かれることが多かった。流石の吹雪も慣れてきて、平然と返すことができた。

「でも吹雪さん、提督のこと好きですよね?」

「いや、上官として敬愛しているだけであって…」

吹雪は最近すっかり板についた返答をした。

「顔に書いてありますよ。」

明石が悪戯っぽい笑みを浮かべて吹雪を見る。吹雪は頬を赤くしながら目を反らして黙った。

「なんで隠すんですか。いいじゃないですか青春ですよ青春。相手がおじさまなのはアレだけど。」

「別に海渡さんはおじさんじゃ――」

「三十歳はおじさんですよ。でも、見ましたよ任務中の写真。志ノ方提督、めっちゃ格好良いじゃないですか。」

「…明石さんは彼氏さんはいないんですか?」

吹雪は強引に話題を変えた。これ以上海渡の話をされたら、恥ずかしさと妬ましさに耐えられない。

「残念ながら。機械いじりが得意な女は受けが悪いんです。顔には自信あるんですけどね。」

「すごいですね。」

「吹雪さんも可愛いんですから自信持ちましょ?」

そんなことを言われても、と吹雪は困り果てた。

「明石、この基盤、配置が違う。」

そこへ海渡が明石を呼び、艤装の部品を指して言った。

「え?北上さんたちのやつと同じように組んだんですけど。」

「吹雪のは順番が逆なんだ。この左右を入れ替えてくれ。」

「わかりました。修正しておきます。」

吹雪の艤装は大破しており細かい構造の再現は不可能であったため、明石は北上や最上の艤装を参考に構築せざるを得なかった。しかもそれが正解かどうかもわからなかった。

「よく覚えてますね。さすがです。」

「このくらいはな。」

誰も死なせたくないんだ。そう続けようとして海渡は言葉を飲み込んだ。やたらに不安を煽るような話はしないほうがいい。

「後で共有してくださいよ。」

「了解。先に言えばよかったな。気が回らなくてすまん。」

そしてまた海渡は確認を再開した。

「愛されてますね。」

「…はい。」

明石の言葉に笑顔を作って返答した。

その後、艤装を装備して海に出て動作確認をした。以前より軽快に動けることに楽しくなり自由に動き回った。回ったり跳んだりしている様は子どものようだ。しばらくしてから吹雪が戻ってくると、明石がドヤ顔で待っていた。

「実はちょっと武装を増やしたんですよ。艤装の下の取っ手を引っ張ってみてください。」

言われた通りにすると、短剣が二本飛び出して吹雪の手に収まった。吹雪はそれをまじまじと見た後に明石に言った。

「なんですかこれ?」

「吹雪さんって、めっちゃ近接戦しますよね?天龍さんと龍田さんが武器持ってるじゃないですか。それを真似したんです。小さい方が取り回しが良さそうなので短剣にしてみました。どうです?」

既に近接武器を使っている軽巡洋艦の艦娘を思い出す。天龍が刀、龍田が槍を使っていた記憶が再生された。吹雪は何度かその短剣を器用に振り回し、最後に近場にあった射撃用の的に投げた。綺麗に的の中央に刺さり明石は感嘆した。

「ありがとうございます。いけそうです。」

吹雪は海から上がって艤装を棚にしまって工廠を後にした。

この日は遊撃部隊はみな非番で予定があった。北上は大井、木曾と、最上は同型艦三人と、鳳翔は赤城と加賀と、そして吹雪は川内、睦月、如月と。午前中に新しい艤装の確認があった吹雪以外は既にみな街へ出かけており、吹雪もこの後川内たちと合流して出かける予定だった。吹雪は部屋に戻って私服に着替え、一旦執務室に寄って海渡に挨拶して待ち合わせ場所に向かった。この三か月の間にそれぞれ親睦が深まっていることに海渡は心の底から安堵していた。

海渡の懸念の一つに、普通であれば親友やら悪友やらいる年齢で吹雪たちに仕事仲間しかいないことがあった。流石に鳳翔の年齢ではそういうことにも割り切りができるが、特に吹雪はまだ十五で、しかも五年前から施設に閉じ込められて過ごしていたため、海渡の心配の種だった。もちろん白雪たちという同年代の仲間はいた。しかし、その三人を失っている。だからこそ、人間関係そのものがトラウマになっていてもおかしくなかった。だが今の吹雪を見る限り、それは杞憂だったようだ。

「さて、おれも行くか。」

もちろん海渡にも予定があった。ただ吹雪たちと違って、積極的になれない用事だというのが悩みだった。

 

 

 

「お昼ご飯どうしましょう?」

「この間多摩と食いに行った美味いところがあるんだ。そこにしないか?」

「また魚介系のラーメンじゃないでしょうね?」

「お、当たりだ。知ってるじゃないか。」

「あんたこの前も同じこと言ってたわよ。」

大井と木曾が北上を挟んで昼食の話で盛り上がっていた。平日とは言え駅前はそれなりに人が行き交っており、老若男女が賑わう中に彼女たちはいた。艦娘たちが国民に知られているとは言え、容姿が特別に目立つ長門や陸奥は除き、街の中でいきなり囲まれるということはほとんどない。

北上は少し考え事をしていた。午前中は大井と木曾とともにカラオケに行っていたが、ふと思ったのだ。

「あたしって何もないのかな。」

二人が学業と青春を謳歌している間、ずっと施設にいた。彼女たちの様々な経験は自分にはあまりない。任務の話はできるが、日常の雑談に困る。過去を懐かしんで共有することもできない。少しぼんやりしながら、大井に勧められたミルクティーを太めのストローですすった。

「北上さん、聞いてる?」

「うえ?ごめん、なに?」

「お昼ご飯、ファミレスでもいい?イタリア系の。」

「あ、いいよ。」

北上は意識を二人へ向けないまま返事をした。

「どこか具合悪いのか?」

「いや、なんか二人が羨ましいな、って。」

木曾の心配に短く返してまた考えてしまう。海渡さんならどうするんだろうか。彼なら何か答えを教えてくれるんじゃないか。いつもそうだった。自分だけじゃなく、吹雪も最上も鳳翔も、死んだ金剛たちも、何でも海渡に相談して、彼を頼っていた。だが、二人を見ているとそれも歪に思う。何かあるたび親を頼る子どものようだ。

木曾に案内されファミレスに入ってテーブル席につく。各々が適当に注文して、料理が来るまで少し手持ち無沙汰になった。

「二人ってさ、今の仕事に付く前って何していたの?」

「私は普通校に通ってました。家に帰ったら健康診断の結果に、通知が混ざってましたね。」

「おれはスポーツ推薦で高校に行ってたぜ。ま、全部おじゃんになったが。」

「そうなんだ。その時もこんな風に友達と出かけてたの?」

「まあそうだな。それがどうかしたのか?」

「いや、あたしはそういうのないなって。」

北上はポツリと漏らす。

「姉さんは前は何してたんだ?」

「前?前ねぇ。」

どこから前と言えばいいんだろうか。ここに来る前か、艦娘になる前か、北上は考えるのをやめ、思いつくまま口にした。

「中学校に通ってたよ。休みに家族で出かけてて、事故に巻き込まれて自分だけ生き残って、だったかな。あんま覚えてないや。」

北上は自虐気味に返した。「これ話しちゃだめなことだったかな」と思ったが、最終的に海渡がどうにかしてくれるだろうと考えて忘れることにした。

「それは壮絶だな。」

木曾が水を一口飲んでから声量を下げて言った。

「ま、無事だっただけ良かったんじゃないか?こうして生きてるしな。」

「ちょっと木曾、言い方があるでしょうに。」

「そうか?もう起きちまったものは仕方ないし、自分でどうこうできない問題に悩むのは時間の無駄だぜ。」

「あのね、あんた――」

「だって、そうだろ?点を取られたことは反省するしかない。後悔しても失点がなかったことにはならないのと同じだ。同じ失敗をしたら目も当てられないぜ。」

木曾は氷だけになったコップを弄びながら言う。

「過去の結果としての今より、未来の原因としての今、か。」

北上は以前海渡に言われたことを思い出した。

「別に過去との決別は必須じゃない。ただ、今生きている。そうであれば、未来をよりよくするために生きた方がいい。いつ死ぬかわからないなら尚更な。」

そう言っていた海渡はまるで自分を説得するようだった。彼も過去を抱えている。自分のような何もないように感じるゼロと、妻を亡くしたマイナス、一体どちらがましなのだろうか。

「ま、姉さんがどうしたいのか知らないが、何もないっていうならこれから作ればいいじゃねえか。」

「そうか、それもそうだね。」

木曾の言葉で北上は少しだけ気持ちが軽くなった。

そこへ料理が運ばれてきた。それからの午後の買い物では午前中より楽しめた気がした。

 

 

 

それと同じ頃、鳳翔、赤城、加賀は海沿いのレストランの二階にいた。ガラス張りの店内は海と街の賑わいを一望できた。行き交う観光船、砂浜の海水浴客、遊園地の観覧車、平和そのものだった。

「ここ、パスタが有名なんですよ。」

赤城はメニューを見て悩む鳳翔に言った。今回の外出は赤城が提案したらしく、何か意味があるのではないかと鳳翔は思っていた。隣の加賀は相変わらず表情の変化が乏しいので、加賀の表情からは何も察せなかった。

全員が注文を決め、最後に加賀が「大盛りで」と忘れずにつけ加えて、ウエイターを下がらせた。ガラス張りの店内には強めの日差しが差し込み、鳳翔は目を細めながら水を口にした。

「鳳翔さん、ちょっと相談なんですが、実際のところ吹雪さんと志ノ方提督ってどうなんですか?」

あまりにも直球すぎる質問に鳳翔は目を丸くして、加賀は息が止まる思いをした。加賀は鳳翔の心の内を洞察していたためにその一言は余計に重かった。

「すいません、突然。高梨提督からちょっと言われてまして。」

「何をですか?」

「最近、みんなその噂で持ちきりじゃないですか。どうも上はそれをあまり良く思っていないようなんです。風紀が乱れている、と。」

若い女性の集団のため、そのような話が広まってしまうことは仕方のないことではあったが、それとは別に任務に支障が出たりあらぬ話に発展したり、制御不能になることは避けるべきという認識が上層部に共通している。そのような事態になる前に抑制する必要があった。

「つまり、私にスパイになれと?」

「いえ、そういうことではなくて、ただ、現状どうなのかを知りたいらしいです。流石に噂を鵜呑みにはできないので。」

艦娘の部隊が設立されてから艦娘の軍隊内での恋愛を禁止するような決まりは一切なかったが、特に恋愛に発展したという話もなかった。結局のところ上司と部下なのであり、艦娘だけが特別恋愛沙汰が多いというわけでもなかった。

「二人はとても仲が良いですけど、今のところそれだけだと思います。吹雪さんが海渡さんを愛しているのはわかっていますけど、それ以上のことは存じません。」

加賀は内心「あなたもでしょう。」とため息をついた。鳳翔の一歩引いた態度は成人としては正しいのかも知れないが、一人の女性としては煮えきらないものがある、と加賀は思った。

「そうなんですね。どうにか決着しないものでしょうか。」

「難しいと思います。海渡さんが特にそれを了承しないでしょうね。」

「と、いうと?」

「あの人は、私たち全員を等しく愛でてくれましたが、それ以上のことではないのだと思います。たぶん、亡くなった奥様のことをずっと考えていらっしゃるのでしょう。彼女の死は自分の責任だと思っていますから。」

少し重い空気になり、しんとなった。

「女々しいと、思いませんか?」

加賀は初めて口を開いた。その言葉に赤城は驚いたが、鳳翔は表情を変えなかった。

「そうですね。そうかもしれません。でも、独身の私から何も言えることはありません。愛する人を自分の選択で亡くしたことを後悔するのは当たり前のことだと思いますし。」

その言葉には赤城も加賀も同意した。他人がとやかく言うべきではない。

その後は食事をしながら午後の予定を話した。お店を出る時に赤城が手洗いに行くというので鳳翔と加賀の二人で店の外で待つことになった。

一応の観光地のため、目の前を若いカップルが何組も行き交っている。あれを羨ましいと思う日が来るのだろうか。

「あの、鳳翔さん。」

「なんでしょうか?」

加賀は少しためらった。こんなことを聞いてもいいのだろうか。

「鳳翔さんも志ノ方提督のこと、その――」

「はい、その通りです。」

加賀が少し言い淀んでいると、鳳翔が先を予想した。

「伝えないのですか?」

「はい。」

「なぜですか?」

「あの人は、吹雪さんのものだからです。」

加賀はその言葉の意味がわからなかった。諦めというよりまるで規則のように聞こえる。

「私たちのところに海渡さんを連れてきたのは吹雪さんなんです。最初、私たちには上官はいませんでした。吹雪さんが連れてこなければ、一生そうだったかもしれません。そのあと、不慣れな海渡さんを吹雪さんは補佐し続けました。ただ、あの人はとても真面目なので、吹雪さんに気持ちが向いたとしても、自分の感情に蓋をして、責任感だけで処理しようと考えるでしょうね。」

加賀は聞き入った。鳳翔の抱える悩みを解決するのは困難なように感じた。

「パズルがハマるような自然さが、あの二人にはある。そう思いませんか?」

「私には、まだ…。」

「そうですね。もしかしたら、これが人を愛するということかもしれませんね。」

加賀の反応に鳳翔は微笑んで返した。愛しているからこそどこを向いているのかわかる。なんて辛いのだろうか。

 

 

 

「出ろ、面会だ。」

刑務官の命令に従って大淀は部屋を出た。コンクリートで出来た建物は温かさを全く感じさせず、罪人に対して罰の意識を強める役割をもっているように見えた。

収監されてから二ヶ月、彼女は模範的とは言い難いが特に問題も起こさない平和な受刑者として過ごしていた。こうなることは大泉に情報を流した時に覚悟していたが、大泉の所業を全て自分が背負い込むとは思っていなかった。大淀の処遇について大泉はなんら策を講じず、誰一人として彼女を擁護するものはいなかった。

「あんなに言うとおりにしたのに。」

大淀は内心で呟いた。ただ、こうなるのではないかと心のどこかで考えていたことは否定できない。それでも指示に従っていたのは自分に指針をくれる大泉にすがっていた面があるからだ。彼女は自分の厄介な性格について洞察していたが、それを治す方法もまた誰かに教えてほしいという矛盾だった。

彼女はいわゆる優等生で、人の話をよく聞きその通りに行動することが上手かったが、規則などの明確な指針がないとどう動けばよいかわからないという、一種の自己を喪失したような状態だった。その指針に見捨てられたとあってはいよいよ放心した人形になりかけている。

今日は定期的な心理士との面会の日だった。心理士を相手にしても優等生で、まるで問題がないかのように振る舞い、心理士を困惑させるほどだった。そうやって優等生を演じることは何の苦労もない、彼女の癖だった。

面会室に入ると、ガラス越しにいる人物に驚いて思わず声を上げた。

「久しぶり。ずいぶんやつれたな。」

「し、志ノ方提督。どうしてここに。」

大淀は急ぎ足で椅子に座った。海渡はため息をついた。

「お前が手紙を送ってきたからだろうが。忘れたのか?」

「覚えてますけど、まさか来てくれるなんて思ってなくて。」

「まぁ一ヶ月前だしな。遅れて悪かった。」

「いえ…。」

大淀は自分で呼んでおきながら何を話してよいか困惑した。

「お前、あの外道にも手紙出しただろ。」

「…なぜそれを?」

大淀は心底狼狽した。それは顔にも表れて手が震えたが、海渡は特に反応しなかった。

「浮気性だな。そういうのはやめておけ。」

海渡は椅子の背もたれに体を預けて呆れながら言った。

「だって、だって仕方ないじゃないですか。私はどうすればいいのか、誰も教えてくれないんです。今まで教えてくれていたのに。急になんで。」

大淀は心の中を吐露した。私はちゃんと言うとおりにしたのに。どうしてこんな目に。

「少し外の空気を浴びるか。」

「そんなことができるんですか?」

「おれの肩書に感謝してくれよ。」

海渡は小さく越権行為をバラし、大淀を外に連れ出した。もちろん手錠付きで。

外に出てすぐ近くにあったベンチに並んで座った。雲一つない晴天で外出日和と言えたが、大淀の気分には全く合っていなかった。

「あの、私に何かご用でしたか。」

「それはこっちの台詞だぞ。何か言いたいことがあったんじゃないのか?」

「いえ、その。」

大淀は言い淀んだ。話すことはない。ただ、指針が欲しかった。大泉か海渡のどちらかが来たら指針を与えてくれると勝手に期待していたが、見当外れだった。大淀は「この人にも見捨てられた」と思い始めた。

「そんなに誰かに命令されたいのか。」

「…わかりません。でもあれやれこれやれと言われている方が安心するんです。正解があるので。自由にされると、何が正解なのかわからなくてとても不安になるんです。」

「何となくわかっていたが、大変そうだな、お前。」

言葉を濁した。あまり激しい言葉は今使わないほうがいい。海渡からすると、大淀は人生で会ったことがない人種だった。こんなにも他人に依存して他人に道を敷かれないと何も出来ないなんてことがあるのか。よく今まで生きてこられたなと感心すらする。

「わかってます。わかってますよ。でもどうしたら良いのかわからないんです。」

海渡は少し声の音量を上げた。

「わからないことあるか。お前は吹雪を売っただろうに。その反省をするためにここに入っているんじゃないのか?なぜさっきから自分のことしか考えていない?」

海渡の正論に閉口した。大淀はそこでようやく罪悪感を取り戻した。そうだ。自分は仲間を売ったからここにいる。

「もう少しだけ自分を客観視したほうがいい。自分の行動がどう写るのか。」

「そんなこと急に言われても。」

「出来ただろうが。鳳翔に聞いたぞ。あの時執務室で震えてたって。あれは罪悪感じゃなかったのか?」

「それは…。」

そうだ。ゆっくりとその時の思考を思い出し始めた。あの情報を流したことによって吹雪がどんな目に合うかわかっていたのにそれを実行したことに対する罪悪感。自分がやったことに対する後悔。命令どおりにやったという達成感はあまり大きくなかった。

「迷うのは悪いことじゃない。時間はあるんだ。もう少し悩め。苦悩から逃げるんじゃない。他責の人生は楽だが短いぞ。」

「…短くても、いいです。」

「そうか。じゃあここで終わりだ。何も言うことはない。」

「止めてくれないんですね。」

「生きる努力をしないやつは無理だな。」

海渡は全く言い淀むことなく言い放った。

「あの、ここを出た時、私の場所はありますか?」

「お前がしっかり反省して、悩んで、正解でも不正解でもない回答が選べるようになるなら、あるかもな。」

「自分を、信念を持てということですか?」

「少し違うな。個性だの信念だのは自分だけの評価軸だ。止めたほうがいい。みなが悩むように悩み、反省するように反省しろ。」

「はい。」

大淀は海渡の言うことが正直よくわからなかった。それはどういう意味なんだろう。ただ、時間があることは確かであったし、仲間を裏切ったことに対する反省と罰をしっかりと自覚しなければならない。それだけはわかった。戻ってきた大淀は出てきた時よりも幾分生気が戻っていた。

 

 

 

日が傾き始めた頃、吹雪たちは駅前で解散した。神通、睦月、如月は明日も休みということで基地に戻らず実家に帰るためだった。吹雪と川内は基地まで戻るバスを待つ間、周辺を散策した。

「吹雪さん、志ノ方提督とどこまでいったんですか?」

「もう、そういうのじゃないですって!」

街なかを流れる川を横目にタイル張りの歩道を並んで歩き、石でできたベンチに座った。

「川内さんはどうなんですか?」

「私?好きですよ。提督のこと。」

「…え?」

吹雪は一瞬時が止まったように感じた。川内の対応がまるで当たり前のことを口にしたかのようだった。

「あ、うちの。うちの提督ですよ?」

「いや、それはわかってるんですが、予想していなかったというか。」

「ちゃんと隠してますから。吹雪さんはちょっと態度に出すぎですよ。」

「すいません。」

吹雪は少し恥ずかしくなって俯いた。

「あの、川内さんは、川島提督のこと、どんなところがいいんですか?」

「不器用で、融通が効かなくて、でも一生懸命で、責任感があるところ、かな。あんな図体してちょっと心配性なのが気になりますけど。」

川内の返答には一切の淀みがなく、聞いていて気持ちが良かった。

「吹雪さんはどんなところが好きなんですか?」

「…ずっと見てくれていて、一緒にいて安心できて、いつでも強くて、手を引っ張ってくれて。でもちょっと弱いところがあって、支えてあげたくなるところ、です。」

吹雪は川内のように洗練された話し方ではなかった。言うにつれて恥ずかしさが増えていき、最後は尻すぼみになった。川内はそれを笑顔で頷きながら聞いていた。

「ただ、これがちゃんとそういう感情なのか、わからないんです。私たちはずっと一緒に過ごしてきたので、実は家族に感じる気持ちの延長で、そういう特別なものじゃないんじゃないかって思う時もあります。」

目の前を流れる川をぼんやり見ながら思い出した。施設にいた時のこと、島にいた時のこと、自分や北上や最上や鳳翔がつらいとき、あの人はいつも助けてくれた。自分の持つ感情は、単純にそれに対する感謝のようなものに過ぎないんじゃないか。そう思う時がある。噂されるほどのことなのだろうか、と。

「みんなそう悩むんですよ。人を好きになるって単純に説明できないものですから。」

「そう、なんですか。川内さんは悩んだんですか?」

「いえ?全く。」

「話が違うじゃないですか。」

「私は、びびっと来たんです。あの人がある日仕事をしている様子を見た時、それが心の中に居場所を作ったんです。今もはっきり覚えてますよ。なんか幸せな気持ちになったんですよね。」

「それは、すごいですね。でも言ってたことと違いますよ。」

「ああ、それは他の人の受け売りです。私の話をしても、たぶん吹雪さんとは違うだろうなって思って。」

川内は変わらず明るく話していたが、わずかに頬を赤くしているのを吹雪は見た。

「川島提督に言わないんですか?」

「言いませんよ。あの人今そういう気分になってないので。仕事バカなんですよ。でも、私に住み着いたように、あの人にも絶対住み着かせてやります。機を見て。」

「頑張ってください。」

「はい、お互いに。提督好きの仲間ですね。」

「はい。」

お互いに笑みをこぼした。

そろそろバスの時間になるので、立ち上がって駅に行こうとした時、視界の端に見覚えのある姿を捉えた。最上と鈴谷が少し高級そうな居酒屋の前で挙動不審に中を覗き込んでいるのである。

「こんなところで何してるんですか?」

川内は彼女らの後ろから声をかけた。二人は驚いて振り向くと「驚かせないでよ」とため息混じりにつぶやいた。

「何かあったんですか?」

吹雪の問いに最上が答えた。

「ついさっき海渡さんが陸奥と一緒に入っていたんだよ。」

「え?」

場の空気が凍った。鈴谷の「あちゃー」という声が響いた。

 

 

 

海渡は不機嫌の絶頂にあった。執務室で吹雪たちの帰りを待っていると、光政と陸奥が入ってきて開口一番に言った。

「こいつは私の姪なんだが、今お前が騒がせている話題について説明しろ。」

急なことで混乱して返答に窮していると、さらに続けた。

「変な話が転がってきて私まで色々聞こえてくるぞ。状況を教えろ。」

「いや、それはわかりましたが、彼女がいる意味は?」

「私はこれから予定があって話を聞けんからその代わりだ。」

私服姿の陸奥は丁寧に挨拶した。高めの身長に茶髪のショートボブ。美人であるがどちらかと言えば愛嬌が勝つような整った顔立ち。元モデルというスタイルの良さ。姪ということは早苗の従姉妹になるはずだが、今まで海渡は知らなかった。

「初めまして。」

「初めまして。でも、何回か会ってるのよ?」

「まぁ、おれは覚えていないが。」

海渡は彼女に何となく不安を覚えて対処に困っていた。光政はそれを見届けて、

「じゃ、店は取ってあるから、頼んだぞ。」

「ええ、伯父様。」

といって出ていった。

「店?」

「酒がある方が良かろうって。」

海渡はめまいがした。この性急さと強引さには懐かしさを感じるが、全く良い気分ではなかった。

そして陸奥に案内されて店に入り、個室の座敷に座るに至る。対面で料理を選ぶ陸奥は何も気にしていなさそうで、余計に腹がたった。飲み物を頼み終えて、海渡が先に口を開いた。

「具体的におれに何をしろと。」

「あなた、噂になりすぎてるのよ。だから伯父様が実情を聞いて対処させろって。」

「対処ってどうすればいいんだ?何もできないだろ。」

「あなたが吹雪との関係を明確にすればいいだけよ?」

明確にって簡単に言ってくれる。海渡は内心で義父を罵った。おれたちはそんな単純な男女の関係じゃない。なぜあの人はそんなにも割り切りができるのか、海渡には大きな疑問だった。ただ言い訳だけはしたくなかったので、少し考え込んだ。それを見た陸奥はさらに続ける。

「伯父様が言ってたわ。あなた、早苗ちゃんの時も話題になって騒がせたって。その時は別の意味だったらしいけど。」

「そうだな。」

早苗の時は浮き足立つというより戦慄が海軍内を稲妻のごとく走り回った。「虎の娘に手を出すバカがいたぞ」と。軽く返すと障子貼りの引き戸が開いて飲み物が運ばれてきた。海渡は二人分を受け取って陸奥に渡す。

「あなた、いつもこうなの?」

「なにがだ。」

「無意識に他人の面倒を見るのね。」

海渡は黙った。意識したこともなかった。そんなに不自然な行為だろうか。

海渡は微妙に掴みどころのない陸奥の対応に苦慮していたが、その個室の隣で四人の女性が息を潜めていた。

「なんて話してます?」

「なんかあんまり聞こえないね。」

鈴谷と最上が海渡たちがいる部屋に対して聞き耳を立てている。川内は頬杖を付いてストローで飲み物を吸いながら怪しい重巡の姿を見続けた。一方、川内の隣にいる吹雪は気が気じゃなかった。一体なぜこのような気分になるのかわからなかったが、異様な焦燥感を覚えていた。

「大丈夫ですよ。吹雪さん、落ち着いて。」

「は、はい。わかってます。」

川内の励ましを受け深呼吸した頃、声が聞こえてきた。

「伯父様はね、あなたが早苗ちゃんをずっと想っていることを心配していたわ。そんなものは牢獄にいるのと同じだって。大切に思うのは良いことだけど、娘が足枷になるのは避けたいのよ。」

海渡は陸奥の正論に何も返さない。海渡は強い怒りを覚えつつも相手の主張の正しさに返す言葉を失っていた。

「…私ね、あなたに二回会ってるの。早苗ちゃんの結婚式の時とお葬式の時。覚えてないみたいだけど。」

海渡の反応の鈍さからか、陸奥は話題を変えた。届いたアルコール飲料を一口飲んでさらに続ける。

「素敵な人だと思ったわ。早苗ちゃんとお似合いで幸せそうで。」

海渡は陸奥の真意が掴めず黙ったままだった。陸奥はグラス越しに海渡を見る。

「でもまさか、こんなに弱い人だとは思わなかったわ。まるで早苗ちゃんを呪いみたいにするなんて。」

海渡は痛いところを突かれた。心拍数が少しだけ上がったのを感じた。

「最低ね。」

陸奥は柔らかい表情を締めて海渡をわずかに睨んだ。海渡は奥歯を噛み締め、その後口を開いた。

「言いたい放題だな。全て知っている風じゃないか。」

「知ってるわ。あなたが早苗ちゃんを送り出したこともね。伯父様が話してくれたもの。だからここにいるのよ。」

「…おれを憎んでいるのか?」

「それもあるわ。でも、あなたが反省して乗り越えていたら、それはそれで良いと思っていたのだけれどね。そうじゃないみたいね。あの時の魅力は一体どこに行ったのかしら。」

海渡が返答に迷っている間、隣の部屋は吹雪と最上が飛び込みそうになるのを静止するのに精一杯になっていた。それを知らぬ海渡は大きくため息をついて話しだした。

「吹雪たちと出会って、目の前のことに没頭できるというのは良いことだった。暇さえあれば早苗を考えていたからな。」

海渡は朧気に宙を見つめて続ける。

「だが、結局のところ、彼女の穴を別のもので強引に埋めようとしていたに過ぎない。それはずっと考えていた。考えて、そして吹雪たちに対して申し訳なさがあった。他人を使って飢えを満たすなんてどうかしている。」

陸奥は何も言わずに海渡を見つめていた。

「おれは吹雪を愛してる。」

陸奥は無反応だったが、隣の部屋は一大事であった。特に吹雪は顔が破裂したのではないかというほどの表情だった。

「だが、それは娘に向けるようなもので異性としての感情じゃない。それに、もし本当に女性として愛していたとして、妻を殺した人間が伴侶を得るべきじゃない。」

「素直じゃないのね。それに独りよがりよ。それを決めるのはあなたじゃないわ。」

「…そうだな。その通りかもしれん。」

陸奥は海渡の話を聞き、早苗や光政から聞いた話とはずいぶん異なる印象を受けた。光政は彼を早苗から遠ざけるために故意にいじめたと言っていた。訓練で厳しくし、評価を意図的に低くし、一切の口答えを許さなかったと。だが彼はそれを全て乗り切ったらしい。

「だからこそ娘をやったのに、今の様子は無様だ。」

そう言って剛毅な伯父は落胆していた。彼なりの愛情だったのだろうか。男児に恵まれなかった虎の意地かもしれない。陸奥はそう思う。

海渡は空になったグラスをしばし見つめていた。陸奥の言動には色々と不快だったが、とにかく脳内の整理がそれなりについたような気がする。大淀にあれだけ言っておいて、自分の醜態たるや。

「早苗ちゃんはいつもあなたのことを話してたわ。"カイくんがね"って。その話のあなたと今のあなたは別人よ。早く治しなさい。周りのために、ね。」

「わかってるさ。」

陸奥に言われた妻からの懐かしい呼び名が涙を誘う。帰ってきてくれと思う。内側の混濁した感情を吐き出すように大きくため息をついた。表情を締めて平静を装う。

「あなた、もしかしてずっと世話する側だったの?さっきの飲み物のことといい、ずいぶん気が回るのね。」

「そうか?そんなつもりはないが。」

早苗から聞いた話だとそんな世話焼きな印象はなかったが、吹雪たちの面倒を見続けた結果、身についた習慣なんだろうか。いや、それともそうすることで逃げているのか、もしくは贖罪のつもりなのか。

「一人でそんな全部背負っておかしな人ね。誰かに言われなかった?」

「言われたよ。だが、自分の問題を他人に背負わせるのは違う。」

「そうやってまた自分を追い詰めるの、やめなさい。面倒を見られるのも大事なことだと思うけど。」

「それは資格があれば、の話だな。」

陸奥は少し不機嫌になった。またそうやって逃げ道を作るのか。自分には何もないとでも思っているんだろうか。妻の喪失が彼の自信を根本的に奪い去ったのかもしれない。人のためには怒れるが自分のためには怒れない。一見良い人に見えるが、自分の尊厳を守れない人間の未来は暗いと決まっている。

伯父に言われたからここにいるわけだが、陸奥には別の目的があった。それはこの男を早苗が惚れていた頃に戻すことだった。早苗からの話を聞いていて、陸奥自身も海渡に惹かれた面が確かにあったが、抱いた印象と実物が違っていて落胆した。聞いた話の印象の通りであってほしいという欲求のため、陸奥はこれを快諾した。

「資格はあるわ。早苗ちゃんがあなたのことを"頑張り屋さん"って言ってたわ。私もそう思う。だから、その見返りを受け取るくらいは許されるでしょ?」

「そう思うって、話したのは今日が初めてだろうに。何を言ってるんだ。」

「鈍いのね。私が見てたの気づかなかった?」

「…いつ?」

「こっちに来てからずっと、気にかけてたのよ。あなたいつも遅くまで執務室に残ってるでしょ。それにこの前の"合同訓練"だって、そう。命がいくつあっても足りないわ。」

海渡はもはやどう反応すればよいかわからなくなった。陸奥が一体何を目的にしてここにいてこの会話をしているのか、未だに海渡は掴めないでいた。

「たまには誰かに世話を焼かれなさい。誰かを頼りなさい。」

「誰かって、適当なことを言うな。各々の責任の範囲というものが――」

「そうやってまた逃げる。仕事の話じゃないわよ。それともされないとわからないのかしら?」

「別に要らないが。」

陸奥は隣の部屋に吹雪たちがいることを最初から察していたので、海渡にここで吹雪の名前を出して欲しかったのだが、それを察せない海渡に失望のため息をついた。この人って本当に…。と、ここで急に意地の悪い考えが浮かんだ。陸奥は顔に緩く笑みを作っていった。

「そう言わないで、お姉さんに甘えてみたら?」

陸奥はわざと大きめの声でそう言って海渡の前に出て顔を近づけた。だが海渡は恥ずかしがる様子はない。

「お姉さんって、おれより下だろ。」

「ええ、そうよ。でも、今のあなた、とても年上に見えないわ。女々しくて情けない。逆に今は都合がいいけど。」

海渡は少しだけ心拍数が上がった。同じようなことを早苗に言われたことがある。フラッシュバックし、そのせいで変に意識してしまい、恥ずかしさが出てきた。

「何を――」

「だめ!だめだめだめ!私の海渡さんに近寄らないで!!」

海渡が陸奥に疑問を呈す直前、引き戸が勢いよく開き赤面した吹雪が肩で息をしながら立っていた。

「遅いわよ吹雪ちゃん。お姉さんが先にもらっちゃうところよ。」

陸奥は吹雪に微笑んで自分の席に戻った。

「愛されてるわね。"私の"だって。」

「…知っている。」

海渡は姿勢を正して座り直した。そして吹雪に向かって言った。

「いつからいた?」

「えっと、最初からです。」

「じゃあ全部聞いていたのか。」

「はい。」

「そうか。」

吹雪はまた顔を赤くして恥ずかしそうにした。海渡も同じような気分になったが、吹雪とは別だった。早苗の話は吹雪に聞かせたくなかった。この子の前では弱いところを見せたくなかった。

「他にもいるんでしょ?こっち来て一緒に御飯食べましょ。私お腹空いたわ。」

結局全員が同じ座席に座って夕食となった。海渡はみなと会話しながら、早苗のことを思い出していた。

 

 

 

食事が終わり解散となった。全員基地に戻る予定だったが、最上、鈴谷、川内、陸奥は気を遣って別ルートで帰ると言い出した。海渡はあまり気にする様子もなく「気をつけて帰るんだぞ。」といつもの保護者の調子で送り出したが、吹雪が陸奥も一緒に来てほしいと言い出し、三人で帰ることになった。吹雪が陸奥に昔の話を聞きたいと言うので、敢えて時間のかかる徒歩を選んだ。海渡はあまり良い予感がしなかったので一人で帰りたい衝動に駆られたが、この子達だけ歩いて帰すわけにはいかないため、一歩引いて歩くことにした。

海渡は陸奥の存在に危惧を覚えた。これから先何度も過去を思い出させられるのだろうか。それに辟易しつつも、陸奥に言われたことは全て正しい、そう思う。責任を持つこと、背負い続けること、悩み続けること、それを分けずに鍋のようにかき混ぜているうちは難しいことは考えなくても良い。それを一つ一つ明確に分けることに困難はあるのだ。人は識別し、判断することに精神的疲労があるのだ。それを連続的に強制させられるのが明確な以上、前向きに取り組もうとするはずもない。しかし、それでは脱出できない。覚悟を決め、それらを受け入れ戦う精神が必要だ。今の自分にあると思えないが、そうしなければ吹雪に対して誠実とは言えない。彼女の精神に甘えてはいけないのだ。

少し前で二人が楽しそうに話しているのを見つつ、空を見上げる。建物の明かりで少しかき消されてはいたが、雲のない星空が広がっている。半年前はこんなところにいるとは思わなかった。人間の想像力には限界があるのだなとつくづく思う。まだ島に残っていたら、早苗のことで前進しなかっただろうし、吹雪たちに詩織以外に友人ができることもなかっただろう。色々あったが、結果としては黒字と言ったところだろうか。とはいえ、大泉の件もあるため、努力を怠ると即座に地獄のようになる。気をつけよう。そう内心で呟き気を引き締めた。

「海渡さん、"カイくん"って呼ばれてたんですか?」

「ああ、そうだな。五文字は呼びにくいって言われたよ。」

「吹雪ちゃんもそう呼んであげたら?」

「ええ!?いや、それはさすがに。」

「からかうな。」

海渡はため息をついて悪戯っぽい笑みを浮かべた陸奥をたしなめた。

「吹雪、お前はお前だ。早苗じゃない。誰かの真似をするんじゃなくて、自分の思う通りにしなさい。」

「はい。」

古い呼ばれ方をしてフラッシュバックを避けたいという思いがあったが、それとは別に吹雪は吹雪であって欲しい。誰の代わりでもなく、この子だけのこの子しか持ち得ないものをずっと持っていてほしい。海渡は宛先不明でそう祈った。

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